隧道レポート 秋山郷の切明隧道(仮称) 第2回

所在地 長野県下水内郡栄村
探索日 2012.06.25
公開日 2013.06.04

決着! 「もっきりや」



2012/6/25 6:52 《現在地》

ここまでは、もはや堂々たる「もっきりやレポート」と化している感がある今回の探索であるが、遂に旧道がその本性を私の前にさらけ出した。
本来の旧道はここを左に行くに違いないが、そこには燃え上がる炎のような激藪が生じ、道の全体をひどく緩慢なシルエットへと変えていた。
対して、「もっきりや」へ通じている右の道は、2本の轍がしっかりしている。

「もっきりや」まで残り500mという案内の木柱が立っているが、行けば後悔する予感があった。
しかし、私の中で「もっきりや」の存在は既に十分大きくなっており、確かめないという選択肢は無かったのである。

ここに、「もっきりやレポート」第2回が始まった!



自転車に跨ったまま右の道を選ぶと、早速、二重の意味で先行きを不安視させる展開となった。

一つめの不安は、分岐以来再び下り勾配がキツくなり、「もっきりや」到達後に同じ道を戻ってくる事に嫌気がさしたこと。
二つめの不安は、徐々に高低差を付けながらしばらく(約250m)並行する“旧道”の藪が、相変わらず凄まじいということである。

写真の左側に見える藪の段が、“旧道”である。
この眺めは、ここまでの高まった探索意欲を冷却する効果が絶大だった…。

これは、この辺から強引にショートカットする選択肢も、あるな…。



分岐からおおよそ300mで、道は唐突に切り返しのカーブを迎えた。
そして、ここにも一風変った“道の言葉”がしたためられていた。

外側大廻是注意大切 もっきりや


……これは、中国語?
少し前の洗い越しの所には英文の注意書きがあったが、対象定まらず、今度は中国人観光客向けアルか?(笑)

なお、ここに来て初めて建物の姿を発見。
対岸っぽいが、あれが「もっきりや」か?




そしてこれが、「外側大廻りを走るべし」というヘアピンカーブ。

スイッチバックが必要なほど急であれば、大半の一般ドライバーを拒絶するものとして面白かったが、別にそこまで窮屈というわけでもなく、比較的普通である。
もちろん、大廻りを心がけないと一回で回りきれない事は賛同するが。

で、そんなカーブが連続で2つある。
2つのカーブは向きが反対なだけで本当に瓜二つである。
そして下のカーブで向き直ると、先が広くなっているのが見えて、谷底近くにも河岸段丘的な小平地がある事が予感された。

…それにしても…
道は遠慮なく下っているけれど私はもう下りたくない…。どうせ戻ってくるんだからさ……。



ヘアピンカーブから見えていた小平地は、2面くらいのさほど広くない水田だった。
こんな谷底にポツンと孤立して水田があることも驚きだが、このご時世に他所から耕作へ通ったのでは、燃料費や輸送費のために赤字になりそうな水田だと思った。

という私の推理が当っているかは知らないが、そのような水田が立派に耕されているというのは、それは…。

遠くから通っているのではなく、すぐ近くに“主”が住っているということを意味している。

これは、自らと客人のためのお米なのかも知れない。

もっきりやの!



6:56〜6:58 《現在地》

標高830m。

下界から見れば十分な高所であるが、ここの周囲では最低の標高に近い。
なにせここは中津川の川縁で、両岸とも川沿いに道はなく山腹の高い所を巻いているから、視覚的にも交通的にも閉塞感が半端ない。
特に私のように自転車で来てしまったりすると、行きはよいよい帰りはこわいが現実のものになる。
実に初めて「もっきりや」に出会った(そして挑発された)入口から見れば、1.8kmの道のりで150mも下ってしまったのだ。

特に後半の500m(標高差80m)は、このためだけに下ってきた分であり、恨めしい。
無論、宿の主にはなんの罪もなく、営業時間外に冷やかしでここまで来た私が阿呆なのだが、そうさせる魅力が主の設置したと思われる数々の“言葉”にはあったのだ。

文章では肉体的疲労に裏打ちされた私の苦悩を十分伝えることは難しいが、正直、「もっきりや」がぶっ飛ぶような奇抜な姿をしておらず、山中の真っ当な雰囲気の一軒宿であることを確認した時点で、軽く脱力してしまったというのが本音である。途中で期待が膨らんで、勝手に「鬼太郎ハウス」みたいな宿を勝手に想像していた私がおかしいのだ。

冷やかしだけでは失礼なので、一応公式サイトを紹介しておきますね→ 【山房もっきりや】



毒を食らわば皿までの言葉通り、ここまで来てしまったからには、ちゃんと道の行き止まりを確認しようということに。

コンクリート舗装の激坂道は玄関前で終っていたが、そこからまた川縁の方へ刈払われた土道が続いていた。
そしてその先には、なんと橋の代りに「野猿」のごとき簡易ロープウェイ施設と思しきものが存在していたのである。

対岸には、当初「もっきりや」かと疑った青屋根の建物があり、赤の「もっきりや」と川を挟んで対峙している。
調べると、向こうは和山温泉の「仁成館」という一軒宿で、やはり国道からかなり下った先の行き止まりにある。

私の地図では、この場所に橋が架かっている事になっていたが、事実は異なっていた。
これらの宿を利用すれば、この野猿のごとき施設の詳細を知る事が出来るかも知れないが、冷やかしの私は大人しく身を退こうと思う。



逃げるようだが、私には背負ったものが有る。

文字通りに…

この大変な坂道を、背“負って”しまったのだ…。

見上げる坂道は、ほんと重苦しく私にのしかかってきた。
しかも帰りは、あの味のある数々の励ましの“言葉”も、ほとんど意味を成さないものになってしまっているのだ。

私は本番の前に、たっぷり汗を絞られることになった。



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激藪を超えて、南側坑口を目指す

7:08 《現在地》

「もっきりや」を後にしてからちょうど10分かかって、500mの坂道を登った。そして改めて見る、激藪の旧道。

ここから目指す隧道までは、地図の通りならば、これまたちょうど500mの距離があると思われる。
勾配的には殆ど水平であるはずだが、この激藪状態は事前の情報にもなかったので、少々面食らう。

事前情報…すなわち情報提供者maggie氏の体験談としては、この分岐に旧道を塞ぐようにしてユンボ(油圧ショベル)が駐まっていて、そのために進路を見誤った(おそらく彼も「もっきりや」に呑み込まれたのだろう…)とのことであったが、激藪という話は聞いていない…。

私はこの状況を前に考えた。
自転車をどうすべきかを。
そしてすぐに判断した。自転車はここに残していこうと。
単身でもこの旧道を無事に突破出来れば、そこにはデポしてある車が待っている。
なので自転車は後ほど車で回収に来れば良い。
無理して激藪に自転車同伴で挑む必要はないだろう。



廃道探索開始!

歩き出してすぐに気付いたのは、この藪は軟らかい若草がメインで、
ツタ、トゲ、灌木の“三大悪”は多くないということだった。
つまり、廃道となってから経過した時間は、まださほど長くは無いと考えられた。

そのため、見た目の厳しさよりは楽に歩を進める事が出来たが、
あくまでも“見た目よりは”ということに過ぎず、
いよいよ熱を帯びてきた日光に咽せ上がる草いきれは、
容易に私の体温をさらに上昇させ、不快な感覚にさせたのであった。




廃道区間に突入して7分経過。
ここまでは殆ど状況に変化が無く、ひたすら激藪の道が続いていた。

だが、前方にようやく背の高い木々のシルエット…森が見えてきた。
地上に注ぐ日光が抑制される森の中は、草原に較べて藪が浅くなるのが定説だから、
この変化は待ち望んでいたものに他ならない。

果してここはどうか。



7:18 《現在地》

よっしゃ!!

やっぱり森の効果は期待通りだ!

高木の樹冠に空を覆われるなり、地表には本来あった道形がほぼ完全な形で蘇った。
これまでの激藪区間も、道形自体に大きな欠落はなかったので、季節が良ければ、
今回ほど苦労させられることはなかったろうと思う。少し訪問が遅かったようだ。



気持ちいいにゃ〜。

ワルニャンの頬も思わず緩む、林間の朗らかな廃道。
周囲の杉林は植林されたものだと思うが、適度に光が差し込んでいて、とても美しかった。

この景色の奥に、いったいどのような隧道が待ち受けているのか。
私の期待感は、ここに来て急激に熱を帯びた。
そしてそれと同時に、進行のスピードも早まった。



しかし、長閑な路盤上の風景とは対照的に、路肩の下は地獄の如し急斜面である。

エメラルドブルーの中津川水面は、おおよそ100mの脚下に見えるものだった。



そしてこの危険な谷は、着実に廃道を呑み込みつつあった。
冒頭の激藪とは根本的に異なる、より本源的な危機がにじり寄っている。

もともと広くもない道幅の3分の2が落ちていた。
よく見る路肩の決壊だが、その先は直接100mの斜面に通じていて、
遠くない未来には、全幅を呑み込むだろうと予想されるのだ。

私は残された僅かな平穏を噛みしめるように、ゆっくりと山寄りの端を歩いた。




7:25 《現在地》

…きたっぽい。

道は遠くで、土の斜面にぶつかっている。
その右側には木の枝越しに空の青が見えており、どのような地形であるか想像できた。
そしてGPS。その画面には、現在地が隧道南口の目前であることが表示されていた。

南口に接近している。
しかし、見えているのは“土の斜面”だけ。
この時点で坑門が見えていないのは、かなり良くない徴候である。
しかも、その“土の斜面”は、いかにも埋没坑門跡の特徴的な凹地形に見える。


早く近付いて確認しなければならない。

だが、そのためには、障害物の谷をひとつ越えねばならない。
この谷は直前に見た路肩決壊とはまた違っていて、常時水が流れる小川であった。
規模からして道は橋ではなく、暗渠でこれを跨いでいたと思われるが、路盤は跡形も無くなっていた。
滑りやすい土の急斜面を上り下りして小川を超えることが、隧道到達前最後の難関となっていた。




よっこいせ!



これは… やられたな。

最新の地形図に描かれている隧道が、ここまで原形を留めていないとは、さすがに想定外。

隧道は全く開口しておらず、地形的な痕跡だけが残されていた。

この時点で、私が切明隧道の内部を探索出来る可能性が、おおよそ49%減少した。
(50%ではないのは、ごく僅かな可能性ながら、横坑など、両側の坑門以外から内部へ進入できる可能性があるためだ)

そして、隧道および、この廃道を完抜出来る可能性はゼロになった。
自転車を置き去りにしてきたのは正解だったが、この後デポしてある車に戻るために来た道を戻らねばならないのは、かなり憂鬱だった。

…マジ閉塞かよ…。



こ、これはなんだ?

坑門埋没地点の10mほど谷側に、こんなものを見付けた。

熊の冬眠穴を思わせる、かなり小さな(1.5m四方程度)穴だが、
場所が場所だけに、私は色めき立った。
そしてとり急ぎ、内部の確認を行なった。


奇跡は起きるか?




何なんだよ、これ。

――奇跡は起こらず。

だが、明らかに人工的な掘削の痕跡である。

まさか、大正時代の試掘坑か?

炭焼きの穴や、ちょっとした貯蔵倉庫などの可能性もあるが、
やはり場所が場所だけに、隧道関連遺構の期待を持ってしまった。

残念ながら、その正体は判明していない。
中に残されていた廃材の正体も不明だ。

…というわけで、南口の探索は「閉塞確認」という残念な結末を迎えた。
(これではますます、「もっきりやレポート」じゃないか…)





7:41 《現在地》

約15分来た道を戻って、自転車をデポしておいた分岐地点まで戻る事が出来た。

今回は、なかなか徒労感の多い展開が続いているが、最初に北口から探索していれば、また違った展開になっていたのだろうか。
正直、開口していないことは予想外だったので、ガックリ来ていた。

まあ、四の五の言っても仕方がない。
北口が有終の美を飾ってくれる可能性は、まだ残っている。
引き続き今日のこれまでの足どりを巻き取って行こう。

しばらくは、ずっと上りだ。



往路では“ハッカ油事件”のために撮影を忘れていた、切明集落と思しき2軒の民家。
燦々と朝日を浴びて、山村の美点を全て凝縮したような姿であった。

しかも、「切明(きりあけ)」という名前がまた素敵だ。
集落は小さくとも、偉大な先人の強い生命力が宿っているのを感じる。



8:10 《現在地》

ふ〜ふ〜言いながら、雑魚川分岐地点まで戻って来た。

ここが最高標高の地点であり、後は北口まで下りのみ!

分岐の背後には、“第二の谷川岳”と呼ばれる鳥甲山の雲を纏った威容が、天高く聳えていた。




8:14 《現在地》

約2時間半ぶりに、北口へ戻って来た。

閉塞が確定している状態ではあるが、これより最後のアタックを開始したいと思う。

果して「切明隧道」は、この奥に現存しているだろうか。

そして「もっきりやレポート」という印象を、見事に覆してくれるであろうか?







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