静岡県道288号 大嵐佐久間線 序

公開日 2009. 6.17
探索日 2009. 1.24


  おおあらし さくま線


静岡県の一般県道288号 「大嵐佐久間線」 の読みとして、上記は正しくない

正しくは、「おおぞれさくま線」 という。


だがこの県道の実態は、まさに「嵐(あらし)」に揉まれたような「大荒れ」である。
が体を示してしまった。


容易に通りがたいほど整備が疎かな県道を「険道」と呼んで親しむ人々の間では、全国的に有名な「険道」である。
試みに路線名で検索してみると、おおよそ山間部のいち不通県道とは思えないほど多くのサイトで採り上げられている。

しかし、その全線を踏破したという記録は、驚くほど少ない。

というか、最近の記録は皆無と言っても良い。


その「荒れっぷり」と「踏破の難しさ」に対する風聞は、私がまだ秋田に住んでいた時分から、この道との関わり合いが“業界”の通過儀礼でもあるかのように、頻繁に聞こえてきた。
読者様からの「情報提供」も、一度や二度ではなかった。
そしてその多くは、「最近の状況が全く分かりませんが、ぜひ見たいです!」 というような、催促にも近い熱烈なラブコールであった。
私としても「それほどの“上物”ならば」と、2009年1月24日、最初の情報提供からは随分遅れてしまったが、初めて挑戦してみた。

そして、想像を超える苦境に直面することとなった。




平成19年度の「静岡県道路現況調書」によると、県道288号「大嵐佐久間線」は全長17,971mの一般県道で、静岡県浜松市天竜区水窪(みさくぼ)町奥領家(おくりょうけ)のJR飯田線大嵐(おおぞれ)駅前を起点とし、浜松市天竜区佐久間町佐久間の佐久間ダムサイトを終点とする。
その経路は右図に示したとおり極めて単純明快で、全線が佐久間湖左岸にほぼ並行する、いわゆる湖岸道路である。
よってこの県道の歴史は、佐久間湖と共に始まったものである。

佐久間湖は、日本第5位の流長を誇る天竜川が佐久間ダムによって堰き止められたことで生じた、全長30kmにも及ぶ巨大な人造湖だ。
そして同ダムは、国の地域総合計画のひとつ「天竜奥三河特定地域総合開発計画」に則って、電源開発株式会社が昭和27年に建設を開始し、本邦最大の発電用ダムとして昭和32年に完成した(現在は多目的ダムとして利用されている)。
現在では、戦後の日本各地で同時多発的に進められていた大型発電用ダムの中でも最初期に完成を見た事例として、建設技術、住民補償、環境対策、観光活用など、様々な面でその後のダム開発の大きな指針となった指標的事業と評価されている。

何を言いたいかといえば、日本の土木史上重要な地点である佐久間ダムと、悪名高い「険道」である大嵐佐久間線とは、決して切り離せない関係にあるということだ。

そしてそれは地理的な近接という意味だけではなく、ダム湖が偶然にも三県(左岸は静岡、右岸は愛知、上流部は長野である)に跨るような位置にあった事が県道の誕生に深く関係し、またその現状とも無関係ではないということを、しばらく後に解き明かしていきたいと思う。



もう少し詳しく県道288号の特徴を見ていこう。

最新の地形図では、県道288号の大部分(約14km)が「破線」、つまり「徒歩道」として描かれている。
しかし最初からこうして描かれていた訳ではなく、過去の「昭和47年版」などではちゃんと二重線の車道として描かれていた。
つまり、ここには典型的な廃道の予感が示されている訳である。

さらに言えば、この「予感」が「行政上の確定事項」でもある点が、県道288号が他の“険道”と一線を画する特異な点である。

具体的には、この県道288号の全長17,971m中の8193m区間は、静岡県によって「道路供用廃止の公示」を既に受けており、“正式な廃道”とされている点だ。





説明が分かりにくいと思うので、もう少し補足しよう。
ご存じの方も多いと思うが、廃道という状態(草がぼうぼうだったり、石がゴロゴロしていたり、普通に車が通れないような荒れた道)にある道は、

 “正式な廃道” と呼ぶべきもの = 道路法上の廃道
 “事実上の廃道”    〃       = 道路法上では現役の道路だが手入れのされていないものや、
そもそも道路法上の道路ではないもの(里道=赤線など)

という2種類に分けることが出来る。
どちらも珍しいものではなくそれぞれ膨大な数がある訳だが、ここでは「最も正統派な廃道」といえる「道路法上の廃道」の意味を簡単に説明したい。

道路法上の道路というのは、高速自動車国道、国道、都道府県、市町村道の種類がある。
そうでないものとしては、農道や林道や港湾道、鉱山道路、里道などがある。
このうち都道府県道の場合に絞って説明するが、まず都道府県道を新たに設けようとする場合、都道府県の長(主要地方道に属する場合は国交大臣)が路線の指定(認定)を行う。
次により詳しい図面を調製して「道路の区域決定」を行うことで、その場所は道路予定地として道路法上の効力が生じ、権原は道路管理者(この場合都道府県)に移る。
具体的に道路を造るのは建設会社だが、出来上がった道(既に道がある場合には工事は行われないこともある)を、「ここが道路ですよ。皆さん使ってください!」と公にする行為を「供用開始の公示」といい、都道府県道では都道府県がそれを行う。
この公示があって初めて、道路は道路法上の道路と見なされるのである(≒開通)。

例えばこの県道288号の場合、昭和40年8月にそれまで林道であった道を静岡県が県道に認定し、その後(おそらく速やかに)「供用開始」された経緯がある。
そうしてこの県道は全線が開通し、佐久間ダムを望む風光明媚な湖岸道路として、また対岸にある県道1号の災害時における迂回路などとして、一般に利用されていたのである。

だが、この県道のうち8193mについては既に「供用廃止の公示」が出されているのだ。
「供用廃止」というのは「供用開始」の全く逆の行政活動で、これを受けると指定された区間は未供用の状態に戻ってしまう。
つまり県道288号という路線は存在していても、未開通区間(建設されていない区間)と同様の扱いに戻ることになる。
そこはもはや、道路法上の道路ではないということだ。

残念ながら現時点までの調べでは、この供用廃止の時期(平成14年以前)や、その詳しい経緯については不明のままである。(ご存じの方がいれば教えてください)
なお、供用廃止自体は珍しいものではない。
新しいバイパスが出来て旧道が廃止されるなどである。
しかし、一旦は確かに車道として開通していた県道が、バイパスなどの迂回路を別に設けることなく廃止されるというのは珍しい。
特に県道全体が一挙に廃止されたのではなく一部区間のみの廃止というのが、このケースの特異さを示しているように思う。
少なくとも私は他例を知らない。

以上のことを少し煽り気味に書かせてもらえば、
この県道288号というのは…

  県がさじを投げるほど、復旧や維持管理の困難な道路だった

…ということだと思う。




なお、探索を盛り上げるためのダシとして使うべきではない“話題”なのだが、道路界の事件としてどうしても気になるので、皆様からの情報提供を期待する意味も込めて書いておきたい事がある。

先ほど、「驚くほど少ない。」とした“踏破達成者の現地レポート”であるが、複数の情報提供者さんがソースとして挙げたサイトがある。

それは、井下秀文氏公開の『いかもの趣味』内コンテンツ、【佐久間湖左岸廃道歩き(96.3)】 である。
平成8年に井上氏ほか3名が県道全線を踏破された際に記録された貴重なレポートであるが、その序盤に次の事が書かれている。
引用させていただく。

地元で聞いた話によれば、以前この静岡側の道を走っていたトラックが土砂崩れに遭ったのだが、掘り出すことができなかった。
その遺族が県を相手取って訴訟を起こしたため、それ以来県はこの道の管理をやめてしまったという。

このような事故が実際にあったのか、また県道廃止の経緯が訴訟問題によるものであったのかどうか。
残念ながら現時点では裏付けがとれていない。
流石にショッキング過ぎてにわかには信じがたいのが本音であるが、もし事実ならば道路史に残る悲劇というべきであろう。
また、少なくとも言えることとしては、このような話が地元に伝わっているくらい、平成8年当時も道は荒れていたということなのだろう。




今回私は、「廃止区間」約9kmを含む18km弱の県道288号全線を、性懲りもなく、自転車で走破することを企てた。
別に井下氏らが徒歩なので自転車で張り合った訳ではなく、18kmという距離を歩く気持ちになれなかっただけである。
それに、全部が全部荒れている訳ではないだろうから、自転車の方がラクであるに違いない…。

そんな、信念無き同伴に付き合わされた自転車の運命は……。





なお、私の煽りに期待感を膨らませていただいた廃道ファンの御仁には申し訳ないが、この佐久間湖左岸を巡る旅路において我が「山行が」としては、もう一つ重要な使命を帯びる必要があった。

それは、ダム湖に沈んだ延々13kmの鉄路、国鉄飯田線旧線についてである。

本邦における最大級の鉄道付け替え事例となった佐久間ダム。
続きは一旦「廃線レポート」に舞台を移す。
県道288号の本編開始までは、もうしばらくお待ちいただきたい。


参考資料: 「佐久間町誌 下巻」「佐久間ダム(長谷部成美著)」 ほか

ということで次は、