※ このレポートは長期連載記事であり、完結までに他のレポートの更新を多く挟む予定ですので、あらかじめご了承ください。
2017/4/13 19:07〜
14時間を超える探索を征し、エクストレイルのもとへと戻った私は、すぐさま“2日目の探索”のスタート地点へ向けて車を動かし始めた。
朝5時前から歩きっぱなしだった私は、非常に疲労をしていたが、負傷らしい負傷はなく、1日目の探索が極めて大きな危険と成果に満ちた刺激的過ぎるものであったため、生還の喜びから一時的に万能感や高揚感に包まれて、眠気を忘れたようであった。
そして同時に、このような凶暴過ぎる林鉄へ立ち向かう状況としては、体力の消耗を差し引いても、今が無二の好機であると思った。
常ならぬ大きな危険に身体と精神が慣れきってしまっている今の状況がチャンス。もしここで疲労と満足と理由に探索を終えたら、きっと心は醒めてしまい、再びこの危地へ立ち向かえるという確固たる自信は無かった。年齢的に体力や精神の衰えを自覚しつつあった私の恐れがそこにあった。
(この地の探索は本当にどこを取っても危険であり、私は危険な探索を推奨したくないが、これらは特別な回であると考えてほしい)
今回の探索対象である早川森林軌道について、ここで改めて解説はしないが、探索1日目が終わった現状における攻略の進捗状況と、2日目の目標について整理しておこう。
右図を見て欲しい。
これは私が今回の探索を行うにあたっての事前情報になった唯一の図書である、平成10(1998)年刊『トワイライトゾ〜ンマニュアル7』所収「続・関東周辺林鉄行脚」(竹内昭著)に掲載された地図をベースに、私の探索状況を書き加えたものである。
早川林鉄の奈良田〜深沢終点間推定19.5km(地図上の桃範囲)のうち、初日の探索を終えた時点で、トワイラ〜の未踏査区間推定13.5km(青範囲)の大部分である10.3kmが踏査済(紫範囲)となった。これが進捗の現状だ。
ここから2日目の探索ターゲットは、チェンジ後の画像に赤範囲で示した推定8.2kmである。
このうち、観音経〜深沢終点までの約5km(赤破線)は、大部分が車道化しており、トワイラ〜にて踏破済みである。
そのため、私とトワイラ〜を合せた未踏破区間は3.2km程度と推定され、1日目のような危険かつ困難な展開が予想されるのもこの区間だった。
今回の探索はもともと2日間を予定していたが、ここまでのレポートをお読みいただいた方ならばお分かりのとおり、1日目どこまで進捗できるかによって、2日目の計画は流動的に変化するものであった。
1日目の探索が最も順調に行った場合は夜叉神トンネルまで進行し、そこでそのまま夜営して2日目の歩行へ繋げる計画だった。
だが、現実には夜叉神トンネルまで残り推定1.7kmの地点で断念して車へ戻ってきたため、これから車ごと夜叉神トンネルへ向かおうとしている。
結果的に、1日目の往復の歩行距離がとても長く、かつ2日目もそれなりに長いという、計画の範囲内で最も苦しげな感じの内容になってしまったが、全ては私の決断であったので受け入れるしかない。もっと楽が出来る選択もどこかにはあったかもしれないが、今さらである。
というわけで、19時過ぎから車の移動を始めたわけであるが、その行程をGoogleマップで表示するとご覧のとおり、約80kmに及ぶ長い道のりとなった。あと1.7kmを諦めたばかりに…。
この行程、Googleマップの計算では1時間50分だが、山岳区間が長いので実際はもう少し掛かる。これは19時に移動開始しても21時過ぎまで優にかかる計算だ。 嗚呼! 貴重な睡眠時間が減っていく!!
私も疲れていたせいか、この車での移動中は写真を全く撮影していなかったし、記憶もほとんどないが(なんかトリさんに電話をして話した気がする)、そういえばと思いGoogleマップのタイムラインで当日の行動を振り返ってみたところ、富士川沿いに出て少し北上した身延町役場付近で21時頃から車中泊をしていた。食事は安定のコンビニ弁当であった。
翌14日は、その車泊現場を2時50分に出発していた。睡眠時間は5時間くらいであったと思う。消耗的には足りていると思えないが、泣いても笑っても今回の探索はこの2日目で終了。燃え尽きる覚悟であったようだ。車は深夜の南アルプス市街を走り抜け、御勅使(みだい)川沿いの県道甲斐早川線(当時は県道甲斐芦安線)を西進、芦安温泉で県道が途切れると、そのまま県営南アルプス林道に入り、激しい九十九折りが連なる1車線舗装路をひた登った。そして4時過ぎに自家用車が入れる末端である夜叉神峠登山口に無事辿り着いた。
明るくなり次第出発することに決め、ここでも一瞬だけ目を瞑った。
私が目を瞑っている一瞬の間に、皆さまにはこれからの行動計画をお伝えする(↓)。
現在地(スタート地点)は、夜叉神峠登山口である。登山をする人にはお馴染みの場所かもしれない。
早川林鉄の舞台である早川(芦安側ではこれを野呂川と伝統的に呼んできた)は、ここから夜叉神峠を越えたすぐ裏側である。
そしてそこに、トワイラ〜が明らかにした軌道跡が存在する。
トワイラ〜は地図中の「観音経」より北側を終点まで踏破している。大部分が車道化しているが、所々に軌道時代の遺構が残っているとのことであった。
今日はその区間も歩くつもりだが、先に、より困難と思える部分に挑戦したい。
昨日の撤退地点を上流側から攻めるのである。
トワイラ〜によれば、観音経から下流方向へも明確な軌道跡が伸びているという。
が、そこは【確定で通過不能】
(少なくとも私には絶対に無理)と分かっていたので、迂回する方法を考えていた。
そして私が考えたのは、夜叉神隧道の西口からカレイ沢を下れば、軌道跡へ辿り着けるのではないかということだった。
既知と既知を繋ぐ未知の軌道跡は、上の画像に赤い点線で描いたようなルートで敷設されていなければならないはずで、途中でカレイ沢を必ず渡るはずだし、そのポイントは夜叉神隧道西口からそれほどは下らないのではないかと考えられた。その高低差は最大でも100mはないはずだった。
そして当時、このルートから軌道跡へアプローチしたという前例は確認はできなかったが、カレイ沢を下ることが不可能だという報告も、またなかったのである。
というか、おそらくこの山域に足を運ぶ正当で正直なアルピニストたちは、夜叉神隧道の前にある谷を降りていくなどという意味不明な行為を試さなかったのではないかと思う。至宝のような3000m級山岳への第一歩となる場所で、なぜそんなことをする必要があるか。
オブローダーにしか説明のできないことを、私はするつもりであった。
夜叉神隧道西口から軌道跡へ辿り着けた暁には、まずは昨日の撤退地点“尾根F”を目指したい。
それが今日の第1ステージである。
無事に到達出来たらすぐに引き返し、今度は観音経側へ進むつもりだ。
夜叉神隧道西口〜観音経の区間は、おそらく地形的に最も過酷な区間で、トワイラ〜では未探索であったが、実は当時からネット上に1本だけ踏査を挑んだ記録があって、私はそれを読んで来た。
探せば見つかるだろうが、敢えてまだ秘しておく。
私がどこまでやれるかは分からないが、そこが今日の第2ステージである。
無事に第1第2ステージの探索を終えることが出来たら、最後は時間が許す限り、終点の深沢まで歩いてみたい。
そこまでの行程に比べれば容易だと思うが、時間が残るかは分からない。
これが最終の第3ステージである。
以上。語るだけで脹ら脛が痙りそうな熾烈なる軌道跡歩きが、この一晩の間に私が決定した本日の探索プランの全てである。
さあ、目を覚ませ! 外は明るくなったぞ。
起きるのだ。
………………へんじがない。
起きなさい、ヨッキれん!
2017/4/14 5:11
ウワーーーッッ!!! やってしまった!
痛恨の30分寝坊である!!!
この日は4時40分が日の出であったのだが、一瞬だけ目を瞑ったはずの私は即座に意識を喪失し、意識不明となって、何かゾワゾワという悪寒によって目を覚ますと、外はもうすっかり明るくなっていた。大慌てで荷物を身につけ外へ出た。予定よりも30分も遅れてしまった。
30分のロスはあまりにも痛いが、やってしまったことは仕方がない……。
アルピニストが残した無人の車が数台静まりかえっている駐車場に、息せき切って私が登場。
行くぞ、出発ぅーー!
5:11 《現在地》
歩き出すと直ちに大量の看板が一斉に現われ、その情報量の多さに目眩がした。
情報を要約すると、この先の南アルプス林道は通年において一般車両は(自転車含め)通行止であり、かつ今は冬季閉鎖期間中である。
大量の看板たちの中央には、ゆるキャン△にも登場した厳重な通行止のゲートが当然のように閉じていた。
封鎖からのスタートというのは昨日の出発時と同じである。
道路名こそ違っているが、一続きの道の前後の封鎖に立ち会った訳である。
今回は自転車は使わず、徒歩でゲートを通過した。
スタート時点で既に昨日の最高到達高度よりも上にいる。
昨日、軌道跡を最後に撤退した地点が標高1260mであったが、ここは既に標高1380mある。
今日は昨日に比べてアップダウンは少ないはずで、その点は楽であると期待している。
駐車場からほぼ平坦な林道を進むこと約500m――
5:18
正面から朝日を浴びて暖色に染まった誰かの家のガレージ夜叉神隧道が現われた。
この特異な隧道について、懐古道路趣味者として語りたいことは沢山あるが、本編は南アルプス林道ではなく林鉄のレポートであるので自重する。今回はただの通り道に徹して貰う。
ただ、その生まれにおいて林鉄と無関係ではないのも事実だ。
両者の関わりをひとことで言えば、山梨県による野呂川開発の捲土重来である。
戦前から戦時中にかけて山梨県が進めた早川沿いの道路整備と、その延長としての野呂川の森林資源を開発する試みは、野呂川部分については失敗に終わった。その失敗の道が今回の林鉄に他ならない。
だが山梨県は諦めず、戦後すぐに独自の野呂川総合開発計画を立ち上げ、夜叉神峠をトンネルで貫いて甲府盆地と野呂川上流を最短距離で結ぶ夜叉神林道(現:南アルプス林道)を整備したのである。
「夜叉神隧道」の扁額には、おそらく日本でいちばん扁額に多く刻まれている男の名「天野久」が躍っていた。
夜叉神隧道の東口は、冬季閉鎖期間中、常にシャッターが降りている。
一般車両には縁遠い存在で、なんのためのシャッターなのかは知らないが、鍵がかけられているわけではなく、併設された歩行者用の通用扉も同様である。
ギィーーー 失礼しま〜〜すびゅううううう!!!
開けた瞬間、洞内から3000m級の雪峰を渡ってきたような猛烈に冷たい激風が扉を押し返してきた。
なるほど、扉が設置されている理由が分かった気がする。
これがないと甲府盆地が寒くなりすぎるからだ……というのは冗談で、おそらくトンネル内の気温が冷されて氷柱が大量に発生し、壁を傷めるからではないかと思う。
びゅうううガチャン。
扉を閉めればたちどころに風は止み、辺りは真の闇と静寂に包まれた。
5:19
昭和30(1955)年に開通した当初、林道用としては日本一長かったという夜叉神隧道の全長は1148m。確かに長い!
長いが、洞内は見事に直線であり、入った時点で小さな点のような出口が灯っていた。
無灯火トンネルなので、ライトの持参がない場合、通過は軽めの拷問になろう。
ここからトンネルをトボトボと歩き続ける16分間はとても長く感じられ、その間ずっと、たとえ見つかって叱られるリスクを冒してでも自転車を持ち込みたかったなと、正直思った。
16分後に、ワ〜〜プ。
5:35 《現在地》
モルゲンロートに赤く燃える白い山が、忽然と、眼前に!
白い山は、南アルプスこと赤石山脈の最高峰群である白根三山の一峰で、国内第三位の高峰、間ノ岳(3190m)である。
トンネルを抜けた瞬間、暗闇から一転して目の前に白く輝く絶景が飛び込んでくるというこの劇的な演出は、林道としての余力のない由緒を思えば、きっと計算されたものでは無かっただろうが、結果的に多くの登山者に衝撃と感動を与え、林道はこの山域に劇的な幕開けを告げる存在となった。
かつては甲府盆地から一日がかりで夜叉神峠を登り切った者だけがまみえた山脈の深奥が、ここに開陳されている。
う うお かっけえ……。 惚れ惚れする…。
坑門に齧り付きたくなるが、我慢だ。
寝坊のせいも少しあるが、今は時間が惜しい。
隧道の鑑賞を省略して、本題にコミットする。
これが、夜叉神隧道西口前の道路風景だ。
トンネルを出ると道は直角に右折して、隧道の翌年である昭和31年竣功の古びた橋を渡る。
地図にはカレイ沢を渡る橋として描かれているが、銘板に刻まれている橋名は「崖沢橋」、読みは「かれいざわはし」である。
カタカナだと意味不明な「カレイ」の意味が分かって、私は、ゾクッとした。
だってこの沢を下ろうとしてるんだよ!今から!
坑口の正面、ガードレール代わりのように盛土されている所を乗り越えて、カレイ沢への下降を始める。
大丈夫かなぁ……。
夜叉神隧道西口から、カレイ沢へ下る。
私の予測が間違っていなければ、高低差にして50m、最大でも100mを下るまでに、軌道跡と接触することができるはず。
除雪によって集められた雪がわずかに残る路肩へ登って、いま出会ったばかりの沢を野心的な目で覗き込むのであった。
うっ。
遠慮というものが全く感じられない高度感に、まず気圧された。
現在地の標高は1380m、ここからカレイ沢は約1.2kmの流程で標高1000mを流れる野呂川に合流する。
いうまでもなく急峻な谷である。
その勾配は一様ではないので、ここから野呂川は見通せないが、その対岸に聳える2000mを超える山肌は朝日に赤々と燃えていた。
この地形だと、カレイ沢の底に日が昇るまでは、まだ当分はかかるであろう。
そんな薄暗かろう未知の谷……道の見えない谷へ……入り込もうとしている………。
おそらく、ここが今日一番重い踏み出しの一歩になる気がした。
ここさえ踏み出してしまえば、きっと昨日の熱を私の身体は思い出してくれるだろう。
一度は帰ることができた安全圏から、再び足を踏み出すのには勇気が要るが、ここから出なければ始まらないのである。
同じ立ち位置から、足元直下を見下ろしている。
幸い、降りられないような絶壁ではないし、カレイ沢の流れる渓流も見えている。
が、かなりの急傾斜だ。
もちろん、踏み跡らしいものは見えないし、ピンクテープなどもない。
……前人未踏の谷ではない。
地形図を見ると、この谷にも2つの砂防ダムがあり、それらはおそらくここから軌道跡の高さに降着するまでの範囲にある。
おそらく林道工事が盛んに行われていた時代の構造物ではないかと思うが、間違いなく工事関係者は入っている。
5:37 意を決し、下降を開始。
5:41 (下降開始から4分)
目の細かい礫が硬く締まった斜面は、表面に潤滑剤のような落葉が堆積していることもあって、案の定下るのに苦労した。
所々にパチンコ台の釘のように生えている樹木を頼りにしながら、慎重に下った。
結果、林道から見下ろしたときに見えていた最初の水面に辿り着くまでに7分を要し、今はまだその途中。真ん中くらいの位置だ。
今のところ軌道跡は見当らないが、斜面にはときおり、林道から落ちてきたらしき人工物の残骸が散らばっていた。
それはコルゲートパイプの破片であったり、トタン材の断片であったり、あとはチェンジ後の画像でアップにしたような錆びた鋼材であったりした。
これを一瞬廃レールと思ってドキドキしたのは内緒である。
実際はレールとは全く異なる山形鋼材で、多分何かの(鳥獣保護区とかの)看板の支柱だ。
5:44 (下降開始から7分) 《現在地》
ようやく、当面の下降目標としていた谷底の水際へ辿り着いた。
写真は、カレイ谷を見上げて撮影した。私は向かって右の斜面を降りてきた。
谷の奥に見えるのは、先ほどまでいた崖沢橋である。
昭和31年竣功という、他では旧橋や廃橋になっていてもおかしくなさそうな年代の橋が、依然として南アルプス林道の重責を担っている。
年代的には世の林鉄と大差なく古い橋である。
だがここでは災害理由の荒廃によって廃止された早川林鉄の後釜として、あの林道が登場しているわけで、ふだんの探索で目にする林鉄とは一線を画して早く廃絶した路線であることを改めて認識させられるような橋の老体ぶりであった。
そんな橋の下に、橋と同年代に古そうな石組みの砂防ダムが、崖にへばり付く危うい姿で滝を落としていた。
あの砂防ダムは地形図には表現されていない。
同一地点より、今度は反対にカレイ沢の流れる先を撮影している。
すぐ先に、幅の広い砂防ダムがあるのが分かる。
ダムによって下を堰き止められているために、私が下降目標にしてきたこの場所は平らだったのである。
ここまで林道から高低差にして30mは下っているが、これはまだ軌道跡が想定される高さには、おそらく足りていない。
たぶん、あと30mは下る必要があると予想する。
すなわち、この砂防ダムを降りる必要がある。
……また一つ、自ら危地の扉を開けて、足を踏み出さねばならない。
はやく、軌道跡を発見し、この底知れない下降劇にピリオドを打ちたいものだ。
谷を下るのは、全く良い気持ちがしない。
5:55 (下降開始から18分)
おそらくまだ下降は足りていないと考えつつも、万が一にも軌道跡をスルーして下りすぎるのは致命的なので、慎重に周囲の斜面にそれを探した結果、砂防ダムを下り始めるまでにやや多くの時間を費やした。
ようやく、まだ軌道跡まで来ていないと納得し、地形図にも描かれている砂防ダムへ。
下り始めて分かったが、このダムは2階建てになっていた(地形図だと1基の表記)。
また、崖沢橋直下のものよりも現代的なコンクリート造りで、銘板も取り付けられており、曰く昭和43(1968)年度に東京営林局が設置した、カレイ沢第8号コンクリート谷止工という名称の施設であった。
工事関係者がどこをどう往来していたのか、今となってはまるで見当が付かない。
周囲は踏み跡などないガレ場や落葉で潤滑された急斜面ばかりで、どこを下ろうにも気楽ではない。
いずれここを上り返さなければならなくなる可能性もあるが、今はまだ考えたくないなぁ……。
5:57 (下降開始から20分) 《現在地》
GPS上の現在地は、地形図に描かれた二つの砂防ダムの間である。
林道からは高低差にして50m下り、標高1320m附近……、軌道跡を想定している高度帯である。
楽な歩行ではなかったが、大きな危険を冒すことなく、目指していた高度帯まで短い時間で降りてくることが出来た。
あとは、この辺りに軌道跡があるかどうか。
いうまでもなく、ここまでの行動の全価値がそこに集約されている。
あってくれと強く祈りながら、周囲(主に谷の左岸方向)を探しはじめた。
5:58
砂防ダムに囲まれた谷は狭く、かつ視界を遮る緑が全くないために、軌道跡を探す余地などほとんどなかったから決着が早かった。
あっという間に、この“段”にはないと判断され、地形図に描かれているもう一基の下流側の砂防ダムも下ることになった。
写真は、そのダムの堰堤で撮影している。
おそらくだが、これより下流にはダムはないと思う。
したがって、このダムを降りてしまうと、カレイ沢は人間の縛りより脱して、本来の奔放な振る舞い始めるのではないかという危険を感じていた。
それでも、軌道跡が見つかるまで、もう少し下ってみるしかなかろう。
同じ立ち位置(砂防ダムの上)から、ダムの下を見下ろして撮影したのがこの写真だ。
ここまで来て初めて知ったが、もう一基、下流に砂防ダムがあるようだ。これは地形図には描かれていない。
あと、ここまで下ってきて初めて、平場があるっぽい。
「平場がある」は、何かを探している最中の私が呪文のように唱えまくる不確実性が高いワードだが、これは真実の平場……だと思う。
今いる砂防ダムの数メートル下に、自然地形としては冗長に広い平坦地がある。
軌道跡かは分からない。
もし軌道跡だとしたら、今いる砂防ダムに断ち切られている高度だ。
しかし、切に、切に、
軌道跡で、あってほしい!!
平場と思った場所へ、降着する。
6:00 《現在地》
ここはやはり、人為的に用意された平場だと思う。
ただ、軌道跡であるかは、進んでみないとまだ分からない。
砂防ダムがこれだけあるので、工事用の平場があっても不思議はない。
ここまで、林道からは70mほど高度を下げたと思う。
一番、軌道跡がありそうな高度にいる。
先(左岸方向)へ進んでみる前に、平場からカレイ沢を振り返ってみた。
カレイ沢はこの場所で右から来る支流を合せており、両方に砂防ダムが設置されていた。支流側のそれは地形図には描かれていないものだ。
合流地点の下にも地形図にない砂防ダムがあり、林道を支えるべく、道なき険谷に多くの労力が投入されていたことを知る。
チェンジ後の画像の★の位置から、この平場を見つけた。
また、もし平場が軌道跡であるとしたら、その延長線上に本流と支流の砂防ダムが並んでいることになる。
橋の痕跡は残されていないだろう。
平場がこの谷の対岸にも続いているとしたら軌道跡である可能性は高いが、確かめに行くのは大変なので、今は左岸側の調査を進めよう。
6:04
軌道跡じゃないかも……
砂防ダムから少し離れると、平場は斜面と区別が付かなくなってしまった。
傾斜的には無理矢理進んでいけなくもないが、南アで“なんでもない”場所を彷徨うのはごめんだ。生き残れる気がしない。
どこなんだ軌道跡……。
あると思うんだけどなぁ、カレイ沢に。
もうちょっとだけ、素直に斜面を進んでみよう。
6:07
仄かに平場だったような気配がないとも言い切れない程度の痕跡があるような気がしないでもない斜面を、疑心暗鬼になりながら、さらに3分、距離にして50mくらい、滑る斜面に辟易しながらトラバースし続けてきたところだ。
もう既に、カレイ沢の流れは簡単に手の届かない下に離れている。無事には滑り落ちれない高さだ。
無為に進んでもよい限度は、既に果てた。
引き返そう。
待て! 向こうにあるの
切り通しだろ!
あああああ足元に!!!
アブナイ!
慌てすぎて、ゆずれもんを落してしまった。
すぐ拾って! 大きな画像にしなくて良いからこれは。
レールだぁ!!!
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