隧道レポート 国道229号兜岩トンネル旧道 後編

所在地 北海道島牧村
探索日 2018.04.26
公開日 2021.07.17

 オコツナイシェッド、過去一狭いかもしれない孤立道路


2018/4/26 17:25 《現在地》

私は今、兜岩トンネル旧道の核心部を見ている。

ツブダラケトンネルもオコツナイトンネルも、坑口がコンクリートの長い覆道で延伸されており、両者を結ぶ短い中間部分もまた、別の覆道に守られていた。
完全に空を見ることを放棄した城塞の如き鉄壁の守りであった。
この旧道が崩壊に対する警戒と対策を決して怠っていなかったことがよく分かる。

だが、ここまでしても守りの力は足りなかったことが、眼前の光景によって証明されてしまった。
オコツナイトンネル南口延伸部の覆道を相当大規模な落石が直撃しており、覆道の一部が圧壊しているのが見える。
こうした事態から道を守ることを目的とした覆道だったはずだが、その耐久力を上回る、想定を越えた規模の崩壊だったのだろう。

崩壊が発生した正確な日時は不明だが、廃止後であることは確定している。
現在の兜岩トンネルが開通し、旧道が廃止されたのは、平成13(2001)年11月28日である。
それから12年後の平成25(2013)年7月28日にここを訪れた白雲 橙氏のブログ「みちいろ」のこちらのエントリ(ページの一番下)に、まだ崩れていない写真が掲載されているのである。

さらに、航空写真Google Earthの過去のイメージを見較べたところ、平成28(2016)年10月5日時点では崩れていないが、翌年平成29(2017)年5月25日の画像で崩れていることが判明! 崩壊時期は、平成28年秋から翌春にかけての約7ヶ月間にまで絞られた。
したがって、もしも新道への付け替えが史実よりも16年遅れていたら、確実に現役国道が崩壊に巻き込まれていたことが分かった。
事故を未然に回避した関係者の先見の明は、高く評価されるべきだろう。「コンクリートから人へ」の政策転換が行われる前だったのが、ここでは幸運だったのかも知れない。

なお、ここからは素人目線なので話半分に聞いて欲しいが、崩壊前後の写真を比較してみると、どの部分の岩がどのように崩れたかということが推定できた。
垂直に近い崖の表面が、縦にスライスされたように、てっぺんから下までまとまって崩れたようで、これは崩落の規模こそ違えども、平成9(1997)年8月に直近の白糸第二トンネルを襲った崩壊や、その前年の豊浜トンネル崩落事故と似た状況であったと思われる。おそらく、原因は崖上部の地表面から徐々に亀裂を通って岩体内部へ取り込まれた地下水が凍結と融解を繰り返すうちに亀裂を拡大させた為であり、このような崩れ方は予兆がほとんどないことから、災害危険度の高さが指摘されている。そのため、あらかじめリスクが高い場所を全面的に迂回する方法以外では対策が難しいというのが、昨今(特に豊浜トンネル事故以降)の基本方針になっている。



この先、波打ち際の狭い岩場を進んでいく必要がある。

幸い、ここは入江で波が低く、ギリギリの狭いところも通っていけるが、もっと荒れていたら無理だったろう。

ただ、進めたところで、道へ登れる場所があるのかが、ちょっと心配である。



これはツブダラケトンネルが岩盤へ突き刺さっていくシーンだ。
トンネルと覆道が完全に密着一体化しており、全く取り付く島がない。
下半分の傾斜が少し緩い部分は防波堤を兼ねた路下の擁壁で、上半分の垂直の部分が覆道の側壁である。

これからこのトンネルの北口到達を試みるが、もし北口も封鎖されていれば、トンネル内部を確かめる術は、永久に失われていることになる。
出来れば、閉塞工事がそこまで徹底されていないことを、願いたいが…。




完全無人の孤立空間と化したオコツナイシェッドを見上げる。
2本のトンネルに挟まれたこの構造物は、『後志の国道』によれば全長60mで、前記の名称もこの本による。
おそらくこの名前は、現地で案内されることがなかったと思う。当時の利用者目線としては、「兜岩トンネル」の中間部分にある短い窓程度の認識であったろう。

この短い区間の路上へ登る場所があるか不安だったが、どうやら奥の方に1箇所だけ階段がありそうだ。助かった。

しかしそれにしても、崩壊した崖は見るからに新しく、恐ろしさを感じる。
探索時は把握していなかったが、前述の通り、探索の前年か前々年の崩壊だということが判明している。もしかしたら、探索時においても現在進行中の崩壊地であったかもしれない。



“階段”のように思われた突起部分へ近づいている。
これがそうじゃないと、大変困ったことになりそうだ。
とてもじゃないが、この鼠返しのような防波堤を階段無しで登れそうにない。

背後に見える尖った岩は、だるま岩と呼ばれていたらしい。
仮に海の側がダルマさんの顔だとすると、背側の腰の高さに道路があった。しかし今は道路を埋め尽くした大量の落石が、その猫背を直撃して堆積している。なんとも重そうだ。

足元の周囲はいわゆる潮間帯の磯であり、凹んだところに青のりまみれの海水が溜まっている。
この写真の範囲内だと大変穏やかな海のようであるが――




外洋はご覧の通り相当荒れ始めていて、ときおり爆発のような飛沫を伴いながら、かなり傍まで波の先端が迫ってくる。

思えば、昨日のこの時間帯にも、ここから日本海を70km北上した雷電海岸で同じようなシチュエーションの探索をしていたが、波は間違いなく今日の方が高い。
波で帰り道が消えてしまいそうな想像が、常に頭の中に浮かんできて、はっきり言って心細かった。
ただでさえ、日暮れ前の焦りの時間だというのに。




これが、唯一の帰路である。

目に焼き付けておくだけでなく、写真にも撮って残しておかないと消えてしまうような、そんな漠然とした不安があった。
それほどまでに、ここに至る道は細く、波の機嫌次第で容易く命がけになるようなところだった。
おそらくこの翌日の波の高さだと、探索は困難だったと思う。




果たしてお前は、階段か?


そうであってくれ!




YES!階段!

私の孤立空間への立入が、これで実現する。

哀れ囚われの姫君よ、今助けに来たぞ!

騎士は足早に、Climb the stairs!




北海道開発局によって、私の行動は事前に察知されていた。

……かのような位置に、立入禁止を告げる看板が立っていたが、この看板自体は目新しくない。

いつ大規模な落石で圧壊するか分からない覆道とはいえ、屋外よりは圧倒的に安全であるはずだが、

絶対に管理責任を負いたくないという熱意が伝わってくる。




17:30 《現在地》

入城。

真っ先に目に飛び込んできた、灰色の2車線路面。

どこにでもある路面だが、こんな所にたった60mだけ世界から取り残されるなんて、悲劇だ。

そして、この瞬間に確認が終了。

ツブダラケトンネル北口、閉塞。

同トンネル内部の探索可能性の が確定した。



立ち位置を変えず、次は左を見る。




オコツナイトンネル南口も、同様に閉塞。

同トンネル内部の探索可能性の が確定。




Post from RICOH THETA. - Spherical Image - RICOH THETA

かつてこれほど狭い閉じた世界を体験したことがあったか。

ここに収められるものといえば、50m短距離走の専用コースくらいなものである。



狭い世界の隅々までを堪能する。
正面はツブダラケトンネル北口で、シェッドが邪魔をして一部しか見えないが、
開通当初からの状況なので、扁額を隠し持っていないと思う。銘板も見当らず。

もう誰も通らず、清掃など行われていないのに、路面は綺麗なままである。
やがて塩害や落石でシェッドが倒壊するまで、おそらく綺麗なままだろう。



長居は無用と訴えかけてくるような、疑似車窓の眺め。
屋根があり、照明はなく、外光の乏しい時間なので、当然薄暗いのだが、
このシェッドの部分には、もともと照明施設がなかったようである。



山側の支柱の1本に、恐ろしく錆の回った銘板を発見した。

オコツナイ兜岩トンネル
1977年3月
北海道開発局
(以下2行は判読不能)

読み取れた部分は上記のような内容であるが、名称部分もちょっと自信はない。
読み取れなかった下の2行は、テンプレ的には鋼材の制作者や、工事施工者名であろうか。



早くも、行ける場所がなくなってしまった。
最後は、オコツナイトンネル南口との対面である。
残念というべきではないだろうが、特筆するような特徴はない。


当時の新聞報道によると、平成13(2001)年11月28日の正午前に、新たな兜岩トンネルの通行が開始されたらしい。
この日の道南の天気は、前日に引き続き雪と記録されており、最高気温は4度ほどだったようだ。
寒空の元、賑やかな開通パレードの脇、いずれ起こるかも知れない崩壊を恐れられたまだ25歳の旧道は
ひっそりと引退。それから封鎖工事が完了するまでは、おそらく半年ほどであったろうか。

恐れられた崩壊は、その日から数えて15年目ないし16年目に発生し、判断の正しさを証明した。




17:33 (現在地は地図上で違いが分かるほどは変わらず)

ツブダラケ、オコツナイ両トンネルの両坑口全ての閉鎖を確認したことで、
これ以上、旧道上に探索の余地はなかろうと判断したが、最後に悪あがきみたいな行動へ。
崖崩れでおそらく圧壊しているオコツナイトンネルの覆道部分を、間近で確認してみよう。
そこへ行くには、オコツナイトンネル坑口脇にあるご覧の犬走りを“果て”まで進む。



こいつは酷い…。

やはり遠目で見た印象通り、覆道は落石に押しつぶされ、崩れていた。
犬走りの“果て”に立つと、その先に覆道の外壁が続くが、無事ではなかった。
左にある黒い塊はだるま岩。右は覆道の破壊された外壁である。



見上げれば、ご覧の有様。

いやはや、これは恐ろしい。見た感じいかにも不安定そうで、いつでも崩れ始めそう。

君子危うきに近寄らずかもしれないな。


(……)


(……しかし……)


(こんなに外壁が壊されているということは、もしかしたら???)




あああああああああアアアア!!!!!!


こいつはやべえ…。

さきほど、『探索可能性の が確定した。』 はずのオコツナイトンネルが、

開口している。

前代未聞の状況に遭遇してしまった。





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