道路レポート 林道樫山小匠線  (山手川への脇道編3)

公開日 2015.3.12
探索日 2014.3.27
所在地 和歌山県那智勝浦町〜古座川町

山手川集落以遠は、苦悩の道


2014/3/27 10:10 《現在地》

林道樫山小匠線を離れて山手川沿いの支線へ分け入った当初の目的は、分岐から片道50分の経過の後、無事に達成された。
樫山以上に“最奥”という表現が相応しい立地に存在した山手川廃村の跡地へと自転車で到達し、大雑把ながらもその現状を確認する事が出来たのである。
残念ながら何時頃まで人が住んでいたのかを具体的に示す発見こそ無かったものの、かつてここまで自動車(軽トラ)が辿りついていた証拠(廃車)を得られたのは、オブローダーにとって特に大きな成果だった。

ここまで首尾よく物事が進展したので、大いに満足した。




だが、満足して引き返そうとした私に、後味の悪い現実が突きつけられる。

車道はまだ、終わっていなかったのだ。

“車道”というところがポイントである。
これが集落を境に道の規格がグッと落ちて、歩きの山道が先へ続いている程度ならば、納得して立ち去ることは簡単だった。
しかし、私をここまで誘った道は、集落など意に介さぬかのような有り様で、なおも上流へ向けて続いていたのである。

この事実に目を背けて引き返す事には、とても勇気が要った。



そして私には、少しだけ勇気が足りなかった。
だらだらと、目的を失った前進が、開始されてしまう。

最終的な目的地からは離れていく一方のこの展開、正直、少しもありがたくなかった。
読者諸兄には与り知らぬ事だと突っぱねられるかも知れないが、探索4日目の私の足は既に疲労を蓄積していて、追加の行程に対する余力が十分ではないことを理解していたし、時間的にもどうなるか分からない。
でも、今回を逃したら、この道の先を確かめる機会は永遠に失われる… は少し言いすぎにしても、容易な事ではない。それに、ここまでの道が魅力的だっただけに、その“続き”への期待もあった。…悩ましかった。

進むけれど、あまり辛い展開になってくれるなよ。納得の行く終点が早めに現れるのを期待した。地形図には、破線の道が山手川集落跡から、なお1.3kmほど奥地まで描かれていたが、そんなに長く続いていないで欲しい。山道での1.3km(しかも往復)は決して楽な距離ではないし、終点に近付けば、今以上に道が荒れていく予感があった。




10:13 《現在地》

集落跡の先へ入ってから、悶々としたことを考えながら相変わらず続く上り坂に喘いでいると、僅かな時間の後に、山手川筋の通算で5番目となる橋に遭遇した。

急な上り坂の途中にある橋というだけでも、今までの谷底に架かる4本の橋とは全く雰囲気が異なる。
橋の下にあるのも今までのような低い小川ではなく、ガレた亀裂のような岩場であり、落差が大きい。
端的に言えば、怖い、不安になる橋だ。

橋の構造自体は、これまでの4本と同じく、鉄骨の梁材に枕木状の踏み板を隙間無く並べた物で、橋そのものはまだ頑丈そうに見えたのだが、いかんせん、この高さで欄干が無いというのは落ち着かない。
しかも、坂道で傾斜した踏み板が全て苔生しているのが、とても気持ち悪かったし、踏み板の一部は朽ちてスカスカになってもいた…。



仮に、橋の上で滑って転んでも、自分自身が橋から落ちてしまうほどに端を歩くつもりはなかったし、そこまでドジでもないつもりだ。
しかし、自転車を押して(さすがに乗車しようとは少しも思わなかった)歩いている最中に転倒したら、その勢いで自転車を橋から落としてしまう程度のドジは、もしかしたらあるんじゃないかと恐れるくらいに狭かったし、傾斜があったし、苔生していた。

本当に気持ち悪いんだが…。
楽しいと同時に、怖さからも目が離せなかった。




こんな危うい橋を、途中で見た軽トラなんかも渡っていたのだろうか。

これほど高いのに簡単な転び止めさえ付けないのは、慎重に通行する人間にとって所詮そんなものは飾りだという、そういう高尚なメッセージ… ではないだろう。
これは、現代の一般道路とは違った設計の基準に拠った車道がかつては広く存在し、そしてここに私の自転車を通じさせる程度の命脈を保ち続けていたのである。
今までは出会っても完全に廃道で跡形しかなかったような物を、辛うじて現役の最中に渡っているのだと感じた。廃道でも当然のような車道だった。
そして、現代の何気ない道路が、どれほど安全に気を遣って作られているのかに気付かされるような風景だった。




軽く戦慄を覚えた“勾配橋”のすぐ先にも、兄弟のようによく似た第6番目の橋があった。
後から出て来たこちらが弟分で、規模も勾配も高さも全て前の橋より小さかったが、立地条件や風景が似ている。

集落跡から先へ進んだ最初の数分で連続して2本の橋に出会ったことで、私の惰性に流された選択が今回は誤りではなかったのだという慰めになった。
だが、こんな立地で誰が整備しているのかも定かではない道が、いつまでも甘い顔を見せてくれるはずもなかった。

ふと気付けば、明らかに集落前までより道は荒れていたし、自転車はほとんど押されてばかりになっていた。
これはきつい勾配のせいというよりも、路上にフカフカの落葉が堆積しているうえに、多くの落石が交じっていたのが、その理由であった。
当然、進行のペースは目に見えて落ちていった。



10:16 《現在地》

集落跡から3〜400m進むと、しばらく続いていた上り坂の頂点に達したようだった。
この山手川筋の道では珍しい…というか、多分初めての切り通しで、川に突き出た尾根を僅かにショートカットしていた。
深さ的には隧道でも良かったくらいだが、地質が良くなかったのか、開放的な広がりを持った掘り割りになっていた。
こうして日射しのある場所に出る事自体が、凄く久しぶりな気がした。

なお、この峠のような地点で河床との高低差はおそらく40mくらいである。
路肩から見下ろしても水面が見えないくらい高いが、おそらくこの差も案外早く谷の追い上げに吸収されてしまいそうだ。
というのも、谷の対岸が随分と近くに見える事からも分かるように、もう山手川は小渓流レベルに痩せ細っていて、源流の様相を呈しているようだったから。



切り通し直後の道。
勾配は水平か、やや下りに転じている。
だが、別に下っても嬉しい気はしない。
どうせ戻ってくる事が約束されているので、いま下った分は、少し後に上る羽目になるのだ。

いよいよ路上の堆積物が長年どかされていない状況になっており、落ち葉とか瓦礫ではない、倒木のような目に見える障害物が増え始めた。
どうせ戻ってくるのだから、乗れないならば、自転車は置いて行った方が良い。
それは確かにそうなのだが、この後に案外“乗れる”区間が長く待ち受けているのかも知れないと思うと、なかなか決断が出来なかった。

ここでもやっぱり惰性に勝てず、私は自転車を黙々と押しながら進んでいった。



かなり近付いても気付かず、その上にいたって初めてそれと分かった、朽ちた桟橋地帯。

写真的には緑陰の癒しが支配的であるために長閑な場面に見えるが、実は切り立った路肩が裸で待ち受ける危険地帯だ。
濡れた落ち葉の下に隠れているのが、朽ちてぬめりが出た木の桟橋なのだから、質が悪い。
そもそも、踏み板自体にどれほど耐久力が残っているのかも分からないのである。
これまた、自転車を押す体に緊張を強いられる場面だった。




一向に路面状況が改善する気配が見られなかったので、いつ自転車を捨てるか本気で悩んでいる。

周辺は人工的な杉林というわけでもなく(そもそも集落跡地以外ははあまり植林地がない)自然の森が広がっていたが、大木が見あたらないのは、集落が健在だった時代に薪炭材として盛んに伐採利用が行われていた証しなのだろう。今では秘境と化した感のある一帯の山々も、遠くない過去には里山だったと感じる。
古い地形図を見れば、今のものと比較するのが難しいほど、尾根にも谷にも至る所に集落が点在していた。
そして集落があれば、当然そこに至る道も縦横に。



結局、左の写真の場所(路肩の桟橋が落ちて、道幅が50cm程度まで狭まっていた)を過ぎた直後に、右の写真のような感じになったので、自転車を捨てた。
まだ歩行は難しくないが、自転車は徒に時間と体力を消耗するだけだ。

そしてこの時点でGPSを見ると、谷底に近いせいか測位があまり上手く行っていなかったが、未だに集落跡から600mくらいしか進んでいないようだった。

地形図上の終点までの距離は目測で1.3km。 …やっぱり、遠く感じる…。
そしてもっと怖いのは、1.3km行ったところで、すっぱりと綺麗に道が終わっている保証がないことだった。
古い地形図の破線の道は、山手川の源流から分水の峠を越えて、現在の小森川にまっすぐ達しているように描かれていた。
そこは明らかに車道ではない表現をされていたが、これ以上の深入りしてしまうと、本当に決着を付ける以外引き返せなくなると、自分の気質を理解したうえで感じていた。



自転車を捨ててからはペースを上げて、跳ねるように進んだ。
すると予想通り、小渓流と化してますます水の清澄さに磨きがかかった山手川が、間近に迫って来た。
綺麗な水に心を奪われはしたが、ここまで渓流が小さくなってしまったうえに、河床と道の高低差がほとんど無くなったので、これ以降、大規模な土木構造物との遭遇期待度は大幅に減少した。

私は普段の探索中、このように先行きへの期待感が下がることは出来るだけ意識をしないように努力しているのだが、今は寄り道が長く(惰性で)続いている状況からモチベーションが下がっているために、べったりとした河床への接近が前方への期待感を大きく傷付けることを擁護しなかった。

大きな疲れを感じて地形図を見ると、川の対岸にある山の名前が「モウベ山」。
変わった名前の由来は知らないが、秋田弁の「もういいべ」というコトバが脳裏に浮かんだまま消えなくなった。



10:25 《現在地》

そうした結果として、自転車を捨ててから5分ほど進んだ地点(おそらくは集落跡から800mほど)に現れた大規模な崩壊斜面を目にした時に、普段なら燃え上がるはずの闘争心が燃え上がらず、ヘナヘナヘナと前進する意欲が消え去ると同時に、早く本線の続きが見たい。 …と思った。

変な意地を張るのはもう止そう。
道路がいくら好きな私でも、この谷底にべったりしてしまった宛て無き林道と(時間的な)心中をするのは嫌だ。今までも、時間切れで終盤に力を使い果たした失敗談が沢山あるでしょうに自分には。

たかが、中途半端な地点で自分の意志をもって引き返すことを納得したいがためだけに、これだけ自分に言い訳を述べ立てなければイケナイのも情けないが、とにかく私は山手川の道の最後がどうなっているのかを見届けず、引き返すことにした。



引き返し始めてまもなく、自転車を回収する直前だったが、
来るときには気がつかなかった、ハニーボックス(養蜂箱)を見つけた。

見つけたのはポツンと一つだけだが、原形を留めているし、現役っぽい。
こんな山奥で設営や回収をしても“もと”が取れるほど、ハチミツは儲かるのだろうか。
それとも、苦労など厭わないと言うほどに、それは楽しいのだろうか?
いずれにせよ、オブローダーを凌駕する踏破力を頻繁に見せるハニーマン達には乾杯だ。


自転車を回収してからは、さっきまで少しばかり憂鬱な気分だった区間も含め、
この寄り道のほぼ全てが素晴らしいMTBアドベンチャー・コースとなって、私を楽しませてくれた。

その楽しさは、私の文章ではとても書き尽くせないので、次の(酔いそうな)動画を見てもらいたい。
こんなにMTBで走っていて気持ちがよい天然の道は滅多にないと、経験者(私)は語っている。

この動画は、自転車やバイクに自分が乗っている気分で楽しむのも良し、
途中で見た軽トラの運転席をイメージするのも良し、
私はなぜか林鉄の運転台をイメージしながら眺めてニヤニヤした。





改めて、この道の山手川集落跡までの川沿いは、本当に気持ちが良かった。

この道は、体験できるならば体験した方がいい!

などと、普段は書かないことまで書いてしまう勢いで気に入っている。

惜しむらくは、この道だけを気軽に体験する術は一切無いことだが、そこも魅力だ!!