隧道レポート 竜宮岬のトロッコトンネル 中編

所在地 福島県いわき市
探索日 2019.01.23
公開日 2019.01.26

現存していた隧道、その驚くべき坑口



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2019/1/23 6:33 《現在地》

ぽこっ!である。 ぽこっ!!

トンデモナイ、ギリギリの諦めの縁、すんでの所、坑口開口、ぽこっと開口!

すげぇ!

上記は全天球画像であるから、前方だけでなく、四方八方をグリグリして見て欲しい。

さすれば私の驚き、必ず追認していただけるだろう。

大規模な崩壊に遭い、異形のトンネル風景が、その原形を相当に失ってしまったことは惜しまれるが、

山口氏の見立ての通り、坑口はしぶとく生き残っていた!



驚いてばかりではいられない。観察せよ!!

ここには、坑口だけでなく、坑口へ通じる道の跡、いわゆる“路盤”の痕跡と見られるものが、僅かに現存していた。
穴が単なる穴ではなく、交通のための隧道だった証しとして、路盤の存在に注目したい。

チェンジ後の画像で黄色く着色したテーブル状の平場が、路盤跡と見られる、坑口と同じ高さの平面だ。
下にある砂浜(波打ち際)との間は、約1mの垂直な段差になっているが、そこに擁壁はなく、完全な素掘りだった。

平場は意外に広く、オーバーハングした崖の下でありながら、アパートの部屋くらいはあったと思う。現状では大半が崩土に埋没してしまっているが…。
これを一から人が削り出したとすると過剰な広さであり、おそらく天然の波蝕地形を上手く利用したのではないだろうか。(大昔、この高さが波打ち際だった可能性あり)

山口氏の調べた通り、ここが軌道跡だとしたら、未だかつてこれほどまでに海から近く、波飛沫を間近に浴びた鉄道の風景を、他に見た覚えがない。
ここは、ただ海際にあるというレベルを超越していて、オーバーハングした海蝕洞的な閉鎖空間を、波と鉄道だけが共有していたのだから凄い。両者の他には、雑草1本入ることができない。

現に、大潮の満潮にほぼ重なっていたこのとき、押し寄せる波の端は路盤をも微かに濡らしていた。このうえ高波となれば、隧道内部へ波が押し寄せる状況が容易く想像できた。 ほんの一時だけ使ったものだとしても、常軌を逸している(褒め言葉です)。



大きさを比較できる対照物を一緒に撮さなかったことを、とても後悔している。現地で興奮の度合いが凄すぎて、またうっかりしてしまった。

私の言葉で伝えるので、額面通り信じて欲しいが、とにかく第一印象で小さいと思った。
この印象は、周囲の壮大な景観とのギャップによって増幅されていたことを否定しないが、それでも今まで見てきた様々なトンネルの中で、相当小さい部類なのは間違いない。人道隧道よりは大きいが、林鉄隧道よりは小さいというサイズ感だ。

いかにも、工事用軌道だなという感じがした。
土を満載した手押しトロッコが単線で通れれば十分というのが、工事用軌道に求められる最低限の大きさであり、手押しではなく機関車輸送だと途端に大きな断面を必要とするので、軌道跡だとしたら自動的に手押しの軌道で確定だろう。はっきり言って、牛馬も窮屈すぎて嫌うはずだ。

さらに踏み込んで、軌間を特定する材料は見当たらないものの、一般的な工事用軌道は軌間500mm、508mm、610mm、762mmのいずれかのナローゲージが用いられており、ここは一般的な林鉄(762mm)よりも小断面に見えるから、500、508、610mmのいずれかではなかったろうか。



この写真は、ちょっと時系列を外れている。
撮影したのは、坑口を発見するほんの数秒前だ。
結果的には、チェンジ後の画像に示した位置に坑口が現存していたのだが、これを撮影した瞬間は未発見だった。

なぜこの写真をここで使ったかというと、坑口前の路盤の状況が遠目にどう見えるかの説明のためである。
坑口前の路盤と思われる平場のもう一段上にも、やや狭い平場があったように見える。しかしそれは偶然にそう見えるだけで、平らな巨石が崩れた結果なのかも知れない。
もともと自然の地形を活用して路盤が作られたと思うが、このひな壇のような段々の崖の景色がどうやって生まれたのか、興味深い。




この写真も同様の意図で公開する、さらに数秒前に撮影していた写真だ。

上の写真よりもさらに遠くから撮影したもので、この辺りまで下がってしまうと、路盤とみられる平場は大量の崩土によって完全に隠されてしまっていて、全く見ることが出来ない。
発掘することも現実的ではないので、高波で浸食されて、埋没した地形が再び現われる未来を期待するよりなさそうだ。
震災以前、どのような路盤がここにあったのか非常に気になるところだが、報告者の登場が待たれる。

時間軸の逆走しての説明はここまでにして、再び隧道の前での出来事へ。




坑口前のひな壇のような路盤に落ちているのは、みな崩れてきた石である。
どれも一抱え以上あるような巨石だが、小さな石や土は、打ち上がる波で真っ先に洗い流されているのだろう。

そして、この荒々しい大自然のただ中にあっては、坑道のいかにも丁寧にくり抜かれた人工の形が際立っている。
巨大な地形である竜宮岬を前にすれば、人の成したことなど大木に錐穴を穿つ程度の小事と思えるかもしれないが……


人の堅い決意と、一点集中の技術力は、巨大な岬を貫く錐だった!

貫通している!

震災以前には貫通していたという情報があっただけに、無事を確認できて、ホッとしたという気分もあったが、
それよりも率直な感想として、未体験廃隧道の目に見える長さに、探索者としての脅威を感じた。
300mあるといわれているが、実際にそのくらいありそう。地図上でも、岬の基部にはそのくらいの厚みがある。
隧道の断面が小さいだけに、余計長く感じられるところもあって、それがまた岬を貫く“錐”の力強さを彷彿とさせた。

それにしても、ここからだとあまりに小さな額縁でしかない岩間側の坑口は、どんな景色を見せてくれるだろう?
隧道は、どんなところに口を開けているのだろう。こっち側がこんなに凄いだけに、反対側も期待してしまう。
ましてや、向こうの坑口については事前情報が全くないので、実際に貫通して確かめられることが非常に楽しみだった。



なかなか前に進めないでいる。

理由は、この場所が凄すぎるから。
本当に凄い立地なのだ。
周囲の全てに気圧されるような迫力がある。
この隧道の土木遺産としての名声は、もっと轟いていいように思う。こんなに凄いとは、思わなかった。

左の写真で着色した部分は、鑿で削った痕がびっしりと刻まれている。
あえて着色しなかったが、坑口の内壁も同様だ。
隧道の掘削が全て手掘で行われたかは不明だが、少なくとも坑道の壁を整える作業は、緻密な手作業に拠ったことが伺える。
掘りやすそうな地質には見えるが、それでもこの長さは大工事に間違いない。

興味深いのは、地面に落ちている巨石にも手掘りで面取りされた痕が所々残っていることだ。
相当に崩壊が進んでいることが分かる。元はもっと整った姿をしていただろうから、その姿も見てみたかった。



坑口から横を見ると、竜宮岬の秘密の浜辺がある。

いくらでも眺めていたくなる景色だった。
いよいよ海上が明るくなっているが、いま入洞すれば、朝日は岩間までお預けだ。
というか、この景色こそがまさに“岩間海岸”だなと思った。




最後に坑口から振り返る、小浜側の風景。

天井に仄かな丸みを感じるが、この部分が片洞門になっていて、そこが路盤になっていたのだと思う。
奥の大崩壊が起こる前は、このような片洞門がさらに長く続いていたのだろうか。
ともあれ、こんな深い片洞門があったおかげで、坑口は未だ埋没せず残ることが出来たように思う。

ん?

足元の砂地に……?!



← ぬっこの足跡が!

な、なにゆえ……、

しばしば海水に洗われる、この絶対領域的、前後を崩壊と闇に閉ざされたプライベートビーチに、ぬこの足跡があるのだ!
それも、たくさんあるぞ。 たぶん…、たくさんある。

はっ!
前夜は満月だった。
まさか、ぬこが通ったのか?!
いわき沿岸住みのぬこたちが、この秘密のトンネルを伝って、いずこかへと蝟集し、満月の夜の秘密の宴を……!
私は、ぬこたちの秘密を垣間見てしまった?!

……もし私が消えたら、そういうことだったということだ。覚えておいて欲しい。



では、行ってくるぞ。

潮騒に別れを告げて、いざ入洞!




竜宮岬を貫通せよ! 長大素掘り隧道に挑む!


6:35 《現在地》

これが、竜宮岬の隧道の内部だ。

普通に起立した状態で、顔の前に構えたカメラで撮影したこの写真から、サイズ感を感じて欲しい。
断面の小さな隧道ということが分かると思う。目測だが、高さ2.4m、幅2mといったところか。
半円形よりは四角形に近い断面をしており、素掘りの内壁には手作業の鑿の削痕がびっしり刻まれている。

ただし、側壁の低い位置には、削痕が見られない。
これは、波の影響を受けたのだと考えられる。
ひとたび海が荒れると、隧道の奥まで海水が入るのだろう。
洞床にある砂浜のような海砂や、同じく外から運ばれたに違いない岩塊の存在は、荒天時の恐ろしい風景を想像させるに十分だった。いわゆる怖いもの見たさだが、荒天の日に固定カメラをここに設置して、一日中撮影してみたいものだ。



肉球を持つ何者かの足跡(波に消えかけた、もっと大きな足跡も)が、洞奥に向って続いていた。

おそらく300m先にある出口。
隧道は本当にまっすぐであるようで、いまも白い小さな四角形として、よく見えている。
この人知れず貫通していた隧道を、便利な通路として利用している人知れぬ者達がいるのだと、それを私の心強い同行者のように、この時点では考えていた。

だが、間もなく出現した光景は、私のそんな楽観的な想像を裏切った。




6:36 (入洞1分後、推定30m地点) 《現在地》

水だ…。

入洞から1分弱、約30mほど入った地点で、洞床がそれまでの砂地から水面に変わった。

水位は5cmくらいで、長靴を履いてきた私には問題とならないが、ここまで続いてきた肉球の主がここを通過し得た可能性は低いと考える。肉球生物の多くは水を嫌うからだ。
この早い段階で、私は「独り」になってしまったようだった。これからの水位の変化が気がかりだ。もしも、一方的な下り勾配だとすると……。



ときおり波が入るせいなのか、あまり泥っぽい感じはしない。
足を踏み入れてかき混ぜると、多少は濁るものの、濁り方が強くないし、洞床の感触も泥っぽくなくて堅い。

また、水には石灰分が多く混ざっているようで、白っぽい沈殿物が堆積していた。
周囲の地層が石灰を帯びているのかも知れない。

水位の変化を気にしながら、慎重に前進していくと……

山口氏が調べた隧道の【正体】工事用トロッコを通した隧道を裏付け得る、重大な遺構が待ち受けていた……!



6:37 (入洞2分後、推定50m地点) 《現在地》

たったたたったっ 待避坑だ!!

鉄道由来隧道確定の瞬間である。

「確定」とは、ほんの少しだけ言い過ぎかも知れないが、世の中にある鉄道用の隧道の大半にこれ(待避坑)があり、それ以外の隧道の大半にはない以上、仮に山口氏の情報を度外視しても、これは鉄道用の隧道であったと、ほぼ断定できる。

いやぁ、あったかー。
これが有れば決まりだと思っていたが、出て来ちまったのである。
さすがにレールや枕木が見当たらない以上、待避坑の存在が「トロッコトンネル説」を裏付ける最大の発見になると思っていたのだが、現実となった。 いやはや、 鉄道マジか…。



それにしても、待避坑が両側にあるというのは珍しい。

通常は、1本の隧道全体を通じて、片側にのみ待避坑が設置されることが多いのだが、この隧道ではどういうわけか両側に対面して設置されている。理由は不明だ。

待避坑に目を向けたついでに、側壁の様子をよく観察してみると、明確に地質の異なる層が見分けられた。
下の黒く見える層は堅く、水を通さないようだ。鑿の痕が大量に残っている。おそらく泥岩だろう。
上の白っぽく見える層は柔らかく、水を通すようだ。砂岩っぽい。鑿の痕が見えないが、これは単純に風化したのだろう。隧道の入口付近では洞床付近に見えた層だ。目には見えない地中の状況を、この露出した二つの層から少しだけ想像することが出来る。

入洞直後の隧道内は、波で濡れている洞床以外は乾いた印象だったが、今は違っていた。
二つの地層の境目から、多量の地下水が染み出しているせいだ。洞床を沈めている大量の水の出所が、外から入り込んだ海水なのか、壁から染み出した地下水なのか、区別は付けられないが、印象としては遙かに後者が卓越していた。
それに、ここには海水の匂いというものがあまりない。むしろ、山奥の水没隧道っぽい。



入洞から推定80m、おそらく全体の4分の1くらい進んでいるだろうか。しかし依然として前方に見える出口は小さく遠い。
そして、探索中の嫌な予感というのはよく的中するもので、良くないニュースだ。水位が上がってきている。現在20cmくらいで、長靴の丈の半分が沈んでいる。

由々しき事態である。
なぜなら、この隧道が真っ当な測量によって作られたものとするならば、「この段階で洞奥へ向って次第に水位が高くなる」=「下っている」という状況は、最終的に隧道全体が出口へ向かっての下り片勾配であることを示唆している。(通常、隧道内の勾配は、中央部が最も高い山なりの“拝み勾配”か、一方の坑口に向かって上り(下り)続ける“片勾配”のどちらかである。そうしないと余計な排水の手間がかかる) つまり、この隧道では、このまま出口まで水が深くなり続ける可能性が高い。

私も覚悟ある探索者として、最悪の場合には長靴を水没させるくらいの覚悟はしているが…、それ以上は無理だぞ、限度がある。見えている出口へ辿り着けないというのは、非常に悔しいので、避けたいところだが……。



また、ここに至っての変化として、大きな漂流物が増えてきた。

ここが、高波の押し入る立地にある廃隧道である以上、漂流物の存在は当然といえたが、それでも高潮の満潮時(探索時がそうだった)であっても海面から2m以上高い隧道内の、さらに入口から100m近く入った位置に、隧道の全幅より丈のある巨大な流木(おそらく根が付いたままの立ち木)が流れ着いているというのは、おそらくだが、東日本大震災のときにこの地を襲った、高さ7m前後の巨大津波によって、一度に押し込められたものではないかという気がする。

少なくとも、海抜7mはこの隧道の天井よりも高いので、津波の瞬間には、隧道の全長が完全に水没した可能性が高いのだ。
海面自体が高くなるわけではない通常の高波では、ここまで押し流す力はないように思うが、果たして。

そして、この不気味で恐ろしい漂流木地帯を抜けた先に、2回目の待避坑が待ち受けていた。



6:39 (入洞4分後、推定100m地点) 《現在地》

なんだこの待避坑……、変な形をしている。

変なのは、待避坑と本坑を隔てる、まるで敷居のような出っ張りがあることだ。
まるで、何か意味のあるもののように見えるが、待避坑にこのような敷居を設置しているのを見たことはないし、その合理的な理由も考えられない。
(ちなみにここも左右に待避坑があるが、右側の待避坑だけこうなっている)




待避坑部分の洞床を覗いてみると、そこは待避坑のあるべき形として丁寧に四角く掘られていたが、本坑よりも深い水が湛えられていた。周囲の内壁から常に水が流れ込んでいる状態で、かつ本坑との間に敷居があるので、当然である。

おそらくだがこの不思議な敷居、必要があって存在しているわけではなく、単純に、掘削工事中、地層の堅い部分を掘るのが大変だからそのまま残されただけだと思う。言葉は悪いが、いわゆる“手抜き工事”の跡ではないか。

もう一度上の写真を見直して欲しいが、この敷居みたいになっている部分は、待避坑の前後でも、他と区別できる白っぽい地層として一線を敷いたようになっているのが分かるだろう。ここが、出来るだけ掘るのを避けたいくらい堅かったんだと思う。

しかしこの待避坑、ごく短かったろう現役時代に、わざわざ使われたこともなさそうに思うが、当時から水は溜っていた可能性が高く、待避しようとすると膝丈まで水に浸かるという、なんとも滑稽な状況が想像されるのである。(このあとで、他人事じゃなくなるんだけどね……苦笑)



さらに前進。

水位の上がり方は、非常に緩やかだが、しかし着実だった。
測量者も、掘削者も、よい技術をしているようだ。
正直、長靴が心許なくなってきた。
まだ全長の半分を越えていないのに、長靴の丈の半分以上が水没している。
いよいよ、覚悟すべき感じになってきた。
読者諸兄にとっては気持ちのいいくらい他人事かもしれないが、いまの外気温は零下2℃だ。洞内はそこまで寒く感じないものの、このあと外へ出たあとに歩いてスタート地点へ戻ることを考えると、下半身を濡らすのはプチ究極の選択といえる。

にしても、入洞直後とは打って変わって、内壁の様子が禍々しい。
はじめは洞床の下に隠れていた黒と茶色の地層が緞帳のように上がってきて、ほぼ天井まで覆ってしまった。この壁は水浸しである。さらにその下から、とても堅い地層が現われ始めている。隧道の掘削は、こうした地層の機微と直に対話する、高度な仕事だった。



そろそろ、半分くらい来たろうか。
さすがは300m級、素掘り隧道としては素直に長いし、足元の状況も悪いとなれば、簡単に抜けられるわけもなかった。
竜宮岬の中央部、最も土被りが大きな辺りにいると思うが、内部はこんなに水浸しであった。おそらくは海水ではなく、よく透き通った地下水に浸されていた。

……また、前方に大量の漂着物が見えて来たな。
節足動物を彷彿とさせるような形をした大きな木の根と、天井に対応する凹みを有さない大きな岩塊(こんなものまで押し流されたのか…)、そしてそれらに挟まれた、アレは……、 なんだ?




これは、キャディバッグだ。

なぜこんなものがここに……。

普段の海上を、こんなものが漂流している姿は、ちょっと想像できない。
周囲にある漂流物以上に、津波の恐怖を連想させずにおかない光景だった。
山口氏が書かれていたとおり、かの津波では未だに2500人を越える行方不明の方がいて、月命日ごとに各県警などが海岸での捜索を続けている(参考)
この隧道でも、これまでに念入りな捜索が行われたことだろう。



6:41 (入洞6分後、推定160m地点) 《現在地》

確か3箇所目の待避坑。もしかしたら撮影を省いたものが途中にあったかも知れないが、そろそろこいつは見慣れてきた。

そんなことより、

限界 だ。

私が足を濡らすことくらい、誰もなんとも思わなそうなのが悔しいが、辛いんですって!

……隧道は、あと残り半分。
ここから見る限りだが、最終的にも歩いて進めないほどの水深になることはなさそう。もしそうなら、もっと出口は扁平に見えるはずなので。
つまり、ここで濡れることを我慢すれば、突破は可能。

突破する価値があるのかどうか。
それは正直、突破してみないとなんとも言えない。どんなところに岩間側の坑口が口を開けているのか、全く想像が出来ないのである。
先に岩間側の偵察をしていれば、ここでは引き返すという選択も、あり得たと思う。



そんな次の一歩の選択を迫られながら、水底にある低い石の上に立って撮影したこの動画は、これまでこのレポートでは伝える努力を全くしてこなかった、しかし、実際は隧道の印象に強く作用していた、“あるもの”が、記録されている。

それは、だ。

この隧道の最大の特徴は、海との距離の近さにある。
まだ見ぬとはいえ、おそらく岩間側坑口も海に近い位置に口を開けていると思われる。
波が押し入るほどに海から近い、そんな珍しい特徴を持つ隧道の内部には、どんな音が響いているのか、皆様も気になるのではなかろうか。

その答えが、この動画である。
ぜひボリュームを上げて聞いて欲しい。
水没隧道らしい、水の滴る澄んだ音の背後に、「ゴーーー」という風洞のような重低音が常に聞こえるはずだ。これは隧道を抜ける風の音ではなく、周辺の海岸線から響いてくる波の音の集合体である。
波濤を奏でる海岸線が前後に長いために、その音が平均化されて、常に聞こえるようになっている模様。
こんな不気味な、焦燥を感じさせる潮騒が、どこにいても常に聞こえる。こんな竜宮城だったら、とても二晩は耐えがたい。




じゃぶじゃぶ!

今朝起きてからまだ1時間も経っていないのに、もう濡れた。毎度のことながら、長靴の意味よw

でも、こんないいところで引き返せるかよって話で、こうなったのは他ならぬ自分の意思だ。

まあ、気持ちいいか、悪いかと問われたら、断然気持ちイイ!(←ハイ状態)




毎度! 快音を響かせながら水没隧道を驀進する動画だ。

動きの重さが感じられると思うが、膝まで水没した状態で人は機敏に動くことは出来ない。
マ●オみたいに水面から跳ねたりも出来ない。そして、動画の中で第4の待避坑を通過している。
このあと最終的にどのくらいの水位になるのかが気がかりだが、このペースならば腰までは濡さらずに済みそう。



いわゆる帯水層というものを抜けたのか、壁面の濡れ方が収まった。
しかし、洞床は45cmからの水没を見せているうえに、相変わらず漂流物が水底に多くあって、それらに足を取られないよう注意して歩く必要があった。
水は澄んでいる。そして当然だが、肌を刺すような冷たさだった。私が長靴装備の時は常に綿の靴下とネオプレーンの靴下を重ね履きしていて、水没時の保温性を重視しているが(水没前提…笑)、それでもこの水温は厳しい。とはいえ裸足サンダル履きなんかだったら、足がもげていたと思う。




6:46 (入洞11分後、推定250m地点) 《現在地》 

おそらくこれが最後の待避坑だ。たぶん5回目。この先にはもうなさそうに見える。
出口までは、あと50mくらいか。ついに完抜が見えてきた。
そして、出口の様子もやっと、はっきり見えてきた。
洞床は最後まで水没しているようだが、ちゃんと外へは出られそうだ。柵などは見えない。というか、白いばかりで何も見えないな。ちょうどいま日の出の時刻だが、だいぶ明るいところに出る予感。



この終盤、隧道の内壁全周が水を通さない固い岩盤に変わったようだ。そのために、漏水のない乾いた景色に変わった。
その堅さたるや風化をほとんど受け付けなかった模様で、一打一打に力の籠もった鑿の痕が、生々しいほどの質感で刻みつけられていた。

そんな天井に、これまで見たことがない奇妙な窪みを見つけた。
これはなんだろう?
まるで照明でも設置していたような凹みだが、正体は不明だ。
この“照明説”以外に、かつては天井に電線が張られていて、それを固定するための碍子付きの木柱が窪みにはめ込まれていたのではないかという、“電線説”も考えた。
しかしどちらの説にしても、同様のものが他に見当たらなかったこともあって、確信にはほど遠い。

あと、これはどうでもいいが、あの肉球の主は結局この水没を見て引き返したと考えて良いのだろうか。
さすがにこの水位だと、彼らは泳がねば越えられないはずで、そこまでしたとは思えない。
……まあ、本当にどうでもいいことだったが。




さあ、ついに突破の時!

最終的に水位は50cm近くにも達し、腿のすぐ下まで浸されたが、我慢し通した!

そして、隧道全長の8割を満たしていた大量の水だったが、岩間側坑口からは流れ出していなかった。
完全に堰き止められていた。もしここに水抜きを行えば、隧道は再び通路として甦るだろう。
だが、いまの私にはもうそんなことには興味がない。

いま興味があるのは、どこに抜け出たか。それだけだ。




?!?!

ちょっと待て!




6:48 《現在地》

あはははははははははは!

ここまで来て、外へは出られないとか!


ははは……





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