小坂森林鉄道 濁河線 第15回

公開日 2016.7.17
探索日 2013.5.03
所在地 岐阜県下呂市

遂に出会えた!! 現存+レールの“完全現存木橋”!!


2013/5/3 6:50 《現在地》

やりましたよ皆さん!! やった!

この木橋の発見は、私にとっておそらく“人生初”と言えるほどの“特別”だった。
なので、当サイトとしてももちろん初であるはず。

これまでの架かったままの木橋こと“現存木橋”自体は、おそらく50に満たない数だとは思うが、各地の林鉄跡で稀に発見してきた。
この数から分かるとおり、現存橋梁全体の中でも現存木橋は圧倒的にレアである。
より頑丈なプレートガーダー橋やコンクリート桁橋より元来の数は遙かに多かったはずだが、木橋はそれらよりも圧倒的に短期間で朽ち果ててしまったのである。
(現に、私が過去に発見した木橋のうち、再訪を試みたものの過半数は落橋を確認済みである…)

林鉄上で発見される遺構の中でも、現存木橋はとてもレアリティが高い。




そして同じようにレアリティが高いのが、路盤上に敷かれたまま残る“現存レール”である。

こちらはかなり地域的な偏りがあり、撤去されている路線の方が少なさそうな山梨県(山梨県山林局の路線網)などの異例もあるが、一般的に大変貴重であることは、当サイトの他の林鉄レポートを見て頂いたら分かると思う。

もうここまで書いたら、もうお分かりだろう。
この橋の目ん玉が転がり落ちるほどのレアさが!

現存木橋 × 現存レール
 = 
凄ごくレア!!

いやぁ…、本当に良い物が見れたよ。この上部軌道に限って言えばレール自体はレアでも何でも無かったから、後は架かったままの木橋が現れたら良いというだけの状況に、期待はしていた。
しかし、全長8.7kmのうち7kmを超えても現れないので、もう7割方諦めていたところでの大逆転だった。
名も無さそうな小さな谷が、やってくれたぜ!



見ての通り、大した規模のある橋ではない。
橋脚は全部で3箇所存在するが、径間の数は2で、中央の橋脚上で両岸から伸びる桁同士が接続している。
全長は12〜3mといったところか。高さもせいぜい4m前後。万が一橋から落ちても、変な落ち方でなければ死ぬことは無いだろう。

なお、本橋の特徴は路盤がカーブを描いている点である。これが本橋の外見に非常に良いアクセントを加えてくれている。
直線でこの規模だと見栄は平凡だったかもしれないが、林鉄っぽいこのカーブは値千金と思える!
ただし、カーブにあわせて設けられたようにも見える内向きの傾斜(バンク)は単なる崩壊の前兆だった。

それでは、“人生初”を渡ってみよう!


上記渡橋動画を見ればお分かりの通り、私はこの橋を極めて低い姿勢で渡った。匍匐前進ではないが、ほとんど四つ足姿勢。
撮影を行ったデジカメは首から下げた状態で、手で支持することも出来ていないので、激しく揺れて見にくいと思う。
より渡橋の経験が多いプレートガーダーやコンクリート橋とは違い、起立してすたすたと渡ることは出来なかった。
これは橋の上に平らな場所が全くないことと、実際はそういう事は起こらなかったが、橋が揺れても対処出来るようにそうしたのだった。



橋の中央部にある橋脚の上に到達したので、前進を中断し、太い丸太の主桁に腰掛けて休息した。
写真はその休息の直前に、丸太に立って見下ろした路盤である。右足の前に橋脚の上部が見える。

橋は紛れもなく人工物であるが、それを構成する素材の大半が木材という自然界のものであるため、時を経た姿を客観的に評すれば、おそらく枯木の折り重なったものと大差は無い。
それでも別格に思えるのは、私にとっては尊いとすら思える元の姿が想像出来る事と、なによりも重力に逆らって未だ“架かっている”事実のお陰だ。

なお、橋上のレールは橋全体を使って緩やかにカーブしているが、桁は中央の橋脚上で鈍角に一度曲がっているだけだ。
そのため、主桁である丸太材の下にレールが無い部分が結構ある。
両者の不一致を枕木が上手く吸収するよう配置されていたのだろうが、枕木の老朽ぶりも凄まじい。




残り半分も同じようにして渡ったことで、本橋は軌道跡の一部として、通行人を渡らせるという意義のある活躍をしてくれた。

渡ってから改めてじっくり観察したが、本橋は本当に愛らしい、それでいて模範的と思える良い木橋である。
現存する林鉄木橋は極めて希少だが、その活躍する姿は、往時の林鉄写真の中に数限りなく見る事が出来る。
実際に林鉄跡を辿っていても、木橋があったと思われる跡地は頻繁に目撃され、感覚的に1kmあたり1本以上は頻出する。往時4000km以上と言われた全国の林鉄には、数千本の木橋が存在していたはずだし、その中でも一番数が多かったのが、本橋程度の小規模橋だったろう。

現実として、この程度のものでさえも滅多に出会えなくなっているのが、2013年現在の林鉄シーンなのである。
絶滅した林鉄を探索するという楽しみ方自体、やがて絶滅してしまうことだろう。




笹藪を掻き分けて橋の下にも降りてみたが、谷には全く水が流れていない。このくらい穏やかな立地で無ければ、もはや木橋の現存には期待出来ないと考えられる。

なお、本橋を構造的な意味で支える最も重要なパーツである中央橋脚だが、構成する3本の柱のうち1本は既に転倒しそこに無く、さらに1本は著しくひび割れているという、見るに堪えない老朽状態にあった。
道理で橋が右側に傾いていたわけで、これでは次の冬の積雪を支えられるかさえも怪しい…。




今回探索上の最大とも思える成果を人知れず手にした私は、名残惜しいその場所を後にした。
木橋の先に待ち受けていたのは、これまでにも増して濃い、濃すぎるほどのネマガリタケの密生地帯!!

発見の直前まではテンションを下げさせるだけだった笹藪だが、それが果たした保土力の維持が木橋を残らせたと思えるし、
単純に同じような環境が続けば同じような発見が再来するのではないかという期待もあって、今まで程は苦に感じなかった。
再びの発見を夢に見ながら、手足を大ぶりに振り回してガサゴソと、力の限り邁進した(このことにはクマ避けの意味もある)。


キタ〜ッ! 木造桟橋!

やっぱり笹藪サイコーじゃね?!

大したことのない小さな木造桟橋に過ぎないが、今ならば、いま現れるならば、漏れなくレールがついてくるッ!

その事だけで、私の中ではどれも貴重な景色に見える。
今まで古写真の中でしか見る事が出来なかった、木造桟橋とレールの組合せた景色が、ここには平然と存在している!
何という幸せだろう。




なお、濁河川を渡って以来ずっと山の中の写真ばかりだったが、この桟橋付近から久々に見通せた水面は案外に高かった。
もちろん、高いのは自分のいる位置であり、川縁の斜面がそれだけ切り立っているということだ。

周囲は藪が深いので、実際に川岸がどんな地形なのかは見通せないが、見え方からして随所に崖があり、容易には上り下り出来ないものと想像される。
おそらく対岸の状況も同様で、対岸には昨日もさっきも歩いた林道があるが、既にこの軌道跡よりも高い位置まで上っている。
そう言ったわけで、現在地の周辺は前後どちらからアプローチするとしても、なかなかにアクセスしにくい場所だ。



見てくれ! この桟橋!

こんな不安定そうな斜面に、L字形に木材を組んだだけの路盤を、大量の木材を乗せたトロッコが走行していたのである。
同じような崖地であっても、ちゃんと石垣やコンクリートで設えられた路盤とは、段違いの恐ろしさ。

走行中に桟橋が倒壊するようなことは、決してあってはならない事だろうけれど、万が一そうなったら、乗組員はまず無事では済まないだろう。
私は相変わらず這い蹲るようにして渡ったが、ここをトロッコで渡るのは、さすがに私は御免被りたい。

これは、山での運材作業がどれほど危険に満ちていたかを実感出来る場面だった。




怖ろしげなる桟橋地帯をヒヤヒヤしながらも突破すると、今度はレールが宙ぶらりんになった小さなガレ場をひとつ越えた。
もとは橋があったかも知れないが、跡形も無かった。
そしてその次は、またしても鬱蒼とした笹藪地帯であった。
そこで久々に目にしたのが(左岸に移ってから初めて)、写真の木製電信柱である。

一般の鉄道のように閉塞の仕組みが存在しない林鉄では、上り下りの行き違いや保線などの連絡の必要上から、線路に沿って電信線が敷設されていることが多い。
私が普段からよく目にする秋田県の林鉄は、ほとんどが廃レールを使った電信柱であり、金属であるだけに現存度もかなり高いのだが、ここにあったのは全て木造の電信柱である。
そのせいかほとんど残っていなかった。

地味ではあるが、当時の仕事のやり方を示す貴重な遺構といえる。



7:25 《現在地》

濁河川を徒渉して左岸の軌道跡に最初に辿り着いた地点から、約700mを70分掛けて前進してきた。
この先はあと500mほどで、再び林道と交差することが予想されている。

これまでの区間の前半は大量の倒木、後半は深い笹藪に遮られることが多かったことと、見所が豊富に存在した事から、進行のペースはだいぶ遅い。
極端に踏破の難度が高い場所は無かったが、路盤の残存状況は、昨日探索した右岸の平均よりも悪いと思う。

そして前方に現れたのは、本日これまでの中でワーストとなる規模の大崩壊地だった。
傾斜はそれほど厳しくないので、適当にトラバースして進むことは出来そうだが、見渡す限り、それこそ100m以上先まで、路盤は完全に消失してしまっていた。
一帯は流動性が高い火山灰質の地質のようで、崩れ方が激しい。

この見えている斜面の横断には、5分間を要した。


上の写真と、右の写真は、そっくりに見えると思う。
だが、見較べてみれば、スケールが全然違うのが分かるだろう。

実は、上の写真に見えている斜面を全て乗り越えて進んだら、今度は右の写真のようになっていたというオチ。
これには私も、少しのあいだ開いた口が塞がらなかった。

今度の斜面も前と同じように路盤が流されてしまっているが、その見渡した規模は倍では利かない。おそらく300mくらい先までこんな有様になっている。
うへぇ…、これは大変そう……。

そして次の写真は、右の写真の“矢印”の先端付近で撮影したものだ。


まだまだ、全てが流れてしまったような斜面が続いている。膨大な量の瓦礫が斜面を埋め尽くした、いわゆるガレ場というやつだ。

そんなに傾斜が険しい訳では無いので、落石や滑落の危険は感じないが、平らな場所が全くないので、既に疲れていた足がさらに激しく疲れた。そんな疲れた足で油断していると、転石を踏んで転倒したり、最悪の場合は捻挫という事態も想像出来るだけに、ここは見た目の印象以上に神経と体力と時間を使う嫌なエリアだった。私の励みになっていたレールや路盤がほとんど見えなくなってしまったのも辛い。

この界隈の斜面が、今までになく広範囲に徹底して崩壊しているのは、単純に地質の問題だけではなく、上部に林道が建設されているせいもあるかもしれない。林道建設時に生じた残土で軌道跡が埋没してしまった疑いがある。



ウンザリするほど長い一連の崩壊斜面横断の最後に待ち受けていたのは、セメントのような色をした砂地の急斜面だった。これは完全に火山灰だろう。

斜面の先の地面から、お釈迦様が地獄に垂らした蜘蛛の糸を彷彿とさせるように、捻れた鉄のレールが1本ぷらりんとぶら下がっていた。
それを辿れば、本来の路盤の位置に立てるという、粋な計らいである。
また、実際にもこの崩れやすい斜面を強引によじ登って進むのに、堅いレールは有用な手がかりになってくれた。

右の写真は、無事に路盤に辿り着いてから振り返って撮影した斜面だ。
そこには生々しい苦闘の足跡が刻まれている。

この2度目の崩壊斜面の横断には、実に15分を要した。そろそろ林道との交差地点は近いはず。



これは一体、なんだろうか?

笹藪の中に、丸太で組まれた建物の骨組みのようなものがあった。
それが建っている位置は敷かれたレールの上であり、建物の長辺方向がレールの進行方向に一致している(画像上の破線はレールの位置を示している)。

…というように書くと、これは林鉄の機関車を保管していた車庫ではないかという、そんな色めいた想像がなされるのだが、冷静に考えると、運材列車を通行させるには全然高さが不足しているし、ここを迂回するような複線も見あたらない。

残念ながら、おそらくこれは林鉄の廃止後に、何らかの目的で建設された小屋の跡だと思う。可能性が高いのは、林道工事関係だろうか。
レールはここにも相変わらず敷かれているので、林鉄関連の何かという可能性も完全には捨てきれないが…。




謎の建物跡を過ぎると間もなく、左側のレールが忽然と姿を消し、右側のレールと枕木だけが敷かれた不思議な状況になった。
と思ったら、それから20mほどで残りのレールもなくなり、遂に路盤からレールが姿を消してしまった。

と同時に前方に見えてきたのは、軌道跡を分断するように築かれた高い盛り土の山。
その正体はもちろん、地形図にも描かれている林道だった。


7:50 《現在地》

濁河川渡渉地点からおおよそ1.2kmで、林道との交差地点(海抜1180m)に到達した。
この区間の踏破におおよそ100分を要しており、客観的に見ればだいぶ苦労したと言えるのだろうが、“完全な現存木橋”を発見出来た印象が強すぎて、そう苦労した印象はなかったりする。

この林道との交差地点は、本軌道跡の探索における、おそらくは最後の重大な経由地である。既に全長8.7kmと記録されている上部軌道のうち、8.0km前後を踏破し終えた計算であり、終点と思われる「畑さこ谷」までは、地図上で残り800mまで迫っている。
2日間をかけた長い追跡も、いよいよ最終フェーズへ差し掛かったと見ていいだろう。

ここでは逸る気持ちに身を任せ、休憩をせずにそのまま正面に見える軌道跡の続きへ進んだ。ちょっと今は“心配事”があるもんで、それを早く確かめて安心したかった。



うっわ…… これ、やばいかも…。

林道交差の直前に消えてしまったレール(←“心配事”)が、交差地点を過ぎて30mほど進んだ地点でも、まだ復活していない……。
枕木だけは整然と敷かれているのだが…。

これってやはり、林道の影響で撤去されてしまったということなのだろうか。
鉄としての品質が比較的高いレールは、現代を通じて屑鉄としては高値で取引されるので、機会毎に回収が試みられるものである。
今回のケースも、これはちょっとヤバい予感がする…。




上の写真と同じ地点から、別れたばかりの林道を見下ろして撮影。
大きな橋が渡っているのは、濁河川である。
この方向に林道を500mほど進めば、自転車をデポしてきた林道分岐地点に出るはずだ。
帰りはこれを通る予定だったから、見たところ問題無く橋や道路が通じているようでホッとした。

これで生還ルートは大体確保されたといえるので、あとは今から歩く終点までのピストン(往復)区間に集中する事が出来る。
さしあたっては、レールの復活をぜひとも期待したいッ!!




7:55 《現在地》

崩壊現場出現!

林道交差地点から僅か100mほどで、現在進行形で崩れている雨裂(ガリー)により、、路盤は綺麗に分断されてしまっていた。
橋があったのかも知れないが、全く痕跡は残っていない。

それはそうと、交差地点以来ここまでレールが全く見あたらない。
もし、この崩壊地を越えてもレールが無いようなら、いよいよ、終点まで撤去済みの疑いが濃くなりそうだ…。

どきどきしながら、奥に見える“矢印”の地点に差し掛かってみると… 




レールあった!(歓喜)

土砂に埋没していたものが、斜面の崩壊により露出しているようだが、撤去されず地中に敷かれたまま残っているようなので、とりあえず一安心である。
ここまできて、最後にレールが無いとか、とても残念な気持ちになるところだった。

なお、ここに来て軌道跡には、僅かながらも踏み跡が見られるようになった。
指導標らしき赤テープもあり、この崩壊地には存置ロープさえ存在していた。
これが同業者のものなのかは不明だが、長い路線の中で終点付近が一番アクセスしやすいというのは、だいぶ珍しい。



疑わしい存置ロープには頼らず、慎重にガリーを横断して、路盤に復帰した。

相変わらずレールは見えないが、おそらく堆積した土砂に埋没してしまっているだけだ。

そして再び前方に枝谷が見えてきた。



わーー!

巨大な平均台みたいな一本橋が!

うひ〜〜、夢に出そう〜〜。



そして、実はこの橋も、

自身初遭遇となる、大変珍しい “逸品” だった。