| ▼番号 | 書き込み日時 | 書き込みURL | 点数 |
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| コメント | |||
| 2,347 | 2010-03-15 05:46:34 | /road/nippara3/main7.html [コメント一覧] | 10 |
| ここまでよく調べたなぁと大変感心しました。東京の謎の奥地である日原に、新たなメスが入ったような気分になりました。 | |||
| 2,345 | 2010-03-14 18:10:14 | /road/usidake/main4.html [コメント一覧] | 10 |
| なんと・・・森に消えた県道を見つけ出すとは・・・ぜひ数納まで逝ってください。 | |||
| 2,344 | 2010-03-14 17:58:02 | /road/usidake/main4.html [コメント一覧] | 9 |
| 第101という通番は、他にも第101不発弾処理隊、第101化学防護隊とかにも使われていて、同時期にも同じ番号が存在していることがあります。大隊以下の部隊の番号には、あまり固有名詞的な意味はないですね。 連隊以上になると、八甲田山で遭難した青森第5連隊の番号を、自衛隊も引き継いで第5普通科連隊としているとか固有名詞的意味合いが出てくるのですが。 | |||
| 2,343 | 2010-03-14 01:52:35 | /tunnel/kamisinano/main.html [コメント一覧] | 10 |
| 今回扱って下さったこの上品濃の仮トンネルから線路を挟んだ反対側の地区に居住しているものです。正直すぐ近所にもこんなものが・・・、という驚きを隠せませんでした(笑)。 いつも全国各地について調査・執筆されており毎度楽しませて頂き有り難うございます。今度の廃のタッグマッチでお会いできるのを楽しみにしております。 | |||
| 2,342 | 2010-03-14 01:19:57 | /rail/hanawa/main4.html [コメント一覧] | 8 |
| 小坂町出身の父の考えでは、小坂〜十和田南が建設されなかった理由は、 当時、小坂線は軽便線で、大館から国鉄の貨物が直接入ってこれず、また、小坂線の貨物も入れず、大館で、積み替えを行っていた。 なので、もし、未成区間が開通していても、十和田南で、大館同様の積み替えが必要だったと思う。 とのことです。 軌間が違っていたため、建設がされなかった可能性もあると思います。 | |||
| 2,338 | 2010-03-13 22:36:24 | /road/r113_yatukuti/main2.html [コメント一覧] | 10 |
| 今日、雪の中、この道を対岸から見てきました。湖面より少し上にへばりつくように道の線が見えました。一部、雪崩からか見事に削られていたような・・・西澤橋は現道からその姿を見る事ができました。綺麗なアーチを見て、春先、雪が融けたら、せめて、橋の上に立ちたい・・・と思いましたよ。 | |||
| 2,337 | 2010-03-13 22:07:34 | /road/usidake/main4.html [コメント一覧] | 6 |
| お墓ですよ。家紋は、そのお墓の家のものです。 砺波では、いまでも一般的な形ですね。 | |||
| 2,336 | 2010-03-13 21:29:17 | /road/r135_tomoro/main8.html [コメント一覧] | 10 |
| 白田側の超、藪の道がすごかったです。城東隧道の中が気になります。 | |||
| 2,335 | 2010-03-13 20:38:36 | /road/usidake/main4.html [コメント一覧] | 10 |
| 第101建設隊が解隊されたのが昭和41年津田沼、第101建設大隊が編成完結したのが昭和34年豊川なので直接関係のない部隊でしょう。 | |||
| 2,334 | 2010-03-13 18:11:12 | /road/usidake/main4.html [コメント一覧] | 10 |
| 富山の名水は脇谷の滝じゃなくて大橋脇の「脇谷の水」ですよ。その湧水が滝から流れた水が現地で湧き出したものかどうかは知りませんが。 それにしても、牛岳車道と聞いて絶対くると思いましたがやっぱり県道59号が出てきましたか。自分も大好きで過去何度もアタックしているあの辺のルートをどう見ておられるか、次回レポが実に興味深いです。途中からルートは異なるので踏破はしてないと思いますが、このまま県道59号廃道にもアタックしてもらいたいなぁと思ったりw | |||
| 2,331 | 2010-03-13 15:37:00 | /road/usidake/main4.html [コメント一覧] | 10 |
| 主要地方道富山庄川線は、名のとおり富山市内から山田村を経て終点まで行く県道なのですが、山田村以南はだいぶ前から廃道になっているそうです。山田川にかかっていたといわれる木橋の残骸でも発見できればと思い現地へと行きましたが、残念ながら発見できず・・・。なぞの多い県道です。 | |||
| 2,330 | 2010-03-13 15:33:59 | /road/usidake/main4.html [コメント一覧] | 9 |
| 富山険道59号が出てくるなんて・・・・ となると先は数名の険道サイトによれば「道なし」とありましたが 「先の道」を見つけられたのでしょうか? 気になるところですね・・・・ | |||
| 2,329 | 2010-03-13 13:16:18 | /road/usidake/main4.html [コメント一覧] | 10 |
| 脇谷の滝ってのは富山の名水の一つみたいですね。 http://www.bea.hi-ho.ne.jp/omizu/meisui08.htm だからロードマップには載ってるのかも。 | |||
| 2,328 | 2010-03-13 12:12:09 | /road/usidake/main4.html [コメント一覧] | 10 |
| 旧道もそうですが、あの剣道に期待します。 確かに私の田舎にもかなりの剣道は有りますがさすがに草が生えている道は知らないので・・ 又橋の左側の斜面はごっそりと行って居るみたいに見えますが次回に期待します、by藁しべ | |||
| 2,327 | 2010-03-13 11:44:46 | /road/usidake/main4.html [コメント一覧] | 10 |
| 「南無阿弥陀仏」と刻まれた石塔は道標ではなく、お墓か供養塔の様な気が・・・ 「隅立て八画に瓜」の家紋は、加賀藩主前田家の物とも異なりますので、明治改元の年に脇谷村で何があったのか、気になりますw | |||
| 2,326 | 2010-03-13 11:29:20 | /road/usidake/main4.html [コメント一覧] | 8 |
| 陸の孤島。急峻な地形。豪雪。関東から見て、なーんであんなところに橋を?それもあの形?と思っていました。橋を架けるほどの谷なれば、対岸への架橋でしょうし、その場合はアーチ橋となるでしょうし。でも最後の画像を見て納得しました。凄いですね。こりゃ利賀谷は地獄谷ですね。西岸林道の大崩落といい、急峻だけに下る土砂と雪の量は半端じゃなさそうですね。脇谷沿いに下った土砂で、道が埋没、それを迂回しての橋だった。しかも、架橋後も橋の下を土砂や雪が下ることが想定された。だから、橋脚無し、橋台最低限、であの形。橋の左の付近。植樹したような形跡も見られるような・・・。すごいなあ。自然の力もそうだけど。こんなところを行き来せねばならなかった村民の熱意。あと、国。利賀は奥只見化されてしまうんでしょうかねえ。 | |||
| 2,325 | 2010-03-13 08:18:09 | /road/usidake/main4.html [コメント一覧] | 10 |
| r59のヘキサ見覚えがあるなと思ったら、R471の走破車載動画ででした。その動画では県道入り口に車を止め、歩いて最初のカーブまで行き、車の通れないような県道を写して終わりでした。 この先の展開、楽しみにしています。 | |||
| 2,324 | 2010-03-13 08:16:24 | /road/usidake/main4.html [コメント一覧] | 10 |
| アリとキリギリス逆じゃない? | |||
| 2,323 | 2010-03-13 05:34:15 | /road/usidake/main4.html [コメント一覧] | 10 |
| 脇谷の滝に石塔ときて、県道59号までお出ましですか。 しかし、Dr.ペッパーが効いたのかここぞというところで、 次回にもっていきますのう。 もっと飲んで、今日にでも第6回書いちゃいましょう(爆) | |||
| 2,322 | 2010-03-12 23:17:25 | /road/r121_ootouge/main7.html [コメント一覧] | 9 |
| 大峠現役時代の、昭和62年頃米沢から喜多方へ4輪で抜けたことがあります。未舗装区間以外も、簡易舗装というか未舗装とあまり変わらない路面状況でした。 また峠のトンネルの手前で先行する大型ダンプに追い付いてしまい、熱塩加納まで抜けなかったことを覚えています。鉱山のものであったかどうかは覚えていません。 | |||
| 2,318 | 2010-03-12 09:04:00 | /road/usidake/main3.html [コメント一覧] | 6 |
| いよいよ利賀村に近づき山深さが際立ってきましたね。西岸林道にすごく惹かれます・・・。あの橋と合わせて・・・期待シテマス。 ところで、Googleストリートビューの範囲が拡大されたようなのですが、なぜか!利賀村付近が妙に充実。地方都市なんてまだ全然対応してないのに・・・ これはgoogle社内にそういう趣味の人が?それとも山行がの力?? | |||
| 2,317 | 2010-03-12 00:28:29 | /road/morimo/main13.html [コメント一覧] | 10 |
| ともかく無事でよかったですね。 山狩りが行われたらいろんな意味で今後の探索に支障も出たでしょう・・・ | |||
| 2,315 | 2010-03-12 00:02:38 | /tunnel/yokosuka_meiji/main2.html [コメント一覧] | 10 |
| 現在街歩きの傍ら(横須賀中を歩き回っています)トンネルの写真を撮っています 大変参考になりました | |||
| 2,313 | 2010-03-11 22:45:31 | /koneta/koneta_99.html [コメント一覧] | 10 |
| これは、、 軽でも、ジープ系でも駄目そうですね・。 | |||
| 2,312 | 2010-03-11 22:42:36 | /koneta/koneta_100.html [コメント一覧] | 9 |
| 何気ない・・・? 僕の父の実家付近にもにもこんな廃橋ありました。 | |||
| 2,309 | 2010-03-11 18:12:11 | /road/yamadera/main2.html [コメント一覧] | 10 |
| 実は僕、この山寺の滑り台を実際に滑ったことがあります。 実家が山形市なもので山寺には何回も訪れていますが、山寺といえば玉こんにゃくとこの滑り台ですよね。 僕が小学生の頃(今から40年も前?)だったと思いますが、父親と一緒に滑ったのか?一人で滑ったのか?記憶が定かではありませんが、確か茣蓙の座布団のようなものを借りて、それをお尻の下に敷いて滑ったことは覚えています。 滑り台の滑走面?は、写真のようにざらついたものではなく、当時はつるつるに磨き上げられたもので、結構スピードが出て、スリル感満点で、子供心を満足させてくれた記憶が残っています。 幸いに僕は擦りむいたり怪我したりということはなかったので、いい思い出として残っています。 まさか「山行が」で山寺の滑り台の話が出るとは思いませんでした。とても懐かしく読ませていただきました。 今後もご活躍を期待しております。 | |||
| 2,301 | 2010-03-10 22:40:53 | /tunnel/isikawa/main4.html [コメント一覧] | 10 |
| 私は40歳になる弘前出身のものです。 小学生時代によく遊びに行った記憶があり、当時もコウモリが1匹いたことと(写真のコウモリだったりして)、底に水のある穴があって、それ以上進めなかった事は今も同じなんだなーと懐かしく思いました。 昨年に帰省したときに甥っ子たちを連れていったのですが(肝試し感覚で)穴の場所が見つからず、姉や嫁に「小さい時の刷り込まれた嘘の記憶だったんじゃないのー?」なんて言われて悔しい思いをしていたんですが、今夜このサイトにめぐり合えてウップンを晴らせそうです。 これからも活躍を期待していますね。 | |||
| 2,299 | 2010-03-10 17:57:12 | /road/usidake/main3.html [コメント一覧] | 10 |
| 道の遠景を見ていたら、「清水国道も開通してたらこんな感じだったのかな〜」なんて思いました。 | |||
| 2,298 | 2010-03-10 11:26:49 | /road/usidake/main3.html [コメント一覧] | 10 |
| 初めまして いつもヨッキさんのレポートを楽しく拝見しております。 突然ですが、牛岳車道の第2回で紹介された 廃橋への道のことですが、Google地図のほうに 一部だけ載っていましたので投稿させて頂きました。 役に立つかどうかわかりませんが・・・ | |||
| 2,296 | 2010-03-10 00:43:58 | /road/usidake/main3.html [コメント一覧] | 10 |
| ふと思い立ってググってみたらこんな議事録を見つけました。 要約すると、「民間資本で建設された大牧発電所が軍部の横暴で没収された」というもの。 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/007/0488/00704180488031a.html ここで重要なのが大牧発電所(及び、取水先の豆谷ダム)が建設された年で、 これが昭和18年なんですね。当時は石油不足が懸念され始めた時代で 発電を火力に頼るわけにはいかなかったはず。そこで水力発電所の建設が 急務だったわけで、大牧発電所建設のために牛岳車道の改修が進められた という流れではないでしょうか。前に「小牧峠隧道を掘らずに最初から 専用線跡を活用すれば良かったのでは」という疑問が提示 されていましたが、 ダムのメンテナンスに再利用する可能性を考えてあえて専用線とは別の 隧道を掘ったのではないかな。当時は、軍部の次に発電所が 偉かったのです、きっと。 | |||
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