道路レポート 秋田県道401号雄和仁別自転車道線 仁別〜旭川ダム 後編

所在地 秋田県秋田市
探索日 2025.05.02
公開日 2025.05.17

 市道に分断された後の後半戦は、いきなりの難所から


2025/5/2 9:20 《現在地》

せっかく遭遇したサイクリストに、県道の真実を伝えられなかった(また私の行動の意味もおそらく伝わらなかった)ことは残念だが、私は私の続きをするとしよう。
地理院地図によると、県道401号は市道太平山リゾートパーク線との交差の前後で一瞬途切れるものの、市道の反対側からすぐに再開するように描かれている。
したがって、チェンジ後の画像に示した点線のように県道が存在するはずだ。

道形が消失したため地図には描かれなくなったこの部分も、制度的に県道の供用が続いているはずだが、その供用中の道路の位置は市道直下の地中ということになる。
もっとも、そのことを念頭に道路の区域を立体的に認定しているとも思えないので、実際は直上の市道路面へ投影した位置が県道の道路区域だろう。
もしその部分だけ鋪装が違っていたりしたら面白かったが、そういう目に見えるような痕跡は全くなく、これはいよいよ本当に全く以て県道の存在は忘れられていそうである。



道路の反対側から、県道との交差地点を撮影した。
破線の位置に県道があるはずだが、渡った先には市道の歩道肩にガードパイプが設置されているので、私が来た方向以上に県道への“脱出”は困難である。

なお、この歩道の部分が現地の道路標識で自転車道として【案内されている】部分である。
そのためか幅には余裕があるが、少し持て余しているようで、路肩側には草の侵入を一部許している。
春先でこれなので、盛夏には歩道の実質的な幅は半分くらいに感じられそうだ。



何ヶ所かガードパイプ越しに市道の路肩の下を観察してみたが、当たり前だが、こちら側にも築堤の法面があって、そこが深い笹藪になっているために、見通せない。そのためなかなか“県道の続き”と確証を持てるものを発見できなかったが、見えないならば突入して探すのみだと意を決し、自転車を担ぎ上げて笹藪へ投げ込むと、そのまま藪を掻き分けて下ってみた。

するってぇと……



9:25 《現在地》

あった〜〜!!

……のだと思うのだけど、分断前の区間以上に荒廃している気が……。

なんだか地面も凸凹していて、鋪装の硬さが感じられない。
そのため、まだこれが県道の続きだという自信を持てない。
全く関係のない道(それも廃道)が、たまたまここにあるとも思えないが……。

とりあえず、市道交差側方向(写真奥)へ、行ってみよう。



……うむ。

どうやら確かにこれが、県道の続きであるようだ。
確かに市道の築堤の中腹より始まっており、市道に埋められてしまった交差地点が、ここにあったと考えられる。
でも、な〜〜んか腑に落ちないっていうか、道が不鮮明過ぎる気がするんだよなぁ。

状況を訝しく思いながらも、改めて本来の進行方向へ自転車を押して行こうとすると……



いまにも周囲の笹藪や森に覆われて消えてしまいそうな狭く頼りない道形は、いよいよ平坦でさえなくなっていくように見えた。
道が藪になっているのなら分かるが、道の形が見当らない気がするのである。

が、そんな先細りの行く手に、思いがけないものを、思いがけない位置に見つけた。
今いる道よりも明らかに低い高さに、4〜5本のガードレール支柱らしき白い柱が並んでいるのを見つけたのである。
九十九折りの下段を見下ろすような位置関係だったが、そんな線形のようには描かれてなかったはず……。

これはいったい……?

近くへ行ってみよう!



我が愛車のフレームと戯れているのが、問題の支柱のうちの1本だ。
どう見ても、まともな路上にある状況ではない。
谷へ雪崩れ込むように崩れた斜面に傾いて立っていた。
だがこの発見で、私の違和感の理由を含め、この場所の状況が見えてきた。

と、その前に肝心の支柱の正体だが、やはりガードパイプ用支柱とみて間違いない。
市道に設置されているものと同じ型式のものである。
ただ、ここには支柱だけがあり、支柱同士を繋ぐガードパイプの部分は全く見当らない。
市道との交差を見据えて、故意に撤去したものとみられる。


…………え?


お、おま……


供用中の県道のガードパイプ撤去したのかよ?!www

いや、もう使わないつもりだったんだろうけどさぁ……、さすがに仕打ちが酷くないか?w

この状況を国土交通省の大規模自転車道事業の担当官に見せたら、なんて言うだろうなぁ。

いや、もういないから担当官。
国交省サイトの大規模自転車道事業の紹介ページとかも、とっくに削除されてるし…。
あ……(察し)。



一緒に見えていた仲間の支柱たちも、そこかしこに……。

本来ならば同じ高さに並んでいるべき各支柱に大きな落差が生じている原因は、一つしかない。

私が道幅に違和感を感じた原因も同じ。

すなわち――



県道は不同沈下していた。

チェンジ後の画像の矢印の位置には、分断前の区間でも見た自転車道と車道を分ける縁石も見えている。
自転車道側(すなわち県道)は完全に沈下していて、車道側も道幅の一部が沈下している状況だった。

このような惨状を見て、一瞬、この災害が原因で廃止になったのかと思いかけたが、しつこく書くが、この県道は廃止されていない!
いつ崩れたのかはともかく、供用は未だ廃止されていないのである。
もし廃止されたり、そのせいで経路が変わったりしていたら、県道の全長も変化すると思うが、今も昔もこの県道401号の総延長は35.4kmで変わっていないのだ。(具体的な資料は机上調査で紹介する)

ここはこの状況で今も県道なのである。



路面不同沈下地帯を振り返る。
車道と自転車道を合せると2車線分くらいの広さがあった道路は、見事に三段の平場に変貌していた。

なお、向かって左の土手は、市道の築堤だ。
もしかしたら、斜面に市道の大きな築堤を作ったから、その重みで地すべりが起り、たまたまそこにあった県道が巻き込まれたのかもしれない。
そうだとしたら……ますます酷い仕打ちだよぅ…。



思いがけない“災害”に遭遇はしたが、ともかく市道を跨いで県道の続きへタッチできた。
だが、いよいよこの県道の現状には一切の手心がないことが分かった。この先は、どうなっているのか…。
現役自転車道県道への礼儀として自転車を連れ込んでしまったが、大丈夫なのだろうか…。

とりあえず車止めが見えているところは自転車道だろうから、進んでみる。




 2度目の市道交差地点にて、遂に初めての封鎖が?!


2025/5/2 9:29  《現在地》

県道を完膚なきまでに忘却した市道太平山リゾートパーク線との交差をどうにか制覇し、地理院地図だけが県道の色を塗り続けている、他の地図には色どころか道自体描かれなくなっている続きの県道へ辿り着いた。区間初っ端の地盤欠壊地帯も終わったようだ。
ここから先は、前半戦と同じように草生しているだけ“平穏な廃道”が再開するものと、期待したい。

とりあえず、足元からしばしの道は、丈の低い新緑の草が絨毯のように敷き詰められた感じで、私のMTBならゴイゴイと乗り進められそうだ。下り坂だしな。
いざ、久々の乗車を……




乗っちゃダメぇ!!

地を這う草は低い草むらの正体は、全ていばら

荷重の乗ったタイヤを押しつければ、即座に大量のトゲがゴムに刺さり、すぐさま、ないしはその後の乗車中の遅効にて、いずれ必ずやパンクさせる、サイクリストの天敵、気づかず乗れば必ずパンクさせる草である!

乗車、厳禁である……。



というわけで、一見乗れそうに見えた場所でも乗車が許されず、引続きの押しを余儀なくされた。
それからすぐに、年季が入った倒木が道を完全に通せんぼしていた。
傍らには、ぽつねんと標識柱。一体どんな標識があったのか気になるが、主は永久に行方不明。



日影には荊が少ないので、乗ろうと思えば乗れそうな場所がちらほらあったが、ここで数秒ほど乗ってもねぇ……。
相変わらず、道幅の左側3分の1ほどが縁石で分けられていて、この自転車道部分にだけシケイン状に配置された車止めが時折現われた。こういうもので速度を抑制するくらいの快走路だった時代の名残だ。実際かなりの急勾配で下っている。



緩やかに窪んだ沢地のようなところを直線的に下って行く。道の両側が道より高い。
種子が路面に落ちて放置された日から、10年や20年では絶対にここまで育たない樹木たちが、舗装路の上にたくさん育っている。
自転車道側の路肩に大量のガードパイプが設置されていたが、ほとんど全てが壊れていた。

私のような物好きや、業務のために訪れた国土調査員、そんな誰かが目印に残すピンクテープの一つもない。
かといって、不法投棄の何かが置かれていたりとかもない。
どこからどう見ても、ただ存在を忘れられ、時を経た、それだけの道の姿が、あった。
なぜこんなにもこの道は忘れられることが出来たのかと、悪目立ちをしている全国の廃道の管理者たちは逆に問いたいくらいかも。(そこ、「山行が」のせいとか言わない)



珍しく、ちゃんと“架かっている”ガードパイプがあったと思ったら、よく見ると、支柱の代わりにそれを支えていたのは、支柱の位置に育つ立木だった。
このまま育ったら、段々ポールが高くなっていくなぁ……。
だからなんだってんだよ! 



そろそろ、現役であるはずの道が廃道だという現状へのツッコミネタも尽き始めたところで、前方の景色に変化が。
真っ直ぐに下り行く“ツタのトンネル”の先に、平穏を絵に描いたように長閑な仁別集落の家並みが見え始めた。
よく知る集落だけに、集落の中のどこに建つ家かもすぐに見当が付いた。

だから、どのあたりで“私が知っている場所”に辿り着くかを、行先側から先回りして想像できるだけのリードがあったはずだが、想像を働かせてみても、これが全然ピンとこなかった。
改めて地図も見てみたが……(↓)



それでもピンとこないって、こんなことは予想外だった。

私の場合、これから“交差する”ことになっている市道仁別木曽石線を自転車で通った回数だけでも20回は堅い。
だが、記憶にある限りは一度も“交差する”道を意識したことがないのである。
現場に何か忘却の魔法でもかかっているのかと思うような不可解な状況だ。
いくら探してこなかったとはいっても、自転車で通りがかって道の存在に全く気づかないことが20度以上繰り返されているなんて…。
今回の道は図面上だけの存在で道の実体がないってわけでもないし……。



変だなー 変だなー おかしいなー おかしいなー。
そんな思考とも呼べない感情に囚われたまま、それでも急な下り坂を重力に任せて押し進めるペースは意外と早く、間もなくツタのトンネルの向こう側に、地図で見たばかりの市道仁別木曾石線が、公園感ある整った沿道空間と共に現われた。

私がいる場所と地続きとは思えないくらいの“違い”を感じる道の姿に、強めの笑いがこみ上げてきた。
半笑いなどではなく、ほとんど爆笑しながら、最後の藪をハンドルで割き進む。
間もなく知っている景色の一員になることは確定だが、どこに出るんだよこれwwwww




9:35

ゲートあるーーー!!!www

こんなとこにゲートあったの初めて知った!ww

つうか、ここまで来てはじめての封鎖に当ったな。明示的な。

どういう根拠で、封鎖してるんだ? 現役の県道なんだぞ。

こちらはゲートの裏側なんだろうが、この感じ、表側にも封鎖の理由を書いたような掲示物は全くない。

ただ理由もなく封鎖している。 現役県道を?!



否!

県道を封鎖してはいない!

このゲートは明らかに道路の車道側だけを塞いでおり、自転車道側の道幅に掛かっていない!

明らかに故意で避けている!

秋田県、ギリのギリで大規模自転車道の存在をフォロー!



ヨッキれん史上初めてイノセントのまま、ゲート脇を通過!

同時に、前方20mの位置を横断する市道仁別木曽石線を確認!

市道を渡った直進の位置に存在する道も発見!

言われてみればというレベルだが、確かに向こうの道があるのは知っていた。

それが県道の続きだったことが、いま判明!

県道401号、市道との2度目の交差地点へ!



!!!

この道の存在にいままで気づかなかった理由が判明!



段差あるーーー!!!www

ほんの数メートルだが、県道は完全に法面で切断されている!

先の市道太平山リゾートパーク線との交差では、県道は築堤に埋められていたが、
今度の市道仁別木曽石線との交差では、県道は法面に切り取られていた!!
秋田市道による二度目の残酷なる仕打ちに、県道401号は再び杜絶!



一応の救済策はあった。
それは、ゲート封鎖と市道切断の僅かな隙間で左を向くこと。
そうすると、一応は車が通れる未舗装のスロープがあり、市道とゲートを結んでいる。
ちゃんとここだけは縁石も撤去されているので、自転車道を跨いで車が通れる。

まあ、ゲート前まで来ても、その先はないが。



再び、圧倒的に正しい地図表現に敬服の草wwwww

確かに県道はここで市道に切断されているし、その切断をフォローするような通路が脇にある。正しい!

だが当然ながら、私はこんなフォローに頼りはしない。

あくまでも――




県道踏破にコミットメント!

踏み跡なき法面より自転車と無事滑落!



こんなの100回市道を通ったって気づくわけがないんだよ!w

こっちから意識的に見ればゲートが見えるんだけどねwww

地図ナシでオレは気づけるって奴がいたら、ヨッキれん越え名乗って良いよ。




 地図が県道として塗り分けている橋の正体は……


2025/5/2 9:37  《現在地》

市道仁別木曽石線と県道401号の交差地点を振り返って撮影。
この交差地点においても県道は市道によって壊されており、本来十字路であるべきところ、県道の片方は接続不能な状況になっていた。そのため実質的には県道と市道の丁字路になっている。



同交差点から市道を30mほど北へ進んだ地点には、これまた県道を破壊した因縁の相手であるところの市道太平山リゾートパーク線の起点がある。
また、これまでに見てきたように、現状では県道401号の代わりに、この市道太平山リゾートパーク線の歩道部分が自転車道として案内されていた。

したがって、チェンジ後の画像に赤線で示したように、市道仁別木曾石線を横断して通行するのが、現状における仁別サイクリングロードのルートなのだろう。特にこの辺りには自転車道の案内はないが…。
敢えてここから県道401号雄和仁別自転車道線へ復帰するという選択をするサイクリストは、まずいないと思う。



さて、これが2度の市道による分断を乗り越えた先の、久々の“生きた”県道401号である。

が、自転車道県道としては、これまで以上に存在感がない区間ではないかと思う。
なにせ、どこからどう見てもただの車道であり、道路構造的にも、道路標識などの案内においても一切自転車道らしいものがない。
また、県道である証しのようなアイテム(秋田県の用地標や秋田県のデリニエータなど)も特に見当らない。



この区間は、そもそもが自転車道として整備された道でないことが明白である。
もとは仁別集落内の生活道路であり、現在の市道仁別木曾石線の旧道にあたる。
だから普通にこの道にしか接続していない民家もあるし、自転車道として自動車の通行を除外することなど出来ない相談だ。

ただ、よく見るとこの道にも不自然なところがある。
おそらくだが、チェンジ後の画像に点線で示した範囲が、自転車道(県道)なのだと思う。
車道の左側に縁石で区切られて自転車道が存在していたこれまでのパターンとも合致する。



やがて市道仁別木曾石線の築堤にぶつかるような形で、この道も左折を余儀なくされる。
だが、この線形自体は昔からのものである。
もともとここで道は曲がっていた。

また、ここから先は仁別森林鉄道跡とも重なる道だ。
時系列的には、明治42(1909)年に早くも整備された森林鉄道が先で、それが昭和43(1968)年に廃止されてから、廃線跡を道路利用する改築が行われたのである。
冒頭の説明でも述べたように、仁別サイクリングロード(県道401号)の大部分は、仁別森林鉄道の廃線跡を自転車道として昭和53(1978)年に再整備したものであり、この地点から先では、廃線跡=自転車道となる。



9:38 《現在地》

この最後の区間は150mほどととても短く、廃線跡と合流した自転車道は最後まで自転車道としての明確な証拠を見せないまま、再び市道仁別木曾石線に合流する。
終盤に近づくほど県道感がなくなっているのも、悲しい限りだ。
まだ通れない区間の方が、県道らしさが残っていた。



これが市道仁別木曾石線と合流した県道401号の姿だ。屈託なき普通の道路である。
すぐ先に橋が見えるが、堂の下橋という。
橋で旭川を渡ったところが県道15号秋田八郎潟線との交差点で、市道の起点である。
県道401号も、市道と一緒になって県道15号に突き当たり、左折して今度は「洞門の橋」がある区間へと向かうが、以前レポートしているので今回の探索区間はここまでとなる。

地理院地図は、堂の下橋を含む広い市道の全体を県道の色で塗っているが、実際はその歩道部分が県道ならばまだ上等な部類だと思うでしょ?
ここまでの酷い有様を見てきたら、県道に多くは望めないと分かるはず。

だが、悲しすぎる真相は、

堂の下橋は市道の橋であって、県道の橋はない。

秋田市の資料(平成27年度定期点検結果)によると、堂の下橋は市道仁別木曾石線の橋として平成7(1995)年から供用されていることが分かる。
なので、厳密には地理院地図の表現は正しくないことになる(道路法では、県道が下位の市道に重複することは出来ない)。
現在の橋が架かる以前、ほぼ同じ場所に旧堂の下橋があったようで、おそらくその橋が県道401号の橋だったのではないか。

現在の堂の下橋が県道橋ではない以上、県道が旭川を渡る手段は不明だが、おそらく、これまでの市道との二度の交差地点と同じ論理になっているのだろう。
すなわち、旧橋の時代に指定された県道の区域が、いまもそのまま生きていると思われる。
それはたまたま現在の堂の下橋と同じ場所かもしれないが、ズレて微妙に川の上の空中であるのかもしれない。

どちらにしても、県道401号に未供用区間はなく、全線が供用中であるという事実が絶対的で、そこに物理的に通りうる道があるかどうかは、考慮すべき要素とはなっていない。
このこと自体は今回の道が特別なワケではなく、道路法の道路ではしばしば見られる現象だ。


格下の秋田市道に悉く上書きされた、秋田県道の悲しすぎる“忘却区間”が、ここにはあった。




 ミニ机上調査編 〜短命だった、仁別の自転車道県道〜


今回探索した秋田県道401号雄和仁別自転車道線の一部である、旭川ダム〜堂の下橋間約900mの区間のまとめを述べれば、これはもうとにかく、一つの道路としての尊厳を考えさせられるような“酷い”状態であった。

単純に使われていない道であることに由来する荒れの程度もさることながら、そもそも使われなくなっている原因が、他のもっと新しい市道による2箇所での分断であるように見えることや、実質的な廃道の状態となりながらも未だ県道としての供用が失われていないとみられること、さらに県道の通行規制に関する表示などが現地で一切行われていない(道路管理者の関与を全く感じない)ことなどが、この県道が単純な旧道廃道ではない異例だと感じる点だ。

本県道の特殊な出自(大規模自転車道として国の補助を受け秋田県が整備・認定した自転車道県道である)や、自転車道であることからくる一般道路ユーザーからの認知度の低さなどの要因が絡み合って、このような実質的廃道が人知れず県道として放置され続けてきたのではないかと想像するが、実際はどのような経緯から現状に至っているのだろうか。




本県道の経過を時系列に沿って述べていきたい。
まずはじめは、県道としての認定に関わる内容である。

本県道のWikipediaによれば、路線の認定は昭和49(1974)年5月30日とのことである。
典拠は秋田県の資料「路線起点終点調書」である。
また、『秋田県議会史 第4巻』により、同年3月26日の県議会にて本路線の県道認定が決議されていることが分かった。

さらに同書により県議会の県道認定へと至る経緯を調べたところ、昭和47年度秋田県一般会計補正予算に「サイクリング道路建設計画を三次総合開発計画に加えること」の要望が、県の土木委員会から挙げられていた。
具体的な路線の内容は明示されていないものの、秋田県に所在する3本の自転車道県道401号、402号、403号の認定時期が、それぞれ昭和49年、同53年、同63年であることを考えると、まず第一に401号雄和仁別線が計画されていたことが窺える。

右図は、秋田県の3本の自転車道県道の位置を示している。
全体をネットワークとしてみると、県都秋田市を中心に、市民にはお馴染みの近郊行楽地である仁別国民の森、県立中央公園、男鹿半島へと通じる放射状の路線が整備されたことが分かる。

秋田市民歌の1番に「太平の山のみどりだ」と歌われ、市民の多くが学校登山などで一度は登る太平山の登山口に、新たな憩いの場となる仁別国民の森が林野庁の手で開設されたのは昭和41(1966)年のことで、秋田駅と当地を結ぶ仁別森林鉄道が昭和43年に全廃されると、その平坦な線路跡地をサイクリングロードとして転用すべきことは、県民の中から自然と生まれたアイデアではなかったかと思われる。

また、林鉄の廃止と同時期に、沿線の仁別地区で旭川を堰き止めて防災用の旭川ダムを建設する計画が国と県により進められ、昭和47年に完成している。
このダムにより廃線跡の一部が水没したために、単純に全線を自転車道へ転用することは出来なくなった。このことが特に、今回探索した区間に廃線跡とは別ルートの自転車道が整備された理由であろうと考えられる。

以上のような「思われ」「考えられ」ることについて、残念ながら文献的な裏付けは見当らなかったが、ここまでは自然な流れだと思う。

そして、この昭和40年代に生まれた大規模な自転車道の建設計画を協力に後押しする国の施策が存在した。
それが、本編冒頭でも紹介した建設省(→国土交通省)による大規模自転車道整備事業であった。

国交省サイト内に平成20年代初頭頃まで存在した大規模自転車道のページ(国会図書館によるアーカイブが今も見られる)の解説によると、「大規模自転車道は、自然公園、名勝、観光施設、レクリエーション施設等を結び、あわせて自転車利用の増大に対処するために、「交通事故の防止と交通の円滑化に寄与し、あわせて国民の心身の健全な発達に資する」ことを目的として昭和48年度から整備を行っています」とあった。

大規模自転車道は、自転車道の整備等に関する法律に基づき、整備の必要性の高い独立した自転車道を主に一般都道府県道として認定し、国から道路法第56条に基づく補助を受けて整備する事業であった。独自の【指定要件】当該自転車道が2以上の市町村にまたがるもの。ただし政令指定市においてはこの限りではない。 当該自転車道の延長が20km以上になるもの。 自転車の計画通行量がピーク時1000台/日 あるもの。 主要地(市又は人口5,000人以上の町)、国立、国定、県立の公園の区域又は年間入込客数が10万人以上の観光地と密接な関係にあるもの。が存在していたが、各都道府県とも本事業の活用に熱心であったようで、最終的に全国全ての都道府県で整備が行われた。
平成28(2016)年度末時点で135路線、4327kmの全体計画(同年の整備済率は84%)があったが、秋田県内の3路線で最初に(事業のスタートと同時期に)整備が始められたのが県道雄和仁別自転車道線だった。

本路線の建設に関わる経過やエピソードは見当らないが、概ね順調に進んだようで、路線認定から4年後の昭和53年10月に早くも全線が竣功している(wikiによる)。
国交省サイト内の路線紹介ページでは着手昭和48年度、完成昭和52年度、全体計画35.4km(平成14年度末時点)となっていた。




以上、本県道が完成するまでの経過を見たが、特にイレギュラーな出来事があった様子はない。おそらくここまでは問題もなかったのだと思う。
だが、全線の開通から間もなく、今回探索した仁別地区に大きな変化が起る。
これについては航空写真での変化を見て貰うのが分かりやすいと思う。(↓) 刮目せよ!!!


@
昭和42(1967)年
A
昭和50(1975)年
B
平成元(1989)年
C
平成6(1994)年
D
平成26(2014)年

@昭和42(1967)年からD平成26(2014)年まで5世代の航空写真を比較してみる。
なお、最初に表示しているのはB平成元年(1989)版である。
これを基準に、時間を巻き戻す方向と進める方向への変化を、それぞれ観察しよう。

ということで、まずはB平成元年(1989)版を見て欲しい。
この版で赤くハイライトした部分が、県道である一連の自転車道である。
よく見ると道路の片側3分の1ほどの広さが縁石で区切られているのが見え、その狭い側が自転車道(県道=赤い着色部)である。広い側の車道部分はおそらく市道と思われるが、残念ながら今のところ路線名の調べは付いていない。
ここで特に注目したいのが、堂の下橋の様子だ。橋の上が車道部分と自転車道部分ではっきり区分されているのが見える。

これが一世代古いA昭和50(1975)年版になると、堂の下橋と旭川ダムを結ぶ車道がBと同じように存在するが、自転車道部分はなく、堂の下橋で差が分かりやすい。つまり、Aの橋の隣に自転車道用の桁を増設して拡幅し、路上を縁石で区切ったのがBの状態だったことが分かる。
一連の車道は、その経路からして旭川ダムの建設に伴って整備された可能性(工事用道路?)が高そうだ。

さらに遡って@昭和42(1967)年版になると、旭川ダムも堂の下橋もなく、それらを結ぶ車道もまだない。その代わり、堂の下橋の位置には仁別森林鉄道の鉄橋が見える。

さて次はまたBに戻り、そこから時間を進めて変化を見よう。
C平成6(1994)年版は、Bと比べてとても大きな変化が起きている。

この時点で自転車道は現在と同じように2本の市道(太平山リゾートパーク線と仁別木曾石線)によって途中を寸断されていたのである!!!
自転車道の完成が前掲の記録通り昭和53(1978)年10月であったとすると、その11年後のB平成元年時点では健在だったが、16年後のC平成6年時点では寸断されて役目を果たし得ない状態になっていたことになる。

仁別地区の旭川ダム南岸の山地に、秋田市が大規模な都市公園である太平山リゾート公園の造成をスタートさせたのは昭和56(1981)年頃からで、ここを自転車道が通るようになった少し後だった。
そしてそのメインストリートとして自転車道を分断するように2本の市道が大々的に整備されたのは、平成3(1991)年にコア施設の「クワドーム ザ・ブーン」がオープンした頃であったと、これは私の実記憶としても印象がある。私が友達と仁別へ自転車で行き始めたのもだいたいこの時期からなのだ。だからこそ今回探索した自転車道の現役当時を私が知っているかは本当に微妙だ。

D平成26(2014)年版になると、太平山リゾートパークの各種施設は完備され、一方でかつての自転車道はほとんど航空写真から見えないほど緑に覆われてしまっている。既に探索現状と同じ様な状態になっていたことが分かる。
また、本編でも紹介したように、堂の下橋は平成7(1995)年に架け替えられて、ほんの僅かだが下流へ移動していることも見て取れる。
この現在ある堂の下橋は市道仁別木曾石線の橋であり県道の橋ではなくなっているが、B〜Cには明らかに見えていた県道用の桁は既にないのだから当然だ。
やはり、現在の県道は微妙に橋のない河中に存在する扱いになっていそう。酷い話だが。


……以上のような@〜Dの変遷により、今回探索した自転車道は最長でも16年間は存続しなかったことが分かった。これは1本の道路の寿命としては当然ながらとても短い。大規模自転車道として国のお墨付きを得てデビューしたことを思えば、虚しさしかない短さだ。
だが、BからCへの変化は、自転車道が廃止されて通れなくなったわけではない。従来の道を自転車道として案内することをやめ、現状と同じ市道太平山リゾートパーク線の歩道部分を案内するようになったのである。だから利用者にとっては別に困ったことにはならず、自転車道を含む道路全体が新道に切り替えられたという認識でしかなかったと思う。
その自転車道が県道であるかどうかに注目するサイクリストは、ごく僅かであろう。

そして、大規模自転車道事業で整備したわけではなく管理者も異なる市道太平山リゾートパーク線の歩道部分を、わざわざ県道に認定しなおすことは行われなかった。
そのようなことが制度上不可能であるか、あるいは特に難しい事情があるかどうかについては調べが付かなかったが、別に利用者からはクレームはないだろうし、国からも大規模自転車道の維持の徹底を指導されるようなことがなかったなら、制度上はずっと元の県道を残したまま実質的には放置されているということが、まかり通ったのだと思う。


秋田建設事務所管内図(平成14年)より抜粋

右図は、本県道の道路管理者である秋田建設事務所(現在の秋田地域振興局)が平成14(2002)年に発行した管内図の一部である。
地図中を東西に横断している焦げ茶色のラインが、凡例にて「自転車道」とされている県道路線である。

平成14年なので、既に太平山リゾートパーク線が太くはっきり描かれており、その道路と絡むように今回探索した県道のルートが描かれている。
この管内図からも、県道の位置が市道の整備後も全く変わっていないことが分かる。

あるいは別の資料として、令和5(2023)年版の「地域振興局別道路現況」を見ると、最新の県道雄和仁別自転車道線の詳細な諸元が分かる。総延長35391m、実延長26721m、未供用延長0mである。

これらの数字を、手元にある資料で最も古い本県道の諸元である平成元年版の『自転車道一覧』(財団法人自転車道路協会発行)と比較してみると、全長35.4kmとなっていて、ほぼ一致する。
この一致から、市道の整備等に伴って県道の経路を変更するようなことは行われなかったことが窺える。
ようするに、太平山リゾート公園の整備に関して県道は完全にノータッチ。市道に分断されたまま全く放置で、今日に至るのである。

このような県道のイレギュラーな状態を問題視するような議論が例えば秋田県議会で行われていないかを検索可能な範囲を調べてみたが、まったく見られなかった。

また、大規模自転車道の整備に伴う国庫補助金の支給は平成22(2010)年に社会資本整備総合交付金へ統合され、特定の事業目的に対する個別の交付金として消滅したことや、地方財政の優先度の問題から、全国に残された大規模自転車道の未整備路線の多くは建設が中断している。幸い秋田県の3本の大規模自転車道は平成15年度までに全線供用済であるが、国交省のサイトにも既に大規模自転車道のページはなくなっており、今後改めて今回探索の路線が大規模自転車道として国によって検証されるような機会はないだろう。

ならば今後も秋田県が存続する限り、今回の県道は藪の中に放置され続けるのだろうか……。
それでもおそらく誰も困らないのが、悲しいところだ…。
ただ、令和7(2025)年2月の報道によると、秋田県は今後、県が管理する県道のうち交通量の少ない路線について廃止を検討していく考えを示している。県道の維持管理に毎年20億円を要しているが、人口減少が進み予算も限られていることから、全ての路線を維持することは困難だという。
そうなると、今回の路線など真っ先に廃止されても不思議はないと思いきや、よく考えれば、維持管理費使ってなくない……?(苦笑)。


以上、管理者にさえ顧みられない道はあまりにも可愛そうだから、せめて私だけでもという気持ちで、このレポートを書きました。






「読みました!」
コメント投稿欄
感想、誤字指摘、情報提供、つっこみ、なんでもどうぞ。「読了」の気軽な意思表示として空欄のまま「送信」を押していただくことも大歓迎です。
頂戴したコメントを公開しています→コメント公開について
 公開OK  公開不可!     

送信回数 470回

このレポートの公開中コメントを読む

【トップへ戻る】