道路レポート 旧県道満島飯田線 “竜東線探索” (金野〜千代 区間) 第3回

所在地 長野県天龍村〜泰阜村〜飯田市
探索日 2023.04.11
公開日 2023.04.30

 奇妙な構造物が連続で現れる地帯へ……


2023/4/11 15:51 《現在地》

金野駅から歩き出して30分少々で線路沿いを約550m前進し、金野駅〜千代駅の中間地点にある越危山隧道(全長40m)の南口を見下ろせる高台に差し掛かった。
この辺りでは線路と竜東線跡の高度差は20mを越えており、簡単に行き来はできない。そもそも落差以前に、線路側の落石への守りが鉄壁過ぎて、人間が山側から近づくのも至難である。

それはともかく、ようやくこの“短い駅間の廃道”の中間地点である。
想定よりも時間を要しているのは道の状況的にやむを得ないと思うが、遅速の理由は疲労にもある。言い訳じみてくるが、そもそも今日という日は遠征探索の4日目だった。




越危山隧道の周囲は、この区間内で初めて目にする竹林地帯だった。
管理されない竹林は奔放に拡大する傾向にあり、放置竹林は厄介な藪になることが多いので、嬉しくない。しかし元はといえば、人が人家や農地の近くに植えた竹だ。人の生活圏が近いことを教えている。

幸いにしてここの竹藪は、線路上の落石防止柵に沿って竜東線の路上に重なる部分が刈り払われており、通りやすくて助かると思ったが……


(←)
竹林の中には道を分断する形で深く抉られた谷川があって、そこには橋がないどころか、踏み跡も何もない見当らず、どう進むべきかで少し手間取った。

ここは厭らしいことに、両岸の急斜面が倒れた枯れ竹で高密度に隠されていて、まるで天然の“修羅”のようだった。
そこに無策で入り込んだら、谷底まで一気に滑落しかねない。
そのため、地形としては大したことがない谷なのだが、思いがけず大きな高巻きを要求された。

……汗が、止らない。


(→)
小谷を突破して再び竹藪。
道形ははっきりしているが、縦横無尽に枯れ竹が進路を妨害していた。藪で蓄えたストレスは、藪に発散するのが道理とばかり、豪快にバッキバキと爆ぜさせながら進んでいく。

眼下の地形に目を向けると、そこには青灰色の天竜川と、嫋やかなカーブを描く飯田線が、二人だけの世界のように睦まじく寄り添っていた。
足の下には越危山隧道が通じており、また左奥には小さく金野駅が見えている。
だから私が突破してきた廃道の全てがこの1枚に収まっているが、その姿は全く見えない。

竜東線の探索は、熱心な鉄道カメラマンでも見たことがないような多彩なアングルから、飯田線の風景、その天竜川との秘めたる逢瀬を、垣間見られるものだった。



15:59 《現在地》

竹藪をさらに進むと、再び落石防止柵が現れ、同時に周囲の刈払いが復活した。
飯田線がある限りは、ある程度までの刈払いが確保されているのが、ありがたいところだな。
刈払いをした人も、ここに竜東線という道があったことなんて多分意識していないだろうけど、それでも歩きやすくなっているのはありがたい。

この落石防止柵の直下には越危山隧道の北口があるようだが、柵を乗り越えてまで確認はしなかった。
道はここでも柵によって幅のほとんどを奪われて危うく消失しかけていたが、めげずに進むと、思いがけない構造物との遭遇が待っていた。





木橋が残っていたのです!

これにはちょっと驚いた。なんと木の橋が架かったまま残っていた。

谷を渡るものではなく、桟橋だった。
山側は接地していて、川側だけ空中に張り出す形になっている。
それほど険しい場所とも思えないが、わざわざ桟橋で道幅を確保してあるのだった。
木橋が架かったままで残っているシーンは、これまでの竜東線の廃道化区間内では初めてかと。

貴重な逸品!だとは思うが、橋脚や桁材の一部に廃レールを使っていることが、壊れた床の隙間から見えており、純粋な木橋ではないようだ。
廃レールと丸太材を使って組み立てた骨組みに、木製の床板を並べて作った、木鉄混合橋のようだ。
そしてこれも大きな特徴だと思うのだが、床板を構成しているのは、隙間なく敷き詰められた枕木だった。
枕木といえばもちろん鉄道用なのだが、明らかに普通のものよりもサイズが大きい、鉄道用の橋梁枕木が用いられていた。



この写真を見て欲しい。
直前の場面を振り返って撮影したのだが、枕木をふんだんに使った桟橋の行く手を、落石防止柵が遮るような位置関係になっている。

このことから分かるのは、桟橋よりも落石防止柵は新しく、かつ道の通行を妨げるつもりで落石防止柵は建造されているということだ。
桟橋が使われていた時代までは、幅3mほどの道幅を確保するために、わざわざこのような大掛りな構造物を設置していたのだろう。
本来の開設当初の竜東線の幅は1.8mだったらしいので、それを拡幅補強するために、この頑丈そうな桟橋が整備されたように想像する。

そしてその桟橋が、主に鉄道関係の部材(廃レール&橋梁枕木)で建造されていることに、大きな興味を引かれるものがあった。




同じ場面を少し引いたアングルから撮影した全体像がこれだ。

竹藪の中の斜面に道があり、その下には巨大な落石防止擁壁がある。
見えづらいが、この竹藪の道の路肩は全て桟橋になっている。そうやって拡幅がなされている。
おそらく落石防止擁壁が整備されるまでは、現役の木製桟橋を見ることが出来たかと思う。
それも、ほぼ鉄道流用の部材で作られた奇妙な桟橋を。

ここまでずっと竜東線を歩いてきて、ほとんど最後の区間に差し掛かっているわけだが、これまで一度もこのような構造物はなかった。
鉄道との位置関係は今と同じようになったことが何度かあったが、こんな桟橋があったのはこれが初めてだ。

そしてこの驚きは、拡大して連鎖した!




おおおーー!

なんだこの道〜〜!

林鉄跡みたいに木の桟橋が続いてる〜!

ガードレールとか手摺りが設置されていた気配は皆無であり、

現役当時の姿を想像すると、なかなか笑えてくるものがある。

こんな道、見たことない?!




ずーっと枕木の桟橋が続いている。

廃線跡じゃないのにこんなに枕木だらけの道を見るのは初めてだ(笑)。

崩れかけた桟橋の縁から見下ろすと、20m下にある線路が見えた。
両者を同時に見ていると、こっちが飯田線の旧線跡みたいに思えてくる景色だが、
もちろんそんなことはない。こっちはあくまでも、竜東線という廃道だ。

しかし、もしかしてこの道を最後に管理していたのは国鉄かJRで、
保線用通路(というか道路)として維持管理をしていた、みたいなことがあったのか。
もしそうだったなら、廃レールや橋梁枕木をふんだんに使う理由は説明できる気がする。

しかし今のところ、一般の通行を禁止していたような形跡は見当らず、
最後まで一般の道路だった可能性もぜんぜんあると思う。

この道のこと、どなたかご存じないですか?
似たような道路の情報でも結構です。欲しいです情報が。




桟橋、終わった?

明るい尾根を回り込む場面が見えてきた。
太陽に導かれるように藪が少し濃くなり、地形的にも桟橋はもう途切れたかと思いきや、続いている!

続いてはいたが、ここでも道の真ん中に設置された落石防止擁壁のために、桟橋は破壊されていた。
邪魔になって道の外まで寄せたのは分かるが、それを撤去しない辺り、もう道としてはどうでも良くなっていたのが分かるな……。

それと、さっきから桟橋呼ばわりしているこの構造物だが、もうなんか単に路肩に枕木を敷き詰めてあるだけのような感じもする。ただ隙間なく敷いてあるので、枕木としてレールを支えていたわけでないのは確かだろう。路肩の補強を主目的とした桟橋状の構造物というのが、より正しい表現になるのか。
地味に初めて見るぞ、このようなものが作られている道は。誰の流儀なんだろう?



16:08 《現在地》

廃枕木が突き出た路肩越しに見下ろす天竜川の眺め。
同じ感想を二度述べるが、ほんと廃線跡にいるみたいな気分になる。

話は変わるが、この場所の眺めも今日ではなかなか稀少なものである。
ちょうどこの場所の真下は、天竜川とその支流阿智川の合流地点になっていて、阿智川の上流には阿智村の中心市街地があって開けているのだが、合流地点の周辺には隣接する道がなく、ここを陸路からじっくり目撃する手段は、多分この竜東線しかない。飯田線の車窓からも見えはするだろうが、停車しないので一瞬だろう。

大きな川の合流地点というのはだいたいが開けた場所にあると思うが、ここは例外的に山峡の秘かな合流地点であり、竜東線に与えられた秘かな褒美だと思うと、なんか嬉しかった。
そして、この阿智川を分かつ地点を境にして、天竜川沿いの風景の印象も、大きく変化したように感じた。




前方の谷が、明るく開けてきた。

丸一日、ずっと上流へ向かって歩いてきたのに、
ここで谷が開けてくるという感覚は、なんだか不思議な感じがした。

このレポートのはじめの金野駅で進行方向を遠望した時に、あともう2駅で天竜川の峡谷を抜けると書いたが、
今はその列島的規模を持つ雄大な地形の変化を、歩きという大変のんびりした速度で体験しているわけだ。

当然、歩きの速度だと、沿道に感じる景色の変化は緩やかなのだが、
それでも何かが大きく変わったと感じる瞬間は確かにあるのだなぁ…と思った。

そして、石垣が綺麗だなぁ。
久々に間違いなく竜東線の遺構と思えるものに出会えたぞ!
これは今度こそ、竜東線踏破者へのご褒美タイムが始まったかもしれん。