道路レポート 旧県道満島飯田線 “竜東線探索” (金野〜千代 区間) 第2回

所在地 長野県天龍村〜泰阜村〜飯田市
探索日 2023.04.11
公開日 2023.04.28

 身を挺して鉄路を護る


2023/4/11 15:21 《現在地》

嬉しさと、しんどさが、同時に押し寄せてきた。

嬉しさについては、もう十二分に説明したつもりだ。
ここに由緒ある道路が存在したことを雄弁に物語る「架道橋」の存在が嬉しかった。

しかし、この先へ進むとなると、また苦労しそうな予感がする。
まだ芽吹きの季節だというのに、視界を遮る灌木のヤブが、思いのほか濃い。
この先が道として利用されていないことは、もうこの段階で確定的と思われた。

今日これまでもさんざん廃道を歩いてここに辿り着いているという話は既にしたが、藪の濃さにもかなり苦しめられている。
それで体力的に消耗しているこの状況から、再び藪の深そうなところへ突撃するのは、正直辟易する気持ちが強かった。

まあ……だからといって、ここでしっぽを巻いて金野駅へ引き返し、あと1時間半も来ない(戻りの)電車を待つだけというのは、あり得ないことだろう。
辛くても、次の千代駅まではたった1.2km(飯田線の駅間距離)である。そしてそこまで行ければ、最終目的地の天竜峡駅は「次」なのである。
ここは踏ん張りどころなんだと思う。 がんばろう。




現役の線路を潜る廃道というのは、あまり経験したことがない体験だと思う。
道は鉄道を潜ると、そのまま左へ90度カーブして、また線路沿いを進むようになっている。
すなわち道は跨道橋の前後で見通し皆無のクランク状カーブを描いている。とても良い線形とは言えないが、山側の斜面を削って道幅が確保してあるので、自動車も通れるような構造になっている。

今日これまでに歩いた竜東線の廃道化区間の大半が、明治期に整備されたとみられる6尺道であり、とても四輪自動車が通れた感じではなかったが、この金野〜千代間については今のところ、それを想定したような造りになっている。



うーーーむ……、やっぱり藪がワルそうだなぁ…。
道幅だけは広いんだけど、全然轍なんて残っていないし、そもそも路面が感じられない。ただの空き地って感じ。

これはなんというか……、かつて道路だった敷地が今は、山側からの落石が線路に入らないための緩衝地帯としてだけ利用されている感じだ。
特に道路としての通行を禁止するような看板とか柵は見当らないので、通行は自由だと思うのだが、もう道としての存在感が消失している。

その代わり、隣り合う線路の存在感の大きいことよ。
道はすぐに線路と同じ高さまで登って並走するようになったのだが、両者を隔てる位置には落石防止の巨大なコンクリート擁壁&金属フェンスがそそり立っていて、これが道路の山側には無いあたり、線路だけを護る気満々だ。
まあ、現在の利用度を考えればそれで然るべきだし、そもそもこれらの防災施設は鉄道側が整備したものだろうが。



15:31 《現在地》

すまん。さっそく疲れが出てしまって、ぼけっと5分間休憩した。

で、再び歩き出した直後、

ぐえーー。

最も恐れていた事態が、現実に。

道が無いじゃないか……。

やりやがった………飯田線の野郎……。
工事用道路として使わせてやったのに、恩を仇で返しやがった…。
ここまで線路と道路(跡)を隔てていた落石防止擁壁が、この先の斜面では、道路側に大きく張り出してきていた。
迂回路が付けられていることを期待したが、そんなものは全くなかった。

ハナシガチガウジャネーカ。
三信鉄道は、竜東線を壊さなかったんじゃなかったのかよ…。
これについては、おそらく三信鉄道時代には、道はちゃんと残されていたのだと思う。
裏切りをやったのは、国鉄かJRだ。
先ほどの架道橋よりも明らかに年代が新しい落石防止柵が、道を容赦なく遮っていた。



足が地面に直接付かないほどの猛烈な枯れススキ斜面をよじ登り、線路上方の柵の裏の空間へ。
平面座標的には引き続きかつて竜東線があった位置から離れていないと思うが、道形らしいものは残っていない。見た目にはもう、落石防止柵の用地でしかない。

はっきり言って、この状況では道としての遺構の発見には期待できず、探索へのモチベーションをキープするのに苦労する。率直に言って、つまらない展開だ。これまでの区間にも増して、線路側からの干渉がキツイ気がする。

でも、実は私には、ほとんど選択の余地はない。
なにせ、自由が利く足である車も自転車も近くにないから。
結局ここから選べるのは、我慢して突破してゴールへ向かうか、引き返して金野駅でギブアップするかしかない。現実的な迂回路は無さそうだしな…。

え? 線路を歩いたらって? (←悪魔の囁き) 
いや……、山行が黎明期ならまだしも、今それをやったらレポート出来ないでしょ…。




なんだこれ……。

道はもう途絶えてしまったから、落石防止擁壁と山の斜面の隙間の狭いスペースを
無理矢理進んでいこうとしているのだが、そこに思いがけない、大きな落差が潜んでいた。
なんというか、半分だけのアリジゴクの穴のような地形。自然にこんなものが出来るのか?

不可思議だったが、無心で突き進むことにする。




怖ッ!!!

こんなところを人が通る想定がされていないんだろうが、危ないぞここ!

アリジゴクみたいな穴の底には、なんと垂直の縦穴が開いていた。
人間の身体を容易く通すサイズの穴だ。しかも深くて底が見えない。
落ちたら間違いなく怪我をするだろうし、最悪どこにも出られず飢え死にかも。

穴の正体だが、水が流れ込んでいるので、いわゆる暗渠の入口だろう。
山の水をここで線路の下にある暗渠へ導いて、天竜川へ流している模様。
おそらく、落石防止柵をここに作った時に掘ったんじゃないか。
地理院地図だと、この辺りに線路を跨ぐ無名の小沢があるが、多分ここがそれだ。



ヒヤッとしながら、実際に冷気が感じられた穴の縁をするりと横断し、その先へ。

すると今度は、まだ新しそうな崩壊斜面が現れた。というかこれは落石現場だ。
落石防止擁壁があるべき役割を果たしているおかげで、線路は全く無事だった。
道路を犠牲にして作り出した擁壁のおかげで、飯田線の安全が保たれているぞ。
物言わなくなった道路の代わりに、私が鉄道への感謝の押し売りをしておこう。

感謝しろー。



15:37

はっきりと道が消失した地点を過ぎて6分後、私に残された進路はますます先細っていた。

もう道じゃないことは十分承知しているが、それでもこの木藪地帯は堪える。
ツタみたいな木の枝が蔓延っていて、視界が通る割りに行動を激しく阻害される。
まるでのれんを潜るような、あるいは土砂降りの中で呼吸せんと藻掻くような動作を、延々と続けさせられている。
誰も見ていないが、もし見たら滑稽だろう。何してんだこの人はこんなところで。

落石防止柵の隙間から線路を覗くと、次第に高度差が大きくなっていた。あの明るい線路沿いを歩ければ、どんなに楽だろうかと思うが、今さら戻るのは癪に障るし、そもそも私が知りたいのは、竜東線の現状だ。
線路を歩いていて進んでも、得られる情報は少ないだろう。



やぶーーーー!!

ネットと木藪に挟まれ藻掻く私は、まるで罠にかかった獣のよう。
忍耐で進んでいけないことはないのだがキツイ。風も遮られているから暑いし。
まさか、この区間は最後までこんな展開なのかと弱気になる。竜東線はどこ行ったんだー。10年越しの探索の終盤、綺麗に有終の美を飾る展開でも良かったのに〜。

しかし、こんな場所でも保安林であることを示す錆びた看板が傾いた姿で残っていた。
まだ道の形があった当時に設置されたものなのだろうか。




15:43 《現在地》

道の消失から12分後、ここまで疲れた肉体にはとても堪える展開だったが、やっと苦労が報われる兆しが見えた。再び道の跡が現れたのである!

線路との高度差が大きくなったおかげで、道との距離が少し離れたようだ。おかげで、落石防止柵の干渉から逃れることが出来た模様。この先も高度差の大きい状態は続くと思うので、これは期待できるかも。

とはいえ、まだ完全に線路沿いの呪縛から解放されたわけではなかった。その証拠に、“矢印”の位置には……。



まだ設置して間もないように見える蛇篭工が置かれていたのである。

これも当然、下にある線路を護るための施設である。
道路としては見放されていても、土地としては今でも鉄道関係者からの注目と干渉を受け続けていることが窺い知れた。




おおっ!

急に良い雰囲気の廃道になってきたッ!

しかも、やはりこの区間の竜東線は、これまでの多くの区間よりも幅が広い。廃止時点までに自動車が通れる程度までは拡幅されていたのではないだろうか。道幅は3mくらいある。
いいぞいいぞ、急に楽しくなってきたぞ。



線路を見下ろせる小さな岩尾根を回り込む地点の路上には、未使用品らしき施工前の落石防止ネットが大量に置かれていた(放置?)。
いずれはここも線路の海に呑み込まれてしまうのかもしれないが、今のところは良い雰囲気を保っている。

そしてここから先も道は上り続け、線路との高度差は、区間内の最大へ近づいていく。




すると今度はこんなものが藪の向こうに現れた。
またしても線路に対する落石防止柵なのであるが、電源ボックスや電線が接続されており、これが単なる柵ではなく、落石感知の機能を有する柵であることが分かる。
おそらくこの柵に落石等が衝撃すると、司令所に通報される仕組みなのだと思う。

私もそれほど詳しいわけではないが、竜東線のことを調べていると自然と飯田線の歴史にも触れることになり、険悪な峡谷地帯に誕生したこの鉄道が、落石対策に費やした労力の凄まじさを知ることになった。



昭和30年代、飯田線内では落石を原因とする重大事故が多発しており、“魔の飯田線”なる悪評があったという。
そこで国鉄も対策に本腰を入れることとなり、一時期は無数に存在する落石危険箇所毎に24時間体制の有人見張り小屋を配置し、毎日百人以上を動員して監視を続けていたという(これを固定警戒といった)。
しかし当然これには莫大な費用がかかることから、落石対策を無人の装置へ置き換える研究開発と設備投資が進められ、その結果が先ほどから私をずいぶんと苦しめてきた鉄壁の落石防止柵や、ここにある警報装置付きの落石防止柵だったのだ。

したがってここでの竜東線は、廃道となってからも飯田線の防災に寄与し、私たちの楽しい旅行を陰から支えているのだと思うことにしよう。

15:51 《現在地》

といったところで、眼下には区間のほぼ中間地点にあたる、区間内唯一のトンネルが見えた。
トンネルがあるのはもちろん飯田線。この道にそんな上等なものはなかったが、しかしこの先の路上には、私が初めて目にするような異様な構造物が待ち受けていたのだった…。