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道路レポート 富山県道67号宇奈月大沢野線 黒部市の“飛び地”区間

所在地 黒部市
探索日 2026.05.09
公開日 2026.06.07


今回は、“日本一途切れがちな主要地方道”こと、富山県道67号宇奈月大沢野線の初めての現地レポートである。

既報の通り、この県道には起点から終点までの間に計8箇所もの分断区間があり、県道としては繋がっていない状況にある。

今回紹介する<区間M>も、そうした分断区間に挟まれた区間であり、かつ本県道の単独供用区間(実延長に含まれる区間)の中では“最短の区間”である。

最長や、最短を、テーマにするのは、“道路趣味あるある”だが、ここまでマニアックな“最短”を拾ったのは本稿が最初ではないかと思う(ワカランケド)。


今回紹介する<区間M>の周辺を少しだけ拡大した地図だ。

本県道の起点である黒部市宇奈月町下立の愛本橋袂にある県道13号と14号の交差点から、250.7m西に進んだ下立交差点までの区間が、県道67号であるが、この区間は全線が県道14号との重用区間であるため、実質的には県道14号として管理されている。

そして、下立交差点で一旦途切れた本県道(分断8)は、そこから直線距離で約4.2km西に離れた同市宇奈月町栃屋地内で唐突に再開する。が、僅か256.6m進んだ地点で再び途切れて(分断7)、次に再開するのは直線距離で約2.8km南西に離れた同市尾山の県道125号路上である。

上記の太字部分が、今回紹介する<区間M>である。


なお、私がこんなマイナー県道の中でもとびきりのマイナー区間の存在に気付いたのは、富山県が公開している道路台帳閲覧システムのおかげである。
上図がその画面表示のキャプチャで、中央の“赤矢印”の位置にポツンとほんの一塊だけ、主要地方道を示すライム色の線が描かれている。

チェンジ後の画像は、当該部分を拡大したものだ。
下地となっている地理院地図の上に、ほんのカーブ2つ分だけの主要地方道が、はっきりと描かれている。
前後にも道が通じているから、辿り着くことは難しくないだろうが、前後の道は県道ではないのである。

果たして現地には、この区間“だけ”が県道であることが分かるような“何か”は、あるだろうか?
あったらますます面白いと思うが、何もないというのもまた味があるかもしれないな…。


なお、道路台帳閲覧システムの名前は伊達ではなく、そのまま表示した区間に対応した道路台帳図を見ることが出来る。
上図が、この孤立した<区間M>の道路台帳図(元リンク)である。

本来の画像はノースアップではないので、他の地図と対応させやすいように回転させてノースアップ化している。
細かな数字などは、元リンクで見て欲しいが、この図のグレーアウトしている部分が、県道67号の道路区域である。
道路区域が指定されている≒供用中である。

この場所に限った話ではないが、道路区域はいわゆる路面だけではなく、道路管理者が管理する道路周辺の区域を含む。この図でも道路周辺の法面や擁壁が道路区域になっている。
各測点ごとの道幅や区間の長さも表示されているので、この<区間M>が全長256.6mであるという情報は、そこから読み取ったものである。
この詳細な道路台帳図さえあれば、<区間M>の精密な3D立体モデルを3Dプリンターで出力することも出来ると思うが、もちろんそんなことをする人はいないと思う(笑)。


……とまあこんな具合で、現地を見る前からいろいろ知りすぎていたのであったが、それでも現地を見なければ分からないことはあるはずだし、そもそも、この区間の存在を知るためには、この台帳を見る以外の手がなかったのである。

ここまで、既に公開済みの導入や解説編を含めると、いつになく長い前置きになってしまったが、ようやく現地の風景を開陳したい。

これが、県道67号の実況(実延長60km中の0.3km)だ!!!


 起点に最も近い単独供用区間の実態


2026/5/9 14:47  《現在地》

上記 《現在地》にあるこの無名の交差点から、レポートを開始する。ここは既に目指す県道があるのと同じ、黒部市宇奈月町栃屋地内である。
なお、周辺の幹線道路からこの場所に至る経路は幾つかあるが、どれを選んでも到達難度に大差はない。現在地が標高200mを越える丘陵上なので、道中に上り坂はあるものの、普通に鋪装された1.5車線程度の市道であり、自転車でも乗用車でも(迷わなければ)簡単に来ることができるだろう。

敢えてこの交差点からレポートをはじめる理由は、ここが起点側から県道67号に辿り着く前に通る、最後の交差点だからだ。
ここを直進して進むと、約300m先から県道67号になる……と、道路台帳は教えてくれていた。

また、この交差点には、チェンジ後の画像に付した二つの○印の位置に、案内標識や道路標識が設置されている。
この先の県道と関わりがある可能性があるので、これらをチェックしていこう。
まずは、“ピンク○”の所にある、激しくツタに絡まれているヤツから……。



ツタ〜〜ン

――な状態になっているのは、以外にも新しそうな青看だった。

というか本当に新しいかも。
だって、行き先の一つとして表示されている「くろべ牧場まきばの風」は、平成26(2014)年以降のネーミングだ(それ以前は新川育成牧場といったらしい)。よく見ると、この地名だけ貼り替えた形跡があるから、青看自体がどこまで新しいかは不明だが、少なくとも最近まで手入れされていることは確かだし、ボロくはない青看だった。 ツタ〜ンだけど。

ちなみに、県道に繋がっている方向の案内が「くろべ牧場まきばの風」で、反対側には県道67号の起点の地「宇奈月」が案内されていた。
偶然かそうでないのかは分からないが、この青看の案内する内容は、県道67号と重なっているようだ。



“赤○”の位置にあったのは、道路標識だったが、これもちょっとばかり普通じゃなかった。
「最高速度」と「交差点あり」だが、どちらにもオリジナリティがある。
2枚に共通するのは、“牧場感”だ。

この周辺の道路、現在は市道なのだが、もしかしたら過去にはいわゆる牧道(これは道路法の道路ではない)だった時期があるのかもしれない。
そんな道の行く先に、今は県道が(ちょっとだけ)あることになっているのだから、ますます興味をそそられるのである。

こんな標識たちが出迎えてくれた交差点を、「新川牧場(=現:くろべ牧場)」方向へ進行する。
県道出現まで、残り300m。



14:48

いつもの自転車で進行中。
県道出現まであと200m。
道は緩やかな上り坂で、幅は余裕のある1.5車線。普通車なら普通にすれ違えるレベルで、仮にここが県道67号だと言われても、100%信じられる整備水準。てか、県道67号の現道には、ここより遙かに低い整備水準の区間がごまんとあるのを知っている。

が、ここは確かにまだ市道である。
路線名については机上調査で判明したのだが、黒部市道栃屋金比羅線という。

傍らに、県道にあっても違和感がない感じの速度抑制看板があったが、設置者は「宇奈月町」とある。
宇奈月町自体が既にない自治体(平成18(2006)年に合併)だが、もしここが県道だったら設置者は「富山県」であろうから、やはりここは市道(元町道)である。



14:49 

引き続き直線的な登り坂。
道路状況に変化無し。
県道まで、残り100m切っている。

ってことはつまり、奥に見えるカーブ辺りから……県道?!



14:50 《現在地》

「県道67号宇奈月大沢野線だぁ〜〜〜!!」

ってここで騒いだのは、人類では私が初めてかもしれないと思ったwww

そのくらい、道路台帳で知らなければなんてことのない、どこにでもありそうな、ただちょっと道が広く、あるいは新しくなっているだけの変化だが、ここが県道67号である。

道路に目ざとい諸兄であれば、なるほど鋪装が打ち替えられているところが、管理者が市と県とで替わっている証しなんだなと、解き明かすだろう。
私も、まさに得たりと、上機嫌でそう信じた。



が、現実は甘くない。

この鋪装の打ち替えは、確かに県道であることと無関係ではない(県道としての打ち替えだろうから)が、台帳を見ると、実際はこの鋪装の切れ目から31.8m戻った地点が、市道と県道の境目だった。



つまり、振り返って撮影したこの写真のチェンジ後の画像に示した部分が、県道である。
台帳を見る限り、ちょうどこの境目のところから法面が変化していて、要するに県道として施工された法面なんだろう。藪でよく分からないが。

……だからなんだっていわれれば、ほんと返す言葉もないんだが、これはそういうどうでも良いことを楽しむレポだからね…。

というわけで、全長256.6mの<区間M>は、もう始まっていた。
気付いた時点で、既に31.8mを通り終えていて、残りは224.8m。



県道になってすぐに道幅が広くなった。

それが目に見えて分かる、最大の変化である。
既に消えかけているものの、センターラインが敷かれているのが分かるだろう。
ここは2車線道路なのだ。今まで1.5車線だったのに、県道になった途端2車線になっているのは、ちょっとだけ矜持めいたものを感じた。

また、分岐からここまで直線的だった道が、ここでぐねぐねと蛇行をはじめた。
カーブミラーが設置されているが、それがないと先が見えないくらいのカーブである。
線形的には、むしろ県道になって条件が悪くなった感があった。



キターー!!! “準・県道の証し”的存在を発見!

デリニだ、デリニだ、デリニエータ(反射材)だ!!!

先ほどまでの市道区間では見なかったデリニエータが急に現れ、そこに「富山県」という文字が刻まれていたのである!
これは、県道標識“ヘキサ”に次ぐレベルの“県道の証し”といえた。
(正確には県管理道路の証し。県が管理している国道(=指定区間外)や広域農道などでも見られる)

このポールタイプのデリニエータの支柱部分には、都道府県管理の道路は都道府県名、国管理の道路は「国土交通省(昔なら「建設省」)」の文字が刻まれ、市町村管理の道路は何も書かれないという“経験則”がある。絶対ではないが、基本的に誤りのない則である。



14:53 《現在地》

にしても、本当に線形が良くないな!

登り坂の頂点と、斜面に進行方向をブラインドされた急カーブの複合である。
その線形のワルさを詫びるかのように、真新しい鋪装と2車線は確保されているのだが、ほんと線形良くない! 見た目新しそうなのに!

……で、これも台帳を見た時点で予想が付いていたが、この線形のワルさは、災害の結果であると思われる。
このワルい左カーブの始まりの所に、夏草に隠されつつある車止めが並んでいるが、ここからカーブの外側を見ると……(↓)



ご覧の通り、そこには封鎖されて使われていない、カーブ一つ分だけの“ミニ廃道”が存在する。

路肩の谷をインカットする位置にあり、線形的にも、道幅的にも、これこそ県道に相応しいと思えるものなのだが、使われていない。

その理由が道路災害であることは、台帳からも、現場の風景からも、容易く見て取れた。この先の路肩が大きく崩れているのである。



理想的な線形を災害に邪魔された県道は、元の位置に道路を復旧させることを現時点では諦めているようで、谷奥へ迂回する妥協的な線形を選んでいる。

状況的におそらく、この線形は道路としての先祖返りだと思う。
最初はこの位置に道があり、次にインカットの新道を作ったが、そこが駄目になって元の谷に道を戻した感じ。
そうでなければ、この場所にだけ妙に古めかしい道路標識が並んでいることの説明が難しい。
最近、「徐行」なんてなかなか設置されないからね!

見慣れた車が停まっているこのカーブ辺りで、県道区間の始まりから130mを通過。
すなわち、県道区間は残りあと半分!



14:54

小さな谷を回ると、道は再び斜面へと引き出される。
この辺り、道がとても新しい。法面に樹木がないのも、その証拠だ。災害があったのは、最近のことらしい。
県道になったのがいつなのか分からないが、たぶんそれよりも新しいだろう。

右側の白いガードレールのところが、被災した旧道との再合流地点であるが、そこにあるカーブの内角が尖っていて、いかにも仮設道路的である。
通常はカーブの前後に緩和曲線が入るので、こんなにカチッとした曲がり方をしない。
これは細かな設計を省略された仮設道路などでよく見られる特徴だ。ひとことで言えば、設計がエレガントでない。



左が路肩の崩壊によって放棄された“旧道”で、右がそのさらに旧道があった位置に復旧された“現道”である。

市道に前後を挟まれて、そこだけが県道であるという256.6mの区間は、この斜面崩壊に伴う路線変更が見て取れる区間と、ほぼ合致している。

これは流石に偶然の一致ではないと思うが…。



この斜面沿いのストレート。
切り取られた法面が高く、路肩の補強も念入りで、いかにも災害復旧から生還してきましたよって感じの風景だが、

デリニが「富山県」をすげ〜〜主張してくるじゃん!www

もしもだよ、
県道昇格→県が谷をインカットする新道を作った→崩壊→復旧という時系列だったら、これは相当のマッチポンプだぞw
そうじゃなくて、
町か市が谷をインカットする新道を作った→崩壊→県道昇格(やれやれ、県道として治してやるよ…)→復旧という時系列なら、県は一転してヒーローなんだけどね…。
これ、どっちなのか結構気になるな。 気にならない?w



14:56 《現在地》

そんなこんなで、早くも台帳に示されている県道区間の終わりに迫った。

この次のカーブを曲がり終えたところで256.6mの<区間M>が終わり、その先はまたもとの市道栃屋金比羅線である。



県道終了。

県道区間が終わると、鋪装が変化し、道幅も2車線から1.5車線に戻る。分かりやすい。もちろん、デリニエータの群落もここまでだ。



振り返って見る。

一応デリニエータという重要な“証言者”はいたものの、“ヘキサ”はなく、特に道路に興味がないドライバーにとっては単純に、ここだけ道幅が広くなっている区間だという程度の認識だろう。
実はここだけが県道になっているなんてことは思わないと思う。
ましてやその県道が、富山県が90年代初頭にグラウンドデザインへ書き加えた、壮大な“東部山麓道路”の切れ端だなんてことは、思わない。



14:59 《現在地》

本当に何事もなかったかのように256m前の感じに戻った市道を、さらに200mばかり進むと、道が再び分岐していて、そこに展望台がある。
標高250mのこの場所からは、眼下に黒部市より魚津市へ連なる平野を見下ろし、空気が澄んだ日には富山湾越しの能登半島を見ることもできる。

この綺麗な風景が、将来的県道67号の車窓に収まる可能性があるのだろうか。
なぜここに飛び地的な県道が存在するのかという疑問は深いものがある。
疑問の答え探しは、机上調査へ持ち越した。



 “飛び地県道”の机上調査編から、壮大な全貌がちょっと見えた?!


 最大の疑問点
  • なぜ、この短い区間が県道なのか?


現地探索によって現状を確認することが出来たし、その現場には確かに“県道らしさ”があった。
具体的には、前後の市道である区間と比べたときに道幅や車線数が多いことと、しつこいほど高密度に設置された「富山県」と書かれたデリニエータという“県道らしさ”である。
だが、なぜここが県道なのかという問いに答えるようなものは、現地になかったと思う。

少しばかり道の様子が違っていても、結局は県道である区間は黒部市東部の丘陵地を走る市道の一部でしかなく、特別な沿道施設といえるようなものはなかった。
ただ強いて言えば、県道である区間には、この道路の一部を付け替えさせる規模の土砂災害の形跡を見た。
県道化が先か、災害が先かというのは、卵が先か、鶏が先か、みたいな不思議な哲学染みた問いになるが、実際のところ私はこれが気になったので、まずはこの点について歴代の航空写真を使って調べてみた。


@
昭和50(1975)年
A
昭和63(1988)年
B
平成19(2007)年
C
平成22(2010)年
D
平成28(2016)年
E
令和5(2023)年


@昭和50(1975)年版を基準に、変化を見ていこうと思う。
今回探索した範囲は、この画面の右上に見える分岐点から、左下のヘアピンカーブの所までだ。
当時から道はあったようだが、今とは比べものにならないほど狭い、しかも砂利道だったようだ。
画面下半分のゴルフ場みたいな所は、まだ開業したばかりの新川育成牧場だ。

A昭和63(1988)年版になると、全体的に少し線形が改良されて小さなカーブが減り、また鋪装もされている。
当時は県道67号認定以前である。

B平成19(2007)年版。ここからは県道67号が認定された後の図だが、この時点で図中の道が県道として供用されていたかは不明だ。
ただ、画面中央の後に県道になる辺りで、新たな改良工事がはじめられている様子が見て取れる。

C平成22(2010)年版では、Bで行われていた工事が完了し、真新しい2車線道路が出現している。以前と比べて理想的な線形だが、前後の道路に対して“ここだけ高規格”な状況になっている。果たしてこれは県道としての改良工事だったのだろうか?

D平成28(2016)年版になると、折角作った新道の一部が大規模な山崩れに呑み込まれて失われている。現地でもこの災害の痕跡を目の当たりにしたが、やはりこんなにも最近の出来事だったのである。既に復旧のための工事も始まっていて、崩壊した斜面の一部がコンクリートで固められているし、旧道の位置には仮設道路が作られつつある。

E令和5(2023)年版は今回探索時の状況である。Dで作っていた仮設道路が新たな2車線道路として整備され再開通している。そして、画像に示した範囲は県道67号として供用中である。
ただ、B〜Eのどの時点から県道になっていたかというのは航空写真だと調べがつかないので、他の資料にもあたってみよう。

とりあえず航空写真で分かったのは、「旧道→新道整備→新道被災→旧道位置に新道再整備」という一連の流れであり、「新道整備」からの活発な変化は全て2000年代以降であったことが分かった。



画像は、平成30(2018)年4月1日現在版「富山県道路管内図」である。
今回探索した“飛び地”県道は、図の○印の位置に存在するのであるが、県道としては描かれていないことが分かる。
とはいえ、区間の長さが長さであるから、単に省略されただけなのではないかという疑念も拭えないところだが、そこでチェンジ後の画像と見較べて欲しい。

チェンジ後の画像は、チェンジ前の画像の最新版である、令和6(2024)年4月1日現在版「富山県道路管内図」だ。
今度はばっちり、“飛び地県道”が描かれているのである!
両者は同じフォーマットで描かれた地図だけに、この地図上の変化は、実際の変化を反映したものと信頼がおけるのではないだろうか。

となると、“飛び地県道”が県道として供用されたのは、2014〜2024年の間である。
つまり先ほどの航空写真だとBやCは県道になる前の状況を描いていたということだ。
「県道化が先か、災害が先か」問題については、災害が先の可能性が高いということになろう。

県道化よりも災害が先であった説を裏付け得る別資料として、グーグルストリートビューで見ることができる過去の状況との対比も挙げられる。

デリニエータは絶対の指標ではないが、やはり災害後に県道となった可能性が高いと思う。


……ただ、ね。

BやCの時代の2車線道路が県道ではなかったとしても、実際に事業を手がけたのは県だという可能性がある。
市町村道であっても県が権限代行工事を行うことがよくあるからだ。
残念ながら、Bの工事がどのような事業名で行われたかは、資料がなく不明である。
そして、個人的印象としても、BからCにかけての工事は、ただの山間部にある一市道の局部改良工事(カーブを緩和するなど局所的な小規模改築工事のこと)としては、完成後の道路が2車線であるなど、少々オーバースペックで不自然な気がするのだ。

BやCの時代に県道であったかどうかに関わらず、この場所に県道67号を通そうという思惑が既にあって、県道としての整備が念頭にあったと考えるのが自然な気がする。
次はこの仮説を検証してみよう。



調査したのは、黒部市議会の会議録である。
黒部市は平成6(1994)年以降の会議録を検索可能な形で公表しているので、宇奈月大沢野線や東部幹線道路をキーワードに検索してみた。
すると、期待に答えるようにヒットがあった。

たとえば、県道67号の認定から3年目となる平成9(1997)年12月11日の定例会では、黒部市の中山間地域の振興方策を議論する中で、一人の議員が次のように興味深い発言をしていた。
直後に掲載する地図で登場する地名を確かめながら読んでみて欲しい。

◯山本豊一議員
……黒部市においても、中山間地域の活性化を図る事業の一環として、布施川ダム建設と、その周辺整備、スーパー農道、嘉例沢森林公園、新川育成牧場の整備など、数多くの施設整備がなされてきたところであります。また、現在、大谷ダム建設、中山統合ため池の建設、新川育成牧場畜産基盤再編総合整備事業が進められております。また、今後、21世紀に向けて大規模林道、東部山麓道路、第2期新川中部地区スーパー農道事業などが広域的な事業として促進されていくものと考えます。

特に東部山麓道路は、宇奈月町愛本を起点として大沢野町笹津の区間を、幅員13m、総延長約80kmの延長で結ばれ、黒部市の区間は宇奈月町の浦山地内から新川育成牧場、中山統合ため池・大谷ダムに隣接して、中山地内を通過し、東布施の尾山地内へ通ずる計画になっているかと思います。既に立山町と滑川市の一部で工事が着工されており、黒部市と宇奈月町の一部において、今年度予算に調査費が計上されており、近く調査測量が実施されるかと思います。この道路は、立山、黒部アルペンルートとも連結されることになっており、県東部の中山間地域の山麓地帯を通り、将来、県東部の広域観光道路の役目も果たすものと期待され、中山間地域の活性化を図る重要な道路でもあるかと思います。

◯荻野幸和市長
……とりあえず黒部と宇奈月を東部山麓道路で現道利用も含めたもので調査、整備をしていこうというところで効果をあげていく、……魚津-黒部、黒部-宇奈月というのは、東部山麓道路が一気通貫で開設をするまでの間であっても、部分供用開始をすることによって連携が図られていくというふうに思っております。

黒部市議会 平成9(1997)年12月11日の定例会 議事録より

ここで山本議員が東部山麓道路の計画ルートを述べているが、この道路が県道67号宇奈月大沢野線に他ならない。

東部山麓道路について議員は、幅員13m、総延長約80kmという具体的な数字と共に、「黒部市の区間は宇奈月町の浦山地内から新川育成牧場、中山統合ため池・大谷ダムに隣接して、中山地内を通過し、東布施の尾山地内へ通ずる計画になってい」て、「黒部市と宇奈月町の一部において、今年度予算に調査費が計上されており、近く調査測量が実施される」見込みであることを述べている。

ここに挙げられている地名を地図上で結ぶと、チェンジ後の画像のようになり、まさしく県道の“飛び地”が、この計画ルート上にあることが分かる!

東部山麓道路の整備の見通しについて質問された市長は答弁で、「とりあえず黒部と宇奈月を東部山麓道路で現道利用も含めたもので調査、整備をしていこう」という整備方針を述べており、これも市道栃屋金比羅線(当時は宇奈月市道と黒部市道であったか)を現道利用してこの区間を結ぶという、令和の現在まで継続している利用実態と合致している。

このように、平成9年の当時で既に、現状のような細切れの飛び地ではない一連の県道としての整備計画が存在していたことがはっきりしたのであるが、さらに2年後の平成11(1999)年9月14日の定例会でも、山本議員と萩野市長は次のような質疑を行っていた。

◯山本豊一議員
……富山県東部地区としての山麓一体の広域的な整備開発と、付近住民の交通などの連携を図り、もって産業・経済の一体的地域開発に寄与する目的で、主要地方道宇奈月大沢野線が平成5年4月に事業化されたとこでございます。
しかしながら、昨今の産業・経済の状況並びに景気の停滞等から、公共事業費の削減により、事業の進み具合につきまして、私たち地元住民が思うほど進んではいないように思うのでございます。 そこで市長には今後の予算並びに進捗状況と完成時期等がわかればお伺いしたいと存じます。

◯荻野幸和市長
……ご質問の進捗状況でありますが、平成4年度から平成9年度におきまして、宇奈月町愛本から大沢野の笹津地内の延長80kmについての概略ルートの検討及び河川の橋梁部分の比較検討等がなされております。平成5年度に立山・大山町の立山大橋が事業化されまして、平成11年11月には完成の予定であります。また、平成8年度には魚津市の島尻より石垣地内の事業に着手されまして、平成9年度には滑川市の箕輪地内で整備に着手されておりますが、進捗率は大変低い状況にあります。

当黒部市管内におきましては、平成9年度より栃屋、中山地内の延長1kmについて路線測量、道路設計がなされております。平成11年度より宇奈月町の用地買収が行われることとなっておりますが、この区間は大変谷間が多いということ等も含めまして、橋梁工事が大変たくさん入ります。また、中山地内より魚津側のルート検討も行われているときでありまして、早期にルートの発表を待っているというところであります。この事業は、80kmになんなんとする道路ですので、それぞれの地域間で一気通貫で全部やってしまうということでなしに、その地域間、地域間を、ある道路からある道路まで完成をさせながら、基本ルートはありますが、ある区間を完成させて、そこで供用開始をして、また次に移っていくというような手法が取られておりますので、スーパー農道方式とよく似たことだというふうに理解していただければいいと思います。

そんなことで、当黒部地域管内には用地買収が行われるようになっておりますし、中山地内より魚津ルートの検討も行っているということをご報告できると思います。
さて、完成年度はいつかと言うと、これはかなり、今のところでは見通しがたちません、……

黒部市議会 平成11(1999)年9月14日の定例会 議事録より

このように平成11年当時には既に、東部山麓道路こと県道宇奈月大沢野線の事業の進み具合は、公共事業抑制のため、当初予定からの遅延が認識されていたことが分かる。
それでも、「平成9年度より栃屋、中山地内の延長1kmについて路線測量、道路設計がなされて」いて、「平成11年度より宇奈月町の用地買収が行われることとなって」いること。計画ルートには、「橋梁工事が大変たくさん入」ること。さらに先の「中山地内より魚津側のルート検討も行われている」ことなどが分かる。

この後、黒部市議会でこの道路に関する答弁がしばらく現れなくなるために、その後の進捗をつぶさに観察することは出来ないものの、当時は全体的な計画の遅延が意識されつつも、今回探索した“飛び地県道”を含む一帯では、宇奈月町と黒部市を結ぶ道路の設計や用地買収が進められていたことが分かる。

その後、宇奈月町が黒部市と合併し(平成18(2006)年)、今回探索した部分も“黒部市内”となったのであるが、先ほど見た航空写真に照らせば、ちょうどその時期に新道の工事が行われていた。
前述したように、この工事の名目や事業主体は分かっていないが、東部山麓道路を念頭に置いたものであることに疑いはない。

そして、平成25(2013)年6月14日の定例会では、約14年ぶりに東部山麓道路の名前が会議録に登場していた(これが今のところ最後の登場)。
新川育成牧場(現在のくろべ牧場)へのアクセス改善に関する議論の中で、市長が次のように発言している。

◯堀内康男市長
……浦山地内から新川育成牧場へ至る市道栃屋金毘羅線につきましては、東部山麓道路構想のなかで県道宇奈月大沢野線として改良するよう県に対し引き続き要望してまいりたいと考えております。

黒部市議会 平成25(2013)年6月14日の定例会 議事録より

短い内容であるが、東部山麓道路構想や宇奈月大沢野線の整備計画が近年もまだ死んでいないことが確かめられる内容だ。
しかし、依然として「県に対して要望していく」というような段階の話だということも分かる。
事業としての進捗がほとんど見られないからこそだろう。

航空写真と対比させると、この質疑があった時点でCのミニ新道が既に完成していたのであるが、おそらく当時はまだ市道であった。
だがそれから間もなく、折角整備した新道が不運にも災害に巻き込まれて破壊されたD。
そして、災害復旧工事が行われたEタイミングで、当該工事区間を県道へ編入したということではないだろうか。

道路法における災害復旧工事の費用負担者の原則は、その道路の管理者である。
つまり市道であれば黒部市が支出することになる。
災害復旧事業費国庫負担法の取り決めにより、3分の2の国庫負担がなされることが多いが、3分の1は黒部市の負担だ。
だが、この道路が県道であれば、黒部市の負担はゼロである。

黒部市と富山県の間で災害復旧工事の費用負担をどうするかという協議がなされ、災害復旧工事の対象部分を県道に編入するという、奇抜なことが行われたように推測する。

将来的に県道として整備する計画があったからこそとはいえ、こういう理由での部分的な県道昇格が珍しいことは、全国各地にこのような奇妙な飛び地県道が多くはないということから伺え知れよう。つまりここでは、災害が県道を早産させたってことになるんじゃないか。
もともとの県道が既に難産過ぎて、自治体としてはどんなきっかけでもいいからいい加減作ってくれって想いもあったかも🦆。


 「富山県報」に本区間の供用を伝える公示があった

国会図書館デジタルコレクションで近年の「富山県報」が公開されており、そこに今回探索区間のものと見られる供用開始の公示があった。
全部で3回見つかっている。それぞれ次のような内容だ。

・平成22(2010)年3月26日 富山県報 号外(7)

道路の区域決定
道路の種類及び路線名区間敷地の幅員延長
県道
宇奈月大沢野線
黒部市宇奈月町大谷字前大谷326番4
か ら
黒部市宇奈月町大谷字前大谷329番2
まで
最大58.5m
最小6.0m
181.0m
道路の供用開始
道路の種類及び路線名区間供用開始の期日
県道
宇奈月大沢野線
黒部市宇奈月町大谷字前大谷326番4
か ら
黒部市宇奈月町大谷字前大谷329番2
まで
平成22年3月26日

これにより、今回探索区間が初めて県道として供用を開始されたのは、平成22(2010)年3月26日であったことが分かった。
航空写真に照らせばCの状況、すなわち、ミニ新道が開通した時点であろう。
これは、従来の私の見立てよりも早い。
私は、後に被災してその復旧工事が行われた時点で県道へ昇格したと判断していたが、これは誤りであった。


・令和2(2020)年3月6日 富山県報 第4610号

道路の区域変更
道路の種類及び路線名区間変更
前後別
敷地の幅員延長
県道
宇奈月大沢野線
黒部市宇奈月町大谷字前大谷326番4
か ら
黒部市宇奈月町大谷字前大谷329番2
まで
変更前最大58.5m
最小6.0m
181.0m
黒部市宇奈月町大谷字前大谷326番4
か ら
黒部市宇奈月町大谷字前大谷330番12
まで
変更後最大87.85m
最小6.0m
221.1m
道路の供用開始
道路の種類及び路線名区間供用開始の期日
県道
宇奈月大沢野線
黒部市宇奈月町大谷字前大谷326番4
から
黒部市宇奈月町大谷字前大谷330番12
まで
令和2年3月6日

・令和3(2021)年10月20日 富山県報 第4850号

道路の区域変更
道路の種類及び路線名区間変更
前後別
敷地の幅員延長
県道
宇奈月大沢野線
黒部市宇奈月町大谷字前大谷330番12
か ら
黒部市宇奈月町大谷字前大谷330番12
まで
変更前最大54.6m
最小33.5m
22.4m
黒部市宇奈月町大谷字前大谷330番12
か ら
黒部市宇奈月町大谷字前大谷330番12
まで
変更後最大77.2m
最小47.7m
22.4m
道路の供用開始
道路の種類及び路線名区間供用開始の期日
県道
宇奈月大沢野線
黒部市宇奈月町大谷字前大谷330番12
から
黒部市宇奈月町大谷字前大谷330番12
まで
令和3年10月20日

そして、この令和2と3年の2回の公示が、災害復旧工事が終わったときのものだろう。
段階的に復旧が行われ、現在の道路になっているのである。
ちなみに、令和2年と3年の変更後の区間の延長を合わせても台帳から読み取れる256.6mには合わないが、これは起点側に2度の変更から漏れている区間が少しだけあるためだと解釈している。

改めて、この追記の重要事項を最後にもう一度。
今回探索区間の県道化は、災害復旧を目的としたものではなく、県道として改良工事を行ったら、そこがすぐに崩れたというのが正解だ。

ただ、その際に、元の綺麗な新道の位置に道路を復旧させず、あんなブラインドのS字カーブに妥協するような直し方をしている辺り……、むしろ闇が深まった気が…。
県はどんだけこの県道(のこの区間)にやる気が乏しいんだって、そう思っちゃったよ。




最後に、黒部市の長期的な道路整備計画である「黒部市幹線道路整備計画」に触れて本稿を終えよう。

黒部市が公開している資料の一つに、平成23(2011)年3月の「黒部市幹線道路網計画の見直し報告書」がある。
この報告書は、平成3(1991)年に策定された「黒部市幹線道路整備計画」(以下「前回計画」という)から20年を経過し、その目標年次(平成22年)を迎えたことを契機に、現状を整理して見直しを図ることになったとして、その具体的な内容を記したものとなっている。

東部山麓道路についても記述があるので、見ていこう。


『黒部市幹線道路網計画の見直し報告書』より

右図は、「前回計画」の幹線道路網図(市内全域/平地部)である。
どちらの図にも、「山麓部幹線道路構想」と注記された太い点線が描かれている。

「前回計画」が策定された平成3年時点、まだ県道宇奈月大沢野線は認定されていないし、東部幹線道路という名前でもなかったのである。

両図の“矢印”の位置に今回探索した“飛び地県道”があるが、当時の山麓部道路構想の想定位置は、そこからかなり東側へ離れていることも注目すべき違いだ。


次に、この「前回計画」が、見直しによってどのように変わったかの説明を読んでみよう。
ちなみに見直し後の計画の目標年次は、平成41年とされていたから、西暦だと2029年、令和11年に相当するから、これは黒部市の現行計画である。



『黒部市幹線道路網計画の見直し報告書』より

東部山麓道路は、県東部の山麓に点在する観光拠点などを有機的に連絡し、周遊性の高い観光ルートを形成することにより、その一体的な利用と相乗効果を高める道路です。また、平成21年4 月には富山県及び滑川市以東の3市2町が「富山湾・黒部峡谷・越中にいかわ観光圏」の認定を受け、新川地域の魅力ある観光地づくりに向けて取り組みを強化しており、本路線は観光客の来訪・滞在の促進に資する道路として期待されています。
前回計画では、「山麓部道路構想」として東布施地内から宇奈月内山地内を縦断する路線と して位置づけていましたが、今回の見直しにあたっては、「東部山麓道路」の概略ルートに変更します。

『黒部市幹線道路網計画の見直し報告書』より

見直し後の幹線道路計画では、「東部山麓道路構想」が“グリーンの箱線”で示されるようになった。
これは、明らかに“矢印”の位置の“飛び地県道”と重なっている。
東部山麓道路の整備計画は現在でも中止されたわけではなく、このように市の幹線道路計画に生き残っている。

しかも、行政の執念深さというか諦めのワルさというべきか、東部山麓道路構想がありながら、依然として山麓部道路構想のラインも残されているのである。
何かの間違いで両方とも整備される未来の可能性を、みすみす取り逃すまいとするかのようであるし、この傾向は黒部市だけでなく、さらに上位の富山県にもある。

令和3(2021)年に富山県が策定した富山県新広域道路交通計画(もちろんバリバリの現行計画で、しかも最新!!)を見ると……(↓)


『富山県新広域道路交通計画』より

なんだか目立たせたくなさそうな色で、「富山山麓道路」が描かれているのである。(見つけられた?)

そもそもこの計画は、国の広域道路ネットワーク計画を受けて富山県が策定したもので、そこでは従来の高規格幹線道路(いわゆる高速道路)と地域高規格道路を「高規格道路」として一体化し、それに準じる機能を持たせる道路を「一般広域道路」として、両者を合わせて「広域道路」としている。そしてこの「富山山麓道路」や「北アルプス横断道路」「金沢福光連絡道路」のラインは、「高規格道路」の構想路線であることを示しており、「高規格道路としての妥当性などを検討する路線」としている。つまり、従来の地域高規格道路にあった「候補路線」とほぼ同様の扱いだ。

富山県は現在でも、一般道路である東部山麓道路とは別に、その原点ともいえる富山山麓道路という高規格道路の構想(“第二北陸自動車道”的なものでもある)を、完全には諦めていないのである。

そんなことまでもが、今回のたった256.6mの“飛び地県道”の調べで、知ることになったのであるが、計画から40年あまりを経過してなお256.6mしか作れなかった道が夢を見ていいスケールを遙かに超えている気はする……。

本当に夢なら自由なんだけどさ、これは一応計画だからな。







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