道路レポート 東京都道236号青ヶ島循環線 青宝トンネル旧道 第1回

所在地 東京都青ヶ島村
探索日 2016.03.04
公開日 2017.10.16

三宝港 〜島での走り初めと、都道との出会い〜


2016/3/4 13:00 《現在地》

船を下りた者達の多くは、島の人が操縦する軽自動車にそれぞれ迎えられ、荷物と一緒に乗り込むと次々と港を離れていった。
その後も埠頭に残ったのは、船と船乗り、その船にフォークリフトで慌ただしく荷役を行う人々、そして、輪行袋から自転車を取り出して組み立てようとする“二人”であった。

写真を撮ることができる道とは違い、あまりはっきりとした記憶がないが、確かここで並んで自転車を組みながら言葉を交わしたのが、猛悪!たんぽぽ団氏(ツイッター:@siitake77712との最初だった。互いの上陸目的などの込み入った話はしていない。本当にただこの島での境遇が妙に近い二人が、上陸を祝福し合っただけだった。しかし、彼が気持ちの良い人物であることを理解するには十分な時間であった。

上陸から8分後、私は4時間ぶりに愛車に跨がった。「お先に失礼します」と声をかけて、青ヶ島での記念すべき初漕ぎを果たした。
ちなみにここは九州の長崎辺りに匹敵する低緯度で、これほど南へ足を運んだのも初めてのことだ。3月の頭とはいえさすがに温和で、頬を撫でる程度の海風が涼やかで心地よい。廃道探索向きといえるほどの冬枯れがないことは既に八丈島で理解していたが、単純に自転車日和だと思う。



あおがしま丸が停泊している埠頭を振り返る。
伊豆諸島の他の島々にある埠頭は大型客船が接岸できるが、この港だけはそれができそうにもない短い埠頭である。
とはいえ、さっき海上から見た峻嶮な島の姿を思えば、これだけの平らな場所さえ、他にあるのか疑わしく思えてくる。少なくとも、海岸には他にこの広さの場所はなさそうだった。

そんなささやかな埠頭の広さをあざ笑うかのように広い海。
船の向こうに広がる南海には、真に全くいかなる島影も認められなかった。実際の伊豆諸島はまだ南にも連なっているが、そこに有人島はない。本土から連なる本諸島の島の頻度と大きさは、フィボナッチ数列的に暫減していて、南へ行くほど海が広い。次の有人島は小笠原諸島(父島)だが、さらに600km以上も離れていて果てしない。

聞くところによると、八丈島からはごく稀に本土(の富士山)が見えるのだという。しかし、青ヶ島からは見えたという話を聞かない。
だからこの辺りに本土との隔絶を示す一つの閾があると思うが、それでも青ヶ島と八丈島のつながりは密だから、辛うじて青ヶ島も本土とのつながりで考えられる気がする。
しかし、そうしたつながりらしいモノが感じられない小笠原諸島は、真に孤島だと思う。…余談であった。



自転車という“足”と一緒に解き放たれたこの時点で、島での残り滞在時間は24時間30分となったが、実際は乗船手続きのことなどを考えれば、自由に過ごせるのはちょうど24時間といったところだろう。

予め指折り数えていた島での“行きたい場所”は、沢山あった。
それだけに、24時間で全て巡れるかどうかは、これからの頑張り次第となる。
しかし、滞在中確実に二度訪れることができそうなのは、この港だけだ。多くの場所は二度は行く時間のない可能性が高い。
(24時間といっても、夜間は動き回る意味が薄いので、寝て過ごすことになるだろう)

今日これからのプランだが、17時(今から4時間後)までに必ず行かなければならないのが、村役場である。
なぜなら、今夜は島に一箇所だけあるキャンプ場で幕営するが、その手続きが必要なのだ(入島前に予約したうえで、当日の手続きも必要)。
24時間でできるだけ島全体を見て回りたいワケだから、当然役場辺りにも行くつもりだったが、今日これから4時間以内で行かねばならないとなると、自ずと探索の順序にも制約が生じてくる。
しかも、先ほど船上から見た通り、島を循環する都道の一部(上手(わて)周り)が崩壊していて通れないときたもんだ。

必然的に、この三宝港から役場がある村落(休戸郷)へのルートは1本に絞られることになった。
すなわち、“三宝港→青宝トンネル→池之沢→流し坂→村落(役場)”という、都道を反時計回りに進むコースである。
その距離は、寄り道なしで、約5km。

決して大きな島ではないとはいえ、集落と港がこんなに離れている島も珍しいだろう。それが不便でないはずはないのだが、甘んじるしかない地形なのだと理解する。
そしてこのあと、問題は距離だけじゃないことも痛感したわけだが。

私は、前記ルートで役場へ向かうことを大目的としつつ、途中で通りがかる青宝トンネルと流し坂の2箇所で旧道探索をするつもりで出発した。
前者については、地図にははっきり見えているのに、先ほど海上からは全く存在が伺えなかった点で、大いに不安な立ち上がりではあったが……。



なんだかすごいぞ、三宝港!

埠頭内から島の道へ漕ぎだそうとした私だが、立体的な三宝港の姿に早速足を止められる。
二つある埠頭(これらは新旧の関係であるようだ)がコの字型に海面を抱きかかえる港の背後には、
乗船手続きなどを行う待合所の白い建物が見えており、さらにその背後は島の外壁ともいえる海食崖が切り立っていた。
当然、ここから島内へ向かうには、外壁を最初に攻略しなければならないわけだが、それが平坦な道であるはずもなく。

そして何よりも印象的だったのは、海上からは単なる送電用の鉄塔と思っていたものが、
実は架空索道施設だったと知ったことだった。
索道って、港でも使うモノだったんだな……。林業や鉱山ではお馴染みだったけど、港で見るのは初めてだ。
しかも、林業で一時的に使うような簡単な施設ではないがっちりした永久施設で、現役っぽい。
そしてこの後、これが何を運ぶための索道かを知って、さらに驚くことに……。



気を取り直して、いよいよ登坂開始!
まずは目と鼻の先にある待合所を目指すが、埠頭からそこまでだけで10m以上登る。
さっそく背負った荷物が重苦しくて、息を吐いた。

海抜0mに限りなく近い港に対し、目的地である村役場は、海抜300m辺りである。ゆえに行程の大半は、上り坂ということになろう。
しかも、激しい急坂が島のあちこちにあるだろうことは、海上からの望見で理解していた。

これからゆく道など、途中でする寄り道的な旧道探索を除けば、島の住人にとって日常の道であるはずだが、しかし、自転車の普及を妨げるような内容である可能性は高い。
現にこの港へいま自転車を持ち込んでいるのは、私ともう一人の男という外部からの旅行者だけで、島民のものらしい自転車は全く見られなかった。品川ナンバーの軽トラばかりだ。



13:02

待合所の前まで来たが、ここで道は複雑な分岐をしていた。

結論から言うと、直進する道が旧道で、右折するのは新道だった。
新道は崖際の狭い陸地から離れて、港の上を立体交差する橋で先へ進み、両者はすぐ先で合流している。
また、直進するとすぐにまた右に下る道が分かれていて、それを選ぶともう一つの埠頭(昔からある埠頭)に下りることができるようだった。
これらの3本の道に取り囲まれる位置に待合所は建っていた。




上記の説明では分かりづらいだろうから、ここにある道を地理院地図上に描いてみた。(→)

しばしば「要塞のようだ」と評される三宝港だが、地理院地図は、最新版でもその実態をほとんど描けていない。
大幅に道を省略してしまっているし、実際は砂浜ではなくコンクリートの護岸に覆われている海岸線も正しく表現されていない。
本土では道路が開通した当日には既に書き換えられたりもする地理院地図だが、青ヶ島の表現は何年も前から硬直しているようである。
お馴染みのGoogleマップも、青ヶ島の描画は全く詳細でないうえ、一緒に見れる航空写真も港の辺りに大きな雲がかかっていて、地上がほとんど見えない有様だった。



今は用事のない待合所は素通りしたが、その建物の裏に案内板が立っていた。
「おじゃりやれ! 358km南の東京 青ヶ島」などと書かれた、見るからに旅行者向けの案内板だ。
おじゃりやったぜ!!

なお、案内板なので当然地図が表示されていたのだが、私がこれから行こうとしている青宝トンネルの旧道は、やはり、描かれていない。
一部が描かれていないとかではなく、全くの無表記であった。

大丈夫か。
あるものが描かれていないのではなく、本当にないのかも……。
この島に対する国土地理院の酷薄が昔からのものだとしたら、実在する道を描かないように、実在しない道を描いていた心配さえ出てくる…。




私は旧道へ直進した。
するとすぐに前述した「旧埠頭への下り坂」が右に分かれたが、これも無視して直進した。
この三宝港は島で最大の土木構造物の塊であるから、ぜひ隅々まで観察したいが、それは今やる必要はないと判断した。
明日、島を発つ前にも必ずここへ来るのだから、そのときならぎりぎりまで見て回れるだろう。

旧道は、絶句するほどではないものの、十分に急坂であると表現すべき坂道を登っていく。道幅も狭い。
そして奇妙なことに、一艘の漁船がまるで軽トラが路駐をするかのような気軽さで、道路脇に(ほんの少し路上にはみ出しながら)停車…いや、停泊? ……していたのである。

確かにここは海のそばだが、海面からは15mは高い。
さらに、船の幅が道幅と同じくらいある。
そのため、どうやって連れてきたのか、そして“停めた”のか、普通なら大いに不思議がって良い状況だ。

が、 謎の答えは“頭上”にあった。



巨大な架空索道の支柱が……!

さらに、

旧道の路肩の下へと目を転じれば――




沢山の漁船たちがたむろする、船溜まりが!

普通の船溜まりは、ぷかぷかと船が水面に浮いているか、あるいは水際の緩やかなスロープの上にある。
それがこの三宝港の船溜まりは、海上でもなければ海面に面してもおらず、船を外へ運び出す通路自体が存在しない。それどころか、海側には先ほど分岐した新道の橋があり、山側にはこの旧道があるというふうに、障害物に囲まれている。

この状況を見て、私もやっと理解した。
一際大きな存在感を放っていた巨大な架空索道装置が、いかなる用途に用いられていたのか。



少し前に海上で撮影した写真に戻るが(搬器がはっきり写っているのに、撮影時点では鉄塔と疑わなかったのだから、固定観念はおそろしい)、要するにこの索道の目的は、陸上にある船溜まりにある船を埠頭の海面に下ろしたり、その逆のことをしていたのだ。

漁船という中型トラックくらいの大きさのある車両(船舶)が、道路を跨いで、空中を運ばれていた。
それも船が出入港する度、全く日常的にそれが行われていたというのだから、驚くよりない。

残念ながら私はその実際に運ばれているシーンを目にすることはなかったが、youtubeによい記録動画があったので、リンクを張っておく。→【索道の実働動画】




なお、わざわざこんな面倒なことを行っている理由は、想像に難くない。

外洋に面していて、波除けがたった1本の防波堤(兼 我々が下船した埠頭)しかない本港は、ひとたび時化ると、港内も猛烈な高波に覆われるからだろう。
その予想には自信があったが、翌日島を離れる前に待合所で見た右の写真「青ヶ島(三宝)港時化状況」が、確信をもたらした。

写真に写っている橋は新道の橋で、その手前に船が見えるが、そこが船溜まりだ。
橋の下は港内だが、猛烈な白濤に包まれていて、陸も海もなくなっている。高さ10mはあるだろう大三宝(岩)の上まで波が来ているのは、凄絶と言うよりない。
…おそろしすぎる。



出発から、青空を背景に急坂を登ること約200mで、海の上からもしきりに見えていたトンネルが、道の先に近づいてきた。

青宝トンネルだ。

そしてそこは、青ヶ島唯一の都道との出会いの地点でもある。



13:04 《現在地》

こんにちわ、初めまして!

長らく憧れていました。やっと会えました。

一般都道236号青ヶ島循環線。
ここがその「起点」であり「終点」だ!

なお、路線の指定は循環だが、明らかに周回することを前提とした交差点の線形ではなかった。
右の道からトンネルに入ろうとするのは線形的に無理があり、トンネルから車が飛び出してくることを考えると危険でさえある。
あくまでも、三宝港から来たときに、池之沢経由と上手(わて)経由のどちらで村落へ行くかを選べるという形の分岐になっている。



青宝トンネルが描かれる前の地図では、当然ここに分岐地点はなく、もっと登った先で池之沢経由と上手経由の道が分かれて描かれている。
そのうちの池之沢経由の峠越え区間が、「青宝トンネルの旧道」として、今回の探索の対象になっているわけだが、【全く一筋縄ではいかなさそうなので】、ここは背撃作戦で行こうと思う。

つまり、地形的により険しそうなこちら側からではなく、やや穏やかそうな池之沢側から旧道へと入り、ここへ下りてくることを狙う作戦だ。
まあ、実際上あまり意味があるかと言われれば微妙な、あくまでも気分の問題のような作戦だが、……島に入って30分足らずでいきなり挫折を味わうのが、嫌だった。

というわけで、【海上から見たとんでもない急坂道】も、今は保留だ。
先に青宝トンネルを体験しよう。




さらにその前に、
ちょっとだけ戻りになるが、先ほど待合所のところで分かれた“新道”も確認しておこう。

旧道が山際を通っているのに対し、大胆に橋と築堤で空中をバイパスしているのが、この新道だ。海上から見たときの“要塞感”にも一役を買っている存在だ。迂回して距離が少し長い分、勾配もいくらか緩和されている。
新道の中核的存在であるカーブした橋は、青翔橋と名付けられていた。
青翔橋から青宝トンネルという具合で、青ヶ島の人は「青」をことさら好むようである。

橋の竣功は、平成18(2006)年とかなり新しい。
あおがしま丸が着岸している新埠頭などと同時期に、大規模な港湾整備の一環として建設された、青ヶ島の期待のニューフェイスなのだろう。
(後日調べたところによると、旧道は崖崩れがあるかもしれないから、海側に新道を付けたらしい。石部海上橋と同じ理屈だが、実際に周辺がしばしば崩れているだけに、危機感も相当なのだろう)



橋の上にまるで六地蔵のように並べられた、沢山の「工事看板」たち。
内容を見ると、いずれも都道の「道路災害防除工事」に関するものだった。
上手経由の都道の工事であろう。
「この工事は道路上の法面を補強する工事で」とか「この工事は落石防護柵を設置する工事で」などと、書いてある。

約170人が住むこの島の土木工事の多くは、狭い島の中に新しい道を作ることではなく、既にある道を直し、補強し、後世に残すために行われているように見えた。

そして、私がわざわざ踏み込み、暴こうとしているのは、そんな真摯な護り手から零れた道なのだろう。
部外者がそれをするのは、島の必死さに砂をかけるような行為かも知れない。
そんな想像が生じ、普段より強い背徳の気分が去来した。 …もちろん、できるだけはやるけど…。怪我など絶対にできないな。



青翔橋から眼下に見下ろす旧埠頭の様子。右奥に新埠頭に停泊するあおがしま丸が見える。

要塞感満載だ。あるいは、秘密基地だ。海賊島っぽくもある。現代の鬼ヶ島。

このあと、この風景との再会までまでに要する時間は、この後行う旧道探索の成果次第だが、
いずれにしても、トンネルを潜ってカルデラ内に入れば、一度は見えなくなる海である。
心の中で別れの挨拶を済ませてから、いざ今度こそ



青宝トンネル、参る!

もしや、トンネル内も……これは……相当に……


(島への残り滞在時間 24:25)