隧道レポート 旧白骨隧道と旧旧隧道 第1回

所在地 長野県松本市
探索日 2021.12.24
公開日 2022.02.13


道路レポート群「旧安曇村の廃道たち」に、また新たな1ページ。

白骨(しらほね)温泉をご存知だろうか。 《周辺地図(マピオン)》
信州ではかなり有名な温泉場だが、一度目にすれば忘れない強烈な字面の地名と相まって、思い出を持っておられる方は少なくないと思う。
私も何度かこの地を訪れたことがあるが、今回、白骨温泉の表玄関ともいうべき道路に、予想外の“旧々隧道”の実在情報が寄せられた。

情報提供者は、読者のあづみのまる氏である。

初めまして。あづみのまる と申します。
道路レポート群「旧安曇村の廃道たち」に新たなページを加えていただきたいと思い、情報提供させていただきます。
秘湯白骨温泉へと続く長野県道300号白骨温泉線の白骨トンネルには、旧隧道と旧旧隧道があります。
旧隧道は隧道データベースにも掲載されている通りの至って普通の隧道ですが、旧旧隧道は美しくも恐ろしい姿をしており、臆病な私は中へ足を踏み入れることができませんでした。大岩壁に突き刺さっていく旧道のロックシェッドと、遥か下方にぽっかりと口を開ける旧旧隧道の対比は見事で、旧旧隧道の前後に残る旧旧道の痕跡も断片的ではありますが素晴らしいの一言です。
なお旧版地形図には隧道が2本描かれていますが、もう1本は道路改良で削り取られてしまったのか、見つけることはできませんでした。
探索される場合は十分にお気を付けください。もし既にご存知でしたらすみません。

あづみのまる氏から送られてきたメール

!これは重要な情報だ!

先に告白をすると、私はここに旧隧道があるだろうことは予期していたものの、まだ探索したことはなかった。
その理由としては、大変申し訳ないのだが、あづみのまる氏も書かれているとおり、「旧隧道は隧道データベースにも掲載されている通りの至って普通の隧道」だと思っていたからだ。
旧安曇村の廃道たちとしてまとめているように、私はこのエリアを好んで何度も訪れていて、多くの旧道と旧隧道を探索してきたが、旧白骨トンネルには急いで解明すべき謎があるようには思っておらず、なんとなく後回しになっていた。
だがそこに旧々隧道があろうとは、これは一本取られた。


@
地理院地図(現在)
A
昭和51(1976)年
B
昭和28(1953)年
C
昭和6(1931)年
D
大正元(1912)年

さっそく、手元にあった現地の歴代地形図を総動員して、表記の変化を追跡してみることにした(→)。

あと、「隧道データベース」の元ネタである『道路トンネル大鑑』巻末リストに記載されている「白骨隧道」(これが旧隧道と思われる)のデータも転記しておこう。ここに記載の竣工年と比較しながら、歴代の地形図を見て欲しい。

白骨隧道
路線名:一般県道白骨温泉線 延長:25m 車道幅員:5m 限界高:4.9m 竣工年:昭和15(1940)年

『道路トンネル大鑑』より

歴代地形図を比較すると、@に描かれているのは現トンネル、AとBは旧隧道であると予測できる。
だが、C昭和6(1931)年版にも既に隧道が描かれており、これが今回発見された旧々隧道に該当するものと思われた。
ただ、あづみのまる氏も書かれているとおり、この版には隧道が2本描かれている。(恥ずかしながら、今回の情報提供までこのことを見過ごしていた)

また、情報によると旧々隧道は旧隧道の直下といえる位置にあるようだが、地形図の比較からだと、Cに描かれている2本の隧道は、AやBに描かれている旧白骨隧道とだいぶ位置が離れている。
もっとも、Cは川の形などの地形表現自体もまるで違っていて、この時期までの古い地形図にありがちな不正確性に起因する位置差も強く疑われるところではある。

なお、D大正元(1912)年版まで遡ると隧道は描かれておらず、これらが正確だとすれば、旧々隧道は大正元年以降の昭和6年以前に誕生したものと推定可能だ。


情報提供および上記の調査内容を手に、実際に現地を探索してみた。
探索日は年の瀬も押し迫った2021年12月24日で、年によっては深い雪の中に埋れていても仕方がない時期だったろうが、幸い今回はギリギリ間に合った。
しかし、これだけ明解な情報(どこを探すべきかが非常に分かり易い情報提供だった)を戴いておきながら、現地探索は思いのほか難航したのである。
ぶっちゃけ、現地到着後30分もあれば終わると予想していた(非常にピンポイントな情報だったからね)が、これがこれが…、なかなか思うにまかせず……。

といった不穏な予告をしたところで……、現地探索スタート!



 あれ? あれれれ? 近づけないぞ?!


2021/12/24 8:41 《現在地》

ここは国道158号の沢渡(さわんど)から県道白骨温泉線へ入ってすぐの地点だ(写真の橋の上の道路は国道)。
この県道が白骨温泉へのメインルートであり、冬期間も除雪されるが、大量の雪がある状況では道路外の廃道探索は困難だ。
今回は時期的に積雪量が心配だったが、入口のこの控えめな積雪量からすると、目的地である2.1km先の白骨トンネル付近も、ぎりぎり探索可能そうである。
ちなみに白骨温泉まで1本道で、約3.8kmの距離がある。

いまは開いているが、ここには通行規制ゲートもあり、目の前のヘキサに小ぶりな事前通行規制標識が取り付けられていた。それによると、連続雨量60mm、時間雨量15mm、15分雨量8mmという3つの降水基準で通行止となるらしい。連続雨量と時間雨量の数字の小ささもそうだが、他ではあまり見ない「15分雨量」という基準の存在からも、難路であることが察せられる。
白骨温泉はマイナーではないが、交通難的な意味での秘湯といえる。これでもだいぶ道は良くなったと思うが…。



写真は、また少し進んだところ。

観光バスも多く行き来する道路だが、道幅は2車線としては狭めで、見通しの良くないカーブが続く。道が沿っているのは湯川で、白骨温泉の出汁は全部ここを通って梓川に注ぐ。とはいえ名前のような温かい水が流れているはずもなく、また白い濁りもなくて、ただの渓流にしか見えない。

今回、探索の目的地が白骨トンネル付近にあると明確に分かっているのに、敢えて数キロ離れた麓から自転車で出発したのは、これはもう私の好みの問題であった。
道というものが展開する流れを味わった上でターゲットに挑みたい。時間的には余計に掛っても、その方が私は楽しいのである。
もちろん、時間に余裕がないときは、そんなことも言ってられないけれど。



8:54 《現在地》

入口から1.3kmほど進んだ所で、それまで緩やかだった道路の勾配が目に見えて強くなった。
とそこに、まるでドライバーを鼓舞するかのように、白骨温泉が設置した「あと2.6kmです」「これより上り坂が続く」と書かれた看板が立っていた。

入口から温泉までの距離は前述した通り約3.8km。この間に標高は1030mから1350mへ320mも登る。
単純計算で平均勾配8%を越えているが、現在地点までの序盤1.3kmでは50mも登っていないので、上りの2.5kmは平均勾配10.8%という相当ヤバめの数字が導かれる。

地図上では近いからと、気軽な気持ちで白骨温泉に一夜の休息地を求めた初級サイクリストの後悔の汗を沢山吸い込んでいそうな数字である。
かくいう私だが、私もこの道を自転車で上るのは初めてである。下ってきたことはあるのだが、その時は夜だったので、旧隧道どころじゃなかった。そしてその下った時は、見通せない闇の中に続く終わりの見えない激坂に不安を覚えた記憶がある。



県道白骨公園線、一つ目の特徴が強烈な急坂にあることは既に述べたが、もう一つ大きな特徴がある。
それは、このような険路を冬期間も維持するための苦肉の策といえる大量の覆道の存在である。
そしてこのことがやがて、かつて経験がない種類の困難を私に強いることになるのだが…。

今通過しているのは、最も麓側にある「はんの木ロックシェッド」(昭和59年完成、全長148m)だ。
シェッド内も10%前後の勾配が続くうえ、路面に流れ出た水がところどころスケートリンクのように凍結しており、自転車だと気を遣うこと甚だしかった。
探索後はこの道を下ってくるつもりだが、よほど気をつけないとクラッシュするぞこれは…。




1本目の覆道を抜けて標高1100mに乗ったが、勾配変わらず引続き激しく登る。
当然進行のペースも非常な鈍足となっているが、車を停められるような余地がここまでほとんどないので、自転車で来たのは正解だった気がする。
そしてもう次の覆道の入口が間近に迫っている。

目的地と目される「白骨トンネル」まであと700mほどだが、地理院地図を見る限り、次の覆道の入口からトンネルの出口のさらに向こうまで約1kmにわたって、長い長い覆道が続くようだ(うち200mほどが白骨トンネル)。
これほど長い覆道が一気に完成したわけではなく、下側から順に白骨2号洞門、白骨トンネル下洞門、白骨トンネル、白骨トンネル上洞門という別々の名を持った構造物が繋がっている。

そしてそこには、情報提供者がおそらく私の初見の楽しみや、探索力を信頼して語らなかったであろう、落とし穴が潜んでいた。




現地でも私は、おそらく覆道内からとなるだろう旧道へのアクセスに、一抹の不安を抱いていた。
だからこそ、この長い覆道に入る前に、入口から覆道の外の地形を遠望してみることを忘れなかった。

見えたのは、道路にこの厳しい勾配を強いている、湯川の険しさだった。
うっすら雪も積もっていて、至る所が氷結していて、道路の外へ出ることが大変そうな地形だった。

旧隧道だけでなく、その下方に旧々隧道が発見されたというのだが、
これは思ったよりも、大変な探索かも知れない。



視覚情報を大幅に制約される覆道内を、遅々としたペースで進んでいく。
湯川が岩に砕けるどうどうという音が、常に耳に届いていた。
探すべき旧道や旧旧道を見逃すまいと、私は頻繁に覆道の窓から外を観察したいと欲したが、その度に凍り付いた路面を横断しなければならないことは、小さくないストレスだった。
車もときおり通るので、彼らの邪魔をしたら大変だ。特に下ってくる車は、まともに止まれるか分からない凍結状況だったから。




とりあえずこの段階で分かったことは、湯川の峡谷はいま非常に険しい段階に差し掛かっており、とてもじゃないが、この道の外を歩くことは出来なさそうだということだった。
冬枯れのおかげで地形は隠されておらず、そこにこの道以外の旧道や旧旧道が見えないことも、よく分かった。
まだ白骨トンネルに達していないが、そこまでは寄り道無く進んで良さそうだ。

この写真の奥の連なる覆道の外側に、平らな場所が見えると思う。
あそこはどうやら旧道敷っぽい。
次はあそこに立ち止まろうと思う。



9:10 《現在地》

一連の覆道に入って700mほど進んだところで、初めて外へ出られる場所が用意されていた。
すかさず出てみると、上の写真で覆道の外側に見えた平らな場所だったが、この場所は白骨トンネルの50mほど手前にあたり、探索すべき現場はもう目と鼻の先だった。

外の広場は、覆道の外に取り残されたカーブひとつ分だけの小さな旧道敷きだった。
ようやく車の行き来を気にせずに周囲の地形を落ち着いて観察できる場所を得たが、喜びよりも焦燥感が勝った。

思ったよりも雪が深い。それに、ガチガチに凍り付いている。
それよりなにより、この小さな旧道から覗き込むことができる前方の風景の中には件の旧隧道や旧々隧道がなければならないが、一見しても判別できなかったのである。

ご覧いただきたい。




肉眼だと、もちろんこの写真よりは高解像度で観察できたわけだが、

それでもはっきり言って、なにが見えているのかが、よく分からなかった。

はっきり分かるのは、白骨トンネルがある山は非常に険しく、
“旧道のセオリー通りの場所”を捜索することが、
簡単ではないということだった。



遠くに微かに見える四角いコンクリート面が、旧白骨隧道の北口なのであろう。 おそらく…。

だが、そこへ行くルートが、ちょっと見えてこないのである……。

「隧道データベースにも掲載されている通りの至って普通の隧道」だろうと、少し侮っていた自分を恥じる。

旧道のセオリー通りの場所へ行って確かめたいが、現道の白骨トンネル坑門や、
そこにつながる覆道の側壁がちょうど邪魔をしていて、凍り付いた崖を通るしか、近づく術がなさそうに見えた。
旧隧道でさえこうだから、旧々隧道など全く見えないし、位置の見当も付かなかった……。



9:15 場所変わらず

凍った斜面に躍り出て探索するかどうか悩んだ末に得た結論は、一旦ここをスルーして、反対の南口からもっと容易に旧隧道へアプローチできないかを確かめてみることだった。
そもそも、情報提供者がどうやって旧隧道へ近づいたのか分からないのである。もっといいルートがあるのかも知れない。

というわけで、旧隧道らしき姿をちょっとは見たが、ここは一旦スルーして先へ進む。




再出発から50mほどで、すぐに白骨トンネルに到達した。
トンネル脇から外へ出て旧道へ行くのはセオリーだが、それを完璧に塞ぐように、トンネルと接続した覆道との間に隙間が全くなかった。
雪の吹き込みを防ぐための半透明の板が完全に出入りを遮断していた。
もっとも、ここが通れても外は垂直の壁なので、旧道へは行けないが。

哀れなのは、遮蔽板に半分隠されてしまって顧みられていないトンネル銘板だった。
半分しか読めないが、竣工は平成9(1997)年、全長は188.5mであるようだ。
ここから逆算して旧道の廃止も平成9年であろう。古くない旧道なのに、予想外に難しい……。



真っ直ぐなトンネルだけど、

短くした釜トンネルみたいな急坂だった。

抜けたらすぐに旧道へのアプローチを確かめよう。そのことだけを励みに、ギィギィ漕いだ。



のに!

頑張ってトンネルを漕いだのに!

外へ出られないじゃないか!

……北口と同じだった。トンネルと覆道と間に隙間なし!(涙)

こいつは困ったが、どうにもならない。 少し進めば、開いてる窓があるかなぁ…?



9:19 《現在地》

ぬわぁー!

ヤラレタ!!涙

最新の地理院地図でもここは橋なのに、橋の上にシェルターが!!!

外へ出られないだけでなく、外を見ることすら許されないッ!

橋の名前は大池大橋。被さっているのは大池大橋シェルターである。


この橋の出現に、もうダメだろうなーとは思いながらも、焦燥感から足が止まらず、さらに進むと――



橋の先もこの有様だよ!

出られないし、外を見ることも許されない!!

結局、地理院地図では繋がっていないはずの覆道が繋がっていたために、
覆道を全て繋げた長さは300mくらい伸びて、1.3kmにも達しているようだ。

こいつ、ガチで旧道へアクセスさせる気がねぇ!

(どうりで、検索しても旧白骨隧道の到達情報が全くないわけである…)



9:23 《現在地》

あー、もう今さらだよ…。

トンネルを出てから200mぐらい進んだところで、やっと覆道に隙間が現れた…。

いちおう外は覗いてみたけれど……



どうにもならんよな。

そりゃそうだ。


結論。 旧道へは北口からしか近づける可能性がない!




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