道路レポート 道道610号占冠穂別線 富内〜福山 第4回

所在地 北海道むかわ町
探索日 2022.10.08
公開日 2026.08.17

 「福山地先覆道」より、福山へ再突入!


2022/10/8 10:45 《現在地》/海抜170m

富内橋から約8.7km(通行止ゲートから1.2km)の地点で、鋼鉄の砦を思わせる覆道に遭遇した。
鵡川の谷底まで下る急な坂道の途中にある。
扁額や銘板など、名称が分かるものが備えられていないが、全国Q地図で見られる「2024年全国シェッドマップ」を調べると、福山地先覆道という少々事務的な感じがする名称の構造物であった。

「○○地先」というのは、○○という地名の隣接地、近くくらいの意味合いを持つ用語だが、「福山地先覆道」があるこの場所は福山の領域内ではなく、まだ富内であった。じゃあ「富内覆道」でも良かったんじゃという気がしないでもないが、福山を命名の起点に、少し外れた外側にある覆道というニュアンスが強調されている。



10:46

おお〜〜!

照明も反射材もない鋼鉄の骨組みは工事用の仮設構造物を思わせるような無骨さで、1車線しかないので圧迫感も強い。
それがぐねぐねと曲がりながら終わりの見えない坂を下って行く姿は、なかなか迫力がある。
なぜかガードレールはないが、地形は険しく、川に面した崖っぷちのようなところである。
あと、ずっと未舗装だったが、覆道の内部は鋪装されていた。

このような場面では、当然、外の眺めがどうなっているのかを見たくなる。



自転車を路肩に寄せて、

大きな窓から外を覗くと――





有る〜〜!!!!!

極大崩壊地の下に、道が有る!!!

奇跡、起きていた。

これを奇跡と呼ぶのは、この道を作った関係者にとっては、不本意であろう。
だが私は覚悟していたのだ。道の喪失。
今までの経験に照らしても、このような【極大な崩壊地】の下に、この程度の道が生きながらえているとは、思えなかった。
15分前にこの崩壊地を【最初に見つけた】時点から、私の中では、これが長い通行止の元凶になっているものと、道路は大崩壊に巻き込まれているものと、思い込んでいた。

だが予想を覆し、極大崩壊地の下には、宮殿のような覆道に護られた道が、生存しているようではないか!




強えぇ! この道は侮れない!!!

こんなことも稀にはあるのだ。

こういうポジティブ側のどんでん返し!

廃道ばかりを探索していると、だいたい予想よりも悪いことが多いから、そのネガティブに慣れてしまっていた。

助かったぁッッッ!!! メッチャ嬉しい!

ありがとう覆道!!!!




なんて格好いい風景なんだろう!!

私はいまこの道に惚れ直している!
正直、ここまで来ながら致命的崩壊と遭遇し、自転車同伴の踏破が出来ず、引き返す(そしてその後、来た道をクルマまで30km以上引き返す)という展開は、想像しても辛すぎた。

だが、今回は道が頑張ってくれていた!!
いつもはだいたいにして、不甲斐ない道の不始末を私が尻ぬぐいをするように踏破するのに、今日は違う。
私じゃなくて、道が頑張っていた!!!


そして、そんな私の感動的なシーンと、別の誰かの愉しみが、偶然に、交錯していたッッ!



こんなところで人を見るなんて!

この辺りの鵡川は、私が道の遠距離から時々見た風景だけでも物凄い迫力がある急流で、私もカヤックを少しだけやるのだが、楽しそう以上に怖そうだった。だから私はこの川をやらないだろうが、川から見える景色には大いに興味がある。
時間も経っているし、気付いて貰うのは難しいと思うが、もしもこのときニアミスしていたカヤッカーの皆さまがこのレポートに気付かれましたら、ぜひコメントをください!

ちなみに、地理院地図だと彼らが休んでいる河原のすぐ下流に、大きな堰堤が描かれている。
また、Google Earthで見ると、破堤しているように見える。
その正体は、昭和47年に廃止された福山発電所の導水用堰堤である。


……とりあえず、先行きの見通しは立ったが、まだ本当に気を抜ける状況ではない。

停滞せず、私は私の道を行くぞ!



外を覗いて大興奮! ……する直前の、この場面に立ち返る。
そして、この覆道自体に再着目。
現地ではその意味を深くは考えなかったのだが、矢印の位置で山側の壁の造りが変化しているのが分かるだろう。

「2024年全国シェッドマップ」によると、この福山地先覆道は、昭和52(1977)年竣工で長さが104mの「2」と、昭和51(1976)年竣工で長さが31mの「1」という2本があることになっている。だが現地を見る限り、2本はここで接続していて、全長135mの1本の覆道になっているのである。これがその境目だった。

つまり残りはあと31mということで、写真奥のカーブを曲がり終えた辺りに……



10:48 

出口があった!

外へ出ると、直ちに右カーブがあり、そこがちょうど橋になっている。
この橋も、ガードレールの高欄はあるが、銘板など素性を知る手掛かりは現地にない。
しかし今度は、「2024年全国橋梁マップ」によって、この橋が「坊主橋」という昭和42(1967)年竣工の橋であることを知る(帰宅後に)。

そして、この橋がある地理院地図では無名の小谷が、むかわ町穂別富内と、同町穂別福山の大字境になっている。
ここから先が福山である。
覆道はまさに、「福山地先」の位置に建造されていた。

チェンジ後の画像は、振り返って橋と覆道を撮影。
ここが地名の境界であることを伝える案内標識が設置されている。



また、坊主橋のすぐ隣に、古いコンクリート橋脚が1本だけ建っていた。
明らかに旧橋の痕跡であるが、今の坊主橋が昭和42年竣工とのことだから、それよりも古い。
また、道道認定が昭和44年なので、この道が最初から道道として開削されたものではなかったことが分かる。
旧道の時代があって、それから今の道道へ昇格している。

この道の(北海道の山岳道路としては)意外にも古いらしい由緒は、机上調査で調べてみよう。



10:50 《現在地》/海抜160m

坊主橋を渡って、久々に福山の領域へ戻ってきた。しかしまだ目指す国道274号まで、残り7.3kmほどある。
ここまでの距離は、実測で8.9kmあった。(だから、合計すると16.2kmとなり、事前に全長約15kmと考えていたのとは少しズレがあった)

また、帰宅後の机上調査で、この写真の右にある小さな岩山(切り通しによって切断された岩山のてっぺん)に、戦後建てられた五輪塔があったことが分かった。しかし現地では気づけず、現存しているかは不明である。

チェンジ後の画像は同じ場所の振り返り。
「福山」と書かれた案内標識が、ここにこの向きで設置されているが、本来は反対を向いているべきものだ。
しかも単なる標識板の向きのミスではなさそう。案内標識の設置位置は進行方向左側が原則なので、そこから違えている。



余り重箱の隅を突くようなことを言って、今この道に拗ねられても良いことはないので、華麗にスルーして(五輪塔もスルーして……涙)先へ進むと、「31km」ポストが順当に現れた。

道は坊主橋を渡ってからも相変わらずの勢いで下り続けており、さすがにそろそろ底を打ちそう。
その証拠に、川の流れるごうごうという音が、大分近づいてきた。
相変わらずと言えば、各方向それぞれに向けられた各種道路標識の多さや、路傍に連なる謎の電線の存在も、変化がない。

チェンジ後の画像は、逆方向。
しれっとここに最高速度30kmの規制標識があり、たぶん撮影を忘れただけで私の進行方向にもこれはあったのであるが…………ということはつまり、【道路情報板が掲げていた徐行標識】の効力(=徐行区間)は、いつの間にか終わっていたようだ。(というか、あの道路情報板の徐行標識は、「道路のヤバさ」を強調するための一種の飾り付けだったんじゃ……)


そして、そんな【道路情報板】が危機を煽った

【“大崩れ”】の核心は、この先だ!





10:52

ぶふぉ〜!(クソでか鼻息) かっけぇ〜!!!

名にし負う極大クラスの崩壊地「大崩」の直下へと、
覆道の“防空頭巾”1枚に命を託し真っ向突入していく、
道の完全に覚悟をキメた姿が、マジでイっちゃってる!!

ここでの電光掲示板とか、ちょっとばかりハイテクを味方にしたって、大して命を守る役には立たん。

令和の世のまともな道路が絶対に真似できないような、尖りに尖った道路風景が、ここにあった!


ヨッキれん、完全に魅了される。




一車線の砂利道には全く似つかわしくない、立派な電光式道路情報板
消灯しているが、本来はトンネル内情報を伝える目的であったか。
未舗装路にあるのをまず見ないし、藪の中に建っているというのも、また異様である。
この道と運命を共にするしかなさそうな存在であるが、1台で数100万〜1000万はするというぞ…。

そしてその柱の根本には、一般道路よりは自動車専用道路で良く見るデザインの非常電話機が設置されていた。
使用出来るのかは怖くて確かめられないが、この電光掲示板と非常電話機という一式の存在が、「この先ヤバい」という危機感煽りに一役かっている。
たとえ路上は無事だとしても、とてものほほんと通れるような道じゃねえ!




間髪入れずに現れるのが、ハイテクな電光掲示板から一転して50年も昔に採用が終了している、旧制標識の「注意」であった。

古い標識を撤去しろとは言わないが、同じ路上に平然と同居している新旧のチグハグさが、また異様。
そもそも、この先の覆道に入ってしまったら、通行人が主体的に「注意」出来ることが何か有るのかという疑問。
通行中に覆道が潰滅する不運に見舞われないことを祈るしか出来ないと思う。

だからこれは、覆道建造以前の標識なんだと思う。
それはそれは、今よりも遙かにヤバい道だったはずだから……。




その次は、「制御装置」のプレートがついた制御ボックス。道路上ではとても見慣れたハイテク機材であるが、この道のイメージじゃない!
そして、ここまでずっと道に付き添ってきた電線が、ここに引き込まれていた。
だがまだ先にも続いているようだ。


そして次…… 次は――




「災害を未然に防ぐ」

「大崩山腹工事」

「鵡川営林署」



……【工事の痕跡が見えない】と言ったら怒られそうだから言わない。

道路にある覆道自体は、この工事の成果物ではないと思う。

でも、覆道が崩れず持ちこたえているというのは成果であり、きっと縁の下の力持ちで頑張っているのだろう。

あと、ここが「大崩」という場所であることが、はっきりと明示された。




「八幡覆道」

惚れ惚れとするこいつに、俺の命は預けるぜ。




 「八幡覆道」に命を委ねる


2022/10/8 10:54 《現在地》/海抜140m

八幡覆道、これより突入!

坑門に、先の福山地先覆道(昭和52(1977)年竣工)では見られなかった大きな扁額と銘板が掲げられていた。
写真は銘板である。
曰く、昭和55(1980)年11月竣工、延長360m、幅4.5m、高さ4.7m。
意外に古いなと思った。豊浜トンネル事故以降に慌てて作ったものではなかったのである。やはりこの道には何か特別な力があった気がする。

また、施工者の筆頭に、五洋建設の社名があるのも印象的。
山行がの過去ネタでも青ヶ島の青宝トンネル平成流し坂トンネルの施工者として登場した、海洋土木の全国トッププレイヤーだが、この北海道内陸(ただし川沿いではある)の工事にも、何かしら水辺の強みを発揮したのであろうか。



洞内はこんな感じになっている。
鋪装があり、壁や柱もボロボロという感じはなく、しっかりしている。
光と影の織り成すストライプの模様が美しい。

といっても、まだ全容は見通せていない。
全長360mと長いうえ、地形に沿って途中で右へカーブしている。
また、勾配にも変化があり、下り坂で入って、上り坂で出るというような、覆道やトンネルでは珍しい突っ込み勾配になっているようである。



入ってすぐの地点に、非常用消火器が設置されていた。
また、150m先には非常電話の設備もあるという。
いずれも道路トンネルでは見慣れたアイテムだが、ここは覆道である。覆道にこういう設備があるのは珍しい。

外には電光掲示板があったから、非常用消火器と非常電話を合わせて、道路防災三種の神器の揃い踏みだ。
前後は1車線の砂利道で、覆道自体も1車線、そんな道にしては過剰と思えるくらい、“備え”ている。
最低限これくらいはしなければ、この崩壊地へ無辜の通行人を送り出すことを、道路管理者のプライドが許さなかった。私はここに、彼らの臆病さと誠実さの両方を見た気がする。



ちょっと入って振り返り。

ススキの道に佇むように立つ電光掲示板の場違いさ。 ……やっぱり推せるぜぇ。

本当に、私好みだ。



10:56

覆道のずっと前から続いていた下り坂が、この場所で終わる。底を打つ。
この先は水平路のようだが、なぜかひどく泥濘んでいるのが見える。
どこからこの水と土が入り込んでいるのか、先を見るのが、ちょっと怖い。
なにせ、覆道の中にいる限り、見ることは出来ないが、頭の上は【こんな状況】なのである。



すぐ近くに、ごうごうと流れる川の音がある。

ちょっとだけ、見にいってみよう。

自転車を路上に残して、覆道の外へ……。




世界の中心で「うお〜〜!」と叫ぶ!

河口から約50km、占冠村トマムの源流まで同じく約50km、そんな鵡川のど真ん中にいる。

大きな大きな景色の中の、小さな小さな一点を、今だけ私が占めている。

下流へ向かったカヤッカーたちの姿はもう見えない。互いに戻ることのない道を進んでいる。

孤独だが、至福であった。




否。

独りではないようだ。

ここは、“大きなヤツら”の道でもあるらしい。

そりゃそうだろうよ。
落石も雨も雪も完全に避けられる、こんなに便利で安全な通路があるんだ。
いるなら通らない道理がない。
仲まじい親子の寄り添う足跡が、数百も刻まれていた。毎日通っているのかも。あるいは根城…?


ここでは、隣を流れる川の音に負けないくらい、人であることを叫んでおこう。




「八幡覆道最高で〜〜す!!!」




11:00

思っていたよりも、泥濘みの範囲が広いし、深い!

前方の覆道に変化があり、その影響なのか、山側から大量の水が覆道内へ流入している。
泥もそこから来ている様子。
舗装はされているので、なんとか自走出来るが、止まる度、泥沼に足を付けるハメになった。
また、ここに先ほど予告があった非常電話が設置されていた。

そして、この深い泥濘のお陰か、封鎖区間に突入して以来初めて、明確な車の轍を見た。
矢印の位置に軽自動車くらいの幅の四輪の轍がある。
屋根の下だから轍は長持ちしそうであり、いつのものかは知らないが、私が向かっている福山側からの進入であるはずだ。少し励まされる。



ここだけ、覆道の造りが違っているのだが、大量の砂利と泥を覆道内へもたらしている元凶も、この場所である。

また、覆道全体の中間地点でもあって、カーブの見通しの悪さをフォローするべく、これまた覆道内では珍しい待避所が設けられている。



覆道の造りが違っている部分の山側の壁は、ご覧のような鋼壁となっており、天井際の小さな隙間から、空と草が見えた。
そしてこの隙間からはドボドボと大量の水が常時流れ込んでおり、増水時は濁流と化して土砂の供給源となっていることが容易く想像できた。

チェンジ後の画像は、同じ場所の川側の様子である。
路面の水が抜けるような造りにはなっているが、これは覆道が突っ込み勾配であるから、両坑口より流れ込んだ雨水が溜まらないようにという配慮だろう。覆道の天井から大量の土砂が入り込むのは、既に何らかの故障が起きているのだと思う。

……この覆道の天井の上がどうなっているのかを、直接見ることは出来ないが……。



待避所の拡幅部分より、覆道の造りの違う部分を振り返って撮影した。

現地では、“造りが違う部分”について、これ以上の観察をしなかったのであるが、「2024年度 全国橋梁マップ」によると、この覆道の途中に、「見晴橋」という名の、1本の橋が架かっていることになっている。

見晴橋の諸元は、全長5.4m、幅4.5mで、昭和55(1980)年の竣工である。
そして、この幅と竣工年は、「全国シェッドマップ」に掲載されている「八幡(やわた)覆道」のそれに一致している。

実は、この“造りが違う部分”こそ、覆道内の「見晴橋」だった!
ご覧の通りで、“橋”と呼ばれるような構造物がここにあるようには、全然見えないのであるが…!
それに、「見晴橋」というネーミングも、覆道の中という最も見晴らしから見放された立地の橋としては、痛烈な皮肉が効いている。



命名者が見晴橋にイメージしていた風景は、ここから一歩外に出れば見ることができる、こんな景色であったろう。

既に走破した福山地先覆道や坊主橋がある険しい崖沿いの道が、とても良く見えた。これまた絶景と呼んで差し支えのない風景だった。
私は見ての通りの順序で探索を進めたが、もしも逆順でやっていたとしても、興奮の総量はひけを取らなかったろう。
ここから見る地先覆道は、それほど格好がよかった!



 八幡覆道と見晴橋が出来る前

@
令和6(2024)年
A
平成4(1992)年
B
昭和52(1977)年

八幡覆道の周辺を撮影した新旧の航空写真を比較することで、覆道内のこの位置に橋が存在することを視覚的に確かめてみた。

@は最新の航空写真である。
空撮でも、「現在地」の位置に橋があるようには見えない。

Aは平成4(1992)年版で、覆道前後の路面を@と比較すると、明らかに現役という感じがする。
また、「現在地」の覆道山側に影が見えていたり、川側に水路らしい凹みが見えたりと、なんとなく橋っぽい感じがするであろう。

Bは覆道が建造される以前の昭和52(1977)年版である。
畏れ多くも、今とほぼ変わらぬ巨大崩壊地の下に“裸の道”が通じていた。一応、落石防護柵らしいものは見えるが、焼け石に水ではないだろうか。
で、屋根がないこの写真では、「現在地」の位置に短い橋がはっきりと写っている。

これが、見晴橋の旧橋であろう。
覆道と一緒に、一見橋のようには見えない新たな見晴橋が、架け替えられた。



11:03

中間地点の待避所から、進行方向を撮影。

この先は緩やかな上り坂に転じており、泥濘から解放されそうである。



11:04

カーブを曲がると、その先は直線で、150mほど先の出口まで見通すことが出来た!

八幡覆道、見事な勝利だ!

通行止が継続しているとみられるここ数年は、まともな手入れもして貰っていないだろうし、“橋の天井”という奇妙な場所から、ちょっと土砂が入り込んでしまっているくらいは、大目に見てあげてほしい。
天井が潰れてなければ、道の勝ちである。

後半は、覆道内の路上からも鵡川の流れが良く見えた。
こうして安全圏から見る分には本当に良い景色だが、カヤッカーには緊張を強いる早瀬が何処までも続いていた。
あと、こう広い範囲が見渡せると、ヤツが居そうでちょっと怖い。まあ、居たら居たらで粛々とやるだけだが。



最後はまた、地上から入り込んだらしき泥土で泥濘んでいた。
悪戦苦闘を感じさせるたくさんの轍に祝福されながら、360mぶりの地上へ!!


……出待ち、 されてないよな?



11:05 《現在地》/海抜140m

うふ〜〜ん! こっちも良い感じだ〜〜。

近くに大きな樹木がなく、南口よりも屈託なく明るい場所だ。
お陰で、構造物をとてもよく観察できる。
備えられているアイテム類も、概ね南口と同じだ。

赤・黄の2灯式信号が設置されている(南口にもあった)が、トンネル非常用信号機だろう。
普段は消灯していて、事故発生時などの緊急時に点灯する。
これの存在も含め、改めて、この覆道に備えられている非常用装備は、トンネルに準じているといえる。
覆道でもトンネル並みに逃げ場がない空間という認識なのだろう。



この景色に会えて嬉しい。

それはそれとして、この覆道には、問題がありそうだ。

この覆道は築40年を越えており、大きな改修を受けた形跡もないのに、よく頑張っていると思う。
ただ、見晴橋附近の土砂の流入状況を見る限り、既に相当量の崩土の堆積が予想できる。
継続的に排土を行わないと、埋没していくことになるだろう。

また根本的な問題として、覆道上部の巨大崩壊地自体を制御できているようには見えないので、突発的に覆道の耐久力を超える規模の崩壊が発生する可能性が懸念される。
そんなことを警戒していたら何処も通れないのではないかという意見もあるだろうが、実際に豊浜トンネル崩壊事故で多くの人命が失われて以降、同じ様な立地(リスク環境)にある重要な道路は改良が進められており、運否天賦は許されない情勢となっている。
もちろん、さほど重要ではない道路にあっては、止むなく危険を受け入れているものもあるだろうが、他に迂回が出来るのであれば敢えて通したくないというのが、現代の道路管理者の主流の考え方だと思う。

この道が長年封鎖されている最大の原因は、おそらく既に通過した序盤の地滑り現場だと思うが、この八幡覆道の現状も、凶器を首に突きつけられているようなものに見え、このまま使い続けることが出来るかどうか、道路管理者を悩ませる一因になっているような気がする。


……美しいんだけどねぇ……。



11:07

さあ、先へ進むか!

覆道を一緒に潜り抜けてきた、たくさんの足跡と一緒にな。(奴らの足跡多過ぎ問題発生中!)






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