18:28 《現在地》/海抜280m
旧旧道の佐呂間町側入口に立つと、150mほど先に旧道のサロマトンネルが口を開けて……いない。
既に北見側で目にしたものとそっくりの外観をした塞がれた坑口が見えた。
最新の地理院地図でも、この佐呂間側の旧道は描かれているが、ちょうど坑口の地点で、道はぷつっと行き止まりになっている。
トンネルを含め、その先は既に道路ではない扱いなのだと思う。
旧旧道も描かれていないから、同様の扱いなのだと思う。
坑口がある山肌には、今しがた駆け下ってきた旧旧道が、九十九折りと呼ぶにはいささか悠長なラインを薄らと示していた。
あと30分、行動が遅かったら、舗装路に辿り着く前に、山の中で夜闇に囲まれていたであろう。
現状も既にタイムアウトというか、想定した探索時間を超過しつつあるが、ここまで来たのだから坑口には挨拶しなきゃね!
坑口前には、さほど広くはない駐車帯(チェーン着脱所)があり、その角に謎の建物が建っていた。
まるで売店のような造りだが、シャッターが降りたカウンター窓の前にあるのは旧道の本線であり、アイスクリームショップや産直売店を開くような場所じゃない。
今まで私が目にしてきた現役・非現役の様々な峠の景色を振り返ってみたが、この施設の正体に思い当たる節がない。もちろん、料金所でもあり得ない。
峠道とは直接関係がないが、唯一類似していると思うのは、何らかの理由から交通を監視する施設だ。
私がそれを見たのは、某原発工事現場近くの幹線道路沿いで、ここにそれが該当するとは思えないが、似ている。
とまれ、民有地とは思えぬ場所に建っているし、やはり謎である。
正体をご存知の方がいたら、教えて下さいな。
旧道サロマトンネルの佐呂間側坑口前にある“謎の小屋”の正体について、読者に広く情報提供を募ったところ、「似ている小屋を別の場所でも見た」というコメントを幾つもいただき、そこから正体解明へと近づく大きな前進があったので紹介しよう。
まずは、“似ている小屋”として情報提供をいただいた道内の施設を二つ、紹介しよう。(情報提供者:takinosawa(X:@takinosawa143)さま)
いずれも、北海道内の国道の路傍に建つ道路側に大きな窓を有する頑丈そうな小屋、という立地と外観の共通点があるだけでなく、これらの建物にはそれぞれ括弧内に示したような施設名を記すプレートが取りつけられていたことから、これらが北海道開発局が設置した「交通量常時観測所」という施設であることが分かる。
ここで、そもそも交通量常時観測所とはなんぞやという話をしたいが、道路に関するあらゆる計画を進める上で、最も基礎的な資料となるものが、交通量である。交通量を正しく計測することは、実効性が高い道路整備を行うために行政が行うべき必須の仕事といえる。
そして、我が国における最大規模の交通量調査は、5年毎に行われる全国道路交通情勢調査(道路交通センサス)がある。皆さまも、交差点に配置された調査員が、手にした数取器で交通量をカウントしている場面を見たことがあるのではないだろうか。
しかしこれとは別に、全国の主要な道路(高速自動車国道や主な一般国道、一部の主要地方道)を対象に、年中無休の交通量計測も行われている。これを交通量常時観測といい、時間や季節ごとの変動をリアルタイムに計測してデータベースに集積している。
常時観測は昭和34(1959)年にスタートしたもので、全国に設置された常時観測所の総数は、昭和42(1967)年当時は86ヶ所だったが、平成8(1996)年には約800ヶ所となり、現在では1000ヶ所を優に超える数が稼働して、計測されたデータは誰でも無料で閲覧できる。
交通量常時観測の方法は、トラフィックカウンターという装置を用いて自動化されている。
トラフィックカウンターにもいくつかの種類があるが、昔から最も多く使われているのは超音波を用いた検知器で、これにはしばしば道路上に架かる門形の特徴的な構造物が用いられる。
具体的には、今回探索したルクシ峠の“現道”上に設置された、以下のような施設である。
こういう門形構造物を道路上で見たことがあるかと問われれば、運転をする人の大半が肯くであろうし、私ももちろんYESである。この例示した地点でも、支柱に「交通量常時観測施設」のプレートがあり、交通量マップにアクセスすれば、この地点の計測値をほぼリアルタイムで見ることもできる。
本編のサロマトンネル坑口前の施設には、門形の構造物がないように見えるが、現役時代に撮影された走行動画(3:59附近)を見ると、当時は“小屋”の前に門形の構造物があった(現在は撤去されたらしい)ことが分かる。
以上のようなことから、見つかった小屋の正体は、交通量常時観測施設で間違いないと思われるが、それでもなお謎なのは、“小屋が存在する目的”である。

交通量常時観測は自動化されているので、本来は人員が常駐して交通を観測するための小屋のような施設は必要がないはずである。
実際、私が住む秋田県内にも交通量常時観測は沢山あるが、このような小屋は見られない。
他の都府県もおそらく同様なのだが、なぜか北海道の観測地点には、しばしば小屋が附属している。
(最近は附属しないものが増えているようだが)
なぜ、北海道の交通量常時観測所だけ(?)に、しばしば小屋が附属していたのかが、新たな謎である。
右図は、北海道開発局開発土木研究所が平成8(1996)年に発行した雑誌『開発土木研究所月報 (7)(518)』に掲載された、「基本観測地点」の写真である。
記事によると、平成6年度末時点で道内には基本観測地点47ヶ所と補助観測地点49ヶ所の合計96ヶ所の交通量常時観測地点があったという。
そのうち、より重要な「基本観測地点」の例として掲載されているのがこの写真なのだが、見慣れた門形の構造物の隣に、一般家屋と思うくらい大きな建物がある。わざわざ写真に収めているので、これを含めて観測施設なのだと思うが、この立派な建物が何に使われるのかについて、記事には何も書かれていない。
この附属の小屋で何をするのかご存知の方、もしくは、人員が常駐し作業をしている場面に遭遇したことがある人が居たら、ぜひ教えて欲しい。
謎は、まだ続いているぞ。
すぐ隣の敷地には、「サロマトンネル電気室」のプレートを掲げた、一回り大きな施設が眠っていた。
こちらは正体を自ら明かしてくれて助かる。
プレートがなければ、駐車帯のトイレかと思うような、オシャレな外観だった。
こういう附属の施設一つをとっても、やはりサロマトンネルは十分に現代的な施設だったと感じる。
18:29 《現在地》/海抜295m
そして、突き当たりのサロマトンネル坑口へ。
坑口の外観も、塞ぎ方も、既に見た【北見側】
と瓜二つだった。
チェンジ後の画像は、『北海道の道路トンネル第2集』にある、開通当時の姿だ。
トンネルはたった21年で天寿を全うしたが、同時に生をうけた苗木は、立派なモミの木に成長し、まだまだ育ちそうである。
当時の写真だと、坑口のすぐ上を旧旧道が横断している様子が分かりやすい。
坑口の閉鎖壁にある二つの鉄扉には、どちらも外側に向けて、南京錠による施錠がなされていた。
ここが唯一、北見側との違いである(北見側も施錠はあるが、鍵は内側)。
この非対称性を見ても、北見側からトンネルへアクセスすることが想定されていないことが分かる。
私の行動は、イレギュラーだった。
結局、探索においては、小指の先すら入れることが出来なかったサロマトンネルだが、『北海道の〜第2集』に断面図が掲載されていたので、これを以て少しだけ洞内のイメージを補完したい。
図を見て分かるように、見事な片勾配トンネルである。
今いる佐呂間側坑口の標高が約290mで、北見側は約340m。その差が50mもあり、全長1651mというトンネルのほぼ全てが、北見へ向けて登る3%の坂道だった(旧道の道の最高地点が、北見側坑口であった)。
峠の頂上に掘られたトンネルなので、拝み勾配かと思いきや、これは意外な個性である。
そして、このような片勾配トンネルを持つ峠道は、外の景色により大きな“落差”を作り出していた。
……ということを、実際に認識するまで、あと数分。
18:30
鎖された坑口を背に、佐呂間側へ下り行く最初の景色を見ている。
傍らに、カントリーサイン付きの大きな「佐呂間町」の案内標識が設置されていた。
この4号機のパチスロ機のビッグボーナス図柄を彷彿とさせるキャラは、ももちゃんというらしい。
旧旧道の峠の頂上には、この標識の先祖である「北見市」の【案内標識】
があったが、一世代違えば、これだけ垢抜けるのである。
それはそうと、このカントリーサインも、一緒に写っている矢羽根式ポールも、どちらも現役の道路風景には欠かせないものだが、旧道の北見側にはなかったものだ。
同じ旧道にあっても、トンネルの両側で附属施設の残存状態が全く違っているのである。
佐呂間側は、ただ交通が途絶えているだけの現役道路の延長線上にある風景と思えるが(そして地図にも描かれ続けている)、(地図から消えた)北見側は、路面以外の全てを回収された抜け殻の廃道だった。それは、全てが終わった跡だった。
単純に、辿り着きづらいというだけではない寂しさの上乗せが、そこにはある。
いまこの瞬間、背にした1651mの壁の向こうで、あの寂しい廃道が一人の夜を、また迎えようとしていると思うと……。
無駄に感傷的なのは私の良いところだが、こういう想像は止められないね。
18:30 旧道末端からの下山を開始。
2023/6/7 18:31
それでは、探索の仕上げと参ろう。
旧道サロマトンネル佐呂間側坑口より、旧道を下る。
坑口から佐呂間町中園地区の現国道合流地点までの距離は約4.4kmで、全線が下り坂、その比高は約200mである。
道路としての規格は先に探索した北見市側の孤立している区間と変わらず、一般の交通に開放されていないことも共通しているが、路上に様々な道路付属物がそのまま残されていることが、大きな違いである。
さらにもう一つ、峠の両側での大きな違いがあった。
18:34 《現在地》
坑口から700mほどの距離を、自転車の転がるままに一瞬で駆け下ると、大カーブを描く立派な橋が架かっていた。
これは陽光橋の名を持つ5径間、全長130mの鋼道路橋だ(現役当時の写真が例によって『北海道の鋼道路橋 第6集』に掲載されている)。
“橋が架かったままになっている”ことも北見側との違いであるが、根本的な地形条件に大きな違いがある。
北見側の旧道は、ルクシニコロ川という谷の中にすっぽりと収まっていたが、佐呂間側の旧道は谷に付かず、山腹の斜面をうねりながら昇降する、“典型的な山岳道路”の構成になっている。
なので、路上の車窓が、見上げるよりも、見下ろすところが多くなっている。
「贅沢だ。」
これは、この道の背景の全てを理解し、熟考のうえで出たコメントでは、ない。
目にした風景や、走った感触に対する、素朴な感想だ。
この規格、この規模感の道を、完成から20年(正確には21年)で棄て、さらに高規格な道で置き換えたのは、贅沢だ。
とはいえ、ここに批判の意図は寸毫も入っていない。
安全性も含めた総合的な便益を勘定すれば、たぶんこれが正解なのだし、もしも正解でなかったとしても、それを暴くことに私の興味がない。伝えたいのは、この廃道風景がここにあり、それが私を喜ばせたということである。
旧旧道は、今回の探索において、本来辿り着きがたかった旧道へのアプローチとしても、封鎖されたサロマトンネルを乗り越えて両側の探索を結び付ける役割においても、大きな仕事を果たしてくれたが、それでも最後まで脇役だ。
例えば、この陽光橋の山側には、明確に旧旧道の路盤の跡が見える。
特に崩れている様子はないが、草生している。
無理矢理走ろうと思えば走れそうだったが、時間の都合から、探索は省略した。
陽光橋の上から、峠を振り返って撮影した。
ここから眺めると、高さも距離も離れた様々な斜面に、飛び飛びに“道形”が見えるが、これらは全て走り終えた旧道や旧旧道である。
チェンジ後の画像に、見えている道形の所属を示した。
線の太さが太い場所ほど、繋がりにおいて、ここから近い道である。
私が、佐呂間側は典型的な山岳道路だと表現したことが肯かれると思うが、いかがだろう。なかなかダイナミックに、山を越えている。
18:37 《現在地》/海抜239m
サロマトンネルから約1km、陽光橋を渡り終えた直後にある大アールカーブの頂点附近に、旧道時代の地形図や最新の地理院地図は、「ルクシ峠」の注記をしている。
これは普通に考えれば大いに不自然で、通常なら峠道の一番標高の高い部分(旧旧道の峠の頂上)に峠名の注記されるが、なぜかここ(ルクシ峠)ではそうならず、佐呂間側にかなり下った特定のカーブになされている。ちなみに、SMDも同様の表記をしている。
実際の現地がどうなっているのか気になっていた場所であるが、これがその現地の様子だ。
実際の道路上にも、「ルクシ峠 Rukushi toge 標高342m → 」の案内標識が設置されていたので、矢印の方向へ目を向けると……
そこには、本線カーブの外側に並走する、まるで側道のような長い駐車帯が存在しており(北見側の旧道にも【そっくりな場所】
があった)、これはもとの旧旧道の敷地に由来するのであるが、ここには他に……
このような形をした大きなモニュメントが設置されていた。
コンクリートの表面に、「眺望 ルクシ峠」「えんがる国道」の文字が刻まれている。
この「遠軽国道」とは、現在も使われている道路愛称で、国道333号のうち遠軽町〜佐呂間町〜北見市の区間を指す。
そして、自慢の「眺望」も、残念ながら、樹木の生長のためか、モニュメントの場所からは見ることができない。
開通の喜びが込められたモニュメントだと思うが、現道へは移設されず、旧道の交通も閉じたままになっている。
それでも、地図上でこのカーブが「ルクシ峠」と案内される理由は、分かった。
このモニュメントの存在が理由だろう。地形的な意味でのルクシ峠は旧旧道の頂上なのだろうが、道路上の著名地点として、この場所もまたルクシ峠と言える。
なお、案内板に書かれていた「標高342m」というのは、旧道上の最高地点の標高を指している。具体的には、【サロマトンネルの北見側坑口】
の標高である。
対して、旧旧道の峠の頂上は約440mあり、モニュメントが建つ「現在地」の標高は、地形図に239mの標高点が示されている通りである。
最小限の撮影だけをして(しかも、急いだのと光量不足で、ピンボケばかりだった…)、一拍の休息も入れずに再出発。
「ルクシ峠」の駐車帯から国道の進行方向を見ると、そこには渡り終えたばかりの陽光橋と瓜が二つ、まるで尾根を挟んで線対称のような橋が架かっていた。
望郷橋と名付けられた全長155m、5径間の橋であり、一連の旧道にある北陽、ルクシ、陽光、望郷の鋼道路橋のなかで最長である。
また、陽光橋と望郷橋は一つの大きなカーブの構成要素として収まっており、こうした曲線桟橋を多用した立体的な道路線形にも現代の道路に通じる高規格さが感じられる。
見事な曲線美を魅せる望郷橋。
写真は、全天球画像から切り出したものだ。
ちなみに旧旧道は、ここでも橋の山側の陸地に張り付いており、草生した空間として形は残っている。
望郷橋は、その名から期待されるとおり、眺望にとても優れた橋であった。
このような景色が、高欄越しに展望される。
旧旧道の峠を越えたところから、かれこれ4kmも佐呂間町側へ下ってきたが、初めて下界の人里を視界に入れたのがここだった。まさに、望郷橋という名前が相応しい。
眼下には、人生で初めて目にする佐呂間町の緑色の農村風景が、緩やかな傾斜を撫でるように広がっていた。
そして、雨あがりのちょっとだけ“今日”には間に合わなかった夕陽が、申し訳なさげな夕照となって、仄かに西の空を染め上げていた。
一時は人界に背を向けて、獣のような四つ足となって野山を歩いた今探索だったが、無事に元の世界へ帰ってこられた。
探索の終わり間際に与えられた、天と地の差配するこの眺めに、私は癒され、労わられ、気持ちよくさせられた。
そしてこれ以降は気持ちが緩み、探索中とは思えないくらいくらいぼんやりとした結果、ほとんど全ての写真がピンボケに終わった(……)。
望郷橋という名の展望台と、下界の位置関係。
奥が海方向だが、有名なサロマ湖は遠くにあり見通せない。
また、旧旧道は望郷橋の先で旧道よりも下へ入り込み、別の下山ルートを採るが、この区間は探索していない。
旧道は、山肌から山裾へ緩やかに着陸していく。
旧旧道は一足先に下界へ降りて農地に入っていた。
チェンジ後の画像に見える細い道がそれである。
18:47 《現在地》/海抜165m
サロマトンネルから2.8kmの地点に、封鎖状態のバリケードがあった。
「一般車両通行止 この先通行が必要な場合は下記にご連絡ください 佐呂間町役場建設課 TEL〜〜」ということが書いてあったので、旧道の佐呂間町側は佐呂間町が管理しているようである、
バリケードを越え、解放されている区間に入っても、車通りはすぐには回復しない。行き止まりの旧道なのだから当然だ。
ここまで何度も見た立派な駐車帯を過ぎると、広い牧草地へ。
写真は振り返って撮影した。
なんとかギリギリ、自然光だけで下界まで辿り着けた。
18:51
旧旧道と旧道がここで最後に合流する。
右から来るのが旧旧道だが、特に国道時代の面影を感じさせるようなものは残っていない。
なお、農地に入ってからも、勾配には余り変化はなく、ほぼ一定のペースで下り続けた。
そして、だだっ広い景色の中で、いつの間にか佐呂間町中園地籍へと入り、佐呂間側支流の武士川を栃木橋で渡ると……
18:53 《現在地》/海抜93m
信号のない交差点で現道に突き当たり、旧道は終わった。
おおよそ2時間半ぶりの再会となる現道には、大河のような交通の流れがあった。
ホッとすると同時に、“下りすぎた分”を、今から取り戻す仕事が始まることに、億劫さを感じた。
もう十分に疲れていた。
結局私は佐呂間町の町らしい所まで辿り着くことなく、ここで下界に背を向ける。
なお、この分岐地点にも、旧道や、その行き先に関する案内は一切なく、もはや国道333号は、ルクシ峠という場所に一片の未練も見せていないことを理解させられた。
さあ、休んでいる暇はない。峠の向こうへ隔たれた出発地点へ帰ろう!
18:59
これは高速道路〜〜〜。(個人の感想です)
現国道333号の現道こと「佐呂間防災」の区間を、旧道合流地点から、クルマを止めてある出発地を目指し、移動する。
この間の道路の長さは約8.5kmである。
そして、このうち4.1km余りが、たった1本のトンネルに占められている。それが道内第7位の長さを誇る、新佐呂間トンネルである。
しかしまずは、新佐呂間トンネルの入口を目指す登りがある。この間は約1.8kmで60mを登る、恐ろしく均一な坂道である。
単純計算で約4%の平均勾配であり、旧道が延々と5%勾配であったのに比べれば、わずかに緩やかだし、線形も良い。というか良すぎる。区間内は巨大なカーブが一つあるだけで、あとは全てが直線だ。
総じて、とても良い道なのだが、あまりにも良すぎるから、自転車で走る場違い感が半端ないのである。
長い上り坂なので、延々と登坂車線が付加されていて、私は当然に登坂車線の路肩を走っているが、走行車線を追い抜いていくクルマとの速度差がヤバいのだ。
もちろん、計っているわけではないし、いくらか遅いクルマもいないわけではないが、普段の一般道路を自転車で走っているときに追い抜かれる時の速度差とは明らかに次元が違った。マジで、高速道路の本線を間違って自転車で走っているような、途轍もない居心地の悪さである。
これが、私も時速20kmくらい出せていれば、速度差は緩和されるのだが、疲れた足で、先が見えすぎる坂道を登るのに、そんな速度が出ない。登坂車線をヘロヘロと登る私の脇を、ちゃんと安全な間隔を空け、時速100kmを越えているとしか思えないクルマが、バンバンと駆け抜けていく。
これは神経攻撃である。
とはいえ、懲りたとか、そんなこともなかったりする。
違法なことをせず、普段なら味わえない走りの感覚を楽しめているので、これはこれで価値がある体験だった。
こんな高速道路みたいな道を、高速道路の気持ちで走っていそうなクルマに混ざって自転車を漕ぐのは、なかなか出来ない体験だろう。
つうか、通報されないだろうな。高速道路だと勘違いしているドライバーに……苦笑。
19:03 《現在地》/海抜160m
登坂車線が終わり、中央分離帯がポールに変わると、新佐呂間トンネルに辿り着いた。旧道を出てから、ここまで10分を要した。
このトンネルの現れ方に、勿体ぶるような視覚的演出は全くなく、ずっと前から見えていた坑口に、ようやく辿り着けたという印象だ。
新佐呂間トンネルもまた、自専道にありそうな姿をしていた。
当然、自転車が走るべき歩道のようなものはないので、そのまま車道を進む。
新佐呂間トンネル、突入である。
なおこの際、坑口まで続いていた上り坂が、トンネル内にもそのまま続いているのを見て辟易したが、流石に4kmもあるトンネルの真ん中くらいにサミットがあるものと期待していた。
しかし、これは誤りだった。
これは、新佐呂間トンネルの開通資料に掲載されていた、現道と旧道の縦断勾配をまとめた図である。
新佐呂間トンネル4110mは、完全な片勾配になっている。
そして佐呂間側から入る場合、抜けるまでの全てが、2.6%の上り勾配である。
したがって、トンネル内だけで100mという大きな比高がある。
外にある60mの比高と合わせても、坑口に辿り着いた時点では、“現道のルクシ峠”の上るべき高さの3分の2が残っていたのだ。
あと4kmも登り坂が残っていた。(しかもそれは、高速道路のような速度差を持つクルマに掠められながらの走行になる)
……この事実は、私が直面した“予期せぬ事態”だったが、とはいえこれだけならば、素朴で他愛のない出来事だ。
想定より数キロ長く坂道を登るなどというのは、サイクリング中に起きてほしくないトラブルの中ではありふれていて、それを避けることに大した意識を割いていないので、この程度のことで、私は可愛い道を呪ったりはしない。
もう一つ、想定外の凶悪なトラップが、この日のこのトンネルには、仕掛けられていた。
呪わしい罠が。
この出来事の写真は撮っていない。
なので、トラップが発動する前の平穏だったトンネル内で撮影していたたった1枚の写真をバックに、何があったのかを説明する。
トンネルの中間附近から、出口の先まで、延々と片側交互通行規制が行われていた。
この説明だけで、「あ〜……」と思った人は、きっとサイクリストだろう。
私が、長いトンネルの中央付近で片側交互通行の規制区間に差し掛かった時、警備員の手信号は「止まれ」で、前方に既に数台のクルマが信号が変わるのを待っていた。
車列について、「進め」に変わるまで、2分くらい待ったと思う。
その間に、私の後にも数台のクルマが並んでいた。
やがて手信号が変わったらしく、先頭車から順次出発したが、こういう場面での通例として、私は全ての後続車を先に行かせてから、そのあとで出発した。
片側交互通行の区間に進入する際に警備員と会釈を交わしたが、特に通行方法の指示はなかったので、そのまま路肩に近い車道上を進み続けることになった。
規制区間が終わるまで、ずっと。
私は、それから1分もしないうちに、苦しさに目を見開いた。
いつまで経っても規制区間の終わりが来ないのである。
一向に規制区間が終わる気配がないままに、コーンで塞がれた反対車線では何かの工事が盛んに行われていた。
その路面は、延々と上り坂である。
思うように、自転車は進まない。
必死に漕ぎ続けたが、2分経っても、3分経っても、前からも、後ろからも、1台のクルマも近寄ってはこなかった。
私が規制区間を通過し終えるまで、双方向の警備員がクルマを止めてくれているのに違いなかった。
疲れのために、いつも以上に足弱で、なかなか通過できない自分を恥じたのは最初の数分で、いつまでも出口も、規制区間の終わりも、他のクルマも見えてこない中で、私は必死に漕ぎながらも、呪わしい気持ちになってきた。
ごめんなさい。ゴメンナサイ。ごめんなさい。ゴメンナサイ。ごめんなさい。ゴメンナサイ。ごめんなさい。ゴメンナサイ。
私が詰まってゴメンナサイ! でも笑える!!!
こんなんw 巡り合わせww ワルすぎだろwww
なんでわざわざ全長4kmもあるトンネルが片交をやっているタイミングに、この方向かつ、この脚力の時に通りかかるか?!
運がワルいのは私ではなくて、この時、異常に長い“赤信号”に引っ掛かり続けていた、大勢のドライバーかも知れないぞ。
19:23
トンネル突入からちょうど20分後、ようやく出口へ辿り着いたが、依然として対向車も後続車も来ない。
だってまだ片交区間が終わらない。
私がトンネル内での信号待ちから解放されてから、既に8〜9分は経過していると思うが、この間1台の車も通っていない。
こういうときに、何分以上経ったらいい加減しびれを切らしてクルマを入れるものかの判断は、現場に委ねられていると思うが、これって私が出来ることは一刻も急ぐこと以外にないよね?
で、トンネルを出て「北陽橋」という短い橋でルクシニコロ川を渡ると、ようやく現道の最高地点(海抜260m)のサミットとなりまして、越えて下り始めると間もなく、トンネル内の規制開始地点から約2.5kmぶりに、ようやく! 規制区間の出口に達した。
結局、おおよそ10分にわたって、双方向の交通を、私は止めたと思われる。
一瞬も休まずに、必死に漕ぎ続けたので、マジで滝汗でしたっ!!
これは、自転車で通り抜けた20分くらい後に、エクストレイルに乗り換えて通った時に撮影した片交の出口ね。
こんな感じで、私がトンネルを通過するのを待たされたクルマが何台いたかって?
それはノーコメントで。そこまで多くはなかったと思うけど…。(ゴメンネ)
仕方なかったんだよ!!
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