大間線〈未成線〉   下風呂〜桑畑間 その2

公開日 2006.07.11
周辺地図

 未成に終わった大間線の探索もいよいよ終盤。
着工された最後の区間であった下風呂〜桑畑間のレポートも今回で2回目となる。
前回は下風呂駅界隈を紹介したが、今回からは桑畑へ向けて前進を再開するのである。
 ただ、実際の探索の順序としては、必ずしも一様ではなかった。
この区間の途中で日没を迎えてしまった我々は、一旦は大間町にて車中泊を行い、翌朝に桑畑側から改めて探索することにしたのだ。
だが、レポートとしては分かり易いように時系列を無視して、最後まで下風呂→桑畑の順序で行おうと思う。




 下風呂第一隧道(仮)

 国道側から見た13連アーチ高架上の駅モニュメント(足湯)。
こうしてみると、確かに駅に見えるな。
それはさておき、この日で大間線の探索は終えるはずだったのに、時間がやばいことに。
もう午後6時前。日は長い時期だが、時折強く落ちる雨もあって、日影はもう夜のように暗い。
はてさて、ここから直ぐ先には隧道が三連発であったはずだが、捜索できるだろうか……。

 【午後5時52分 下風呂より探索続行】



 下風呂を出た大間線跡は、直ぐに国道に寄り添ってくるが、結構高いところを通っている。
海岸線ぎりぎりに迫るギザギザの山並みを、連続する3本の隧道で通り抜けていたようだ。
ギザギザの湾の側には狭いところにも民家が密集している。
国道も見通しが悪く走りづらい区間である。

 既に、アーチ橋の探索時に最も下風呂よりの第一隧道大畑側坑口は確認済みであるから、次に探すべきは、この隧道の大間側坑口である。
写真の道路標識の裏手の山肌にあるはずなのだが、とりあえず近くに車を停め捜索開始。



 ぐぬぬぬぬ…。
これまで発見したという報告もない隧道であるが、この大間側坑口は道路工事に伴って法面の一部として封殺されてしまっているっぽい。
森の中、かなり這いずり回って探したものの、路盤跡の痕跡も坑口傍と思われる辺りになると消え失せてしまい、結局この写真の法面くらいしか人工物は見つけられず。
場所はほぼ特定できたが、坑口は消滅したと判断した。

 と、この捜索にも思いのほか手間取ったため、ここで初日の探索を打ち切り。

 【午後6時07分 下風呂第一隧道までで初日の捜索を終了す】





 下風呂から海岸線を17kmほど、下北半島の北端。つまり本州最北の地、大間。
大間線が目指したこの大間に、いまや鉄道の事を語る者もない。
我々は本州最北を謳う温泉施設で汗を流したあと、フェリー埠頭の広い駐車場に車を停めると同時に深い眠りに落ちた。

 写真は、温泉の前でなべポーズ(NP)を決めるミリンダ細田。
笑顔が、この日の探索の成果の多さを物語っている。



 6月7日 天候曇り  下風呂第二隧道(仮)    


 さて、翌朝から再び残りの探索を続行。
下風呂第一隧道の大間方坑口は現存しないとの結論に達したものの、その直ぐ先から国道の山側に路盤跡は鮮明に残っている。
そして、100mほどの明かり区間の先に、第二隧道の坑口がある。
写真は国道から第二隧道の大畑方坑口を撮影。
全線中でも最もよく路盤が保存されているエリアかも知れない。



 国道はこのように集落内を右に左にカーブしながら通過している。
将来バイパス工事をするのなら、海上に道を作ることになるのだろうか。



 案の定塞がれていた坑口。
少し変わっているのは、坑口の山側にナメ滝が落ちていて、そのせいか翼壁の裏に空洞が生じている点だ。
これが竣功当初のものなのか、次第に浸蝕されてこうなったのかは分からないが、おそらく現役なら放っておけないだろう。
山側にはこの滝の水を防ぐようにして、坑口と繋がるコンクリートの擁壁がある。



  坑口から続く細長い路盤跡は、現在畑として利用されている。
滝から落ちてきた水は隧道脇の擁壁に受け止められ、水路に誘導されている。
これらは一連の大間線工事に由来する遺構であろう。



 路盤跡は民家裏手に続いており、大間線跡きっての「それっぽい」景色となっている。(写真左)
少し行くと、小屋に行く手を遮られるが、もう少し先まで石垣とコンクリートの壁に形取られた斜面の路盤跡は続いている。(写真右)
ただし、昨日調べたとおり、第一隧道付近に達すると不鮮明となる。



 第一第二隧道中間の路盤跡の第一隧道寄りの辺りから、下風呂方向を撮影。
正面の薮の中を昨日、薄暗い中で散々探したのだが、隧道は遂に発見できなかった。
この山の裏手はもう、下風呂のアーチ橋である。




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 立石橋梁(仮)    


 第二隧道と第三隧道の合間も明かり区間は短く、やはり100m程度だったようだ。
この間にはご覧のアーチ橋一基も残存している。

 なお、この辺りを捜索している途中、家から突然顔を出したおばさんに声を掛けられた。
未成線跡を歩いていることを話すと、嫌な顔をされるでもなく、むしろ色々と教えてくださった。
ただ、この場所にある隧道は2本だったと証言するなど、本当に地元の方でもその詳細を把握していないのだと感じさせられた。
そういえば、『鉄道未成線跡を歩く(国鉄編)』も、この場所の隧道は2本としているようだが…。



 前後の橋台、および築堤と共に完全に近い形で残る貴重なコンクリートアーチ。
国道の車窓からだと民家の切れ目に、ほんの一瞬しか見えない。

 さて、まずは先ほどの2号隧道の大間方坑口を確認しておこう。
橋に向かって左の築堤をよじ登る。
そこはやはり民家の敷地内なので、本来は自制すべし。



 築堤の上からアーチ橋の方を見ると、立ち入り禁止の柵が取り付けられているのが分かる。
その気になれば乗り越えることも出来るが、橋の上は更なる激藪となっていることが明白で、自制した。
橋の反対側には柵はないようだ。

 それでは振り返り、ちょっと失礼して……。
隧道へと。



 細長い敷地に、細長い民家や小屋が建ち並んでいる。
その直ぐ後の山肌に、隧道はあるはずだ。
こそこそと移動。



 はい、ありました。
第二隧道の大間方坑口を確認。
やはり、塞がれている。

 もう、これで何連敗なんだろう……。
田舎の行政とは思えない執拗さで、かなり完璧に塞いでいるな。
それだけに、あの木野部第一第二隧道の片側だけがそれぞれ開いていたのが、如何に彼の地が険しかったかという証明に思える。



 下風呂第三隧道(仮)    


 さてさて、気を取り直して、第三隧道へと参ろう。
アーチ橋の反対側の築堤へと、やはり同じようによじ登り、そして少し進むと……。


 ……細田氏が、森の妖精みたいだ。



 よくぞこんなにまで埋もれたもんだ。
で、我ながらよく見つけたもんだとも思う。
ツタを掻き分けて、掻き分けて、掻き分けて。

 こんなコンクリの壁を発掘してしまう悲しさよ。



 さらに、小さな山の反対側の第三隧道大間方坑口を捜索。
だが、ほんの100mにも満たない隧道であったと思われるが、発見には至らなかった。
というか、これも埋め戻されていると思う。
周囲は昭和50年代の銘板の付いた地山補強工が色々とされていて、坑口があったと想像される場所には、写真のような砕石の山があるだけだ。

 下風呂第一〜第三隧道は、散々捜索させておきながら、ただ一つの開口部も残さぬ、失望の地であった。
むっきー!



 大川尻沢橋梁 


 国道と並走する大間線跡が再び鮮明になるのは、この大川尻沢を渡る場所だ。
ここには、見慣れないコンクリート橋の残骸がある。

 大川尻沢は小さな流れだが、それにしては大きな橋を架けていたようだ。
4径間のコンクリート橋を予定していた、或いは一旦は架けられていたのだろうが、現在残っているのは、そのうち大間方の第一第二径間と橋台・橋脚。大畑方は橋台より他に残存物はない。
故に、ご覧の写真の通り、橋は途中で途切れたようになっている。



 ぽつんと河川敷に立つ大畑方の橋台。
なんだか、モアイ像のようだ。
無為な感じとか。



 肝心の川の上の部分だけ橋桁がない。
橋脚ももう一本川の中に建っていたはずだが、それも見当たらない。
おそらくは、河川改修か何かで撤去されのだろう。

 また、これまでは執拗にアーチ橋に拘っていたように思えた大間線も、この先ではなぜか、普通の桁橋を多用している。
施工業者の違いによるものなのか、設計思想の違いがあったのか、はたまた別の理由なのか、気になるところではある。



 大間方の現存する2スパンは、そのまま民家の物置小屋のように使われている。
橋の上も有効に使われており、橋は一応、構造物として現役である。



 桁橋なのも意外だが、橋上の様子もまるで車道の橋のようだ。
もっとも、欄干がなかったり、軽トラくらいの幅しかなかったりと、明らかに異質なものではあるのだが。

 ……なんだか、妙に余白の目立つレポートになったな…。



 次回は、いよいよ大間線最後の隧道へ。
 新展開は、あるか?!