道路レポート 青森県道256号青森十和田湖自転車道線(十和田市区間) 最終回

公開日 2015.12.08
探索日 2014.11.12
所在地 青森県十和田市

ゴールはさせねぇ…! ここで死んで行け全自転車。



現在、この“壮大に下らない”土木構造物と格闘中!!


12:11 《現在地》

顔中を叩かれながら、推定16段×2セットの階段を上り切ると、そこには余り広くはない平らな場所があった。
この土地は、本来の地面から5mかそこいらは高い完全に人工的に作られた場所で、ビルの屋上と余り変わらないはずなのだが、どういう訳か、相変わらず藪が深い。
そのため、ぱっと見では何がどうなっているのか分かりづらかったのだが、よくよく目を凝らしていると、徐々に何があるのか分かってきた。

アスファルトで舗装された路面は、階段を上りきると即座にクランク状に折れ曲がっている。
正面は幾らか盛り上がった地面…恐らくは砂山の跡がある。
ここに砂山がある理由は、言うまでも無いだろう。…「非常停止施設」だ…。




クランクに従って進むと、今度は下り坂が現れた。

下り坂を見て、私は「気が狂ってる」と思った。

何故私はこんな高原の緩やかな登り坂の途中で、わざわざ階段まで使って登り急いだ挙げ句、その後で少し下っているのだろう。
地形を無視して、無駄に登り、無駄に下る。
こんなに愚かしく、空しいことは、ないのではないか。

だが、無駄に登り無駄に下るという行為自体、サイクリングという趣味の縮図かもしれないということにまで思い当たった所で、この構造物の怖ろしさを改めて感じた。
これは肉体だけで無く、精神面でもサイクリストを殺しきる罠なのか。(大袈裟)



冗談抜きで、気が狂ってると思った。

なぜ下るのか。
私は登っていたのでは無かったのか。
こんな形で、11.5kmの上りの終盤に至って突如、無理矢理に作られた下り坂を与えられるとは思わなかった。

なにより怖ろしいのは、この藪に充たされた“狂った迂回路”が、定められた“正規ルート”だったという事実だ。

そんな信じがたい真実に気付いたのは、この短いスロープを下りきった所である。




この白線の敷かれ方は、何を伝えている?

白線内のルートが、自転車道としての正規の順路だという事実だ。

それでは、白線の外にある“短絡ルート”は、なんなのか。
向こうも県道であるのかどうなのか。
残念ながら、現地でそれを知る手掛かりは見あたらない。
方法としては、青森県が管理している本路線の道路台帳を入手し、道路の範囲を見る事が出来れば解明するだろう。



やっぱりこれは、「 非常停止施設」だった!

これが、大規模自転車道の推奨する施設だったのか、青森県が独自に考えたのか、設計者の単独プレーだったのか。

いずれにせよ、そっちだけが順路っぽく白線で案内されている。完全にクソである。


藪が深く、写真では形状が分かりづらかったと思うので、
現状を元に脳内で再構成した模式図を掲載しておく。

この図の黄色い部分が、「自転車道」であるとして、現地で案内されている。
上りと下りでは別の部分を通る事を想定していた可能性もあるが、少なくとも白線はそうなっていない。


12:17 《現在地》

築山の2箇所目が目前に迫った。

1箇所目と2箇所目の間隔は100mも離れていない(後に撮影した参考写真)。

長い下り坂に非常停止施設を作るため、わざわざこれら築山を設けたとしか考えられないのだが、それは費用対効果なんていう言葉が馬鹿らしくなるほどの無駄に思える。
最近流行ったブレーキのない自転車のために、この施設を作ったとでも云うのか。
そうでないなら、この設計者の知っている自転車のブレーキは、100mで壊れる不良品だ。

素直に聞くから、この築山の必要性を一つでも説明出来る人がいたらご教授いただきたい。
私は批判しているわけではなく、全く無責任に部外者として楽しんでいるだけだが、楽しんでいるのに楽しくないという奇妙な矛盾が生じている。
前述したとおり、この構造物を進路に選ぶことは自己満足以外何も無く、とても苦痛である。
とてもマゾいし、もしここを登っている姿を誰かに目撃されたら、100パー気持ち悪がられるという十字架背負の道である。



前と同じ、推定16段×2セットの階段。

前回よりも藪は幾らか浅く感じたので、我慢して登ったが…


普通に後悔した。



“いばらの道”

そんな使い古された比喩表現がある。

階段の上は実際に茨(いばら、トゲのある草木の総称)が茂る茨地獄だった。

私は、真夏のよほど暑い時期でもない限り、こういう場面も想定し、必ずズボンを重ね履きして対策している。
普段はしない軍手もリュックには入ってるから、すぐに装着した。上着も強いものを使っている。
だが、それでも茨は非常に嫌で厭でいやんな、最悪の障害物である。

次の結果を云うだけでも、その理由が伝わるだろう。
「自転車がパンクした。」



自転車を無事には帰さない自転車道。クソ過ぎるだろ!クソクソクソ!

こんなにあからさまに茨が茂っているのに、自転車を持ち込んだお前が悪いという意見は、申し訳ないが却下する。

実は、どこでパンクしたのか正確には分かっていないのだ。
ただ、間違いなく言えることは、この道の探索を終えてクルマに自転車を乗せ、約1時間後に次の探索場所で降ろすと、既に空気が抜けていた。
それも、前後両方のタイヤが。

修理は帰宅後に自分で行ったが、前輪が2箇所、後輪に至っては5箇所もパンクしていた。
全ての穴に茨のトゲが刺さっており、穴は小さかったが、箇所が多すぎて修理が面倒過ぎた。そのため結局2本ともチューブを新品に交換するハメになった。

そんな事が起こるほどに、この自転車道は自転車泣かせの茨の道だ。



この時点で恐らくパンクさせられていたというのに、まだ気付くこと無く先へ進む憐れな私。
第2の築山を下ってみると、そこには間髪を入れず、第3の築山が当然であるかのように待ち受けていた。

最初に見えていたのは2つ目までだったのだが、3つ目が平然と現れた時に、私は脱力を禁じ得なかった。

何度も言うように、この構造物を乗り越える作業は単なる苦痛でしか無く、今日の探索がこれで終了の予定ならばまだしも、次に行きたい場所がある状況下では、時間の浪費を考えてイライラしてしまった。
なぜこんな下らないものを作っておいたのかと、問い質したくなった。
なったが、選択する余地があるのに茨の道へ踏み込んでいるのは自分なのだから、仕方のないこととも思った。
県道256号は、あらゆる意味で、終わっていた。

死んだ顔で、推定16段×2セットの階段を登った。



上り詰めると激藪が待っているのはいつものこと。

ただ、今回は茨ではなく、与しやすいイタドリ系が優越する藪だった。
イタドリには棘も無く、枯れているとなれば毛虫などの害虫も皆無。さらに力を入れずともパキポキと小気味よく折れてくれるので、見た目ほど進路を妨害しない。
しかし驚かされるのは、イタドリのアスファルトを貫通する成長力の凄まじさだろう。
薄い鋪装だったのではあろうが、鋪装は見るかげもなく穴だらけにされていた。




イタドリで終わるのかと思ったら、今度は下りのスロープ部分が、一面の茨の薗だった。

いたい痛いいたい痛いいたいクソクソクソクソ!いてーんだよ!いい加減にしろ!




3つ目を終わると、4つ目が目の前にセットされていた。

設計者はサイクリストが本当に嫌いなのだ。
全てのサイクリストを完全に殺しきるつもりだ。
チャリを壊すことと、闘争心を奪うこと、どちらの手段も併用してくる。
1発目は好奇心、2発目は闘争心、3発目は根性でなんとかしても、4発目は呆れかえってスルーする。
この登り坂が終わるまで延々とこんな不毛な事を続けなければならないのかと、誰もが暗澹たる気持ちになる。
しつこさについては自他共に認めるオブローダーの私でさえもそうだった。鼻水が出た。


心が折れるが音がした。



12:30 《現在地》

でも、思考を止めて律儀に越えた。それしかこの道を倒す手段が無かった。

第4の築山を、大量のパンクを隠した状態で越えた時、時計は最初の築山から20分進んでいた。
また、GPSが指し示す現在地は800m前進し、標高もちょうど50m増えていた。
このように曲がりなりにも前進していた事が信じられないほど、馬鹿らしい区間だった。
もしもこれら築山が無かったら、平均勾配6.3%だったことになる。そんな道はいくらでもあるが、自転車道はそれを認めなかった。
強引に4箇所の階段を入れ込む事で、この安定した数字を訳の分からない登り坂と下り坂の交互に変換してやがった。
そのため階段の段数も推定128段ばかり増え、累計510段となった。



牧場と共に、少し急だった坂道が終わるようだ。
これでようやく“築山の地獄”からも解放されるだろう。
そして、ゴールまではあと2.7km前後となった。
もっとも、既にこの時わが自転車の両方のタイヤは合計7箇所もパンクしていたのであって、私が知らずのうちに余命宣告を受けていたのである。

さっきまでは、“単独区間”が終わったらクリアしたも同然と信じて疑っていなかったが、今では“並走区間”の方がむしろ、とんでもない間違いをやらかす怖さが大きいことを知ってしまった。
迂回が容易く出来るだけに、迂回を選ばなかった場合の辛さが(主に藪という理由から)倍増している。
誰も行かない道を行けと熱血先生は言うかもだが、誰も行かない道には理由があることを知らねばならない。
もうこの道の何も信じられない気がした。例外があるとしたら、近付くゴールまでの距離だけ。




誰がこんな道を好き好んで走るだろうか。
こういう風に何気なく地を這っている藪の中にも、頻繁に茨が混ざっているというワナ。

何度も言うように、県道なのは自転車道である道路のこちら側だけで、左に見える2車線の舗装路は十和田市道である。偶々並走しているだけで、制度上では全く別の道路といえる。
だから、青森県がもし県道を管理するつもりがあるなら、この路上はどうにかされるべきである。
この県道の整備に県の財源を使うことが、どれだけ県民の理解を得られるかは分からないけれど、だからといって現に県道に認定し、通行止めなどせずに解放しているなら、このように最低限の除草さえサボっている状況は少し卑怯な気がする。
現状のまま放置していれば、やがて名実共に廃道の烙印を捺され忘れられるのだろうけれど、そういう結末を消極的に待つことが県の答えなのだとしたら、この道は本当に救われない。この道が好きだとは言えないが、生殺しはどうかと思う。



久々に現れた「自転車専用道路」の道路標識。

この標識があるという事は、歩行者がこちらを通ることは道路法違反である。
あまりここを歩行したいというニーズがあるとは思わないが、とりあえず歩くなら、左にある市道を歩けということである。
市道は市道で、この自転車道が歩道を兼ねるとでも思ったのか、路側帯すらなく2車線の車道が用意されているだけだが、この辺にも県と市の齟齬があるような気がする。




ようやく、かけがえのない“平凡”を手に入れた私は、その後も順調に進み、通算6箇所目となる休憩所に辿り着いた。
単独区間の時のようにベンチや机はなく、少し道が広くなっていて、あとは看板があるだけだ。
残りはあと、1.7kmらしい。
これが最後の休憩所であろう。
やっと本当に終わりが見えてきた。



市道の向かい側に謎の巨大オブジェが飾られた分岐があった。オブジェの正体も行き先も不明。
非常に目を惹く大きさだが、その一方で他人を寄せ付けないフェンスや、案内のない不親切さは、どこか威圧する“砦”を思わせた。

こいつの正体とは全く関係ないが、いい加減この道について語る事が枯渇してきたので、帰宅後に調べた話を少しする。
これは青森県議会議事録からの引用である。
平成5年第194回定例会にて、県内の自転車道の整備や利用状況が議論される場面があった。そこで浅利稔議員が県土木部長に対し次の質問をしている。(下線は私が強調のために付けた)

青森十和田湖自転車道線の青森市平和公園から田茂木野地区までと、十和田湖町の八甲田山中の仙人平付近が供用されているようでありますが、私の感ずるところでは余り利用されていないのではないかと感ずるわけであります。感じた状況を申し上げますと、平和公園通りからの青森市内のところはまあまあ利用されているようでありますが、幸畑地区から上の、田茂木野を通って青森市のサイクリングセンターがあるあたりまではほとんど使われていないのではないかな、こんな感じさえするわけであります。それからまた、法量から、申し上げました仙人平に至ってはほとんど使われていないのではないか。十和田湖や焼山あたりに行く際にあの通りを通るわけでありますが、ほとんど「これは何なのかな」と思うぐらいのところではないかと。これは四十九年当時の最初の事業でございますので、いろんな計画の変更もありこのようになっていると思うわけでございますが、そうしたことから、本県における自転車道の整備箇所はどのようになって、どういう状況になっているのか、また、現在どのような利用状況になっているのかお示しをいただきたい。それから、今後自転車道路の利用促進について県としてどのように考えているのかお示しをいただきたいと思います。

「これは何なのかな」って言っちゃってるよ…。私も何度も思った言葉だよ…。
対する県土木部長佐藤尚純氏の答弁。

自転車道の利用状況については、まず既に供用している青森十和田湖自転車道線については、平成二年から平成四年までの過去三カ年の平均で、青森市筒井地区や幸畑地内など市街地近郊では十二時間交通が七百二十台から七百五十台程度となっておりますが、十和田湖町の仙人平付近では残念ながら十分な活用がされていないような状況でございます。
今後の利用促進でございますが、自転車道路は、余暇社会の進展とともにレクリエーション需要に対応し、あわせて青少年の健全な心身の発達に寄与し、自転車利用者の安全を確保するための施設として大きな役割を担っていると考えております。このため県としては、今後とも、地元市町村の広報媒体等を通じて利用の促進を図るとともに利用しやすい環境を確保するなど適正な管理に努めてまいりたいと思っております。

この道は自転車道として不出来だから人気が出る見込みもなく、県としてはもう管理したくないです。――なんて、もし思っていたとしても言い出しにくいんだろうな。
土木部長としては、こういう安全な答弁しかしようがなかったかもしれない。(彼がこの道を整備した当事者でないなら)むしろ同情する。



このまま何事も無く終わってくれることを願っていたが、最後にもう一山あるらしかった。
不吉の前兆とばかり、にわかに勾配を加える市道。
その隣にあるべき自転車道は、一向に上り始めずに静観を決めていた。
となれば、待ち受けるは…。




もはや驚きもしない階段。

通算19箇所目の階段か。
段数は14段×2セットという構成で、登りきった所にはご丁寧にいつもの砂山が、周辺のススキ藪を植栽したかのように収まっていた。



そしてそのまま30mばかりの平坦区間を挟んで、通算20箇所目の階段が登場。
段数は10段×2セット
登りきった所の様子も、これまでと変わらない。 が、

Ending counted.

これが最後の階段となった。
延べ20箇所の合計段数は、推計558段。
1段で20cm登るとして、110mくらいの高低差は階段だけでやっつけたことになる。

ここに、対抗の出来そうな路線が同じ青森県の有名な“階段国道”だけという、“全日本階段国道・階段都道府県道コンテスト”の“暫定日本一”が、「青森県道256号青森十和田湖自転車道線」に決した。某島根県道と合わせて、“階段御三家”の誕生だ。
全国の他路線かかってこいやぁ! (なお、本コンテストは、位置路線内にある整備された階段の段数を競うものであり、登山国道・登山都道府県道の方のノミネートは遠慮戴いております)



最後の階段をクリアし、今度こそサイクリングロードにあるはずではない障害物の全てが後方に立ち去った。
確かめようとするかのように、自ら噛みしめるかのように、蔦に絡まれながら傾きながらも厚顔を晒す「自転車専用道路」の標識が、印象的に映った。

結局、“単独区間”と“並走区間”の両方を通じて、今日は一度も誰ともこの路面を共有しなかった。
人目に付く所も付かない所も例外なく、幅3mの黒ずんだアスファルトは世界から退けられていた。
いくらか人が立ち入っている気配のある場所はあったが、それとて“サイクリング”とは無縁の気配だった。
11km余りも廃道でも封鎖されてもいない“現役県道”を旅してきて、この有り様であった。
八甲田の高い空には、もう雪を落とし始める気配があった。
長い冬が始まる。
色々と理由は思い当たったが、私は疲れきっていた。




見覚えがある“門”の姿を前方に捉えた。

まるでマラソンのゴールのようだった。

いま、寒林の中で一人きりのゴールシーンが…。



否。

ゴール門のように見えたものは、自転車道を完全に無視して素通りして終わった。

出ていく者に言葉は無く、入るものには「ようこそ十和田市へ!」の迎え声。
それすらもサイクリストを蚊帳の外に置き去って、道は一人で終わり(厳密には中断地点)を迎えた。



12:54 《現在地》

全長11.5kmの自転車による“完全”走破に費やした時間は、2時間28分。
食事休憩や藪との苦闘を除いても2時間くらいはかかる。
もし青森まで全線が開通していたとしても、よほどの健脚で無ければ日帰りでの往復は難しい行程だっただろう。
なにせ、計画されていた全長はこの4倍近い43.5kmに及び、途中にはここより高い市境の峠越えが待ち受けていたはず。
あとどれだけ階段と非常停止施設を設ける心づもりであったのか…。

とはいえ、このあとも工事が進められたとしても、その姿はこれまで見たものとは違っていた可能性がある。
焼山側の最初の区間に「焼山小渓橋」という小さな橋があって、その竣工年が昭和62年であった。
この道の工事が終わった年も昭和62年とされており、このことから本区間の整備は恐らく仙人平側から焼山に向かって進行したと考えられる。
そしてその焼山側の区間にだけは、あの非常識な非常停止施設が一箇所もなかった。これはつまり、非常停止施設は、コスト削減なのか、単に不要という意見が出たからかは知らないけれど、途中で整備の対象から切り捨てられたということを示唆している。

探索終了。





こうして思いのほかに長くかかった探索は終わりを迎え、改めて「大規模自転車道」の抱えた闇の深いことを痛感した。
これでますます全国に残り132路線もある大規模自転車道に足を踏み入れるのが怖くなったが、道路の闇は覗き込みたい質なので、しばらくしたらまたやることだろう(そしてまた後悔するだろう)。


最後は、果たせなかった夢のカケラを見てお別れしよう。

右図はレポートの冒頭でも紹介した、国交省サイトに掲示されている本路線の概要図である。
このように、八甲田山を越える一番肝心な区間が未整備のまま、既に整備計画自体消失してしまっているのが現状なのであるが、果たしてこの20km以上もある未成区間(未着工区間)は、どこをどのように通る計画であったのか?
これは未成道好きとして、大いに気になる所である。

国交省のサイトにはこれについて記述が無く、まるで「そんなものは初めから無かった」と言いたげなのであるが、ここに昭和56年6月に財団法人自転車道路協会が発行した、その名も「大規模自転車道(東日本編)」という資料がある。ちなみに財団法人自転車道路協会は、昭和43年に太平洋岸自転車道構想を含む全国一周自転車道路網構想を当時の建設大臣宛てに陳情し、その後の大規模自転車道事業のきっかけを作った団体である。

同資料の前書きには、自ら先鞭を付けた大規模道路事業について、誇らしげにこう書いてある。
大規模自転車道整備事業が昭和48年度を初年度とする、第7次道路整備5ヶ年計画において発足いらい、現在までに太平洋岸自転車道をはじめ60路線が整備あるいは施工中であります。この大規模自転車道は自転車歩行者専用道として、わが国でも最も本格的な自転車道であり、世界に誇りうる画期的な道路事業でありましょう。

そして本編として、「東日本編」には31路線の詳細な路線図(計画図)が収められており、今回探索した路線が、「田代平高原自転車道(青森十和田町自転車道)」という名前で収録されている。
次に路線図の画像を転載し、その下には、右の国交省の図上に再現したものを掲載した。



財団法人自転車道路協会の資料による昭和56年当時の計画では、青森市幸畑から現在の県道40号青森田代十和田線沿いに八甲田山を登り、市東部の田代平(“酸欠隧道”の恐怖の現場だ…)から国道394号に出てから、国道沿いに標高821mの無名の峠を越えて十和田市(当時の十和田湖町)へ入るルートであったようだ。

現在の国交省の資料にも、本路線の通称として「田代平高原自転車道」(画像)というのがあり、「でも田代平を通っていないし…」という、未成を象徴する悲しいネーミングになってしまっているのだが、やはり当初の計画では田代平が中心的な経由地になっていた。

また、今日既設されている区間でも、当時の計画とは異なっている部分があることに気付いた。
今回探索した十和田市内の区間はそれが顕著で、焼山側の山登り区間、いわゆる“単独区間”については、全面的にルートが変更されたようだ。
そうした変更の結果であろうか、現在公表されている資料では全体計画が43.5kmとなっているが、この資料では全長49.5kmとあって、なんと6kmも差がある。


右図は“単独区間”における、昭和56年当時の計画ルートと、昭和62年までに完成した現状ルートの比較である。

計画ルートは大雑把なのか、実際には多くの九十九折りが無ければならなそうな勾配箇所もあるが、ともかく現状ルートとの違いは一目瞭然。
出来るだけ高原上の景色が良い所を多く通したいという思惑が見て取れるが、終点が十和田湖や奥入瀬渓流の入口にあたる焼山でなく、そこから2km以上も十和田市寄りにあったのは、修正されて良かったと思う。

まあ、完成しなかった路線との甲乙比較は措くとしても、計画の終盤になって慌ただしく計画の変更が行われたことが伺えて興味深い。

以上、大規模自転車道の闇の中より、ヨッキれんがお伝えいたしました。



 この県道の“階段記録”は、確実にまだ伸びる!   2015/12/9追記

本編で紹介したのは十和田市側の区間のみであるが、青森市内にもこの路線の片割れが10km弱存在している。
そのうちの一部を、随分前に私は目にしたことがある。
もっとも、その当時は余り興味を感じず、路線の全体像がかように大きかったこともまるで知らなかったのであるが…。

青森市側の区間を私が目にしたのは、11年前の平成16(2004)年12月15日、まさに県道40号を青森市から田代平高原目指して上っていく途上のことである。
次の3枚の写真は、その時に撮影したものだ。

沿道に立っていた看板。デザインは十和田市区間のものと異なるが、「県道青森十和田湖自転車道線」とはっきり書かれている。これによると、起点は「青森高校」付近にあり、田茂木野の「サイクリングセンター」辺りまで描かれている。サイクリングセンターというのには立ち寄らなかった。 県道40号と並走している自転車道(県道256号)。一部の区間は上下線が分離されていて、十和田市区間よりも上等であった。また、奥には階段がはっきりと写っている。スロープとステップの配置も十和田市側とは逆だ。こうした階段は何カ所もあった記憶がある。 そして、階段には付き物(?)の「非常停止施設」は、青森市側にもあったようだ。記憶が曖昧だが、確か構造は十和田市側と同様であったと思う。当時は自転車道にはまるで興味が無かったので、これを特に珍しいとさえ思わなかったのだと思う。

というわけで、十和田市側だけで550段程度を数えている階段の段数は、青森市側を加算すればさらに数十〜百段くらい増えると思われる。
いずれこの区間も再訪してちゃんとレポートしたいものだ。 →レポートしました!