道路レポート 和歌山県道45号那智勝浦本宮線 畝畑地区 前編

所在地 和歌山県新宮市
探索日 2024.12.15
公開日 2026.03.07


今回紹介するのは、全国の都道府県道の中でも屈指の長い“不通区間”を有する路線だ。

路線名は、和歌山県道45号那智勝浦本宮線。主要地方道である。


この路線は、紀伊半島の南部にあり、和歌山県の那智勝浦町、新宮市、田辺市の範囲に跨がっている。
有名な熊野三山(本宮、新宮、那智)のうち、那智と本宮を最短距離で結ぶ路線であり、そのように聞けば、参拝客を大勢乗せた大型観光バスがバンバン走っていそうなイメージを持たれるかもしれないが、実際は上図に示したように、路線の北半分(点線の部分)にあたる新宮市及び田辺市内の大半が未整備のまま取り残された状態になっており、その区間が相当に長い。

具体的には、本県道の実延長49752m(令和7(2025)年度末の数字)に対し、改良済延長(道路構造令に準拠した構造の区間)が23063mしかないので、残る26689mは道路構造令を満たさない未改良道路ということになり、かつ、このうち16km程度は、地形図上で徒歩道のように表現された山道が県道になっており、そこは自動車交通不能区間であろうと考えられるのだ。

仮に16kmが自動車交通不能区間であるとすると、これは全国の都道府県道の中でも相当長いはずだ(統計データが存在しないので順位付けは出来ないが)。
また個人的なポイントとして、ここは単に現道が存在しない未供用区間ではなく、現道自体は存在するが車が通れない区間ということで、このように長い自動車交通不能区間は珍しいのである。(ちなみに、国道における日本一長い自動車交通不能区間は、国道291号清水峠区間で29.2kmもあるが、おそらく都道府県道にはそこまで長い区間はないと思う)


と、ここまで書けば、おそらく読者諸兄の期待は、紀伊半島の山奥を踏破する長大不通県道探索へと素直に向いてくれると思うが、敢て今回は、この長大な不通区間を持つ県道の“顔見せ的”な短編を書きたい。
この路線には、長い不通区間に挟まれた、ごく短い、“不通ではない区間”がある。
私は個人的にそういう場所が大好きであり、今回はそこを紹介したいのである。

もう一度先ほどの地図を見て欲しい。
路線の北半分の大半が自動車交通不能区間になっているが、その途中に1ヶ所だけ、そうではない短い区間があるのが分かると思う。
次は、その周辺を拡大した地図を見ていただく。



最新の地理院地図で、新宮市熊野川町畝畑(うねはた)の一帯、約4km四方を表示した。
蛇行の激しい和田川に沿って黄色く塗られた車道があり、これは和歌山県道229号熊野川古座川線である。
おそらく、全線を通り抜けたドライバー100人中100人が「長かった」という感想を答えるであろう、“険道”が多い紀伊半島内でも屈指の長さと寂しさを感じられる県道だが、起点側からも終点側からも11〜12kmは人家が途絶えた先のこの畝畑には、令和2年の国勢調査にて1戸3名が暮らしている。

で、この地理院地図をよく見ると分かるが、畝畑集落の前後1〜2kmの短い区間のみ、前出の県道229号と今回の本題である県道45号が重複している……ように地形図だと描かれている。
後ほど説明するように、これは一部が不正確なのだが、大部においては正しく、実際に畝畑の前後で県道229号と県道45号が重複しており、当然このような場合は道路法のルールに則り、路線番号がより若い方(さらには一般県道<主要地方道の優先順位で)、この重複区間は県道45号の実延長にカウントされる区間ということになる。

この地図の範囲内で、県道45号が徒歩道ではなく“車道”として表現されているのは、県道229号との重複区間内だけであり、実質的にも県道229号側の経緯から整備された車道であることは疑いがないのであるが、とにかくこういうわけで、この畝畑周辺にちょっとだけ、県道45号の前後を長い不通区間に挟まれた、ごく短い“不通ではない区間”があるのである。

果たしてこの場所へ行くと、県道229号のヘキサがいつの間にか45号へ変わり、また少し行くと229号へ戻るというような、そういう奇っ怪な現象が起こるのであろうか。それとも、道路案内上において県道45号の存在は完全に無視されてしまうのだろうか。
……そういう“些細”なことが、私はとても気になったのである。
だからこそ、なかなか外部からは行きにくい場所であるこの場所を、手間を惜しまず目指したのだ。

そうそう、先ほどの画像のチェンジ後のそれは、道路地図帳『スーパーマップルデジタル26』の表現である。
こちらは徒歩道を県道として塗り分けないので、県道45号は完全に読み取れない存在だ(ヘキサは私が描き足した)。
おそらく市販の多くのカーナビなども、県道229号だけを表現して45号は無視しているものが多いのではないかと思うが、皆さまの機種はどうでしょうか?



さらにもう一つ、この畝畑には県道の面白い秘密がある。

地理院地図で畝畑をいくら拡大して見ても、(↑)これ以上詳細な県道のルートを知る手掛りは無いのであるが、実はこの地図の表現だと、少しだけ正しくないのである。

私はこのことを大昔から様々な情報提供を戴いている『県道と標識のページ』の作者ハルニチ氏に教えて貰った。それこそ10年以上昔の話であるが、以来ずっと気になっている場所だったのだ。

ハルニチ氏からご提供いただいたソースは部外秘であり、ここでお見せすることは出来ないので、“他の資料”に私が転記したものを代わりに使うことにする。
次の図は、上の図の“桃枠”の範囲を、全国地価MAPで拡大したものだ(↓)



全国地価MAPで見ることができる大縮尺の詳細な地図だと、“矢印の位置”に、地理院地図には描かれていなかった、短い峠越えの道がある。

おそらく徒歩道であろう、ごく狭い道で、この地図では、この道がなんだという情報はないのだが……

ハルニチ氏伝授の情報によると――



県道45号は、この狭い峠越えの道に認定されているというのである。

したがって、実際は上図に私が塗り分けたような形で、県道45号と県道229号が狭い範囲で分岐したり、合流したりを、繰り返しているのである。



畝畑での2本の県道の苛烈な交錯っぷりを、地理院地図上に正確に再現すると、こうなる。

長い不通区間に挟まれた、短い“不通ではない区間”の中に、さらにごく短い不通区間があったことに驚きを禁じ得ない!

まるでマトリョーシカみたいに不通区間が詰込まれてやがる。
もはや、誰のためにある県道かと問われれば、私のためにあるのかだと思えたくなるくらいの変な道。
そんな変な県道を、図中のスタートからゴールまで、出来るだけ忠実に辿って見たのが今回の記録だ。


では、いってみよう!!



 県道45号から畝畑に辿り着くという変な偉業を達成したところからスタート


2024/12/15 13:08  《現在地》

今回の探索の主役は、県道45号那智勝浦本宮線であるから、あくまでもこの県道側の認識に立って沿道の風景を紹介していきたいと思うが、そのための準備は今すっかりと整っている。
なにせ私はいまこの瞬間、県道45号だけを使ってここへ辿り着くことに成功した。
もしかしたら(本当にもしかしたら)県道45号が認定された昭和58年以降、初めて達成された“偉業”ではないかとさえ思うが、この偉業の中身については、また次の機会に紹介しよう。

県道45号の起点である那智勝浦町の国道42号八尺鏡野(やたがの)交差点から、はるばる32km走ると、同町樫原のストビュー限界地点に至る。
そこから県道を諦めずに約8km辿ると……、すなわち起点からの累計約40km辿ると、今いるこの場所、新宮市熊野川町畝畑の“交差点”に辿り着く。

この場所が、県道45号と、県道229号熊野川古座川線の合流地点なのであるが、残念ながら、そのことを報せるような表示物は、全く、一つも、一切見当らない。
というか、地図をよほど注意深く観察しなければ、県道229号の運転席から、ここが分岐だと気付くことは不可能だと思う。
(“矢印”の位置に思わせぶりにある標識も、229号の沿道に沢山立っている「カモシカ保護区」の看板である)



ただ、さすがに今しがた通り抜けてきた道なので、私には分岐である事が分かる(そりゃそうだ)。

県道229号の路肩に立って、20m下を流れている和田川(の源流の小原谷)を覗き込むと、そちらへ下って行く幅1mほどの階段混じりの急坂道が、ちゃんと見えた。
これが県道45号である。この先には北の川という廃村があり、県道がそこに通じる唯一の道だ。
特に通行を規制する柵や看板はないし、法的にも県道45号の現道で間違いない。当然、公道としての利用は自由である。(この先は荒れていて、かつとても険しいので、不用意に入ると遭難の可能性が高い)



予めデポして置いた自転車に乗り換えて、ここからは久々に車道となった県道45号を、終点方向へと進んでいく。
前説で紹介した山中孤立の畝畑集落は、ここから1.5kmほど先である。
まずはそこへ向かう。

なお、ここを訪れる人の99%以上は、車道である県道229号の利用者であり、その車窓の流れの中でここを通過していると思う。
実際私も1度目にここを訪れたときはそうだった(あいにく夜だったから車窓は全然見えなかったが)。
なので、県道229号側の目線でも風景を語りたいが、ずばり“県道ファン”に一番気になるポイントである、県道45号のヘキサがこの県道229号との重複区間内にあるかの答えを先に書いてしまうと、ずばり、「ない」というのが回答になる。

私もこれは残念には思っているが、この地の県道を管轄している和歌山県東牟婁振興局新宮建設部は、そんな泡沫道路ファンだけが喜ぶサービスをしている場合ではないくらい、管内の県道が“険道”ばかりで大変なのである。(←勝手な憶測)

チェンジ後の画像は、“分岐地点”の振り返り全景だ。
全景は、鬱蒼とした植林地にある尾根上の広場であり、後述する和田川林道の時代は、ここが下流側から辿れる長い車道の終点だった。
その名残として、この広さや、使われていないプレハブの休憩所がある。



13:12

県道45号と229号の重複区間の南端部から、同北端を目指して、自転車での移動を開始。

この幅4.5mほどのいかにも林道のような雰囲気を持った県道は、案の定、もとは林道であった。
林道時代は2つの路線名を経験しており、昭和49年以降は和田川松根スーパー林道、それ以前は和田川林道の名前で、いずれも有名な森林開発公団が建設を手がけている(管理は当時の熊野川町)。

県道45号は昭和58(1983)年に認定されているが、どうもその時点では引続き林道として継続したらしく、平成7(1995)年に県道229号が認定された際に初めて、スーパー林道の全線が県道に編入されたようである。
県道45号くん……、君は一体何のためここへ来たんだい? と、思わずそんな言葉を掛けたくなる、悲しい泡沫県道エピソードである。



13:14 

いま私の中に、同時に二つの道が見える。
一つは現代に存在している、険しくはあるが頼れもする、この足元の車道である。
前述のように、生まれは林道だが、現在は県道229号であると同時に一応は県道45号ということに(道路法のルール上)なっている。

もう一つは、ほんの10分前まで、何時間も歩いていた、古い時代の徒歩道だ。
ここでは車道にすっかり上書きされて見えないが、おそらく近い位置にあっただろうその道の様子も、脳内では再現ができた。
県道45号は、県道としては昭和の終わり頃に生まれた古くもない道だが、その経路は林道より遙かに古い道をなぞっていることが明らかで、ようするに10分前まで歩いていた道こそが、県道45号に似つかわしい姿であった。
今のこの姿は、あまりにも、借り物に過ぎる。そう思えた。

道路上からも、路肩から身を乗り出して撮影した谷の俯瞰(チェンジ後の画像)にも、同じ姿で写っている、三本槍を立てたような、あるいは「山」の漢字の原形のような形の山は、大倉畑山という。
幸い、今日の私の探索径路上には聳えていないが、これから向かう畝畑の集落と、その本村ともいうべき(役場所在地だった)小口集落の間の、畝畑住民にとっては最も頻繁に行き来すべき生活路が、あの大倉畑山の肩を越えるザレ坂峠とも、思案坂とも、辞職坂とも呼ばれた険悪な山道であったという話を私は聞いていたから、あの尖りきった姿に日常を重ねることが難しくて、うぐぅっとなった。

だいたいは、林道和田川線が小口から畝畑まで全通した、昭和35年頃よりも前の話であるが…。



13:18 《現在地》

冒頭の地点から1.5km北上すると、ひとしきり下った後に、分岐と、すっかり色の悪くなった“青看”が現われた。
県道は、このまま道なりに進めば良いのであるが、左折して支流の奥山川を遡る未舗装路があり、こちらは、青看にもあるとおり、坂林道という、和歌山県営林道である。

地図を見ると、これまたたいそうに長い山道で、延々18kmほどで峠を越えて(県道45号の行先である)お隣の田辺市本宮町へ抜けられるようになっているが(ある意味県道45号の代替路とも考えられる)、あいにくこの日は、「10km先で路肩欠壊通行止」という、いつからあるのか分からない看板が掲げられていたので、もはや探索向きの道になってしまっている恐れもありそうだと思った。
だからそんな気軽にとは入っていけない道だと思う。とは。
てかどうせこのってのも語源は、道が険しすぎて通行人が“ほうほうのてい”になったとか、そんなことだろ…。



分岐を道なりに進むと、直ちに奥山川を渡る。

橋は林道時代のままとみられる狭さで、高欄や橋桁は念入りに補修されているが、トラック1台分だけの狭さに古さが滲み出ている。
そしてなぜか親柱や銘板が全くないので、現地には橋名を知る手掛りがなかったのであるが、『全国Q地図』の2024年度全国橋梁マップにデータが収録されており、それによると、奥山川橋(竣功1973(昭和48)年、橋長14.6m、幅3.6m)等の諸元と一緒に、本橋の所属路線名が確かに「那智勝浦本宮線」であることが記載されていた。
間違いなくこの橋は、県道229号ではなく県道45号の構造物として、管理されている!

そしてこの橋を渡ると、そこに畝畑の最後の住民の家屋敷がある。
畝畑と言っても本来は相当広い地域で(明治22年以前は一村をなしていた)、その中の小口というのがここの集落名である(小口村の役場所在地だった小口とは別)。住民が多かった頃は小口にも多くの民家があったし、少し下流の栗須(栗栖平)には小学校があり、そのすぐ川下の中井平と共に村の中心地をなしていたという。



11:05

この一軒家はとても道に近いところにあるので、ただの通りがかりを数回しているだけの私にも、なんとなく印象が濃い。

通りがかりの1回目は、すっかり暗くなった時期の午後7時頃に、車で今回とは逆方向に通ったのだが、10km以上も全く明りのない狭隘ぐねぐね県道を辿ってきたところで、ポツンと一軒だけ明りが付いているのを見て、その時は畝畑に住人がいるとは思っていなかったからとても驚いた。そしてこの一軒を見たきり、その先また20km近くも全く明りを見ない山道が始まって、今度こそ果てしなさ過ぎて焦ったわけだが、夜はそのくらい寂しいところである。

昨日の夕方、自転車をデポしに来たのが2回目の通行で、これが3回目の通行となるのだが、2回目のときは今度は見慣れた郵便屋さんの赤い配送車と、このすぐ下流側ですれ違った。
人家があるので走っているのはおかしくはないが、公共交通機関も10km以上絶えている所まで当然に配達が行われている事実に感慨深くなった。
車が使えるだけ配達しやすい場所だよとか、ベテラン配達員が笑いそうだが……。

本編では紹介する機会がないからチラッと見せるが、だってこんななんだよ。(↓)
ここから最寄りの小口集落へ通じる片道10km以上全く人家が絶える県道229号の現道風景って。

【ガードレールのない絶壁が延々と続く道】
【長時間掲示されすぎて“危険要素”しか残っていない看板】
【これより郡界まで全線落石注意。……まだ20km以上先ですけど…】
【お前に出来るのは祈ることだけだとでも言いたげな、焼「DANGER」旧標識と地蔵のペア】
【なお、お地蔵さまは開頭手術済。絶対痛い目見てる…】

(↑)順当に下流側から辿り着くためには、上記の全てと、あと沢山の素掘り隧道を乗り越えてくる必要があるのが、この畝畑という場所なのだ。



そりゃあ、集落内だって、路傍の川の水が濁る要素が全くない。

水が綺麗すぎて怖いくらいだ。



13:22

奥山川橋を渡って住家の脇を過ぎると、道は和田川の大きく蛇行する流れの近くを進んでいく。
地形としては、和田川の蛇行する流れというのが支配者で、それによって緩急を作られた岸の都合良きところに人家がある、その集まりが畝畑というムラであった。

写真の右側に鬱蒼と樹木が茂る尾根が見えるが、これが先端に栗須の在所を有した、蛇行の芯となる尾根である。
ということは、そろそろ今回の探索の要となる場面が近い。
事前に調べてきたとおり、県道229号はこのまま蛇行に付き合って川縁を進むが、県道45号はこの尾根を乗り越えて先へ進む。
その分岐が、近いはずだ。



13:23 《現在地》

路傍に朽ちかけた階段を発見!

ピンクテープもあるッ!!

こ、これが真の県道45号……。






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