この扉で、これからの全てが決まる!
2018/5/24 11:56 (入洞1分後) 《現在地》
ガマタトンネル部は最初右カーブから始まる。
そのカーブ終わりあたりの海側の側壁に、完全に密閉された鉄扉があった。
開かないので外がどうなっているのか不明だが、人道サイズの横坑があるようだ。
地形図を見る限り、海岸すれすれの場所を通っているので、すぐ外は海だと思う。
ガマタトンネル部にも、先の千代志別トンネル部と同じパターンで、トンネル名の混乱が見られた。
また、壁にある空虚な凹みの様子から、非常電話と消火器のセットを新しいものへ更新していることが分かる。
そのために、ガマタトンネルの壁の一部を削りとって、新たに打ち直す手間をかけていた。
単純にトンネル内分岐を設置するだけの改造ではなかったことが分かる。
おそらく照明もナトリウムランプからLEDに変更されているだろう。
11:59 (入洞4分後)
なげーーー!!
とてもシンプルな感想。
自転車で漕ぎ進むときの長大トンネルは、本当に、長大さを感じられる。
あまり車の交通量が多くないので、マイペースで落ち着いて走れるのは助かったが、今後のメイン探索のやり方を決めるための偵察であり、車を停めてきた場所へあと往復で戻ることが前提なので、率直に言ってダルかった。
でも、確かめたいことを確かめるまでは頑張らないと。自転車や徒歩でないと、確かめづらいことだし。
12:02 (入洞7分後)
入洞7分後、しばらく続いた直線の終わりが見えて来た。
右カーブがあり、丁度その場所に待避所もあるようだ。
洞内で確かめたかった場所の“1箇所目”に、間もなく辿り着く。
《現在地》
“確認ポイントその1” ガマタトンネル分岐部
この場所へ来るのは、車での運転を含めても初めてだったが、実を言うとストビューで見てはいた。
だからまあ、ほとんど分かっていたといえば分かっていたのだが……、
残念ながら、
トンネル内分岐の痕跡は、何もない。
この地点は、ガマタトンネル南口から約1900mの地点(浜益トンネルとしては約2400mの地点)であり、本来はこのままあと160mほど直進したところに、ガマタトンネルの北口があった。
だが、雄冬防災事業によって、ここから右へ分岐する新雄冬岬トンネルが建設され、そちらが本線となったことで、直進する旧トンネルは廃止され、分岐部もこんな綺麗に跡形なく処理されてしまった。ここでトンネルが分かれていたと書いても、もう景色からは信じて貰えないかもしれない。
ストビューで見る分岐部の変化 〜ガマタトンネル編〜
今はテクノロジーの進歩で、こんな面白いものが家に居ながらにして見られる。
“ガマタトンネル分岐地点”で2012年4月に撮影された画像がこれだ。
真っ直ぐなトンネルが、数百メートル先の出口まで続いている。
その出口の先にもまた次のトンネルが見えるが、あれは旧道のタンパケトンネルだ。
この時点では、まだここが分岐地点になる気配は感じられない。
が、2年3ヶ月後の2014年7月に撮影された画像だと、何やら車線を狭めて工事が行われている様子が映っている。
トンネル内にトンネルを繋げる工事が、始まっていたのであろう。
そして……
令和5(2023)年8月に撮影された画像だと、カメラのせいか写りが悪いのが残念だが、既に分岐はなくなっていて、右方向へのカーブトンネルだけがある現状の状態だ。
12:04 (入洞9分後) 《現在地》
分岐地点を振り返って撮影した。
今いる場所は既にガマタトンネルではなく、新雄冬岬トンネルであるが、開通と同時に両者を包含する存在である「浜益トンネル」が新たに命名されたため、新雄冬岬トンネルの名は道路利用者の目に留まることなく消えてしまったのだと思っていたが……
新雄冬岬トンネル部の始まりの壁面に、立派な銘板が填め込まれているのを発見した。
そしてそこには、「新雄冬岬トンネル」の名前が!!!
このことは、事前のストビュー偵察では読み取れなかったので、地味に感激を覚えた。
銘板によれば、本トンネルの建設年は「2012年10月着工〜2016年3月竣功」で、幅8.5m、高さ4.7m、そして全長1513mとなっていた。
開通を伝える広報資料では1555mになっていたが、少し数字が違っていた。
12:05 (入洞10分後)
この新雄冬岬トンネルは、地上に繋がる坑口を持たない稀有なトンネルである。
南側はガマタトンネルと、北側は雄冬岬トンネルと、それぞれ洞内分岐で接続しているからだ。
坑口がないから当然扁額もなく、もし前述の銘板がなければ、本当に無名に見える存在である。
しかし、接続している前後のトンネルが昭和50年代のもので、新雄冬岬トンネル部は平成28(2016)年の完成だから、やはり全体に新しさを感じる。
とはいえ、断面の大きさには見て分かるような違いはなく(実際は50cmだけ幅が広いようだが)、よほど意識しなければ違和感なく1本のトンネルに見えると思う。
そして、新雄冬トンネル部は地図上でも分かるように一直線だが、洞内にサミットを持つ拝み勾配になっている。
この写真でもずっと先の方にサミットがあるのが分かると思う。サミットは、だいたい中間部分にある。
12:08 (入洞13分後) 《現在地》
“確認ポイントその2” 横坑分岐扉?
今回の自転車での偵察における最重要ポイントと目された地点へ到達した。
ここは、浜益トンネル南口からおおよそ3500m、新雄冬岬トンネル部を南側から1000mほど北上したトンネル内である。
この地点では、事前のストビュー偵察で扉を発見しており、それが地上へ通じる横坑なのではないかと考えていたのである。
そして、もしこれが本当に横坑で、地上に繋がっているのであれば、前後のトンネルが封じられ、到達可能な陸路が失われた雄冬岬の旧道部へ容易く到達可能な、ウラワザ的進入口となる可能性があった!
写真は振り返って撮影したものだが、矢印の位置に確かに鉄の扉が存在している。
くぎゅうううううう!!!
南京錠がセットされているぅ〜〜〜〜!!!涙
「避難口」として、常時開放されていることに一縷の望みを賭けてきたのであったが……、賭けに負けた。
避難口ではないらしい。でも、地上へ通じる横坑であることは確かっぽい。
張り紙の内容からしても、開ければ風が吹き抜けるということだろう。
……この時点をもちまして、偵察の目的は完了。
陸路到達の方途は断たれたものと判断した。
12:11 (入洞16分後) 《現在地》
“確認ポイントその3” 雄冬岬トンネル分岐部
一応ここまでは来てみた。
新雄冬岬トンネルの北口である、雄冬岬トンネルとの接合部だ。
しかし、案の定、こちら側も洞内分岐の痕跡は全くなくなっていた。
綺麗に、ただの右カーブへと、作り替えられていた。
なお、従来の雄冬岬トンネルは、全長878mで、昭和55(1980)年の竣功であった。
北口から約750mの地点で、新雄冬岬トンネルと接続しており、接続部以南の100m強が廃止されている。
12:12 (入洞17分後)
同地点の振り返り。
手前側が従来の雄冬岬トンネルであり、“新”の部分よりも壁の色合いに年季が感じられるだろう。
ここまで来れば、長かった浜益トンネルも北口まで残すところ750mであり、自転車なら4分くらいで突破出来るだろうが、私の偵察の目的はここで完全に果たされたので、トンネル内というなんとも中途半端な場所ではあるが、ここで千代志別側へ撤収することにした。
なんだかんだ、ガマタトンネル部に突入してから17分が経過しており、すぐに引き返しても、おそらくこの“地下暮らし”は連続30分を数えることになろう。もう十分モグラになった。
今後の探索の方針が決まった以上、時間は1分でも惜しいので、すぐに引き返す。
ストビューで見る分岐部の変化 〜雄冬岬トンネル編〜
2012年4月の雄冬岬トンネル内部の様子。
この時点では、ここが分岐地点になる気配は感じられない。二度とは辿り着けない出口の光が、いやに眩しい。
2年3ヶ月後の2014年7月に撮影された画像だが、大注目!
左に分岐する新たな坑道がはっきり見えている!
このタイミングで通行したドライバーも大勢居たと思うが、羨ましい。実際に見てみたかった風景だ。
そして、このような大胆なトンネル分岐工事を行いながらも、ちゃんと従来トンネルの交通が確保されていることも注目ポイントだ。
おかげで、ストビューが撮られる機会があった。
令和2(2020)年10月に撮影された画像だと、既に分岐はなくなっていて、左方向へのカーブトンネルだけがある現状の状態だ。
偵察完了! “新兵器”の出動を決断!!
南京錠の存在は重かった。
そのため、陸路では雄冬岬旧道へ辿り着けそうにない。
ならば、海路しかない。
カヤック出動だ!
(もともと陸路があったのならそれを探索として辿りたいが、そういうものがなかった“原始自然界”と戦うのは、私が不利すぎるからね)
……とまあ、大きな文字でカヤック出撃を宣言しては見たものの、既にカヤックを用いて行った探索を多数公開している現状にあって(例)、とても勿体ぶるような決定とは、誰も思ってくれないだろう。
ただ、一点だけどうしても弁明をさせてほしいのは、この日がカヤックを探索に投入した初日であったということだ。
この数日前にカヤックを購入し、秋田市内の砂浜で細田氏と訓練を行った。
そして、今日の探索がはじめての“実戦投入”であった。

今朝の“沈”でびしょ濡れになった装備たち…惨状のあと……
実は今日の午前中に別の場所で1回カヤックを出動させているのだが(未執筆)、その時には散々な目にあっていた。
それはまさに練習の延長とも言うべき往復500mほどの小航海であった。
海上を航行する場面では練習と変わらず調子が良かったのであるが、初めて経験する岩場での乗り降りがヘタクソすぎて、2回も“沈(ちん)”(転覆落水すること)をしたのである。
浅い所だから沈をしても体に問題はないが、海水でカメラやバッテリーその他装備品一式を濡らすという重大なミスとなり、なんと5日間の北海道遠征初日の午前に、メインのカメラと予備バッテリーの半数を故障喪失するという大失態を犯していたのである。(だからこの探索はサブカメラで行ったし、バッテリーも予備が少し心許ない)
もはや、二度と同じミス(沈)が許されない状況で、再び、あの忌まわしい(そう思ってしまっていた)カヤックに命を預けようというのである。
それも、今度のカヤック作戦は距離が長い!
おもちゃのゴムボートくらいしか経験したことがない人間が、いきなり挑戦しても良い航海なのか正直自信のもてないくらいのことを、今からやろうとしている。
そんな自覚があったからこそ、これ以降徐々に経験を積みながら行ったどのカヤック探索以上に緊張感があったと思う。
……誰だって、最初は初心者さ……。
私の事情について説明をしたところで、いよいよ本題であるところの、カヤックによる海上探索プランの説明へ移る。
右図中央付近に赤く示した“探索目標エリア”の周囲には、一切陸路が存在しない。
そこへ通じていたトンネルは、全て封じられている。
海上からのアクセスこそが、この地に道路を切り開いた者達も行っている、当然の手法といえる。
ただ、目標エリアへの海路を、南北どちら側から行うかが重要な選択であった。
浜益トンネルの北口にある「白銀の滝駐車場」から出航し、全長878mの雄冬岬トンネル部の海上を航行して、目標とする旧道の北端へ上陸しようとするのが“海路1”で、片道1.6km程度の航程が想定された。
一方、浜益トンネルの南口にあたる「千代志別」から出航し、千代志別トンネル(346m)部とガマタトンネル(2060m)部の海域を航行して、目標とする旧道の南端へ上陸しようとするのが“海路2”で、片道2.8km程度の航程が想定された。
明らかに北側からアプローチした方が近いし、海上で何らかのトラブルに見舞われた場合も助かりやすいと思えたのだが、この日は二つ、南側からのアプローチを選びたい理由があった。
一番大きな理由は、風向きである。
この日は北北西の風が吹いており、北側からのアプローチだと、追い風になる。
水に浮かんでいるカヤックは、風に弱い乗り物であるから、追い風の方が遙かに楽に漕ぎ進めるのである。
……というのであれば当然、北側からのアプローチが有利と思われるだろうし、実際その通りなのであるが、私が恐れたのは、到達後に逆風で引き返せなくなることだった。
行きはよいよい、帰りはこわい。それは一番避けたい状況で、逆風に苦しめられて辿り着けず引き返す方が、よほど安全に思われた。
折衷案として、北側からアプローチし、そのまま探索後に千代志別へ南航することも考えないではなかったが、それはそれで陸着後にスタート地点まで戻る手間があり、やはり逆風で引き返せない状況を背負うというのが嫌だった。
そしてもう一つ、南側から逆風に耐えながらアプローチしようと思った理由は、偵察時にやはり陸路到達困難と判断したつばめ岩トンネルと二ツ岩トンネルの間の短い旧道への到達も一緒に行えることである。
この部分だけならとても規模の小さな航海になるので、練習の続きになるし、逆風や波の状況をここで偵察してから片道2kmを越える長い航海に挑めるという、ステップアップの安心感があったのだ。
……以上のような考えから、私は敢えて航路が長く、往路では常に逆風に祟られる公算が高い、南側からのアプローチを目指すことに決めたのだった。
おーけいですか?
果たしてこの決断の結末やいかに。
次回、いよいよ初めての本格的探索航海へ出航!
練習の航海 〜つばめ岩を漕ぎ渡れ〜
2018/5/24 12:41 《現在地》
ここを出航地点とする!
ここは偵察時も訪れた千代志別の浜辺である。
海と山とが鎬を削るこの界隈において、貴重な船出に適した状況が揃っていた。
すなわち、海の真ん前まで車が横付け可能で、かつ邪魔になりそうでなく、浜の状況もカヤックの離着岸に適しているという、理想の場所。
見よ! 車の目の前にある、この理想的な浜を!
こういう丸っこい石が散らばっている礫浜が、カヤックで離着岸するには適している。
砂浜だと片づけるときにカヤックに大量の砂が付いて辟易するだけでなく、私が使っている空気で膨らませるタイプの(かつ安い)インフレータブルカヤックにとって、砂は案外に危険な付着物になるのである。乾いた砂って結構切れ味が良いんだよ…。
チェンジ後の画像は、最初に漕ぎ出そうとしている方向を撮影した。
この手前に見える岩山を回り込んだ向こうに、直ちに最初の探索目標がある。
前も書いたように、泳いでも辿り着けるくらいの近場だが、カヤックの慣らしにも丁度良さそうだ。
風景も、空気感も、何もかも、生き死にを彷彿とさせるカンジが全くなくて、ちょっとホッとしている。
さあ、何度も練習したカヤックのセットアップを始めよう!
12:57
出来た〜〜!
<INTEX社製1-2人乗り用インフレータブルカヤック>“EXPLORER K2”号
出航準備出来ました!
準備が出来たので、荷物を積んで、ライフジャケットを身につけて、早速出航する!
今度はうっかり横波で倒されないように、面倒くさがらず、ある程度深いところまで歩いて船を沖出ししてから、慎重に乗り込もう。
たぶん、私くらいの初心者がカヤックの扱いで一番手こずるのが、波や障害物の影響でバランスを崩しやすい乗り降りだと思う。
私も午前中に手痛い洗礼を受けたばかりだ……。
幸いにして、この場所の状況はとてもいい。
波が穏やかだし、障害物も少ないし、尖っている岩もない。
よし、よぉ〜〜〜し……
( 慎重になりすぎたのか、なんだかんだと手こずりまして ――12分後―― )
13:09 (海上1分経過)
ひゃっはーーー!!
なんとか無事に 海上へ!!
ヨッキれん、遂に船を手に入れて海へ出た。
40年あまり雁字搦めにされていた陸の鎖を、ついに絶つことに成功したのだ。
海へ出て最初のエンカウントが「だいおうイカ3匹」で、あえなくぜんめつという苦い経験が、大人になって繰り返さなくて助かった……。
13:10 (海上2分経過)
た〜〜のし〜〜〜!!!
そして早くも見えた、最初の目的地!
手前が、つばめ岩トンネルのある岩場で、奥が、二ツ岩トンネルのある岩場。
それらに挟まれた、ごくごく短い地上区間が、陸路では到達困難と判断していた部分である。
こうして見ると、塞がれたつばめ岩トンネルによる、僅か120mの杜絶でありながら、
確かに陸路到達は不可能だと思える地形であった!
でも船さえあれば、こんなのへっちゃらだもんね〜〜!!
13:11 (海上3分経過)
うう〜〜ん! これは堪らないな!!
海上からの上陸作戦、ちょっと病みつきになりそう。
船を操って目的地へ近づくことや、上陸する場所を考えて選ぶことが、こんなにドキドキで楽しいなんて、やってみるまで知らなかった!
40年間陸に封じられていた人間が、自由な翼を手に入れたような気持ちである。
さあ、上陸してみよう!!
2本のトンネルに挟まれた明り区間の長さは、僅か100mにも満たない。
しかも、道路を海から守るために用意されたかつての施設が、海上より上陸しようとする私にとっても障害となる。
具体的には、防波堤の落差と、波消しブロックという障害である。
どちらも、危険な障害物である。
特に、波を被って複雑な地形と水流を作る波消しブロックは、接岸の極めて困難な障害物であり、ドラクエで言うところの“浅瀬”の地形である。上陸不可能。
見たところ、上陸しやすそうな場所は……
あ〜〜。
やっぱりそうなんだね〜〜。
陸路では来られない場所なのに、ちゃんと塞いであるんだねぇ〜、両坑口とも。
しっかりしてるぜぇ、開発局は……。
(これだと、雄冬岬の旧道へ辿り着けても、タンパケトンネルとかも全部封鎖されてるだろうなぁ……)
まあ、それでも上陸したいけどね!
13:12 (海上4分経過)
上陸できそうな場所、見つけた!
二ツ岩トンネル坑口脇の辺りに、波消しブロックがない自然の海岸線を発見。
あそこに上陸してから、道路へ攀じ登ろう!
とつげき〜〜〜!!!
総員衝撃に備えて〜〜
ズサ〜〜〜…… … … …
(……いや、やっぱりちょっとこわいな……)
(あぶないよ! そうそう、気をつけて! こっちからいこう……)
(あぶないって!!)
(〜〜!……!)
13:18 《現在地》
結局また手こずって、でもどうにか沈せず、上陸成功!
結局、船を漕いでいた時間より、波打ち際での離岸と着岸に時間を費やしてしまったが、経験を繰り返して上手くなっていくしかないね!
万が一にも波に船が浚われないように、波の当らない高さまで引き上げてから……
13:21
“無人島”ならぬ、“無人道”へ上陸!!
こんな狭い閉じた世界にわざわざ来たがるとかって、それもう変態ですから〜〜。(←ご満悦)
俺だけの道だ〜〜!
思わず、プライベートビーチならぬ、プライベートロードを手に入れたような、有頂天の気持ちになってしまったが、ワルいことをして調子に乗っている姿を見せるのは、あまり教育上宜しくないと思うので、このくらいにしておこう。
えへへ……
えへへへへうっひひひひひゃひゃひゃひゃははははひゃひゃひゃひゃうひょーうひょーー俺最強〜〜!!
(落ち着いたら、レポート再開しようね…)
13:23
これが封鎖されたつばめ岩トンネル南口である。
特段変わったところのない、普通のトンネルの普通に封鎖された姿だな。
ただ、昭和63(1988)年刊の『北海道の道路トンネル第1集』の坑口写真と見較べると、トンネルそのものは変わらないが、トンネル前道路の海側の様子に違いがある。
以前の写真だと、海側の広い駐車帯のような部分がなく、直ちに海であったようで、路肩に橋のような欄干が並んでいる。
今ある駐車帯のような部分は、埋め立てによって後年に拡張されたものらしい。
おそろしく人目に付きづらい場所になってしまった、かつての国道トンネルたちに、黙礼。
こんな短いトンネルでも両側ガッチリ塞いであるとは、全く甘くない。
……ここで振り返ると、お次は……
二ツ岩トンネル北口である。
秘かに、こちら側の坑口は開いているのではないかという期待を持っていたのであるが、残念ながら駄目でした。
でも一つ面白いことに気付いたよ。
この二ツ岩トンネルの北口には、先に訪れた【南口】
には見られなかった銘板が取りつけられたまま残っていたのであるが、まずその外観が隣のつばめ岩トンネルとは全然違っていた。
さらに、竣功年と延長の両方が、『北海道の道路トンネル第1集』に掲載されている数字と次のように異なっていた。
| | 現地の銘板 | 北海道の道路トンネル
|
| 竣功年 | 昭和56(1981)年11月 | 昭和47(1972)年11月
|
| 延長 | 846m | 587m
|
この原因は明らかだ。
『北海道の道路トンネル』のデータは二ツ岩トンネル単体のもので、銘板のデータは南口に連接されている覆道部分を合わせてあるのだ。
つまり、昭和56(1981)年に覆道の延伸が完成し、その際に銘板を取り替えたのだと推理できる。
先に南口を訪れた際に、【この扁額】
がいつまでドライバーの目に触れていたのかという疑問を持ったが、遅くとも昭和56年までであったことが分かった。
……こんなところかな。
この小さな場所での上陸調査は。
まだまだ操船未熟ではあるが、カヤックによる海上アプローチの強力さは実感できた。
ので!
本番を始めよう。