道路レポート 道道610号占冠穂別線 富内〜福山 最終回

所在地 北海道むかわ町
探索日 2022.10.08
公開日 2026.08.25

 続々と現れる“片割れ”たち、道の物語が終わりへ近づく


2022/10/8 11:07 

激戦の地……八幡覆道を後にする。
私自身は簡単に通り抜けているが、これは覆道の敢闘が讃えられるべきことである。
もしここにこれだけの覆道を作ってくれていなければ、おおよそ“いつものような”見慣れた展開になっていたと思う。
それはそれで視聴者的需要はあったんだろうが(笑)、私としては、良くも悪くも予想を覆される展開の方がやっていて楽しい。今回は、大いに覆されたと思う。

なお、左の木の葉に隠されている看板は、福山地先覆道の直前にも見た「トンネル内凍結注意」の看板の片割れだ。



そして、覆道から距離を取るにつれ、続々と見覚え有るものたちの“片割れ”が現れ、別れを告げてきた。

制御ボックスに、電光式掲示板も。

どちらも、良い感じに、人類亡き後の世界の姿を見せ始めていた。まだ今なら、人類の手へ取り戻すことが出来そうだが…。



11:10

完全に、見える範囲から崩壊地の気配は消えた。
辺りは、奴らが特に大好きそうな、豊かな自然の森である。相変わらず、全然人工林がない。
また、路上の轍だが、覆道内の“賑やかさ”が嘘みたいに失せてしまった。路上に生えた今年の草の感じから見ても、私が本年第一号の通行人かもしれない。

それと、ずっと道と一緒にあった電線と電柱が居なくなった。
八幡覆道のこちら側の電光掲示板が、最後の給電相手だったのである。
結論を言うと、富内の最後の人家(ここから6kmくらい前)以降の電線は全部、八幡覆道“だけ”のために伸ばされていたわけだ。
それ以外に方法がなかったのだろうが、なかなか豪勢なことだと少し驚く。




11:11

「30km」ポストを見つけた。写真は振り返って撮っている。
占冠村中央の道道起点まで、キロポストが設置された当時のカウントで、残り30kmだという。
30kmっていうのは遠いと感じる。自転車感覚で動いているから、特にそう思う。

このキロポストの脇に、チェンジ後の画像に示した工事標柱もあった。
実はこれまでも何度か沿道で見つけていて、その都度目を通していた。何を見ていたかというと、工事が行われた時期である。
そして今回のこの標柱が、いままでチェックしていた中では一番、最近だった。
遅くとも平成22(2010)年までは道道占冠穂別線に対する局部改良工事が実施されていたことが分かる。今後もっと新しいものを見つけたら記録更新を報告するが、ほんの十数年前まで手入れが行われていたのである。



道の間近を流れる鵡川は、相も変わらず原始河川そのものといった趣だ。
地形の特徴も、河川中流部のそれであり、もう少し人口に富んだ地域であれば、開拓がされ集落や水田が点在していそうな地形的余裕がある。
しかしここには川と岸を隔てる明確なものもなく、この道道や、この先で道道から分岐する林道の橋があるくらいで、ほんとなんもなさそう。

この川を見ていると、例の木彫りよろしく、素手で鮭を掬い上げるヤツらの攻撃モーションが脳裏で無限にリフレインされて困る。
まあ、逆に言えば、それくらいしか恐がるものがないくらいに、探索の勝敗は既に決していた自覚があった。
ゴールまで、距離はまだ5kmもあるが、緩やかに、着実に、終わりへ向かっているのだった。



11:16

なんか急に開けた場所が見えてきたが、その直前に、重要なアイテムを発見!
あの赤錆びた物体は、覆道よりもずっと前に出会ったあのアイテムの“片割れ”に違いない。

近づいて見ると、やはりこれは【見覚えのある】道路情報板の後ろ姿であった。約3kmぶりの再会となる。
それはそうと、あのアタマについていた徐行標識って、こうやってしまうことが出来たんだ。向こうには出ていて、こっちはしまっている、その理由は分からないが。

表に書いてある内容もだいたい予想はできるが、確認しようぞ!



「大崩附近」 「がけ崩れ」 「通行注意」

……だそうである。
ほぼ予想通りの内容というか、先に見た富内側の情報板の内容を踏襲しているが、向こうは「がけ崩れ」じゃなくて「落石」だったな。
実態を考えると、「落石」よりは「がけ崩れ」の方が真実味がある気はするが、ぶっちゃけどっちでも通行者の心得は変わらない。
出来ることは、道の出来を祈ることくらいだろう。

そういう意味では、期待以上の出来であったのだが、結局は別のところが崩れてしまっているのが残念無念である。



これまで見てきた様々なものの“片割れ”の回収が、予定調和的に進んできているから、そろそろアレが……

見えている!!

おそらく3.6kmぶり(道路規制情報サイトにあった規制延長)となる、封鎖ゲートの“片割れ”が登場!

待ち望んでいたホッとするニュースだが、ゲートの周囲は変な感じのする場所だ。
空が開けすぎている。造成地なんだろうか? 木製電柱が急に林立しているし。
しかし、大量の砂利が流れ込んできていて、土石流が起きた跡らしい。



土石流の跡地を横断する。
河原のような目の細かい砂利が、50cmくらいの厚みで積み重なって、道を切断している。
直前にまだ乾いていない泥が堆積していたが、そこはヤツらの足跡しかなく、私が土石流発生後の初の通行人であることを教えていた。

土石流の出所を探るも、近くではないらしい。
緩やかな草原の向こう側に見えている谷が怪しいが、かなりの距離がある。



11:20 《現在地》/海抜155m

「富内橋」から約11kmの地点にある封鎖されたゲートの片割れ。前回の封鎖ゲートからの距離は、実測も約3.6kmであった。
こちら側からの接近は想定していないようで、明らかに“裏側の顔”で出迎えてくれた。
おおよそ1時間ぶりに、晴れて野生の王国封鎖区間を脱する。

周囲は広々とした解放的な草原で、路外を使えば簡単にゲートを無視できそうだが、そうは問屋が卸さぬと、障害物で道の左右両側を10mずつくらい封鎖してあった。
そもそも、この草原はなんなんだろうか。造成地みたいな雰囲気があると思っていたが、どうやらそうではないらしい…?



この草原は、奥に見えている巨大な崩壊地が作った、土石流扇状地であったのだ。

そう認識して見れば、なるほど全てに納得がいく。
直前の土石流現場も、まさにこの土石流扇状地が、日常レベルでちょっと暴れて見せたものだろう。
この土石流扇状地の地形は、地形図でもよく観察できる規模で、写真も地学の教科書に使えそうだ。

八幡覆道の上にあったものとは別の崩壊地だが、同じ山体に存在する、同じ種類の岩石が作り出した、特徴的な崩壊地形である。
そろそろ終わりも近いので、帰宅後の勉強の成果も含めたネタばらしを始めよう。
そして、この道が置かれている地質条件の厳しさを、共有・共感したい。



 巨大な崩壊地の正体は、蛇紋岩の破砕帯

今回の探索中、富内を過ぎて鵡川とサシで向き合うようになった辺りから、どことなく地形に異質さを感じていたのだが、その後に出現した八幡覆道の巨大崩壊地や、「現在地」の巨大崩壊地には、崩壊地を見慣れた私でも、決定的な異質さを感じる。上手く説明ができないが、露出した崩壊地の黒と白が混ざり合ったような色合いや、土石流扇状地のなだらかさ(=流動性の大きさ)などが、見慣れた崩壊地とは違ってるように思った。

帰宅後に調べてみて、この沿道の崩壊地たちは、確かに私が初めて出会う地質に原因があることが分かった。

まず、今いる北側封鎖ゲート附近の崩壊地は、「八幡の大崩れ」という固有の名称があった。これは平成10(1998)年7月31日発行の『地下資源調査所ニュース』や、WEBサイト「地質と土木をつなぐの“貯蔵庫”」のこちらの記事に説明がなされている。
先ほどの八幡覆道の「大崩」も、この「八幡の大崩れ」も、どちらも坊主山という山の山麓である。

坊主山周辺は、蛇紋岩地帯である。坊主山の北には、国道274号の稲里トンネル、道東自動車道の穂別トンネル、JR石勝線の新登川トンネルがあり、坊主山周辺の蛇紋岩帯の北への延長部を掘削した。いずれのトンネルも難工事となった。

「地質と土木をつなぐの“貯蔵庫”」サイト内「坊主山」より

蛇紋岩地帯というワードが登場している。
地学や地質に興味のある人には馴染みがあるかもしれないが、蛇紋岩はどこにでもある石ではない。

また、ここで本編冒頭にちょっと登場した【稲里トンネル】の名前も再登場だ。北海道で始めてNATM工法を用いたことをキャッチコピーにしていたが、それは地質の悪さに原因があったわけだ。

続いては、上記引用に稲里トンネルと共に名前が挙がっている、道東自動車道の穂別トンネル工事の施工者のサイトに目を通すと、蛇紋岩地帯を掘り進むということが、土木の世界でどれほど困難な仕事であるかということが、切々と訴えられていた。

このチームは、この路線の中でも屈指の難工事と想定され、道路トンネルとして当時道内最長(現在2位)の延長を誇る穂別トンネル(延長4.23km)を担当していました。
このトンネルが難工事と想定されたのは、これまでに激しい地殻変動の影響を受けた複雑な地質構造を呈し、非常に脆弱な蛇紋岩(※)に代表される変成岩が多く存在するとともに、土被りが最大約400mと非常に大きかったためです。

※蛇紋岩は地質的に脆弱な地質構造線や断層構造に沿って広く分布し、含水鉱物である為、風化作用を受けやすく、もろく崩れやすい性質がある。又、トンネル掘削により強大な土圧が作用し、内空断面が大幅に縮小するような膨張性を有する。

「株式会社ロード・エンジニアリング」サイト内施工事例より

2015年に撮影した国道113号旧道宇津トンネルの内部変状。
モンモリロナイトを食らったトンネルの末路だ。

含水鉱物、強大な地圧、膨張性 ……うっ 頭が!

あれや、これやの恐ろしい記憶が甦る。

説明をしよう! 蛇紋岩が【こんな感じ】に熱水作用や風化を受けて粘土化したものの一種が、あの土木史上最凶最悪の地質と悪名高い、モンモリロナイトなのである。

水や空気に触れると超絶膨らみまくって、数多くのトンネルを圧壊へと導いてきた、あの地獄のモンモンモリモリが、この地には大量に賦蔵されている…!

……そういえば確かに、八幡覆道の内部には随分と【粘土】が出てたなぁ…。



『瑠璃の宝石』第2巻より。

そもそも、蛇紋岩とは何か。
蛇紋岩は、かんらん岩という岩石に水が加わることで出来る緑や黒っぽい変成岩である。
そしてかんらん岩とは、地球のマントルを構成する深成岩の一種である。

マントルは、地球の地殻の底、地下30〜2900kmという領域に広がる個体の岩石層であって、そのような通常は地上人が絶対に目にすることがない超深度で生成された岩石が、いろいろあって、地上に出て来たものが、蛇紋岩である。

右図は、私が愛読している渋谷圭一郎先生の漫画『瑠璃の宝石 第2巻』(p.120)の引用である。
大陸プレートの衝突が、日高山脈の西側に、マントル層を露出させていることが説明されている。

赤く着色した辺りが、蛇紋岩などのマントル物質が地表に露出しているエリアであり、日高山脈の西側、ちょうどこの鵡川流域辺りが該当する。
地質用語では、神居古潭変成帯と言うそうだ。

プレートとプレートのぶつかり合いという途轍もない外圧を受けながら、無理矢理地上へ露出してくる過程で、かんらん岩は破砕化された蛇紋岩となり、それは崩れやすい性質を持っている。なるほど、納得が出来る。

そりゃあ、見慣れない景色にもなるよなとも思う。
普段見ている地殻の上の風景と比べれば、ある意味、別の成分で出来た星の景色みたいなもんだったんだから。


以上、山行が史上最もスケールの大きなお話しでした。(笑)



 封鎖区間を通り抜けた後の、のんびりウィニングラン


2022/10/8 11:21 《現在地》/海抜155m

大きな声では言えないが、ゲートアウト。

道道占冠穂別線に長らく存在し続けている2つの通行止区間の1つを、自転車で走破した。
はたして、封鎖から何年目の通過であったのかについては現地では分からなかったが、遅くとも探索の12年前にあたる平成22(2010)年までは改良工事が行われていたことが、封鎖区間内にあった【工事標柱】から分かった。

現在地は、富内の道道終点(富内橋)から11kmの地点で、探索のゴールである国道274号交点の福山までは残り約5.5kmある。



閉じたゲートを後に出発。

流石に封鎖区間内のように路上に草は生えておらず、平和な砂利道となった。
ゲートのすぐ先に写真の十字路があり、右折は鵡川左岸の林道へ、右折はチェンジ後の画像の通り、「八幡の大崩れ」と呼ばれる巨大な蛇紋岩崩壊地の土石流扇状地へ通じている。扇状地の地形が段段になっているのは、治山工事の結果だろう。



11:25

ゲートアウトしてからも、やや幅に余裕がある1車線砂利道という、道そのものの規格に変化は感じない。
勾配も相変わらず緩やかで、路面も整っているので、自転車でガツガツ走れる快走路だ。
写真には、「29km」ポストが写っている。
ガツガツ進む。



11:28

道の近くに、一軒の廃屋が建っていた。
開拓農家を思わせるトタン屋根の平家が一面のチシマザサに溺れている。

現在の地理院地図には描かれていないが、【昭和33(1958)年の地形図】には、この建物が描かれており、周辺にも何軒かあった。さらに、「八幡」という地名の注記もあった。

“大字”福山“字”八幡、かつてここはそういう地名だったのだろうし、たぶん地名自体は今も残っているはず。
「八幡覆道」の八幡は、この場所にかつてあった小さな集落の名前から来ていたのだ。



11:29

こっち側にもあるんだね! 「通り抜け出来ません」の看板。
ちゃんと行き先は「富内」に変わっている。(写真は振り返って撮影)

で、予想通り、この看板はこの後も繰り返し現れた。
見つける度に数えたので、最終結果は出口で発表します!



11:31

「28km」ポストの直前にあった、ガードレールの塗装が明らかに新しい橋。
「八幡橋」の銘板があったが、現地では竣工年は分からず。「2024年度全国橋梁マップ」によれば、昭和42(1967)年らしい。
橋の袂から、半分廃道みたいなパンケオロロップ林道が分岐している。なぜ名前が分かったかといえば、看板があったから。地形図にも描かれているが、さほど長くはないピストン林道である。



看板が現れる度に、振り返って、チェックして、カウンターに+1をしている。
死にかけたような看板も、見つけられたものはカウントした。



11:45 

しばらく谷底の樹林帯をゆく平坦な道が続いていたが、「27km」ポストを見送ったところで、思い出したように上り坂が始まった。
この先、蛇行する川の流れが岸を鋭く削っており、道は浸食圏の上まで登って越えようとする。
そのため40〜50mの比高を獲得するまで登っていく。

この登りの途中、これ見よがしといわんばかりの道路中央に、笑えるほど巨大な熊糞が落ちていた。
ここが誰の道が教えてやるぜという威圧を感じた。
誰の道なんですかここ?



11:47 

登り切って、この道で2回目の海抜200mタッチ。
これ以上は登らず、少しトラバースした後で下って行く。
写真は、この高台からの眺め。

何があるというわけじゃないが、シンプルに、風景が良い。
富士山とか、松島とか、そういう劇的な景色ではないが、良い。
これが地図に∴記号の一つも付けず漫然と転がっているのが、北海道スペックって感じする。
もちろん現地にも看板一つとてない。
贅沢って、こういうことだぞ。



11:50 《現在地》/海抜170m

下り坂は爆速で、再び川沿いの低地へ帰還。
と、ここで、突然、道がパワーアップ!
申し分のない2車線道路が現れた。

2車線舗装路の復活は、封鎖区間を挟みつつ【ここ】から約8kmぶりだった。
逆に言うと、富内〜福山間約16kmの半分が、未改良の砂利道だったということになる。
前後の道をいくら改良しても、中間に未改良部分があるかぎり、その効用を十分に発揮することはできない。
ましてや、改良済みの区間内で完結する沿道の交通需要が、ほとんどない道である。

って、そんなこと道路管理者は百も承知なわけで、ようするに前後の改良を進めたってことは、最終的に全線を改良する想定があったってことじゃないかと思う。
では、その想定が今も生きているのかってところが、気になるところだ。
それ次第では、まだこの道には逆転の目がありうるのだろうから。

……机上調査だなこれは。



11:56 《現在地》/海抜

良い道になったな、探索終わったな、
そう思ったが、良い道はちょうど1km走ったところで唐突に終わりを迎え、元の砂利道に戻ってしまった。

でも、確かにそうだよな。
朝、この区間の出口を見ているが、砂利道だったもの。
とはいえ、その出口(ゴール)は、本当に近い。
600mくらいしかないぞ、地図読みで。

そんなわけで、事情は不明ながら、前後を砂利道に挟まれた、たった1kmの“隠れ良い道”でした。
こういうムラッけが、道路整備においても最終目的を果たせずに終わる駄目なパターンの典型である、戦力(=予算)の逐次投入ぽいんだよなぁ……。改良済み区間には橋とか大きな構造物は全然なかったし、低予算で距離を稼げそうな所をやりましたって感じが…苦笑。



11:57

砂利道に再転落した直後、道は鵡川へかつてなく接近し、上流の視界が大きく広がった。

そこに、青看発見! 建物や電柱、電波塔も。

これが、今朝の出発地点にして探索のゴールである、福山再会の景色であった。
見知った感じは、全然しないけどな! 
なにせ福山は今朝初めて訪れた場所であり、外から眺めるのは初めてなのだ。
それでも、一周50kmの大回りから無事に帰ってこられた歓びは深い! 悪いなりに、通り抜けられる道で助かった。

しかし、それはそれとして、こうやって外から見ると、ますます寂しいところだと思う。
もうすこし開けているのかと思ったが、思いのほか、川の存在感と、山の存在感、しかない。
あの広い国道でさえ、青看しか見えないじゃないか。

この場所に、かつては随分と大きな集落があったというのが、面白い。
そしてその集落は、国道じゃなくて、もっと前からあった鵡川沿いのこの道にこそ根付いていたようで…。
むしろ、札幌に直結する便利過ぎる国道が通じたことで、住民たちがこの地に持っていた最後の未練が断ち切られたのかもしれない。
先にあったショボい川沿いの道道と、後から出来た立派な山越えの国道、そんな対照的な2つの道の結節地にあった福山の興廃は、いろいろと興味深い。

……机上調査だな、これも。



12:00

ジャスト12時、今度こそはっきりと【見覚えのある風景】の裏側だと認識できる場面が現れた。

1本の橋の向こうに、未舗装路(砂利道)らしからぬ立派な青看やら、反対向きの電光式道路情報板がある。
あそこにある国道を私は通っている。一周してきた。

橋には、「福山橋」の銘板だけでなく、「昭和42年9月完成」の銘板も取りつけられていた。
先ほどの八幡橋と同様、道道認定よりも少しだけ古い橋であった。



これまで探索してきた16kmあまりの道道の内容を総括するように、国道に面して様々な表示物が存在する。
それらを拾い集めて、本編を締め括ろう。

まずは、この看板。
富内側でも見覚えがある。最初に未舗装区間に入ったときに設置されていたものだ。
富内側は、ずいぶん入ってから未舗装になったが、この福山側は入口から直ちに未舗装路なので、そもそもトレーラーが誤って進入する余地はなさそうである。実際は、ちょっと行くと1kmだけ2車線舗装路があるが、そんなことは入ってみなければ分からないことである。



この区間最後の「24km」ポストと、それよりは新しそうに見える青看が並んでいる。
キロポストの数字は、青看にある「占冠」までの距離であり、これはまた次の機会だ。
【国道上の青看】からは削除されている「占冠」の行き先が残っているのも、意味深だ。



12:02 《現在地》/海抜180m

朝は不気味に薄暗かった現場だが、すっかりいい顔になっている。
ゲートも開いているので解放的だ。
まあ、いくらいい顔をしていても、「通行止」だの「砂利道」だの「通り抜け出来ません」×2だの、全力で語りかけてきている内容に救いは全くないが。

ちなみに、あの勇猛果敢で知られるストビューも、なぜかゲートは開いていたのに、この先は撮影していなかった。
何か嫌な予感がしたんだろうか。ストビューらしくない。

あと、誰も興味ないカモだが、忘れず集計結果を述べておく。
この福山側にあった「通行止」や「富内へ通り抜け出来ません」を示す掲示物の総数は、ここに見えている電光掲示板を最終として11回目だった。6km弱の間に、こんなにあったw
あと、もし【ゲート】が閉じると、+4されるが、開いているゲートは一応ノーカンということでよろしく。



この区間の最後は未舗装で終わっている。
一番真っ先に体裁を整えそうな部分でこれなの、結構珍しい。
それなのに、電光掲示板とか整備されているのが、またちぐはぐな感じだ。

そして、相変わらず人の気配はないものの、明るいときに見ると、意外と多くの建物が残っている。集落って感じある。
富内からここまで約16km、そして、鵡川沿いの道道が向かう次の集落は占冠村のニニウというのだが、そこも現住人口は小数点幾つみたいな話だ。そんなニニウで11kmくらい先。あとは最後の占冠市街地(24km先)だけだろう。
沿線人口稀薄極まれりだ。地形的に住めそうな土地のない山岳って感じじゃないのが、またポイントだ。相当に冷涼ではあるんだろうが、標高は200m足らずだし。



富内〜福山 走破完了!

直ちに道道610号を離脱して、出発地の福山PAへ6時間ぶりに帰還した。

次回は、机上調査編。色々な所にチグハグさが感じられる道道610号の歩みを、資料から振り返ってみよう。






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