道路レポート 東京都道236号青ヶ島循環線 青宝トンネル旧道 第2回

所在地 東京都青ヶ島村
探索日 2016.03.04
公開日 2017.10.25

火道の如き青宝トンネルを抜けて、カルデラ内へ


2016/3/4 13:05 《現在地》

青ヶ島の都道は、このトンネルに始まる。
そのことを裏付けるように、島に上陸して初めて目にする道路標識「道路の通称名」が、道の素性を声高に主張していた。
青ヶ島唯一の都道である一般都道236号青ヶ島循環線に対し、東京都の定めた通称が、ここに案内されている「青ヶ島本道 Aogashima-hondo Ave」だ。

伊豆諸島に10ある有人島は全て1本以上の都道を持っているが、それぞれ中心的な都道に「島名+本道」か「島名+一周道路」のいずれかの通称が定められている。大島、利島、三宅島、八丈島以外の6島が、前者である。私が初めて離島体験を新島と神津島が「本道」だったせいか、私の中で「本道」というネーミングは“離島都道”の象徴のような印象になっている。

また、「358km南の東京」と案内板が語る通り、ここは確かに東京都内なんだということを、標識の支柱に取り付けられた見慣れたイチョウマークの管理用シールから感じとった。
…こんなことから東京を感じられるのは、道路趣味者の特権かも知れない……(笑)。



さて、さっさと潜って先へ進めという声が聞こえてきそうだが、ここを勿体ぶらなくて何を勿体ぶるか!
トンネル探索の流儀に従い、見るべきところを見ていこう。
まずはトンネルの顔である坑門と、そこに掲げられた扁額だ。

坑門 is 無骨!

漁師の日焼けした横顔を思わせる、働き者らしい飾り気の薄い突出型の坑口だ。
この短い突出部は、坑口上部が断崖絶壁であることに対する最低限の守りかと思うが、本当に最低限の域を出ていないと思う。
しかも、坑門工の断面には一目見て明らかな亀裂が走っているようだが…、 だ、大丈夫なのか?

また、最低限といえば、断面のサイズもそうであろう。
人口たった170人の日本最小の村とはいえ、青ヶ島の生命線といっても過大ではない港と集落を結ぶメインルート(しかもここ数年は“唯一”のルートになっている)にあって、あからさまに1車線分の狭小断面である。(これには行政による道路の無駄を叩きたい人々も、溜飲を下げざるを得まい。笑)

そして、そんな無骨な坑門のてっぺんに掲げられた、相応しい大きさの控えめな扁額には、「青宝トンネル」の文字。このネーミングにはやはり、青ヶ島の秘蔵する“宝”の門戸といったような思いが込められていようか。島の内外を隔てる外輪山を穿つトンネルには相応しい気がする。そして、単純にかっこいい!



こいつも忘れてはいけない。トンネルの“名刺”代わりとなる銘板!

青宝トンネル
1985年 3月
東京都建造
延長505.0m 巾4.0m 高3.5m
施工 五洋・菊池建設共同企業体

昭和60(1985)年竣功! 意外に新しかった!

昭和51年の地形図には描かれていなかったので、それ以降だろうとは思っていたが、外見から受ける印象よりも新しかった。
都道府県道に1車線(巾4m)のトンネルが新たに建設されたケースとしては、かなりの後発なのではなかろうか。
それに、狭いくせに長さは500mもある。3km四方の小さな島のトンネルとしては、かなりの存在感である。
この長さで外輪山を一気に貫いてみせるらしい。

しかしそれにしても、今回私が挑もうとしている“旧道”は、昭和60年まで現役だったということなのだろうか?
それにしては、【外見】が風化しすぎているような気がするのだが……(不審)。

普段あまり注目するところではないが、銘板の一番下にある施工者の項目にある「五洋建設」という社名がなんとなく印象に残った。
それで帰宅後に検索してみたところ、五洋建設→ウィキペディア)は、埋め立てや海底トンネルのような海洋土木分野における最大手であるらしい。
青ヶ島という本土から遠く離れた孤島という特殊環境下でのトンネル工事に、海洋土木の豊富な経験が投入されたのであろうか。




グネェ〜!! っとしてる!

地理院地図にはまっすぐなトンネルとして描かれていたが、実際はそうではなかった。
三宝港側の坑口から内部を覗くと、いきなり相当の曲率をもって、左方向へカーブしていることが見て取れた。

狭いくせに、トンネル内はいきなりのブラインドカーブかよぉ……。

しかも、トンネル内の“異変”がそれだけじゃないことは、もはや明々白々……、

このトンネルは――




激坂だ〜!!

そのうえ、素掘にコンクリート吹き付けという、懐かしさを感じる覆工!(←昭和60年竣功だぞ…)

ナトリウムライトが赤く発光するどぎつい単色の世界に繰り広げられる、10%はあろうかというトンネル内急坂のインパクトは、絶大だ!
事実、地図読みでは南口の海抜が30mで、500mのトンネルを抜け出た北口の海抜が90mだから、比高60mに対する計算上の勾配は約12%にも達している! (この数字は、勾配トンネルとして有名な旧釜トンネル(最大勾配15%)には及ばないが、新釜トンネルの設計値である10.9%よりきつい)

……そんな急坂の向こうに、小さな日光が見えた。

言うまでもなく、あれが出口であるが、自転車にとってはこれがなかなか遠い…、うん……はい、
期待外れでは終わらない、大変な漕ぎ出しになった。
でも、これでこそ噂に名高い青ヶ島の道だという嬉しい気持ちが、後から後から湧き上がってきた!


カーブしていたのは南口から入った最初だけで、あとは全て地形図通りのまっすぐなトンネルだった。
だが、そのカーブがとても急なので、曲がりきると振り返っても入口は見えないブラインドになっている。

そんな入口が見えなくなる直前に撮影したのが、この写真――

突っ込みそうな海面の存在感よ!

トンネル越しに海が見える“名物”トンネルとしては、神奈川県逗子市の国道134号にある飯島トンネルが古くから有名だが、あちらは年間数百万人が訪れる湘南の海を臨むのに、こっちは毎年1000人も見なさそうな海である。でも、その深さと青さは段違い。
島の外壁へ飛び出していくトンネルとして、これほど相応しい眺めもあるまい!
しかも、何か錯視的な事情でこのような眺めが得られるというわけではなく、実際に急坂のまま海面すれすれにある港まで駆け下る道だからこそ、この眺めなのである。
これは青ヶ島が全国に誇って欲しい、道路とトンネルの“名風景”だと思った。



これで本当に、今度こそ、海とお別れだ。

このキツいトンネルの突破に専念しよう!



これは少し大袈裟に聞こえるかも知れないが、いろいろな要素が相まって、このトンネルの内部から池之沢側の出口を遠望する印象はまさに、見上げるようだ!

ここでいう「いろいろな要素」の中には、まず断面の小さいことが上げられよう。
断面が小さいから勾配が強調されて見えることもあるし、加えて精神的な要素もあると思う。
窮屈さを感じるがゆえに、外を希求する気持ちが、その障害となる勾配を、より強く意識させるのではなかろうか。
ましてや、私のような自力で進むより能のない自転車乗りが、重い荷を背負って3日目の疲れ始めた足で登るのだから、その障害の感じ方は一通りではなかった。
楽しいけれどキツい! …というのが、最もあたっている表現になると思う。

……キツイんですわ!
しかも、長いトンネル内のくせに、なんか妙に蒸し暑い気がするし。
これはやはり、気象庁が定める「火山活動度ランクCの活火山」で「常時観測火山」でもある火山島の外輪山を貫いているだけに、地熱とかがあったりするのだろうか? 大胆なトンネル工事だったと思う。



おい!路側帯の白線! お前それでいいのかよ! さすがにグネグネしすぎじゃねーか?!

しかもそのグネグネは、内壁のゴツゴツとしたカーブを、なぜか律儀になぞって見せている。
な、なぜ、そんなめんどくさいことを……!(苦笑)

路側帯の外側は歩道の扱いだと思う(そうでなければこの白線は「車道外側線」で、歩道のない道ということになる)が、歩行者が律儀に白線の外側を歩いているとは思えないほどに、そこには砂埃が溜まっていた。
というか、さっきから私はこの島への認識を改めたくなるほど、何台もの軽トラによって追い越されているので、そこに白線があること自体はありがたいけれど、でも車道の幅を一定にするようにまっすぐ敷けば済んだだろうに、妙なところで律儀なのである。
しかも、この施工法は最後まで続いた(笑)。



待避所キター!

全体の3分の1、おおよそ南口から150mほど進んだと思える辺りで、天井に、「←待避所」と書かれた蛍光表示板が現れた。

「え?! どこどこ? 待避所どこ?」

という反応は、ちょっと意地悪だろうか。
でも、私が今まで目にしてきたいくつかのトンネル内待避所に較べると、これはかなり“ささやかなもの”と言わざるを得ない。
普段は巾4mのところ、5.5mくらいの部分が10m続くかどうかといった程度なのである。
これでも普通車は問題なくすれ違いができるだろうし、この島を走る車のサイズ的に問題はないということなのか。
そもそも、素掘のトンネルでも、待避所部分だけはしっかり覆工されているというパターンが多いなか、この待避所はもっとささやかだ。




13:09(入洞4分後) 《現在地》

さらに100mほど進むと、2回目の待避所が現れた。おそらくトンネル全体の中間(250m付近)だろう。
そしてなぜか前回の待避所よりも少しだけ長い区間が拡幅されていた。
また、前回の待避所では気付かなかったが、手前の路面に「待避所」という文字がペイントされていた。
文字はかなり掠れていて、島の道路が置かれた過酷な環境を思わせるものがあった。



ウィーィィィンんん…

さらに100mほど進んだ辺りで、どうやら最後らしい3度目の待避所があった。
1箇所目同様のささやかな“小拡幅”であるが、壁面に突っ込めとばかりに路面の矢印ペイントがある。

そしてこれが何台目だろう。トンネルに入って5、6分の間に、もう何度も軽トラに追い越されている。
どの車も急坂を威嚇するように甲高いエンジン音をがなり立てながら、かなりのスピードで私を追い立てた。
それを見ていて思い至ったことがある。このトンネルの交通の方向には相当に規則性がありそうだということ。
ようするに、船が到着する前には村落から港へ向かう車が多く、到着後はそれが逆になる。
そういう島の道路ならではの規則性があるからこそ、比較的に新しいトンネルでありながら、敢えて
2車線で建設することを要さなかったのでなかろうか…、というようなことを考えたのだが真相は不明。


妙な暑さと、赤い単色のネオン、そして、小さな空へ向かって続く上り坂。

私の連想は遂に、このトンネルをして、火口へ通じるマグマの通り道〜 火道 〜の姿を重ね合わせるに至った。

その心は……、ふ、噴出…、 早く、噴出されたい…!



13:13 《現在地》

ドカーン! …という噴火のような勢いなどあろうはずもなく、私はトロッとあふれ出たゴム糊(自転車のパンク修理に使うやつだ)程度の勢いで、ハフハフと呼吸だけは熱くさせながら、入洞直後から見えていた日光の口へやっと辿り着いた。
青宝トンネル全長500mの通過には、8分を要した。

これにより地図上では60mも高度を上げたのにもかかわらず、なんだかここは“底”だった。

この出口も入口と同じような見通しの利かない左カーブだ。
違いがあるのは、カーブがトンネルの中か外かということだが、トンネル外といっても、ここには全くといって良いほど見通しがなかった。
原因は、深い掘り割りの中に出てきたからである。
そして、道はカーブしながら、トンネル内の勾配を引き継ぐように、なおも上り続けていた。

私は即座に感じた。
確かにここは、カルデラ底であるらしいと。
海の気配がまるで感じられないし、もともと今日は少なかった風が、ここには全くなかった。
それと、緑が濃い。



振り返ると、火口を思わせる色を纏った“下り穴”が。
こうして見ても、洞内の激しい勾配はよく分かる。
青い海に飛び出していくトンネルだが、向こうの坑口手前で曲がっているために見通せず、地底の黒に終わっている。
どこかの鉱山の斜坑のようでもあった。坑門に飾り気がないことも、そんな印象を強めていた。

この坑口、本当に青ヶ島の南半分を構成するカルデラ(1.5km×2kmほど)である池之沢の底に口を開けている。
これがもし十和田火山だったら、このトンネルの貫通によって十和田湖の水のほぼ全てが海へ放出され、明日にも地図上から消えるだろう。

この青ヶ島の池之沢も、その名の通り、天明5(1785)年の大噴火(その後数十年にわたって島が無人島になるきっかけとなった、青ヶ島の最後の噴火)以前には、大池と小池といういつも清澄な水を湛えるカルデラ湖があって、島民の食料庫として諸島中最も恵まれた楽園だったと伝えられている。噴火によって中央火口丘の丸山が誕生したことで、池は干上がってしまったのだそうだ。




「トンネルを出ると、そこは底だった。」

そんなつまらない言い回しの想像ににやけながら、トンネルを引き継ぐ形でなおも続く上り坂をトロトロ登る。
トンネル前が切り通しというのはよくあるが、ここはちょっと違っていて、平らな地面を掘り込んで作られた半地下道だった。
ようするに、トンネル内の勾配を“あの程度”で抑えるために、カルデラ側の坑口を可能な限り掘り下げたのだろう。
そのために、まさしくカルデラの底を抜く、洗面台の排水口のような形の都道が生まれている。

そんな坂道も、外へ出て約150m、ようやく終わりが見えてきそうだ。



池之沢の本来の地面の高さである地平線が、いよいよ!

ああ! 待ちきれない!!

あと数メートル進めば、私はとても大きな風景の中に飛び出ることになるだろう。

それは普段なら、峠の頂上へ辿り着く直前などに感じられる、むず痒い期待感だった。


今度こそ――




13:16 《現在地》

ドドーン!ヨッキれん大噴出!

すげ〜! マジスゲー!! 海から山へと、まるでTVゲームみたいなステージチェンジ!

周囲を屏風のような外輪山に取り囲まれているのに、それなのに空が広い。視界の上半分を遮るものがない。

実際に体験したことはないから想像だが、クレーターの中に立ってみたら、こんな景色なんじゃなかろうか。

青ヶ島という名のよく調製された一個の大きな舞台装置、その一員となった気分がこの風景にはあった。



(←)前を見れば、火口壁の迫力そのままに聳え立つ外輪山の連峰を背景に、平坦な池之沢にゆるゆると続く都道の姿が、私を誘って止まなかった。

(→)右を見れば、今も地熱を帯びているらしく、無木の斜面を見せる丸山のこんもりとした姿が。
こんなにまで地球の息吹が近くに感じられる地形なのに、周囲には島の産業なのだろう採石場か何かのプラントが、なんの気負いもなくあることが堪らない。綺麗すぎる島に生きるリアリティだ。



すげー、すげー、すげー!!! 

すげーけど、 肝心の旧道の入口が、この辺りのはずだ。



(島への残り滞在時間 24:14)