隧道レポート 国道229号兜岩トンネル旧道 延長戦

所在地 北海道島牧村
探索日 2018.04.26
公開日 2021.07.23

 “前代未聞の開口部”


2018/4/26 17:39 《現在地》

予想外のことが起き、探索を延長することになった。
前編と後編で終わるくらいの探索となることを想定して夕暮れ間際にスタートしてしまったので、予想外の延長というのは正直気が気でない。
今日の島牧村の日没は18:34と予報されており、既に残り1時間を切っている。




改めて、“予想外の出来事”について、(努めて冷静に)解説する。

オコツナイトンネルの天井が、落石によって破壊され、内部の空洞が露出していた。
重大な事実として、オコツナイトンネルの両側坑口はコンクリートの壁で完全に封鎖されているために、立ち入れないばかりか中を覗くことさえ出来なかったのだが、この天井の穴から内部へ侵入出来る可能性が生じていた。

これまで各地の探索で永久的手段によって封鎖されたトンネルに出会った際に、「再び内部へ入るためには災害か何かで壁が壊されなければ無理だ」なんて(少し不謹慎な)ことを考えたことは度々あったが、実際にそういう場面に遭遇したのは初めてかも知れない。
確率としては常に起こりうることだろうが、極めて珍しいといえる状況に私は遭遇した。



凄い景色に興奮している私だが、同時に、

非常に危険な状況に身を置いているという自覚があった。

私の置かれた状況は、上の全天球画像を見てもらうのが手っ取り早い。

ここがまだ崩れたばかりの崩落現場の只中であることが、とても危険なのだ。
新たな崩落がこの瞬間に発生し、しかもそれに直撃されるなんてことは、まずないと思っているが、
そうではなく、この瞬間の足元の悪さが問題である。さっきから、踏みつけた岩がことごとく動く。
私の体重より遙かに重いだろう一抱え以上もあるような岩塊が、簡単に転がりやがる。
斜面上部が未だ不安定かは分からないが、少なくとも私がいる下部の瓦礫斜面は全然安定していない。
なので、この場所に長居をしたり、撮影のため必要以上に動き回るのは自重だ。(だからいろいろなアングルの写真はない)
はっきり言って、ここに居るよりは早く“どちらかの穴”へ入ってしまった方が、まだ安全と思える。



そんな訳で、この場面ではあまりじっくり観察をしておらず、とりあえず撮影した写真をあとでじっくり眺めたのであるが、この写真は(チェンジ後のものも含めて)向かって右の開口部、オコツナイトンネル南口方向である。

こんなことになっていなければ、私はきっと“勘違いしたまま”全てを終えていたはず。

何をって、覆道部分のトンネルの丸い形についてである。
なんとなく、外見が四角いので、内部のトンネルも四角断面だと思っていたが、実際は山岳トンネルのようなアーチ型をしていたのだ。
まあ考えてみれば、このすぐ先にある【塞がれた坑口】がアーチ型なのだから、内部もそのままの断面で来ているのが当然か。
一度でも通ったことがあれば、そもそもこんな勘違いは起こらなかったろう。




この写真は、少し前にオコツナイシェッドで撮影したものだ。(前回は紹介を端折った)

オコツナイシェッドの山側に、道路と崖に挟まれたごく狭い草地があり、そこから(今いる)オコツナイトンネルの南口覆道部を撮影したのがこの写真なのだが、覆道の高さに匹敵するくらいの巨大な岩塊を含む大量の落石が覆道に覆い被さっているのが分かる。
これを見た時点では、覆道は完全に押しつぶされていると思った。(もっと前の【遠望の時点】からそう思っていた)

それはともかく、このアングルの写真によって、崩れる前の覆道と崖の間に少しだけ隙間があって、覆道の外形は概ね台形だったことが分かるだろう。
半分崖にめり込んだ片洞門というわけではなく、完全な明かりの部分に一から覆道を立ち上げた構造であったようだ。



前記状況を踏まえて、オコツナイトンネルの破壊された覆道の断面を図化してみた。

台形の覆いの内部に、四角形より強度のあるアーチ型の空洞が設けられていた。
外が全く見えないアーチ型断面であるから、ドライバーからは完全にトンネルとして認識されていたことだろう。
一般に覆道といえば、オコツナイシェッドのような柱式のものが全国的にも北海道でも多いが、それより遙かに強度を重視した構造物だったと思う。
この道は開通時期が昭和50年代と(以前紹介した雷電海岸の旧道などと比べても)新しいこともあり、当初から防災ということも重視していたのが伝わってくる。決して付け焼き刃ではないと感じる。


右図は北海道の道路トンネルの辞典的存在である、その名も『北海道の道路トンネル第1集(1933〜1986年)』に掲載されていた、オコツナイトンネルの標準断面図である。

この画像は同トンネル内の4つの標準断面を表現しており、おそらく四角で囲んだ部分が、今いる部分の断面図だろう。

これを見る限り、上面は真っ平らでなくアーチ型に膨らんでいたようだ。(その上に落石に対する緩衝目的で土が乗せられていたと思う)
私が作った図は、この点で正確ではない。



少しばかり予想外だった“断面”の話を引っ張ってしまったが、
私も皆も今一番気になっているのは、奥行きがありそうなこの“左の穴”のことだと思う。
間もなく私は穴の中を覗き、入っていける状況があれば、もちろん入ることになるだろう。

一度は密閉状態で封鎖されたトンネルの内部へ入るというのは、
完全に地中に埋れていた隧道を掘り起こして入るのに近い体験だと思う。
後者は、ごく少数だが、体験したことがある。




圧壊していなければ、という条件付きで、“左の穴”には奥行きがあると思う。

だが、左の穴の行き先の地上部は、こんな状況である。

数メートル先に、辛うじて倒壊を免れている覆道外壁の一部が見えるものの、

その前後の人工物は、跡形もなく消えている。


この景色からは、地中の空洞はもはや、

完全に圧壊してしまっている雰囲気が漂っていた。






(……恐いから、やっぱり右の穴からにしよう……)


覗くぞ!




 廃オコツナイトンネルへ、天井破壊開口部から潜入を試みる


17:40

“右の穴”の中を覗くと、そこには当然、私が見慣れている、トンネル内部があった。

それは、高さ約6mの天井から見下ろすトンネル内部であり、おおよそ20m先に、【南口の閉塞壁】の裏側が見えた。
この閉塞壁の裏側は、壁を施工したら最後、もう二度と、永久に、見られることが想定されなかった。
形としては何の変哲もないただの壁と見えたが、上記事実が、私に強烈な興奮を覚えさえた。

世の中にはこのような、完成後すれば二度と人類の目には届かない存在となる人工物が、多数ある。
しかし、部外者がそれらに思い馳せる機会は普通ないため、施工した者の記憶から消えた時点で、誰も知らなくなる。
このオコツナイトンネルが廃止されたのは平成13(2001)年であり、閉塞工事の完了は、同年か翌年辺りだろう。
となるとまだ施工者の多くが覚えておられるだろうが、数十年の後には完全に忘れられる定めだった…ッ!


忘れられる定めだった壁を

私は今、見ている。


お前を作り出した文明世界への返り咲き。復活が起きた。

しかし、甦らせたのは、お前を塞いだ者たちが恐れた自然の暴力である。

お前が甦ったことなど、我々は知らなかった。   今 日 ま で は 。



パッと見では、この短い20mほどのトンネルは、原形をよく留めているように見える。

だが、じっくり見れば、大きな歪みがあることに気付く。
ひび割れのような分かり易い破壊がないので、歪みではなく意図的なトンネル内の断面変化のような雰囲気を醸しているが、やっぱりこれは歪みである。
右側の壁に発生している段差に注目して欲しい。
この部分の外見が、【こちらの画像】だ。
落石が直撃した衝撃で、巨大な覆道のアーチが広範囲に歪んでしまったようだ。

なお、完全に封印されていたように思われたトンネルだが、閉塞壁の左下部分に小さな孔が通じていることに気付いた。
これは排水を目的とした構造だろう。
おそらく孔の直径は5cmくらいしかない。

こうして、“右の穴”の内部の確認は一瞬で決着した。
余力があれば実際に立ち入ってもっと詳細に調べたと思うが、大きな岩が簡単に転がり出すような不安定さを感じている斜面を登り降りする機会は出来るだけ減らしたいのと、時間もあまりないので、“右の穴”はこれで決着とする。




もう一方の開口部、“左の穴”。

“右の穴”と似ているが、開口部のサイズは一回り小さく窮屈である。

軽自動車ほどの大きさの巨岩が、やや不安定そうに左右の穴の間に立っていて、
中にいるときに岩が転倒したら閉じ込められるのではないかという嫌なイメージを持った。
もちろん、そんな不運な目に遭うことは、そうないと信じているから先へ進むが…。




危険な匂いが芬芬と濃すぎて、思わず顔をしかめたくなる、“左の穴”の前。
しかも、恐ろしくいやらしい位置に落石防止ネットが垂れ下がっているのに気付いた。
本来ここにあるはずのないものが、大岩と一緒に落ちてきたらしい。

このネットの残骸、トンネルに入るのに邪魔なだけでなく、つい触れてしまう位置にあるが、
間違っても体重を掛けるような真似は慎むべきだ。出来れば触れることも避けたい。
なぜなら、こういうネットの残骸には大量の瓦礫がアンバランスに引っかかっていることがあり、
触れた振動で落ちてくるかもしれない。大岩が動いてトンネル内に閉じ込められたら笑えない。

恐る恐る、中を覗く。



よし!

心の中でガッツポーズ。

外見からはトンネルがまるごと圧壊していてもおかしくないと感じたが、
潜入可能な空間の存在を確認できた。もっとも、闇の奥行きは分からない。
しかし崩落の中心はここなので、ここを離れられれば、崩れていないと思う。


隙間に身体を入れる前に、カメラだけを入れて、トンネルの奥行きを撮影したのが、次の画像。



奥行き有り!

手許に戻したカメラの液晶に写る画像を見て、震えるほど興奮した。
外は【こんなになっている】のに、内部の覆道は守られていたのか!

そしてこの先は地中に続き、本来の言葉通りのトンネルとなるが、境目に気付くことが出来るだろうか。
おそらく、この闇の奥は既に見た【北口閉塞壁】の裏まで続いていると思う。
とすれば、闇の奥行きはオコツナイトンネルの全長386mから30m程度減じた数字が見込まれよう。


封印破られし闇の奥へ、これより突入する!




17:41

しーんと、静まりかえっている。


どこにでもあるトンネルの風景に、ただならぬものを感じるのは、私だけではあるまい。


2000年代に入るまで多くの車が行き交った、決して陰気ではなかっただろうトンネルの末路。


唖(おし)の闇に、私は言葉を失っている。




振り返れば、災害の風景がある。

役目を終えた廃トンネルが崩れることは、災害であっても、事故ではあるまい。
多くの犠牲と引き換えに奮った人智が、からくも自然の暴力を予知して回避し、この景色を事故にさせず済ませたのだ。
無残な崩壊現場も、見方を変えれば頼もしいような気がしてくる。

もっとも、私にとってこの景色が頼もしく見える理由の大部分は、単純に、ここが唯一の帰路だからだろう。
この出口が頼れなくなった瞬間に、私は穴の中で生を終える羽目になる。




それにしても、もしも崩壊の規模がもう少し小さくて、左の画像のようなものであったら、天井の穴から中へ入ることは出来なかっただろうから、こうして封鎖トンネルの内部をいま歩いているというのは、相当に奇跡的な状況だったと思う。

そして現状のようになってからまだ2年程度しか経っていないことを考えると、状況がこれで安定しているかは不明であり、再び大きな崩壊が起こって穴が埋れ、立ち入ることが出来なくなることも十分考えられよう。




この闇の奥に、人類にとっての価値あるものはない。
囚われの姫君を助けに来た騎士のイメージを、ここへ上陸した当初ふざけて考えていたが、この奥に姫がいるわけない。
逆に低確率ではあろうが、私にとって害有るものが待ち受けている可能性はリアルにある。(北海道が旧道のトンネルを執拗に封鎖する目的は、ヒグマに冬眠場所や巣を提供しないという配慮だと聞いたことがある)
しかし、探索の目的を考えたとき、この闇を極めない選択肢はない。
まだ見ぬ、北口閉塞壁の裏側を目指して、前進を開始した。

そうして前進を始めた直後、“異様なもの”に遭遇した。

天井から、恐ろしく長い黒髪のような何物かが垂れて、末端がコンクリートの路面の上に広がっていた。
それは、亡霊譚の定番のように、しとどに濡れているのであった。
ほら、あなたも聞いたことがあるでしょう? 深夜のタクシー、突然消えた客、座っていた座席が、ぐっしょりーぬ…。
私が思うに、あの怪談の正体は、亡霊ではなく、(←)これ。




これ(→)の正体は、何かの植物の根である。

廃隧道で偶に遭遇する。(遭遇例)

普段、地中にある根を観察することがないので、この姿の異様さにいつも戦慄させられる。地面に付いたあとの広がった姿なんて、本当にホラー映画のワンシーンのよう。
でも、このもの自体はありふれているのだと思う…。変わっているのはシチュエーションの方であって、おそらくこの根の主だって私と同じくらい気持ち悪い思いをしているのだ。
「なんなの、この土の中…? どこまで垂れても栄養がないんだけど? まさか空洞?! なにこれ恐いんだけど……」 ってね。

ともかく、この“キモい根”のおかげで、ここがまだ覆道内部であることが分かった。




もっと早くに気付いて然るべきであった。 この違和感に。

照明が全くないではないか。

そのせいで、廃トンネルというよりも、未成トンネルのように見える。

事実は間違いなく廃トンネルなのだが、封鎖前に配線を含む照明を完全に撤去したらしい。
このトンネルが特別ではなく、多くの封鎖トンネルで同じ処理が行われている気がする。
そんなことも、閉鎖トンネルの中を覗く機会がなかったこれまでは知り得なかった。

まだ使える照明を、封鎖するトンネルに放置するのは勿体ない。
あるいは、心情的に忍びない。
税金に対する真摯さを思えば前者であろうが、個人的には、後者が主な理由であっても良いと思う。
そもそも、撤去された照明の行くあてがあるのか不明だ。どこかに備品倉庫のようなところがあって、中古品もストックされているのだろうか。

価値あるものは残らず逃げ出した後の空虚な抜け殻……

そんな印象があるトンネル内に、“残されてしまった哀れな物”を、見つけてしまった。



これは… あれだ……




非常通報装置。

これ、壊れてはいなかったんだろうけど、撤去して他の場所で使うのって難しそうだもんな……。
でも一緒にストックされていた消火器はちゃんと回収されていた。
残されているのは、非常時に押せば関係機関へ非常事態発生が通報されるボタンのみ。
「非常電話」がこれとは別にあるはずだが、まだ見ていない。果たして非常電話は見つかるだろうか? いずれにしても、何か跡は残っているはず。

あと、「事故の場合」と書かれた説明のプレートに、「兜岩トンネル」というトンネル名が書かれているのを見つけた。
このトンネルの名はオコツナイトンネルだが、利用者に対しては、隣のツブダラケトンネルと合わせて「兜岩トンネル」と案内されていた。
この説明用プレートはビスで留めているだけなので、回収は可能だろうが、使い道がないので残されたのだろう。

このとき、私の中で普段は抑えている“ある欲求”が、ムクムクと…。




これ、皆も一度は押してみたいと思ったことがあると思う。
私も思っていたが、現役トンネルではもちろん非常時しか押してはいけないし、
廃トンネルであっても、間違いなく外部との接続が切れていて、
しかも二度と使われない保証のあるところでないと、押すのは憚られる。

ここは一度完全に捨てられたトンネルであり、配線も存在しない。
二度と使われる可能性もないだろうから、押してみることにした。

こういうボタンは、小さな子供がイタズラでは押せないように、
薄い透明な板で保護されており、それを突き破ってからでないと
押せないようになっている。そしてこの板は、一度破ると元には戻せない。


既に私も、引き返せないところにいるのではないか?


……そんな弱気が、常に耳元で囁きかけてきた……。


ここは気弱な人間を滅ぼす所だ。心を強く保たねば、足がすくんでしまいそうになる。




 北側閉塞壁の裏側、我々の世界の裏側


17:46 (入洞5分後)

夕暮れ間近で時間がないと分かっていたはずだが、トンネルに入ってからの私が急いで行動していたとは思えない。
だって、入洞して5分が経過しているのに、たったこれだけしか進んでいないのだから。
堪能していたか、戦慄に震えていたかと言われれば、前者だったろう。
こんな初体験のシチュエーションに、私が興奮しないワケがなかったのである。

写真は振り返って撮影したもので、天井の開口部から180mほど来ている。
前回最後に紹介した非常通報装置から、50mくらい奥まで来た。
そしてここにも現役時代の遺物が残されていた。

先ほども見たボタン式の非常通報装置と、先ほどはなかった非常電話があった。



非常電話の見慣れたシンボルが描かれた金属製のボックスは、異常なほど腐食が進行し、ホラー世界の住人となっていた。
蛍光灯を仕込んだ「非常電話」と書かれた部分は、カバーが脱落し、普段目にすることがない蛍光灯が露出してしまっていた。

周りのコンクリートが現役時代からまるで変化していないこととの対比が強烈だが、現役時代から常に潮気の濃い空気に晒され続けてきたわけで、適切なメンテナンスが行われなくなれば、20年も経たずここまで腐食が進むということか。逆に言えば、我々が普段目にしている同様の立地にある非常電話ボックスが綺麗なのは、適切な管理の賜物ということだ。

非常電話とセットで掲げられている「現在地表示」も、現役のトンネルで見慣れたアイテムだ。
非常を通報する際に、ここがどこなのかを相手に適切に伝えられるよう、このアイテムが用意されている。
この地点の場合であれば、ここに書かれている「兜岩トンネル 寿都側入口から200mの位置」と伝えればよかった。

それにしても、道路管理者の適切な判断がなければ、2017年か2018年のある日、この電話機を取り上げる目に遭うドライバーがいたはずだった。上の写真のような“事故現場”を見ながら、上記位置を通報する者が……。

最後に、非常電話ボックスの取っ手を握り、軋む扉を開いて中を見てみたが、電話機本体は回収されたようで姿を消していた。





恐っ!

進行方向右側の壁のスプリングライン付近に、白いペンキで、人の顔のようなものが描かれているのを見つけた。

いやいや……、こんな所にイタズラ書きをする奴がいる?
オブローダーより先に開口部を見つけて入った? それとも封鎖する前か現役時代に描いた?
それにしても、センスが独特過ぎやしないか? 悪ふざけでこの顔描くか?
ふつう、S●Xだろ。

まさか、災害をもたらすべくトンネルに取り憑いていたが、そのまま閉じ込められてしまった悪しき神(ウェンカムイ)が壁に浮かび上がらせた、邪なる表情なのか。
……なんてことをイメージしてしまうほど、気持ち悪い顔に見えた。
「見つけてしまった」と表現すべきものだったら、これはヤバイ発見だ。



おそらく、これは悪いものではない。
道路管理者が壁面点検をした跡ではないかと思う。
近くに同じペンキで描かれた小さな△のマークがあるのを見つけて、確信した。
族や霊や神は、この△を描かない。
そうなると、この不気味すぎる顔の解釈は全く変わってくる。

シミュラクラ現象という一語で解決だろう。
この顔の正体は、壁面に隠されている“構造的な接合部分”にズレが生じていないことを確認するべく、割り印のように左右の壁に跨がって描かれた、「∴」を上下逆さまにした図形だと思う。

ならばこれはむしろ、トンネルにとって良い安心の材料ということが言える。
でも、恐過ぎるよ見た目が。
図形を再考をして欲しかった。ちびった。



オコツナイトンネル内に“構造的な接合部”があることは、確実である。
大きく分けて、3つのパーツに分かれているはずだ。

上の図は平成5(1993)年の航空写真であるが、ここまでの探索で見た通り、幾つもの覆道とトンネルが連続して繋がっており、全体が兜岩トンネルと称されていた。
4箇所の黄色い実線は、閉塞済の坑口の位置を示している。

このうちオコツナイトンネルに着目すると、全長386mのうち、真にトンネルとして地中にあったのは、中央部のおそらく100m程度に過ぎない。
残りの両側部分は、険しい海崖の下にある崖錐斜面を通過する窓のない頑丈な覆道で、通行人からはトンネルのように見えただろうが、構造的および外見的な意味では覆道の部分である。

この構造としては覆道である部分と、地中の山岳トンネル工法で作らた部分の接合部が、トンネル内には2箇所あったと思われ、そのうちの1箇所が、いま見た“ホラー壁画”の位置だったのではないか。



ちょいちょいホラー的な演出で精神力を削りに来ていたが、さほど遠くないところに最初から終わりは用意されていた。

開口部より300m近く歩いたらしく、この恐ろしく狭い闇の世界の果てが間近となった。
二度と人の目に触れるはずのなかった北側閉塞壁の“裏面”が、ついに見えてきたのだ。

この終盤の壁に、また新たな “残されんぼ” を発見した。(○印の位置)



KP 184 ”

この言葉少ないプレートの意味は、「184kmキロポスト」。
国道229号の起点である小樽市から184kmの地点であることを意味している。

廃止された旧道でキロポストを見つけるのは珍しくないが、封鎖によって外部との接続を完全に絶たれたわずか300m強の密閉空間に、広大な道路世界の一員であることを象徴するアイテムを見るのは、なんとも言えない感慨深さがあった。
気付いた時には、ずいぶんと撫で回した後だった。

ところで、いつの間にか地中部分を過ぎて、北側の覆道部分まで進んでいたようだ。
南口側覆道部分でも見られた等間隔の水濡れの模様が、内壁に現れている。そこは覆道のボックス接合部なのだろう。

(画像の○印の位置に落ちていたものについての説明は、2枚あとの写真で)



そしてこの接合部が、またもホラー映画のワンシーンに……。
(お食事中の方ごめんなさい)

地上部分は、【こんな明るい感じ】なんだけど、天井に草が沢山生えている。

これが。普段は根っからの平和主義者みたいな顔をしている植物どもの“裏の顔”であった。



これが路上に何食わぬ顔で落ちていた。
私が初めて見る北海道の銘柄の水のペットボトルだ。

廃道の路上にあるゴミに過ぎないが、この場所にあったというだけで、特別な感慨を持ってしまう。
あの天井の穴が空かなければ、おそらく永久に闇の中に取り残されたゴミである。
この冷暗な環境であれば、数千年後の未来人が(なぜか)壁を取り壊して辿り着くその日まで案外に原形を留めて、「古代人の水筒が発見された!」という北海道版ローカルニュースになったかもしれない。




近くでもう一つペットボトルを見つけた。
今度のは私も良く知っているメジャーな商品だった。
そしてこのボトルのキャップに賞味期限らしき刻字がされているのを見つけた。
曰く「030228/HH」とあり、これは平成15(2003)年2月28日を意味しているのだろう。

少し調べてみると、お茶のペットボトルの多くは製造から半年ないし1年程度先に賞味期限を設定しているようで、そうなるとこのお茶の製造時期は平成14(2002)年内と見込まれる。
オコツナイトンネルが旧道となったのは平成13(2001)年11月であるから、このお茶は旧道化後に持ち込まれた可能性が高い。水もお茶も、閉塞工事の関係者の遺物ではないだろうか。



17:52 (入洞11分後) 《現在地》

小さな世界の果てに辿り着いた。

これが北口閉塞壁の裏側である。
壁の正確な厚みは不明だが、数十センチ程度だろう。
壁1枚を隔てただけで、世界はまるで違って見えた。
【この壁の外側】をタッチした時には、まさか1時間後の自分が「かべのなかにいる」ことになっているとは全く思わなかった。予想外、奇想天外の展開となった。

閉塞壁の一角には、この壁の外側や南口閉塞壁には見られなかった“当て板”が、撤去されず残っていた。
コンクリートを流し込んで固めるのに必要なこの仮設物が撤去されず残されているのは、施工後に撤去する手段がなかったからだろう。
この壁を塞いだ後にこちら側に居る者は、閉じ込められた。そんな“人柱”を立てるわけにはいかないから、どちらかの閉塞壁の内側にはどうやっても撤去できない当て板が残ることになる。
オコツナイトンネルでは、それは北口だったのだ。

誰も見るはずのなかった風景を、目に焼き付けた。




終わりの壁に背を向けて、350m先に灯る地上の光を振り返った。
あの光が天井を突き破って救いに来るまでの数年間、排水孔から
漏れ入る小さな光を残して、あとは本当の闇に支配された空間だった。

日本中に完全に封鎖されてしまったトンネルが多数存在するが、
これまでその内部について現実感を持った想像力を働かせるのは難しかった。
だが今回、実際にそこがどうなっているのかを一例だけだが目にしたことで、
私の認知する廃道世界の広袤が、さらに広がったように思う。



18:00 (入洞19分後)

オコツナイトンネル天井開口部より、通常世界への脱出を図る。
それにしても、この恐ろしい瓦礫の山に巻き込まれた人や車がなく、本当に良かった。
今回の探索で一番の印象はと問われれば、封鎖された隧道に偶然立ち入れた“奇跡”は大きかったが、
それ以上に、間近に迫っていた災害を予測して回避した道路管理者の仕事に対する感心が大きかった。

私は道路ファンとして、道路管理者の無条件なリスペクターを自認している。
道路災害の度に、否応なく批判の矢面に立たされがちな彼らの面目を躍如する
会心の出来事が、まるで我がことのように誇らしく思われた。

そして、まだ知られざるこの事実を公表したいという思いから、レポートを書いた。
(私がここぞとばかり天井の穴に潜り込んだことは、二の次なのである)



地上へ戻ると、既に日は落ちていた。
しかし、トンネルの闇の後では十分に明るく感じられた。
そう思っていられるうちに、急いでここを逃げ出した。

探索終了。




今回、兜岩トンネル旧道については本編のみでほぼ語り尽くしたので机上調査編はないが、
最後に、読者さまからご提供いただいた旧道の現役時代の写真を1枚ご覧いただこう。
それは、現役時代を体験できなかった私が、ぜひとも見たかった写真であった。

撮影者および提供者は、向島ポンチ氏である。




「 昭和60年(1985年)8月の現役時代の旧兜岩トンネルの写真をお送りします。
 当時サイクリングで通過し、この風光明媚なトンネルがどこかだったのか、ネットで検証していた所、貴殿のページに遭遇しました。
 ご推察されていた通り、隧道上部の6文字は「兜岩トンネル」と書かれています。
 右の兜岩の形が、36年前と今ではかなり変わってしまっていますね。 」

  (向島ポンチ氏のコメント)

私の原体験に馴染むサイクリング中のワンシーンに胸が躍る。きっと私も同じ写真を撮ったろう。
ちょうど1台の車がトンネルへ消える瞬間であり、私が最後に辿り着いた位置が踏まれている。
兜岩が、30年くらい前までこんな複雑な形をしていたことにも驚いた。私と逆でずいぶん痩せた。
こうした岩の崩壊が道路上の崖でも起き続けたわけで、人の手に負えなくなる定めにあった。

新旧の写真を比較することで、廃止に伴って失われたものが、通行人だけでないことがよく分かる。
トンネルを単に塞いで終わりというのではなく、様々な道路の付属物も一緒に失われている。
そうした様々な変化の総体として、我々が認識する“廃道らしさ”が生まれている。

ただ草生しているだけの通行量の少ない道との違いが確かにある。
呼吸しているものの肌つやを、我々は敏感に感じ取ることが出来る。
死したる道への関心は、今回新たな極致を目にしたことで、さらに深くなった。




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