2023/6/7 15:48 《現在地》/海抜230m
胸丈ほどもある猛烈なフキっ原は急に開け、そこには新たな盛土の大地が出現していた。
見て欲しい。右手の谷底がある方を。
(チェンジ後の画像)銀色のガードレールが、5m以上も下に設置されているではないか!
あそこがかつての路肩だったのである。
そして今いる盛土は、やはりトンネル掘削土処分の山だと思われる。
そんな盛土の山の向こうに、再び橋が見えてきた。
やはり橋の上だけは、盛土がない。
また、橋の少し手前の山側法面に、荒々しい岩場が露出している部分が見える。
このことは探索時点で把握していなかったが、本編冒頭で解説した、平成13(2001)年10月4日に通行中の乗用車1台が巻き込まれた岩盤崩壊災害が発生した現場がここだった。
もしこの人命を損なう災害が発生しなければ、仁頃トンネルや新佐呂間トンネルの完成は、もう少し後になっていたかと思う。
これも探索後に北海道新聞のバックナンバー(どうしんDB)で調べたことだが、災害発生後の全面通行止は翌年平成14(2002)年の4月中旬に、応急復旧路である約300mの仮設道路が対岸に開通するまで継続し、応急復旧路による通行は、仁頃トンネルが開通する平成15(2003)年12月12日まで継続したという。応急復旧路は日中のみ通行可能で、夜間は閉鎖されていたらしい。
応急復旧路のことも現地では知らなかったので意識を向けなかったが、1mメッシュの赤色立体地図を見ると、確かに対岸に平場がある。
しかし、あくまでも応急仮設路ということで、利用終了後は仮設橋など全ての構造物が撤去されたようである。
写真も未発見だが、どんな道だったか覚えている方がいたら、ぜひコメントで教えて欲しい。
レポート公開後、応急復旧路を通ったことがあるという自己満足北海道withみとぶら(X:@selfhokkaido)氏より、当時の貴重な写真をご提供をいただくことが出来たので紹介しよう。
右に掲載した2枚が、それである。
私と同じく北見→佐呂間方向の撮影で、信号待ちをする車列の向こうに見えるのが崩壊現場だ。
道路交通法の信号機による片側交互通行が行われていたことが分かる。
チェンジ後の画像は、信号が青に変わって進んでいくシーンである。
より崩壊地が間近に見えている。
応急復旧路は、川の上へ大きく張り出すように、迂回していたことが見て取れる。
応急復旧路が使われていた期間は2年足らずであり、かつ写真に写っている路面は、今では完全に盛土の下になっているのであり、とても貴重な写真である。
15:51
災害現場へ近づくと、路上を埋めて乗用車を川底へ押し流したという膨大な瓦礫は取り除かれており、別の由来を持つ大量の残土(トンネル残土と見られる)の山が積まれていた。
この盛土が敢えて溝形に造られているのは、万が一再度の岩盤崩壊があったときに土砂が川へ流れ込むことを少しでも阻止しようという考えからだろう。もう道路が被災する心配はないが、川が堰き止められるのは避けたいはず。
チェンジ後の画像は、盛土の上から見上げた崩壊斜面である。
だいぶ緑化は進んでいるようだ。
しかし考えてもみれば、この目に優しい緑の鮮やかさは、作為的なものなのだろう。
私が想像しているように、これが4000mも掘った地中の岩石だとしたら、こんなにすんなり草が茂るはずがない。
要するに、これは単なる残土処分ではなく、廃道の緑化を兼ねた手の込んだ仕事ということだと思う。
15:53 《現在地》/海抜235m
そして、入口から約1kmにて、2本目の橋に辿り着いた。
前回の「北正橋」とよく似た外観と規模の橋で、やはり同じように“橋だけ”が元の姿を留めていた。
4枚の扁額が健在で、それによると、「北仁橋」「きたにはし」「ルクシニコロ川」「昭和63年10月完成」であった。
昭和から平成に時代が移り変わるようなタイミングで、この周辺区間の橋の架け替えが行われていたことが分かる。
橋を渡ると、再び残土の土。
今までで一番、“新しそう”な残土だった。
チェンジ後の画像は、撮影しながら考えたよ。
「これは、どこを進むのが一番楽なんだろうか」と。
決め手に欠けたが、結局盛土の上を進むことを選んだ。
15:58
フキ盛り盛りの盛土の山をしばらく進むと、150m先に仁頃トンネル西口のエリマキトカゲのような後ろ姿が見えてきた。
前哨戦と位置づけていた仁頃トンネル旧道区間――思いのほか普通じゃない状況に変貌していた――の終わりである。
短い区間ではあったが、ほぼ全身が没するような濡れた草を掻き分けて進んだことで、雨具(と呼ばれている装備)を浸透して両腕がびしょ濡れになってしまった。
体幹はまだ大丈夫だが、前哨戦にしては、思いのほか、濡らされてしまった。
それでも、今一番大事にしたい“時間”については、必要以上には消費しなかったと思う。道の状況を考えれば、ほぼ最速で突破したと自負したい。
さあ、本題へ向かうぞ!
16:00
最後は見慣れたバリケードの脇をすり抜けて、仁頃トンネル旧道区間(1.3km)の突破を完了。
25分ぶりに、現道へ復帰した。
16:01 《現在地》/海抜245m
現道復帰。
SMD26の表記だと、この合流地点から500m進んだ地点で、新佐呂間トンネルの旧道が右へ分岐するように描かれている。
が、それよりもだいぶ手前の位置(ここから250mくらい先)に、見るからに旧道らしい分岐が見えた。
16:03 《現在地》/海抜255m
これだな旧道の入口は。間違いない。
SMDの表記は、初っ端から誤りだ。
分岐を描いている位置に分岐は無く、ここにある。
そして冒頭でも述べたとおり、地理院地図については、北見市側の旧道を全く描いていない。当然分岐も無しである。
一応、道形としては旧道へ入れるように用意されているが、ゲートが鎖されているし、本来の道幅でもないようだ。
新佐呂間トンネル旧道、突入!
16:05
はっや! 早ッ!!
もう来た! 新佐呂間トンネルの東口!!
さすがは、全長4110mという、北海道第7位の長トンだ。
峠を登るという汗を一つもかかず、ちょっと山脚にちょっかいを出された瞬間に、遙かなる地底へ引きこもりやがった。
しかも、4kmもあるトンネルならさぞ高い峠なのかと思いきや、どういうわけかどの地図を見ても峠の頂上に注記がなく、佐呂間町側へずっと下った小尾根に「ルクシ峠」の注記を持つこのルクシ峠、旧旧道の頂上でも450mの標高しかなく、現在地との比高は200m足らず。ハッキリ言って、高さ的には鼻唄レベルだ。道のりも、高さなりの長さしかない。
なのに4km!! ほんの20年ちょっと前に長さ1651mのサロマトンネルによる旧道が完成しているのに、それを捨てて4km!!!
既に述べた通り、ここは一般道路ではありつつも、遠軽北見道路という高規格道路の開通済み区間でもあるから、仮にここがいわゆる「高速道路」なら、贅沢なトンネルも違和感はないと思う。
とはいえだよ、やっぱりこういうことも思っちゃう。
“ヨサク”にも、4kmのトンネル掘ってあげて〜!!! って。
……そう思わない? 利用度が違う? 全然関係ない? まあそうだけど…。
16:07 《現在地》/海抜265m
ゲートの閉じた入口から150m、現道沿いの狭い砂利道を進むと、本来の旧国道の路面が現れた。
ここから先が、本当の旧道だ。
新佐呂間トンネルが開通した平成21(2009)年3月14日から、おそらくずっと封鎖されている。
そして、ちょうどこのタイミングで空が重荷を投棄し始めた。
最初から本降りを予感させる大きな粒が、ボタボタと音を立てて落ちてきた。
覚悟はしていたが、本格的な旧道探索を始める矢先に、始まってしまった。
前述した通り、さほど高い峠でも、遠い峠でも、険しい峠でもないというのは救いであるし、それを認識のうえで、雨天上等の気持ちで探索を始めてはいたが…。
16:11 /海抜290m
首から提げた一眼レフカメラを、首から提げた防水バッグに放り込んで、前進を再開。
こうなると、カメラを取り出して撮影するのが面倒で、頻度が減る。
さらに土砂降りになると、時々カメラを出すのも壊すリスクになるから、防水スマホ(TORQUE)での撮影に切り換える。
最近はそのようにして、出来るだけカメラを壊さず、雨の日の探索をこなしている。
約4分で400m、車通りが全く失せた2車線舗装道路を上っていくと、なにやら障害物まみれの分岐地点が見えてきた。
ここが、旧道と旧旧道の分岐地点だ。
ここで、旧道と、旧旧道が分かれる。
今まで説明していなかったが、私が考えてきた探索プランは、以下の通り。
まずは、旧道を探索する。
おそらく、旧道のサロマトンネルは封鎖されている(情報はないが、北海道の廃トンネル事情的に、ほぼ確実)から、その坑口をタッチしたら、この分岐まで引き返してくる。
その後、改めて旧旧道でルクシ峠を越えて、佐呂間町側の旧道へアプローチするという流れ。
――我ながら、完璧なプラン。
……だと思ったんだが……
またこれか…。
最初は新鮮な眺めで面白いと思うところも少しだけあった道路上の盛土だが、
本来の路面が見えないのは、やっぱり嬉しくないッ!!
盛土反対ッッ!!!……なんて言っても届くわけもなく、まあ仕方ない…。
一方、こちらは旧旧道。
幸い、旧旧道の方は、盛り土に覆われている感じはしない。荒れているかどうかは、まだ分からないが。
あと、国道333号の“おにぎり”が1本、ここに捨てられていた。かわいそう。
事前の計画通り、まずは旧道から。
盛土の脇を迂回して、その向こう側へ。
マジか。
橋がない。
撤去されている。
トンネルが塞がれるのは、まだ分かるが、
橋をわざわざ撤去してあるのは、想定外過ぎたッ!
2023/6/7 15:37 《現在地》/海抜290m
すっごぃ遠いよ…。
廃道で、架かっていない橋の対岸を望むという経験自体は、結構多い。
主に林鉄とかで、落ちた木橋の対岸を望むみたいな。
でもこれ、木橋の規模じゃないし、過去イチじゃないかってくらい遠いよ、対岸が。
この眺めは、未成道と言われた方がしっくりくる。
街中の橋とか、大きな川に架かる橋だと、廃橋の桁を撤去するのは珍しくないが、この立地の橋が撤去されているとは思わなかった。
こんなに大きな古くも見えない橋が、桁も、橋脚さえも、跡形もないなんて……!
規模的に、橋脚が無い橋だったってことはないと思うが…。
誰か、この橋の在りし姿をご存知の方がいたら、教えて欲しい。
なお、橋の名前については、SMDに橋そのものと共に普通に描かれているので分かる。
「北陽橋」というようだ。
前回までに登場した旧道上の北正(ほくせい)橋、北仁(きたに)橋に続く、北陽(ほくよう)橋という共通点のあるネーミングで、竣工年もおそらく同年代だ。すなわち、この先のサロマトンネルを含む旧道の開通年が昭和63年とされているので、その頃に架けられた橋だろう。
北陽橋の形式は情報がなく不明だが、橋の長さは北海道開発協会の資料から分かった。全長120mであったらしい。
120mは長いよそりゃ。
橋がなくてポンと横断できる距離じゃない。ルクシニコロ川の谷も深いし……。
対岸に、ハッキリと旧道の続きが見えるのが、なんとも憎いが………。
これは探索の計画を考え直さなければならなくなった。
長さ120mの橋がない谷を横断するのは、ちょっとキツイ。
挑戦すれば不可能ではないかも知れないが、正直やりたくならない。
……雨だし、ここから谷底の流れが見えないくらい深い谷だし。
失われた北陽橋の向こうには、地図読みでなお1.1kmの旧道があり、その最後はサロマトンネルに終わっている。
しかし何度も言うように、サロマトンネルが解放されている可能性はないと思う。
SMDではなぜか描かれているけど、地理院地図では旧道もトンネルも全く描かれていないし、橋を撤去する対応をしておいて、トンネルフリーはあり得ないだろう。
どうする? あまり時間はないぞ。(完全日没まで2時間半)
景色を白く煙らせる雨に打たれながら、策を練った。
私は「困ったなぁ」という顔をしながらも、内心、予想を超えて抗ってくる旧道に、燃えていた。
あの遠い対岸を征服する瞬間が、とても楽しみだった。 やってやる。
方針決定、行動開始。
16:15
旧旧道へGOだ!
これが、北陽橋の袂から分岐する旧旧道の入口だ。
昭和63年まで使われていた国道333号であり、現道から見て2世代前の道。
ただの林道よりは幅広な感じだが、初っ端から未舗装である。
まさか、旧旧道は未舗装だったのだろうか。
なお、錆び付いたゲートの門柱が残っていたが、肝心のゲートはなぜか撤去されていた。
旧道からそのまま入ることが出来る。
他に通行を規制するような表示物も見当たらない。
旧旧道は、本当に未舗装だったらしい。
路面には砂利が敷かれているが、全体に草が生え始めていて、新しい轍は全然無かった。
だが、自転車で漕ぎ進むことが出来るくらいの草の量である。
私は、この旧旧道が未舗装路だったことに少なからず驚いた。
こんな未舗装国道が20年そこらで2回も代替わりして、4km越えの高速道路のような現道にまで育っているという、急激な変化に驚いた。
16:17
道路標識を発見。
全体が錆色に変化した、やや小ぶりな落石注意の警戒標識だった。
「開発局」のシールが貼られた支柱表面の樹脂が割けていて、標識板とともに年季を感じる。
オブローダーが萌えることができる、イイ道路標識である。
路面全体に草が生えているものの、意外なほど荒れていない。倒木とか、落石、あるいは洗掘、砂利の流入など、路体の崩壊がほとんど見られない。そのため、自転車から降りずに済んでいる。それが有り難かった。
一定の勾配を維持しながらルクシニコロ川左岸の高い山腹をトラバースする緑色の旧旧道を、“旧道踏破”の野望を胸に、黙々と漕ぎ進んだ。
16:22
旧旧道を500mくらい進んだところに、深い切り通しがあった。
この道の印象だが、ボロい道路標識や、砂利道であるということ“以上”の古さが、感じられなかった。
切り通しの法面の重機で均された表面とか、石垣の類が全く見当たらないこととか、砂利道なのに2車線取れそうな道幅であるとか、石仏のような故物が一切無いこととか、目に付く全ての要素が、「この旧旧道はそんなに古くない」と語っていた。
16:29
旧旧道の路肩には、ほぼ常時ルクシニコロ川の谷が開いていたが、樹木が茂っていて、谷底は見通せない。
地図上ではこの谷底に近い対岸に旧道があるが、当然そこから車の音はしないし、存在を窺わせるものがない。
橋の喪失というイベント以来、外界から完全に隔絶されていると考えられる旧道は、神秘に満ちていて、私をとても強く惹きつけた。
現役時代に一度でも通っていたら、ここまで夢を抱くことはなかっただろう。
道は荒れていないと書いたが、それとは裏腹に、森に還りつつあった。
荒れていない路面に、拾われなかったドングリから生えだしてきた若い樹木が、順調に育ちつつあった。
妙に背丈が低い道路標識は、もう路上の木に背丈を抜かれていた。
16:35
旧旧道を約1km前進した。それだけ峠に近づいたし、高度も上がった。
ここで初めて谷側の視界が大きく開け、そこから、対岸の旧道の路面が、わずかに垣間見えた。
まるで旧道から見る現道のような眺めだったが、あの道はもう、“こちら側”の存在で…。
世界から切り離された旧道が、私を誘う。
こんなのぞき見だけでは到底物足りぬ、蠱惑の道が。
16:40 《現在地》/海抜390m
北陽橋袂から旧旧道を約1.5km前進し、旧道のサロマトンネル北見側坑口のほぼ直上へ到達した。
私はここから旧道へ下降しようと思う。
地図上、坑口までの高度差は50m、距離にして130mほどだ。
この場所を下降点に選んだ理由は、ルクシニコロ川の流れを渡らずに辿り着ける唯一の場所だから。
私が探索中使用しているGPS機器は少し古く、インストールされた地形図も平成13(2001)年版である。
その地図の中では旧道がまだ現役で、そこでは上図のように、坑口は川の左岸に描かれていた。
従って、ここから下降するのが最も近いと、合理的に判断できた。
16:41
私は直ちに自転車をガードロープに預け、それを跨ぐ。そして道なき斜面へと躍り出る。
この“一線を越える”行動が、息の絶えた旧道に、私が辿り着ける唯一の手段だった。
雨は、降り続いていた。
16:43
当然、道など無い。そして、地図の通りの急斜面。
下り着くべき目的地は全然見えなかったが、GPSではすぐそこに見えていることが、最大の頼りであった。
雨の夕暮れに、こんな斜面を滑り落ちるみたいに下っている。
これが突飛な行動であることは自覚していたが、こうまでしないと辿り着けない旧道には、それだけの辿り着くべき価値がある。それが私の中の価値判断だ。
16:45
数分後、道なき斜面から、道なき谷底へと、場面が変わった。
私の右手に、コンクリート水路となったルクシニコロ川の流れがあった。
こんな山の中でコンクリート水路があることが、目指す場所に近いことを物語っていた。
ここは坑口のすぐ上流であり、このまま谷沿いを下って行けば目的地があるはずだ。
坑口を背撃成功!
これが懸絶の旧国道。
我サロマトンネル西口に顕現せり!
たのし〜〜〜〜!!!
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