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2021/4/23 15:32 《現在地》/海抜650m
忽然との表現がピタリとくる、そんな車道の復活だった。
この手の未成道は、元となった旧道から離れた所に整備されていて、その末端はどこにも通じていない真の袋小路となっていることが珍しくない、むしろそのパターンが多いと思うが、ここでは未成道の両側末端を結ぶように旧道が存在していたので、一筆書きで通り抜けが出来た。
無駄がなくて、大変よろしい。
広留野を目指し、歩行を再開する。もちろん上り坂である。
15:33
すぐにこの、“2度も見覚えのある”法枠工の場面となった。
10分前と、2時間前10分前の2度遠望した、思い出の場所だ。
それはそうと、やはりこちら側も末端附近は一般車両の出入りを封鎖されているらしく、路面が細かなゴミで汚れていた。
末端附近を振り返ると、ご覧の有様である。
金が掛かってる!
それが第一印象だ。
このような造りの道をあと数百メートル延長できれば、反対側の末端まで辿り着けたと思うが、それでも億単位の工事費を要するのは間違いなく、法面になされた巨大な附帯工事を見る限り、10億を超えるかもしれないと思った。
それを承知でここまで建設を進めた実績がある以上、安易に工事費の高額さが工事中断の理由との判断は出来ないが…。
15:35
末端から150mほど歩くと、一つのカーブを曲がったところに、1枚の立て札と、鋼管の電柱が現れた。
どちらもしばらく見ていなかったアイテムだが、もしや……。
15:36 《現在地》/海抜660m
やっぱりそうだ!
12:20以来、3時間16分ぶりとなる中国自然歩道との再会だった。
この間に私は約4kmの道を歩き、260mの高度を獲得したが、この歩道を利用すれば約500mの道のりで済んだかのように、地形図は描いている。もちろん、その分だけ物凄い急坂なのだろうし。だから明らかに非車道なのである。
状況から見て、諸鹿と広留野を結ぶ本当の古道なのだと思う。
わざわざ中国自然歩道としてゼロから開削する意図が見えないので。
この道については、当初の予定通り、帰路として使うつもりである。
もうすぐだと思うが、今ではない。
この県道の行く末をもう少しだけ見届けてから、ここへ戻ってくるつもりだ。
ひッ…
ちょっと覗いてみたけれど、ヤバそうだな…………。
斜面の傾斜が途中から急になっているらしく、景色の底が見えない高度感が…。
「中国自然歩道」というものの平均的な整備レベルを知らないが(これは関東地方だと「関東ふれあいの道」、東北地方だと「新奥の細道」などと呼ばれている、環境省が全国に整備した長距離自然歩道という種類の道路である)、いわゆる遊歩道的な道ではないのだろうか?
手摺りとか階段とかは、ないんですかね……?
廃道を生き延びたのに、帰り道の遊歩道で遭難死とか、いやなんですけど。
まあ、遭難死はどこでもいやだけど。
……気を取り直して、荷物はここへ置いていこう。ちょっとでも身軽でなって、体力を温存しよう。
荷を下ろし、残り少ない県道の続きへ。
ちなみに電柱だけど、これは自然歩道に沿って上ってきているみたい。
【プレート】
に、「H22若桜町ICT」と書いてあった。
具体的には、光ファイバーだろうか。
失礼ながら、「こんな山の中で?!」という驚きがあったが、道はこんなでも、この先の広留野は廃村ではないはずだから、インフラ整備の一貫だろう。
15:39
続いて、随分と久々な感じがする切り返しのカーブへ。
このカーブで、ずっと来見野川右岸の斜面にいた道が、初めて広留野の台地上から伸びてくる尾根の上に立つ。
一連の道のどこか一箇所に地形の区切りを置けと言われたら、間違いなくここになるだろうという場面だ。
尾根にタッチしたことで、屏風岩の高さを完全に超えた。
15:41
景色も当然変化する。
周りを圧迫するものがなくなり、高原の開放感を手にする。
下界よりひと月分くらい芽吹きが浅い灌木の尾根に沿って、より太い尾根を目指して登っていく。
相変わらず未成道感しかない路面状況である。
この右に見えているガードレールに寄って撮影したのが、次の写真だ。
ひょおおーー!!
私が過去3時間にわたって這いずり回った地形の起伏が、面白いように俯瞰された。
球場の一番高いパノラマシートかスカイシートから、闘い終えた選手達の敢闘を讃える気分がする。
道も、私自身も、選手である。
……せっかく上ってきたのに、最後にこの高度をまとめて手放すのが大変そうだ……(苦笑)。
少し視線を上にずらして……
来見野川源流の稜線を広く展望する。
扇ノ山と氷ノ山をブリッジする、兵庫県境を兼ねた山系主脈がほぼ平準な高さに連なっている。
実はあの谷の奥から稜線のかなり近くまで上り詰める、レールや橋が豊富に残された森林鉄道がある。この翌年に探索した。
探索の時点でもその存在は把握しており、そのアプローチ部分の下見を内心で意識しての今回の探索だった。
……回想終わり。
15:45
展望を堪能し終えて、前進再開。
かなりの急勾配で脇目も振らずに登っていく道には、もう何年も車は入っていないのかもしれない。
障害物になりそうな周りの枝葉が全然刈り払われていないのである。
夏場には鋪装だけを残して、全く見通しのない状態になっていそうだ。
とはいえ、もうゴールは間近だ。
15:46 《現在地》/海抜690m
なんだこりゃ。
ここに来て、またしても道幅が狭くなった。
鋪装も途絶えている。
目的地到達を前にした突如のパワーダウンは不可解に思えるが、ここが不通区間を挟む一連の県道改良事業の終端だったのかもしれない。
この先は、既存の道をそのまま使ってねということか。
あるいは単純に、着工前に中断されただけかもしれないが。
既存の道をゆく。
幅3mほどの未舗装路となった。
路面はよく締まっている。
そりゃそうだろう。大型の工事車両も、ここを出入りして現場に向かっていたはずなのだ。
相変わらず光ファイバーらしき電柱は一緒にいてくれるが、この期に及んで未舗装に逆戻りとは思わなかった。
これが県道103号の自力なんだと、化けの皮を剥がされたような気分だ。
とぼとぼ歩く。
このような道を上り詰めた先に待つ広留野がどんな場所なのか、誰もが気になると思うが、多分今日はその入口しかお見せすることが出来ないだろう。
自転車があれば良かったが、歩きにかかる帰りの時間を考えたら、そろそろ撤退を決断しなければならない。
広留野の入口と私が考える場所まで辿り着いたら、撤退だ。
15:48
「広留野高原」ッッ!!
登り着いた〜〜!!
2021/4/23 15:48 《現在地》/海抜710m
待ち受けていたのは、思った以上に、“終わってる感”に満ちたゴールだった。
国道29号から約12km、諸鹿集落から約6km、途中の封鎖ゲートから2.7kmの地点である。
県道103号若桜湯村温泉線は、この奥に見える丁字路を右折し、広留野ならびに兵庫県境方面へ続いていく。
やる気を感じさせない封鎖ゲートだ。
この先に、未開通とはいえ、あれだけ大規模な工事を感じさせる【立派な車道】
が潜んでいるとは、誰も思わないだろう。
状況的に、私と同じように諸鹿側から登ってくるのが“正面”で、こちらはいわば“裏口”といえるのだろうが、繋がらざる道の侘しさを凝集したようなゲート風景に強い印象を覚えた。県道の入口というよりは、その辺の廃別荘地の使われなくなった道みたいな“オーラの無さ”だった。
……一応、「車両通行止」の垂れ幕には、「鳥取県」の表記があるが…。
あと、通行止なのはあくまでも「車両」であり、歩行者は通っても良いという扱いのようである。
そうでなければ、中国自然歩道を歩けないしな。
あるいは私が辿ったように、未成道区間を古道で繋ぐ通行方法も想定してくれているのだろうか。
県道の存在感の無さよ!
いくらこちらが未舗装でも、丁字路のこちら側の白線が切られてないのが、悲しすぎる。
「無視すんなッ……たのむから………(涙)」って言いたくなるよ、俺がこの県道なら。
でも、中国自然歩道の案内板(赤矢印)と、あと「広留野高原」と大書きされた看板(青矢印)は、無視しないでいてくれた。
君たちだけが友達だよ。
見慣れた木製の案内板には3方向の行き先が書かれており、手前側の羽根は途中で折れていたが、「諸鹿」と書いてあった。
残り2方向は画像の通りだ。
チェンジ後の画像は、内容から若桜町が設置したとみられる看板だ。
「広留野高原」というネーミングといい、昔ながらのデザインといい、観光客を意識した看板っぽい。
「特産物広留野大根」のイラストが、素朴で可愛い。
でも、大根のパワーでは県道を繋げることが出来なかったのだろうか。(大根大好きだけど)
随分と久しぶりに、クルマが走ってきても不思議がない現役の路上へ復帰したが、今のところ行き交う人や車を見ない。トリの声がする。
チェンジ後の画像に色々描いたように、この交差点には道路網と町境という2つのレイヤーが重なっている。
意図した挙動であるのかは不明だが、県道は若桜町と八頭町の境に触れつつも、若桜町内だけを通っている。
しかし、県道の入口に【青看】
ででかでかと告知されていたとおり、現時点において下界から広留野へ一般車両が到達出来る唯一の経路は、八頭町妻鹿野(めがの)を経由するものである。
この交差点も、そんな実態を反映するように、妻鹿野と広留野を結ぶ経路が本線であるかのような演出になっている。
この景色から、手前の道と奥の道が別の道だと気づけるのは、予め事情を把握している人だけではなかろうか。
よ〜〜く観察すると、違いがあるのだが…… 気づいた?
私が気付いたのは、この辺だ。
交差点を境にしてデリニエータの色が違っていることと、鋪装の色が違っていること。
でもまあ、走っている車からだと意識は及ばないと思う。(そして誰も困らないという)
同交差点を、広留野側から振り返って撮影。
デリニエータの色の違いに気付いたばかりだが、県道側の白いデリニエータには、「鳥取県」のペイントが確認できた。
それが随分と消えかけていて、県道になったのが昨日今日でないということも教えてくれていた。
良き!
そして、こんなものも見つけた。(ピンク丸のところ…)
あ……(察し)
って、要領よく“察し”たのにもかかわらず、わざわざ死体に鞭打つような確認作業を行う私。
毒蛇遭遇の危険を冒しつつ看板を裏返しにしてみたが、予想以上に酷い有様で、「不能」という大きな赤い文字の一部と、小さな「鳥取県郡家土木事務所」という文字が確認できた。
……私は知っているぞ。
【同じ看板】
が、ちょうど私が車をデポした地点にも“落ちて”いたことを。
しかし、通行止区間の前後に対として設置された2枚が2枚ともこの状況なのは、草も生えない。
年季を重ねた「この先通行不能」だということを、身を以て示してくれている。
あと、「郡家土木事務所」というのも既に存在しない。今は「八頭県土整備事務所」へ改組改名されている。
何もかも、“終わって”いた。
15:50 《現在地》/海抜710m
ここから県道は真っ当な道となって、おおよそ2.5km先まで火山台地の高原を直線的に登っていく。全部で3つの不通区間を現有する県道103号に2つある不通区間に挟まれた現役区間の1つである。
広留野の人家があるのもこの先だが、あいにく今日は歩いて確かめに行く時間はない。
普通の感覚であれば「何もない」と表現されるだろう、こんな林間の道の途中でしかない場所であるが、私は「満足して」撤収する。
2022/6/10 4:35 《現在地》/海抜805m
翌年の6月10日に今度はクルマで広留野を訪れた。
海抜805mの県道末端を背に、下界方向(つまり今回探索した諸鹿方向)を撮影した。
広々とした大地に農地や人家や森が広がっている。これが広留野の景色である。
こちらは同地点が背にしている県道末端。
ここにも見覚えのある「県管理終点」の看板が設置されている。
道自体はこの先に通じており、約4kmで海抜1010mにある県境の峠に達するが、県道は未供用で、一般車両の通行は通年禁止されている。その先の兵庫県側も険しい山岳道路が続くが、そちらは県道として供用中で、鋪装もされており、扇ノ山の登山者などが結構通行する。そして県境から約10kmの標高500m附近で新温泉町最奥の菅原集落へ辿り着く。
ここから始まる県道としての不通区間は4kmほどだが、県境を越せないという意味では、両県側から相当に長い区間を巻き込んだ不通といえる。
この4kmにも車道自体はあるので、整備してできないことはなさそうなのだが……。
広留野は県道に沿って細長く広がる尾根筋の高原地帯で、両側は来見野川や細見川の鋭い谷に画されている。
行政的には全域が若桜町に属し、その大字諸鹿の一部である(そのため単独で人口がどのくらいいるのかは分からない)が、交通的には既に見てきた通り、諸鹿から登ってくる県道が未開通であるため、八頭町の妻鹿野地区を経由する車道でのみ下界と繋がっている。
その歴史については机上調査で触れることになるだろうが、特産品は先ほど紹介した看板にもあった通り「だいこん」である。
海抜700〜800mという中国地方では稀な高所で栽培される高原の大根は品質が良いだけでなく、大消費地である関西に近いことで、市場の端境期に新鮮な野菜を出荷できる強みがあるという。
そしてこちらはお馴染みの“るくす氏”調べであるが、若桜町は平成23年3月31日に「町内全戸に光ファイバー網を整備」(資料)したとのことで、広留野も例外ではない。探索中に【関連する電柱】
も見ている。
交通ネットワーク的には若桜町の中でも隔絶された飛び地だが、ネット環境では繋がっているのである。
たらたら説明ばかり書いているが、この探索日の私はといえば、県道には目もくれないで、ただ下り坂に任せて自転車を爆走させていた。
ただ、この車道区間は中国自然歩道と重複しているので、途中にこの看板があったのは見逃さなかった。
今回探索した不通区間がどう描かれているかを見れば、それが素性を知る手掛かりになるかもしれない。
……ズームアップ。
ふむふむ。
この看板がちょうど設置された頃に建設工事が進められていたようだ。
では、看板はいつ設置されたのか。
手掛かりになるのは、「県道若桜温泉線」という注記だ。
今の路線名は「県道若桜湯村温泉線」であるが、ここには「県道若桜温泉線」とある。
一見ただの脱字だが、Wikipediaの解説によると、昭和57(1982)年から平成18(2006)年までは、この路線名だったという。
まるで「若桜温泉」という名前の温泉がありそうに錯覚するネーミングだが、単純に鳥取県若桜町と兵庫県温泉町から採られていた。しかし、この前年に温泉町と浜坂町が合併して新温泉町になったことを受けた改称らしいです(終点の近くに湯村温泉がある)。
4:44 《現在地》/海抜710m
10分足らずで、見覚えある県道供用区間の下端へ辿り着いた。
この区間の長さは約2.5kmで、残念ながら(?)沿道にヘキサのような分かりやすい県道アイテムはない。……ということを確かめることが出来たのだった。
以上の報告をもちまして、本来の時系列に残るヨッキへ、レポーターのバトンを返します。
16:08 《現在地》/海抜660m
はい。返されました。
それでは引き続き下山を進める。
ここは先ほど一度素通りした中国自然歩道の降り口だ。
県道ではない道だが、県道の旧道という可能性はある。
なので、駆け足気味にではあるが、ついでに紹介しておこう。
無事下りきれば、そこがゴールである。
地形図だと、急峻な尾根に沿ってあまり曲がらず一気に下るような徒歩道が描かれているが、実際にはチェンジ後の画像に示したような小刻みの九十九折りを描きながら下っていた。
しかし、先の方はさらに傾斜が付いているようで、地面が見えない。
一抹の不安が過る光景だ。
16:11
案の定、数分下ると傾斜がキツくなり、岩場が混ざる尾根となった。
道もやや不鮮明で、藪こそないものの、倒木が邪魔をしたり、路肩が欠けていたりといった障害が続々現れた。
状況としては、やや荒れた登山道くらいの印象だ。
明らかに非車道である。石垣などは見あたらない。
16:14
これらは傾斜が一番キツかった辺りの写真だ。
ルートファインディングを意識しないと迷いそうな場面があった。
倒木が進むべきルートを隠していた。
しかし、勾配の厳しさは、距離とのトレードオフである。
さっきまでいた車道世界の常識を完全に無視した歩道世界の下りの早さが、気持ちよかった。
自転車を含むクルマがあるなら別だが、徒歩だったら誰しもがこの道を選ぶだろう。
下りはもちろん、登りであってもおそらく。私が県道を歩いたら3時間かかったが、この坂を登るのに、そこまでの時間はかかるまい。
16:17
スギの人工林が現れると急勾配区間は終わりで、尾根は緩くなり、道もダレる。
そこまで入口から10分足らずであった。
もう心配はいらない。
16:28
人工林の尾根をだらだら下り、ほぼ下りきる直前に、1枚の案内板が設置されていた。
この辺りの川の中で産する「諸鹿石」と呼ばれる一種の頁岩や、ここからよく見える「屏風岩」の岩壁について説明されていた。
看板越しに見る屏風岩。
探索スタート時の風景に戻ってきたと実感する。
広留野の台地上から、あの巨大な岩壁が有する落差を、もう下ってきたのだ。
適した道さえあれば、人間の足の登降能力は、所要時間という面でクルマを凌駕しうることを体感した。
車道を歩くのは、効率が悪い! (←正解)
16:30 《現在地》/海抜420m
引き返し始めてから40分、歩道の降り口から23分で、愛車が待つ歩道の登り口へ帰還できた。
私のように一度や二度歩くくらいなら便利な近道だと思ったが、毎日この道を上り下りして広留野まで耕しに行くのは辛い。
それに歩くだけならまだしも、収穫できた作物をどうやって運び出すのかを考えたら、絶対に車道は欲しい。
そんな実感を噛みしめながら、本探索を終えた。