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<読者さまにお願いしたいサイト貢献>
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2026/5/10 8:27 《現在地》
進めなくなったので、迂回して進むための後退をした。
そして、戻り初めから約2分後、5号隧道があるガレ場へ。
ちょうどこの下に工事用道路の終点である広場があるので、そこへ下りようと思う。
落差は15mほどだ。
さっそく、行動を開始したのであるが……
痛ッてーーッ!!!!
……やった…。
しばらく抱えてきた致死的な高度から解放される場面で、ほんの少し油断があったのだと思う。
冷静に考えれば明らかに「やるべきではない」迂闊な行動を取ってしまった。
恥を忍んで告白するが、ガレ斜面を下る際に残雪(この写真の左に見える大きいヤツではなく、もっと小さいのが「37」の後ろあたりに隠れていた)へ足を踏み入れたのだが、不用意にも高い位置から飛び移るようにして乗ったため、衝撃で底が抜け、雪下の空洞へ50cmほどズボッと両足を揃えたまま直立不動の姿勢で埋もれた。その瞬間、両膝の皿を大きな岩の塊に勢いよくぶつけてしまい、あまりの痛さで悶絶したのだった。
一問絶後、埋もれた足を引きずりだしたが、それから数分間は変な汗が出るほど痛かった。マジで膝の皿が割れたかと思った。
幸い、歩けはしたし、その後は時間の経過と共に次第に痛みが引いたので、この日を含めて残り6日間の遠征を完遂することが出来たが、ここで探索終了となりかねない不注意のミスだった。
(なお、探索は完遂出来たと言ったが、この怪我の9日後、パチスロを打っている最中に突然両足のふくらはぎが異常に張って痛くなり、その後2日間、家で半分寝たきりになった。あれは関係があったのだろうか…)
8:30 《現在地》
そんなわけで、これを撮影している最中の私は、両膝ガックガクの生誕3分後のコジカ状態で、予定した探索を継続できるかの不安もあって目の前が暗転していたのであるが、歩み自体はほとんど止めずに、負傷する前の方針に則って行動を続けていたので、その足取りを見ていこう。
まずは、砂防道路の終点から撮影した、雑穀谷上流の風景。
新しいものと古いもの。現役と旧廃が混在する、複雑な景観になっている。
そしてそれが単純にとても良い景色だった。
かっこいい…。
本当に凄い砂防ダム群だ。
砂防と、発電と、雑穀谷を所有する二つの世界観が、ここに交錯していた。
地形図で見ても確かに砂防ダムだらけな谷だが、一つ一つがこの大きさと落差を持つとは恐れ入った。
そしてこの眺めは、私の道(隧道群)がここ(アーチ橋)より上流には行っていないだろうという確証も与えてくれた。
この先の地形が持つ高低差を克服するためには、地に足を付けた道では無理である。
そのための索道が用意された形跡があった。ここから見える一番奥のダムのさらに上に、ひときわに高い索道塔が立っているのが見えた。
振り返ると、そこに工事用仮設橋が架かっているので、渡って対岸へ。
まずは、隧道群に代わってレポートの主役へ躍り出た感のある“アーチ橋”を目指そうと思う。
その後のことも考えてはいるが、まずはアーチ橋へ。
8:32
初めて雑穀谷の左岸に立ち入った。
そこは正しく新たな砂防ダムが誕生しようとしている現場で、関係者が見ていたらまず立ち入れなかった場所だと思うが、誰もいないのを良いことに、真新しいコンクリート擁壁の天端を辿って、アーチ橋がある上流を目指す。
具体的には、チェンジ後の画像に示したようなコースで行こうと思う。
それにしても、この砂防ダムの設計者は、地形を変化させることに躊躇が全くないようだ。
もとは左岸の強固な岩壁だった部分を掘削し、そこに新たな河道と砂防ダムを建設しようとしているように見える。
完成したら、今ある川はどうなるんだろうか。私が立っている壁は、どうなるんだろう。数年後に来れば、答えが分かりそうである。
アーチ橋のすぐ下流までやって来た。
前の写真に示した“★1”の位置である。
これまでで最も近くからアーチ橋を観察しているが、やはり格好いいという感想が一番に来る。
と同時に、本来は取水堰の機能を有した堰堤であったことを確信する。
小さな二つのアーチには落し戸式の水門ゲートの痕跡であろう溝が見えるし、左端の坑口のような部分も、水路関係だろう。
地形図に描かれている、雑穀谷を横断する称名川発電所の導水路は見えないが、おそらく河床の下に埋設されているのだろう。
★1から★2の位置への移動は、道なき斜面登りであった。
砂防工事が完成すれば、アーチ橋という一応現役とみられる発電関連施設への通路は復旧されるだろうが、このときは道がなく、適当な斜面を登るよりなかった。
そしてこの斜面登りの最中に、斜面から突き出しているレールの切れ端を見つけた。
しかし、レール?! と色めき立つようなものでは正直なかった。
なにせその錆びきったレールはセメントに塗れており、先端も曲げられていた。おそらくレールとして棄てられたものではなく、最後は鉄骨として使われた廃レールのようだった。古いものだとは思うが、それが偶々、工事残土の山から顔を出しただけだと思う。
8:35
斜面をよじ登り、★2の位置へ。
ここまで来ると、ようやく砂防工事現場を脱して、もともとアーチ橋に通じていた歩行者用通路に辿り着く。
目の前の階段がそれだ。
チェンジ後の画像は、遠景で見た「現在地」である。
この階段と一体化している大きなコンクリートの構造物は、索道の支柱を支える土台である。間近に見ると、大抵の2階建て一軒家より大きな構造物である。
巨大な砂防ダムが階段のように連なる渓谷に一基だけ紛れ込んだみたいな発電所の水門跡(アーチ橋)は、随分肩身が狭そうだ。
たぶんここでは一番の古株なんだろうけれど…。
発電所は現役でも、いま地上にある構造物は、あまり顧みられていなさそう。
同じ位置から対岸を見ると、ちょうど10分前に(この足が痛みを覚える前の幸せだった時間…)引き返した橋台や片洞門の辺りが正面にあった。
こうやって俯瞰で見ると、橋台は明らかに片洞門より高い位置にある。
通路としては繋がっていたとしても、別々の道だったのだろう。
そして片洞門の上流側も道は途切れていて、アーチ橋まで繋がってはいなかった。
これも同じ地点からの撮影で、今度は左岸の下流方向を見ている。
ちょうど足元に砂防ダムの工事現場があり、その向こう側の同じレベルから、明確な平場が始まっている。
これが、先ほどから何度も言及している、“対岸の平場”である(今はもう対岸ではない)。
右岸の“橋台”から、この左岸の“平場”までは、直線距離で100m近く離れており、しかもこの間は全て空中なので、橋を架けるなら相当な長大橋とならざるを得ないが、橋台が残っている右岸はともかく、左岸は砂防ダムの工事で地形が大幅に変化していることが予想され、もともとは20〜30m程度の橋で渡れていたのだろう。
それにしても、かなり大規模な橋ではあるが。
そして、私の推理が正しければ、5本の隧道を数えたこの廃道(=称名川発電所導水路工事用道路)は、この先、雑穀谷の左岸から称名川の本流に出て称名川第二発電所(=称名川発電所の取水口)までトラバースで達していると思う。
ここからの推定距離は1.5kmほどである。
この区間を実踏によって実証ができれば、推理は確信に変わると思う。
短い階段を上ると、今度はアーチ橋が少しだけ下になった。
こうして見ると、橋の部分と水門の部分がはっきりと区別できる構造になっている。
水門の上流にプール状の水面があるが、これも取水堰の名残だろう。
そして最後は、小さな段差を下ってアーチ橋へ降り立つ。
ここには工事用の仮設足場が用意されていた。
左岸側の橋端は、そのまま四角い坑口のような造りになっていて、地中へと導かれているが、覗いてみると(チェンジ後の画像)奥行きはなく、ただ鉛直下方向へのマンホールだけがあった。
この下に雑穀谷を横断する地下水路があるのだろう。
8:36 《現在地》
そしてついに辿り着いた。
雑穀谷を渡る、孤高の水門橋跡。
おそらくは昭和8(1933)年頃までに完成した、築90年を超える構造物。
橋としては渡ることができるが、既に本来の水門としての機能は喪失しており、水門操作のためのあらゆる装置も取り払われていた。
銘板など橋としての何かを伝えるようなものもなく、遠目には凜々しく思えた架橋も、実体は廃墟同然のものであることを知った。
それでも凄いけどな! この砂防ダムまみれの環境で、90年以上ぶっ倒れていないんだから!!! 凄すぎだろ!
この橋を見ていると、大昔に探索した華厳峡谷の鵲橋を思い出す。
共通点は、発電所の関連施設として架けられた古い人道橋ということ、廃であること、そしてライズ比がとても小さな(=薄っぺらな)アーチ橋ということ。結構な似たもの同士だと思う。
満を持しての、全天球画像。
今いる場所が水門の跡地で、地面に開いた四つのスリットに水門のゲートが設置されていたのだろう。
周囲は建物で覆われていたのだと思うが、すっかり取っ払われて野晒しである。
で、ここまで来て気付いたが、ここから右岸の地面に下りることは出来ない。
一応、無理をして、歩くために作られていないところを歩けば可能だと思うが、私にはそこまでする理由がなかったので、ここで引き返す。
水門跡から見る下流の様子。
現在地の標高は約830mで、称名川の底から見ると約100m高い。
それだけに、向こう正面に立ちはだかっている“悪城の壁”の見え方が、見上げるばかりのものではなくなっている。
こういう高度感のある眺めは、普段通る称名道路からだと見られない新しいものだった。
5本もの廃隧道と出会えただけでもお腹いっぱいだったのに、その後にこんな凄い場面が待っていただなんて、ほんと嬉しい誤算である。(足が痛いけどぉ…)
そしてなんといっても圧巻は、
上流の砂防ダム群!
瀑音と水煙に支配された70mの落差が、雑穀谷の上下世界を隔てていた。
雑穀谷の各所に見ることができる、右写真のような索道支柱。
現在は稼働していないが、これらは、いつ、どのような目的で建設されたものだったのだろう。
富山県治水砂防協会が発行する広報誌『とやまの砂防 第78号』(令和6年8月6日発行号)に、その答えがあった。(この資料を発見してくださったのは、るくす氏である。)
同号に掲載された連載記事「後進に告ぐ 土木技術者として一番大切なものは Vol.1」は、平成初年代から10年代にかけて砂防課に長い勤務経験を持つ、NPO法人富山県砂防ボランティア協会代表・中野聡一郎氏によるもので、砂防課時代の貴重な経験談が述べられている。
その中に、雑穀谷の砂防工事について解説した内容があり、この索道についても次のような証言があった。
2年目(平成4年度)、課内異動で砂防係に配置換えになった。(中略)
特に常願寺川支川の雑穀谷は大日平に源を発する平均河床勾配1/5の急流荒廃河川であり、昭和20年代から砂防堰堤等の整備が進められていた。昭和44年の集中豪雨では複数の堰堤が被災。その後も営々と堰堤等の整備が進められたが、山腹崩壊や土砂流出が激しく、下流域を土砂災害から守るため、最上流部に基幹堰堤となる12号砂防堰堤を整備することとなった。
まずは建設予定地の現地視察である。
電力会社の先導で称名川第2発電所の導水管沿いの管理用階段を高低差で約200m登り、そこから勾配が緩くなった導水管の中を懐中電灯片手に約1km歩いた。概ね1時間、ようやく雑穀谷の建設予定地上流に辿り着いた。標高は約1000m。軽いめまいを感じた。(中略)
最終的には、堤高35m、貯砂量24万㎥(中略)県営では最大規模の砂防堰堤として整備することとなった。また、現地は国立公園内に位置し、地形も急峻なことから約1kmに及ぶ工事用道路を建設することは困難であった。資機材や人員の運搬が施工上の大きな課題であったが、立山土木事務所の発案により、貨物用には既存の循環索道を改良し、人送用にはロープウェイを新設することとした。本省の了解も得られ、本格着工に向けた準備がようやく整いはじめた。
このように、雑穀谷では平成4(1992)年頃から富山県砂防課の事業として、既存の砂防堰堤群の最上流部に12号砂防堰堤を新設する計画が進められ、そのための資機材運搬、人員輸送を目的に、既存の貨物用循環索道の改良と、人送用ロープウェイの新設が行われたというのである。
つまり、平成4年以前から索道が存在していたが、その後に貨物用と人送用の2系統に増設されたということになる。
そして、この12号砂防堰堤建設の行方は、連載の次の回で次のように明らかにされる。
平成12年度から4年間、2回目の砂防課勤務となった。(中略)
前回砂防課に勤務した5年前から雑穀谷で整備に着手していた人送用ロープウェイ(8人乗り)や貨物用循環索道は既に運転を開始していた。12号砂防堰堤の岩盤掘削も完了し、12年6月議会での工事契約の承認を経て、いよいよ本堤のコンクリート打設の運びとなった。ロープウェイの整備により、現場まで渓流沿いを徒歩で片道1時間かかるところを10分程度でアクセス可能となった。急な出水時の避難など安全性や作業効率も大きく向上し、その後の施工も順調に進んだ。
(中略)平成16年には集中豪雨により完成間近の堰堤が大土石流に見舞われるなど、大変な難工事であった。無事完成できたのは、後任の方々の尽力のお陰であり、深く感謝申し上げたい。
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人送用と貨物用2系統の索道整備は平成7年に着手し、平成12年時点で既に運行を開始していた。これにより12号砂防堰堤の建設は能率的に進められ、平成16年には完成間際に土石流に見舞われるなど難工事となったが、無事完成したということが述べられている。
そしてこの2本の記事には、これら索道を撮した写真が2枚掲載されていた。いずれも小さな写真だが、ここに転載した。
これら工事用索道の姿は、Google Earthでも確認が出来たので、それぞれの起点と終点駅、ならびに途中の支柱の位置を示した。
貨物用索道は全長が約600mで、途中に3本の支柱を有していた。
人送用索道は全長約500mで、支柱は1本だけであった。
そして、いずれの索道も現在は使用されていないが、支柱は全て現存している。
私が取水堰跡の上から【上流を撮影した写真】
に、仲良く並んでいる2本の索道支柱が写っていた。
向かって右の支柱が貨物用で、左の支柱が人送用である。
【よく見ると】
両者は微妙に上部の形状が異なっており、貨物用の支柱と同じ形状のものは、取水堰跡の下流にも2基存在している。
そして、両索道の上流側終点駅は廃墟状態でいまも(おそらく)現存しているが、下流側の起点駅はごく最近に撤去されていることが、Google Earthで見られる2018年と2023年の航空写真の比較によって明らかになった(→)。
この期間に砂防工事道路が延伸されており、その用地とすべく貨物用、人送用、両方の起点駅が撤去されていることが見て取れた。
この延伸の目的は、まさに今回のレポートで建設現場を通り抜けている【この堰堤】
の建設であろう。
以上述べたように、富山県の手にある雑穀谷の砂防事業は、近年も非常に盛んに休むことなく行われていることが窺える。
その“活きの良さ”は、おそらく一度使われたきりで、以後ずっと眠り続けてきたように見える発電所の工事施設とは対照的なように思われた。
8:41 《現在地》
それではこれから初めて、左岸側の平場へアプローチする。
ここから先は、事前情報が全くないエリアだ。
現在地である砂防工事用道路終点の堰堤工事現場から、10mほど斜面を登ると、その平場はある。
写真の“赤矢印”の位置から、チェンジ後の写真の“赤矢印”の位置まで続いているのがよく見えるが、私の推理が当たっていれば、これがそのまま下流側へ続いているはず。
そのことをこれから確かめる。
8:43
特に苦労なく辿り着いた。
しっかりとした道幅を持った平場であり、先ほどまで右岸で辿ってきた5本の隧道を数える道の続きとしては申し分がない。
むしろ、隧道内を除けば、これまでで一番状態が良いと思う。
平場のすぐ横に、廃止された貨物用索道の支柱が立っている。
先ほどまで下から見上げていたが、ここからだと、それほどでもない。
索道といえば、私の場合は主に林業用のものをよく見てきたが、こんなにしっかりとした作りのものは、林業用ではほとんど見ない。鉱山用ならありそうだ。
廃墟としてはまだ若い、平成時代に活躍した施設であるというのも、あまり朽ちていない理由である。
ちょうど対岸に私が足を負傷した現場があった。
そして、ちょうど目線の高さに4号隧道や5号隧道が並んでいた。
この景色の中にある3つの坑口は、いずれもほとんど埋没しており、この距離からでは明確には見えていないが、地表の道形の痕跡である水平のラインは、そこに身を置いている最中よりも、ここからの方がよく見えていた。
さらに俯瞰の視線を下流へ向けると、下界へ通じる砂防工事用道路の行方が見えた。
往路では対岸の高い所をほとんど隧道のみで通過してきたから、あの辺の道は通っていない。
チェンジ後の画像で拡大したあたりに、貨物用索道や人送用ロープウェイの起点駅があったらしい。
そのことを現地では把握していなかったが、こうして景色を見返してみると、どちらもすっかり更地(あるいは工事用道路の路体)になっていた。
また、ちょうどこのタイミングで1台の軽トラが乗り付けてきた。
途中の1本道を【ユンボが通せんぼ】
していたので、彼はほぼ間違いなく“関係者”である。
もう少しスタートが遅ければ、発見されて叱られるパターンだったかもしれないし、この後の展開次第では、結局見つかって叱られる可能性も…?
8:46
それでは、この探索の“ステージ2”へ、赴くとしよう。
下流方向へ平場が続いているか、確かめる。
初っ端は、大きな岩の庇を潜るような地形である。その向こうは、灌木帯か。
道が続いているかどうかは、あそこで早くも決まる気がする。
なお、隧道群を攻略した後のこのような展開も、計画時点で一応オプション程度には考えていた。
それで今回は敢えて自転車を雑穀谷入口に留め置き、隧道群への登高地点まで持ち込まなかったのである。
【巨巌の庇】
を潜るところは、特別に頑丈な擁壁が仕立てられていた。
ただの工事用道路にしては少しオーバースペックと思えるほどで、道ではなく、何かの建物用地だったのではないかという疑いが脳裏を過る。
しかし、この先の濃い灌木の中にも道が続いていれば、そんな疑いは大方晴らすことが出来ると思う……!
さあ、どうなんだい?
よっしゃ! 道が続いている!!
直前までの綺麗さからは一転して、完全な廃道状態!!
もはや見慣れすぎた光景だが、どんな廃道でも、もともと道がなかった状況との違いは、私の目には一目瞭然。
その“ゼロ”と“コンマイチ”の違いは、この状況では極めて大きな意味をもっていた!!
さらには!! 矢印の位置に……
“北電”
そう刻まれた用地杭が!!!
これにより、地図には描かれていないこの道形が、北陸電力の用地である(あった?)ことが確定。
この場所が称名川発電所の関連施設である可能性が一層極まった!!
(ただし、北陸電力株式会社の設立は戦後の昭和26(1951)年であるので、称名川発電所建設のオリジナルではない)
用地杭を見つけた地点から、進行方向を撮影した。
道は間違いなくある!
それだけで、いまは十分に嬉しいし、興奮させてくれる。
探索中、自力によって見つけた未知の道を辿ることは、私の最大の至福だった。
8:49 《現在地》
対岸にはあんなにたくさんあった隧道は、今のところ現れない。
だが、勘違いしてはいけない。
これが普通だ。
工事用道路や軌道なんて、隧道は一つもないのが当然に普通。
工事用で、あんな短距離に連続して5本も隧道があるのは明らかに異常だった。というか、ここ以外でたった1本でも隧道がある工事用道路なんて見たことあったかというレベルにレアだ(あったっけ?)。
そんな訳だから、この左岸では隧道というサポート無しで、酷くガレた斜面の横断に立ち向かわされる。
まだ前進は無理ではないが、危険を感じる地形である。
ガレ場を横断しながら撮影した写真。
崩れた斜面は谷底まで続いており、平均勾配5分の1とされる本邦屈指の急流河川(5m進むと1m谷底が離れる計算)は、物凄い勢いで路盤との落差を増やしている。
この数字、道が雑穀谷を離れる時点では100mにまで拡大する予想である。
なお、ちょうどこの真下のあたりが、索道が使用されていた当時の道路の終点で、この奥へ行くには索道に乗り継ぐようになっていた。
いまは普通に道が伸びているように見えるが、実は“ぜんぜん普通ではない”ことが、この直後に発覚した。
見てくれこれを! こんなのありかよっ?!
なんと、超巨大な砂防ダムの水通しの一部が新たな堤防で区切られて、その陸化した部分を工事用道路が通過しているではないか!
堰堤の水通しを仕切って道路用地に転用するなど、過去に見たことがない。
しかも、下流側からダムに乗り移るための路盤は、いかにも工事用らしい無骨な鉄骨橋で、この橋を通すために天端の一部を削るという“破壊”もしている。
この堰堤、名前こそ分からないが、一度は「これでよい」と決して作った構造物であるはず。(おそらく平成初期)
だからこそ、この直前に道の終点を置き、さらに奥地の工事をする際には、索道によって連絡するという大変な仕事をしたのだ。(平成中頃)
だが、その後になって(令和)、やっぱりを道を延伸しようという心変わりが起きたのだ。そうでなければ、こんな景色は生まれない。
これが、自然のカオスに立ち向かう、砂防ドボクの世界観なのだろう。
計画から設計、そして完成まで比較的に長い時間を要し、途中変更を嫌う通常の道路造りの世界とは違うエネルギーを感じる。
8:53
左岸の路盤を歩き始めて7〜8分が経過した。
完全廃道状態の道が細々と、しかし私の目にはごまかしようがない確実さで、続いている。
小さな崩壊は多いが、右岸のロックゲレンデのような決定的難所はなく、なんとなく進める。
標柱も最初一つ見たきりで、ピンクテープなども全くないから、人が出入りしているという気配は全く感じられない。
8:56 《現在地》
道の状況に目立った変化は無いが、木々の合間から時々見える対岸の景色は、この探索の前半の進行を逆再生して変化した。
ここからは、目線の高さに【3号隧道の北口】
が見えた。
これは本当に見えていて、ちょっと感動した。
情報にもあったとおり、5本の隧道は全て谷底の道路からの目視が出来ないが、距離的にはだいぶ離れている対岸の道……自分自身の続き……からは、こうして見えるところがあった。
この景色から分かるように、径路上の距離が離れた両岸の道が、ほぼ同じ高さにあることも、水路工事用道路の特徴だと思う。
これが林鉄跡だったら流石にもう少し高低差がつく。
発電用の地下導水路は通常、1000分の1程度の物凄い緩勾配になるから、それを地上からなぞる工事用道路も、人の感覚では水平と全く区別が付かない緩勾配になるのが普通である。
ここにはそんな特徴が露見していた。
振り返った所に、結構な高さを持った石垣が完全な形で残っていた。
石垣なんかも、隧道や橋ほどではないとしても、作るのは大変な仕事だ。
一時的に使うだけの工事用道路では出来るだけ作りたくなかっただろうと思う。とはいえ、短期間とはいえ道が使えなければ本末転倒なので、本当に必要なところには作った。それが運良く今まで残ったのを、さらに運良く見つけている。
そう思うと、こんな普通の石垣も、余計に嬉しい。
9:02
左岸の道を辿り始めて15分ほど進むと、急に地形が嫋やかに。
切り立った斜面を脱して、緩い尾根筋に変化した。
楽しみな遠景は喪失したが、進むペースは良くなった。
雑穀谷を出ようとしているのだと分かる。
もう少しで称名川の本流筋へ復帰するんだろう。
9:05
ほうら来た。
前方、藪が濃くて分かりづらいかもしれないが、別の世界が透けてきている。
称名川を支配する王の姿が、透けている。
9:07 《現在地》
“悪城の壁”の拝謁を、ここで許された。