2012/11/4 8:09〜8:17 《現在地》 海抜1650m
国道292号から約1kmの地点で私を迎えたこの“絶景ポイント”では、心ゆくまで景色を堪能したので、10分近い停滞となった。
前方の稜線を巻く明瞭なトラバースの道形がとても印象的だが、あれは300mほど先の無名の尾根であり、その上にちょこんと頭を出しているトンガリ頭が、まだ少しだけ遠い笠ヶ岳の山頂だ。
あの尾根を越えれば、いよいよ笠ヶ岳との間を遮るものはなくなるだろう。
また、ここまでの道は全て土工による構造で、道路を支える構造物である道路構造物が見当らなかったが、あの尾根を回り込む急傾斜部の路肩には大規模なコンクリート擁壁が構築されているのが見えた。これは見過ごせない発見である。
当たり前だが、道路自体が短命に終われば、そこにある道路構造物は、それ単体の健康状態に関わりなく殉じることになる。
構造物が大きければ大きいほど、それぞれに完成の苦労や喜びがあったはずだが、顧みられることはまずない。
そんな悲しい存在だからこそ、廃道にある道路構造物は少しでも見過ごしたくないのである。
絶景地点を過ぎると、路上はふたたび枯れ草が優勢となった。
掻き分けて進まねばならない枯れススキの穂が、朝日で溶け始めた結露のためびしょ濡れであることが、見た目の素朴さとは裏腹に私を継続的に不快にさせた。
この程度の藪は慣れっこだと無造作に突撃したが、雪山の廃道で身体を濡らすことは根本的に危険な行為であったと思う。(昨日の方がよほど酷い無謀なことをしていたという、悪い慣れもあった)
8:21
この道の山側の法面は、どれほど高くても削りっぱなしの露岩の崖で、落石防止ネットや吹き付け工などは全く見られなかった。
廃道化の進行による劣化を除外しても、いわゆる林道同然の整備水準であり、現代的な感覚からはとても「観光道路」として一般に開放されてよい水準ではないと感じるが、昭和40年代当時の感覚は今とは全く違ったのである。
実際、この道は「南志賀パノラマルート」という観光道路っぽい大層な名を名乗ってはいたが、その本性は「林道七味笠岳線」という一種の村道であったから、林道同然でも当然だった。
そもそも、現代において十分に整備されて活躍している山岳道路でも、多くは度重なる改良の賜物だ。
冒頭の志賀草津道路がまさにそうである。道とは活躍を続けるうちに徐々に改良されて進化するものだ。
悲しいかな、そういう展開を全く持てなかったこの道の整備水準が終わっているのは、仕方がないだろう。
……この直後、私は想定しない“他者”の気配を間近に感じて立ち止まった。
おわっ! クマッ?!
と、黒っぽい体毛に身を包んだその巨体に一瞬焦ったが、
顔を見て安堵。我が秋田県の“県獣”である、カモシカちゃんじゃないか。
相変わらず無警戒かつ無関心な顔をしやがって。私がふたたび動き出すまで微動だにしなかったぞ。
8:28
ますます路上の草藪が深くなってきた。
全体的に道の周囲の地形が急峻で、日影を作るような樹木がほとんど育っていないことが、路上の藪を濃くする不利に繋がっていた。
路面は雪で押しつぶされたフカフカの枯れ草であり、自転車で走るには抵抗が強く、微妙な下り坂であるというのに全くペースを稼げない。
重労働となり、0℃前後の低温環境にもかかわらず額には汗が滲んだ。
そのうえ、前述したように掻き分ける草は全てびしょ濡れであったから、大量の水滴を浴びて進まざるを得なかった。
日差しがなければこんなに濡れる必要はなかったと思うが、晴天の景色とのトレードオフだと思うと、納得はした。
強烈な日差しが射し込む東の遠景が初めて開けた。
松川渓谷の広大な源頭領域を取り囲む上信国境の最も高い稜線が白んだ空を背負っていた。
その中にひときわ目立つトンガリの右肩の一角に、光を反射する小さな点が見えており、それはおそらく国道292号の山田峠(海抜2050m)にある避難小屋の屋根だった。
道路ファンならずとも、あの光る稜線を日本一高い国道が通じていると言われれば、通ってみたくなるのではないか。
これこそが志賀草津道路の核心部、本邦国道の屋根というべき部分の遠望風景であった。
しかも、私の周囲には他の道路が存在しないので、この素晴らしい眺めはパノラマルートの独占物であり、その廃道化と引き換えに忘れられた宝物だ。
進路が南に転じると、風雪で磨かれた黒い法面が、これまでにない高さで切り立ち始めた。
この景色の変化には憶えがある。
これは先ほど【遠景】として道の先を展望していたがゆえの既視感であり、この先の路肩に大きなコンクリート擁壁が現われる“予感”がした。
8:32
出た! 路体を支える大きなコンクリート擁壁だ!
ここもまた胸の透くような展望台であり、特に横手山の眺めが素晴らしかった。
先ほど越えた無名の峠である鞍部の向こうに、スキー場の要塞のような出で立ちの横手山が聳えていた。
手前の間近な頂にも建物があるが、あれは熊の湯スキー場の一部である。
いまさらながら、パノラマルートは本当にパノラマに恵まれた道だ。
視界が開ける度、新たな驚きと興奮があった。
まだそれほど深くまで距離を進めたわけではないが、それでも十二分にパノラマルートのパノラマルートたるを堪能した気分である。
この道のパノラマに感動しない人は稀だと思う。
そんな大きな観光面での強みを持つ道を僅か1シーズンで放棄することになった関係者の悲しみや悔しさは想像に余りあるし、そのような選択を余儀なくしたこの道の災害とまみえるときが、既に怖かった。
8:35 《現在地》
自転車による所要時間約50分で、国道の入口から約1.6km地点の尾根上に辿り着いた。地図上では熊の湯温泉の真南にある尾根だ。
この道路上の海抜は約1870mで、最高所だった無名の峠の1900mから少しだけ下っている。しかし、尾根を回り込むという地形の特徴から、最も全方位のパノラマに恵まれた地点である。
本当に素晴らしいパノラマ展望台だが、最大の見応えはやはり、これまで手前の尾根に遮られてほぼ隠されていた笠ヶ岳の一糸を纏わぬ絶品の裸体である。
行くぞ。
私が息を呑んだ眺め――
うっひょ〜〜〜!!!
こちらから見る笠ヶ岳は超美人だ!
なんて均整が取れた綺麗なプロポーションだろう。
今から2時間前に志賀高原側から【見上げた】筋骨隆々たる力こぶのような山の初めて見る後ろ姿は、黄金比を思わせるほどの秀麗な美峰であった。
むしろこちら側こそ正面というべき美しさだと思ったが、
悲しいかな、これは人界においてはほとんど忘れられた眺めであった。
しかし――
この頂は、ただ美しいだけでは済まない。
その中腹をパノラマルートが横断しており――
その一部は崩壊したまま今も復旧されずにいる。
この道路を昭和43年の1シーズンだけで一撃に再起不能とした、その元凶である――
山体崩壊。
落石や土砂崩れによる道路被害の次元を超えた、道路の消滅をもたらした、
その規模、幅200m、高さ330m。
私が目標を達成するためには、これを越えなければならない。
この自転車と一緒に。
恐るべき危機を予感させる風景に、私の心は冷たくも熱くなったが、
真の苦闘が、このように勇猛な姿をしていると決めつけたのは、今思えばとても浅はかだった。
これから私は、思い知らされる。
2012/11/4 8:41 《現在地》 海抜1870m
笠ヶ岳の美貌と、越えるべき崩壊の荒々しさ、その両方を同時に目撃した尾根を過ぎると、道は下り坂となった。
次第に見通しが利かない森の中へ移り、笠ヶ岳も一時的に見えなくなった。
下りのおかげで私の自転車は路面状況の悪さをある程度無視してペースを稼いだが、この間も断続的にびしょ濡れのススキやぐっしょり濡れて重く垂れたネマガリタケの葉を押しのけて進んだので、身体は濡れる一方だった。
しかも下り坂になって身体が発熱を止めたせいで、既に濡れが衣類を貫通してしまった両手、太腿、両足が冷え始めた。
天気が良いのが救いだが、経験値が少ない高高度および雪中での廃道探索の成り行きに、昨日のような頼もしい仲間もいないなか、心細さを感じた。
また、このときの森は奇妙な騒がしさに包まれていて、それが私にとって喜ばしいものではなかった。
きっと写真からは静寂だけが連想されるであろう白く凍てついた森だが、実際はとても賑やかだったのである。
なぜなら、おそらくこの冬最初に作られたばかりの小枝のような樹氷が、晴天の朝日を浴びた結果、みるみるうちにボロボロと溶け始め、地表に土砂降りの如き氷雨を降らせていたのである。
そんな天候現象ではない想定外の“大雨”が、ただでさえ濡れ始めていた私の身体を本当に容赦なく濡らし尽していった。
この現象に何か名前があるのか私は知らないが、きっと初冬の登山に慣れた人なら、何らかの防水対策をすべき出来事だったと思う。
私は今日の天候を過信したことや、昨日の探索の影響もあって、雨具さえ持ち合わせていなかった。
数分後、シングルトラックのタイヤ痕を旗印に、氷解する樹氷の森を抜け出したが、この時点で私は本当に全身がびしょ濡れになってしまっていた。
大量に頭上から降り注いだものがただの水滴ではなく固形の氷塊であったために、容赦なく首の隙間から胴体にまで侵入してきたし、私の装備では抗いようがなかった。
経験がない自然現象に驚きはしたが、それほど深刻なトラブルというわけではないだろう。
単に濡れただけであり、動いている限り寒くもない。
これからさらに気温が上がるし、森の氷が落ちきれば身体もじき乾き始めるはずだ。
何より肝心の道は順調に辿れているのだ。ときおり藪が優勢になるが、全体的には明瞭な道形を維持している。
さきほどは、いずれ超えねばならない最大の難関と目される【巨大な崩壊地】を目の当たりにしているが、それについても、(私の見誤りでなければ)勝ち目がないとは感じなかった。
こうして約10分ぶりに森から出た私の正面に、笠ヶ岳がふたたび姿を見せた。
8:50 《現在地》 海抜1830m
道は麗峰を掠める!
嫋やかな高原的稜線の均衡を破壊する厳ついマグマの尖塔、笠ヶ岳(2075.9m)の頂が道の真っ正面に聳え立つ。
山は退かない。ここまで来た道に無言で選択を迫る。左へ避けるか、右へ反るか。
頂に連なる稜線の左は高山村、右は山ノ内町の領分で、無名の峠以来久々この町村境の稜線へと戻ってきたが、道はここを左へ逸れ、自らの生みの親である高山村へと進路を決める。
象徴的な風景を見せるこの場所は、入口から約2.4kmの地点で、旧パノラマルート区間(全長約4km)の過半を終えたことになる。
一度視点を変え、今から約3時間前にいた平床の分岐から眺めた景色に照らすなら、【現在地はここ】である。
3時間をかけ、遠いと思った「この山の裏側」まで、確かに自転車で辿り着いた。
パノラマルート完全攻略という目標達成を見通せる位置まで来ていると言って良いだろう。
気分はますます上々で、最高の廃道との出会いを確信しつつあった。
稜線をゆく路上から高山村側の景色を見ている。
松川渓谷の向かい連なる上信国境の山並みと、その初雪に白む稜線の近くに浮き沈みする上信スカイラインの線が見えた。
おそらく上信スカイラインの路上からはパノラマルートの痕跡が見えると思うが、私はまだ確認出来ていない。
同地点付近より、下ってきた道を振り返り。
ここは何かしら道の保存条件が優れているらしく、廃道化区間へ入って以来の最も良好な状態で道形が残っていた。
藪に邪魔されず、かつ後年の改変の可能性も排除できる状態で、本来の道幅がはっきりと確認できた場所は、ここだけかもしれない。
いよいよ道は町村境の稜線に別れを告げ、山の左へ逸れていく。
内心のうちにこのカーブを待っていた私は、道の右側に“あるもの”を探したが、車上からは見つけることが出来なかったので、一度自転車から降りて、少し戻ってそれを探し始めた。
写真はその場面であり、だから自転車が少し先行して置いてある。
私が探した“それ”とはなにか?
“それ”は、道だ。
このパノラマルートの跡と、笠ヶ岳西側の鞍部を越す県道66号を結ぶ道が、最新の地理院地図には描かれていた。
地図上の表現としては「徒歩道」だが、等高線をほとんど踏まない緩やかさや、パノラマルートの災害区間だけをピンポイントに迂回するようなその位置から、もしかしたら、パノラマルート被災後に迂回ルートとして建設された車道ではないかという“疑い”を私が勝手に託した、実際は“正体不明”の道である。
一旦前進を中断し、地図にある正体不明の分岐路の捜索を開始!
が、この捜索が全く簡単ではないことにすぐに気づかされた。
ここまでも路外には常に存在していた緑の領域の正体を思い出してほしい。
それは密生するネマガリタケであり、草津や白根に代表される上信国境の緑の火山性高原風景を構成する圧倒的に卓越した植生の正体である。
空撮や遠望のスケールからは草原の爽やかさを想像するかもしれないが、ネマガリタケが密生する土地の踏破は、あらゆる種類の藪の中でも最難の部類に属し、遭難の危険が高い。
……と言っても、実際体験した者でなければ、その恐ろしさと困難は理解が出来ないかもしれない。
たとえば、この写真の中央の部分は僅かに周囲より凹んでいる感じがある。
これが探している道の痕跡ではないかと思って踏み込んでみると……。
ほんの1メートルか2メートル踏み込んだだけで、眺めはこうだ。
全く前が見えないし、そうなると横も後ろも当然に見えない。
地形の起伏もほとんど分からず、空も見えないから、もしGPSがなければたちどころに現在地不明となるだろう。
そして当然、遮られるのは視界だけではなく、歩行の自由も著しく阻害されるから、ここは地獄である。
深く入れば死をも意識する。
大袈裟ではなく、私はこれまでの経験からこのネマガリタケの藪を深く恐れており、特に辿るべき道を見失っている状況では絶対に入りたくない。
結論、分岐路は見つからなかった。
おそらく、ネマガリタケの藪によって完全に消滅しているのであるが、仮に痕跡があったとしても、車道の規模ではなかったように思う。
8:56
分岐路の捜索には失敗したが(というか植生から捜索の無駄を感じたので深入りはしなかった)、それとは別の成果があった。
それは道のすぐ傍の笹藪の中に倒れた状態で見つかった、1本の白い木製標柱である。
何かの文字が四面それぞれに書かれており、掠れて読み取れない部分もあったが、大略次のようなことが書いてあったぞ。
設置された時期ははっきり分からないが、この道に入って初めて接する“文字情報”だった。
このあとすぐに藪から出て、前進を再開した
が!
うっ!
道がネマガリタケに浸蝕されている……。
これは、やばいかもしれないぞ…。
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