栃木県道28号大子那須線 伊王野不通区 後編

所在地 栃木県那須郡那須町〜大田原市 
公開日 2007.12.28
探索日 2007. 4.22

 観光地ゆえ… 不通県道の意外な結末 

 魔のクラッシュ・クレバス!


2007/4/22 9:41 

 「この先は交通不能区間だから通行できない」と訴えるだけでは、立ち入り禁止を明示したことにはならない。
それで、隣に「工事中につき立入禁止」の看板を設置したわけだろうが、罪のない通行人を欺くのは止めてもらいたい。

だって、工事している雰囲気無いぞ。
中止してるんじゃないのか? 工事。
こんな傾いた看板を掲げている現役の工事現場があったら、どんな杜撰な工事だよ。

 へりくつをごねてみるテスト。




 このバリケードの手前で、とても地味な道が右に分かれている。
地形図にも描かれている小道で、ずっと沢沿いに峠の下まで行くみたいだが、おそらく明治時代に勾配緩和策として建設された現道に対する旧道では無かろうか。旧道は峠の下まで沢沿いに進み、最後は一気に峠に登り詰めたのだと想像できる。



 バリケードの隙間を通り、先へ進む。
私だけではなく、けっこう入っている車がいるように思われる。
バリケードの隙間にははっきりと4輪の轍が付いているし、その先も然りだ。
ただ、看板を見て引き返す善良なドライバーも当然いるわけで、確実に道路脇の藪は深くなり、そのぶん砂利敷きの路面が狭まった。
しかし、わざわざ車で入ってきている人たちは何の用事があったのだろう。
ここから約2.5kmもの不通区間は、地形図にも点線の道で描かれていて、とてもとても車では抜けられまいに。



 相変わらず道は結構な勾配で登り続ける。
峠までの高低差を考えれば少しも距離は無駄に出来ないと言いたげだ。
ガードレールや法面の施工は完璧で、あとは側溝と舗装といった路盤工事をすれば開通出来そうに見える。
しかし、雑草だけでなく小さな木まで路盤を割いて生えていたり、路上を流れる雨水によって路盤が深く抉られていたりと、もう10年以上は放置されている感じだ。

 特に、通行上この写真の場所は、

やばかった…



 同日 午後2時43分。

私は、上の写真の地点の少し先の坂道を、勢いよく下っていた。

この5時間余りの間に何があったかは、これからのレポートで明かしてゆくが、とにかく私は下っていた。
ここまで述べたとおり大変な急勾配であるから、また路面も砂利がよく締まっていて硬いので、舗装路に匹敵する速度で快調に下っていた。
わたしもイイ歳になったが、相変わらずチャリでのダウンヒルの爽快感は、身を焦がすものがある。
まして、一定の旅の成果を挙げた後の最後のダウンヒル、下りきれば生還という場面である。
奇声を上げんばかりの勢いで、私は下っていった。

 だが、この写真を撮影した20数秒後、私は平成19年における最悪のクラッシュを経験する!!







 次に撮影された画像。

画像に記録されたタイムスタンプを見ると、上の写真を撮ってから僅か33秒後の撮影だった。

時速40kmを超える速度で一直線に下っていた私が、なぜか零速度で路上に転がっていた。




 この5秒ほど前のこと。
車上で前方数メートルの路盤の異変を察知。咄嗟に危険を感じ身を捩ったのだが、私に出来た事といえばそれだけだった。
路上の深い溝に真っ向から嵌った前輪は一瞬で速度を失い、そのまま溝に促され進路を変えようとしたが、私の体重を主体とする後輪荷重がそれを許すはずもない。それまでの速度をほぼ保ったまま前輪に覆い被さるように前傾!転倒を意識した瞬間には刻遅し、既に体がサドルを離れ空中をでんぐり返ししていた。

頭だけは守ろうと体を丸め(ようと意識した)、案の定、近づいてくる砂利の路面は妙にゆっくりに見えた。

   ズザーーーーーッ!!

 もんどり打って背中から地面に叩き付けられ、さらに地上でゴロゴロ。
転倒したチャリの後輪か前輪かが、物凄い勢い私に接近してくる姿が一瞬目に入ったが、後はわけが分からない。
二度三度と体を何かに叩かれ、グチャグチャになった私がようやく止まったのは、クラッシュの原因となった溝から3mも離れた路上だった。



 とりあえず、手足がまともに動くことを地面にひっくり返りながら確かめた私が次にしたことは、さっきまで胸に下げていた筈のカメラを、背中の方からからまさぐりだし、これで自分と、自分の見た景色を撮影することだった。
何かを意識したわけでもなく、なんだかここまでは本能的な行動だった。

いま思うとおかしい。私はジャーナリズムに命を懸ける戦場カメラマンか…。
クラッシュ直後の自分の姿を撮影し、しかもそれをこうしてネットに配信するという自虐。

だが、未だかつてこれほどまで生々しいクラッシュ(直後の自分撮り)映像があっただろうか。
このときの私は、確実に意識が混濁としていたのだ。お漏らし寸前だった。



 自転車事故調査委員会による現場検証の結果導き出された、クラッシュのメカニズム。


 教訓1 :砂利道では速度を控えめに(笑)

 教訓2 :ダウンヒルはヘルメット着用で(笑)

 教訓3 :自分撮りは時と場合をわきまえて(笑)

なお、このクラッシュの被害は、以下の通り。

人的被害 (すり傷、打撲、頭が痛かった)
物的被害 (チャリにいろいろガタがキター!)




 不通県道の意外な道路状況


 さらに進むと、路面の砂利の質が変わった。
これまでよりも薄い層のようで、雑草の浸蝕がより進んでいる。
それでもなおガードレールとコンクリートブロックの法面は、堅牢に道を区画している。
一度手にしたものを手放そうとしない人間の執着のようなものが、この未完成な道にも乗り移ったか。




 9:46 

バリケードから300mほど進むと、いよいよ行く手が怪しくなってきた。

これまでとは明らかに異質な、物凄い急勾配が見えてきた。
法面のコンクリートを乗り越えんばかりに見える。



改良工事区間の終点らしい。

これまでひとつだった路幅の中で、なぜか道は二つに分かれている。
大人しく真っ直ぐ進む右の道と、斜面に牙を剥いて登っていく、尖った左の道。



さて、どちらを選ぶが正解か?




 経験上、峠を志すならば四の五の言わずに上を目指すべき。

 楽に走っては何事も成らず。

そういうわけで、多少疲れた脚に鞭打って、この尋常ではない急勾配に進路を向けた。
いよいよ激甚なる廃道の始まりを、覚悟したのである。


 が。




 ほんの10mそこそこ登ると、道は広場に達して終わった。

法面には高い土留めがすっかり施工済で、あとは路盤の完成を待っているようだが、この先に路盤は存在しない。
写真奥の藪まで立ち入ってみたものの、四角く切られた素堀の地肌に突き当たって、完全に道が途絶えていた。
何年もかけて、麓からここまで工事を進めてきたのだろうが、峠まで2km強を残し挫折したらしい。

将来工事が再開される日が来るのかは分からないが、現状はただ荒涼たる末端の風色を晒していた。

 …となると、峠への道は右か。

戻る。




9:48 改めて右の道へ。

入ってすぐに、意外な遭遇。

「32」のキロポストである。

先ほど登ってくる途中で見たものからは“2”減っている。

不通区間にキロポストが存在するとは、灼熱激萌の展開!




 道は、もういつ途絶えても不思議ではないほど狭く、そこかしこにギリギリ感が漂っている。

路肩も法面も轍に対して少しの余裕も与えておらず、しかも地肌が露出したままの無普請ときている。
自転車だから楽しいが、もし自分の車で入ってきていたとしたら、すでに涙目かも知れない。




 それでもまだ、真新しい轍が続いているのである。
タイヤ痕を見る限り、対して太いタイヤでもない。
路幅と轍の幅を比較してみて欲しい。
確かに路面自体はさほど荒れているわけでもなく、普通車でも走れるのだろうが、この狭さである。
待避所などというものも全くないし、何かあったらどうするのだろうかと、余計な心配をしてしまう。
そこまでして入っていったということは、車でも通り抜けが出来るということなのだろうか。

 あなたならこんな道に、自分の大切な車で入りますか?
(思いっきり頷きそうな友人が数人いるが…)>





 やっと少しだけ道が広くなったのは、分岐から200mほど進んだ沢の奥まった所だった。
道は、この小さな沢を越えて山襞(ひだ)をひとつ縫う。
この先の道も、地図を見る限り延々と峠までこの繰り返しのようだ。



 すなわち、等高線に沿いながら、地道に少しずつ峠を目指す。
奇抜さは微塵もないが、これぞ峠道の王道だといえる展開だ。
さっきまでの、無味乾燥で生身の人間を無視し腐ったようなアスファルトロードより、何倍も楽に高度を稼げる道だ。
これといって橋も隧道もないから地味だが、なかなか味わいがある。

ここに来て路面には砂利が敷かれているし、周りには良く育った杉林が独特の芳香を放っていて、この道には明らかに林道という価値が認められているとも感じられる。



 完全にこの道の“波長”と私の感性が同調し、リズミカルにカーブと緩い坂をこなしていく。

杉の林は余り楽しくないけれど、地図上では繋がっているかさえ怪しいと感じられた点線の県道が、なかなかしぶとく轍を連ねているその“健気さ”に、私はノリノリだった。



 さっきも見たような景色だが、別の場所である。

結論から言うと、この道はちゃんと峠まで続いているし、轍もある。
地元の人にとっては、当たり前の道なのかも知れない。

だが、地図では未開通であるかのように描かれているし、簡易ながら立入禁止の処置がとられている。
わざわざ寝た子を起こすまいという配慮から、県道60号との分岐地点にも敢えて「この先通行止」のような、“挑戦的な文言”を出さなかったのだとも感じた。

このレポを公開するかどうかで、私が少し悩んだのは、この微妙なバランスを崩してしまいやしないかという心配があったからだ。
だが、「立入禁止」は明示されており、あとは個人個人の良識に任せることにして公開してしまった。

もし、この道がとんでもない悪路であったなら、こう悩まなかっただろう。
むしろ、ちょっと無理をすれば普通車でも通れそうだからこそ、危険なのだと思う。
この道の構造は簡易な林業作業道のそれと変わらず、とてもとても頻繁な通行に耐えられまい。小さな落石ひとつ受け止める柵もなければ、路肩の補強ひとつ無い。

この道を通れば那須町と大子町はより短距離で結ばれるし、八溝山頂へのアクセスも早い。
それこそ、何十年も前から数年前まで連綿と続けられてきた道路改良工事の意義深さを証明するように、なかなか便利な位置にある、この道は。
それ故に、国道に次ぐ主要地方道の地位を得ているとも言える。

この道は便利だし、ときに通行も可能であるが、一般の立入は禁止されている。
なぜなら、そこは「通行不能区間」だからだ。
ちなみに「通行不能区間」にはちゃんと定義がある。大雑把に言って、4トンの普通貨物自動車が通れない道のことである。




 続いて、31kmポストが現れた。

設置された時期は分からないが、この県道が指定をうけた昭和49年頃だろうと思う。
当時としては、この程度の県道は各地にあったと思われるが、昭和50年代の道路地図を見てもやはり、繋がっていない。

もともと需要の少ない僻地交通ならばいざ知らず、関東有数の観光地で、シーズンともなれば交通量が集中する八溝山であるだけに、中途半端な道を「解放」する訳にはいかないのだろうと、私はそう考えている。

だったら早く改良すれば良さそうなものだが、やはりいろいろ事情があるのだろう…。
それに、八溝山頂への自動車交通の殺到には、今日的に考えて由々しき弊害もあろう。環境破壊という。



 幾たび目かの沢渡り。

沢水は、路面に置いた平行の二本の丸太の間を逃がすようになっている。
至ってシンプル。



 所々、ややきつめの勾配もあるが、ダートだと自然と疲れにくい気がする。
或いは、道と林を隔てるものが少ないせいか。



 麓ではどんより曇っていた空も山に近づくと徐々に明るくなり、薄曇りからときおり日が差し込むようになってきた。

標高を考えれば、この天候の変化はただ雲が切れ始めただけなのであるが、山を登ると青空になるという事象自体が、もっと気持ちの良いイメージを私にくれる。

考えることは当然、雲上のパラダイスだ。



 ずっと杉林を縫って続く道だけに景色の変化が乏しく、その風景から現在地を知ることは難しい。
だが、地図で見ると、この道は9回の同じような“谷向き”のカーブをもって峠に至る。
だから、その数を数えながら進んできたのであった。

そして、上の写真の場所が、その9回目のカーブであった。




 ずっと道の左側にあった斜面が、直前のカーブでは道路上方30mほどで空に接しているのを見ていたから、もうまもなく峠が現れることを予感していた。

そんな予感に違わず、行く手には掘り割りの入口が現れた。

最後の最後まで路面の轍は続いていたし、今回に限っていえば、自動車の通行を阻むような障害もなかった。
チャリにとっては普通のダート。そう言えばそれまでかもしれない。


 しかし、最後の景色は、なかなか胸のすくものがあった。




峠の登りには、終わりが明確にある。

そのことが、峠のある旅に、メリハリを与えてくれる。


この不通県道の面白さの大きなひとつは、ここにある。





峠に至れば、そこで不通区間から解放される。


この光満ちるシルエットこそ、薄暗い峠路の答えであり、結語であった。


私は、ここまでが結構平凡な道だったにもかかわらず、

いや、むしろそうであったがゆえ、

この景色はとびきり鮮やかで、

私の感情の甕(かめ)も、たちまち充たされてしまった。


ああ満足しちゃったよ…。


まさか、
数時間後にこの道で、
あれほど無惨な姿を晒すことになるとは、

思いもしなかったが…。




 名知らずの峠


 10:19 峠に立つ (出発から10km地点)


 不通区間の出口であり、また入口であり、と同時に那須町と大田原市の境界である。

県道28号大子那須線は、写真右の谷底からいくつかの九十九折りを重ねて登り詰め、この場所に達している。
そして、そのまま真っ直ぐ峠の掘り割りに入り、私の辿った道を逆さになぞって、麓の伊王野を目指す。

こうやって峠の景色を見ていても、明らかにそれが峠道としての自然なラインであるから、現在の峠に我が物顔で君臨する大きなヘアピンカーブは、本来の峠路を冒涜する、不義なものに見える。

しかし、現状ではこれに疑問を抱くドライバーはほとんどいないし、八溝山頂へ至る最も一般的な道である。
ほとんどのドライバーは、せっかく峠に達するも、ハンドル操作が忙しいためかそれには一瞥さえくれず、瞬く間に背を向けて山頂へと登っていく。
峠の掘り割りに残されるのは、虚しく離れてゆく排気音と、ひり出された屁のような排ガスばかり。

県道から “ここで分岐して” 八溝山頂へむかう道は、八溝線という林道である。
現状では、県道から林道へと、カーブひとつで自然に繋がっている。
もしこの林道が存在しなければ、峠のこちら側も廃道同然になっていたかも知れない。
しかし、そうは思ってみても、やっぱりこの道路線形は背徳的だ。
県道大好きな私には、とてもとても厳しい現実だ。




 掘り割りの入口を前にして、だらしなく途絶えるアスファルト。

多くのドライバーが、県道の不通区間を意識することなく、山頂への一本道と思って走っている。
一個の峠としては、これ以上ない屈辱的仕打ちであるが、改善される日は来るのだろうか。
現状では、峠に名前があるのかさえも分からない。

海抜650mに位置する、大田原側の見晴らしに大変優れた峠である。



 なお、こちら側にもバリケードが設置されているが、特に通行止めという明示はない。
バリケードは簡単に退かせるのだが、実際に退かして通行している車もあることを、峠路の轍は示していた。
もちろん、林業関係者が多いのだとは思うが。




 本レポートは、無事に不通区間を攻略したのでこれで終わりであるが、せっかく稼いだ八溝山頂への高度を、このまま無下に手放すのは惜しいのである。

当然、次なる計画に利用する。


ターゲットは、八溝山に潜むもう一本の不通県道、「茨城県道248号 八溝公園線」である。