道路レポート 国道432号東岩坂バイパスの未成部 後編

所在地 島根県松江市
探索日 2023.12.04
公開日 2023.12.18

 かりそめのループと、ほんもののループ


2023/12/4 10:42 《現在地》

国道の未成道を、地図にはない余分なところまで辿りきったと思うので、自転車を停めてある藤原集落へ引き返す。
特に収穫がなければ「引き返した」の1行で終えて次に進むところだが……。ぬふふ。

未成道の末端で交差している電線の下に、電気事業者の点検路らしい明瞭な踏み跡があったので、帰りはこれを辿った。
チェンジ後の画像は、アンカー工の上に広がっている緩やかな南向き斜面で、一面の雑草地だが、以前はおそらく畑とかだろう。
電線が集落の方へ伸びているのが見える。



10:45 《現在地》

電線路を辿っていくと、よく手入れされた単独の墓所が現れ、さらに道なりに進むと集落外れの一軒家の門前へ辿り着いた。
大きな屋敷に住人の気配は既になかったが、ここからは心配のいらない舗装路となった。
下を国道の未成道が通じているが、見下ろせる地形や位置関係ではなく、その存在は窺い知れない。工事中は賑やかな音が毎日聞こえただろうが。

少し間隔を空けて沿道に二軒目、三軒目も現れ、未成道の藪を歩くよりはだいぶ楽に集落へと戻ることが出来た。



帰り着いた藤原集落の綺麗な景色をバックに、重大な成果を述べたいと思う。
集落道を歩きながら、路傍のハス畑で作業に励む古老(推定60才くらいの女性)に、貴重なお話しを伺うことが出来た。
聞き取りのテーマはもちろん、集落のすぐ下で中断されている国道工事のことである。


藤原集落の古老の証言

  • 作りかけの国道は、工事中に土砂崩れの危険が判明し、かなり前(正確な時期は記憶にない)から工事を中断したままになっている。
  • 現在では計画が変更され、ループ橋を作って開通させることになった。最近その測量が行われた。まだ工事は始まっていない。
  • 新たに作る道路が、今の行き止まりの道と繋がるのかは分からない。

証言によって判明した内容は、上記のようにまとめられる。

特に重要なポイントは、工事中断の理由が土砂崩れの危険性にあったことと、現在は計画が変更され新たにループ橋を作ることになっているという2点だろう。
具体的に、土砂崩れの危険が取り沙汰された位置が工事の行われた区間内なのか、その先かは分からなかった。
また、新設が計画されているループ橋の位置や、それが作りかけの道路の末端と繋がるものであるかどうかも、分からなかった。

なお、最初古老の口から「ループ橋」という言葉が出た時は、てっきり今ある迂回路の小さなループ道路のことと早合点したのだが、話をよく聞くと、そうではないことが分かった。
島根県には、日本最大規模の二重ループ式道路である有名な“奥出雲おろちループ”を始め、国道だけでなく県道や広域農道などにも沢山のループ橋が存在することが不思議な特色となっているが(原因はよく分かっていない)、なんとこの国道432号にも、将来新たなループ道路が建設される計画があることは初めて知った。

何にしても気になるのは、この新たなループ道路がどこに整備されるのかということだが……、まだ工事は始まっていないそうなので、現地の景色から解決できそうにない。この解決は、帰宅後の机上調査に譲ろうと思う。



11:02 《現在地》

集落での聞き取り調査で成果を得た私は、自転車を回収後、それに跨がって、今回の探索でもう一箇所の調べたい場所へ出発した。
この先しばらく現国道432号を松江方向へ走る。ずっと下り坂なので自転車には楽な行程だ。(もっとも、後で車を回収しに戻ってこないといけないんだが…)

写真は、歴史的経緯を踏まえれば「仮設」という表現をしたくなる、今のループ国道の愉快な姿だ。
さっき【軽トラが走る】のを見下ろした“酷道”的狭路がここだ。
2車線の道路を潜るボックスカルバートが1車線しかないあたり、一連の国道としてのチグハグさを感じさせるが、それは無理からぬことで、工事の中断さえなければ、この潜る道が国道になることはなかったはず。終生、一介の村道や市道であったろう。



だがそんな区間に、運命の悪戯で、“おにぎり”が設置されている。
道幅は、1車線の部分と1.5車線の部分が混ざっていて、全体的に相当の急坂である。
谷の上にある藤原から、谷底にある次の西奥という集落まで、約900mで90m近く高度を下げるので、単純に平均勾配10%であって侮れない。積雪期は凍結もするだろうしな。



かなり下ったところから、来た道を振り返った。急坂ぶりがよく分かる。
この左の斜面上部に一連の未成道はあり、先ほど歩いていたわけだが、現国道からは全く察知できない。
ただ、ここに見える電線が上っていった先に国道の卵が眠っていることを、私は知っている。

土砂崩れの危険性うんぬんという話を聞いたばかりなので、それらしい現場も探したが、特に崩れていたり、それを警戒していることが伝わってくる場面はなかった。
また、新設されるらしいループ道路の気配も、全くなかった。
地形的には、この高低差の大きな谷は、狭い谷の空を一杯に使って旋回するループ橋が似合いそうだが……。



11:07 《現在地》

ここが西奥集落である。一転して場面は東岩坂川の谷底となった。目の前の橋は落合橋といい、銘板によれば昭和53(1978)年の竣工である。
今のところまだ狭い道路が続いているが、進んでいけばどこかで新設の道路と切り替わるはずだ。その場所がおそらく、現在計画されているという新たなループ橋を含むバイパスへの取り付きになるのだと思う。
今はその場所を探しながら走っているところだ。



11:09 《現在地》

未成道の入口から1.3kmで、旧国道との三叉路に辿り着く。
写真は振り返って撮影しており、現国道は左の道だ。青看とともに、仮設感の漂う工事看板を使った案内板も設置されている辺り、現状がイレギュラーであることを管理者は誰よりもよく理解しているのだろう。

なお、旧道へ少し入ったところからは、西奥集落とそこを通る現国道を綺麗に俯瞰できるので、その【写真】を添えておく。写真中央の道路が現国道だ。

この旧道分岐地点から、さらに200mばかり松江側へ進むと……



11:10

ばっと景色が広がる感じで、道が一気に広くなる。
実はいまここまで松江側から伸びてきた改良済の2車線道路は来ている。
しかも、この広くなった直後で東岩坂川を渡る市平橋は、平成27(2015)年9月の竣工と、まだとても新しい。
そのうえ、この場所には2車線道路にもなお余る謎の道路余地が広く取られている。まるで、将来への準備施設でもあるかのように。



状況を地図上に整理すると、この図のようになる。

現在の計画は、平成7(1995)年の道路地図に計画線として描かれていたような、東岩坂川の右岸の高所を直線的に貫くものではなくなっている。理由は、このどこかに土砂崩れの危険の大きい場所があると判明したかららしい。

変更後の計画では、従来の道(旧道)に沿って東岩坂川沿いを西奥地区の手前まで辿り、そこから90m近い高低差をループ橋で一気に稼いで藤原へ上げるものとなった。
旧計画の名残である行き止まりの未成道が誕生して30年近い年月を経過した現在、この新たな計画による新道は、西奥手前の市片橋まで到達しており、おそらく次はループ橋の整備である。既に測量までは進んでいるらしいから、ルートは決まっているのだろう。



市平橋を振り返って撮影。背にしたこの地点までは、申し分のない2車線の道路が完成している。

そして順調に行けば、この写真に描き足したような美しいループ橋が、10年くらい後には生まれているのかも知れない。
なんだかんだループ道路は人気があるので、松江市の新たな名所になるだろうか。

この後、もう一箇所だけチェックして、現地調査を終えたい。




12:13 《現在地》

約1時間後、今度は西奥からに松江側へ2kmほど下った別所集落の近くへ移動してきた。(この1時間に私は市平橋から旧国道経由でスタート地点へ一度戻り、別所に車ごと移動してから再度自転車を下ろし調査を再開している。)
この別所は松江駅からおおよそ10kmの地点にあり、ここまでは国道沿いに集落や田園が途切れず連なっている。つまり、一連の山越えである駒返峠を考える時、その松江側の登り口にあたる場所といえる。

現在の国道は、この別所地区を北側に迂回するバイパスが出来ているが、平成7(1995)年の道路地図にあった計画線は、この別所から藤原までのルートがいまと異なっていた。
具体的には、この写真の正面のカーブがなく、そのまま直進して山へ乗り込んでいくものだったようだ。

そのため、ここにも何か計画変更の名残があるかも知れないと思い、最後に見に来たのである。



あーー……、はいはい。

うん、そういう目・・・・・で見れば、確かにちょっとだけ違和感というか、不自然さがあるかも知れないな。

いまの国道は、正面の山に突き当たるところで少し上り方が強くなるが、直後に右へカーブしながら下りへ転じて、そのまま八雲トンネルという新しいトンネルへ下りながら入っていく。
峠を目指す上り坂の一部としては、わざわざ八雲トンネルに下りながら入っていくというのは、ちょっとこじつけかも知れないが、少しだけ違和感がある。
本当はここで右へ曲がらず、このまま真っ直ぐ山に突っ込んでいく計画だったのだと言われれば、納得できる気がする。



二つのアングルから、八雲トンネル直前のカーブを撮影した。

お誂え向きに曲がらず直進する道があるが、これは未成道ではなく、正面の谷へ入り込んでいく農道だ。すぐ奥にチェーンゲートがあって、その先も特段に未成道らしい光景はなかった。ただの山である。したがって、藤原にあったような未成道が別所側にはないことが分かった。
強いて言えば、一旦は国道用地として買収を受けたことがあったりするのかもしれないが、特に根拠となる地物はない。

探索的には空振りだが、計画ルートの分岐地点なので、確認する必要があった。



最後に、八雲トンネル。
銘板によれば、全長137m、完成は平成22(2010)年3月である。

これは先ほどの登場した市平橋の5年前の完成で、おおよそこの5年間で別所から西奥までの新道の整備が完了したことが分かる。
旧計画ルートでの工事の中断は、平成初期の出来事だと思うので、それから新ルートを決定し、具体的にその工事が行われるまで、おそらく20年とかの相当長い月日を要したことが窺える。
ずっと開通を待ち望んでいた人々にとってはいささか長い足踏みであったかと思うが、大規模な道路の計画変更は簡単なことではないのだろう。


現地探索は、以上だ。



 机上調査編 : 東岩坂バイパスのこれまでと、これから


今回は、この平成7(1995)年に発行された道路地図帳に描かれた1本の道路計画線をきっかけにして行った探索だった。

現地には、おおよそ400mの長さを持つ行き止まりの未成道が半ば廃道状態で放置されていることが確認されたほか、古老からの聞き取りによって、従来の計画ルートは土砂崩れの危険性から中断され、現在は別ルートのループ橋を含む計画が進められていることを知った。

帰宅後に机上調査を行い、この地で繰り広げられている遠大な国道バイパス計画の変遷を追った。以下にその成果を述べる。


まずはいつも通り?歴代の地図の変遷を見ようと思うが、今回は地形図ではなく、昭文社のスーパーマップルデジタルシリーズを3世代分切り出して、バイパス計画の変化を見てみたい。
日本有数の歴史を誇るこのデジタル地図帳のシリーズは、既に初版から20年以上の更新を重ねており、古い版はそろそろ考古的趣味の世界を照らし始めているのである。(↓)



@
令和5(2023)年
A
平成22(2010)年
B
平成12(2000)年

@は今年(令和5年)に発行された最新のVer.24の画像だ。
藤原に行き止まりの国道(未成道部分)が描かれていることが興味を惹くが、これは本編でも再三使用した版であり、とりたてて新しく述べることはない。

Aは、平成22(2010)年に発行されたVer.11の地図画像だ。
あまり変化はないが、現地レポの最後に紹介した別所地区の八雲トンネルはこの頃まだ工事中であり、計画線として表現されている。

Bそして注目すべきは、シリーズ最古の平成12(2000)年発行のVer.1である。
このバージョンまで遡ると、平成7(1995)年の大阪人文社県別広域道路地図に描かれていたものとおそらく同じ旧計画ルートが計画線として現れる!
しかも、幻となった2本のトンネル付きで!

このトンネルが描かれているのは、想像を掻き立てられるなぁ。
実際に建設されることがなかった、2本のトンネル……。
その雄姿を、敢えて最新の地形図上に再現してみたのが、次の図だ。(↓)




この図に青線で描いたのが、これまでで最もリアルさをもって再現された旧計画ルートだ。
もちろん、今回探索した藤原地区の未成道(終点の先で発見した“飛び地”部分も含めて)は、この計画ルート上にあるし、最後に訪れた別所の【八雲トンネル前のカーブ】は、やはり計画変更の跡地であったのだ。

旧計画ルートは、あのカーブを直進してそのまま上っていき、おおよそ400mで長さ200mほどの1本目のトンネルへ入る。これを抜けると僅かな明り区間を挟んで、すぐに2本目のトンネル(約400m)を迎える。その先も険しい傾斜地におそらくいくつかの橋を架けながら前進を続け、入口(八雲トンネル前)から約1.6kmで今回探索した“飛び地”の端に到達する。そこから400〜500mで藤原集落の未成道入口に辿り着くので、この一連の計画ルートは2km強の長さであったと思う。

無駄のない直線的で理想的な新道のように思われるが、うち400〜500mの工事が行われたところで、工事中断となってしまった。



次に、平成初期の航空写真を見較べてみたところ、今回探索した未成道が藤原地区に誕生した時期をだいぶ絞ることが出来た。

平成8(1996)年の航空写真には、既に現在利用されているのと同じ国道のルート(図上のA→B→C→D→Eの経路)が登場しており、B地点で分岐する未成道も、今回探索した全ての部分が見えている。

一方、平成元(1989)年版だと、図外の駒返トンネルからA地点までの工事が行われている最中で、D地点のループ構造や、BからCに至る国道もまだない。この時点では単純にA→D→Eと道が繋がっているように見えるが、工事が進むと前述のA→B→C→D→Eの経路になるのである。
おそらくこのB→Cの道路整備は工事の中断と関係しておらず、新国道と藤原集落を繋ぐサービス道路として規定のものだったのだろう。
ただ、これを含むB→C→D→Eという冗長なループの経路が、今日まで長期にわたって国道423号の現道として扱われることとなったのは、工事中断(未成道化)の影響と思われる。

以上の航空写真調査によって、藤原地区に未成道が作られた時期は、平成元年〜8年の間であることが分かった。
すなわち、工事中断の決断がなされたのも、この期間のどこかだ。




平成30年度第4回島根県公共事業再評価委員会議事録より

次に、島根県公式サイト内でこの道路の事業名である「東岩坂バイパス」をキーワードに検索したところ、長期化した公共事業を5年毎に評価して継続の有無を決定する事業再評価委員会の平成30年度の会議録に、本事業が辿った経過を知りうる貴重な発言を見つけることが出来た。
読みやすいよう少し内容を調整して紹介する。原文はこちらをご覧いただきたい。

この東岩坂バイパス、昭和54年度から事業に着手していますが、藤原地区から着手しています。同時期に市境を挟んだ反対側の広瀬町側でも同様に広瀬バイパスという別の工区を立ち上げて、同様に事業を行っています。

平成30年度第4回島根県公共事業再評価委員会議事録より

事業の着手は、昭和54(1979)年であったことが初めて分かった。
昭和54年といえば、国道432号が指定される(昭和57年)以前であり、この道路は県道で主要地方道松江広瀬線と呼ばれていた。
事業主体は島根県であり、それは今も変わっていない。工事は八雲村(現在の松江市八雲町)の藤原地区からスタートし、広瀬町(現在の安来市広瀬町)側の工区と呼応し、まずは峠を越える駒返トンネルの整備から始めた。

このように昭和に始まった事業が未だ完成していないのは、やはりルート変更の影響が大きかったのだろうが、その原因はズバリこの後に明かされる。

この藤原地区は非常に当時難航し、一つには地すべり地帯などに当たったところで、その対策工事などに事業費と工期も非常にかかりました。何とか平成6年度までにトンネルから左側の部分について1.6kmを供用したというところであり、引き続き、未改良区間に進むに当たっては、やはり同じように地すべり等も推測されたため、一旦こちら側を置いといて、バイパスの松江市側から整備していくという、当時の工区の進め方についてはそのようにやっていったと考えます。

平成30年度第4回島根県公共事業再評価委員会議事録より

核心キター!

藤原の古老が語った内容を、より正確に表現したのが、この議事録の言葉だと思う。
すなわち、最初に藤原から駒返トンネルまでの区間を建設してみたら、これが地すべり地帯にあたっていて、その対策工事などで想定外に事業費も工期もかかってしまった。どうにか平成6年度にこの区間を完成はさせたが、藤原から下の松江側の工事も同様の悪条件であることが推測されたため、一旦この区間を中断して(ルートや工法を改めて検討することとして)、問題のない松江市側から整備を進めることにした……ということだ。
この中断のために、未成道が生まれたのである。

なお、この時点ではまだルート変更が決まっていなかったようだが、それについては次の発言で判明する。

トンネル計画からループ橋に変えているという説明をしました。トンネルとループ橋を比較した資料2ですが、これは平成15年に国に提出した資料をそのまま付けています。 若干説明しますと、第1案、トンネル案ですが、トンネルの前後の地すべり対策で大規模な費用がかかると推測されました。この3つの案を比較したときに、概算事業費を見ていただきますと、工事費が非常に膨らんで、工期もかかるそのようなことから経済性等で劣ると、ここでは評価をしております。2案、3案は、いずれも今の未改良部分についてループ橋を採用していますが、ちょっと違いがあります。2案はループ橋に至るまでの松江市側部分が、主にバイパスであるか、それとも今の現道を拡幅するのを主でやるかというところの違いであり、この2つについては、少しでも完成したところから供用開始を図り、早期の効果の発現ができるというところで、第3案の現道拡幅案が有利と整理しています。その後、16年度以降のところでは、この比較表に基づき整備を進め今に至っています。

平成30年度第4回島根県公共事業再評価委員会議事録より

この発言により、旧来のトンネルルートを破棄して、現行のループ橋の計画へ変更したのは、平成15年であることが分かった。
会議の席上では、このときに比較検討された3ルートやその工費がまとめられた資料が配付されたようだが、残念ながら未発見だ。
しかしともかく、工事中断から9年後の平成15年にようやく新たなルートが決定し、16年度からは新ルートに則った整備が進められることとなって現在に至っているのである。




国道432号東岩坂バイパス事業説明資料(平成30年度) より

この図は、平成30年度に島根県が公表した「国道432号東岩坂バイパス事業説明資料」から引用した事業概要図である。
現在も事業継続中である東岩坂バイパスは、全長8.6kmで、これまでに7.3kmが供用を開始している。
供用中の各区間の供用年度が図中に細かく記されているが、先ほどの会議録の内容を裏付けるものになっていると思う。

残る未供用区間は、図に赤い破線で描かれている1.3kmである。
これを見ると、市平橋のすぐ先にループ橋が描かれているので、私が現地で【想像で描いた完成写真】は、案外いい線を行ってそうだ。
そして赤破線の1.3km区間には、おそらくだが、今回探索した未成道区間が、包含されていると思う。
図の縮尺的に断定は出来ないが、地形的にもコスト的にも、おそらくあの未成道を最大限活用して、新たなループ橋へ繋ぐのではないかと思う。そうでなければ、手痛い二重投資となって、ルートを変更してまでコストを抑えた意義が薄れてしまう。
いずれ開通した暁には、未成道がどうなったか再度検証したいと思うが、たぶん【ここ】も復活できるはず……。かわいそうだから、そうであってくれ。


最近の事業進捗度の変化
事業再評価年度平成25年度平成30年度令和5年度
未供用延長1.9km1.3km1.3km
事業費約162億円163億円約190億円
費用対効果1.391.141.00
完了予定年度平成34(2022)年度平成38(2026)年度令和15(2033)年度

平成25年度から5年刻みで行われている直近3回分の事業再評価(案)が公表されていたので、そこから事業の現状と今後の見通しの変化をまとめたのがこの図だ。

ぶっちゃけ、きびしさが伝わってきています……。涙

平成28年度に市平橋を含む0.6kmが供用されて残り1.3kmとなって以来、新規開通がない。残りはループ橋だけなのだが、これが大きな事業費を要するものであるために、なかなか着工できないように見える。
そのため完了予定年度(=開通の見通し)は繰り延べをくり返しており、最新の令和5年度の事業再評価案では、開通まであと10年近く要するということに……。

だが、そうしているうちに(理由は書かれていないが)事業費は拡大し続けており、そのせいで費用対効果も悪化を続けており、令和5年度版ではついに事業継続判断のギリギリ下限値である1.00に払底してしまった。
このままだと、次の令和10年度の事業再評価時には……ぅぅ……怖い…。

なお、令和5年度版は、残事業の進捗について次のように書いている。

現在、残る別所地区(1.3q)を測量設計中であり、早期工事着工に向け、事業を進めている。

この文言も、前回の平成30年度版と全く同じなんだよなぁ……。


不安だ。



――というわけで、最後にちょっと怖くなってしまったが、信じて待つことにしよう。島根県の頑張りを!
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