道路レポート 東京都道236号青ヶ島循環線 青宝トンネル旧道 最終回

所在地 東京都青ヶ島村
探索日 2016.03.05
公開日 2017.12.26

分岐地点は、“天然”の完全閉鎖?!


12:12 《現在地》 

辿り着いた海抜80mの分岐地点。
三宝港(青宝トンネル南口)から、“日本最凶”ではないかと思われる急勾配でもって駆け上がってきた都道は、ここで進路を180度転換している。

そんな厳しい線形を少しでも緩和するためか、この前後だけは勾配が緩やかで、かつ2車線分に匹敵するくらいの道幅が確保されているが、非常に急な斜面上でのことであるから、拡幅するにも土地の確保は容易ではない。したがって、道の周囲は垂直に近いコンクリートの擁壁でガチガチに固めらる状況になっており、これが男子心をくすぐった。
前回書いた“継ぎ接ぎ”の道路風景の最たる眺めであろう。




そして、道を“強化する”作業は今も続けられている。

分岐地点の真上には、高層マンションほどもあろうかという巨岩が、オーバーハング気味に覆い被さってきているのだが(なんという憎たらしい自然の配剤だろう)、今やその全体がコンクリートの吹き付けによって固められ、さらには高級メロンのように鉄製の落石防止ネットが覆っていた。

だが、これだけしてもなお心許ないと思われたか、今度はその基部を補強するような大規模な治山工事が進められている模様である。
辺りには巨岩の前ではまるで模型のように見える工事用足場が組まれており、その内部で着々と工事が進められていた。この日(土曜日)も作業は続行中だった。



で さ、

ここは分岐だって言ったじゃない。



確かにここが、昨日途中で断念した残所(のこじょ)越の旧道の入口なんだけどさ、


それが……


酷いんだ。



こんななんだ。



道が見えないって?



大岩に塞がれてます。

まさしく、異次元の廃道封鎖方法…!

こんな落石、あってたまるかよ?! 笑えるほどピンポイントに道だけを封鎖する形になってて、
まるで意思のある巨人が置いていったみたいだが、路肩の防護壁が押しつぶされているので、
これが自然に落ちてきたままの姿であることは明白だった。



工事関係者のものとみられる軽トラ(ちなみに島内の車は品川ナンバー)と比較しても、この大きさ。
この先に旧道があるのだが、「廃道だから立ち入り禁止だよ」と言わんばかりの的確過ぎる落石の位置である。
しかし、前述した通り、これは意図的に置かれたモノではあり得ない。

というか、島に常備されている機械力だけでは、この岩を動かすことが出来ない気が。また、外から大型重機を持ち込もうにも、この現場まで連れてくるのがしんどそう。これはもう、復旧には爆破くらいしか考えられない気がするが、何もせず放置されているということは、廃道化後の被災かも知れない。

この落石の“犯人”は、言うまでもなく、頭上に張り出した例の巨巌だ。
こんなモノを予告なく落としてくるとか、野放しにしていたら都道の利用者は常に銃口を向けられているのに等しいわけで…、いま盛んに治山工事をしているのも納得である。
しかし、それにしてもだ。この島で人類が相手にしている敵の狙い澄ました凶悪さが、身に沁みる…。




見える!見えるぞ!!

昨日の断念地点である、おぞましい突端が!

しかし、この眺めの中の彼我を分かたる隔絶は、

地図上にある約250mの距離(高低差50mを含む)と比しても、極めて大きい!

そして、途中に道らしいものがほとんど見えないという、
非情の現実。



↑ こんなんだぞ!

この景色、どこの原始島だよ…!

道はどこまで自然に還っちまってんだ……。

それと、例の末端部を末端たらしめている崩壊の規模が、マジで半端なかった。
崩壊の下の方は、いずれ島を真っ二つにするのではないかと思えるほどの巨大な地割れになっていて、
根本的に復旧なんて無理だというのが分かる。崩壊地を跨ぐような橋を架けたとしても、やがて橋台ごと
地割れに呑み込まれる未来しか見えないのである。青宝トンネルの開通によって、
ようやく人は、この崖の永遠の責め苦から解放されたように思われる。

こんなもの、相手にするだけ時間と労力の無駄だったのに違いないのだが、
人が外輪山を貫くだけの力を蓄えるまでは、それもやむを得なかった。



「途中に道らしいものがほとんど見えない」と書いたが、わずかに痕跡を留めている場所はあるようだ。
未開の原野のように見える領域に目をこらすと、路肩の石垣らしいものが点々と存在しているし、見覚えのあるケーブルがその近くの岩場にしなだれかかっていた。
このケーブルは、昨日末端部に辿り着く直前に目にした簡易な索道施設(第6回)に関係するものと思われる。

この区間の探索は、次に島を訪れたときの課題に持ち越す。

この決断の理由は色々ある。
もう時間にあまり余裕がないので、どれだけ掛かるか予想が付かない廃道探索はリスクが高いと思ったこと。大岩を超えることがまず面倒で、その後は最初の一歩から猛烈な草藪が予想されたこと。苦労して挑んでも確実に撤退することが分かっていること。探索4日目の私が疲労困憊であったこと。すぐ頭上で治山工事をしている現場へ立ち入ることが躊躇われたこと。
そして、既に私が廃道について満腹になっていたこと。

…正直、廃道に関しての欲は無限だと思っていた自分が、この時ばかりは満たされていたということに、今さらながら驚く。
これを書いている今なら、時間ぎりぎりまでここで探索したいとか思っちゃうけど、現場の私は、この撤退の決断にほとんど未練を感じなかった。
いずれまた私は青ヶ島に行くだろうから、今回ここは見るだけにしておいてやる!



11:14 

というわけで、レポートの表題からはちょっと脱線してしまうが、ここからは少しだけ都道236号の上手ルートのレポートをする。
既に何度も述べている通り、この上手ルートの都道は途中に【大きな崩落】があるため、現在は通り抜けが出来ない。
その崩落地点は分岐から約400mの位置にあるので、行けるところまで行ってみようと思う。

分岐を背に前進をはじめると、再び急激な上り坂が襲いかかってきた。
勾配が緩いのは分岐前後の本当に短い区間だけである。
海抜80mの分岐地点から約2.5kmで村落に辿り着くが、集落は外輪山と海食崖に挟まれた海抜300m前後の高地に存在する。
この間の道は大半が上り坂であり、計算上の平均勾配は8.8%である。この数字は今までに較べればだいぶ緩やかに感じるが、それは認識が青ヶ島スペックに毒されつつある証拠である。




海風がビュービューと耳鳴りを誘う。
なんとも荒涼たる情景だが、その原因の半分くらいは、人が道路を整備するために、海岸からこの高度までの斜面の大半をコンクリートで覆ったからかもしれない。
急傾斜に人が克つためには、自然保護なんて生やさしい手心を加えている場合ではないというのが、よく分かる。

そういえば、青ヶ島には海沿いの平坦な道というものが本当に皆無である。
多くの島は港を中心に集落が発達している関係上、主な集落は低地にあり、海岸沿いに大きな道路があるのが普通である。
だが、青ヶ島は明らかに一線を画している。
集落の近くに港はなく、それどころか集落から一番離れた外輪山の反対側にあるという有様だ。
全ては事情があってのことだろうが、この港と集落の位置関係一つをとっても、この島の生活環境のハードモードっぷりが際立っていると思う。



11:16 《現在地》

分岐から約170m地点にある、遠くからもよく目立つ尾根上のカーブに到達した。海抜約90m。
青宝トンネルの南口および坑道の直上付近である。広場のようになっており、車のすれ違いが出来る。

ここに来ることで、いままで見えなかった領域の視界が一気に広がった。
それは前方だけでなく、上方、下方、そして後方までもを含む、全方位である。
欲張りの私は、それらを全てを記録しておきたいと思ったのである。

まずは、前方の眺め。
斜面にへばり付きながら、身をよじらせて急激に登っていく続く道の姿が続いている。そして、その行く手に横たわる“妙に白い斜面”が、問題の大崩壊現場である。
さらに先にも道が見えるが、途絶しているのである。あの現場まで、あと6〜700mだ。



そこから視線を下方へと転じれば、三宝港を一望とする絶景が。

島の玄関口として島内最重要の施設だけに、海岸沿いにまるで平地を持たない島内にあって唯一の例外として、人工的な平地が広がっている。
もっとも、かなり高い位置から見下ろしているから全体が平らに見えるだけで、実際は海上に突出している二つの埠頭の他は、かなりの段差を持って立体的に配置されている諸施設である。
しかも、膨大な投資の末に作り出した限りのある平地を最大限に活用すべく、青翔橋や船溜まりなどは高架となっていて、その下には地上部が存在しているのである。

ここまで手を加えてなお、未だに港湾施設としては甚だ不完全なのだという。
伊豆諸島の全ての有人島の中では唯一未だに大型客船が接岸が実現していないし、就航率も低い状態が続いている。
海も、山も、青ヶ島にはみな厳しい。
人の暮らしの隣に置くには美しすぎるほどの絶景の数々が、その対価か。



そのまま海岸線を見下ろしながら、左の方へ目を向けていくと…

通り終えた道の俯瞰が…!


↓↓↓


よくぞ通した道!

本当に凄まじい、九十九折りがよじ登る斜面の急さ! 上から見ると、もうほとんど垂直だ。

無理矢理にも程があるだろ…。海抜80m付近から海食崖を伝って港まで車道を下ろすことが、

かつてどれほど島民の頭を悩ませた難事業であったのか…、記録があるならぜひ知りたい。



そして、こちらにも度肝を抜かれる景観が…!

振り返って撮影した次の写真から、“昨日の断念地点”を探して欲しい。 …驚くと思う。

↓↓↓



なんという高低差だ! 唖然。

ここからだと旧道入口と断念地の間の高低差が、客観的に見えるのだが、

とにかく無茶としか感じられない。



50m近い高低差を埋めるために、どんな道が築かれていたのか。

可能性は一つしかない。

今も脚下にあるような●●げた九十九折りを、●●の一つ覚えのように、矢鱈目鱈と折り重ねていたのである。

昨日、断念地点から撮影した写真にも断片的に見えていたその痕跡が、こちらからもやはり断片として見ることが出来た。

画像の黄色の矢印は昨日探索した部分、赤は未探索領域だ。
段々の石垣や、ガードレールの支柱らしいものが見えるが、果たして近づくことが可能であるかはどうかは、やってみないと分からない…。



この●●げた九十九折りは、全部で何段あったのか?
遠望から分かるのは上部にある2段ほどだけで、その下にも半分以上の高低差が残っているが、下に行くほど地割れのような崩壊が大きくなっていることと角度の問題から、全容を目視することは不可能である。

しかし、この無茶な道もかつては大規模に保守されていたようで、現在の都道の周辺の斜面と同じように、海岸までの広い範囲の斜面にコンクリートの吹き付け工が施されていた形跡がある。今はそれを嘲るように、巨大な崩壊斜面が着々と広がり続けているが…。

生きるための必死がゆえに、限界を超えて斜面に九十九折りを重ね続け、それがために限界を超えて地形を痛めつけてしまった道は、結局はバベルの塔の寓話のように天の怒り、いや、地の怒りをかって、完膚なきまでに討ち滅ぼされたのだろうか。
九十九折りの有無など全く無関係に、ただ海食崖が自然に崩れただけかも知れないし、そもそも防ぐ術があったのかどうかも不明だが…。




呆気にとられてしまったが…、
気を、取り直して、続き、行こう。

尾根の広場を過ぎると、ご覧の通り。15%を優に超える猛烈な上り坂だ。
しかも、今までよりも道幅がかなり狭い。
軽トラだろうがなんだろうが、絶対にすれ違えないぎりぎりの道幅である。

今さらだが、これが都道であるというのは驚きだし、しかも港と集落を結ぶ幹線道路だというのだから恐ろしい。青宝トンネルの開通以降は、向こうがメインのルートになっているようだが、逆にそれまではこちらがメインだった。
滑り止めの溝が刻まれた舗装路面が今まで以上に古い色を帯びていることもあり、なんとも歴戦の雰囲気を感じさせる道である。




11:20 《現在地》

分岐から約300m、海抜110m付近の路傍に、一軒の建物があった。
地形図には描かれていないが、コンクリート製の頑丈そうで無骨な建造物だ。

近づいてみると、壁面に落書きとも思えないようなペンキの文字が書かれているのが目に留まった。
どんな意味があるのか、どことなく漂うアナーキーなムード。

荒唐無稽かも知れないが、私の中の印象としては“砦”だ。
村落へ近づく旅人に睨みを利かせる、そんな存在を思わせる。
猛烈な急坂の途中にあるために監視の目をすり抜けて行くことは不可能だし、ここを塞がれたら先へは行けない。



正面に回り込んでみると、思った以上に荒れていた。
扉も失われており、いわゆる廃墟であった。

ほとんど一部屋だけの小さな建物の内部は、なんと山側の壁や天井が落石に打ち破られていた。
外見以上に、内部は荒れ果てていたのである。
しかし、もともと内装があったような気配もなく、がらんどうである。住居や商店ではなく、倉庫か工場のような用途に使われていた感じがした。




建物の前も凄まじい急坂で、何かと不便そうである。
そして、路肩のガードレール越しに下を覗くと、まさに港の直上であった。
しかし高低差は100mを越える。直接往来する手段もない。

この廃墟の正体は現在もはっきりしていないが、何枚かの古い写真に写っていることを確認しており、それらの写真が正体を推測する手掛かりを与えてくれる。
例えば、次の写真――。




『黒潮に生きる東京・伊豆諸島』より転載。

この昭和57(1982)年に撮影された写真に写っているのは、間違いなくこの建物だ。

大波を避け路傍に引き揚げられた船(昭57)

港の直上にあるこの建物前の駐車スペースは、荒天時に港から漁船を引き揚げるための避難所として使われていたようだ。そして建物は港から船を引き揚げるためのウィンチ施設だったのだと思う。

現在の【高架式の船溜まり】が完成するまでは、【別の船揚場】が使われていたが、道を兼ねるあの場所だけではスペースが足りなかったのかも知れない。
とはいえ、ここは高さ100mだぞ…。
古写真だと、背後に海も見えるし、そこまで高い場所のようには見えないから“つっこみ”も入らないかも知れないが、私が撮った写真と比較して欲しい。
嵐の度にこんな高さまで漁船が引き揚げられるとか、青ヶ島ではそれが常識だったとしても……、異次元。



『黒潮に生きる東京・伊豆諸島』より転載。


同書から同じ建物が写り込んでいる写真をもう1枚。

青ヶ島村落と三宝港を結ぶ都道236号線(昭57)

…だそうです。

船があり、ドアの開いた軽トラがあり、生活の中のワンシーン感がとても出ているけれど、それを取り囲む自然環境だけが、洒落にならないレベルで厳しいです…。
軽トラの背後の道の勾配とか、何かの間違いかと思うレベル……。




で、これがその “何かの間違い” じみた坂道の上から振り返って撮影した、島の都道の風景だ。

晴れの日も、雨の日も、風の日も、港に用事あるならば、島民はこの道を車でバイクで自転車で、もちろん徒歩でも、何度も何度も往来したのであろう。
そんな日々が、長く長く続いてきた。

平穏な池之沢へと港への往来を移した青宝トンネルの開通が、島民にどれほどの幸せをもたらしたか。
たった1日を島で過ごし、あともう2時間足らずで島を出なければならない部外者ながら、私はこの間、道のことだけを考えてきた甲斐あって、島の宝を冠する意義を、実感できた気がする…。



11:26 《現在地》

分岐から440m、海抜120mなおも絶賛登りの最中!

1m漕ぎ進む度に止っても良いかと自問自答をしたくなる激坂道の
喘ぎ喘ぎ見上げる先に、活動する工事現場の気配が近づいてきた。見え隠れする重機。

平成19(2007)年の大崩落以来、9年目を迎える歴史ある都道復旧工事現場へと辿り着いた。
明らかに工事の槌音が聞こえているが、部外者が来る前提はない模様で、特に立ち入り禁止のゲートも表示も何もない。
とはいえ、私がこれ以上先へ進む理由もなかったので(それがなぜかはまた別のレポートで…)、ここで満足して引き返す。

港へ乗船手続きをしに行くぞ!



(乗船手続き開始まで 0:34)