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廃線レポート 木戸川森林鉄道 第3次探索(三十郎沢) 後編

公開日 2026.09.24
探索日 2021.11.08
所在地 福島県楢葉町

 最終目的地の隧道は、現存か否か?!


2021/11/8 15:40 《現在地》

三十郎沢線分岐地点から、本線の下流方向へ出発する。

目指す隧道があると考えている地点まで、ここから残り200〜250mほど。

すぐ近くだが、日没まであと1時間であり、帰り道はもう(明るいうちに歩ける可能性を)捨てた。

隧道の有無の確認と、もしも入れるならばその内部探索を、明るいうちにヤラセテクレ〜〜!



軌道跡の川側は、とても切り立っており、そこに最初の湖面があった。

おそらく今日の木戸ダムの水位は、ほぼ満水だと思うのだが、その状況でも、軌道跡と水面の比高は10m以上ある。
とりあえず、目指す隧道が水面下でないことは、ほぼほぼ確信できた。
あとは、隧道が想定通りの場所にあるかどうかだけだ。

チェンジ後の画像は、路盤上から出来るだけ下流の遠方へカメラを向けた。
そこには、流れ淀む川から、動きのない湖へ変化していく水面があった。
隧道の擬定地である岬のような地形の膨らみも見える。



薄暗いな〜〜……。

レポに使っている画像は、ほとんどどれも明るさを弄って見やすくしているが、敢えて弄らないとこんな画像。
実際の肉眼だと、目が慣れているのでここまで暗いわけではないが、既に日没直後の光量なのは間違いなかった。
そりゃそうだよ。気象台発表の日没時刻を目安にしてるけど、あれは地形を考慮してないから。こんな谷の中じゃあ、もう日没だよ。

こんな時間に、たった独り、通じる道が全くない湖畔の軌道跡にへばり付いているけれど、乗ってきた自転車は未だ山の上で、クルマはダムの駐車場で……、そのどちらを人に見られても、遭難者と間違えられないか心配になるな……。
まあ、自転車については、そもそも見つかる可能性がないと思うけど。



15:42

ふむふむ。
これは切り通しだ。
小さいけれど、確かな軌道の痕跡である。

こういうものがあって、隧道だけがなくなっているとは思わないが、流石にダムの湛水後にここを訪れた人はいなさそうだし、居たとしても、その報告を目にしたことはないわけで……、とてもドキドキしていますよ、今。
頼むぞ〜〜。この盛大な遅刻マン(湛水に遅れること14年!)を許してくれ〜〜〜。



15:44

少し長い切り通しを抜けると、灌木が茂る広場に出た。

この軌道跡は一度も車道化したことがないと思うので、おそらく林鉄時代からあった広場である。
三十郎沢線と本線の分岐地点には土地に全然余裕がなかったので、代わりにこの場所が複線の土場になっていた感じがする。
ただ広い土地があるというだけで、レールや枕木などは全く残っていないが…。



!!!

夜よりも黒いものが!




15:45 《現在地》/海抜205m

お許しいただき、ありがとうございます!!

ダムが出来ても、残ってくれていた〜〜!!!

くじさん、見てるか〜〜。残ってたぞーー!!



少し変わった断面のコンクリート坑口だ。
この隧道から見て、一つ上流にある隧道と、一つ下流にある隧道は、それぞれ探索済みだが、後者に近い。でも同じ形ではない。

【反対側の坑口】の写真が『鉄道廃線跡を歩く』に掲載されていたことは冒頭で紹介済みだが、上流側の坑口を目にするのは初めてである
もし、ダム湛水前の写真を誰か撮っていたら、見せてほしいものだ。

そして、まずは開口していてくれて本当に嬉しかったが、同時に「うぐっ」ってなった。
なぜかというと……



湛水の影響が、見て取れたから…。

本日の水位では余裕で水面上にあるが、過去に水没したことが、あるようだ。
坑口前に堆積している平らな砂の地面や、直前の広場に繁っていた均質な灌木の存在が、それを物語っている。

今日の水位は「ほぼ満水」だと私は書いたし、【ダム上からもそう見えた】が、これはあくまでも平常時の話である。
木戸ダムの水位情報を見ると分かるが、このダムの“平常時の”最高水位は181.5m、最低水位は175mとなっていて、たった6.5mしか変動幅がない。しかし、“洪水時最高水位”は205mとなっていて、洪水時に起こりうる本当の満水位は、平常時の満水位より13m以上も高いのである。

この隧道は、普段は決して水没しないが、洪水時満水位になると、水没するかしないかの瀬戸際くらいだと思う。
坑口前の砂の地面が、その絶妙な過去の水位を物語っていた。



坑口前を小さな沢が横断している。
地形図には名前がないが、鉄砲沢という。
左岸に石積の小さな橋台が残っていた。

背景の白い湖底が今日の水位だが、洪水時最高水位は、ちょうどこの足元を沈めるくらいの高さになる。
だからこそ、ここに小さな“砂浜”が形成されてる。

隧道は残ってくれていたが、湛水の洗礼は、受けていると見るべきだった。
それでも開口してくれていたことは、本当に嬉しいが……、



15年前に、今は湖底となっている場所から撮影した写真だ。

今いる鉄砲沢出合は、坑口共々山の陰になっていて見えないが(もし坑口を見つけていたら、すぐに向かっただろう)、当時はダム工事の完成間際で、ちょうど洪水時最高水位の高さまで斜面の樹木が切り払われていることが分かる。
これからも、現在地附近が洪水時最高水位の汀線になっていることが分かると思う。


さて、そんな水没を経験している洞内は、無事だろうか?





貫通 or 閉塞

いよいよ、最後の審判だ。



地下水位の変動が、地下の構造物にどれだけのダメージを与えるかを全く知らない私ではない。
そのうえ、バックウォーターに対する土石の堆積が、この隧道にも影響を与えている可能性がある。
正直、かなり分は悪そう……。



 日没前の最終隧道内部探索


貫通の光だ!



15:45 

隧道は、令和3(2021)年11月8日時点でなお貫通していた!

真に、遅刻を許された気持ちがした。
もし貫通していなかったら、洞内を閉塞地点まで探索した後に、反対側の坑口を探しに行く時間はなかっただろう。
その場合、もう1回は探索をしなければならくなるところだった。

洞内には大きな崩壊があるようで、出口のシルエットが歪だったが、間違いなく貫通していた。

直ちに突入!




いまだかつて見たことのない断面をしている。

これまで探索したトンネルの総数を数えていないが、1000本は越えるだろう。
そんな私が、「この形は初めてだ」というのは凄くないか?(私のおじいちゃんな記憶力が、過去の発見例を覚えていない可能性はあるが…)

大雑把には、側壁が垂直で天井はアーチという、古いトンネルでよく見る珍しくない形状だが、側壁とアーチの接続部分にポコッと膨らみがあるのが初めてだ。 何このメタボ。

この形にした理由が分からない。ただ、もしこの形状に明確なメリットがあるのなら、他にも採用した隧道があっていいはずで、そうでないということは、何らかのイレギュラーでこうなったのではないかという気がする。


そしてもう一つ、他の隧道では見た覚えがないものがあった。



キノコ(大豊作)ではなくて、

キノコたちの菌床となっている木製の支保工が、コンクリートの側壁に丁寧な等間隔で埋め込まれていることだ。
通常、支保工は素掘りの隧道に特有のもので、覆工があるトンネルには見られない。
だが、ここにはそれがある。

誰かこの構造の合理性を説明できるだろうか。
私には難しい気がするが、強いて言えば、もともと支保工が組まれていた隧道に対して追加でコンクリート覆工を行うことになったが、工事中の地盤の緩みを防ぐ為、支保工は撤去せず、そのまま施工したという説が考えられるか。



15:48

不思議な断面による覆工が行われているのは、上口から15m足らずの間だけで、その先は素掘りであった。
崩れやすい坑口附近だけ覆工を行うというのは、よく見るパターンだ。

洞床に堆積していた大量の白砂は、洞内へ進むと、ある地点で急に薄くなり、それまでより砂の堆積分だけ天井が高くなった。
この変化と覆工の喪失が連続できたので、一気に天井が高くなった。

坑口附近にだけ厚く堆積した白砂は、ダムの満水時に水底で形成された地形だろう。
鉄砲沢が吐き出した砂が、その時ここにあった汀線に溜まったのだ。

そして私は隧道を上流から下流へ向かって進んでおり、林鉄のセオリーとしても当然、隧道内部も下り坂になっているから、進むほど深い湖底へ入っていくことになった。



とりあえず、記録はした。

……だが、解釈は皆さんに任せよう。

これは洞内に露出した覆工部分の末端の様子だ。
赤線で囲った部分にコンクリートの覆工が見えるが、その天井附近をアーチの形に埋めるような増し盛りがされている?
この形状を詳細に解明するためには、破壊して内部を調べなければならないだろうが、そこまでして今さら得たい知見は特にない気も(笑)。



素掘りになった洞内を歩き始めた直後に少し長めの動画を回した。
生の所見は動画で喋っている通りなので、ご傾聴をいただきたい。



15:50

この隧道は、林鉄用としては結構長く、130mくらいあると思う。
そして、今いる辺りが中間地点という見立てである。
全体的に下っており、また水気に富んでいる。洞床だけでなく、壁全体が濡れているのである。
それでも水は溜まっていないので、地盤の水捌けが良いのかもしれない。

今のところ素掘りでも大きな崩壊はないが、この先の下口に近い位置に、大きな落盤がある様子だ。
この落盤箇所については、かなり昔からものらしく、平成初期に探索されている『鉄道廃線跡を歩く』でも触れられている。
本編冒頭でも紹介したが、復習しておくと……

しかしこの快適なトロ道も1km程先の落盤したトンネルで終わっている。軌道跡はその先にも続いているようだがこれ以上進むことはできない。

『鉄道廃線跡を歩く』(平成7(1995)年)より

さらには、平成9(1997)年に発行された『トワイライトゾ〜ンマニュアル6』掲載の竹内昭氏によるレポート中でも……

栗沢から先は洞床がそのまま残り、1kmほどでトンネルに出ます。縦に少し細長い変わった断面のトンネルですが、真ん中が半分崩落していたので、残念ながらここで引き返すことにしました。この栗沢の少し手前では現在ダム工事が始まっており、完成時の水没レベルを見ると、このトンネルより約1kmくらいまでの軌道後が水没してしまうようです。

『トワイライトゾ〜ンマニュアル6』(平成9(1997)年)より

……とこのように書いてあって、古くからある落盤箇所が、過去の探索者たちの上流部への到達を退けてきた歴史が分かる。

そして、この落盤のために長らく世に発表されていなかった“隧道の先”を見たいということが、血気盛んな15年前の私の主たる探索動機であったわけで、今回ようやくその原点である隧道内部の落盤の裏側に辿り着いたことは、これで思い残すことが一つ減ったなという気持ちだった。



残り50mほどの地点で、覆工が復活した。

そしてこのまま下口まで覆工が続くようである。
上口よりも長い区間が覆工されているのは、それだけ地盤に懸念があったのかもしれない。
そしてその懸念は、林鉄が廃止されてから、落盤という形で的中したのであろう。

こちらも上口側と同じ、例の変な断面である。
左右に支保工が埋め込まれているのも一緒だ。



支保工は、このようにツライチでコンクリートの壁に填め込まれている。
さらに、ボルトナットで裏側の壁に固定されているようだった。
また、上部は“ポッコリ”アーチの裏側に呑まれているように見える。
もしそうだとすると、支保工は交換できない構造ということになる。



側壁に埋め込まれていた支保工も、そのほとんどが喪失していた。
気付けば洞床は深い泥濘に沈んでいる。
だが、私の足は既に三十郎沢で靴の中まで濡れていたので、気にせずに突撃する。

シルエットだった崩壊地が、目前に迫っている。
このとき私の中には、『鉄道廃線跡を歩く』から四半世紀以上明かされなかった落盤の裏側に自分がいるという、知のミッシングリンクを埋める静かな興奮があった。権威主義のようだが、私にとって“廃線の師”であるあの本の存在は重い。



 遅刻者の大発見?!


15:51

ぐしゃあ……

想像以上に、強烈な落盤が起こっていた。

仮に昔からこの崩れ方であったのならば、真っ当な社会人である『廃線跡』や『トワイラ〜』の探索者を引き返せしめたのは、納得出来る。

こういう場所に、ワルニャンだなんだとワケのわからんことを言いながら突入しても、とりあえず事故が起きないことを、この身体で20年以上証明を続けてきてしまった私は、誰かに詫びるべきだろうか。



……わるにゃん。



天井のコンクリートアーチに空いた大穴から、廃レールの鉄骨が露出していた。
これは、崩れなければ永遠に分からなかった、天井アーチの内部構造だった。

こうした予期せぬ“破壊検査”もオブローダーの嗜みだが、この鉄骨は意外な存在だった。
というのも、アーチ構造物というのは原理的に圧縮力だけが部材に掛かるため、引っ張りには弱いが圧縮には滅法強いコンクリートや石材、煉瓦などで、無筋による施工を可能にする、相対的に金属が今よりも貴重であった時代には、とてもコストパフォーマンスの高い構造だった。
だから、一般的に古い山岳工法トンネルの覆工は、無筋構造である。
トンネル内の崩れた壁を見ても、鉄筋などが入っていることは少ないのである。

が、ここにはレールという鉄筋が仕込まれていた(鉄筋コンクリート=RC)。
施工時点で、補強を要すると判断されたのだと思う。
そして実際に崩れているのは、この技術者の懸念が正しかったということなのだろう。



ぬこのように身を捩りながら、出来るだけ崩れた傷を刺激しないように、隙間を抜けた。
この崩壊地自体が、洪水時満水位になると完全に水中に没していると思われる。
当然ながら、そのようなことを想定した構造物ではないので悪影響しかないと思うが、私が訪れるまで最初の湛水から14年も耐えてくれていたのは、素直に感謝だ。

チェンジ後の画像は、通り抜けた隙間を振り返った。
120mくらい離れている上口の綺麗なシルエットが小さく見えている。



奥行き自体は僅かである崩壊地を突破すると、ほぼ目の前と呼べる近地に下口が待ち受けていた。

坑口の前も平らな地形ではないようだ。崩れている。

15年越しの隧道、遂に貫通達成である!



15:52 《現在地》/海抜200m

おおよそ7分ぶりに地上へ復帰。

まず目に飛び込んできたのは、地上の景色以上に視線を強く誘引する、静かな湖面の圧だった。
約130mの隧道内はずっと下り坂であったから、下口はより湖面に近づいていることだろう。
それは予想していたが、予想以上に下口と湖面は近かった。
具体的には、上口と下口の高低差は5m以上はあるようで、下口ではこの日の水面まで残り5mくらいであった。

そんな間近な湖面が、外へ出るなり、アリジゴクのように傾斜した斜面の下に待ち受けていたので、ゾクッとした。



上口と同じ作りのコンクリート坑門……なのかこれは?

上口も同じ形ではあったが、坑門を持たず坑道が直接地表に露出している作りといった方が正しそうだ。
間近に観察すると、これはさすがに飾り気がなさ過ぎる。
美観や見栄えは度外視して、最低限度の施工で内壁を拵えたという作りである。
部外者に公開する前提がなく、徹頭徹尾仕事に徹した産業鉄道の一種たる林鉄の構造物らしい。



そして北口の遠景。
内部に大きな崩壊があるにも関わらず、この角度だと上口のシルエットを全く邪魔しないので、無傷に見える。

チェンジ後の画像は、前説でも紹介した『鉄道廃線跡を歩く』に掲載されていたこの場所の写真だ。
比較してみると、坑口や周りの地形は同じものだが、植物の繁茂具合が全然違う。
これは季節の違いだけではなく、ダムによる冠水を経験したことによる除草効果も大きいと思われる。

同書の木戸川林鉄の執筆者(杉崎行恭氏)は、下流からここまで辿ってきて、洞内で引き返している。
私は逆に上流から辿ってきてここまで来たが、間もなく引き返すことになるのは、間違いない。



坑口前の湖面へ落ち込むガレ斜面から対岸方向を撮影した。

対岸に深い谷間が見えると思うが、あそこが15年前の探索で下った乙次郎沢だ。
あの時は降りてきた後で木戸川を徒渉できたが、今ではご覧の有様である。

木戸ダムの湖(木戸川湖)は、両岸とも湖畔の近くを通る道路が全くない。
これは珍しい特徴といえるが、そうなった理由は、水没した区域にほとんど道がなかったからだろう。
公共補償は、水没した施設に対して同程度の機能を補償するものであって、既に廃止されていた林鉄跡の水没は、補償の対象とはならなかったのだろう。



ガレ斜面の先には深い切り通しがある。
切り通しの内部もかなり崩れていて、直前の隧道の天井の高さくらいまで崩土が堆積している。
全体的に下口附近は地盤が悪かったのだと感じる。

そして、切り通しを乗り越えると、“予想外の物体”があった。



なんだこれ?

深い切り通しの出口に、まるで撤去された隧道坑門の両翼壁のように見える物体が、門柱の如く並んでいた。

この物体について、『廃線跡』も『トワイラ〜』も言及していないが、なんぞこれ?



まるで撤去された隧道坑門の両翼壁のようにしか見えないんだが…。

よく見ると、“矢印”の所には、コンクリートの構造物がさらに切り通し側に伸びていたような痕跡があるし……。



この構造物は、本当に坑門の跡だと思う。
それ以外の正体が、思いつかないというか…。

木戸川林鉄が開設された当初は、この位置に坑口があって、現在切り通しになっている部分は、隧道だったのではないだろうか。
そのまま、先ほど潜った隧道へ繋がっていたのか、隣接する2本の隧道だったのかは不明だし、この隧道が撤去された理由や時期も情報がなく不明だが…。ただ、隧道内部から感じた地盤の悪さが、この切り通しに続いていることは、崩れた現状から読み取れるものがあるし、落盤を恐れて(あるいは実際に崩壊して)土被りが浅い隧道を切り通しへ改良したというのは十分に考えられることだと思う。


まさか最後の最後、こんな盛大な遅刻者にも新発見(?)を用意してくれているなんて、なかなか憎いことするじゃねーか……。



15:57 《現在地》/海抜197m

水没ENDです。

もう進めない。

終わり。



この先は、静寂を破る罪を犯せば直ちに死罪を処されそうなほど静まりかえった湖面が、人工物であるのに、それを全く感じさせない峻厳さで私を拒絶していた。

ここから木戸川ダム堤体まで約1.8kmの区間は、15年前の探索時には【目視できた】が、今となっては永久に探索の機会を失った。
『廃線跡』によると、この区間内には栗沢を渡る橋があったが、既に橋脚だけになっていたらしい。隧道はなかった模様。

湖面に向かい、小石を投げ込む抵抗すら思いつかず、直ちに撤収を開始する。
この時点では一応まだ日没時刻まで残り40分あったから、今すぐ引き返せば、危険のありそうな部分については、自然光だけで歩けると思う。

15:58 撤収開始!




16:31

来た道を急ぎ足で引き返し、気象台発表日没時刻の数分前に、赤わらび沢の滝を這い上がった。
森の地面は既にほぼ暗黒であったが、目が慣れているお陰で、辛うじて照明を使わず行動出来た。
前も書いたと思うが、ライトを使い始めるタイミングはギリギリまで遅らせるのが鉄則だ。
一度ライトを使うと、もう照明範囲しか見えなくなる。道迷いの原因になる。



16:46

滝を登って、それからやはり降りてきたルートを逆にたどって、赤わらび沢の林道へ脱出。
日没から10分後、ここで初めて照明を点灯させた。
帰りは、あらゆる要素が上り坂なので、疲れた足には堪えたねぇ。

とはいえ、心は満たされていた。
あまり適切な表現ではないかもしれないが、日没に追い立てられるように山に入り、短時間を的確に行動して目的とした成果を挙げることは、なんだか、山の懐から宝物をスリ盗ったような快感がある。いままで何度こんな時間を過ごしただろう。子供頃ほどの頻度ではなくなったが、今でも山の夕闇から逃げ帰るのは快感だ。



16:56

冷え切っていた孤独待機者一号と合流。

闇を切る爆走を実行! テンションアゲアゲで行かないと、孤独待機者の味わった冷えが、股間から私の身体に伝染るからな。



17:32 《現在地》 

最後に待ち受けていた木戸川林道のゲート、行きは開いていたが、帰りは閉じていた。
うっかりクルマと一緒に入らなかったの大正解である。
こういうクリティカルなゲート閉じ事象は探索中に結構遭遇している。これが私が出来るだけ手前でクルマを乗り捨てるようにしている理由の一つである。(あとは、私の好みもある。周辺を膚で感じてから、中心地へ進みたいというね)

ゲートをすり抜けて2分後、ダムサイトに停めていたクルマへ帰還。
無事、木戸川林鉄の第三次探索を完遂した。






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