廃線レポート 元清澄山の森林鉄道跡 第12回

公開日 2016.12.16
探索日 2014.12.27
所在地 千葉県君津市

隧道擬定地での探索では、予期せぬ廃歩道に遭遇?!


2014/12/27 14:22

起点付近から先回りしてやってきた次の現場は、ここ。
片倉集落の南の外れに架かる、新片倉橋という大きな橋だ。
ダムの建設に伴って整備された市道の一部であり、平成に入ってからの架設である。

笹川を渡るこの橋から、第三の証言者が「隧道現存」を教えてくれた地点までは目と鼻の先であるから、アプローチ方法についての事前情報は無いものの、ここから適当に探してみようと思う。

まずは、橋の上から軌道跡や隧道そのものが見えるのかどうかのチェックだ。
まあ、流石に隧道までは見えないだろうが。
なにせこの橋自体はこれまで別の探索の折にも自転車で何度か通行しており、下を見下ろす機会もあった。これでもし丸見えだったとしたら、私は私の目を疑わねばならなくなる。



まずは、直前まで私が探索していた下流方向の眺めだ。
強い西日を背にしているため、谷底の様子はブラックアウトしてしまっているが、これだけでも橋の高さが伝わるだろう。

地形及び地相としては、向かって左の左岸は険しい岩壁になっており、疎らに木々が生えている。
対して右岸はやや緩傾斜で、広い杉の植林地になっている。
第三の証言者の地図によれば、軌道跡は右岸の森の中にあるはずだが、上からは林床が見えないので、軌道跡の有無も見通せない。

なお写真の奥の方で谷が右側に大きくカーブしているのが見て取れると思うが、あのカーブの少し先(下流)まで先ほど探索している。
この橋のある場所は、軌道の起点からおおよそ700mで、私の撤退地点(=軌道が笹川を渡る地点)からは400mである。




対して上流側の眺めだが、今度はキツい逆光のために、谷の様子はだいぶ見えにくくなっていた。
とにかく、谷が深いことと、向かって右側の左岸が極めて急峻であることは分かる。
そして、軌道跡があると見られる左側の右岸も視界が利かず、地表に何が有るのかは分からない。

結論として、この新片倉橋の上からは、隧道はもちろん、軌道跡の存在も窺い知ることは出来ないようだ。
流石にここから見てあからさまなようならば、とうの昔からこの軌道跡の存在は多くの林鉄ファンに知られていただろう。


…といったところで、次のステップに移る。
いよいよ隧道を探しに行くのであるが、前も書いたように、アプローチルートも細かい位置も分からない。
したがってここはセオリー通り、まずは軌道跡を見つけ、それを辿っていくことで隧道に“ありつこう”と思う。
となれば軌道跡探しであるが、この市道よりは間違いなく下にあるだろうから、どこか降りられそうな場所を捜したい。


これは使えそうか?

新片倉橋の右岸上流側の袂付近に、谷底へ下って行きそうな歩道を見つけた。
その入口には擬木コンクリート製の車止めが設置されており、雰囲気的には、使われなくなった遊歩道といった感じである。
ダムの周辺にはときおりこういう謎の遊歩道が作られ、数年足らずで存在を無視されてしまったりするが、これもそのパターンかも知れない。

いささか藪は濃そうだが、鋪装もされているようだし、道のないところを行くよりは遙かに安心である。
自転車を再び置き去りにして、単身、この廃歩道へ進んだ。




やや深い灌木が鬱陶しかったのは最初だけで、新片倉橋の巨大なコンクリート橋台に沿って急な階段が始まると、進行は楽になった。
両側にはやはり擬木製の手すりがあり、廃遊歩道説を裏付けている。
ダム直下の険しい峡谷の風景を民衆に解放するための親切であったのだと思うが、どうして放棄されてしまったのだろう。

片倉ダムのデータを見ると、昭和49(1974)年の着手から平成12(2000)年の完成まで26年もの時間を要しているだけに、その初期に計画されたレクリエーション施設なんかは、完成時にはもう時代の要求にそぐわないものになってしまっていたのだろうか…、などと他人事のように考えながら下った。




谷底までの半分くらい下ったところで、歩道は橋台を離れてジグザグに下り始めた。
行く手には西日に照らされた此岸の灌木帯と、反対に影となって黒く聳え立つ対岸の崖とが、峻厳なコントラストを見せていた。
両者の間には浅い水に満たされた川面も見え始めている。

おそらく歩道はこのまま川縁まで行くっぽいが、肝心の軌道跡はどこに行ったのだろう。
どの辺りの高さで歩道と交差しているのか、地形的に判然とするところはなかった。
上部に広い市道が建設された時点で、埋没してしまったのだろうか。




14:29 《現在地》

結局、軌道跡らしい平場を最後まで見出せないまま、おそらくそれのあった場所を突っ切る形で、廃歩道は河原に辿りついて終わっていた。


気付けば、全く人気のない川縁に、ぽつーん…。


…まあ、いいだろう。
とりあえず、川縁に降りたいという希望は叶った。
この後は、もしも時間に余裕があったなら、新片倉橋の下を潜って下流側の(ショートカットしてしまった)区間を確かめたかったが、写真の色合いからも分かるとおり、太陽の野郎が半端ない勢いで今日の探索を終わらせにかかっている。
ここは素直に、隧道擬定地とされる上流方向へ向かうことにしよう。

…すんなり見つかってくれると良いのだが、未だ軌道跡が見つかっていないのが気掛かり…。



路盤らしいものは見あたらないが、起伏の少ない川縁を進むのは容易かった。
そして橋の下から50mほど上流へ向かうと、前方に堰堤らしきものが見えてきた。
此岸の斜面もここからは急峻で、今まで歩いていた平坦な河原がなくなる。
また、相変わらず急峻な対岸の一部は、この辺りからコンクリートブロックの護岸が混じっている。

とりあえず、このまま川を歩いて堰堤らしきものを目指してみる。



14:33 《現在地》

美しいダムだった。
天端がよほど水平に作られているらしく、広い川幅の全体をまっすぐ堰き止めた堤上を
満遍なく薄い水の幕が流れていて、堤全体を水濡れした黒い漆塗りのような壁に仕立てていた。
コンクリート造りのこの構造物、おそらく取水堰堤なのであろう。高さは2m程度だが乗り越えるには高い。

そしてダムの向こうには、先ほどまで谷のカーブのために見えなかった片倉ダムの高さ約43mの高堰堤が、
明るい空を背に、猛烈な陰影を谷に落としてそそり立っていた。

もし軌道跡の隧道があるならば、当然あそこより手前ということだが…
怪しいのは、どこだ? どこにある??



それはもう、少し戻った“この上”をおいて他はあるまい!!

未だこのエリアでの軌道跡は未確認ながら、地形的にもしこの川に沿って軌道を敷設するとなれば、
この場所で谷を狭窄するように迫り出してきている急な山腹が問題となるはずである。
そのうえ川縁まで路盤が迂回してきている気配がないとなれば、これはもう、

この山を貫く隧道がある可能性は、大!



私は、適当な斜面に取り付いて、上り始めた。

この斜面をずっと登っていけば市道にぶつかるはずだが、高低差は20m以上ある。
そして斜面全体に木々が良く育っているために、見通しも良くない。
したがって、人の往来に近いところではありながら、ここに人知れず
古い隧道が隠されている可能性は、十分にありえると思った。

いや、きっとあるはずなのだ! あとは、私が見つけられるかなのだ。

祈りを込めて、この位置から上を見上げる。

↓↓↓



! !



ようやく、本日2本目の

隧道発見である!!


マジか〜!! あるにはあったが、

これは色々予想外な感じだった。

例の地図に「現存」とわざわざ注釈されるくらいだから、はっきりした坑口があると思っていたが、かな〜りヤバげ。

或いは、まだ状況の分からない反対側の坑口は明瞭な存在なのだろうか?


なお、左上の方にコンクリートの護岸のようなモノが見えるが、
おそらくあの上は市道なのだろう。ここからだと上は見えないが、位置的におそらくそう。
ということは、本当にアクセス的には容易な場所に開口していたということだ。
“トロッコ谷”の隧道などとは、全く比べものにならないほどイージーといえる。

私自身、上の市道は何度も通っているのに、少しも気付いていなかった。
でも、これは仕方のないことだろう。たぶんこの穴は上からは見えないし、
そもそも路肩を覗き込む理由がなかった。不法投棄でも考えなきゃ覗かなそうな場所。




14:37 《現在地》

うむ、間違いなさそうだ。

しかも、辛うじて開口は保っている!

しかし、“トロッコ谷”の隧道よりも更に危機的状況のように見える。
自ら崩れつつあるのか、上から降ってきたのかは分からないが、大量の土が堆積しており、坑口はまるで漏斗のよう。
そのすり鉢の底のようなところに辛うじて濡れた開口部が黒く残っているが…… 探索的に……

とても嫌な雰囲気である。

そもそも広さ的に……入れるのか、 こ れ ……。




穴に入る前に、坑口前に立って下流方向を見てみたが、そこにあるはずの路盤は、いまいち判然としない。

今立っている場所は、坑口の埋没に伴って出来た土砂の山の上であるから、当然本来の隧道の洞床より高い位置だし、坑外の路盤も見下ろした高さに有って然るべきである。
それはおそらく、画像に黄色い線で示した辺りだろうと考えられるのだが、そこは周囲の斜面と区別がつかない。
歩こうと思えば歩けるだろうが、ただそれだけという感じだ。

このように全体的に路盤の痕跡が乏しいのは、昭和の前半に廃止されたという情報に照らしてやむを得ない事なのだろうが、それにしても目立たない。
そんな中で未だに残る隧道たちは、この林鉄が存在した証しを万人に知らしめることが出来る唯一の存在と思われた。
消えた林鉄に遺志のようなものがあるかは知らないが、私は勝手に汲み取っている気分になっている。

つまりハイな気分なワケだが、そんな気分でもなければ――




これはキツイものがあるのよ……




“片倉ダム下の隧道”の内部状況は…


2014/12/27 14:39 《現在地》

ずり… ずり… ずり…

私は狭い開口部に、足からずりずりと滑り込んでいった。

リュックはもちろん、ウェストバッグも引っ掛かるほど狭いので、両方を外して入り、
途中で振り返って、それらを手で引っ張り込む形になった。上の写真はその最中に撮った。

かように狭い開口部であるだけに、洞内状況の安定は望みがたいか……。




否!!
 洞内は十分広い! そして、 貫通している!!


↓↓↓




だが、水没していた……!




予想外に、洞内は極めて良く原形を留めていた。

トロッコ谷の隧道も、外見に較べて内部の損傷はとても少なく、軌道が廃止されてからの年月の長さ(戦前ないし戦後まもない廃止とされる)を感じさせなかったが、この片倉ダム下の隧道も同様である。
房総半島にはこの手の長命な隧道が多くあることは既知だが、それでも驚かされる。
ましてや隧道外の路盤は経年相応に風化し痕跡を失っているだけに、その対比の鮮やかさは驚愕のレベルである。
これを目にすれば、多くの人がこの場所に軌道が通じていたことを納得するだろう。人里の近さも加味すれば、この隧道こそが小坪井軌道の代表的遺構といって良さそうである。

なお、現在までのところ、小坪井軌道にある各種隧道に命名がなされていたのかは明らかでない。
そこで、この片倉ダム下の隧道に適当な仮名を与えるとしたら“片倉隧道”というのも悪くないが、最も起点寄りの隧道なので、“一号隧道”というのがよりしっくりくると思う。

そして、隧道が予想以上に長かったことにも驚いた。

まっすぐに見通せる出口までは、目測で150m前後だろうか。
今日は異例なことに既にこれの倍くらいも長い隧道を体験済みだが、林鉄の隧道は100mに満たないものが圧倒的に多いのだ。それで戦前に建設された隧道だというのだから侮りがたい。

また、この隧道の長さに対する意外性は、隧道が掘られている場所との関係についても感じた。
これは本編のたった数枚の写真や文章では伝わりづらいと思うが、実際に現地を探索した実感として、これだけの長さの隧道があるというのが意外に感じられた。
地形的にはもっと短い、ちょっとした峡谷の山腹の出っぱりを潜り抜ける程度のものを想像していたが、実際は小さな峠を越える隧道といわれても信じられるくらいに長かった。

そしてこの150mほど先に見えるらしい北側坑口は、今背にしている南側坑口(右写真)と比較すれば遙かに良く形を保っているようだ。

まだ見ぬ反対側の坑口が、どんな場所に、どんな姿で口を空けているのか。
目の前の闇の向こう側を想像するのが、楽しくもあり、不安でもあった。



問題は、この水没だ。

正確な水深は不明。

だが、水面の色や、水面から天井までの高さから考えて、1mを越える深さがある。

水面から天井までの高さを見て、水深はもっと浅いと思う人もいるかもしれないが、林鉄用の隧道は、道路用のそれと較べれば遙かに幅に対する高さが大きい。“トロッコ谷の隧道”もそうだった。もちろんこれは、林鉄が大量の材木を重ねて運ぶ為の必要性から生じた形状である。逆に言えば、このような断面の形は隧道が道路隧道ではないという根拠(の一つ)になる。

おそらく歩けないほどではないが、半身以上を濡らさねばならない水深であるのは間違いない。
そしてこの水深は、いま居る北口が最も深く、南口に向かって浅くなっていくはずだ。
だが、そもそもの水深の深さと勾配の小ささからか、隧道内の全長が完全に冠水しているのが見て取れた。
一応言えば、探索時は12月末の夕暮れ前である。

そして、ここからが重大なのだが。
私は今日、乾いた替えのズボンをもってくるのを忘れていた。
普段はクルマに乗せているのだが、すっかり忘れていた。もちろんこれは私のミスである。
だがそれゆえに私は、ここで1m前後の水に浸かることを普段以上に躊躇った。(むしろ、入るよね?という論調がおかしいんだッ!苦笑)

とはいえ、もし出口まで見通せない状況だったら、好奇心に負けて踏み込んだのだろうと思う。
しかし、この隧道の内部はもう、明け透けだ。
これならば、洞内の貫通探索は省略しても良いのではないか? だって、ズボンないんだぞ。

結論。 隧道通過は断念する。



というわけで、撤収だ。
貫通を楽しみにしていた皆さまには申し訳ないが、もちろん、これで隧道を終わりにするわけではない。
私自身、まだ見ぬ南口には絶対にお目にかかりたいと思っている。
そしてそこへは山越えをして辿りつこうと思う。
それでもし辿りつけない状況があれば、改めて水没隧道を踏み越える覚悟である。

狭い穴から地上へと這い戻った私は、隧道の穿たれた山を乗り越えるべく、坑口直上の斜面を登った。
写真は坑口を見下ろして撮影したものだが、こうして上から見ても開口の有無は見えない。
坑外にも路盤らしいものは残っていないので、予めここにあると知っていなければ、まず隧道に気付けないだろう。

このあと更に斜面を登ると、坑口より20m前後の高さのところで、新片倉橋を通ってきた市道が待ち受けていた。
私はそこで自転車を回収してから、改めて市道を隧道南口の方向へ進みはじめた。




隧道南口への想定外アプローチ


14:49 《現在地》

さて、隧道の南口はどこにあるのか。

先ほど見た隧道の長さは目測で150mほどであったから、軌道跡と平行している地上の市道を北口の直上から同じくらい南へ進んだのが、この写真の場所である。

もう少し先で川側の森が途切れて明るく見えているが、あそこはもう片倉ダムの敷地の一部である。
ダムの敷地内に坑口が口を空けているとは思えない(だったら過去に見つけているはず)ので、隧道があるとしたら、その手前だろう。

…という考えから、“矢印”の場所にあたりをつけて覗いてみたのが、右の写真である。

市道はここで小さな谷をコンクリートの築堤で横断しており、底には水が流れている。
谷を覗いてみても目当ての坑口は見えないが、市道と軌道跡の高低差が20mくらいあることを考えれば当然だろう。

とりあえず、この谷を通って川の方へ行くことが出来そうだ。
行ってみよう。



まずは、この斜面を下っていく……。

底に見える小谷は笹川の本流に注いでいるはずだ。
そして、おそらくは小谷の右岸に隧道の坑口が口を空けているのだろう。

…そう私は考えていた。




谷底を下り始めると、数十メートルで行く先に広い“湖面”が見えてきた。

「あれ?まだダム湖じゃないよな?!」と、一瞬混乱したが、確かにここは片倉ダムの下流である。
この湖面のようなのが、笹川の本流だったのである。
そこに湖のように水が溜まっていた理由は、先ほど笹川を遡っている時に出会って引き返した“取水堰”である。
ここはあの堰のすぐ上流のようだ。隧道との位置関係としても納得出来る。

だが、ここで問題が…。




最後は、滝! しかも下れない!

落口から身を乗り出して下を覗いてみたが、肝心の坑口がある様子もない。
そのまま垂直に近い崖が、クリーム色に濁った水面に吸い込まれていただけだった。


…やべぇな。

ただでさえ時間ないってのに、

濡れたくないとから始めた迂回が、余計な困難に結び付いてしまったかもしれん…。




14:58 

現在地についてだが、GPSの表示や地形などから判断して、左図の辺りにいると思われた。
そして目指す隧道の南口は、現在地よりさらに南にあるのだろう。
そうでなければ、ここまでの行程で路盤と交差しているはずだが、そんな場面は全くなかった。

地図上で見ても、隧道の意外な長さが感じていただけると思う。
地形的には、現在の市道と同じくらいの高さまで路盤を上げれば、こんな長い隧道を掘らずに通過出来そうに思えるが、そうはしたくない、あるいは出来ない理由があったのだろうか。

…それでは気を取り直して、小谷からさらに南へ移動しようと思う。
一旦市道まで戻る事も考えたが、降りてきた高さを登り返すのが面倒なので、斜面を伝って直接南行することにした。
全く踏み跡はないが、右図の桃色のラインの様に小谷を出て、南へ。



斜面の様子。

雑木林はかなりの急斜面であり、眼下に深い水面が見えている事もあって緊張度が高い。

この方向に進んでいけば、やがては片倉ダムに突き当たるはずだが、それまでのどこかで、
先ほど北口からはっきり見通せた南口が、口を空けている筈だ。
しかし、あると分かっているものがなかなか見つからず、もどかしかった。



15:03 

キター!!!

市道を外れてから間もなく15分を経過しようというところで、ようやく…

やっとのことで、

南側坑口があるらしき場所の直上へと、到達したッ!


あとは下るだけだ。



どうやって下るんだよぉおおお!!(涙)


この野郎、マジで一筋縄でいかねぇ。
羊の皮を被った狼隧道…。


完全に、失策である。
黙って水没隧道を歩いて抜けるべきだったんだ!
替えのズボンがなくて、今晩の車中泊や、明日の探索が濡れズボンで始まったとしても、
そこは妥協すべきだった。

でも、それももう……「今さら」……である。
ここまで来てしまったからには、戻るのもまたキツイ。
なんとかこの高低差をフォローしなくては。




考えられるのは、山側と川側のどちらかの斜面をトラバースして、坑口の高さまで軟着陸することだが、路盤の山側は坑口のずっと先まで垂直に切り立った法面が見えていて、無理だ。
となると、川側からのトラバースである。

そう考えて今歩いてきた斜面を振り返るも、斜面の傾斜は川へ近付くほど切り立っていて、岩場ではなく土なのはまだ救いだが、下るのには恐ろしさがある。

しかし、チャレンジするしかないだろう。
無理ならば、諦めて北口へ戻るしかない。濡れる隧道へ、戻るしか…。




斜面に生えた生木たちが、ほとんど唯一の頼りだった。
これらを手掛かり、足掛かりとして、綱渡りに近いトラバースを行った。
万一滑落しても下は水面だが、かなり深いはずで、かつ岸辺には手がかりが無いので、上って来られなくなる畏れがあった。

ここは今日の探索の中では群を抜いて危険であり、実際に危機を感じた行程だった。
おそらく探索上の必須のルートでもなかっただけに、ここへ迷い込んだこと自体が失敗に近いだろう。
時間切れが近く、焦りがあった事も、良くなかった。




危機レベル上昇に伴うお馴染みの“自撮り”では、だいぶ疲れた表情を記録した。



しかし結論から言えば、この綱渡り的なトラバースには成功する。

写真の矢印のような感じで斜面を移動し、どうにかこうにか――



路盤へ、辿りついた。


そして、振り返れば、



渇望した坑口!
(ただしピンぼけ…苦笑)