道路レポート 愛知県道505号渋川鳳来線 八昇峠旧道(巣山坂) 第2回

所在地 愛知県新城市
探索日 2018.3.25
公開日 2019.6.12

攀じる旧道、どうやら“近代車道”ではないっぽい?


2018/3/25 6:17 《現在地》

これが進むべき旧道か。

そう断定できる証拠はまだないが、ただのブル道ではなさそうだと思った。正統な「広さ」を感じた。

もっとも、実際はこれまでと同じ道幅なのだろう。ただ、目立つ轍がなくなったために、際立って感じられたのだろう。また、大きなカーブを描いた道の先まで緩やかに見通せる空間的な拡がりが、広さを感じさせたとも思う。

道はいま渡ったばかりの小渓流を、少しだけ高い位置でもう一度渡り返してから、これまでと逆方向へ登っていくようだ。
そしてそれは、最新地形図に徒歩道として描かれている道の線形と一致していた。



(←) 大岩。
旧道の分岐地点のすぐ上部の山肌には、乗用車よりも大きな巨岩が、通行人に睨みを利かせるような存在感で静かに収まっていた。
いわゆる、磐座(いわくら)を思わせる佇まいだったが、手向けられたものは見当たらなかった。

私はすぐさま思いを致す。
明るい時間にこの道を歩いた、盲目でない誰しもが、この大岩に気付き、いくらかの意識を向けたことだろう。心に余裕のある人もない人もいただろうが、古今東西、意識を向けられ続けた大岩だったと思う。
ダカラナンダト言われればナンデモナイが、私にとっての旧道探索の一番の醍醐味が、失われ行く古い車窓や、かつての旅人が目にした景色の追体験だということを思えば、こんな大岩の価値を無視できるはずもなかった。

だが、この大岩の最もエモいと思える“真の姿”は、旧道をここから10mほど進んだところで振り返ることで、見ることができた。
それが次の画像。


ふぉわーっ!

弘法様じゃ〜!

横から見る大岩は、袈裟を纏った坊主の姿にしか見えないものだった。よく見ると表情までありそう。

この姿を見た私は、ほんの30分前の巣山集落で起き抜けの頭に聞いた弘法大師伝説が、即座にリフレイン。
巣山へ通じる旧道の入口を見下ろすこれに相応しい名は、“弘法岩”に他ならないと思った次第。
まあ、このことへの賛同者が、古今東西の通行人にどれほどいるかは全く不明だが…。



路傍の大岩を私が何に見立てたかなどという話は、全く興味を持たれていない可能性大だから、次へ行こう。

すぐに現われるのは、こいつだ。
2本目の橋だ。
写真では、どこに橋があるんだと疑われそうだが、左下の端っこの辺りにある。
路面より上に欄干とか目立つものが何もないので、全く目立っていない。

チェンジ後の画像は、この橋を振り返り気味に上手から撮影したもの。
1本目の橋とほぼ同じ形状のものであることが分かると思う。
つまりこれも、コンクリート桁橋だ。
轍がある区間(写真左奥に見えている)と、廃道然とした区間の両方に、わずか50mほどの間隔を空けて、同形状の橋があるという現実は、両区間が同時に建設された同一の道であることを示唆している。

この橋のおかげで、これぞ探索すべき旧道であることを確信できた。



同橋より見る小渓流の上流には、苔生した砂防ダムが折り重なるようにいくつも連なっていた。
空積みの石垣を橋台としている橋よりは、後の時代のものだろう。

地形図でこの谷の行く末を確認すると、ここから極めて急峻な勾配を維持したまま、ほぼまっすぐ南東の方向へ駆け上がっており、現在地からちょうど200m高い源頭は、この旧道が巣山に入るために越えねばならない最高地点(峠)と一致することが分かった。

したがって、九十九折りで斜面を登ろうとしている旧道とは、これからもどこかで絡むことになるだろう。同じような橋が、また現われるのかも知れない。




2本の橋がある小渓流で進行方向を反転させた旧道は、依然として近代車道らしからぬ急勾配を維持したまま、杉林を登った。勾配も、周囲の風景も、林道や造林用作業道路のようだった。道路標識やガードレールといったような、現代の県道にありそうなアイテムも今のところ見られない。

山側法面は、道幅を確保するためにかなり高く切り取られており、素の岩場になっていた。険しさを感じたが、何気なく見上げてみると、その上には人工の法面ではない、もっと高く険しい岩場が屏風のように居並んでいた。

この険しい山を登頂し、巣山へ至る“最初の車道”となることが、この道に与えられた最大の使命であった可能性が高そうだ。そして、その使命はかなりの高難度であったことを予感させるような立ち上がりだった。



カーブ一つで、こんなに登った!

しつこいようだが、こんなに急傾斜の“近代車道”は珍しい。
いやむしろ、これは近代車道ではないと考えた方が自然だと、見方を改めた。

昭和26(1951)年の地形図に車道として描かれていたことを唯一の拠り所として探索をスタートさせたために、癖で、ここは明治や大正時代に、自動車ではなく、荷車や馬車での通行を考慮して建設された車道(近代車道)なのだろうと盲信したが、昭和初期に、最初から自動車交通を想定して建設された車道(現代車道)という可能性も、当然考慮されねばならなかった。
コンクリート橋の存在といい、これはいかにも自動車向けの道路である。
当初の予想を覆す道路風景が、続々と現われていた。


この写真は勾配のきつさが分かり易いだろう。

現代の高性能化した自動車ならまだしも、あらゆる部分が貧弱だった初期の自動車にとって、本当に厳しい坂道だったのではないか。
人や牛や馬が曳く力では不可能に近かった、急な坂道での荷を付けた登坂を可能としたのが、自動車の偉大な力であったが、まるでその力を試すような急坂っぷりである。

また、登りだけでなく、下りの走行も、こんな急勾配は大いに問題がある。
いうまでもなく、初期の自動車はブレーキ性能も恐ろしく低く、もともと効きが弱いうえに、かけ過ぎると効かなくなるようなことが普通に起きていた。
ガードレールも何もないこんな坂道を昔の自動車で下るのは、想像だけでも怖い。

……といった感じでぐいぐい登り、そして……、 尾根の上へ。



6:25 《現在地》

この尾根は、もちろんまだ峠ではない。
巣山の高地から真立川の谷底へと並んで走る、いくつもある枝尾根の一つだ。
道はこの尾根を回り込み、さらに登坂を続ける。

地図を見ると、ここから尾根伝いにまっすぐ下った約50m低いところが、【旧道入口】だった。
逆に言えば、入口からここまでの約500mの行程で、これだけの高さを上ったということになる。
単純計算で平均勾配10%
この数字は、私の実感した急坂をよく物語っている。

なお、いつの間にか路傍から姿を消していた電柱が、ここで再び現われた。尾根を登ることでショートカットしてきたらしい。
金属製の電柱に取り付けられたプレートを見ると、「NTT 一色幹 129」と書いてあった。つまりこれは電信線で、「一色」とは巣山の東にある同じ新城市内の大字「七郷一色」のことだろうから、旧道と仲良く山を登って巣山まで同道するつもりなのか。しかも、幹線扱い?

現役っぽい電線が同道するのは、旧道探索の先を占うにあたって、いくらかの励みにはなるはずだ。




いくらの励みにもなってねーぞ、電信柱。
……と、全く罪が無いのに悪態をつかれた、可哀想な電信柱たちである。
だって、尾根を曲がったら予想以上に路面状況が悪化したもんで、つい。

しかし、驚かされたのは路面の悪化だけでなく、これまで以上の道幅の広さもだった。
いま見えている範囲の道には、大袈裟でなく、2車線化できるくらいの幅があった。
にもかかわらず、未舗装で、しかも急坂でという、あまり経験したことのない取り合わせに興奮した。




見よ、この道幅を!

そして、そんな道幅を生み出すために削り出された、周囲の岩場の荒々しさを!

感じて欲しい。この道路風景の全体に漂う、隠されがたい違和感。
いろいろな廃道や旧道を経験してきたが、なんとも言えない新鮮な気分で、この道路を眺めていた。

いかにも自動車道だと思えるだけの道幅や急勾配があるのに、現代の道路にはほとんど例外なく存在するアイテムである、ガードレールや道路標識やコンクリートの法面や擁壁、あるいは路面に刻まれた轍……、そういう現代的なものがすっかり落ちていた。
唯一の例外が、路傍に連なる鋼鉄製の電信柱だったが、これは逆に新しすぎて場違いに見えてしまっていた。

廃道としてはそれほど荒れているわけでもなく、オフロード車なら無理矢理走れてしまいそう(別に通行止めも明示されていないしゲートもない)なのに、地形図ではすっかり徒歩道で、わざわざ通ろうとする人もいない旧道。
うん、面白い。

妙に幅が広いこの急坂は、道が尾根から次の谷筋へ達するまで、おおよそ150mにわたって、ほぼ直線的に続いた。



6:33 《現在地》

3本目の橋だ!

さっきの橋とは違う谷に架かる、しかしコピペしてきたように同じ形の橋だ。

架かっている橋を見つけりゃ、オブローダーは喜ぶ。それがこんな小さな橋でも。

やったぜ!




ふぁーーー!(嬉)


こんな小さな橋で、さすがに喜びすぎだって?


違うんだって、 よく見てみろって。


奥を、奥を!




奥にももう1本架かってるー!

格好いいぜぇ!!




古道は雷(いかずち)のように天を衝く


2018/3/25 6:35 《現在地》

心に響く、良線形。

そんな評価を、私はこの場面に与えたい。

一挙に現われた2本の橋は、無名の小渓流と九十九折りを描く旧道の合作だった。
愛おしい道が目の前に可愛らしい橋を架け、視界から消えたと思ったら、すぐにまた戻ってきて、もう一度橋を披露してくれた。こんなサービス、嬉しくないはずがない。
堪らなく愛おしい。

旧道に入って通算3本目の橋も、これまでの2本と同じ造りのコンクリート桁橋。
上部構造はただの平板で、親柱も欄干もない。
転落防止なんてことを、道路側に期待するのは甘っちょろいと言わんばかり。自分で自分の身くらいは守れと、古い道路は大抵そう言う。



周囲の杉の植林地は鬱蒼とよく茂り、太く立派に育っているが、放任主義に近い育て方なのか、この道が活用されている様子は乏しかった。

森のせいで林床まで日光がほとんど入らないおかげで、道が藪に覆われてしまうことを回避できている。路面から轍はすっかり消えていたが、大きく育たないシダやスギの幼樹が、所々にうっすらと生えているだけだった。まさに古道然とした安定感だ。経験上、こうなると道は強く、百年でも原型を維持すると思う。

前後を橋に挟まれた、通算3度目の切り返しのカーブへ到着。
やはり、とても広かった。
この広さは、現道の【ヘアピンカーブ】にも引けを取らなそう。
明らかに、自動車道の特徴を有している。




しかも、これほどの広さならば、路線バスや運材トラックのような大型車の走行も想定できよう。

こんな急坂で、未舗装の山道を、古い映画に出てくるようなガタついたボンネットバスやボンネットトラックが、けたたましいエンジン音を轟かせながら、黒煙とともに爆走する光景を想像すると、私には滾(たぎ)るものがあった。

想像力をたくましくしながら、カーブを巡って3段目へ。
標高はこの辺りで250mに乗り、そろそろ細川(160m)と峠(380m)の中間に達しようかというところ。
また、入口からここまでの距離はおおよそ800mであった。



間髪を入れずに、先ほど見上げた4本目の橋が現われた。

これまでと同型の橋。
微妙に高さは一番ありそうだったが、それでも小橋に違いはない。
谷川沿いの道ではないから、こんなに橋がぞろぞろ現われることは想定外だった。
あっても木橋で、落橋もしているだろうと思っていたし、いわゆる永久橋がこんなにあろうとは。




先ほどとは逆アングルに、3本目の橋を見下ろした。
カーブ1つに橋2つ、コンパクトにまとまった道路風景には、見る者を楽しませる箱庭感があった。

なお、個人的に気になるのは、これらの橋に名前があったかどうかだ。
たしか、旧道路法の時代から道路管理者には道路台帳を調製する義務があったはずで、旧法時代の道路台帳の実物を見たことはないが、現行法の道路台帳と同じようなものであったとしたら、橋を区別するために名付けが行われていたはずだ。
多分、この感じだと、味も素っ気もない1号橋、2号橋……という気はするが、それでも名前があったならば知りたいと思った。



6:43 《現在地》

4本目の橋を渡って少し行くと、再び尾根を回り込む。
15分くらい前に一度乗り越した尾根の上部である。今度はさっきとは逆に西から東へ横断する。
そして、1本目の橋の手前から延々と続いていた急坂が、この辺りで初めて緩みを見せた。

ここで、右側の斜面上方に気になるものを見つけた。


(→)それは、電光形に尾根をよじ登っていく、古道らしき道の影。
よく見ると、付属して小さな石垣もあった。

しかし凄まじい登り方をしている。急傾斜の尾根にがっちり食らいついて、なんとしてもこの峠を登り詰めるという強い意思を感じた。
いうまでもなく険しい道だ。しかし、石垣の存在が、少なからず風格を与えていた。
なお、この尾根の直上に目指す峠がある。近道という意味では、これを行けば近いはずだ。


こいつは、いま探索している旧道よりもさらに古い世代の道であろう。
いわゆる、古道と呼ばれるような時代の道(近世以前の道)である可能性が高そうだ。
尾根を伝って最短距離で峠を目指すのは、古道の常套手段である。
この探索で初めて見出した、車道となる前の道の姿だった。

(←)新旧地形図を見較べると、興味深いことが分かった。
探索のきっかけとなった昭和26(1951)年の旧地形図は、このままトラバースする車道だけを太く描いているが、最新の状況を描いているべき地理院地図は、なぜかこの辺りから尾根伝いの古道をなぞるような表現になっていた。
なぜこのような表記になったのか不思議だが、現地を見る限り、この法面をよじ登って行くというのは、まっすぐ行くよりも遙かに大変そうだった。



古道との交錯を一瞥した後、そのまま旧道を直進した。
この辺りから先は、地理院地図には描かれなくなった区間ということになるが、路面状況はこれまでと変わった感じはしない。
相変わらず、かつては自動車を通していただろう車道風景が続いている。

しかし、これまでは感じられなかった高度感が見て取れるようになってきた。
谷底から山の頂へと至る峠道が、その中盤に差し掛かったことを窺わせる変化だ。
鬱蒼とした杉林のせいで眺望はほとんど利かないが、もし伐採されれば、壮大な断層谷を一望できることだろう。
道は急斜面を長くトラバースしながら、徐々に高度を上げていく。




?!

初めての道路標識か!

なんか、バリケードがあるようだぞ。

いまさらか?!




どうやらバリケードが設置されているのは、このすぐ先の谷をわたる5本目の橋のようだ。

しかし、ついに橋が落ちてしまっているのだろうか?!
辺りは今までで一番険しさを感じる地形になっている。
この谷とは、“弘法岩”があった小渓流に他ならない。
50m以上は高い位置で再び渡ろうとしている。
また、ここでプラスチック製の用地杭を見つけた。
唐突に現われたバリケードの存在といい、いまも道路として管理されている?




う… わぁ…

架かってるぅー

一応は架かってるようだけどぉ……


……ボロッボロの破橋だぁ……。