道路レポート 富山県道67号宇奈月大沢野線 解説

所在地 富山県黒部市〜富山市
探索日 2026.05.09
公開日 2026.06.02

 【路線全体概要】 〜日本一細切れ?!な迷走する県道を道路台帳から解き明かす〜


今回紹介するのは、全国の都道府県道の中で、おそらく最も途切れがちな路線だ。

路線名は、富山県道67号宇奈月大沢野線。主要地方道である。


この路線は、富山県東部の北アルプス山麓地域にあり、黒部市、魚津市、滑川市、上市町、立山町、富山市の広い範囲に跨がっているが、上図に示す通り、現在の供用区間は細切れに存在している。Wikipediaによると、実延長は62023mである。

図中の赤い実線が県道67号の実延長を構成する供用済み区間で、赤破線は他の県道の重用区間として供用されている区間(実延長に入らず)、紫の破線区間は県道ではなく市道として供用されている県道としては未供用の区間である。また、完全に線が途切れている区間もあり、ここは県道67号としての認定自体がない区間とみられる。

なお、前記の「市道として供用されている区間」について少し補足の説明をする。
これについては、道路台帳とは別の資料を元に区分した区間となる。
次の図を見て欲しい。


「富山県道路管内図 平成30年4月1日現在」より一部


これは富山県が作成した平成30(2018)年4月1日現在の富山県道路管内図の一部である。
チェンジ前の画像を見ると、緑色の太い道路の数ヶ所に「67」の数字が見えるが、これが当時、県道67号としての供用済みであった区間だ。
だが、同じく緑色に着色はされているものの、細い実線で描かれている区間も所々にある。しかもそれは県道67号を繋ぐように配置されている。
チェンジ後の画像では、この二つの描かれ方の違いをより目立つように色分けした。

緑色の細い実線区間は、何を意味しているのだろうか。
一緒に掲載した凡例を見てみると、この線の太さは「市町村道」を表しているが、「主要地方道」の色に着色されているのである。これは凡例にない表現だ。
だが、この細い実線区間は道路台帳において県道とはされていないので、私はこれを、県道に認定済みだが、県道としての区域決定や供用には至っておらず、市道として供用している区間であると判断した。
意味合いとしては、将来的に県道を整備するためのベースとなる既存の道路を、このような表現方法で示したのだと想像している。

少し話が脱線したが、以前から私はこの県道の酷い細切れぶりに大いに注目しており、細切れの区間を、細切れに、少しずつ探索してきたのであるが(レポート化するのは今回が初めて)、一部は脈絡を感じないほどに細切れているため、以前は県道としての実態を正確に掴むことが難しかったのである。
だが、数年前に富山県が全国に先駆けて県内の全ての県道の道路台帳を公開(道路台帳閲覧システム)したことで、経路を詳細に知ることが出来るようになった。

その結果、従来の地形図や道路地図などでは到底読み取れなかった、新たな細切れの区間が存在することが判明したのである。

次に掲載する表が、道路台帳ベースで精査した本県道の細切れぶりである。
本来ならば起点から終点に向く方向で記述すべきだろうが、私の探索や説明の都合から逆方向(終点→起点)にしている。
表のピンク色の部分が先ほどの地図の赤実線の区間に相当しており、途中で県道が途切れている分断区間が、全部で8ヶ所あることがわかる!


とはいえ、この表だけでは味気ないし、ピンとこないだろうから、先ほどの全体図を4つに分けた拡大図A〜Dを使って、終点から起点に向けて実際に県道を通行するイメージで、地図中@〜Nの各供用済み区間を逐次説明してみよう。


供用済み区間@(県道65号と重用)約2.8km

県道67号の終点は、富山市笹津の国道41号と県道65号の交差点にある。一帯は平成の合併まで大沢野町であり、これが路線名に残っている。本県道は終点から県道65号との重用区間になっており、約2.8km進んだ富山市坂本の交差点で初めて単独区間が始まる。

供用済み区間A供用区間約12.0km

富山市寺家から同市小佐波へ四輪車通行困難な3本の狭小なトンネル群(池原トンネル群)で抜けると、小佐波川に沿って北上、同市東福沢で富山平野へ出ると、間もなく同市上布目で県道35号と接続。この地点で単独区間が一旦終わる。
ちなみに、池原トンネル群はオブローダーの間では著名で(私も探索済みだがレポートは未執筆)、本県道はこの区間だけが有名(悪名高い?)が、細切れ路線としての本番はこの先である。

供用済み区間B(県道35号ならびに43号と重用)約18.0km

本線随一の長い重用区間である。富山市上布目から同市上滝の大川寺前交差点までの約6kmを富山県道35号、大川寺前交差点から同市原の立山山麓スキー場付近までの約12kmを県道43号と重用している。県道としては稀な長い重用区間である。

供用済み区間C供用区間約1.6km

富山市原で県道43号から左折すると久々の単独区間がある。約1.6kmの短い区間だが、常願寺川を渡る長さ401mアーチ支間188mのRC固定式アーチ橋立山大橋の区間である。平成11(1999)年完成当時、同形式の一般道路橋としては国内第一位の規模だった。右岸の立山町芦峅寺へ渡ると直ちに県道6号に接続、今度は同県道との重用区間になる。

供用済み区間D(県道6号と重用)約1.2km

立山町芦峅寺地内の県道6号と重複しながら約1.2km西走し、立山博物館前を通過、雄山神社前の市道交差点で唐突に路線は途切れる(分断1)

(未認定区間)

供用済み区間E供用区間約19.7km

山を越えた立山町松倉から唐突に路線が再開する。ここから白岩川沿いを下り、同町谷口で平野へ出かけるが、今度は右折して虫谷川を遡上。同町虫谷から上市町大岩へ越える。大岩の日石寺前から右折して再び山越え、同町西種で反対から登ってくる県道154号の起点に達すると、ここで路線は途切れる(分断2)。一連の供用済み区間としては路線中最長の区間だが、大半が整備状態があまり良くない狭隘な山岳道路である。

(未認定区間)

供用済み区間F(県道46号と重用)約3.6km

上市町稲村の県道46号と町道の交差点から唐突に再開すると、約3.6kmで峠を越え、同町折戸の県道46号起点ならびに県道333号終点である交差点へ至る。全線が県道46号の重用区間である。

供用済み区間G供用区間約13.4km

上市町折戸の県道46号起点ならびに県道333号終点である交差点から単独区間が再開し、早月川左岸の広大な河川敷を下る。滑川市蓑輪の豊隆橋で同川を渡って魚津市鉢へ。さらに同川沿いを下り、同市鹿熊で白倉隧道(全長385m)を潜って角川沿いへ。同川を下って同市金山谷で反対方向から登ってくる県道33号の起点ならびに市道交差点で路線は途切れる(分断3)。比較的整備状態が良い区間で、剱岳早月登山ルートの一部を構成する。

(未供用区間) 市道として供用中

供用済み区間H供用区間約5.3km

魚津市北山の県道136号起点ならびに市道交差点から単独区間が再開すると、狭隘な山岳区間を越えて約5.3kmで同市大海寺新へ。反対側から登ってくる県道332号の起点ならびに市道との交差点で路線は途切れる(分断4)

(未供用区間) 市道として供用中
供用済み区間I(県道52号と重用)約1.1km

魚津市石垣の県道52号と市道の交差点から、西へ約1.1km離れた同市石垣新の石垣新交差点までの区間。全線が県道52号の重用区間である。

供用済み区間J供用区間約3.9km

石垣新交差点から単独区間が再開。平成25(2013)年11月に開通した片貝清流橋で片貝川を渡り、さらに天神山トンネル(路線中最長の881m、平成7(1995)年完成)を潜り、同市小川寺の県道126号、県道330号、市道の交差点で路線は途切れる(分断5)。近年開通したバイパス区間で理想的な整備状態。交通量も多い。

(未供用区間) 市道として供用中
供用済み区間K供用区間約2.0km

魚津市長引野の県道126号、県道128号、市道の交差点から再開。広い布施川の右岸を約2km遡行して、同市黒沢で唐突に路線は途切れる(分断6)。途切れた地点からそのまま県道126号が伸びる。

(未供用区間) 市道として供用中
供用済み区間L供用区間約2.1km

布施川右岸の黒部市内生谷の県道125号と市道の交差点から再開。区間Jとは逆に布施川右岸を下流へ約2.1km進み、同市尾山の県道125号ならびに市道交差点で唐突に路線は途切れる(分断7)。途切れた地点からそのまま県道125号が伸びる。

(未供用区間) 市道として供用中
供用済み区間M供用区間約0.3km

道路台帳によると、黒部市宇奈月町栃屋の市道に前後を挟まれた256.6mの区間が、本県道の単独区間である。一連の市道上にあるこの短い区間が、何の脈絡もなく、県道として供用されているという珍妙な状況(分断8)。台帳以外では判別不能である。

(未供用区間) 市道として供用中
供用済み区間N(県道14号と重用)約0.3km

黒部市宇奈月町栃屋にある県道14号と市道の下立交差点から、同地内の県道14号と県道13号の交差点までの250.7mが本県道の供用区間であり、かつ同交差点が本県道の起点である。区間全体が県道14号との重用区間である。




以上で、県道67号の細切れに細切れた全貌の紹介は終了である。
1枚の写真もなく地図だけで説明したので、まだ味気なかったと思う。
今後、私の興味を惹いたいくつかの区間については、個別の現地レポートで現地の実況を紹介していくつもりだ。

今はまだ、ダイナミズムのカケラもない道路界の重箱の隅、枝葉末節ばかりの“壮大に下らないレポート”の予感がするかもしれないが…。
実はこの道路には、壮大な全体計画が存在する。
そんなバックグラウンドや、認定から今日に至る整備史、今後の見通しなどについても、今後の続回で紹介していこうと思う。


 【路線史】誕生編 〜迷走する県道は「東部山麓道路」へ結実する!〜


前章で述べたように、県道67号宇奈月大沢野線の大きな特徴は、繋がっていない区間が多数あるという“細切れぶり”にある。
実延長60km余りの間に、合計8ヶ所もの分断区間が存在するのである。

しかも、繋がっていない区間の多くには、市道など他の道が既に存在しており、地理院地図やGoogleマップでは、この代替路のような市道の一部を実際に県道67号として案内しているものもある。
よくある県道の不通区間は、山岳や大河川など通過困難な障害物が邪魔をしているのであるが、この路線の繋がっていない区間の大半は、一応は他の道で繋がっているところが、特徴的だ。


特に分断区間が多い、起点に近い黒部市〜魚津市の辺りを見てみよう。

供用区間HとIの間、JとKの間、KとLの間、LとNの間が、それぞれ分断されているが、平成30年度の管内図を見ると、これらの区間には「県道の色で塗られた市道」という奇妙なものが存在していて、道路台帳を見てもこの区間は県道ではなく、市道として供用されていることが分かる。つまり、県道の路線はこれらの市道に沿って認定されているが、県道としての供用はされておらず、市道として供用しているということになるのだろう。
なお、供用区間Mは、孤立して存在している。

本県道の最大の特徴は、こうした不可解な分断区間の多さだ。

どうしてこのように細切れの県道が誕生したのか。
この章では、県道宇奈月大沢野線の誕生した経緯と、その崇高な目的を、資料をもとに解説しよう。
ただ。“資料”といっても、残念ながら『宇奈月大沢野線のすべて〜過去から未来まで〜』なんて文献が誰かの手でまとめられていたりは(たぶん)しないので、いつものように国会図書館デジタルコレクションやインターネットを探索して情報を拾い集めた。






『土木技術 社会と土木を結ぶ総合雑誌 52(9)』(平成9年9月号)より

Wikipediaによると県道宇奈月大沢野線の県道認定は平成6(1994)年4月1日とのことだが、土木技術社が発行する雑誌『土木技術』の平成9(1997)年9月号に、この路線と関係する「極楽橋(仮称)長大アーチ橋の設計と施工」という記事が掲載されている。

これは平成11(1999)年に本路線の一部として開通する立山大橋(供用区間C)の施工計画に関する記事で、冒頭に次のような記述と図(→)があった。

主要地方道宇奈月大沢野線は、山地、河川など地形的な制約の多い富山県東部の山麓地域において、点在する山岳観光拠点を連結し、交流の促進・活性化を図ることを目的とした「富山県東部山麓道路構想」の主要幹線である。

このうち、一級河川常願寺川をはさむ立山町芦峅寺〜大山町原(現:富山市原)において、立山の自然や山岳信仰の歴史を紹介する立山博物館など立山町側の「歴史・文化ゾーン」と2000年とやま国体冬季大会のメイン会場となる立山山麓スキー場など大山町側の「スポーツ・レクリエーションゾーン」との一体化を図るため、平成7年度から極楽橋(仮称)をはじめとした延長約1.6kmの道路新設工事に着手している。

『土木技術 社会と土木を結ぶ総合雑誌 52(9)』(平成9年9月号)より

本県道は、富山県東部の山麓地域に点在する観光拠点の連絡性改善を目的とした、「富山県東部山麓道路構想」の主要幹線であるということが書いてある。

掲載されている図に路線全体と極楽橋(=立山大橋)の位置が示されているが、図中では分断のない1本の路線として表現されており、現在の地図と重ねてみると(チェンジ後の画像)、概ね同じ経路であることが分かる(少し違っているように見える区間もある)。

富山県東部山麓道路構想という名を私は初めて聞いたが、県民なら知っている人が多いのだろうか。
ともかく、“宇奈月大沢野線≒(ほぼイコール)東部山麓道路”というのは、この後も繰り返し登場する内容なので、まずこれだけ覚えておいてほしい。



『土木技術 社会と土木を結ぶ総合雑誌 52(9)』(平成9年9月号)より

引用の後段には、本県道の認定後に最初の新設区間として建設が進められた立山大橋の整備目的が述べられている。

常願寺川の巨大な谷によって隔てられた、右岸の立山博物館があるエリアと、左岸の立山山麓スキー場があるエリアを繋いで一体化を図ることが目的だった。ちょうど「2000年とやま国体冬季大会」のタイミングに重なったことも大きな契機になったらしい。

右図は事業地周辺の拡大図で、図中の「極楽橋」が立山大橋である。
本橋完成以前、この附近には上下約7kmほど架橋がなく、行き来にかなりの大回りを余儀なくされていた。

また、図中の注目点としては他に、「雄山神社」から「至宇奈月」の方向へ計画線が延びていることも挙げられる。
この区間は令和現在も県道が分断されたままだが(分断1)、当時既に道路新設の計画が存在したことが分かるのである。


写真は、開通から27年目を迎えた立山大橋の現在の姿。

途切れがちな県道67号の中にあっても特に前後を長大な分断区間に挟まれて、まるで“飛び地”のように孤立している本橋だが、実は県道認定後最初に建設が進められた本路線のアイデンティティともいえる重要な橋だった。

「山地、河川など地形的な制約の多い富山県東部の山麓地域において、点在する山岳観光拠点を連結し、交流の促進・活性化を図る」という、路線の整備目的を端的に体現した橋でもある。


「東部山麓道路」という重要キーワードを手に入れたところで、これを使って、もう少しだけ過去へと遡ってみた。
「宇奈月大沢野線」だと平成6(1994)年以前は全くヒットしないが、「東部山麓道路」だともう少し古い時代からヒットするのである。
計画の始まりを知ることで、その完成形のイメージが掴めるのではないかと思った。おそらくそれが、県道宇奈月大沢野線の目指す完成形でもあろう。




『21世紀へのシナリオ しあわせ富山
新富山県民総合計画のあらまし』

富山県公式サイト内のこちらのページで、富山県が策定した歴代の総合計画の概要版を見ることが出来るのだが、平成3(1991)年3月策定の『21世紀へのシナリオ しあわせ富山 新富山県民総合計画』が、本構想の原点と思われる。
県が取り組む長期的な15のテーマが掲げられているページに、「7.立山地域の整備」として、次の内容があった。

  • 立山・黒部・宇奈月を結ぶ周遊観光ルートの形成
  • 富山、長野両県にまたがる国際級の山岳観光リゾー卜の形成などを図る立山横断道路
『21世紀へのシナリオ しあわせ富山 新富山県民総合計画』より

第一項目が東部山麓道路構想で、第二項目が立山を超えて長野県へ通じる道路構想で、立山黒部アルペンルート(昭和46(1971)年完成)の車道化構想である。
これらは、富山県最大の観光資源である立山を結節点とした、二大観光道路構想というべきものだ。



『21世紀へのシナリオ しあわせ富山〔本編〕』より

同計画の「本編」には、東部山麓道路構想についてさらに詳しい記述があった。
同計画は県土を5つの地域性(ベルト)に区分して、それぞれで一体的な整備を進めるとしたうえで、そのベルトの一つを「山麓地帯」としている。

山麓地帯

朝日町から福光町を範囲とし、豊かな自然にめぐまれた山麓に沿った地帯である。
山麓道路の整備を推進し、新川地域、剱岳山麓、立山山麓、有峰地域、南部丘陵地帯、南砺地域など豊かな自然、温泉資源、歴史、文化等を活かした観光ルート、スポーツ・レクリエーション施設、リゾート地等を整備するとともに、林業の振興を目指す。


(地域特性を活かした道路整備)
朝日―剱―立山―国道41号を結ぶ東部山麓道路の整備を推進する。


(立山地域の整備)
剱岳山麓、立山山麓、有峰などの観光拠点を結ぶ北アルプスパノラマラインや大規模林道。
富山、長野両県にまたがる国際級の山岳観光リゾートの形成などを図る立山横断道路。

『21世紀へのシナリオ しあわせ富山〔本編〕』より抜粋

県の東部から南部に広がる山麓地帯を横断する「山麓道路」を整備することで、広大な中山間部に点在する観光地の周遊が可能になる。そんな「山麓道路」の中でも特に整備を優先されたのが、立山山麓を中心とした「東部山麓道路」だった。

私の実感としても、富山県の東部山麓地帯は山間部の相互連絡性が良くないと感じる。
このエリアは地形的要因から海岸線に近い狭い平野部に交通路(国道8号、北陸自動車道、鉄道)が集中しており、多数の河川が櫛状に平野を横断している。
宇奈月温泉や立山地区をはじめとするこのエリアの山岳観光地は、こうした河川を遡った上流にあるが、川上を結ぶ道が少なく、一旦交通が集中する沿岸平野部まで出なければ行き来できないケースが多い。
一例として、実際にこのように移動する旅行者も多いであろう、宇奈月温泉から立山駅まで車で向かう際のナビゲーションを掲載する。


こうして平成3(1991)年版の富山県総合計画に盛り込まれた東部山麓道路構想だが、実際に県が道路整備を進めるためには県道である方が都合が良い。
ましてや県道の中でも上位の存在である主要地方道に出来れば国からの補助も受けやすい。是非とも、主要地方道としての認定を目指そうと、国に対する猛陳情が行われたのではないかと想像するが、残念ながらこの間の事情について明らかにする資料は見つかっていない。

ただ、富山県議会平成10(1998)年2月定例会の議事録に、こんな興味深い発言を見つけた。

◯17番(川原敏彦君)
……平成4年3月25日の道路審議会で、富山、石川両県から各3路線、うち2路線は共通の県道で、小松白川線を国道360号に、新湊高山線が国道472号に、羽咋上宝線が国道471号に、いずれも長年待望していた国道昇格であり、今日、国道として整備が進められております。この平成4年の道路審議会での国道昇格要望時に、朝日城端線が候補路線として挙げられていた経緯があるのでありますが、これらの山麓道路については、隣県の道路計画とも連携して、国道として整備すればより効果的と思われますが、国道昇格に向けた県の考え方と今後の見通しについてお伺いして、私の質問を終わります。

◯土木部長(白井芳樹君)
……御質問の城端朝日線でございますが、隣県の道路計画との連携も視野に入れますと、国道とするにふさわしい路線であると考えておりまして、今後国道昇格についての国の動向などを見ながら、適切に対処してまいりたいと考えます。

富山県議会平成10(1998)年2月定例会 議事録より

なんと、平成5(1993)年の国道昇格路線を審議する場で、その候補として「朝日城端線」なるものが挙がっていたのだという。
こんな名前の県道は存在したことがないのであるが、明らかに、「山麓道路」全体を1本の国道にせんとしたものだ!

県道でさえない路線をいきなり国道にしようとは、なんとも大胆不敵だが、もちろんこれは実現せず、この平成5年の国道追加指定に連動して行われた同年5月11日の主要地方道追加指定で宇奈月大沢野線が指定されている(富山県が県道に指定するのはこの翌年で、主要地方道指定が先に来ている珍しいケース)。
また、令和の今日に至るまで国道の追加指定は平成5年が最後であるから、その後に国道に昇格する機会もなかった(おそらく今後も…)。

こうして県道として初めて世の中に実体を現した宇奈月大沢野線は、驚くべきキメラの身体を持っている。
実延長60kmあまりの路線だが、ほとんどが既存の県道のツギハギだ。少なくとも13路線を確認できた。
次に挙げるような県道たちが、路線の一部ないし全部を奪われている。そのために路線名が変更されたり、消失した路線も多い。

県道宇奈月大沢野線の母体となった主な県道たち(終点→起点)

(一)東福沢小佐波上大久保線 (一)河内花崎線 (一)女川座主坊宮路線 (一)大岩五百石線 (一)極楽寺大岩線 (主)魚津鹿熊上市線 (一)坪野湯上線 (一)坪野本町線 (一)島尻金屋線 (一)三ヶ吉島線 (一)阿弥陀堂魚津停車場線 (一)福平経田線 (一)福平石田線

もともとは性格も目的も違っていた多数の路線を一つに繋げたキメラの路線は、当然ながら、そのままでは使いにくい路線である。
だが、それで良かった。
最初に認定した路線は、東部山麓道路という完成形を得るための、県道である建前だ。
整備すべき道路構想が先にあって、徹頭徹尾その実現のためだけに認定されたのが、県道宇奈月大沢野線である。

この特殊な出自こそが、本県道が妙に細切れになっていたり、既存の便利な道を外れて敢えて不便な山の中へ分け入ろうとしたりといった、奇妙な振る舞いの根本的原因だろう。
細切れでもなんでも、東部山麓道路の計画ルートに沿って県道が認定されていれば良かった(供用まではされていなくてもいい)。
むしろ現道が便利な道であっては困る、まであるかもしれない。それでは東部山麓道路を整備する根拠が薄れるから。

ちなみに、県道の認定にもいろいろと要件があるが、基本的には政治力で押し通せるくらいの要件である。また、要件以外の細則として、「都道府県道の路線認定基準等について」という道路局長通達が存在し、新たに認定しようとする都道府県道の経路は、@交通の流れに沿うこと、A重用延長が総延長の30%以下(特別な理由がある場合は50%以下)であること、B自動車の交通が可能であること(新設や改築を行う確実な計画がある場合は例外とする)などと取り決められている。


次章では、実際にこの県道の一部として整備された、黒部市内の道路の実態を見ていただこう。いよいよ現地探索である。






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