2018/5/24 15:13 《現在地》
見てくれ〜〜〜!! やったぞ〜〜!
これが、廃止後初めて公開される(かな?)真の“陸の孤島”的廃道、雄冬岬旧道の現状である。
ここは2016年1月19日午前7時をもって旧道となり、同時に唯一の出入口であるトンネル内分岐が現道側へ切り替えられ、そのまま分岐を封鎖する工事が行われたため、以後、工事関係者はともかく、一般の道路利用者は完全にシャットアウトされて2度と通行する機会はなかったと思われる。
その切り替えから、探索時点では約2年4ヶ月が経過していた。
いま見ているのは、約200m先に口を開けるタンパケトンネルの南口だ。
海上からもそう見えたが、やはり間違いなく開口したままに見える。絶対に塞いであると思っていたのに……! 嬉しい誤算。
まだ中がどうなっているのかは暗くて見えないが……。出口の光も見通せていない。
そしてとりあえず、この道を見た第一印象は、“2年4ヶ月”って感じ。
なんじゃそりゃって感想だが、まともな道路を2年かそこら放置していたらこんな感じになるんだろうなという、こういう想像に慣れている私が想像した、そのまんまのような風景だと思った。
路面のちょっとだけ塵が多い感じとか、まだ遠慮がちな雑草の様子とか、錆が酷いけれども溶けるほどではないガードレールとか…。
車でも走ろうと思えば走れるだろうが、確かに現役ではない道だと察せられるくらいの、絶妙な廃道風景だった。
そして、私を含めてこのくらいの熟成度の廃道が好きって人は、大勢居ると思う。
私の場合は、滅茶苦茶荒れてるところが好きなのだろうと勘違いされているかもしれないが…。
同じ立ち位置で、振り返り。
こちらは、ガマタトンネルの北口である。
今から約3時間前(11:54)に、浜益トンネルの一部と化しているこのトンネルの【南口】
を通過している。
一本のトンネルなのに、色々な意味で、本当に遠いところにある出口だった。
パッと見た感じも、後日色々検証してみた結果としても、旧道になる前日と変わっているところはないと思う。
全てが、供用最終日のままなのではないだろうか。やはり封鎖がされている様子もないし。簡単なバリケード封鎖さえない。
坑口に取りつけられた標識類もそのままのようであるが、「この先2450m間通行注意」の文字と共に、落石注意の警戒標識を掲げているのは、なかなか尖った個性だと思う。
「この先2450m」の内訳を考えると、ガマタトンネルが2060mを占めているのである。
トンネル内で落石注意とか、どうしろって言うんだよ(笑)ってツッコみたくなる。
地上が危険なのは分かったから、せめてトンネル内くらいは落石のこと忘れさせてくれよ〜(苦笑)。
これは昭和63(1988)年刊行の『北海道の道路トンネル第1集』に掲載された、この坑口の写真だ。
坑口の外観は(ほぼ)変わらないが、左に現存しない案内板が写っていた。
この案内板に書かれている文字は潰れていて読み取れないが、おそらく、「このトンネルには」「方向転回所が」「あります」と書いてある。
先の偵察探索でガマタトンネルを通過した際に、確かに転回所があるのを見ていた。
現在では、より長大な浜益トンネルの一部となって名前を失ったガマタトンネルだが、かつては単独で北海道ナンバーワンの長さを誇るトンネルだった時代の名残と言えそうな案内板である。
長大トンネルが珍しいものでなくなると共に、車輌転回所の存在も特筆するものではなくなり、案内板も撤去されたのだと思う。
ちなみに、浜益トンネル内に車輌転回所があるのはガマタトンネルだった部分だけで、他の千代志別・新雄冬岬・雄冬岬トンネルだった部分には、非常駐車帯だけがある。
これは扁額の部分を撮ったものだが、『北海道の道路トンネル』の写真とは微妙に扁額の位置が違うことに気付いただろうか。
扁額が、なぜか、下へ数十センチ移動しているのである。
偵察探索では、「千代志別トンネル」南口の扁額が「浜益トンネル」へと取り替えられているのを見たが、このガマタトンネルで名称の変更が行われた形跡はないし、“もの”自体も同じ扁額に見えるのだが、位置だけがずれている。どうでもいいっちゃどうでもいいんだが、理由はあったはずで、謎である。
こちらは、坑門左側の壁に取りつけられた銘板だ。
現道である南口からは撤去され、失われた銘板の貴重な片割れである。
しかし、海水を浴び続ける立地にある金属板の宿命か、劣化によって角部が破断し、勝手に剥がれ落ちようとしていた。
既に半ばまで浮き上がってきていることが、下の影の形から分かると思う。触れば今にも剥がれてしまいそうだった。
15:14
ガマタトンネル北口より入洞!
既にこのトンネルの全長の9割以上は、浜益トンネルとして偵察時に探索済みだが、この北口側に取り残された廃止区間を探索する。
当然のように事前情報は一切無く、立ち入れる状況にあるのかも不明であったが、拍子抜けするほど問題なく入れてしまった。
塞ぐようなものが全くなかったのである。
入洞時点で、出口は当然見えず、風も吹いてはいなかった。
そして、おそらくは閉塞壁の一部であろう何かが、反射材によって光っているのが見えた。そこまで外光が届いて反射しているのであるから、やはり遠くはない位置だ。
天井には照明器具も全て取りつけられたままになっていた。あと数年もすれば、海水による腐食で全て落ちてしまうと思う。
また、入ってすぐの壁面に、北海道内の国道では最もよく見るタイプのキロポストが取りつけられていた。
札幌から85.5kmであるという。
しかし現状では、自前の船の用意がなければ、札幌という場所へ辿り着く術はない。
入口から15mほど進むと、右側の壁に鉄の扉で塞がれた通用口があった。
トンネル内しか見ていない状況だと、既に地山の中に潜り込んでいて、横坑があるような想像をするに違いないが、チェンジ後の画像に示しているように、ここはまだ覆道の内部である。
断面が覆道らしからぬトンネルと同じ形をしていて、かつ明り窓がないので、地下だと思うのも無理はない。
この実質的には覆道である区間は、外観を見る限り60〜70mはあるが、トンネル内の壁をいくら眺めてみても、覆道からトンネルに変わる部分の区別は付かなかった。
15:16
坑口だけでなく、洞内も、現役当時のままのようだ。
照明だけでなく、備え付けの消火器もそのままになっていた。
消火器の隣には、トンネル内の現在地を知らせるための距離表示板が設置されていたが、これにより北口から100m進んだことが分かった。
ちなみに、浜益トンネルの一部となった現役区間では、この距離表示板が【新しいもの】
に置き換えられている。
以上のように、北口から100mまでは、ただ照明が消えているだけのトンネルに見えたが……
120mくらいの地点に、この異様な光景が待ち受けていた。
入洞時点から見えていた反射材の光の正体は、このトンネルの断面を半減させる異形の門であった。
これは一時的なトンネル分岐のための仮設構造物である。
新旧のトンネルを鋭角に分岐させる際に、そのままだと地圧を支える強度が不足するために、一方の断面を縮小させて地山を支えるセントル補強を行った名残だ。
セントル補強区間の内部。
道は強制的に1車線となり、いかにも仮設構造物らしい無骨な鉄骨の壁、天井、路面に囲まれた、異様な空間である。
このようなトンネル分岐の工事現場だけでなく、通行を維持したままトンネルの拡幅を行う工事などでも、このようなセントル補強が行われる。
とはいえ出会う機会は少なく、実際に車で走った経験がある人は多くないと思う。
なお、この車道用の空間の右側に、幅1mほどの小さな歩道用の空間も用意されていた。
そっちはまさに人道用の坑道を思わせる圧迫感だった。
国道231号のこの辺りを歩いて通る人は今も少ないので、車道以上に利用の乏しい空間だったと思う。
なお、未だにストビューでは2014年7月に撮影された、この部分の通行風景を360度パノラマで見ることが出来る。
当時は薄暗い工事用照明が灯っていたことや、片側交互通行の規制など、リアルな状況が見られる。
ただ残念ながら、ここからトンネルの出口へ近づいていく部分は、もう見ることができなくなっている。トンネル外は私の独擅場である。
15:17 《現在地》
そして、北口から約140m(うちセントル部は20mくらい)進むと、遂に坑道は抜け目ない鉄の壁で塞がっていた。歩道側も同様である。
この閉塞壁だけは、道路利用者が最後まで見る機会のなかったものである。
まさに“道路の舞台裏”というべき壁であり、舞台裏が見栄えを気にしないのと同じように、ベニア板代わりの鉄壁といった風情だった。
【表の壁】
が瑕疵なく取り繕われているのとは対照的だ。
閉塞壁の厚みは最大でも10mくらいだと思うが、これは2度と開くことのない永遠の杜絶であり、これにより“陸の孤島”が作り出された。より正確には、陸の孤島へ“還った”というべきか…。
ここまで来るのは、私にとって大変だったが、こういう道路の舞台裏を見るのは大好きなので、報われた気分だ。
退転。
入口を振り返ると、先ほど紹介したストビューで見た風景とそっくりだった。
生きているか死んでいるかの違いはあるが、その差も外の光の眩しさにカモフラージュされている。
2016年1月19日の午前7時に交通が旧道から新道へ切り替えられたという。
手元の資料を見る限り、特に式典は行われていないようだから、片側交互通行のタイミングで、さっと切り替えられたのだと思う。
その際の新道の先頭は、道路パトロールカーなどが先導したかもしれないが、旧道にも最後尾の通行車両が必ず居たはずだ。それも関係者以外の。
ある道を最後に通行した体験というのは、新道の通行第一号と違って華やかではないからか全然伝え聞かないが、本来1:1で起きている事象である。
このトンネルのでなくても良いので、道路の最後通行体験をお持ちの人がいたら、体験談をコメントとかで教えて欲しいです。みんなも気にならない?
……っと、話が脱線した。
ここが、一連の雄冬岬旧道の最南端である。
この壁に背を向けて、1.4km先にある最北端を目指す。
最北端もおそらく状況はここにそっくりだと思うが、途中については予想が付かない。
まずは、次のタンパケトンネルが通り抜けられるかどうか。
それが今後の展開の大きな分岐点になるだろう。
15:19 《現在地》
いま私は、ガマタとタンパケの狭間にいる。
こんな不思議な名のものたちに囲まれて、真底深くに孤立している。
この瞬間、北海道の陸地にいて私より孤立している人は、変な山へ単独で登っている登山者くらいじゃないかという気がするが、実際には私の近く100mも離れていない所を車が頻繁に通行している。
その“近く”というのが右の岩肌の中で全く見えないし、道自体繋がっていないから、近さを感じようがないが……。
「ガマタとタンパケの狭間」
そんな風に聞かされて意味が分かるのは、変態だけであろう。
この不思議なネーミングには、なんだか気になる魅力があると思わないか。
そのまま1本の劇場公開映画のタイトルになりそうな。
それはともかく、次のトンネル……タンパケトンネル……が潜っている岬の見た目のインパクト、凄い。
戦隊モノの敵の本拠地がありそう。
地形図的には、この辺に幾つもある岩場の岬の一つで、てっぺんに標高169mの「写真測量標高点」があるだけで、地名注記がない場所だが、見た目が強すぎる。
おおおっ!! 滝!!!
いや、それより落石防止ネットやべぇええええ!!!
美しいと思った滝の両側の崖、よく見ると、全部落石防止ネットでぐっるぐるに巻かれていた!
落石を起させないことへの並ならぬ執念を感じる。この複雑な形の崖を全て覆って見せるとは……!!
ぜんぶ人間が登って巻いたんだよなぁ…。やべぇ作業量と技術!
これには立派な滝も少々肩身が狭そうである。
せめて廃道にしたなら、ネットを撤去していけよって怒ってそう(苦笑)。
環境的にも倫理的にも、本当はそうした方がいいんだろうけど、税金を使って撤去をすべきかと民意に問うたら、たぶん「やらなくていい」が優勢になるだろうな。俺もやらなくて良いと思うよ。この人間に痛めつけられた自然の眺めが好きだから(逆襲されて壊されるところまでセットでね…)。
なお、眺めが空に突き抜けすぎていて、スケールが少々分かりづらいかもしれないが、この滝の見える落ち口までの比高は60〜70mあると思う。
写真の左上に見える白い筋が、別アングルから見た同じ滝だ。
しかも地形図を見る限り、ここから見えている岩崖は、山上の緩斜面までひたすら続く急斜面の一部でしかない。
だいたい海岸から高さ300mくらいまでは、とても歩けそうにない地形が描かれている。
ここまで徹底的に崖をネットで覆ってもまだ、道路を守るには不安があったんだろうな。
その不安の答えが、いかにも後から付け足されものだと分かる、道幅を狭めながら設置された無骨な鉄骨の落石防止擁壁だろう。
そのうえで、いくらこの道の守りを重ねても安全ではないと気付かされる事故が起き、道ごと廃止されるという結末……。
……ドラマチックだよぉ……。
15:22 《現在地》
そんな劇場公開作品さながらのドラマの核心部、海からしか辿り着けない究極孤立のトンネル。
タンパケ
タンパケ
タンパケ(なぜか繰り返して言いたくなる)トンネルのお出ましだ!
『北海道の道路トンネル第1集』によると、タンパケトンネルの主なスペックは、全長340m、総幅員8.5m、竣功昭和56(1981)年11月である。
構造上の特色として、南口から60mと、北口から104mの部分は、完成当初から開削部に設置された覆道であり、真のトンネルは間の176mだけである。
なのでこの写真だと坑口のすぐ背後に地山が見えるような気がするが、実際は60m近く離れている(地山の迫力のせいで近く見える)。
チェンジ後の画像は、例によって『北海道の〜』の坑口写真である。
装備が少なくシンプルな外観だが、よく見ると、このトンネルも今と扁額の位置が違っている。
いや、よくよく見ると、扁額自体が違う。色やサイズが微妙に違う。
たぶんさっきのガマタトンネル北口も同じなのだが、何らかの理由(たぶん塩害による扁額の老朽化)で扁額の更新が行われている。
タンパケトンネル南口近影と、銘板写真。
塞がれてなさそうなんだけど、出口は見えねぇな……。
どういうことなんだこれは。
このトンネルが通行出来れば万事OKだが、出来ないと、またカヤックに乗り直し、この大きな岬を回り込むという大仕事になってしまう。
時間的にも、体力的にも、ここは開発局が見せた謎の仏心?に縋りたいなぁ……。
湘南!
……という謎のボイスが、ここで記録されていた。
道路脇に海を見るだけで「湘南」というのも、随分乱暴な話だが、少しだけ傾き始めた午後の光と相まって、なんかそう感じたんでしょうね(笑)。
ガマタとタンパケの狭間と、ひとまずのさらばだが、ここから見るガマタトンネル北口も、ヤベえ格好良さだった……。
背にした岩山の大きすぎるスケールが、さっきその中に入って広さを確かめたトンネルを、まるでミニチュアめいたものに縮めている。
あの坑口も実際は長い覆道の入口であって、実際に地山に突き刺さるまでは数十メートルあるからね。それがこんなにも迫って見える、圧倒的威圧感。
この風景を、車窓が失ったことは、観光の面では結構な傷手な気もするが、普通に通るだけでも死ぬリスクを受け入れろというのは、ちょっと無理があったか。
あ!
ありがとう開発局。
このトンネルを塞がないで居てくれた感謝を、私と、1億2000万人の山行が読者一同は忘れないぞ。
嬉しいぜ!
15:24
なぜかは分からないが、タンパケトンネルは塞がれていない。
近年廃止したトンネルを徹底的に塞ぎまくることに定評のある開発局が、なぜこのタンパケトンネルを塞がなかったかは、調べても分からなかった。
逆に、多くの廃トンネルが塞がれている理由について、開発局が公言している資料というのも未発見だが、ヒグマの越冬に使われることへの対策や、(海岸線においては)密猟者および密入国者対策などが、よく言われているところだ。
もしこれらの理由が事実なら、タンパケトンネルにヒグマや密漁者が屯しても、孤立した空間内だから問題にならないという判断なのか。
あるいはもっと単純に、廃止からまだ2年しか経過していなかったこの探索の時点では、塞ぐ工事を行う前だっただけかもしれない。
しかしいずれにしても、これは非常に助かるラッキーな展開だった。
おかげで、タンパケトンネルの先にある旧道部分も、このまま探索することが出来そうだ。超ありがてえのである!
写真は、南口から北口方向をズームレンズで撮影した。
340m先の出口が灰色に見えるのは、たぶん覆道に繋がっているのだろう。
見ての通り、入口と出口の部分がカーブしている。そのせいで、中に入るまで出口を見通せなかったのである。
そして、目には見えないが、外気の温かさを持った強い空気の流れが、向こう側からこちら側へと常に吹き抜けている。
ビュウビュウと耳鳴りがするほどの強烈な逆風である。
私を海上で苦しめた逆風が、タンパケの岬を貫く風洞と化したトンネルに収斂しているのだった。
15:27
トンネル内には、非常電話や非常通報装置が全て残されていた。
現在は浜益トンネルの一部になっている千代志別トンネル内やガマタトンネル内では、これらは旧式の装置として【撤去】
され、新たな装置へ【置き換えられて】
いるものだ。
一緒に設置されている現在位置の表示板については、千代志別トンネルやガマタトンネル内にも残っているのを見たが。
試しに非常電話ボックスを開けてみた。
幸いにして今まで道路上でこの装置のお世話になったことはないし、携帯電話の普及や施設の老朽化のために今後は全国的に路上にある非常電話は撤去される方向にあるようだから、たぶんこれからも使う機会はないと思うが、こんな風になっているんだな。おそらく相当旧式であろう非常電話の中身。
受話器やダイヤルの仕組みが、もうまるっきり黒電話なんよ……。
最近の人には、“ナベダイヤル”とか言っても伝わらないんじゃない?(←それはだいぶ前から伝わらなかった説ある)
この電話機は仕組み上、おそらく通電していなくても通話出来ると思うので、念のため受話器を持ち上げることはしなかった。断線してなくて繋がったらヤベーからな…。(突然ここから電話かかってきたら怖えーだろうし…)
15:29
超〜シンプルなデザインのキロポストだぁ。
これ、国道231号の旧道では、ここ以外でも何ヶ所かで見たことがある。
シンプルすぎてコメントに困るが、いま札幌市に居る人は、ちょっと想像してほしいよ。
あなたから86km離れたところに私は恐ろしく孤立しています。
15:30 《現在地》
強烈な潮逆風に立ち向かいながら、前傾姿勢で暗がりを進むこと340m。
冷えるどころか汗を掻き掻き辿り着いた、ここがタンパケトンネル北口、なんだけど、全くトンネルを出た感じがしない風景だ。
見た目には、ただトンネルの断面が変わるだけみたいな場所。
一応この先は、タンパケ覆道である。景色がとってもSFチック。
タンパケ覆道も、タンパケトンネルと同じくらいの長さ(約300m)がある。
大部分はまったく外光の入らない構造なので、見た目にはただの四角いトンネルである。
光指す出口へ向かって黙々と歩くだけの時間が追加されたと思った矢先……
(チェンジ後の画像)
な〜にこの穴…?
唐突に、山側の壁に横穴?が現われたんだけど……。
山側の横穴って……まさか…… 〜ホワンホワンと【想像した景色】
〜
なんだか分からんが、とにかく GO!
15:31
な〜〜にこの穴。 キモいんですけど……。
内壁が、普通のトンネルの壁っぽくないんだよな……。コルゲート巻なの。
しかも路面というのがなく、そのまま真円形のコルゲートパイプの中を通るようになっている?
今は引いているけど、ちょっと前まで水がヒタヒタになっていた感じだし……。
それに、入ってすぐに右へ90度折れ曲がっている。
進行方向が、今くぐってきたトンネルに戻る方向なのよ。
な に こ れ ?
入るよ……。
すぐ突き当たり、アルミサッシの扉があった……。
なんだか宇宙船みてーな風景。(宇宙行ったことないけど…)
そもそもここってトンネルの中、外? それさえ分からん不思議空間。
「第三変電室 札幌開発建設部」
謎の扉の脇に、そのような文字のあるプレートが掲げられていた。
そして、扉はダイヤル錠によって厳重にロックされていた。開かない!
しかしこれで施設の正体は分かった。
これは、タンパケトンネルなどの照明を管理する施設だ(いわゆる電気室)。
おそらく現在は使われていないと思うが……、すごい所にある。
本坑へ復帰!
タンパケトンネル北口を振り返って撮影。
左に見える四角い穴へ入ると、すぐに右折して、「第三変電室」へ繋がっている。
そういう配置を脳内にイメージしてから、次の画像を見て欲しい(↓)。
これ、昭和63(1988)年に『北海道の道路トンネル第1集』に掲載された、タンパケトンネル北口の写真。
まるっきり状況が違っているが、上の写真と同じ場所である。
そして、“赤矢印”の位置には、扉がある。言うまでもなく、「第三変電室」だ。
この写真を見較べなければ、なかなか想像しづらいが、タンパケ覆道を延伸した際に、コルゲートパイプで変電室への通路を確保したというわけだ。
おそらくパイプの外は“屋外”なんだろうが、外表が地上に露出しているのかどうかは不明。土に埋め戻しているのかも。蒸し暑くはなかったし。
15:34
やっと、正真正銘の出口、外の景色が見えてきた!
写真は、タンパケトンネル北口から連続するタンパケ覆道内を200mほど進んだところである。
あと100mくらいで覆道が終わって明り区間になるが、この残りの部分はいわゆる洞門スタイルをした側面に柱が並ぶ覆道である。
一気に明るくなった!
そしてここでも注目は、残りの覆道の屋根の捲き上げだ。
出入口付近の天井がベルマウス式に広がっているのは、当初は手前側の(窓のない)覆道がなかった証しだ。
タンパケトンネルとタンパケ覆道は、当初は別々の構造物だったが、後に一体化したものである。
覆道の接合部を振り返って撮影した。
手前も奥もタンパケ覆道だが、手前側がより古い部分である。
チェンジ後の画像は、立ち位置を右にスライドさせて、覆道の柱の間から外に出て撮影した。
今くぐってきた四角い箱そのものである覆道の外壁を見ている。
奥はタンパケトンネルが潜り抜けている岩山だ。
ずっと遠くに見える青い陸地は、石狩湾の南岸、札幌と小樽の間の海岸線だろうな。直線距離でも60km以上離れているが、よく見える。
15:37 《現在地》
なんだかんだと空を遠ざけられ続け約650m、13分ぶりに、光射す地上へ!
タンパケ覆道北口に到達すると同時に、一連の旧道の終わりを知らせる、雄冬岬トンネルの南口も目に飛び込んできた。
あとは見えているこれだけの区間で終わりだが、最後まで気を抜くなよ……。
あ、 あとですね……、
地形図的には、この覆道出口のカーブ地点が、「雄冬岬」になっておりますよ!
ですからこれで、
ここ2年間は訪れることがめっきり難しくなっていた
雄冬岬へ一応到達でございます!
| 当サイトは、皆様からの情報提供、資料提供をお待ちしております。 →情報・資料提供窓口 | |
|
このレポートの最終回ないし最新の回の「この位置」に、レポートへのご感想など自由にコメントを入力していただける欄と、いただいたコメントの紹介ページを用意しております。あなたの評価、感想、体験談など、ぜひお寄せください。 【トップページに戻る】 |
|