※ このレポートは長期連載記事であり、完結までに他のレポートの更新を多く挟む予定ですので、あらかじめご了承ください。
7:25 《現在地》
あ〜〜、怖かった。
惰性で危ないところに入っちゃいけないね! 反省反省。最悪死ぬとこだった可能性ある。
行きすぎた地点(最終引き返し地点)から、直前の尾根(隧道が圧壊埋没していると考えられる尾根)まで撤退するのに数分かかった。嫌な汗をかいてしまった。
尾根の上にどっかりと腰掛けて、考える。
今の場面を正面突破出来なかったことで、本日第一の目標である、昨日の撤退地点の反対側まで辿り着くことは不可能になっただろうか。
本当に無理であれば、これはもう自分の限界と素直に認めて、第二の目標に向けての転進、すなわちこの場所から速やかに撤退しようと思う。
だが、ここまで来られている今だからこそ挑戦可能な抜け道があったりはしないだろうか。
そういうことを、もう一度ここで冷静に地図と地形を見て考えたい。
よくあることだが、地図上でなら後からいくらでも良さそうな手を思いついてしまいそうだ。
だが、それを試せるのは今だけなのだ。
第一の目標達成まで、軌道跡ベースの推定距離で残り800mくらいまで来ている。
ここまで来られているアドバンテージを、簡単には手放したくない。
ここは熟考だ。
考えました。
直上の尾根筋まで回り込む高高度の高巻きで、横断不可能な崩壊地は越せると思う。
名付けて、スーパーハイトラバース作戦!
地形図によれば、現在地(標高1280m)から尾根に沿って上り続けると、標高1440mの尾根上に平坦な地形がある。
そこに多くの尾根が集まっており、下る尾根を選ぶことで、未踏破区間内軌道跡の複数地点へ自在にアプローチ出来る可能性がある。
しかし、これはあくまでも地形図上での想定だ。
ここから1440m地点まで160mの高度差を登れるのかどうか。それにどのくらいの時間と体力を要するのか。登った後で下ることが出来るのか。そして仮にこの作戦が成功したとしても、生還のために同じ規模の高巻きをもう1度行わなければならなくなるという、大きな大きな荷を背負い込むことになる。
これは諸刃どころか、鞘なし柄なしの自刃の刀となりうるリスクがある作戦だった。
現在時刻はまだ7時半前。
カレイ沢からここまで1時間半を要していたが、まだすぐに戻らなければならないタイム感ではなかった。
果たして余裕があるのかは分からないし、たぶんそんなものはないんだろうが…。
今は時間よりも体力、というか脚力が心配だ。昨日からの今日である。さすがに疲労の蓄積が深刻で、それは自分が一番よく分かっている。
登ることに体力と時間を費やし、その後に下ることが出来なくなって、作戦が徒労に終わるのが何より怖いが、
撤退の前に1回だけ、挑戦してみたいと思う!
7:28 “スーパーハイトラバース(SHT)” 発動!
7:29 (作戦発動1分後)
隧道跡のある尾根を登り始めた。
まだ隧道跡からよく見えていた近場の斜面だが、尾根伝いながら傾斜は急だ。
地形図から読み取れる勾配は、最初の120mで100m登っているので、平均勾配40度となる(斜辺距離約160m)。
そのうえ予期した通り、滑りやすい砂礫質の硬く締まった斜面に乾いた落葉が乗っている状態で、登り始めてすぐに、これは大変だと理解した。
7:31 (作戦発動3分後)
急傾斜ではあるが、尾根を辿るメリットとして、斜面が比較的安定していて、太い樹木が所々にあるから、適宜それらに身体を預けて休むことが出来た。
また、尾根の両側が同時に見えるので、周囲の地形の変化を敏感に感じ取ることが出来た。
写真は、右方向である。
早くも右足の下方には、先ほど私を殺そうとした凶悪な崩壊地の上部にあたる、大きなガリー的な崩壊地が接近してきている。
当然、横断できそうな気配は全くないが、おそらくこの尾根を外れない限り、同崩壊地に進路を阻まれることはないはずだ。
チェンジ後の画像は、同じ地点から右水平高度を撮影している。
100mほど先に見える尾根が隣の尾根であり、軌道跡と交差する部分には【大きな掘り割り】
があることを先ほど観察済みである。
高度1440mであの尾根に合流できるので、そこから軌道跡へ下る選択肢がある。先ほどの地図で「高巻き@」としたのがそれだ。
まだまだ登らなければならない。
7:32 (作戦発動4分後)
こちらは尾根の左側を見下ろした眺め。
ヒョロガリレール橋が、最もヒョロっとした姿を見せてくれている!
この高巻きを選んだ者だけが見られる絶景だった。
ちょっと癒やされた。
生きて戻ってくるからな、待っていやがれ!
……本作戦が、私に対して真に牙を剥くのは、ここから先であった。
この先はいよいよ、私がこの山において摂取できるほぼ唯一の癒しであり楽しみである人工物(軌道跡)がまるでない、真に無人跡の世界となる。
登山好きなら余計に楽しいだろうが、私には辛くなる時間だった。
そんな中で当分続けねばならない、このスーパー高巻きは。
7:38 (作戦発動10分後)
ときおりGPSで位置と高度を確かめながら、黙々と平均斜度40度の道なき尾根を登り続ける。
と、ここで私の傍で一筋のガリーが燃え尽きた。
いずれはさらに浸蝕が進むのであろうが、とりあえず今日の時点ではここで打ち止め。
私を虐げた崩壊地へのリベンジが、少しずつ成り始めている。
これはちょっと愉快かも!
7:39 (作戦発動11分後) 《現在地》
とはいえ、今見送ったのは、あの巨大な崩壊地の幾筋にも分かれた上流の一つでしかない。
これは右水平高度の眺めだが、まだとても水平移動(トラバース)に切り替えて隣の尾根に取り付ける地形ではない。
急いては事をし損じる。
って、ヒロイックな感じのことを書きながら、内心では1mでも低い位置でトラバースが出来ないか、下心丸出しの目で探りまくっております。
だって足が疲れたんだも〜〜〜ん!!!!
ここでは、まださすがに先ほどの恐怖と反省が活きていて、なんとかトラバースを我慢したのであった。
7:41 (作戦発動13分後)
現在高度は1370m附近。
登り始めから90mほど高度を上げた。
当初予定の1440mまではまだだいぶあるが、隣の尾根「高巻き@」が近づいており、かつ、少し頑張ればトラバースで乗り移れそうなので、近道トラバースを決行します!
道を辿るとき以外は、積極的に楽を選ぶよ!!!
7:47 (作戦発動19分後) 《現在地》
やはりトラバースが難しく、近くに見えて、案外に時間を費やした。
が、それでもだいぶ近道をして、隣の尾根に辿り着くことができた…………と思う。
……いやぁ、これはちょっと想定外の事態だ。
GPSの現在地は完全に隣の尾根上にいるが、実際の地形はご覧の通り、幾筋もの崩壊地が樹枝状に尾根を枝分かれさせており、どれを下って行けば本当の尾根(切り通しのある尾根)なのかが、上からだと判断出来ない。
これは参った。
ここまで登っても、大崩壊地の執念深い反撃を受けている。
無限に時間と体力があるなら、一つずつ尾根を下れるか確かめればいいのだろうが、そういうのは全く現実的な選択肢ではない。
そもそも、どの尾根も痩せすぎていてとても危険そうだ。
これは、止めた方がいいだろう。
「高巻き@」は、プランから脱落だ。
残る「A」か「B」にコースチェンジだ。
なお、ここまで登ると早川上流の展望が開けていて、軽くチビリそうだった。
景色は良いけど、高度感という抜き身のナイフを首筋に当てられっぱなしなので、心地が悪い。
こういうのはある程度安全な展望台とか、廃道でもいいから、路上から見たいタイプなんです!
7:49 (作戦発動21分後)
というわけで、隣の尾根を諦め、さらにその隣の尾根(高巻きAコース)までトラバースを継続することに。
次の尾根も1440mでジャンクションしているが、そこまで登るのが嫌なので、引続き近道のトラバースを敢行する。
幸い、ここには仄かな獣道があった。
獣にだって登りたくないモノグサや足弱が居るんだろうな。
7:52 (作戦発動24分後)
目指す尾根まで、あともう少し!
登るのも辛いけど、トラバースも辛いッス!
軌道跡よりも100m以上高い地形を回り込むという、廃道探索中としては過去最大クラスの大高巻きになっている。
登山好きの方に聞いてみたいが、この辺り(南アルプス)はあまり登山道から外れて山歩きをするようなエリアじゃないんじゃないですかね…。
これは完全に、そこまでさせる早川林鉄が悪い!(断言)
8:00 (作戦発動32分後)
あそこが二つ隣の尾根〜〜! やっと辿り着くー!!
つかれたぁ〜〜。
8:03 (作戦発動35分後) 《現在地》
ナマ声をどうぞ……。 疲労が隠せてないねぇ。
俺はこの尾根に賭けるぞ!!
見た感じ、先ほどの「高巻き@」よりはマシだが、登ってきた尾根よりは痩せている感じだ。
急さは、どうだろう。
同じくらいだと思うが……、上から見下ろすと怖いなぁ……。
ちゃんと、軌道跡に軟着陸させてくれよ〜。
タノムヨ〜。
強く強く強く祈りながら、 8:03 下降開始!
8:06 (下降開始から3分後)
良い感じだ。安定しているぞ。尾根が。
下って行くと、先に右側(チェンジ後の画像)の斜面が切れ始め、深く急峻な谷になっていったが、こちら側の探索は優先順位が低い。それよりも向かって左側に進めるかどうかが重要だ。
祈りながら、慎重に下り続ける。
8:13 (下降開始から10分後)
登るよりも体力的には楽だが、足への負担はどっこいどっこい。
針葉樹の浮き上がった根張りが多く、そうでなくても滑りやすい斜面に手こずるが、地形的にはとても安定している。
尾根の幅も広いし、安心感がある。これはいいぞ。作戦成功の気配が漂ってきた。
全部自分の手柄である。
ヤバいテンションになってきてるのが分かる。これは軌道跡に辿り着いたら、叫びそうだ。
8:17 (下降開始から14分後)
そろそろ……
そろそろじゃないの?
!!!!!
(腹の底から一気に喉もとへ突き上げてくる、この世のものとは思えない絶叫)
レールがッ
レールが俺を祝福しているッッッ!!!
物言わぬレールに祝福をされているという幻想を頑なに譲らぬ男が、叫びながらッ
未探索区間への降着に成功!!!
遂に、この区間の踏破に王手をかける。
8:20 (下降開始から17分後、SHT作戦発動から52分後) 《現在地》
やってやった!
早川によって与えられた「無理」の一つを乗り越えてやった!
私は普段なら「無理」の範疇と考えて選択しないような高低差100m越えの高巻きを決行し、直前に前進を断念した地点から約200m先の尾根(二つ隣の尾根)にある軌道跡へ辿り着くことができた。
これにより、昨日の最終到達地点であり、本日最初の目的地である“尾根F”まで、残り600mに迫った。
ここを越えてくるとはさすがの早川も思わなかったんじゃないか……、などと一人勝手に想像して悦に入った。
写真は、下りてきた尾根を見上げて撮影した。
後でまた登り直さなければならないのがキツイが、今はひとまず勝利の輝きに満ちた尾根だ!!
これが52分ぶりに辿り着いた、“続きの路盤”だ。
この写真では見えないが、所々露出したレールが私を歓迎してくれていた。
ここを前進すれば、あと600mほどで昨日の撤退地点である大崩壊の反対側に辿り着けると思うが、未踏破区間を少しでも減らすべく、ここは一旦手前方向、すなわち引き返す方向に進んで【未踏の切り通し】
を目指そうと思う。
尾根一つ分だけだから、順調なら100mくらいで辿り着けるはずである。
これも同上地点から撮影した路下の風景である。
今日見た中では最も早川本流が間近に見えるが、実際近づいているのでその通りである。
しかしこれでも250mを優に越える比高があり、ほぼ真下に開けて見えるのは、斜面がほとんど崖だからだ。
私が下ってた尾根も路盤より下は勾配が急速に増しており、このまま底まで下りられる可能性は低そうだった。
8:25 休憩終了、再出発。
再出発時に撮影した上流方向の風景。
すぐ先にもちょっとした尾根が見えるが、目指しているのはその影に隠れた次の尾根だ。そこに上流側から切り通しが見えていた。
そして写真左奥を占めている山肌との間に、カレイ沢が流れ落ちている。
カレイ沢も昨日越えた多くの谷と同様……いや、これまでの谷以上に多くの試練を軌道と私に与えていた。さすがは「崖沢」だ。
8:27 《現在地》
ブヒ〜ッ!!
前の写真で“ちょっとした尾根”と書いたところをさりげなく回り込もうとしたら、とんでもないことになっていた!!!
しかしこれは、ある意味では、ラッキーだったのかもしれない。
というのも、先ほどの高巻き中に、もし“高巻き@”のコースを選んでいて、そのまま上手く路盤まで下りられていたとしても、そこから前進しようとすれば忽ち、いま見ているこの崩壊地に遮られていたのである。
これが少し無理をすれば乗り越えられる程度のものであれば良いが、はたして……
チェンジ後の画像に示した位置をよじ登って、先を調べる。
無理ッ! 通過不能!
これは…………、一応、ラッキーだったということにしよう。
遂に昨日の序盤のドノコヤ沢架橋地点以来のまとまった長さの未踏破区間を作ることになってしまったことは嬉しくないが、探索全体としての成果量や、そもそもの生還を考えるうえでは、この巨大な突破不能崩壊地に挟まれた“切り通しの尾根”へ迷入しなかったことは幸運であり、私の生存勘が働いた結果だと前向きに受け止めたい。
……いやはや、高巻き中にまで罠を張り巡らせているとは、やはり恐ろしきは早川の性根である。しれっとまた殺しに来てやがった……。
先の画像のピンク枠部分を拡大したのがこの写真である。
“切り通し”までの、今回未踏に終わった短い路盤が見えているが、そこから少し外れた位置に、黒い影が見えている。
この影、現地では隧道の坑口ではないかという疑いを憶え、実際その後、令和3(2021)年に『廃線系鉄道考古学』に私が寄稿したレポートでは、未踏の隧道擬定地という扱いをしたと思うが、今回改めて写真などを詳細に検証した結果、ここに隧道はなく切り通しのみであった可能性が高いと訂正したい。(近い将来、赤色立体地図の1mメッシュで当地を見ることができるようになれば、おそらくこの問題は解決出来るだろう)
8:35 再転進!!
8:40 《現在地》
下降地点をほんの少し下流方向へ通り過ぎた地点にて。
改めて、目的地まで600mをカウント開始!
なお、本当に600m先が昨日の撤退地点だとしても、600m歩ききることは出来ないだろう。
最後は突破不能の大崩壊地になっていることが分かっているので、その崩壊地の反対に辿り着いたらゴールだぞ。
この辺り、今日これまでで一番良好な状態でレールが露出している。
露出=崩壊地というのは変わらないが、その程度が良く、頻度も高い。(≒崩壊が多い…苦笑)
高巻きから下ってくる私を最初に視界の中で迎えてくれて、声にならない絶叫を上げたのが、このレールだった。
嬉しい! 楽しい! 美カーブの露出美レール!
もはや軌道跡での定型文だが、それでもやっぱり言いたくなる↓。
「今にもカーブの先からトロッコ列車が現われそうだ」。
……ごめん。 ウソ言いました。
ぜってぇトロッコなんかコネーよ!
これるわけねぇ〜〜〜んだよ! 昨日どれだけ苦労して奈良田から歩いてきたと思ってんだ!
こんなくだらない一人ツッコミをわざわざボイスメモに吹き込んでいたので、現地ではよほどウケると思ったんだろうという事実を尊重して、レポートでも採用しました(笑)。ツマラナイというクレームは早川に流してくれ。
せっかくなので、露出美レールの細部もチェック。
写真はレールの継目で、華奢な6kg/mレールのフランジに、ペーシ(継目板)とモール(ボルトナット)がちゃんとあるべき形で収まっていた。
枕木については、完全に土になってしまったようで見当らず、犬釘も一緒に散逸してしまったようであるが、水捌けや風通しの良い場所のレールの残存状況は素晴らしいものがあった。
それにしても、第二次大戦中に敷設されたことが史実として明らかなレールが、こうしてそのまま残っている現場というのは本当に珍しい。
戦時中の木材緊急増産を目的に敷設・延伸された林鉄自体は珍しくないが(千頭奥地もそうだった)、そこに当時敷設されたレールがいまもそのまま残っている林鉄は初めてだと思う。
戦後すぐに廃止されたのに、その時に回収されていないことも含めて、奇跡的な廃線跡だと思う。
改めて語るまでもなく、日本中の家庭やお寺から必要最小限以外の金属類が徹底的に回収されて戦争遂行の目的に使われたあの時代に、武器になる鋼鉄の塊であるレールが、この無人の山中に黙々と敷設されていった事実は重い。
当地は今もそうだが、明治初期に山梨県が皇室(明治天皇)より賜った下賜林(山梨県では恩賜林と呼んでいる)であり、その山に生える木を1本でも多く伐り出すために、レールを敷設して軌道を開通させることが、天皇への恩に報いることだという考えに至った工事関係者も、きっといたのではないだろうか。
本編解説編で紹介した、昭和18(1943)年11月発行『風景』の早川林道開通の記事にも、同じ様なニュアンスのことが書いてあった(再引用)。
本村に対する国家の要求が今日程切なのは我国開闢以来ない事であり、此無尽蔵の宝庫から此林道を通じて供出さるる木材こそ実に意義深いものというべく、今日に備えて必死挺身して来た甲州人士の意気は激賞してあまりあると言い得よう。
ここまで2日間歩いてきて、これは何か特別なる精神の拠り所がなければ実行されぬ、少なくとも営利目的では絶対に思いつかないような難工事であったと私は感じている。
もっとも、実際にツルハシを握る現場の作業者たちにとって、精神だけではどうにもならぬ生き死にそのものであっただろう。
どんな人達が働いたのか。その情報は全く欠落しているが、今の私はそんな彼らの苦労を実体験しており、私自身が共感の塊となっていた。
過酷な環境を歩き続けた結果、いろいろと殻を削ぎ落とされて剥き身になっていた心に、まるで私を待っていたように続くレールの語りは強く作用し、油断すると涙が出てきそうで困ったもんだ。
どうしても、敷かれままの廃レールを見ると、それを敷設した人、保線した人、運転した人、撤去できなかった人、いろいろな人の姿が脳裏に過るのである。
しかし、私が泣いても笑っても……
あと500mで折り返し!
(そしてまるで探索のゴール間近みたいな空気だが、実際は生還に最も遠い領域を彷徨い中である)
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