隧道レポート 旧白骨隧道と旧旧隧道 第2回

所在地 長野県松本市
探索日 2021.12.24
公開日 2022.02.15

 旧隧道への唯一アプローチ


2021/12/24 10:32 《現在地》

この場所へ、戻ってきた。

白骨トンネル北口から50mほど北へ進んだところにある、覆道外側の【小さな旧道敷】だ。
前回の最後のシーンとこの場所は、500mほどしか離れていないが、1時間以上経過しているのは、私が白骨温泉まで自転車で登ってから戻ってきたからだ。
今回この地を訪れた主題は、今対峙しようとしている旧隧道(と、あると教えられた旧々隧道)にあるが、明るい時間に白骨温泉を見た記憶が無かったので、せっかくだからと足を伸ばしたら時間を費やしてしまった。

ともかくこの1時間ではっきりと分かったのは、旧隧道へ辿り着くためには、ここから行くしかなさそうだということだった。
そして旧々隧道については、まだその在処さえ捉えていない。情報提供者の口ぶりからすると、まずは初歩たる旧隧道へ辿り着かねば話にならなそうな雰囲気だったが、その入口の部分で足止めを食らっているのは、遺憾だった。



これは、上の写真の赤枠内の望遠写真だ。

先ほども一度この部分を注視し、たぶん旧隧道の坑門が見えているという判断を下したのだが、その見えづらさと、辿り着きづらそうな地形の両方に嫌気が差して、反対側からになら簡単に辿り着けるかもという期待がまだあったこともあって、中途半端に注視を止めたのだった。
しかし今はもう、ここしかないと理解しているので、注視は真剣そのものであった。

写真というものが、立体視である肉眼よりも遙かに「見えづらい」ことを承知の上で述べるが、この写真の旧隧道は非常に見えづらい。
そして、これは肉眼や、カメラの望遠レンズを通しても、相当に見えづらかった。
原因は、沢山の細い樹木の枝が視線を遮っているからで、草木の茂る時期には間違いなく見通せないはずである。

そのうえ、直前に散々思い知らされた通り、現道と旧道は全く接続していないわけだから、平成9年廃止という新しい存在でありながらほとんどオブローダーに知られてこなかったのも無理はない。挙げ句の果てに、近隣には車を停め置く空き地も、今いるこの場所しかないのである。



見えづらくはあったが、確かに旧隧道の坑門があるのは見えたので、近づけるルートを探してみたいと思う。もちろん自転車はここでお留守番だ。

まずは、現トンネルに繋がっている覆道の窓から外へ出ることが最初の一歩だ。
あまりトンネルに近づくと、この窓が板で塞がれてしまうので、この写真のようなだいぶ手前の位置から出られない。
だがそもそも、トンネルに近づくと覆道の外の擁壁が高すぎて地面に下りることさえできないので、行動は一択である。

チェンジ後の画像は、この後の行動ルートのイメージだ。
まずは、桃色の矢印のようなルートで、覆道の下の地面に下りる。
それからどうにかして、最終的には奥の緑矢印の位置に見える旧道の切れ端に辿り着きたい。

いうまでもなく最大の問題は、この“間”の部分を、どうするかだった。
まだこの位置からは、全くルートのイメージが掴めない。
凍り付いた岩場があるようにしか見えなかったのである。
とはいえ、情報提供者は旧隧道に辿り着いたと思われるので、ルートがあると信じたい。


(→)
覆道の外へ下りたところで振り返ったのが、この写真。
一番低い所でも背丈くらいの段差があるので、下りるのは飛び降りるだけだが、上るのには近くの立ち木をうまく使って足場にする工夫が要る。

……最初の一歩からこのやりづらさとは、興奮とうんざりが同じくらい感じられた。


さて、前進前進。

今いるこの場所、平らではあるが、旧道敷きというわけでもないようだ。
現道はまだ旧道から離れていないと思う。
でも、確かにこの平らな場所には、人が出入りした形跡があった。
崖側には工事現場風の鉄パイプにより転落防止柵が残されてもいた。

おそらくここは、現道の覆道を建設した際に工事用地として利用された名残だろう。
ここにある覆道には「白骨トンネル下洞門」という名前があり、平成12(2000)年竣工である。
トンネルの交換に続いて行われたこの覆道の整備によって、旧道は現道と完全に切り離されてしまったと見える。



さて、早くも一線を越えるべき時が近づいてきたようだ。
画像の手前側矢印の終わりと、奥の矢印の始まりを、私の足でどうにかして繋がなければならない。

しかし、これだけ近づいてみても、未だに緑矢印の位置の旧道の状況が、よく分からないままだ。
微かに平場があるのは見て分かるが、車が通れるような道幅は絶対になさそうだ。
路肩もなにもあったもんじゃない。

どうやらこれは……、廃止後か廃止前かははっきりしないものの、大規模な土砂災害に巻き込まれた跡のようだ。
この崩壊地を越えていかないと、旧隧道には辿り着けないということらしい。




結局、私が考えるルートは一つしかなかった。
この正面の凍り付いた岩場を5mほどよじ登ることができれば、ほぼほぼ旧道の路面の高さに到達出来ると思う。
それさえできれば、あとは斜面のトラバースでなんとかなりそうだった。

しかし、上るだけならまだしも、帰りにもここを戻ってこなければならない可能性が極めて高いことを考えると、恐ろしい場所だった。
一応、雪山用の簡易アイゼンを着用してことに及んではいるが、凍った斜面での活動経験が多いとはとてもいえない私である。上るときの感触次第では、断念を考えなければならないだろう。

言い訳がましいが、雪と氷の有無は、探索の難度を少なからず操作しているはずだ。
時期によっては、こんなに逡巡するような恐怖を感じる場面ではないかも知れない。

そんなことを考えたのも束の間で、いざ行動を開始した私は、数回呼吸する間に呆気なくここを登り切った。
幸いにして、簡易アイゼンは私に平時と代わらぬ踏破性を提供してくれた。



こうしてどうにか、

旧道の路盤の端くれに辿り着いたのであったが…



10:37 《現在地》

まだ難所は終わってない!

目の前には、氷雪に癒着したガレ斜面が延びていた。

その上側にはコンクリートの法面らしき平滑な人工物が見え、さらに奥には落石防止ネットがあった。
これらの下にガレた斜面が1車線の道幅ほど続いてから、あとはほとんど垂直に谷へ切れ落ちていた。
ようするにこれは、かつてあった旧道を瓦礫が埋めてしまったのであろう。こんな急角度に……!

氷雪のガレ場の隙間にはいくらかの灌木も見えるから、
この傾斜の粘るようなキツさを見れば、たぶん崩土の斜面なのだろう。
それが凍り付いているのである。直前に上った岩場よりも恐ろしく見えた。



思わず退路を頼って振り返った。

どうしようか。

引き返して、もっと良い時期に再訪するのもありだろう。



やや逡巡したが、進路をよく観察すると、やりようが見えた。

ガレ場の上端、コンクリートウォールに接する部分に、幅50cmほど平らな部分が残っていたのだ。
最初は雪が積もっていて見えづらかったが、足で雪を退かしてみると、
道か偶然かは知らないが、良い具合に通路となる平坦部が残っていた。
そしてそこを野ウサギのモノらしき足跡が無数に往来していた。

これに気付いて、ようやくまた10mほど前進できた。




ほぅ…。

やっと人心地付ける。

落石防止ネットが散らばっている場所に辿り着くと、そこには元来あるべき旧道敷きが、雪に覆われてこそいたが平らなままだいぶ残っていた。
舗装の感触が私をホッとさせた。
めちゃくちゃに荒れた廃道でも、道ならぬ崩壊斜面よりは遙かに安心である。

しかし、旧隧道到着までにはもう一つ越えるべき難所が潜んでいた。




本当にこれが最後の難所なんだと分かる状況が、憎たらしい。
だって、もう奥には目指している旧隧道のコンクリート坑門の一部と、そこへカーブして繋がっていく白いガードレールが見えているのだ。
それらは見下ろすような高さにあるから、現状は崩土のために本来の路面より5mも高い位置をトラバースしていることが窺えた。

問題は、この最後の場面でまたしても氷雪の斜面を3mばかり横断しなければならないことだった。
難所の正体は、土の崩壊斜面にはつきもののガリーであって、窪んだV字の小谷が20mは下にある谷底まで走っているのが見下ろされた。
野ウサギたちの足跡は軽々とここも横断していたが、掴むものがない斜面に足を進めるのは、恐ろしかった。

私はアイゼンの刃を斜面の入口に突き刺して、十分にグリップすることを確かめてから、足早にここを横断した。




こうしてようやく……



旧白骨隧道、北口に到達!

旧々隧道を相手にする前に、だいぶ肝を冷やさせられた。




 旧白骨隧道の探索


2021/12/24 10:42 《現在地》

目の前は、約10分間格闘のような冬山歩行を行って、どうにか辿り着くことができた、旧白骨隧道へと通じる旧道の路面である。
目の前にカーブがあり、カーブの先には、石のような色合いのコンクリート製の旧坑口が口を開けている。

いま見ているわずかこれだけの長さが隧道北側に現存している旧道だ。
あとは全て土砂崩れで埋れたり、現道の洞門に切り取られたりして、原形を留めていない。
まあ、残っているこの部分にも、植樹とは思えない樹木が路面に育っており、これまでよりマシだというだけで完全な廃道の風景である。

ガードレール、カーブミラー、そして向こう向きの工事看板が、ここにはあった。
いずれも、この道路が現役だった最後まで利用者と相対していたアイテム達だ。
看板には、「工事中につき徐行」という文字が書かれていたが、その工事が自らを世界から切り離すものであったということが、皮肉めいていて印象的だった。


上記の看板がある路肩から、湯川へ落ち込む急斜面を覗いてみたのが、この写真だ。
路上からは見えなかったが、斜面に倒れて落ちかかっている「落石注意」の標識を見つけた。
「落石注意」といっても、よく見る警戒標識ではなく、文字でそのまま「落石注意」と書かれたオリジナル標識だ。
現役当時から厳しい環境に晒され続けたので、廃止後のボイコットはやむを得まい。

で、問題はチェンジ後の画像だ。

同じ路肩から、少しだけ向きを変えて湯川の流れを見下ろした写真なのだが、単純に険しすぎる!!
写真だと高さは分かりづらいと思うが、水面まで20mはあると思う。そして恐ろしく急峻なV字谷だ。

悪いことには、今回最終的に、この谷底に用事があるのである。
なんでも情報提供者のあづみのまる氏によれば、この旧隧道の下部に、旧々隧道が現存しているという。
どうやって谷底へ降りたのか知らないが、ちょっと…、ここから下りるのは無理だろう……。仮に雪がなくても同じだと思う。


と、とりあえず…、気を取り直して、

旧白骨隧道を体験しておこう。

どう?
この目の前の隧道を、どう感じる?

情報提供者は、「旧隧道は隧道データベースにも掲載されている通りの至って普通の隧道」と評しており、私も事前には「そうなのかも知れない」とタカを括っていたが、実際に到達に苦労した心理的高揚を加味したせいなのか、これはこれで荘厳な外観の印象深い廃隧道のように感じた。

それとももしかしたら、この旧隧道ですら平凡なものと思えるほどに旧々隧道は“すさまじい”存在なのだろうか……。
私にはこの旧隧道が平凡とは思えなかったことが、未だその所在の片鱗すら掴めていない旧々隧道の恐ろしい印象を、より倍増させていた。


これは扁額のアップ。
小ぶりの金属板に「白骨隧道」と左書きで書かれており、温泉ガスの影響でもないと思うが、緑青を吹いたような青みがあった。
坑門にはこの扁額以外の装飾的要素はなく、坑門全体の外観は、梓川沿いに無数に存在する一連の道路隧道と変わったところはない。

湯治場としての非常に長い歴史を誇る白骨温泉と、乗鞍岳や乗鞍高原といった明るい山岳観光地の入口という位置を長く占めた隧道だが、華やいだ要素は全く見られない。これは同じ梓川渓谷の観光地仲間である上高地の入口を占めた釜隧道と共通する。
これらの隧道はいずれも生涯の最後に至るまで、その奥に控える観光地の明るさを反映することはなかった。あくまでも道路通路としての最低限の機能に没頭し、それ以外をする余力を与えられていなかったといえる。まあそうなった理由は、前後の道路がとにかく険しく、隧道などを明るく見せることに意味が無かったからだろう。


この隧道のスペックは、冒頭でも紹介した通り、『道路トンネル大鑑』記載の昭和43年度末のデータとして、全長25m、幅員5m、高さ4.9m、竣工昭和15(1940)年などの記録がある。
廃止は平成9(1997)年であると思われ、廃止直前のデータは上記と異なる可能性もあるのだが、現物を見る限り、たぶん変わってはいない。
長さ、高さ、幅などは、最後まで上記の通りであったろう。

ただ竣工年については、昭和15年の竣工当初からこの外観ではなかったと思う。おそらくもう一回り小断面の素掘り隧道として誕生したのではなかっただろうか。
なぜなら、この隧道の外観というのは、昭和30年代後半から40年代初頭にかけて進められた梓川の電源開発に合わせて、沿川に大量に出現したコンクリート隧道の典型なのである。そしてもし昭和10年代生まれの坑門だったなら、扁額も右書きになったと思う。

チェンジ後の画像は、坑内から振り返った北口だ。
このように坑口前が急カーブになっており、見通しが非常に悪い。
隧道内で大型車同士がすれ違うことは難しいので、この見通しの悪さは嫌われたであろう。


わずか25mなので、意識的にゆっくり歩いても、一息で通過してしまう。
こんなに短いので照明類も設置されていない。

地上の道路は劣悪な崩壊状況だったが、洞内には壁の剥離崩壊一つなく、現役さながらだった。
もちろん、小さなひびや漏水などの老朽化は見て取れたが、隧道そのものの老朽化が道路の付け替えの主原因ではなかったように想像する。
隧道の狭さと、なによりも前後の道の不安定さが、目に余ったのではないだろうか。

旧隧道の南口には、そのまま隧道と同じ幅の覆道が接続していた。
この覆道の名称は記録がなく分からないが、明らかに隧道よりも新しい。
壁にも柱にはツルンとしたコンクリートの新しい質感があり、覆道としての形状も現代的だ。おそらく現役では10年間も使われていないのではないだろうか。仮に平成初年の誕生だとすると、探索時点で誕生から30数年である。




幸い、この覆道には、現道にあったような私の脱出を阻む意地悪遮蔽板は存在しない。
なので、隧道を出た最初の1番目の窓からでも外へ出ることができると思ったが、今日だけそこはもの凄い長さに育った氷柱に塞がれていて、通り抜け不能だった。

私は今、この覆道を前に、緊張を新たにしている。

なぜなら、情報提供の内容との一致を感じ取っていたからだ。
(もっとも、一字一句を暗記して探索していたわけではなく、印刷して持ち歩いていたのだが)
あづみのまる氏の文章には、次のような文言があった。

「大岩壁に突き刺さっていく旧道のロックシェッドと、遥か下方にぽっかりと口を開ける旧旧隧道の対比は見事」

……旧隧道の北口にロックシェッドはなく、この南口にはロックシェッドがある。
そして、ロックシェッドの遙か下方にぽっかりと口を開ける旧々隧道。
すなわち、旧々隧道の在処は――




←この下か!!!

マジかよ…マジかよ……。

キツくねぇか………。

つうか、それらしいものが、まだ見えないが……。

あづみのまる氏は、この谷の底で、いったい何を見ちまったんだ…。

いや、そもそもどこから下りたのよ……?
とてもじゃないが、この場所は下りられない。
北口直下よりもさらに切り立っている。

なぜ、旧々隧道がまだ見えないのか。
若干の不審と、大きな不安が私の頭を埋め尽くしつつあったが、とりあえず谷底へ降りられる場所を探しつつ、旧道の探索を続けよう。
距離的に、もうあまり長くないはずだ。




10:48 《現在地》

隧道が長さ25m、そこからさらに50mほど覆道を歩くと、屋根のない地上へ出る。
道は隧道を出たところから急な上り坂が続いていて、現道がトンネル内も全部上り坂であったことと高度の整合性を取っている。

外へ出た先の旧道は、あまり荒れている感じではないが、舗装路面上に細い木々が育っている。
そして、これを最後まで進んでも、現道に脱出できないことは既に確約されている。
普通なら、旧道は前後に現道との接続地点を有しているが、この旧道は実質的に行き止りである。
いや…、私が無理矢理アプローチしただけで、実際は前後共現道を含めたあらゆる道路と繋がらない離れ小島的廃道といえるだろう。

そんな旧道を起点にしなければ探せない旧々隧道。
思いのほか難敵であるといわねばならない。
実在が真実なら、よく見つけたものだと思う。


覆道と、その奥の旧隧道を、振り返る。

覆道がこちらへ向けてかなりの上り勾配であることが、写真から見て取れるだろう。
そして、傍らには「100m先」の工事現場を予告する工事看板。
先ほど見た「徐行」の工事看板と一連の内容を示していたのだろう。
すなわち、平行する現トンネルの工事と関係して、旧道はその終末期に肩身の狭い思いをしていたのだと思う。

(→)
外へ出て少し進むと、今度は「片側通行」の工事看板があった。
微妙な向きだが、おそらく本来は逆方向を向いていたのだと思う。

現トンネルの建設が完了し、栄えある開通式を迎えた日が、そのまま旧道の廃止日となり、同時に封鎖されたのか。
だとしても、封鎖時にそれまでの工事看板を回収することをしなかったのか?
旧道に、こんなにたくさんの工事看板が残ったままなのは、不自然な気がする。

もしかしたら、現トンネルの工事を行っている最中に、先ほど突破に苦戦した旧道の大崩壊が発生し、そのまま現道の開通を待たず廃止された……?
もしそうならニュースになっていそうだが、当時の事情をご存知の方はおられないだろうか。



道は狭く、そして急だ。

観光バスがようやく1台通れるくらいの幅しかない。
そして右も左も崖であり、拡幅は容易ではない。
それぞれ、ガードロープと落石防止ネットによって守ってはいるが、全く安心できる感じはしない。
今の現道にはこんなに狭い部分は残されていないので、やはりこの旧白骨隧道は沿線きっての難所であったと思う。

そして、一連の旧道の終わりを告げる構造物が、奥に見え始めている。
現道の長蛇の覆道の外観である。
先ほどあの内側で、外へ出る場所を見いだせず、盛んに胃をキリキリさせていたことが思い出される。
出られなかったということは、もちろん入ることもできないのである。




10:52 《現在地》

ジ・エンド。

一連の旧道の中では、最も現道の近くへ来ているのだが、しかし互いに行き来する手段はない。現道の覆道の窓が全開だったら良かったのだが、もう二度と開けられることもないだろうから、ここは現道に一番近いのに、実質的にいちばん遠い行き止りとなっている。

現道を年中通れる道へ生まれ変わらせた頼もしい覆道を舐めるように見回してから、引き返した。
これで旧道探索に思い残すことはない。短い旧道だが、厳しさと険しさがあった。
次はいよいよ、旧々隧道探しである。




この下へ、どうにか行くしかないようだね…。





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