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2012/11/4 13:47 《現在地》 海抜1820m
これはパノラマルート跡と県道66号の分岐を下流側より撮影した写真だ。
パノラマルートは約700m先の尾根を回り込むところまで見えているが、そのさらに200mくらい先に大崩壊地がある。
このアングルで眺めると、パノラマルートの行く手が国道292号の渋峠(国道最高地点)まで伸びているように見えるが、その見立ては地形的にも間違っていない。笠ヶ岳と横手山を結ぶ高山村・山ノ内町境の稜線に沿って松川渓谷を右に見下ろしながらどこまでも登っていくと、最後はその源流である渋峠まで到達する。パノラマルートはこの一連のシンプルなコースを国道とバトンを繋ぐことで実現している。
パノラマルートには風景の代償として速達性を犠牲にしているという観光道路にありがちな弱点はなかった。高山村から渋峠へ至る最短ルートとして無駄のない経済的な路線である。だからこそ、その価値を評価される機会もなく1シーズンで壊滅してしまったのは本当に勿体なく、この道の事業主体である高山村の落胆と損失は計り知れなかったと思う。
また、土木技術という観点から見た場合、その度を超した短命さが本当に不幸な出来事として回避しがたいものであったのかについても興味がある。
13:49 パノラマルート跡へ起点側から再突入!
入口の両側に山岳遭難の多発地帯であることを警告する看板が設置されていた。
少し文字が薄れ始めた看板の様子や、立入禁止ではなく「行かないでください」という一歩引いた表現が逆に怖い。しかし物理的な封鎖はない。
そして路面は未舗装であるものの、走りやすい普通の砂利道であった。
入口に車が1台停まっていたが、ここで撮影をしているときに持ち主が峠の方から県道を歩いてきたので、少し話をした。
ネマガリタケの藪に関わる愉快なお話しを聞いたから、後ほどそれを吹き込んだ動画を見ていただく。
等高線をなぞるように300mばかり進むと、笠ヶ岳のいかにも溶岩ドームという形の山体が正面に迫り、道は右方向へ逸れていく。
ここから見る笠ヶ岳も良い形をしている。笠を被ってるようなこの見た目から名前が付いたのだろう。笠というかシャンプーハットみたいだが。
つい先ほど越えて来た「笠岳峠」は向かって左の鞍部にあり、そこから山頂を挟んで右側の低まり(見切れている)が、前半戦の終盤に辿り着いた鞍部だ。
今日は本当にこの山“三昧”であった。
路傍の笹藪に、三角屋根の山小屋らしき建物が建っていた。パノラマルート沿いで初めて目にする建物だった。
13:50 《現在地》 海抜1820m
建物には「笠岳避難小屋」の目立つ看板が掲げられていたが、周囲の藪には全く通路が見当らず、少なくとも夏場は全く使われてない様子。
「笠岳付近スキー案内図」の文字がある、内容は消えていて読み取れない看板も掲げられていたから、近隣のスキー場からスキー場へスキー登山で渡り歩くような、いわゆるスキー登山者向けの冬季避難小屋だろうか。パノラマルートとの関係性は不明であるが、もし利用したことがあるという方がいたら情報ください。
おお〜〜! こんな場所があったのか!
避難小屋のすぐ先に、地形図からは存在を窺い知れなかった広大な駐車場があった。
道との境目がない、だだっ広い砂利敷きのスペースである。(左端が道路部分)
山菜採りらしき1台の車がドアを開けたまま停まっていたが、乗員は見当らなかった。
ここまでパノラマルートという観光道路然とした名前や風景の良さばかり先行し、沿道の観光開発を思わせるような施設が皆無であったが、この駐車場(山小屋も?)は、初めてその名残を感じさせるものだった。
観光道路だったら絶対にあるもんね、景色の良い場所にこういう駐車場。周囲も広々としており、開発の余地が十分にありそうだし。
ここに車を停めて笠ヶ岳まで登山ハイキングを楽しんでねという開発意図が目に浮かぶような立地だった。
完全に広さを持て余している駐車場のうち、道から一番遠く離れた谷側の一角だけが鋪装されていて、ヘリパッドになっていた。
頻繁に利用されることを想定した施設ではないだろうが、利用実績があるのか不明なほどだいぶ草生している。
そもそもの利用目的はなんだろうか。治山工事か、遭難者救助か、その両方か。
13:52
来たな。 廃道ふたたび。
奥行きが100mはあろうかという広大な駐車場を突っ切ってさらに先へ進もうとすると、その道は「高山村建設水道課」と書かれたAバリとトラロープで封鎖されていた。
積雪に足跡もないので、ここからはいよいよ廃道ということらしい。
路面の砂利もなくなっていて、だいぶ長く手入れがされていない感じ。
……今度は、ネマガリタケが襲ってこないと良いなぁ…。
既に道の両側には沢山スタンバイしているけど……。
大崩壊地まで、推定残り500m!
バリケードを越えて進むと、道は一気に荒廃の度を深めた。
先行きに悪い予感がするので予め宣言をするが、もしここでも午前中の私が悪戦苦闘の果てに撤退を余儀なくされたようなレベルの猛烈なネマガリタケに阻まれたら、今度は足掻かずすぐに自転車を乗り捨てるつもりだ。
もはやこの道を通り抜ける意図はないので、苦しくなったら容赦なく自転車は棄てる。
そして最終的な目的地は、終点側からは遂に辿り着くことができなかった大崩壊地だ。
この道の廃止の原因となったその現場を見ることが出来たら、探索は終了である。
悪い予感は的中し、再びネマガリタケの猛襲が始まったが、よく見るとまだ辛うじて道跡に藪の浅い部分があり、歩くスピードと同じくらいのペースで漕ぎ進むことが出来た。
最終的に戻ってくることが確定しているから、午前中とは違って自転車はいつ捨てても良いという気楽さがあったが、それでもいざとなるとぎりぎりまで乗って進みたいと思うのがサイクリストの常で、私もぎりぎりで降りどころを見いだせないまま、ガサゴソと不格好な音を立てて進み続けてしまった。
この動画はこの場所で撮影した走行シーンであるが、今の往路ではなく、少し後の帰路で撮影したものである。
だから進行方向が逆なのであるが、敢えてここでご覧いただきたい。
これが、ぎりぎり自転車で走れるというレベルの笹藪である。
午前中のそれは明らかに度を超していた。遠目には違いは分かり辛いが、実際に潜り込んでみれば差は歴然で、車輪が地面に着くかどうかが決定的な違いだ。
だが、これでも凄く息が上がるくらい辛いということもこの動画が伝えたい内容だ。午前中のアレはマジで地獄だったので、本当に二度とごめんである。
そしてもう一つ、私が走りながらぺちゃくちゃと喋っている内容も聞いてほしい。
ここでカメラに吹き込んでるのが、直前にパノラマルートの分岐地点で遭遇した地元の方がネマガリタケの恐ろしさを実体験で語ってくれた内容だ。
【こんな看板】があっても、ネマガリタケの竹の子の美味さは常に多くの人々を死地へと誘い続けていることが分かる。
廃道探索などという全く美味しくないことのために、あんな深く突撃した馬鹿は少ないかも知れないが…。
13:58
いよし! 突破出来たっぽい!
3分ほど藪をガサガサしたところで、急に解放された。
そして前方に明るい尾根の気配がある。【入口】から見えた道の果ての尾根が近いのである。
この尾根を越えれば、最終目的地である大崩壊地までは地図上で残り200m。いよいよ王手だ!!
この眺めはパノラマルートと県道の分岐地点を振り返っている。
今日は何度となくこういう場面があったが、AからBをパノラマで眺めれば、BからはまたAをパノラマすることが出来る。
そして、Aが素晴らしければまたBも素晴らしく、どれ一つとして捨てがたかった。
県道の先の遙かな下界は遠くに霞んで全く見えないが、確かに道が通じている証拠に、ときおり車が行き来していた。
ただし、分岐のこちらはほぼ忘れられた存在だ。
こっちの道こそが真祖パノラマルートであるというのは間違いない事実だが、たった1年しか通れなかったのでは、さすがに憶えられていなくても仕方はない。
しかし、だとしても、
いや、むしろそうであるからこそ、
私はこの眺めを、道の代わりに誇示したい。
この秘めたる価値の知らしめたさこそが、私の活動動機の大半を占めるものである。
2012/11/4 13:58 《現在地》 海抜1810m
入口から約700m地点で、笠ヶ岳より南へ大きく張り出す尾根を回り込む。
この尾根を越える地点は想像するような切り通しではなく、広く明るい広場になっていた。
そして広場の前後に別々のパノラマが広がっている。この場所は、隣り合う前後の尾根から見通せるそれぞれの世界の端だ。
午前中に探索した“終点側の世界”と、今探索している“起点側の世界”の間で、共通する存在が笠ヶ岳しかないのは、この尾根が視界を遮るためである。
なお、最新の地理院地図には、この尾根上に建物が二つ描かれているが、痕跡さえ見当らなかった。
ここまで来ると、最終目的地とした大崩壊現場、すなわち地理院地図上において車道が唐突に終わる地点までは、残り200mである。
午前中はネマガリタケに遮られて泣く泣く断念した至近の距離まで、今度は来れている。
その割に今のところ路上は平穏であるが、200m先の壊滅はやはり100%確実だ。
なにせ午前中に隣の尾根から【この目で見ている】し、ここからもちょっとだけ、崩壊した山肌の一端が見えてしまっていた。
……これだけでもヤバい規模が察せられる見え方だと思った。
再びネマガリタケが押し寄せてきたが、このくらいなら大丈夫。やっぱり根本的に前半終盤の藪とは密度が違った。
これが最後の前進と思えば、むしろ意気は軒昂である。
朝日に先駆けて自転車を漕ぎ始めた今日であったが、気付けば世界は黄昏の色を帯び始めていた。
たった4kmそこらの廃道を、回りくどく前後から挟撃しただけの1日だった。
その廃道についても何か目立つ構造物があるわけでもなかったが、パノラマルートの面目躍如たる風景の良さと、歴代最悪クラスのネマガリタケ地獄。この二つだけで忘れられない1日になった。
いよいよ、ラストシーン。
14:02 《現在地》 海抜1810m
少し前に見た場面とそっくりな尾根の上の広場へ出た。
正面は、松川の谷越しに本邦国道の頂上を擁する雄大な稜線パノラマだ。
この道が目指したゴールである。
そして、この広場で――
道は断たれる。
広場から先へ進もうとすると、路面の代わりにススキが生えていて、そのススキを数メートル踏越えると、こうなった。
そして瞬時に私は、九死に一生を得た可能性に思い至った。
果たして私は、ここを自転車と一緒に横断することが出来ただろうか。
もし午前中、ネマガリタケ地獄で引き返さなければ、自転車を抱えたまま、ここを横断しようとしていたのである。
午前中は出来ると思っていたが、今初めてその前に立ってみると、その自信は容易く揺らいだ。
初めて目前に迫った崩壊地は、とても大きく見えた。
かつ、なだらかに見えた斜面が、思いのほかに急だった。
しかし、ただただ幸いなことは、もう命を使って試す必要がないということだ。それをする理由が、私にはない。
今さらになって、あの憎いネマガリタケの地獄に、命を救われていた可能性に気付かされるとは、皮肉であった。
もしあそこで引き返さず、何時間もかけて、疲労困憊になってネマガリタケ地獄を突破していた場合、もはやどうなってもこの崩壊地で引き返すという決断は出来なくて、そして……、
果たしてここを無事越えられたのかどうか。
自転車を失っていたかもしれないし、最悪は……。
自転車同伴での突破は可能であると判断し、実際に行動に至っていた午前中の自分が、それほど浅はかではなかったという励ましが欲しくなった私は、
さすがに自転車は持たなかったが、単身で“試しに”入ってみた。
14:09 《現在地》
数分かけて、地図から道が消えている領域へ、50mほど前進した。
振り返ると【こんな感じ】に、直前までいた尾根が見える距離感だ。
幅200mという規模の記録がある山体崩壊現場だが、実際に見るともっと広い感じがした。
幅が本当に広いのかは分からないが、とにかく広く見え、かつ荒々しかった。
ここが突如に崩壊したのは、パノラマルート開通の翌年昭和44(1969)年のことで、既に半世紀近くも経っているが、たいして緑化が進んではいないどころか、現在進行形で崩れ続けているのは一目瞭然だった。
そして私を揺るがした横断の可能性についてだが、不運な落石にさえ遭わなければ、徒歩ならまず確実に成功は出来そうだと思った。
徒歩であればトラバースにあまり執着する必要はなく、より傾斜が緩やかな下方へ大きく進路をずらして横断することも可能だからだ。
しかし、自転車を持ち込む場合は、上り下りの負担は極端に重くなる。それが致命的な結果に繋がるリスクがあって、まあ全ては結果論であるが、ここはやらなくて正解だったというのが、私の正直な感想だ。
ネマガリタケさん、私を全力で止めてくれてありがとうとは、言いたくないけどね……。
下を見ると、崩壊した斜面の果てが余りにも遠くて、高くて、クラクラした。
山体崩壊とは本当に文字通り、山が壊れてしまって、もう元に戻らない状態なのだと思い知る眺めだった。
この崩壊の原因がパノラマルートの整備にあることも、タイミング的に、まず言い逃れは出来ないだろう。
おそらく人類はやらかしてしまったのだ。
そして山の怒りに触れた道は、山もろどもに破壊され、永遠に失われた。とてもわかりやすい因果応報の物語。
立ち止まっていても、足元の全てがガラガラと流れ崩れ始めそうな恐怖を覚えたので、横断可能性の検討を終えたところで、すぐに撤退した。
14:13
前半後半と大きく二部に分れたパノラマルート跡の探索も、これでやっと終了だ。
すぐに自転車に跨がって、あとはひたすら来た道を逆走。
下りが多かったので、約50分後には出発地点の平床へ帰還できた。
本編完結後は机上調査編を執筆するつもりで資料を集めたが、わざわざ新たに書くまでもなく既に完璧な内容のレポートがあるので、今回は時短のため、そのリンクを紹介することで代用とさせていただきたい。
高山村より北信州の地域情報を発信する「久保の家の爺ちゃんと婆ちゃんのくだもの畑」のコンテンツ「新・高井野風土記」に「幻のパノラマルート」というページがある。
ぜひアクセスして読んで欲しい。
私が知りたかった、あるいは書きたかった内容が、完璧に盛り込まれている。
なので今回私は筆…じゃなくて、キーを叩く指を休憩させていただきます。m(_ _)m
ここからは余談で、上記の素晴らしい記事を読ませてもらった私の感想に属する話だが(皆様も読まれている前提で書く)、「南志賀パノラマルート」という道路名に含まれる「南志賀」という地名の“顛末”が、現地探索では思いもしなかったことだったので特に印象に残った。
「幻のパノラマルート」によると、「南志賀」という地名は先に大きな知名度を獲得していた「志賀高原」からのあやかり地名だという。
……というだけなら、さもありなんといった話だが、パノラマルートの起点となった七味温泉を含む五色温泉や山田温泉など、各々に長い歴史を有する一帯の温泉が「南志賀温泉郷」と総称されるなど、高山村を挙げて志賀高原の南に位置する「南志賀」を推した時期があった。
『信州高山村誌』によると、「南志賀」という地名の初出は、昭和36(1961)年7月27日に村の観光協会を「南志賀温泉観光協会」として創立したという内容だ。
一方、昭和43(1968)年の全通時に「南志賀パノラマルート」と名付けられることになる林道七味笠岳線の着工は昭和35(1960)年であるから、これらは時期的に符合する。
そして、これはパノラマルートの短命だけが原因ではないと思うが、近年の高山村は、このあやかり地名を放棄した。
平成8(1996)年に村は発足40周年を記念してそれまでの「南志賀温泉郷」を「信州高山温泉郷」へ改名しパンフレット等を刷新したほか、平成18(2006)年には村歌の歌詞からも「南志賀」を削除しているという。村歌からの削除には、何か徹底する意思を感じるのは私だけではあるまい。
で、この話を読んで、「あれ?」と思ったのが、本編第1回の冒頭のシーンに登場した【青看】だ。
パノラマルートの代替として建設された経緯を有する県道66号の行先に、「南志賀温泉郷」と書いてあったではないか。
私が探索した平成24(2012)年の時点では、平成8年に高山村によって改名され、同18年には村歌からも執拗に削除されていた旧地名が、青看に堂々と案内されていたのである。
グーグルストリートビューで同じ青看を継続観察すると、平成30(2018)年8月から令和3(2021)年9月の間に「信州高山温泉郷」に修正されていることが分かった。村が改名してからずいぶんとかかったが、遂に青看からも「南志賀」は消えていた。
では、「南志賀」は完全に消えたかというと、答えはノー。
この県道66号の路線名は、「豊野南志賀公園線」である。
「南志賀公園」という場所はどこにもないが、路線名になっている。
この路線名もいずれは改名されて、道路の世界から完全に「南志賀」という名は消えるのだろうか。