道路レポート 国道333号新佐呂間トンネル旧道・旧旧道 第3回

所在地 北海道北見市〜佐呂間町
探索日 2023.06.07
公開日 2026.10.04

 サロマトンネル北見側坑口の現状


2023/6/7 16:46 《現在地》/海抜340m

閉じられていました。



残念だが、これは予想通り。

しかし、ただの廃止からの埋め戻しとは違った閉じ方をされているように見える。

語弊を恐れず申し上げれば、悪の秘密アジトであるとか、悪の秘密工場みたいな雰囲気を醸している。

だって、ここへ来る道はないんだよ……。いったい誰に向かって「サロマトンネル」を掲げているの?

「サロマトンネル」を隠れ蓑にした何かじゃないの?



……なんてことを面白半分に思ったのが、ファーストインプレッション。



ベルマウス式の坑門に、それを塞ぐコンクリートの壁と門扉が増設されていた。

鉄製の双扉は大型車両も通れるほどの大きさがあるが、当然のように施錠されていて、ビクともしなかった。
ただ、どのように施錠しているのかは分からない。
というか、開閉するための把手も施錠装置も見当たらないため、押して駄目なら引いてみることさえ出来ない“鉄壁”ぶり。



なお、扉の向こう側にはちゃんと空洞があるようだ。
扉の召し合わせに1cmほどの隙間があり、そこからわずかに内部を見ることができた。

とはいえ、空洞があるという以上のことは何も分からない。
風も通ってはいなかったし、出口の光も見えなかった。

なおこの旧トンネル、正式名「サロマトンネル」は、冒頭から述べているとおり、全長1651mという規模を持っているのだが、これは国内にある廃止された道路トンネルの中で一番長い可能性がある。

ここで「日本最長の廃止道路トンネル!」……と賑やかに宣言しないのは、私の認識が全国を網羅していないからで、もっと長い道路用の廃止トンネルをご存知の方がいたら、どうかご指摘をいただきたい。そして、今後も上記が修正されない期間が長くなれば、私は最終的に事実だと見做すようになると思う。(ちなみに、以前探索した「ガマタトンネル」は2060mもある廃止トンネルだが、その大部分は「浜益トンネル」の一部に転生しているので除外した)



「サロマトンネル」の立派な扁額が、さも当然のような顔をして門扉上部の壁に取りつけられているのであるが、この取り付け位置は現役当時あり得ない。
そもそも、ベウマウス式という、このような大きな扁額を取りつける平面を持たない坑門に、どうやって取り付けていたのかという疑問が湧く。
まさか、トンネルが廃止されて門扉を作る時に、わざわざそれ用の扁額を新造したわけではあるまい。



一縷の望みッ!


…………がッ

ダメッ!!

通用口と思しき小扉も用意されていたのだが、こちらも把手なく錠前なく、解放の手掛かりなし。完全封殺。

まあ、ここまでは予想済み。

むしろメインはこっからさ。




16:47

これこれ! これが歩きたかった道。私だけの道。

昔からの当サイト読者さまなら、私がこういう“孤島的道路”のシチュエーションが如何に好きか、十分にご存知だろう。

しかも嬉しいことに、路上への盛土がされてないじゃないか!
廃止日(新佐呂間トンネル開通日である平成21(2009)年3月14日)の国道路面が、そのままに残っている……ような感じがする。
流石に現役国道の路面には見えないが、その変化は全て、廃止から本日まで14年余りの年月経過によるものかと。

なお、ちょうどこのタイミング、ベルマウス式坑口の庇から路上へ躍り出ようとしたところで、雨の降り方が一段も二段も強くなった。
雨脚で景色が白むほどの、いわゆる土砂降りになったのである。
これはまるで、十数年ぶりに人を宿らせたサロマトンネルが、遣らずの雨を降らせたようであった。

私はそこで一計を案じた。
背負っていた荷物を下ろして、坑口前の雨が当たらない場所に置いていくことにしたのだ。
濡れて困るものは入っていないが、濡れて重くなるだけ損だ。どうせ戻ってくるので、身軽になることにした。これなら坑口も寂しくなかろうしな。

土砂降りの孤立旧道へ、いざ出陣!



そしてすぐに振り返り。

仰ぎ見る“悪の秘密基地”感イイネ!

しかしまあ、この厳重かつ意味深な施設状況を見る限り、この日本一長いかもしれない廃道路トンネルの内部は、廃止後も何かの用途に使われ(た/ている/ようとしている)ようだ。
この辺りは、机上調査で調べることにしよう。



チョイ引きで。

私が残してきたリュックの大きさが皆さん分からないだろうからサイズ比較になりづらいので(苦笑)、資料に記録されている断面のデータを申し上げれば、全幅8.5m(車道6m、路肩1m、監査鋪装1.5m)、有効高6.0mというもので、これは現代における国道のトンネルとして必要十分なものだと思う。

何度も書いているが、この規模のトンネルがわずか20年ほどしか現役でなかったことは、全国的なトンネルの平均寿命は分からないけれど、間違いなく特異に短いはずだ。 一応その代替わりの理由としては、冒頭紹介したような人命重視の説明がなされており、それはその通りで間違いはないのだろうが、数字的に異例であることもまた事実である。




『北海道の道路トンネル 第2集』


(↑)これが、現役当時のこの坑口の写真である。

平成5(1993)年発行の『北海道の道路トンネル 第2集』に掲載された写真なので、開通から5年以内の風景である。
特徴的なベルマウス式坑口はもちろん、坑門両側の化粧壁や、周囲に植栽されていたモミ?か何かの樹木にも面影がある。枯れてしまったものもあるようだが。
そして、扁額の取りつけ方法が目から鱗だった。

トンネル断面の有効高6.0mを越えた、天井附近の余剰断面(デッドスペース)に、扁額とトンネル信号が取りつけられていた。
この場所にトンネル信号があるのは良く見るが、扁額があるのは珍しい気がしたので、少し調べてみると、同書に掲載された同年代のトンネル65本のうち、扁額をこのように取り付けているものは5本あり(何れもベルマウス式坑口)、サロマトンネル以外の4本は全て、道道1号小樽定山渓線のさっぽろ湖畔にあるトンネル群であった(かつこれらは現役)。調査範囲は狭いが、そこそこレアな取り付け方だと思う。

……と、話が脱線したが、このようにデッドスペースに取りつけられていた扁額が、坑口の閉塞壁へ移設されていたのである。
セロテープで貼ってってワケにはいかないだろうから、手の込んだ移設である。



さらにさらに引いて、なかなか強烈なバンクが効いたトンネル前のカーブを振り返る。
こうしたバンクの存在も、現代らしい道路設計を感じられる。

上り坂の頂上に、トンネルがある。
いまだかつて何度見たか分からない典型の眺めだが、そのトンネルに今回のような近づき方をしたのは珍しく、新鮮な眺めと気分だった。

チェンジ後の画像には、私が自転車を残してきた旧旧道との位置関係を示している。
旧道から旧旧道は、はっきりとは見えないものの、樹木の切れ目程度には、なんとなく認識できる。



16:53 《現在地》

のわーーーー。

ピットみたいな線形で本線と接続する、めっちゃ広い駐車帯ある!

かっけええ!!!

雨のサーキットのピットレーン、好きな人って多いと思うんだけど、私もその一人。
晴天の喧騒とは全く異なる、冷たく研ぎ澄まされた独特の情緒のようなものがあると思っていて…。つうか、ここにそれを感じるッ!!

そしてここは間違いなく廃道だ。そんな場所にある、いかにも北の道らしい針葉樹の植栽が、良い味を出している。
人に安らぎを与えるために植え込まれた樹木たちなのに、人の都合で野生の環境へと放り出されてしまった哀感が、たまらんな!
雨に煙る廃道の風景として、こんなにグッとくるワンシーンは……

うう〜〜〜ん 最高!!



見てこれこの木、こんなんなっちゃってる!

手入れされなくなって、幹が折れてしまっている。
普通、こうなったら撤去されるんだろう。街路樹であれば。
でも、こいつは負けてない。折れた幹のまま、なおも育とうとしているだけでなく、下を見てくれ下!
ハイマツかってくらい、這っている。
樹種は知らないが、街路樹でも手入れしないと、こんな風に世界を埋め尽くし始めるんだな。全く強い子たちだ。



本当に広い駐車帯だ。
緩やかにカーブし、かつ坂道で傾斜している本線と、植栽帯を挟んで200m以上も同じ線形で並走している。
そして、積雪地の長い峠のトンネルの前に用意された大きな駐車帯といえば、最大の役割はチェーン着脱所であろう。
この探索の出発地で車をデポしてきた現道上の駐車帯も、ここと同じくらい広かったが、同じ役割だと思う。

そんな広大なスペースに、その広さと比べれば僅かな占有率だが、仮に私の家に収容するとなれば置ききれない量の建設資材や道路管理資材らしきものが存置されていた。
この場所が、廃道後も管理されている感じは、正直しない。



もともとこの道に設置されていた道路標識は、一旦全て撤去されて集められたのだろう。
そして、回収されたのだと思うが、なぜかこの一組2枚だけ、忘れられていた。



こんなにも寂しいことって、ある?

賑わった道路だからこそ、廃道になった後のギャップが激しいわけだが、

廃道もこんなに綺麗に残っていると、諦めが付きづらいというか…、

道が、己の境遇ってものを、まだ信じ切れないんじゃないかって思っちゃう。

なんかまた役割が与えられるんじゃないかって期待してたりさ…。



隅っこまで来た。一番下側の隅。
そしてそこに、一番の大物が、取り残されていた。1個で軽自動車1台分くらいの占有面積があるやつが2個!

「チェーン着脱所」の表示がなされた、可変表示板だ。
昔ながらのロールスクリーンタイプの。
支柱からは外して下ろしたが、ここから運び出すのは、止めたらしい。
要らなくなっちゃった? 



16:59 《現在地》

おおよそ250mにわたって続いた、まるでピットレーンのような駐車帯の終わりに辿り着いた。

北陽橋とサロマトンネルに挟まれた、隔絶された旧道の長さは、約1.1km。

この時点で、おおよそ500mを実踏により確かめた。




 索漠とした抜け殻の旧道


2023/6/7 16:59 《現在地》/海抜330m 

道としての規格の高さを存分に感じさせてくれた巨大な駐車帯(チェーン着脱所)の北見側端部まで、やって来た。

旧道はまだ続いているが、ここに、道を塞ぐ鋼管のバリケードが設置されていた。

現状、このバリケードに接する者は、トンネルの鍵を持つ関係者くらいだと思うが、それでもわざわざ封鎖されているワケは――



マジかよ、ここもか。

またも橋が撤去されている!



手元の地図上(SMD)には、この先に「ルクシ橋」という名の橋が描かれているが、それが明らかに架かっていないというのが、この位置からでも分かる。架かっているなら絶対に見えていなければならない桁が見えないのは、そういうことだろう。

この展開は、「北陽橋」の撤去を目の当たりにした時点で予期すべきだったのかもしれないが、正直、ルクシ橋がこんな大きな橋だと思っていなかったところに、誤解があった。小さな橋だから、仮に撤去されていても問題なく進めるだろうし、そもそも小さな橋をわざわざ撤去しないだろうと思っていたのだが…… 小さくないぞ、この橋無き谷は!

橋が無いことと比べれば、橋台背面の路体が大崩壊していることなど、些細な問題であった。
崩壊は迂回出来るが、橋が無いのは迂回困難?!




この築堤の崩壊は、廃道化した後に発生したのだと思う。
おそらく最初は法肩が少し流れた程度の崩壊だったのだろうが、その後も人の手を加えなかった結果、大雨ごとに路上を流れた大量の水が崩壊部に集まり、洗掘と崩壊の連鎖状態になってしまったようだ。
いずれどこかで安定はするのだろうが、人の手を入れない道がどのように崩れていくのかを試す実験場のような風景だった。




17:00

対岸橋台の遠さに、思わず笑いがwwwww

北陽橋でも思ったが、ほんと橋台だけ作って工事を中止した未成道みたいな眺め。

橋台だけが残っていて、桁だけではなく橋脚までをも、完全に掘り起こして撤去したらしい。

びっくりだよこの撤去の徹底ぶりは。なぜなんだ? いつもは、ここまでしないじゃないか。



これは、行くっきゃないでしょ!

ここで行かないを選ぶくらいなら、そもそも旧旧道から下降なんてしなかった!

ルクシニコロ川の支流である地図上無名の谷底へ、築堤の濡れ草を掻き分け掻き分け、下って行く。
土砂降り。そして、日没まで残り2時間というコンディション。
ホント真似はしない方がいい。馬鹿のやることやってる自覚あり。



谷底に近づくと、そこには胸丈に雑草が生い茂る、平坦な土地があった。人工物はまったくない。

雨音と、沢音で、周囲がざわざわしているが、最大限感覚を研ぎ澄ませ、慎重に気配を窺いながら行動した。
夕暮れの雨は、日中の晴天よりも明らかにクマの活動性が高いとされるコンディションだ。
音と煙とスプレーと、北海道で山仕事をする人達の装備を真似てはいるが、リスクは常にある。



17:03

幸い、谷を流れる水はまだ濁っておらず、徒渉するのに問題は無かった。

ここから今度は、斜面を登り始める。



まるでケモノになったみたいだぜ。

巨大フキの斜面に全身を潜り込ませながら、四つん這いで攀じ登る。わっしわし!!



17:05

よっしゃぁあああ!!!

5分間、道なき道を歩き、無事対岸に辿り着く。



17:06 《現在地》

見よ、対岸橋台の遠さ!
こんなに長い橋の跡地を正面から突破したのって、地味に初めてだったりしない?

長さの割に、そこまで谷が深くないのは救いだったが、いまここで少し気を抜いて時間を無駄に使ったり、疲れが噴出して長めの休みを採ったりしたら、その時点で、“夜の廃道”という名の監獄へ収監される認識があったので、緊張感が途切れなかった。
なにせ、私は自ら進んで牢の奥へ奥へと入り込んでいる。キビキビ動かないとマズイ。いくら廃道好きだって、イヤだよこんな場所での夜!

早く残りの区間を歩ききって、ここから脱出するぞ!!!



そうそう! 複数の読者さんが見つけてくれた! ネットの海から、この橋の在りし日の姿を!

出典は、北海道土木技術会鋼道路橋研究委員会が平成2(1990)年に発行した、『北海道鋼道路橋写真集 第6巻』という資料だ。
副題が「昭和59年度〜昭和62年度」となっているように、この年代に架設された道内綱道路橋の写真集である。
『北海道の道路トンネル』もそうだが、なぜか北海道はこういう贅沢でマニアックな資料が刊行されている。
そして、発行者のサイトに内容が公開されているので、見ることができた。

上の写真が、現役当時のルクシ橋である。
昭和62(1987)年度完成、全長134m、全幅8.5m、5径間の曲線橋であった。
こんな巨大な橋が、橋台以外の何をも残さず姿を消している。
サロマトンネルと同様、20年ほどしか使われなかった構造物だが、昔の鉄道用PGのように桁を別へ転用することは出来ないから、スクラップにされたのだろう。



あまりにも平然と。何事もなかったみたいに道が続いている。

この場所は、ルクシ橋と北陽橋という桁のない橋に前後を挟まれた、どこまでも行き場の無い道だ。
そのことが分かっているだけに、眺めが一層と心に迫った。
まるで滑走路のように孤立しているのに、坂道であることが、峠を越えるという元来の使命の名残になっている。
単に鋪装された2車線道路というだけでなく、線形がとても良い。そして視距も長い。沿道に除排雪のために樹木のない広い空間がとられているお陰である。

これほど高規格な道であっても、その場所で役目を終えたと判断されれば、冷徹に棄てられるのみ。
他の場所に敷き直したり、使い回せないのが、道の理。



17:08

繋がりを断たれた世界で、悲しい名残を見つけてしまった。

「155」という数字を刻んだ、キロポストを発見!

国道333号は、旭川市と北見市を結ぶ総延長169.9kmの路線(これは現在の数字)であるが、この場所は旭川起点155kmだったのだろう。



遠くまで見えることは、ドライバーにとっては間違いなく良いことだが、ゴールに背を向けて行動している間は、これが苦しい。
一歩進めば、一歩遠ざかる。その積み重ねを、露骨に見せつけられている。
坂が、雨が、時間が、その全てが私を急いた。
慌てて走り出したい衝動にも何度か駆られた。
ぐっと耐えながら、明確に一つだけ用意されている“引き返せる瞬間”を、待った。



見えた〜〜〜。末端だ〜〜。

北陽橋の“対岸”が、間もなくだ。



先に、『北海道鋼道路橋写真集 第6巻』に掲載された、北陽橋の姿をどうぞ。

在りし日の北陽橋。
昭和62(1987)年度完成、全長120m、全幅8.5m、4径間の曲線橋であった。
今も普通に架かっていそうな、端正な橋の姿だ。



17:13 《現在地》/海抜295m

辿り着いた。

サーキットのようであり、滑走路のようでもあった、孤立廃道の末端。
サロマトンネル東口から1.1km、峠を逆走してやって来た。
この間に標高は約50m下がり、所要時間は坑口出発から26分だった。

対岸へ、お〜い!と呼びかける気持ちにもならないくらい、寂しいところ。
声など出したら、出した分だけ寂しさで埋め尽くされるぞ。
周りを見ても、観察したいようなものは特にない。
橋台だけがある、道路の抜け殻のような場だ。なんでこんな場所に来たんだろうとは、少しだけ思った(苦笑)。

路面と橋台以外のいわゆる道路の付属物……例えば標識やガードレールなんかは、見える限り全て撤去されていた。
そういう方針で、しっかり撤収作業をしたのだ。突然廃止された道ではないので、ちゃんとしていた。
いま残っているものは、本当の意味で放棄されたものなのだから、そりゃあ寂しいわけだった。



17:13 (到着と同時)

直ちに引き返す。

これより、上りに抗わねばならない。完全日没まで残り1時間50分。







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