2014/12/27 15:12 《現在地》
ようやく、辿りついた。
貫通した隧道の出口が見えていたにも拘わらず、水深が深いことから通行を回避し、代わりに山越えでそこを目指したという今回の判断は、出来ることなら「急がば回れ」のことわざの通りになってもらいたかったが、そう毎度上手く行くはずも無く、「急がば回れば、遅し」という残念なオチが付いてしまった。
結局、150mほどの隧道を回避するのに30分を要したという現実は、夕暮れ間近のこの状況では、探索の成否自体の致命傷を疑うレベルで失敗だった。
そもそも、替えのズボンを忘れてきたことが失敗だったと言えば、その通りだった。
まあ、グダグダいっていても仕方ないので、気持ちを切り替え、夕暮れまで出来る事を積み上げていこう。
まずは、苦労の果てにようやく手にした、目の前の成果を味わうことだ。
南側坑口の外見は、案の定素掘であった。
しかし、埋没しかかっていて全容のほとんど分からなかった北口とは違い、かなり良く原形を留めていた。
そもそも、午前中に見た“トロッコ谷奥の隧道”は、どちらの坑口もかなり荒れており、外見が分かりにくかった。
また、2年前の探索で「小坪井軌道」の隧道としては最初に見つける事が出来た“田代川の隧道”も、断面のほとんどが水面下にあるために、やはりよく見えなかった。しかも、片側の坑口は未だ発見さえできていない。
そのため、この3本目の発見となった“片倉ダム下の隧道”の南口は、「小坪井軌道」の隧道の坑口として初めて、“よく見える”ものといえた。
このことには、私は大きな喜びと達成感を感じる事が出来た。
さらに、本隧道の大きな特徴が、ようやくこの南口の写真で分かり易くなった。
それは、隧道断面の幅に対して際立って見える天井の高さである。
高さそのものの数字は目測4m程度であり、林鉄隧道としても珍しくはないと思うが、幅が2m程度しかないために、際立って縦長に見えるのだ。
この天井の高さについて、私は北口から洞内に入った最初の時点で気付いていたが、北口の内部は深く水没していたために、写真ではそれが伝わりづらかったと思う。読者の皆さまの中にも、私が言うほど水は深くないのではないかと疑った人がいると思う。
確かにここが普通の縦横比の断面を持った隧道だとすれば、“あの写真”で水深が1m以上もあるようには見えなかったはずだ。
だが、だいぶ水深が浅いこの南口で撮影した写真(→)を見ていただければ、本当に深かったのだと分かってくれると思う。(と、ちょっとだけ自己弁護)
いまさらだが、ちょっとだけ洞内に入ってみた。
隧道内は全長にわたって洞床が水没しているが、この通りに南口付近の水位は浅く、長靴でも進入が可能である。
このことは、北口で予想したとおりに、隧道全体が片勾配であることを示唆している。
長靴に頼りながら前進してみたが、5mばかり進んだ所で、あえなく“長靴の危険水位”に達してしまった。
私が“ズボンを濡らさないため”に払った代償の大きさを考えれば、ここで気軽にもう数歩進んでみることなどは、自身の正義に反することに思えたので、大人しく引き返す。
しかし、この短い内部探索によって、隧道内が極めて整然と保たれていることが改めて分かった。
水さえ溜まっていなければ、何の問題も無く通行できることだろう。
そして、“奥の隧道”で目にしたような水位の急激な変動を示す壁面の模様も見られないから、本隧道は常にこのくらいの水位を保っているのだと思われた。
廃隧道の多くに言えることだが、人里の近くにあるとは思えないほどの深闇と静寂を湛えた、時間の流れの遅さを感じさせるような秘密の空洞だった。
洞内探索を終了!
残された“最後の軌道跡”を辿るべく、未知の坑外領域へ前進を開始!
15:15 《現在地》
地味かもしれないが、今いる部分は「小坪井軌道」の中では貴重なワンシーンだと思う。
ここは、背後にしている隧道とセットで、軌道跡の路盤であることが強く感じられる場面だった。
(チェンジ後の画像は、振り返って坑口を撮影したもの)
この軌道の探索は2年にわたって(“分けて”と言った方が適切かもだが)やって来たが、方々の林鉄跡で見られるような普通の風景が、むしろここでは貴重なものだったのだと思った。
小坪井軌道では常識に囚われてはいけないらしい。さすがはこれまでも色々と常識に囚われない廃道風景を排出してきた“関東の魔境”。房総半島であった。
そんなやっとこ出会えた普通の軌道風景も、本当に、あっという間で終わってしまう。
この敢えなさも、千葉県唯一の森林鉄道を隠したい何者かの陰謀である訳は無く、単なる偶然であったはずだが、私の中ではとても印象的に映った。
“最後の軌道跡”の終わり。
ね? 呆気ないでしょ?