隧道レポート 新見市法曽の鬼女洞 後編

所在地 岡山県新見市
探索日 2026.03.21
公開日 2026.04.01

 セカンドステージ 〜これが鬼女洞の顔だ!〜


2026/3/21 8:38 (入洞17分後) 

17分ぶりに、地上へ出た。

しかも、入ってきたのとは別の場所にたどり着いたのである。
天然の洞窟を潜って、山の反対側へ抜け出したという体験は、小規模な海蝕洞の貫通を除けば初めてのことで、なんとも不思議な感覚があった。
とはいえ、本当にここが山の反対側であるかは、間もなく測位完了するGPSが、はっきりさせてくれるであろう。

たどり着いたこの出口だが、視覚から全貌を把握することが難しいほどに巨大な洞口であった。
洞内で最終的には高さ30mにも達したかと思われる天井が、そのままの高さで坑口の天井をなしていた。
光がよく射し込む場所まで来ると、洞床には樹木が生えていたが、そこも厳密にはまだ洞内であり、半地下といえる状況であった。

チェンジ後の画像は、そうした樹木の一本を見上げた風景である。
太い幹を持つ立派な樹木だが、その先端の上に空はなく、代わりに洞窟の天井だけが見えている。
まだ洞内なのである。



というわけで、厳密にはまだ洞内であるこの場所だが、本当の坑口というか、頭上に空が帰ってくる場所は、この前方10mほどの位置に見える切り通しのような岩の隙間である。
洞窟から出てくると、歩行者は一本道でこのスリットに導かれる。

一方、洞内で共にあった柏南平谷川の流れはというと、ここで私の足元を離れて、向かって左に見える細く深いスリットへ導かれている。
この日は全く水が流れていなかったが、流れていれば滝である。
落差5mほどの直瀑となって、スリットの底の滝壺(この日は乾いていた)へ落ちるのだろう。

ようするに、ここから先には、人間が造った道がなければならない。
そうでなければ、私の最終目的地である線路まで進むことは、おそらく難しい地形である。



8:40 (入洞19分後)

これで本当に地上へ脱出完了!

上述した切り通しのようなスリット部分を外側から振り返ると、コンクリート製の高い壁が両側に設置されていることに気付いた。しかもその上部には有刺鉄線が取りつけられていた。
この両側の壁には戸溝が掘られており、つまりここに落とし戸のような形状の閉鎖壁を設置できる構造になっていた。

かつて観光洞として解放していたという話があり、観光洞であれば有料だった可能性が高く、であれば厳密に出入りを管理する必要があっただろう。
そのための“扉”がここに設置されていたのだと思う。
ただ、柏集落側にはこのような構造物は見られなかったから、観光客の出入りは集落側ではなく、今いる線路側から行われるのが通例であったのかもしれない。



これは同地点から真上を見た風景だ。

凄い迫力である。

鬼女洞と書いて「きめんどう」と読ませる洞窟名がどこから来たのか、幾つか考えられる要素はあるが、この東口が持つ見る人に自然と脅威の念を抱かせるような巨大な巌門――鬼の門のような――景観は、洞名に似つかわしいと感じた。

…………ピッ

キタ。



GPS測位完了! 20分ぶりに現在地判明!

現在地だが、上図の通り、ちょっとだけ地形図に示されている東口より南にずれた位置であるようだ。
GPSロガーだけでなく、スマホのGPSも全く同じ地点を指していたから、たぶん間違っていないと思う。
大勢に影響はないとしても、昨今の地図の精度ではあまり見ないくらいの誤差である。

とはいえ、線路から見て約80m高い場所――それも絶壁のように描かれている崖の上――に出て来たことに変わりはなく、地図上での洞窟の長さも約200mということに変わりはなかった。

果たしてここからどのようにして線路まで道は下っていけるのか。
観光洞時代には一般の観光客が歩いた道だと思うが、地形図上ではとても簡単に歩けそうな地形には見えない。
今から実際に歩いて確かめてみよう。

地上の道へ前進開始!



8:41

意外にしっかりとした幅の道が、一気に高度差がついた柏南平谷川の底を左に見下ろしながら、崖の縁を切り開きながら伸びている。
崖道だが、手摺りのようなものはなく、山側の法面も素掘りである。
やはり近年まで営業していた雰囲気ではない一方で、エキスパート登山道のような危うい道でもない感じだ。
繰り返しになるが、意外にしっかりした道という第一印象である。

チェンジ後の画像は、路上から見る、道の行く手に広がる谷の様子だ。
少し先に、とても大きく深い谷があるというのが見て取れる。
その谷底を流れるのが高梁川であり、此岸の線路も、対岸の国道も、どちらも谷底の近くを通っている。
この先、どうやって高低差を克服するのか……、まだ先が見えず、恐ろしいと感じている。



おおっ! 大きな石垣があるぞ!

いや〜〜、これぞ「やまいが」って感じだねぇ(笑)。
奇抜すぎる世界から、いつもの探索の風景へと急に戻ってきた感じだ。
やっぱり、居心地がいいぞ。

しかしこれ、本当に思っていた以上に本格的な整備が行われていたのではないだろうか。
地図上からの印象だと、山道くらいはあったとしても、こんないっぱしの荷車道みたいな、車道の端くれに数えても良さそうな道が用意されていそうな感じはしなかった。
あるいはもしかして……、観光洞として整備する以前から、ここには道があったとか……?

……もしもそうだったりすると、鬼女洞は観光だけでなく、地元の人の通り道として使われていたなんて可能性に繋がって、個人的にそれは観光専用洞よりも100倍萌えるんだが。
さすがに根拠がまだないなかで、勝手にそこに萌えるのは早まりすぎだと思うが、この石垣にはかなり興奮しちまった!



8:42

鬼女洞の巨大な坑口を包含する、白亜の大岩壁を振り返っている。

50mほど離れているが、それでもこの視界占有力なのが恐ろしい。

洞内もなかなか凄かったが、坑口前のこの辺りの風景も、観光資源として有望な感じを受けたが、現実これでも戦えなかったのかぁ……。



道は下り坂だが、それよりも遙かに早いペースで洞窟を共に過ごした柏南平谷川は駆け下っている。
道だけが高高度に取り残されたような印象で、そんな道の行く手にあまり猶予がないことも、前方の景色の明るい感じ、木々の薄い感じから、察せられるのである。
もっとなりふり構わずバンバンと下って行かないと、とても線路が待つ底には辿り着けない感じがする。



路肩に木製電柱が立ったまま残っていた。
これだけでなく、数本あったのだが、洞内に設置されていた大量の電線(照明用だったらしい)に繋がっていたのだろうか。
木製電柱ということだけでも、ある程度は「古い」と察せられるのであるが、電柱に取りつけられていた金属製のプレートが、年代特定の手掛かりになるかもしれないと思ったので、記録しておく。

プレートには、「加圧式 K-CCA1号 山陰木材防腐株式会社岡山工場」と書かれており、帰宅後に調べてみると、これは木製電柱の防腐処理に関する内容を含む、電柱の製造者を記したものであることと、ここに書かれた社名は昭和9(1934)年から昭和61(1986)年のものであることがわかった(現:さんもく工業株式会社)。



8:43 《現在地》

道は遂に、高梁川の流れと正面から向き合う時を迎えたようだ。
すぐ先に尾根があり、道はその尾根で右に折れて進むらしい。
正面が高梁川である。たぶんまだ70mくらいの落差を抱えていると思う。洞口からここまで、思いのほか下っていない。

GPSの画面で見る「現在地」は、すっかり地形図の崖の記号に重なってしまっていて、等高線による地形表現を放棄していた。
縮尺の問題から実際の地形の機微は表現し切れていないところに、道は独自の観察眼で以て、この先の下降路を描こうとしているようだった。
お手並み拝見と行きたい。


……この尾根を回れば、次に戻ってくるときまで、鬼女洞のある岸壁は見納めである。

最後にもう一度、振り返っておこう……。(↓)




やっぱ、すげーしか言えねえ…。

ほんと、鬼“面”洞って感じ。 敢えて鬼女洞と字を宛てた理由は、なんか謂れがあるんだろうなぁ。



一方こちらは進行方向の眺め。

見えました。

高梁川の両岸に陣取った、国道とJRの姿。

やっぱり随分と高いぞここ………、大丈夫かぁ…。



 眼下の線路を目指し、落差50mを克服する!


2026/3/21 8:43 《現在地》

高梁川の谷にぶつかると、道は右に折れる。
写真はそこから少し進んだところで、振り返って撮影したものだ。
道が見切れているところが、前回最後のシーン(尾根の上)である。

チェンジ後の画像は、崖から身を乗り出すようにして撮影……しようとした。
恐ろしくて、あまり意図したような写真が撮れなかったが…。
しかしともかく、逃げ場がない切り立った崖伝いに、なんとも危ういか細い道が続いている状況は分かると思う。
見るからに落ちたらひとたまりもないが、手摺りも何もないのが、遊歩道としての古さを感じさせる。



8:44

あ! ヤバいかも?!

崖伝いにトラバースしていた道だが、唐突に、先が見えなくなった。

崩れてしまっているのか……?




ほっ 助かった!

先が見えなかったのは、途絶えていたわけではなく、急に物凄い急坂になっていたのである。

普通なら階段を設けそうな勾配だったが、ただのスロープである。
今は乾いているからいいが、濡れているときや凍っているときなどは、とても危険だろう。
相変わらず、道の片側は絶壁なのである。
崖にも多くの灌木が繁っているために、あまり見晴らしは優れないのであるが…。



8:46

唐突な急坂で10mくらい一気に高度を下げた道だが、その先は意外にも、通常傾斜の平穏な樹林帯が待ち受けていて、道も平穏な勾配を取り戻して従来のトラバースに復した。

地形図上では、鬼女洞を出てから今までずっと、川沿いに長く連なる落差50mの崖記号の中“だけ”を歩き続けている。
だが、実際の地形は地形図とは異なっていて、険しい崖ばかりではないことが、こうして実際に足を踏み入れたことで初めて判明した。
鬼女洞の東口の位置が(おそらく数十メートル)ずれていることや、そこから流れ出る柏南平谷川の谷の存在が全く反映されていないなど、この周辺の地形図は令和最新版らしからぬほど雑な感じがある。理由は定かではないが…。



8:47 《現在地》

しばらくトラバース気味に下って行くと、唐突に切り返しが現れた。
地形図に描かれた徒歩道よりも、だいぶ離れた位置までトラバースしての、切り返しである。
距離は長くなったが、おかげで勾配は平均して緩やかである。

チェンジ後の画像は、切り返しの周囲に造られていた石垣の様子だ。
コンクリートを用いない空積みで、かつ様々な形の石を組み合わせた乱積み、明治のものといわれても驚かない、素朴な造りである。
この道の整備時期は、私を含む大勢が「観光開発」というワードから自然と連想する年代よりは古いのかもしれない。そんな印象がずっとある。



切り返すと、いままで歩いていた道の下の斜面を逆方向に進むわけだが、急に路上の樹勢が旺盛となって視界と足場を著しく悪化させた。
アオキを主体とする照葉樹の灌木帯で、季節を問わず濃い緑である。
幸い、石垣がずっと続いているので、道を見失う心配は少ないが、進むのに苦労した。

……まあ、当初はもっと険しい地形に窮する展開も想像していたので、その方面では救われていたが…。



8:49

静けさを破壊しにやってきた、列車の走行音!!

地図上では近くにあるが、未だ実感がなかった線路の存在を、盛大にアピールしてくれた。

ちゃんと近づいていることが分かって安心した!



列車が走り去るとたちまち元の静寂が戻り、後には線路が敷かれていた。
これはJR伯備線で、私はまだ乗車経験のない線区だが、現存する7本の陰陽連絡鉄道線(中国地方の山陰と山陽を結ぶ路線)では唯一全線電化を果たし、優等列車を含む運行本数も最も多い、幹線である。
倉敷〜伯耆大山間138.4kmの全線開業は昭和3(1928)年10月25日で、現在地を含む区間(備中川面〜足立間)が最後の開業区間であったという。



8:52 《現在地》

その後さらに路上の藪が深くなり、ほとんど前が見えないほどの青臭アオキ藪地帯に大いに手こずった。
下り坂ということを最大限活かし、体の重さと重力を味方に付けてゴイゴイと強引に突き進んだが、同じ道を帰りに登るのは、かなり難儀そうだぞこれは…。

そんな濃い藪に辟易しながらも、目ざとく2回目の切り返しを発見して切り返した。
……この切り返しを一発で発見したのは、ファインプレーだと自画自賛したい。



藪に溺れながら山手の方向を見上げると、そこには地形図の崖表現の全てが誤りや誇張ではないことを物語るように、白い石灰岩の大岩壁が厳つくそそり立っていた。
しかも、そこはほんの少し前まで私がいた場所に他ならない。鬼女洞は、あの崖の奥に口を開けていたのである!
道の巧みなルート取りと、濃い藪のおかげで、思ったよりは崖を意識せずここまで下って来れたが…、これは道づくりを誉めるべきだろう。



8:53

3段目に入って間もなく、道形はそのままに、急に周りの樹木が一掃された。
腰丈くらいの高さで伐採された切り株が、至るところに突っ立っている。数年以内の伐採だと思う。
おかげで、かなり近づいている線路が、よく見えるようになった。

この場所を外部から訪れる方法は、基本的には鬼女洞を潜ってくるしかないと思うが、明らかに伐採者はそのルートを取っていない。
つまりこれは鉄道の保線目的で行われた伐採なのだと思う。



8:54

徹底した樹木の刈払いが行われた結果、一帯は明るくなっているものの、歩き易くはなっていない!
というのも、この刈払いには、道を道として分明にする意図は全くないらしかった。一定範囲の斜面内をただ機械的に刈り払っただけで、そこにたまたま道があるが、全然歩かれている様子もない。

そんな状況の中で、3度目の切り返しを発見。
切り返して、4段目へ。
もう線路はすぐそこだ!!



相変わらず道を無視して刈り払いが行われている、4段目。
樹木の代わりに、イバラを含むツタ植物が奔放に伸びており、これまた非常に歩きづらい状況だ。
だが、路肩に石垣がずっとあるので、道を見失ってはいない。
写真の奥に、コンクリートの架線柱が見える。あそこはもう線路敷きだ。

いよいよ、「最終目的地」とした“線路”に到達する!



中途半端に刈り払われているために足元が悪く、最後は雑に線路に出会って、「おわり〜〜!!」って宣言しそうになったが、よく観察すると、本当に線路にぶつかる直前まで、これまでと同じ空積みの石垣が丁寧に続いていた。
動画は、その石垣を最後の最後まで忠実に辿った様子を撮影したものである。
この動画のラストで、私は線路にたどり着いた。



8:56 《現在地》

線路にぶつかる直前の地点から、道の末端を見ている。
線路沿いには、おそらく動物の侵入防止を目的とした高いフェンスが続いており、フェンスの向こうにある線路を観察しても、踏切やその痕跡は見当たらなかった。
さらに言えば、ここには鬼女洞観光客のために仮乗降場のようなものもあったのではないかということも期待していたが、その気配もまたなかった。
ひとことで言えば、ここにはただ1本の完全な線路があるだけで、それが全てという、とても唐突な終わりであった。

鬼女洞を潜り抜けて、この行き止まりを訪れることに、意味があったのか?

それはもちろん、私にとっては大いにあった。
かつて観光客が歩いたであろう歩道が、どんな道で、今どうなっているのかという、自身の疑問を解消することができたのだから。
ただ、その呆気ない幕切れは、新たな謎を私に提起した。



かつて、観光客たちはどうやって、この向こうに見える国道180号から、川と線路を跨いでやって来られたのだろう?

この新たな疑問を解き明かすための踏査は、線路に断ち切られてしまったから、私は別の手段で、これを解き明かさねばならない。



へ帰ろう。



このあと私は、来た道(穴)をせっせと戻って柏へ帰った。

そして柏で、あまりにも衝撃的な証言をなす人物と偶然出会う……!

なんと、


鬼女洞は、●●●だった!!!



 おまけ: 鬼女洞東口→西口 完全ノーカット無修正動画(9:25)







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