道路レポート 林道樫山小匠線 最終回

公開日 2015.5.16
探索日 2014.3.27
所在地 和歌山県那智勝浦町〜古座川町

終わり、そして始まりの地、樫山。


2014/3/27 11:56  《現在地》

前回の最後の写真から、ほんの少し数メートルだけ戻った場面。
これが樫山集落の入り口。まるで林鉄でも通じていたかのような深くて狭い切り通しである。
その幅は、これまで何度か現れた隧道と共通しており、元々は隧道だったのではないかという疑惑を与える。
そしてこのいかんともしがたい狭さも、結果として見れば、私が辿ってきた道に入ってはならない闖入車(者ではなく)を最初に排除する、そんな“優しさ”でもあったと感じるのである。

それにしても、小さな切り通し1つを挟んだ両側の風景の違いは強烈である。




集落側から切り通しを振り返ると、まさに外界を隔てる門戸のようだ。

昭和40(1965)年頃まで、この道は通じていなかった可能性が大で、樫山は一切の車が入らない土地であったものと思われる。
だから、こんなに狭い道であっても、開通は集落にとっての大きな歓びであったろう。

結果的にこうした車道の開通は、集落へ外から人を呼び込むよりも遙かに強い力で外へと吸い出してしまうのであるが、私はそれを悪だとは思わない。交通不便のために移動の自由が著しく制限されている状況など、この土地の暮らしによほど満足していない限り、大きな虐げだと思うから。(そういう価値観を押し付けるのは“文明の暴力”かもしれないが…)

なお、ここに古座川町建設課が設置した「これより車両通行止」の看板は、まだ新しそうだった。



切り通しから集落のある地平へ出ると、目の前には(前回の最後の写真を撮った)立派な橋があって小匠川を渡っているのだが、すごく目立たないものの、右へ行く道もある。

歴代地形図の描写から推測すると、いままで辿ってきた林道樫山小匠線は、右へ行くのが正解だと思う。
直進の立派な道は、前回紹介した「炭焼と魚」が描写する昭和40年代には、樫山集落の数キロ手前までしか出来上がっていなかった古座川町の中心部高池へ通じているもので、林道樫山線と呼ばれている。
橋に銘板などがないので竣工年も橋名も定かではないが、見るからに新しい。

とりあえず、樫山小匠線のレポーターとしては、まず右折を選ぶのが礼儀だろうと判断した。

そして右折すると、今まで通りの狭い道が帰ってきた。おかえり。



11:58 《現在地》

右折して川沿いに100mほど行くと、こちら側にも集落の一員であったろう家屋が現れ、その周囲に石垣を巡らせていた。
あくまでもこの道を基準に取るなら、ここが集落で一番最初に出会う家である。

また、この家の向い側には、先ほど見たものとは見るからに時代を異にする橋が架かっていた。

先に、お家の方を見よう。




……廃屋…ですな。

既に樫山集落が無人化していることは、情報提供者のおこぜ氏から最初の段階で聞いていたが、こうして明るい集落風景の中に公然と廃屋が残っているというのは、ここに至るまでに見てきた山手川や白洞などのすっかり植林地として“精算”されてしまった景観とは大きく情感を異にしていた。

いうまでもないが、この方が遙かに最近まで人が暮らしていたという実感を伴う分だけ、離散集落の悲哀がリアルに感じられた。

この立地は、きついもんなぁ…。



そして橋へ。



う〜〜〜あ〜〜〜

マジ綺麗だ…  なんか泣ける。


そして……、私には分かる。

きっとこの橋が、集落があった頃の“本当の入口”なんだと。




この親柱も銘板もない狭いコンクリート橋を渡ると、集落の家の多くが立地していた小匠川右岸の高台へ出ることが出来る。
だが、4輪車が通れそうなのは橋までで、その先は2輪車しか通れない小径である。
どうせこの上には先ほど別れた林道樫山線があるので私は登らなかったが(登れば良かったと後悔してる)、

この古ぼけた素朴な橋を前景に、

どこまでも青い集落の空を見上げたこの場面こそ、

私が本当の意味で「樫山へ着いた」という実感を持ち、

同時にこの道を極めたという満足感を得た、

本探索のクライマックスだった。




きっと私は紅潮した表情をしていただろう。

ふわふわとした気持ちのまま、自転車に跨がって、橋を脇目にさらに左岸の道を進む。

そうすると思いのほかすぐに、集落の端っこに辿りついたらしかった。

そこにあるやはり無住の家屋(庭に植えられた大きな椿が沢山の花を付けていた)を最後に、集落と周辺の山岳を顕然と分ける“明るさ”の変化があった。

道は地形図にも描かれているとおり、なおも小匠川沿いに続いているようだが、もう目的地を過ぎてしまう。



12:00 《現在地》

うわっ。 森へ入った途端にこれか。
これは、だいぶ長い間放置されているな。
まったくもって、廃道だ。

第5回の「歴代地形図解説編」を見ていただくと分かるが、実はこの1.7kmほど上流にも、さらに集落が存在していたようである。
明治44年や昭和28年の地形図に「尾ノ内」と注記されている場所だが、昭和40年の地形図で忽然と姿を消し、現在の地形図でも道はその辺りまで描かれているものの、樫山を過ぎると同時にこの有り様である。状況は推して知るべし。到達にはそれなりの覚悟と準備が要るだろう。

…今日はやめておこう。
ここに自転車を置いて1.7kmの廃道を往復するのは疲れた身体に少し重いし、モチベーション的にも樫山で満足していた。



それになにより、

私の旅は、まだ道半ばなんだよ!!

今回の探索の目的であった樫山には確かに無事到着したが、このまま来た道をスタート地点に戻るのでは面白みが薄い(水没区間の水が引いてどうなっているかには興味があったが)。
そのため計画ではこれから、樫山集落が最末期に手にした第2のルート林道樫山線を走破し、樫山が属する古座川町の中心地、高池に出るつもりであった。

林道樫山小匠線は険しい峡谷の道ではあったが、高低差という意味では非常に恵まれていた。なにせ全線が川沿いであったから、数十メートルの高低差しかなかった。
対して林道樫山線は、高池まで約11kmの長い道のりの途中で2つ峠を越えなければならない。
樫山は古座川町のくせに古座川水系ではなく太田川水系に属しているので、分水嶺を突破しないとならないわけだ。

2つの峠はそれほど高くはないものの、道のりの長さや、高池に出た後でスタート地点まで戻る事も考えれば(輪行を予定)、今の正午という時刻も決して余裕ではないかも知れない。疲労の面でもそうだ。まだ体力を残しておかないと、この無人の村で亡霊に一宿一飯を請う羽目になりかねない。

…そんなわけだから、これより「 樫山脱出編 」を足早にスタート!




樫山集落と林道樫山線 〜遅く来たヒーロー〜 


12:04 《現在地》

最初の切り通し前の分岐に戻り、そこから立派な橋を渡って、林道樫山線に入る。
ちなみに手元のスーパーマップルデジタルでは「樫山林道」の名前になっているが、本項では林道樫山線として進めたい。

橋を渡ると早速厳しい上り坂が始まるが、しばらくは上り坂の両側に樫山の無住となった家並みが続くことになる。
樫山集落は典型的な山村らしく、比較的小さな円形の範囲に家並みが散在し、特定の道路沿いに密集しているわけではない。
それにそもそも、林道樫山線は集落の家屋の位置や向きに影響を与える時代のものではないのである。
悲しいかな、この道が長い年月をかけてようやく集落内まで進んで来た頃には、ここにある大半の家が既に無住であったと考えられるからだ。



この林道樫山線の完成の年は正確には分からないが、昭和52(1977)年に撮影された空中写真では、まだ辿りついていない。
だが、昭和57年の世帯数が残り2戸にまで減っていたのは前回明かしたとおりである。
その後の昭和61年版でも同様であるが、平成4年版で、ようやく完成が見て取れた。
つまり、林道樫山線の集落到達は昭和61年から平成4年の期間である。

対して、最後の住民が集落を離れた時期についてであるが、「村影弥太郎の集落紀行」さんのレポートによると、平成17(2005)年頃であるという。
また、情報提供者おこぜ氏の記憶によっても、例の写真を撮影した平成7(1995)年には数人の定住者を見たが、2000〜2005年頃の再訪時は、家屋の風通しに訪れていた元住人を見ただけで、定住者は既にいなかったのではないかということであった。




つまりは、既に朽ちつつあった家並みの合間を縫うようにして、この真新しい道路が作られた事になる。
こんなものは無駄な道路だと非難されるべきだろうか?

私はそうは思わない。
もし未だにこの道が無ければ、年老いた元住民のどれだけが、あの「林道樫山小匠線」を辿って、ここを訪れる事が出来るのだろう。
しかしこの道ならば、比較的容易に安心して訪れる事が出来る。
その差の結果に及ぼす歴然は、山手川や白洞の暗い現状と、この樫山の明るい現状に現れているのではないだろうか。
(廃村跡地にスギを植林して、それを育てることで元住民が収入を得るような仕組みが、既に失われていることも関係していそうだが)



集落に立ち並ぶ沢山の家屋には、作りの上での個性があった。
そして、それぞれが無住になった時期の差も、明らかに見て取れた。

これは樫山集落が、行政の指導や住民達の自主的協議で行われる集団離村のような形によるのではなく、自然に次第に人が減っていった、そういう末期を思わせた。




明るい南東向き斜面に、全部で15,6軒の家屋が立ち並んでいた。

ここで時の流れの遅い景色を眺めていると、家々にひそひその声が起き、「炭焼と魚」の登場人物たちが今にも現れそうな気配を感じる。
木をこる甲高い音が山に木霊し、炭を焼く紫の煙が峰を漂う予感がする。

今の地形図にも破線で描かれているが、集落の中ほどから林道と別れ、南の稲荷山を越えて高池に通じる小径がある。
写真はその入口で、背後に聳えるのが稲荷山(天辺はフレーム外)。
そこは、“主人公の教員”が、村に赴任するのに大勢の村人の出迎えを受けながら歩いた道であり、この林道の旧道にあたる。
あの山を越えなければ外へは出られないのは、今の私も同じだった。




12:08 《現在地》

これで樫山ともお別れだ。
道はこれから本来の林道らしい山岳区間に入る。
その傍らには、覚悟を決めさせるためにあるわけでもないだろうが、ここにも手作りっぽい看板あり。

「林道樫山線  楠 平 まで4.0km」

この楠平というのは隣の集落の名前だが、さらっと4kmか。結構な距離じゃないか。しかもそれでも道半ばなんだから、気を引き締めないと。



道の終わりにして、始まりの地、樫山よさらば。