国道113号旧道 赤芝橋  前編

公開日 2010.12.31
探索日 2010.10.18

今回は国道113号の旧道をまたひとつ紹介する。

国道113号は、太平洋に面した福島県相馬市と日本海に臨む新潟県新潟市を結ぶ、東北を横断する国道である。
その性格上山がちな路線であるが、なかでも2000m級の飯豊連峰と朝日連峰に挟まれた荒川地峡(荒川渓谷沿い)を通る、山形県小国町から新潟県関川村にかけての区間は最大の難所である。
と同時に、小国町や関川村にとってはこれが唯一外界へと通じる路線になっていることから、この区間は3桁国道でありながら国交省直轄区間になっている。

これまで当サイトや「日本の廃道」でも、この区間にある旧道や廃道をいくつか紹介してきた。
その代表的な物は宇津峠八ツ口旧道、そして片洞門(日本の廃道)である。
今回紹介する旧道は、位置的には片洞門と八ツ口の間にある。
その旧道としての規模は小さいが、かなり印象深い 特異な景観 がある。



小国の中心街から西へ3km地点にて、発見


2010/10/18 7:11 【現在地(マピオン)】

この日の探索は、以前から気になっていた当地攻略を最初の目的とした。

生憎の曇り空ではあったが、明るくなるのを待って小国の街中に自転車を下ろした私は、国道113号を西へ走り始める。
約3km、静かな街並みは既に途絶え、ときおり大型トラックが疾走する山間の幹線道路風景。
頭上に掲げられた大きな「S字カーブ注意」の看板が、これから始まる難所の合図であることはもう常識である。

ちなみにこの国道113号の一連の旧道は、6年前に一通り探索していたが、いくつか見落としもあった。
今回はそのひとつを“回収”する。




そこに現れたのは一本の大きな橋。
標識には「赤芝橋」と書かれている。

予告されたとおり、橋を中心に前後が大きなS字カーブになっており、冬場は橋の上が凍結して危険そうだ。
おそらくこのレポを書いている今ごろは、まさにそういう状況になっていることだろう。

橋の上から、下を流れる荒川を俯瞰する。




これは来た上流側。
いま来た道は右の森の中を通っているが、緑が深く見通せない。
川幅いっぱいに流れる水は、人口9000人弱の小国町の生活排水を全て受け入れているはずだが、水量が多いせいかあくまで清澄に見える。

ともかく上流側は穏やかな流れである。





こちらは急激に水路が狭まり、峡谷となっている。

ちょうど橋の50mほど下流に両岸相迫る門戸のような岩壁があり、
ここで荒川の全水量が幅10mに満たない流路に収斂する。
その分とんでもなく深くなっているようで、青々とした瀞が出来ている。

険しい渓谷の地形はこれより下流方向に数キロ続いており、これを昔から「赤芝峡」と呼んでいる。

両岸一面に赤芝を植え付けたような紅葉風景も、そう遠く無さそうだった。




この絶壁の谷間では天下の国道といえども進路得難く、
山と谷の接する懸崖にコンクリートの護岸と桟橋を架け、
そのうえにさらに雪崩覆いを蓋して、どうにか道としている。

思わず旧道や廃道を期待したくなるような風景だが、
地形的にルートを選ぶ余地もなく、ここにそれは見あたらない。
明治以来の道を繰り返し改良しながらいまも使い続けている。

しかし、前はこれで見逃してしまったのだが、
実はこの景色に別の旧道が隠されていた。




↑お気づきになられただろうか。↑


道がある。

より正確にいえば、道の跡がある。


さらに拡大してみる。




見えそうでいて(というか見えているのだが)、意外に気付かないものだ。

6年前の私だって現橋を見て旧橋の存在を疑わなかった訳ではない。
しかしこれには気付かなかった。
その理由は簡単で、自然石を組んだ橋脚が天然の岩盤と良く同化しているからである。
しかし一度気付いてしまえば、一転して目立ちすぎる存在に思える。
目線がそこから外せなくなった。
(そのせいでまた見落としがあったのだが、それは数分後の“素敵体験”に結びついたので、むしろラッキーだったかも)


この文字通りの“川の関門”を一跨ぎにしていた旧橋。
これこそ由緒ある明治のルートと思えたが、
いったいどうやってアプローチしていたのだろう?




橋が落ちている以上、アプローチは左岸右岸それぞれ別々に考えなければならなかったが、右岸についてはぶっちゃけ「無理そう」だったので(理由は後述)、より景色的にも良さそうな左岸に絞ってアタックすることにした。

いままで意識していなかったので気がつかなかったが、現道からの入口は橋の袂のカーブ以外考えられないだろう。
そこから写真の中ほどより少し上の辺りに、下流への道があるはずだ。
森が深くて全然見えないが…。

そして…




あの橋台の地点に到達するというわけだな。

まあ、距離はほんとわずかである。
せいぜい50mと云ったところだろう。

だが地形的には険しそうだし、まだ道が見えないだけに不気味である。
最後の橋脚へのアプローチもスリリングっぽいし。


しかし、男なら目指すはやっぱり・・・







お立ち台だろ!!




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左岸 “お立ち台” へのアプローチ


7:15

この赤い矢印は、オブローダー専用の進路である。
くれぐれもドライバーの皆さんはこのルートを取らないよう注意して貰いたいのだが、路外には草むした下り坂が存在していた。

現道は旧道よりも5m以上高いところを通っているので、その比高を摺り合わせるためのスロープと思われる。
したがってこれ自体が旧道ではないと思うが、ともかくこれを通って旧道へ立つことが出来るようだ。
10月でこれだけ緑が深いのだから、真夏はその存在に気付けないくらいかもしれない。




これ以上付けられないくらい沢山の朝露を纏った下草を踏んでいくと、1分もしないうちに下半身がぐっしょりなった。
まあこれは“朝藪”の通過儀礼なので、仕方がない。
日射しさえ戻れば服も乾くだろうから、気にしないことにする。

スロープの下には、意外に広い平場があった。
だがこの平場も川の方へカーブするように少し続いた後、川を見るまでもなく深い藪に遮られて終わってしまっていた。
この不自然な線形を描く平場の正体も後で明らかになるが、この時点では謎だった。

私が目指す“お立ち台”は、まだもう少し下流にあるはずなので、平場に名残を感じつつも、【再び赤矢印】の位置に進路をとった。




最初の段階では腰より下だけだった濡れが、上半身にも拡大した。
スロープやその後の平場とは段違いに藪が深い。
藪から林に転じつつある段階のようだが、こういうのが一番質が悪いといえば悪い。

しかし恐れていたほど地形的な困難はなかった。
右は確かに切り立っていて、ときおり木の陰からチラチラ水面も見えるのだが、道幅はちゃんと確保されていた。
ちょうど車1台分くらいの道幅が。




さらに進むと下草は急に減ったが、かわりに“横なぐり”の木薮攻撃が始まった。
これを跨いだり持ち上げたりして進むわけだが、触れるたびに周囲の木が全力で水滴を落としてくる。
いつまで濡れに対してうだうだ未練を口にしているのかと思うかも知れないが、胸の前に構えたカメラまで濡れるのは我慢ならない。

さらにトラップは頭上だけに非ず。
足元も実は半分沼地のようになっていて、トレッキングシューズくらいでは浸水の危険有り。



それでも救われるのは、この廃道がとても短いということだ。

早くも終わりを予感させる、“進路を塞ぐ岩盤”が見えてきた。

この後に続く景色が、もう予想できる。

岩盤に遮られて右に進路を変えてから橋。 だよね。




私の予想は間違ってはいなかったが、その前に、一息つく場面があった。


滝が落ちていた。

森から沁みだした清澄な水が落ちる滝。

滝は小さな滝壺という泉を作っていた。

意外に深く、完璧に透き通った泉である。


そしてこの泉、まちがいなく道のうえにあった。

足元の地面に、古ぼけたヒューム管が露出していて、そのことを教えていた。

しかもよく辺りを見回すと、道の名残はそれだけではなかった。





ヒューム管の隣には、ごく低い石垣が備え付けられていた。

おそらくこれが本来の路肩であったのだろう。

しかし長い年月のうちにヒューム管が詰まり、暗渠としての役目を果たさなくなったために、滝の水は路盤を削って、或いはそのうえを乗り越える形で荒川に注ぐようになったのだ。

こうして文章にして語るのももどかしいような、ごく当然な自然の成り行きだが、その流れに身を任せている旧道の姿は美しく、そして愛おしい。

ジャングルに埋もれた古代遺跡のようなこの道だが、いったいいつ頃に出来た道なのだろう。
おそらくそれは、明治17年頃と思われる。

というのも、現在の国道113号の飯豊〜新潟県境間の原形となる道は、明治13年から17年にかけて、かの三島通庸が建設せしめた「小国新道」に由来しているからである。
この赤芝峡の道がどこに作られたかという明確な記録はないが、今回こうやってこの旧道を歩いてみて、ここが三島の道だろうと理解した。
これだけで分かるのかといわれそうだが、分かるといいたい。





そしてここ。


右には今しがた道を潤した流れが、一足先に谷へ落ちている。

もはや普通の森となんら区別の付かなくなったこの場所が、目指す“お立ち台”の一歩手前である。
すなわち、旧橋はここから対岸へむけて架かっていた。
人工的な橋台のようなものは見あたらないが、地形的に自然と突出しており、天然の橋台のようである。


今回の探索における旧道の探索はこれでほぼ仕舞いである。
次回はここから、先に予告した 特異な景観 をお目に掛けよう。