岩手県道212号雫石東八幡平線 網張工区 第3回

公開日 2012.08.19
探索日 2011.11.05
所在地 岩手県岩手郡雫石町


昭和40年から平成8年にかけて建設が進められた奥地等産業開発道路
(県道212号雫石東八幡平線)の網張〜三ツ石湿原〜松川間。
計画延長16.2kmのうち、13.1kmまでが建設済みであり、過半の8kmが網張側(雫石側)にある。

私がこの道を探索するのは、平成12年10月に続いて、今回(平成23年11月)は2度目である。
そして[現在地]は、網張側既設区間の網張温泉から4.4kmの地点だ。
すなわち、残りは3.6kmということになる。


今はちょうど、この「一般車両通行止」のゲートを越えたところだ。
しかし今回後ろめたさはない。この先も登山道になっていて、
歩行者の進入は規制の対象外であるからだ。

それでは、終点を目指して再出発!


完全舗装の登山道区間


2011/11/5 7:42 《現在地》

ゲートインから200mほどの所にあるのが、この切り通しである。

標高はここで1000mの大台に突入した。

徒歩の登山者を1人追い越し、自転車の漕ぎ足に一層力を込める。




晩秋の裏岩手連峰、標高1000mを超える山肌は、木々の間で申し合わせがあったかのように全ての葉を落とし、厳しく長い冬を受け入れる準備を終えていた。

この道が冬期閉鎖の期間に入るまで、あともう3週間くらいか。
その前には、人力で路肩のガードロープを全て外すという結構な大仕事があるが、それは無人の道が冬を出来るだけ無傷で乗り切るために、必要な作業といえる。

この道が全通しても、一年の半分は積雪のため通行出来ないという事実は、反対派が不要論を展開する上でひとつの柱となっていた部分だが、これに対する推進派の反論は、いつもひとつしかなかった。

「それは、雪国の宿命である」。



封鎖ゲート以降の道は、自転車にとって足に負担を感じる急勾配が続く。
平均して1kmにつき80mの高度を加えているから、その勾配は8%平均である。

大松倉橋付近を境にして、昭和40〜48年頃に建設された区間と、昭和59年〜平成8年に建設された区間に分かれているはずだが、勾配の増加があるくらいで、道路の構造や規格に、目立った変化は感じられなかった。
強いて言えば、ここに来て初めて防雪ネットが現れ始めたということくらいか。
この構造物は、昭和の峠道原風景には見られないものである。




登りながら、西向きのトラバースがひたすら続いている。
あと数百メートル進めばつづら折りの区間になるはずだが、地図上では何となく緩やかそうなイメージがあるトラバースの区間が実はかなりの急坂であったということで、前回の探索時には「裏切られた」ような悪感情を持った事を覚えている。
今回は覚悟の上なので、問題ない。

それにしても、私がいま取り付いている山腹にはまだ上があるが、真っ正面に横たわっている稜線との“背比べ”は、そろそろこちらが勝りそうである。

実はあの蒼いスカイラインの正体は、奥羽山脈である。
その事を思うと、私は何だか不思議な感覚を持つのである。
上手く表現出来ないが、本州の脊梁山脈より上がある事への地理的な違和感と、“未成道ごとき”がさらなる高みへ辿りついてしまっている事に対する、“微量の背徳感”もある気がする。




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7:53 《現在地》

ゲートから1.4km(網張温泉から5.8km)進むと、前方にコブのように膨らんだ尾根が現れて進路を妨げた。
道はこの尾根に抵抗することはせず、ここで切り返してさらに上を目指すことになる。

いよいよ、つづら折り区間の始まりである。




切り返すと、網張以来初めて東向きに進むようになる。
奥羽山脈を背に盛岡市がある低地の方を向いて進んでいるわけだが、路傍の笹藪の丈が深いため、東側の視界はほとんど利かない。
また、昇陽に向かって進む関係上、眩しさに思わずくしゃみが出た。

なお、地形図を見ると、最初の切り返しから次の切り返しまでの400mで50mの等高線を重ねており、そこから平均勾配12.5%というとんでもない数字が出てくる。
特に急勾配を警戒する標識などはないが、実感としても10%台のキツい登りである。



標高1130mに位置する2度目の切り返しカーブである。

ここはだいぶ山の表面を掘り込んで、抉り込むようにカーブをこしらえていた。
そのため、典型的なブラインドカーブなのだが、どういう訳かカーブミラーが設置されていない(前回の切り返しも同様)。

これは勝手な想像だが、カーブミラーは道路整備の最終段階(開通時)に、道路標識などと一緒にまとめて設置する心づもりであったのかもしれない。
網張温泉以来、ゲートの直前にあった【P】(←前回は無かった)以外に、一切の道路標識を目撃していないことも気になっていたのだが、そのように考えれば辻褄が合う。

このまま一般車両に開放して万が一事故でも起きたら、管理者が非難されるおそれもある。




2度目の切り返しと3度目の切り返しの間は、幾らか緩やかになっているが、それでもキツいと形容して良い上り坂である。

そして私はここで新たに3人の登山者を追い越した。
彼らの膨らんだ着姿に、“高山”を感じた。
しかし、アスファルトの上では少々大袈裟に見えてしまうのが、勿体なかった。
(私は今回は再訪なこともあり、とても軽装であった)




8:03 《現在地》

3度目の切り返しは、“登山道県道”との分岐地点だった。

ゲートから2.2km(網張温泉から6.6km)の地点で、標高は1130mに到達している。自転車で約20分の行程である。

さて、今回ここまで来て、前回から大きく変化していると思ったのは、封鎖ゲートの出現に続いて、これが2箇所目である。
前回は、ここにこのような登山道の入口は存在しなかった。

ここから分かれている登山道こそ、平成19年に開通した県道雫石東八幡平線に他ならない。
車道の開通は断念したが、一応県道はこの登山道でもって、本来の目的地である松川への連絡を果したのである。



しかし、私はどうにもこの登山道には、興味が湧かないのである。
なので今回も計画に入れていなかった。

11年前に意識せずそうしていたように、今回も“直進”する。


ちなみに、“県道として”新たに開削された登山道は、【この地図】に「新規区間」と注記した部分だけである。

つまり、網張側と松川側双方にある車道の既設区間と、従来からあった山越えの登山道を最短で連絡するのが、“登山道県道”の新設区間であった。
そうした事情(間に合わせっぽい)があることも、この登山道県道に興味が湧かない理由のひとつだと思う。(三ツ石湿原の景色は見てみたいけど…)

…直進を選ぶと、即座に現れたのは…




A型バリケード封鎖!

前回の切り返しと同様に深く抉り取られたカーブの中ほどには、道幅全てを塞ぐべく2セットが並列となった、A型バリケードが設置されていた。
そして、見慣れた「通行止」の標識が1枚あって、バリケードの存在理由を表明していた。

しかし、これだと説明不足の感は否めない。

私が前説で延々と述べたような事情を知らない登山者にとって、この道は謎の存在になってはいまいか。
或いは、自分が登ろうとしている山のほとんど9合目まで達し、さらに上を目指そうとする車道の姿に、落胆を覚えるかも知れない。
やがて山上の湿原も車道によって蹂躙されるのではないかと、未だに心配を続けている登山者が、いるかも知れない。




もっとも、道路管理者がこういう場面で「工事中止」を告白することは滅多にない。
そして、この明らかに“やる気の感じられない封鎖”は、彼らの諦めから来る、この道への興味の低下の表れであるかもしれない。

そう思うのは、知事による工事中止の会見から4年しか経っていなかった平成12年当時には、まだこの封鎖には“物々しさ”が漂っていて、私は「まだ工事が再開される可能性もあるかも知れない」と漠然と思ったものだった。

実際はその可能性は非常に低かったろうが、まだどことなく道路工事現場の雰囲気が残っていたのは間違いない。

11年前と今回とでは、バリケードが作り替えられていただけでなく、その位置もほんのわずか(10mくらい)手前に移動していた。
いや、正確に言えば2.2kmも手前に移動(ゲートの新設)していたということになる。前回はここまで一般車両が入っていたのだ。



私を含め、オブローダーにとってはこの方がウケが良かったであろう、平成12年当時の物々しい封鎖看板たち。

環境庁(←少し時代を感じる、環境省への格上げは平成13年)盛岡森林管理署、岩手県の三者連名による、「お知らせ」に名を借りた立入禁止命令文のうち「植生保護」という部分、そしてすぐ隣に絶対目に止まるよう大書きされていた「車両通行止」の文字に、この道が環境破壊に関わるとてもデリケートな問題で中止まで追い込まれたという空気を、肌に感じたものだった。

この封鎖風景は、道路にまつわる“事件”の現場として、いかにも報道写真映えしそうなリアルさを持っていたといえる。

「環境庁」以上に時間の経過を感じさせるのが、下にある『急告 登山者の皆様へ!』と題された看板の存在である。
当時、岩手山は火山活動が活発化していて、噴火の危険性も含めて警戒されていたのだった。
この話は最近聞かないが、無事に沈静化したと言うことだろうか。





現在はまるでつきものが落ちたような貌(かお)になっていたバリケード。

拍子抜けも甚だしいが、

登山道にさえなれなかったこの先の区間こそ、

本当の意味で未成道といえる部分である。


すなわち、本番 である。




無念の工事打ち切り地点まで、あと1.2km!