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道路レポート 南志賀パノラマルート 第3回

所在地 長野県山ノ内町〜高山村
探索日 2012.11.04
公開日 2025.07.29

 大崩壊地までのラスト700m


2012/11/4 8:57 海抜1830m

入口から2.4km前進し、ゴールまでは残り推定1.8kmとなった。
ただし、この先0.7kmから0.9kmまでの約200mは、地図上から完全に道の表記が消えている。
その区間こそが、昭和43年の1シーズン限りでこの道が廃止された原因の大崩壊地である。

つまり、ここからあと700m廃道を進み、

さらに200m崩壊地を進めれば、

完全走破の達成はほぼ確約され、私はまた一つ廃道に勝利する。



が、

ここに来て遂に、恐怖のネマガリタケが、路上に溢れ出した。

笹藪は、これまでなかった障害だ。
路上の藪はここまでススキを中心とする枯れ草がメインで、多年生植物(冬も枯れない植物)であるササが蔓延るのはここが初めて。
濡れたササが不快だというだけなら我慢するだけだが、チシマザサの藪は探索の快不快を左右する程度の甘いものではない。
特に、自転車での走破に対しては極端に負荷の強い障害物となることを、私は幾多の苦闘により思い知っていた。あの探索とか…)


出来れば避けたかったが、これは避けようがないのでやむを得ない。

覚悟を決め、チャリごと突入!



8:59

ふぉふっっっと突破!

おおおお〜〜。 助かった。

幸いにして、この笹藪は何の偶然が重なって路上へ溢れ出しただけだったのか、50mかそこらで、か細くはあったが路面が復活してくれた。
とりあえず、少しでも道が見えれば大丈夫だ。
怖いのは、目線よりも高い藪に視界を奪われて進路を見失うことと、自転車や身体を絡み取られて進行困難となることの二つ。
少しでも藪のない場所が続いていれば、大丈夫。



道は笠ヶ岳が作る裾野である広大な斜面を横断している。
背丈を超えるネマガリタケの密生の中に、私を歓迎するために設えたように、たった一筋の白い道が残されていた。

ここを最後に人が通行したのはいつだろう。
ましてや、自転車という車を持ち込んだ人はいつ以来?
久方の通行人である私は、きっとこの道に歓迎されていると思い込んでいた。



9:01 《現在地》

(見つけられなかった)分岐から約100m進むと、道はネマガリタケが支配する緩やかな鞍部を外れ、松川渓谷に落ち込む急傾斜地へと遷移していく。
路上が広場のように開けているこの場所、実際にかつて広場であったのかも知れないが、大きな地形の変化を前に覚悟を決めるための空間に見えた。
この広場からは、越えるべき最大の難所である大崩壊地を間近に望むことが出来ると思われ、逆に、ここを越えれば、次にまみえるのは遭遇直前となるだろう。

さあ、見せてみろ!



あそこだな。

斜面が凹んでいるのと、樹木が少ないので、よく分かる。

ズームしてみよう。



うむ。

当サイトのレポートを通じて、これまで多数の廃道を私と共に見届けてきた皆さんに、私は敢えて質問する。

これは突破出来そうに見えるか? それとも見えないか?



私の答えは――





前進あるのみ!

私の決意と自信は、行動により示された!



だがしかし




ぐわーー!

ネマガリタケ〜〜!!




とても良くないことが起こった。

ネマガリタケだ。

恐れていた最凶の藪が、これまでの道に対する遠慮がちな態度を完全に翻し、猛威を振い始めた!

とはいえである。

とはいえ、残りはあとこれだけ。
崩壊地までは地図上の計測から残り600mであり、しかも肉眼でも見えている(←正確には、いまは見えないが1分前までは見えていた)。
ここまできたら、藪が深いからという理由での撤退は、私としても想定していないし不本意だ。
おそらく読者の大半もそうだろう。撤退するにしても、崩壊が険しすぎて進めないという理由が期待されていると私には分かる。
私だって同じだ。藪での撤退は、どうにもヒロイックさに欠けるところがあるから好きじゃない。

というか、撤退するんだったら、ここで撤退するべきだった。



これまで私が表明してきたネマガリタケへの危機意識と恐怖と嫌悪は、全て真実だ。
だから当然のことながら、自転車を持ったままネマガリタケの海に飛び込んだ私は、たちどころに地獄の責め苦を味わった。

地獄の責め苦だぞ。

見てくれこの自転車の有様。これが山チャリオブローダーに対する地獄の責め苦だ。
藪の強烈な反発力が重力に勝って、後輪が地面から浮いている。
一方の前輪は深く藪に潜って、生半可な力では持ち上げることも叶わない。
両方のペダルはツタのような藪が絡みついて、動かざること石の如し。
こういう状況に1メートルごと陥るのが、ネマガリタケの藪に自転車で突入するということである。

当然、漕いで進むのはもちろんのこと、普通に押して進むことも出来ないから、主に担いで進むことになる。
しかし、太腿の筋力だけで背丈より高い笹藪をヤブコギするのは困難だから、要所要所で腕の力に頼らねばならず、その都度自転車を肩から降ろして進路を拓き、また担いで進み、そしてまた下ろす。このような重労働の繰り返しを余儀なくされるのである。



―― 10分後 ――



9:11  (藪突入から10分) 《現在地》

やっと藪が浅く路面が露出している場所へと辿り着いた。
ここの路肩には大きなコンクリート擁壁があり、路体全体が客土で構築されているのだろう。だから藪が浅いのだと思う。
理由はどうあれ、どうにか人心地着ける場所にホッとしたが、9:01のシーンからここまで約100m進むのに10分も掛かっていた。

頼むから、ネマガリタケはもうカンベンしてくれ。
藪でも我慢するから、ネマガリタケ以外で頼む!




9:14

ぐわーー!

ネマガリタケ〜〜!!

しかも、さっきのヤツよりもさらに兇悪な密度だ。




9:21 (藪突入から20分) 

全然藪が開けない。

きついってこれは……。

おそらくこればかりは経験者にしか伝わらないと思うが、本当に辛い。




9:35 (藪突入から34分) 《現在地》

ダメだ。

ダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだ!!!!!!!

もうダメ。 自転車を運ぶのは限界!!

直近の20分では100mも前進できておらず、特に最後の5分間では10mも進めなかった。
自転車の各部突起が完全にネマガリタケと灌木の複合する藪に絡んでしまって、解こうとすれば別の突起が引っ掛かり、また解けば他の突起がという風に、まるで身動きが取れなくなってしまった。
びしょ濡れの藪の中でこれをしたものだから、猛烈な湿気と熱気でカメラも曇っている。
苛立ちと焦りと絡みつく藪のために足がもつれて何度も雪と自転車の上に転がった。そして呻いて起ち上がることの繰り返しで、前に進む暇がない。

ナタがあれば自転車でも進めるのではと考える人がいるかも知れないが、絶対に無理である。機械刈払いをしなければ無理。



私の体力と忍従が早くも限界に近づいたので、苦渋の決断。

自転車はここにデポする!(……というか放棄だな)

ほれみたことか。
これがネマガリタケの藪なんだ。
絶対に自転車同伴は無理なんだよ。
これを書いている2025年の私だったら、間違いなく9:14の地点で自転車を放棄していたね。
その先は完全に経験不足から来る判断ミス。無謀な挑戦で死にに行っているに等しかった。

古事記にも書いておいてくれ。ネマガリタケの藪には自転車で入る可からずって。




自転車を棄ててまで前進を再開したが、自転車を置いて山を降りるつもりは毛頭ないのだから、必ず戻ってこなければならなくなった。
どれだけ先へ進んでも、必ず戻ってきて、今と同じ苦労をもう1回味わわなければならなくなった。
自転車を置いた時点で、当初の目標達成はもう無理で、敗北が決した。

ただ、無理なものを無理と確認し、そこから無傷で生還することは、敗北の中でも上等な敗北だ。
もうそれを選ぶよりないのであるが、引き返すことが下手な私は、悔しさと惰性に任せて、まだ進んでしまった。
心は既に死んでいた。



自転車を棄てた私は、非常にゆっくりとした速度であるが、ふたたび進むことが出来るようになった。
そして、進めば進むほど、自転車を持ち込むことがいかに無謀であったかを思い知らされた。
頭では分かっていたつもりだが、残り数百メートルというスケールであれば可能かもしれないと思ってしまった浅はかさだった。

国道から2.4km地点の先ほど通過した【鞍部】までは、パノラマルートが通り抜け出来なくなった後も細々とした利用はあったのだろう。
一方、鞍部から崩壊地までのこの区間は、崩壊後、すなわち昭和44年から、全く利用されていないのだと思う。
相当に廃道化の程度が違っているから、そのように考えなければこの違いの説明は難しい。



自転車を放棄せざるを得なくなった後の私は、余り冷静ではない頭で、目標を次のように再設定していた。
大崩壊地の始まりまで辿り着いたら、そこで引き返そうと。
そうすれば、この道の(崩壊地外の)全てを目の当たりにしたことになると。

この再設定された目的の達成を目指して、全く道の痕跡が見えない、ただ地面の平坦さにのみ名残が感じられる激藪を進み続けた。



9:52 (藪突入から51分) 《現在地》

ムリだ。

ムリだムリだムリだムリだムリだムリだムリだムリだムリだムリだムリだムリだムリだムリだムリだムリだムリだムリだムリだムリだムリだムリだムリだムリだムリだムリだムリだムリだムリだムリだムリだムリだ!!!!!



前を見ても、後ろを見ても、ネマガリタケの藪しかない。
大きく道を外れれば、傾斜が大きくなるから分かるとは思うが、それ以外に道の場所を知る手掛りがない状態だ。
なにせ地面が見えない。身体がしばしば藪に浮いてしまって、地面に届かない。

これは徒歩でも危険だ。
ここでは進んだ時間と同じだけ、戻ることにも時間と体力を要することが、全てにおいての足かせだった。
これはいよいよ、決断しなければならない。




撤退を。

たぶん、皆も撤退するとは思っていなかっただろうし、私自身がそうだったからこそ、自転車と一緒に無理な藪にも突撃したのだ。

ここまで来て撤退するのは楽しくない。楽を求めての妥協でもないと言いたい。

ただただ、ムリだから撤退だ。

勇気とか英断とか、そういう理性判断ではない気がする。私にはムリだからという、ただそれだけの撤退だ。

9:53 撤退開始。

結局、9:01の地点から、50分以上を掛けて300mも進めなかった。
計算上、あと1〜2時間費やせば崩壊地まで辿り着けた可能性はあったが、その場合は引き返すことにも同じだけ時間と体力を要するわけで、総合的に私は無理だと判断した。たらればの話になるが、もし自転車を持ち込んでいなければ、引き返す必要がなくなっていたので、時間を掛けてでも突破しただろう。



10:05 

戻りは少しだけ早い。
行きに付けた踏み跡が、多少は役に立つから。
撤退開始から12分で自転車を棄てた地点まで戻ることが出来た。

ただ、この先は本当に後悔したね……。
無理を圧して自転車を持ち込んでしまった愚を。
敗北の後始末のためだけに自転車を連れて帰るのは、ただただ徒労感が強くて辛かった。



ネマガリタケに絡まれるまでは、あんなに気分上々だったのにな……。
徒労感と疲労感から、帰りも藪の中で幾度となく足がもつれて転んで呻いた。
積雪があったこととか、途中で身体が濡れたこととか、大きな山体崩壊が先に待ち受けていたこととか、最終的な撤退の伏線になるかもしれないような内容は途中にいろいろあったが、結局それらは全部無視され、ネマガリタケの藪に全てが暴力的に破壊されてしまった。
それこそが、最凶のゲームチェンジャー、ネマガリタケ藪の恐ろしさだった。

ゆめゆめ忘れる事なかれ……。 実際、毎年多数の山菜採りの遭難死者が出ている。



10:33 《現在地》

ひぃ〜〜どいめにあった〜〜。

1時間半ぶりに、這々の体となって戻ってきた。

最初にここに来るまでは本当に晴れやかで完璧だった廃道の探索が、急に“映え”ない展開になってしまって恐縮に思うが、これも筋書きのない廃道探索のリアルであるから、お許しを。
しかし、まだ終わったわけではない。
仕切り直して、今度は反対側から残りの道を辿ることを目指したい。

まだ、探索をするぞ……!




 仕切り直して反対側へ


2012/11/4 10:40〜10:50 海抜1830m

“ネマガリタケ地獄”からの撤退という敗北を喫した私は、目的を達成できなかった落胆と、強い疲労に打ちひしがれ、1時間半以上前に刻んだ轍が鮮明に残ったままの笠ヶ岳直下鞍部で10分ばかり停滞した。
正直、撤退することになると思っていなかったので、二の矢について想定も準備もしていなかった。
しかも、藪で大量に時間を消耗したせいで、既にこの探索の予定終了時刻も迫っていた。

まあ、こうなっては仕方がない。
当初のプランは潔く放棄して、善後策を考えよう。



地図と睨めっこして、この後どうするかを考えたが……、
正面突破に失敗したことで、ずいぶんと面倒なことになったというのが正直なところだ。

せめて、地理院地図に点線で描かれている笠ヶ岳北側の巻き道が通れたら良かったのだが、その捜索は1時間半前に既に失敗している。この失敗も間違いなくネマガリタケのせいなのだが、もう私には奴らに立ち向かう気力がない。

となると、まことに残念ながら、今朝6時半に出発した「平床」まで本日ここまでの全行程を戻るしかない。すごろく風に言えば、ふりだしに戻るだ。
平床に戻ったら、そこに停めてある車に乗り換え、パノラマルートのゴールに回り込んでから残りを自転車で探索をするというプランが考えられる。

が、これも一部却下だ。
なぜなら、回り込むための県道66号は、既に冬季閉鎖中で車は通れないのである。
積雪量的に自転車ならゲートをすり抜けて通れると思うし、もともとのプランでもパノラマルートを突破出来たら、この県道66号を通って平床へ戻るつもりだったのだが、車であれば数分で駆け上がれる比高250mの笠ヶ岳の峠越えを自転車で登るハメになったのは、痛いタイムロスだ。

でも最速でケリを付けようとしたら、これ以外の手はなさそうだ。
すぐに始めよう。
藪に負けたがゆえに余儀なくされた、11kmに及ぶ大迂回のスタートである。



さて、帰り道。
一度は通った道だし、大きな危険を感じるような難所もなかったから、基本的には爽快なサイクリングの延長戦だが、往路は全般的に下りであった分だけ復路は登りが多かった。
あとは路面の雪が溶け始めていて、ところどころ泥濘みになっているのも、少し面倒であった。



そうそう、こんな場所を通ってきたなぁなんてことを思い返しながら、黙々と戻った。
そもそも、ネマガリタケさえ現われなければ、この廃道は最高に私の好みの素敵な道だ。
そんな道を漕ぎ進んでいくうちに、撤退の落胆や苛立ちは徐々に解けていった。
一度に往路も復路も体験できることは、引き返したものだけに与えられる褒美である……なんてポジティブな感想まで持つほどに回復した。

なお、ここを最初に通ってから2時間も経っていたが、まだ同じ場所に同じカモシカがいた。のんびりすぎ〜。
カモシカちゃん、ネマガリタケの筍ぜんぶ食い尽くしていいよ〜って、お仲間にも伝えておいて。



今回一番綺麗だと思った眺めも、今度は振り返ってもう一度見ることができた。

【2時間前】と比べると、雪がほとんど消えたことが分かる。
そうして現われたのは、11月とは思えないほど緑の濃い山だった。近くもそうだが、少し遠い山も緑で、夏の景色みたい。。
谷底の方に目を向けると、紅葉のオレンジ色がちゃんとあるが、山の高い所ほど緑が濃いという、通常の季節感とは逆のグラデーションになっている。
言うまでもなく、この緑のベースになっているのが、地表を覆い尽くすネマガリタケの大樹海だ。おかげで恐ろしい目に遭った。



横手山が正面に大きく育ってくると、パノラマルートの戻り道も終盤戦。
この写真の場面のすぐ先で、スキー場の連絡コースである地図にはない道が合流して、一連の廃道化区間を脱した。



標高1900mの無名の峠まで戻ってきた。
ここがパノラマルートの最高地点であったが、私はこれから標高1650mの平床へ下ってから、もう一度ここと同じ1900mの高みを越える必要がある。
地形に属することだから偶然なのだろうが、パノラマルートの代替として建設された県道66号の峠もここと同じ標高なのである。

あと、私がここを離れていた3時間ほどの間に車が出入りしたようだ。
朝はなかった四輪の轍が増えていた。大量の足跡もそうだが、スキー場関係者だろう。



11:37 《現在地》 海抜1860m

笠ヶ岳直下の鞍部から約50分で国道292号とパノラマルートの分岐まで戻ってきた。
自転車での完抜という目標達成は適わなかったが、ここから3km近い奥地にまで自転車の轍を刻みつけてやった。
特に末端のネマガリタケ地帯については、廃止以来半世紀ぶりくらいに刻まれたタイヤ痕になった可能性がある。
だからなんだという意味はないけどね。

さ、ここから平床までは、写真を撮っている場合ではない爆走ダウンヒルの開幕だ。



11:57 《現在地》 海抜1650m

20分後、無事下り終えて、平床の県道66号豊野南志賀公園線を左折してすぐの地点で撮影した。
すぐ先の路外に見えているのが、朝出発前に停めたままの私の車だったりする。(当時まだ“ワルクード”だったな)
ここに木製の案内板があり、山田牧場、五味・七味、山田温泉といった高山村の主要な観光地までの距離が書かれていたが、私が辿るべきはここから5km先までだ。
距離の大半は海抜1900mの峠への登りなので、また足にムチを打って頑張らねば。



注 意

この地区は根曲り竹の採取地であるので竹の子取りを厳禁する。

根曲り竹はこの地方の特産物として竹製品を作る貴重な材料です。これによって生計をたてている人たちの資源を大切に守ってやりたいと思います。

財団法人和合会

このような看板が路傍に設置されているのを見つけた。
ネマガリタケことチシマザサは古くから志賀高原一帯の特産品として有名で、現在でも竹の子の瓶詰めはよく売られているが、かつては篭ざる、竹とんぼ、そば皿、竹の玩具など、実用品の材料としても盛んに利用されたそうだ。また、信州竹細工は長野県の伝統的工芸品にも指定されているという。

ぜひぜひいっぱい使ってくださぁい……。
パノラマルートにも取りに行ってくださぁい…。



12:16

はい。冬季閉鎖区間の始まりです。
国道292号は今日はまだ通れるが、それより標高の低い県道66号が先に閉鎖されていた。

ここからパノラマルートまでの峠越えの道は、もともとパノラマルートの代替として造られた道である。
昭和43年にパノラマルートこと林道七味笠岳線が開通したが、翌年に崩壊のため通行不能となり、その4年後の昭和48年に林道七味笠岳線として改めて開通した。県道への昇格はだいぶ遅れて昭和57年である。

ゲートイン。



路傍にこんな看板を見つけた。
注目は下に書いてある設置者名だ。
「上高井治山林道協会」とあるが、この名前には見覚えがあった。

さっきパノラマルートの廃道区間に倒れているのを見つけた保安林保護の【標柱】で見た名前である。
パノラマルートもこの県道66号も、元を辿れば林道七味笠岳線という同じ林道であったからこその一致だったと思う。
おそらくこれも県道昇格前の林道時代に設置された看板だろう。



冬季閉鎖区間に入ってしばらく登っていくと、1車線しかない路面を埋める雪の量はドンドン増えて、今日見た中で一番の雪道となった。
【路面が完全に凍結】しているので、自転車での走行には大変神経を使った。
笠ヶ岳の日影になる北側斜面の森の中を登っているので、高原的で陽当たりに恵まれた国道やパノラマルートよりも積雪や凍結に対して不利な道路条件なのである。冬季閉鎖が早いのも肯けた。

また、路傍からのの見晴らしもパノラマルートと比べればだいぶ地味である。
本当に造りたかった道はこの道ではなかった。
そんな関係者の恨み言が聞こえる気がしたというのは、ちょっと言い過ぎかもしれないが。



13:24 《現在地》 海抜1870m

ゲートインから1時間10分後、笠ヶ岳山頂の真北に位置する切り返しのカーブに辿り着いた。
最高地点はもう近いが、このカーブには個人的な“探し物”があるので寄り道する。
先ほどパノラマルート側から見つけることが出来なかった迂回路の出口がここにあるように地理院地図は描いている。それを探したかった。

しかし、やはり見つからなかった。
チェンジ後の画像のように、凍り付いたネマガリタケの斜面が広がっていた。
ここに歩道の一つでもあったら、パノラマルートにはパノラマ遊歩道としての生き残りの道があったかも知れない。



最後の切り返しを曲がると急に森が開け、青いネマガリタケの鞍部と、その傍らに聳える尖った頂が現われた。
頂の正体は、本日しつこいほど登場を繰り返した笠ヶ岳だが、西側からの仰瞰は初めてだ。

鞍部が県道66号の峠である。「高山村」の道路標識と、冬季閉鎖区間の出口となるバリケードがあった。
峠を境に北側だけが冬季閉鎖中だったのだが、確かに積雪の量には歴然とした差があった。



13:37 《現在地》 海抜1900m

本日2度目の海抜1900m、探索中辿り着いた自己最高標高のタイ記録である。
この峠もパノラマルートの峠と同じく地図上では名前はないが、「笠岳 峠の茶屋」の看板を掲げる売店があるので笠岳峠としておこう。
ここまでの孤独な雪道が嘘のように明るい場所で、かつ笠ヶ岳の登山口として人と車で賑わっていた。
パノラマルートは夢破れたが、この地の眺めの素晴らしさは見捨てられていなかったのだと知る。

さあ、当初の計画とは違った順序になったが、パノラマルートとの再開は間もなくだ。
正面から辿り着けなかった一端へ反対側から来てやった。



笠岳峠から南の方向を見下ろすと、九十九折りで下って行く県道とは別の道が少し遠くに見えた。
それがパノラマルートの片割れであることもすぐに分かった。

その道の行く手は尾根の切り通しで見切れていたが、反対側がどうなっているかは既に【目視済み】である。
これでパノラマルートの全線が私の視界の中では1本の道として繋がった。
あとは辿りうる限りを辿るだけ。



13:47 《現在地》 海抜1820m

峠を越えて下ること1km、左から1本の道が極めて鋭角に合流してきた。
これこそが、約2時間ぶりに再開するパノラマルートの続きである。

入口に1台の車が停まっていた。
確かに、冬季閉鎖区間を車で迂回してここまで来る手もあったのだが、自転車で通過に1時間強を要した冬季閉鎖区間を車で迂回する場合、中野市街まで延々50km以上の迂回コースとなるので、さすがに自転車の方が早いと判断したのである。

また重要なポイントとして、この地味な分岐がパノラマルートの起点だった訳ではない。
今回探索の対象としたのがパノラマルート跡の4.2km区間だったというだけで、昭和43年に開通した本来のパノラマルートこと林道七味笠岳線は全長が約12kmあり、起点は松川渓谷沿いの七味温泉付近であった。ここからさらに8km近く県道を下った先である。

つまり、パノラマルートの3分の2は現在も県道として活躍を続けていることになるが、その部分を誰かが「南志賀パノラマルート」と呼んでいるのは聞かないし、どんな地図にもこの名前は書いていないから、パノラマのハイライト区間の廃絶と共に、パノラマルートという名前も忘れられたのだと考えられる。

そんな忘れられたパノラマルート跡の探索を再開しよう。




遭難多発区域立入禁止

須高地区山岳遭難防止対策協会

遭難多発区域

ここより先へ行かないで下さい。

須高遭対協

やっぱり、ネマガリタケは人命を食っている…。






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