隧道レポート 松姫湖の廃隧道 後編

所在地 山梨県大月市
探索日 2010.3.15
公開日 2011.8. 4

下段トンネルの行き先は? 湖底か?!



2006/8/13 16:13 《現在地》

下段トンネルが封鎖されていたことを受け、すぐに上段トンネルへ戻ってきた。

上段のトンネルには、ダムトンネルや下段トンネルにはなかった銘板が存在していた。
それによると、この鶴寝トンネル(全長321.0m)の竣工は1999年(平成11年)6月で、アンゴルモアの大王が来ると予言されていた前の月である…ことはさておき、ダムの完成と同じ年のことである。
前回考察したとおり、封鎖されている下段トンネルは、こちらが完成した時点で既に利用が終了していたと思われるので、その廃止年度は平成11年以前ということがいえる。

なお、鶴寝トンネルの発注者は山梨県林政部であり、県営林道であることを裏付けている。




この左右2枚の写真は、2010/3/15の探索で、上と同じ地点から撮影したもの。

前回(4年前)と較べて、坑門や周辺の地形に目立った変化はみられず、強いていえば坑門の壁を伝う水汚れが増えた程度だ。
もちろん、季節の違いによる印象の変化はあるが、それは除外する。

どう見てもこのトンネルは老朽化を原因に封鎖されたものではなく、単純にダム湖への水没という一事をもって役目を終えたのだろう。
それが想定内の出来事だったのか否かは、後ほど考察したい。




全長321mと決して短くはない鶴寝トンネルだが、2度訪れた2度とも照明が全て消灯され、洞内はほとんど真っ暗だった。

直線なので出口は常に見えているし、ダムトンネルとは違って壁面の施工も完全だが、未成トンネルのような雰囲気がある。
トンネル自体は完全でも、この道自体は未成道のようなものだし、新しい道なのに万年封鎖されているということで、そう感じるのも無理はない。

また、洞内は全線が登り坂(西に向かって)になっていて、下段トンネルがどの方向に向かっているのか見当もつかないが、単純に並行はしていない予感はあった。
当然、洞内には下段トンネルとの連絡坑などは見あたらなかった。




16:16 《現在地》

鶴寝トンネルを出ると、やはり湖面との高低差は増しており、必然的に距離も離れている。
ちょうどそこには入り江状の地形があって、手前は治山工事でガチガチに固められているが、途中からは溺れ谷のようにすっぽり湖面に没していた。
手前の治山工事部分は、木々も全て刈払われて地山が露出しているので、そこに下段トンネルの出口が無い事は明らかだった。

となると、下段トンネルの出口は湖底なり湖上なり、いずれにしても現道からは近くない場所にあるということなのか。
そして、多少アングルを変えて見ても見あたらないということは、今日の水位だと湖底にあるのだろうか…。




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2006年の探索は下段トンネルについてこれ以上有意な情報を得ることなく終了し、写真は2010/3/15に戻る。

現在地は鶴寝トンネルと次の山口トンネルの間の明り区間。
路面にセンターラインこそ敷かれていないが、ぎりぎり2車線分の道幅があって、将来的に甲州市まで結ばれる日が来れば、単なる林道ではなく一般道として使われることを想定しているのかも知れない。
行く手に見えてきた巨大な橋は、ダム付け替え道路としてみれば当然かも知れないが、なかなか強壮な橋である。

なお、土室川沿いの林道はダム完成以前存在せず、昭和40年頃に廃止された土室森林軌道跡が細々と谷底にあるだけだった。この廃線跡はダム湖より上流に現存しており、レポートは『廃線跡の記録 2』に執筆した。レールも完全に残っていて、危険ではあるがオススメの廃線跡。よろしければご覧下さい。




この巨大な方杖ラーメン鋼橋の名前は、深渓滝沢橋という。
奥に見えるトンネルが山口トンネル(全長550m、平成11年竣工)である。

深渓滝沢橋の読みは「しんけいたきざわはし」で、下を流れる沢の名前は「シンケイタキ沢」だという(いずれも銘板から)。
橋の名前も沢の名前も、随分と変わっている。

そして高くて長い橋の上が、水没しているかも知れない下段トンネルの西口を発見するための、最終最後の砦だったのだが…。

さてどうだ。





うーーん?



見えないな。





…ごめんなさい。

どういうわけか、見逃しました。

というか、なんで気づかなかったのか自分でも不思議。

写真を見れば、矢印のところに明らかな…




湖面へ没するスロープ状の道があるのに。

…見逃しました。

……はい。

すみません…。

ほぼ間違いなく、あのスロープ状の道の先には下段トンネルの西口があるはずだ。



もっとも、その事に気づいていれば現地(西口)へ辿り着くことが出来たかと問われると、答えはかなり怪しい。

というか、ぶっちゃけボートを湖面に浮かべて移動しない限り、接近は無理ではないかと思われる。

スロープ状の道が見えている地点までは、ここから目測300m離れており、手前の半分は陸上だが残りは湖上である。

湖面を迂回して進むためには、鶴寝トンネルのある山腹をトラバースする以外に無いが、ここから見ても非常な急斜面になっていて、それは無理な予感がする…。





結局2010年の探索でも、下段トンネル西口について、これ以上の報告すべき内容を得られなかった(3度目の探索は未着手)のだが、その後友人オブローダーの手を借りて、西口の姿を見る事には一応成功した。

というのも、左図の位置(葛野川ダム堤上の西端部附近)に視座をとって湖面を眺めると、水位次第ではあるが、見えるということである。

西口が。

見えるということである。



…転載、させていただきましょう。






春日氏のサイト『険道と標識のページ』より転載。

むおーッ!

軽く発狂するレベルでここに立ちたいんだが…。

周囲の山腹はとても険しいので、やはり湖上経由でしか近付けないかも…。

路面には舗装が施され、しかもセンターラインの右側には、スリップ防止の赤い特殊舗装がゼブラ状に見えている。
これはやはり林道では無く、一般道路であったと考えるのが妥当だ。
ずばり、国道139号の旧道か?

また、坑門は東口同様に無装飾で、幅の割に高さが少ないやや扁平な断面も共通している。
やはり、間違いなくこれが下段トンネルの東口である。

春日さま、ありがとうございました。




上下段トンネルの位置関係は、ダムサイトから見るとご覧の通りである。

これだと下段トンネルの方が長く見えるが、実際には上段(鶴寝)トンネル320mに対し、下段トンネルの長さは230m程度と推測(地図測定)された。

トンネルがある山腹には、ダム湖が出来る前からある植林地の緑が点在しており、あの辺を上手く通って西口へアプローチ出来ないかどうかは、次回の課題である。
しかしそれでも、そもそもの水位が低くなければ全て徒労になってしまう。
読者の皆様におかれましても、もし葛野川ダムを訪問された際、この写真の水位と同程度まで下がっていることに気づかれましたら、私宛にご一報いただければ幸いです。
私には第3回目の探索をする用意がありますので…。


つづ…きたい





現地探索では西口を発見出来ず、当然接近することも出来なかったという結果であり、やや不完全燃焼に終わってしまったお詫びではないが、最後に現地探索の結果推測が可能になった、下段トンネルの正体について、述べておきたい。

葛野川ダムの建設誌や工事誌或いはそれに該当するような資料があれば、「推測」ではない確定したお話しが出来るのだが、残念ながら現在までの調査では、そのような資料に巡り会えていない。

ずばり、下段トンネルの正体は、国道139号線の“仮”付替道路だった!!可能性が激高。





「ミリオンデラックス関東200km圏道路地図帳」1986年(昭和61年)版より転載。

左図は昭和61年当時の道路地図で、まだ葛野川ダムは影も形もない(深城ダムも)。
また、ここを通って松姫峠へ上る道路も国道139号にはなっておらず、山梨県道15号大月奥多摩湖線の時代である(国道昇格は平成5年)。

当時の道路は現在と異なる経路を通っており、土室川をシンケイタキ沢出合の上流まで遡ってから、橋を渡って松姫方向へと切り返していたことが分かる。

現在の松姫湖は、この県道(後の国道)の渡河地点を含む1kmほどを水没させているのだ。




新旧地図の比較により、葛野川ダムによる道路(県道→国道)の付け替えは、右図のように行われたことが分かる。
現在の国道139号には、白草トンネルを含むループ路が存在するが、これは葛野川ダムの国道付け替えで出来たものだったのだ。

なお新道の開通は、白草トンネルの竣工年である1995年(平成7年)12月頃だったと考えて良いだろう附近にある開通記念碑により、平成9年であったことが判明している。

なお、本編とは直接関係がないが、平成13年から松姫峠を全長3066mの松姫トンネルでつらぬくバイパスの工事が始まっており、平成24年に完成する予定である。これが完成した暁には、白草トンネルなど付け替え道路の一部も旧道化し、国道としては短命に終わることになる。

だが、落ち着いて考えてみると、これは少しおかしい。
葛野川ダムの完成は平成11年で、国道の付け替えが平成9年となると、たった2年で高さ100mを超す葛野川ダムが0から生まれたというのだろうか。
そもそも、葛野川ダムの着工年は平成3年なのである。
完全に堰堤と被る位置にある旧道の通行を確保したまま、ダムの建造が終盤まで進められたとは、到底思えない。

そこで初めて必然性をもって現れてくるのが、今回探索した「下段トンネル」を含む、“仮付替道路”である!



旧道と現道の橋渡しをする存在として、ダムの建設中にのみ使われていた仮設道路(仮付替道路)が存在した可能性は、極めて高い。(右図の青いライン)

そしてこういう仮設道路は他のダムでもよく見られるが、トンネルが存在したというのは珍しいと思う。
あくまでも一時的な道路なので、出来るだけ投資を抑えたいというのが当然だから。
だが、葛野川ダムでは地形的な制約や工期的な制約があったのか、敢えて徒花の水没トンネルを建設する道を選んでいる。

しかしこれならば、隣り合う鶴寝トンネルと「ダムトンネル」で、その様相がだいぶ異なっていたことの説明も付く。
「ダムトンネル」は、鶴寝トンネルはもちろん、白草トンネルよりも早く生まれて、仮設道路の一部となり、県道から国道へと生まれ変わりゆくデリケートな時期の交通を支えたことになる。

銘板がないわ、内壁は適当だわと、散々な言われようのダムトンネルだが、実は主役(の代役)を務めたこともある、名脇役だったのである。
これは面白い。道路はやっぱり面白い。(自画自賛)




鶴寝トンネル東口から湖畔を見下ろす。
この下に見える道が、一時期国道として活躍していたのである。

まとめると、こんな感じになるだろうか。

平成3年
葛野川ダム着工。
平成4年
付替道路着工。なお、仮設道路は既に着工していて、同年内くらいには完成していた可能性が高い。
平成5年
県道大月奥多摩湖線が国道139号に昇格。(仮設道路が国道になった可能性あり)
平成9年
付替道路が開通し、国道を付け替え。仮設道路は工事用道路になったと思われる。
平成11年
ダムが完成し湛水開始。旧道と仮設道路の一部が水没する。
また、林道土室日川線の建設が進み、仮設道路のトンネル上部に鶴寝トンネルが完成する。

以上の説にそれなりに自信があるものの、明確な工事資料や、実際に当時を目撃した経験がないため、大部分を憶測に因っているのは確かである。
だが、最後にご覧いただく“次の景色”は、この説の正しさを強く裏付けてくれるものだと思う。

場所はここだ。 ↓↓




説が正しければ、この場所にも、

堰堤を回避するような“仮設トンネル”があるはずなのだ。

そうでなければ、仮設道路説は成り立たない。


それは果して、存在するのか。↓↓





堰堤の下にある旧道へやってきた。

一応管理用道路として使われているので、旧道ながら廃道ではない。

谷を塞ぐ巨大なダムに前景は完全に遮蔽され、もはやこの道、風前の灯火。




ぐわっ! あった!!

実をいうと、この探索を行った2007年当時、堰堤直下にあるこのトンネルの正体が分からなかった。

本来の旧道は右にカーブして堰堤にぶつかって終点なのだが、その隣にあるトンネルは謎で、

おそらく発電所関連の施設だろうということに、頭の中で納得させていた。




だが、今回のレポートを書くために色々考えたことで、タナボタ的に、このトンネルの正体も判明した。

こいつは、仮設道路の2本目のトンネルだったのだ。

そして、このトンネルの長さまでは分からないが、反対側が深い湖底にあることも、分かった。


ダムは本当に偉大な構造物だ。
こんなにも大きく、こんなにも沢山の楽しみを、我々オブローダーに与えてくれる。

まだ西口は気になるけど、とりあえず、すっきり。




『MapFan II Power Up Edition for Macintosh』の画面より転載
(画像はかにたま氏提供)。

レポート公開後、掲示板に寄せられた情報によれば、やはり仮設道路は実在しており、ヘアピンカーブがあったためか、ドリフトスポットとして使う人もいたという。
さらに、仮設道路の姿を描いた地図画像が出て来たので、転載させていただく。

これを見ると、仮設道路は私が想像で描いていたラインよりも遙かに独自性のあるルートを通っており、水没エリア内では旧道とは完全な別ルートだったことが分かる。
特に南側の仮設トンネルは想像よりも遙かに長くて、500m以上ありそうだ。

なんかもったいない気がするのだが、国道の付け替えなので短期間といえども手を抜くことは出来なかったのだろうか。(それでも、もっと早い時期から本付替道路を建設しておけば、一本化出来たのではないかという疑念はぬぐえない。或いは下流の深城ダムの建設とも関連があるのかもしれない)

単なる水没旧道だけではなく、薄命な仮設道路を含む“多段階ルート変動”は大変に興味深いもので、今後他のダムについても、仮設道路ということを念頭に置いた探索をしたいと思う。

2011/8/5追記