隧道レポート 松姫湖の廃隧道 中編

所在地 山梨県大月市
探索日 2010.3.15
公開日 2011.8. 3

鶴寝トンネルの下にある、もうひとつの坑門の正体は?



2010/3/15 13:44 《現在地》

これは今通り抜けた「ダムトンネル(仮称)」の西口。

東口、ダムサイトに面した坑口、そしてこの西口、3つの坑口とも扁額や工事銘板を持たず、名称を知る手がかりがない。
作りからいってもそんなに古いトンネルではないはずだが、不思議なこともある。
こうした現代的なトンネルで工事銘板がないのは、希少例なはずだ。

それはさておきこの坑門。
立地的に考えて、私が目指す“上下2段トンネル”の誕生から現在までの変遷を、全て見てきたはずである。
それだけにもう少し口達者だと助かるのだが、これでは何も聞き出せそうにない。




ダムトンネルを出ると、その左手には大量の伐根を留めたままの急斜面があり、その下に湖面が広がっている。
そしてこの場所が、奇妙な景色のはじまりである。

最初は路肩のガードレールが二重になっておかしいなという感じなのだが、進むほどに2列のガードレールは遠ざかり、しかも高低差が付いてくる。
やがてガードレールとガードレールの間にアスファルトの路面が現れ始めるので、ここが分岐だということに気づくのだ。

この分岐の仕方は、完全に一方を殺して一方だけが生き残るパターン。
ということは、単なる行き先違いの分岐ではないし、かといって同じ道の単純な新旧道という関係でもない可能性が大である。
同じ目的の道の新旧関係であれば、工事中の利便を考え、旧へ入れる余地を残したまま新を作ることが多いのだ。

要するにこの景色からは、道が使われていた時代としては下が旧、上が新で間違いないとしても、この新旧道は同じ目的の道ではなくて、旧が役目を終えた後に、新が別の目的をもって、旧を上書きする形で建設されたのではないかという推測が出来る。
ちなみに新の目的は判明していて、林道土室日川線であるが、旧についてはまだ分らない。





キタキタキタキタ!

可笑しくなってきた!



で、この不思議な景色の中にあっても見逃せないのが、この矢印標識。

これは道路標識ではなく、デリニエーター(反射板)などと同じ道路保安設備のひとつなのだが、この矢印って林道とかではまず見ない気がする。

それに、矢印のポールに貼られた小さなシール。
「6 山梨県」と書いてある。
これは財産管理標みたいなもので、平成6年に山梨県が設置したことを示している可能性が高い。
県道や国道ではなく、山梨県営林道である土室日川線であっても同様の表記は考えられるが、平成6年にこの道が使われていたことや、ダンプだけが通る工事用道路のようなものでは無く、一般道であったろうということが、ここから読み取れるのである。




振り返ると、“道路 on 道路” という不思議な景色。

しかも、上の道と下の道は、ガードレールから舗装の風合いまでうりふたつで、何とも不可思議な雰囲気を醸し出している。
毎晩毎に道路の上下がそっくり入れ替わり、今日は上で明日は下でみたいな使われ方をもしているのではないかと、そんなあり得ぬ想像をした。

それはさておき、そろそろ下に降りないと、降りることが出来なくなってしまう。
いよいよ下段の道へ、ゴーだよ。




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2006./6/18 16:10

下段に降りたら4年前にタイムスリップしたワケではもちろん無くて、私はなぜかこの部分の探索だけ、関東移住の前年に行っていた。
もちろん、この景色が目当てだったのではなく、たまたま通りがかったというか、立ち寄ったときに見つけたのだった(と思う)。

というわけで、いよいよやって参りました。上下2段トンネル。

このように下の道も舗装されているが、坑口付近には草が沢山生えている。
また、舗装された路面上にも、なにかの流れたような模様が出来ている。

これらの原因は、おそらく水没だ。




湖畔の様子から見るに、葛野川ダムの満水位はこの線の辺りにあり、ぎりぎり下段のトンネルの下部が水没するくらいと思われる。

路上の模様は水位の変動に伴う堆積物の流動によるものに見えるし、坑口前の草むらは泥の堆積が原因ではないだろうか。





坑口前で振り返って撮影。

この写真だけだと、ちょっと荒れた感じの現役道路に見えるが、現道とはガードレールや段差で完全に仕切られていて、車が進入することは決して出来ない。
また、路面上にキャタピラーのタイヤ痕のようなものがうっすら見えるが、これは完全に現役時代のものだろう。





上下2段トンネル!

近くで見ても、やはり異様な光景であることに違いはないが、

それだけではない、コンクリートウォールの圧迫感が息苦しいほど。

遠目で見るよりも巨大なトンネルで、目をみはる。




下段のトンネルには、扁額や工事銘板が見あたらず、先ほどの「ダムトンネル」と同様、正式な名称を知る手がかりがない。
対する上段のトンネルにはこの両方が存在していて、後ほど通るが、名前は鶴寝トンネルという。
下段のトンネルを旧鶴寝トンネルと読んで良いのかは後ほど考察するので、今はただ下段のトンネルとだけしておく。

また、天井の高さが低いように見えるのは、路面が50cmほどコンクリートと土で埋め立てられているせいだ。
ただ、その事を差し引いても、幅員に対して天井の低いトンネルだという印象に変わりはない。
幅はおそらく5.5mでぎりぎり2車線分くらいあるのだが、高さは3.5m程度だったのではないだろうか。




で、誰しも気になる肝心の洞内なわけだが。

ご覧の通り。

ショボーン。

洞内は入口からわずか3mほどのところで、コンクリートの壁で完全に封鎖されていた。
ただし、閉塞壁には空気穴状のものがひとつだけ空いている。
小さな穴の奥は真っ暗で、先に空洞があるのかも定かではないし、風も抜けてはいなかったが…。

水没することもある旧トンネルということで、保安上の意味からも閉鎖してあって不思議はないのだが、これで反対側の坑口がどこにあるのかということが、大きな謎になってしまった。

謎を持ったまま、上段の現道へ戻る。