※ このレポートは長期連載記事であり、完結までに他のレポートの更新を多く挟む予定ですので、あらかじめご了承ください。
2017/4/14 12:52
カレイ沢からおおよそ700m前進し、残り100mでアザミ沢との分水尾根に達しようというところだ。
仮にあの尾根を越えることが出来れば、この2日間におよぶ軌道跡歩きの一つの終着地とも言うべき南アルプス林道との交点まで、残り600m弱となろう。
再三再四述べているように、こちら側からの到達は不可能であることを承知していたが、それでもこの残距離の値は探索の達成度そのものであり、私にとって重要な意味を持つものだった。
ここに至って、路盤の悪状は少しも緩まることがなく、厳に私を責め立てた。
決定的な場面こそ現われぬが、砂煙の色をした広大な崩壊斜面は、一瞬の油断も許さない構えで、尾根へ至る最後の谷を圧していた。
12:56
しかし遂に辿り着いた。
尾根直下。
この目の前にある尾根を、軌道はどうやって越えていたのか、不明である。
等高線に従って、その先端まで回り込むなら、あと100mくらいはトラバースが続きそうだが、もし隧道や切り通しで短絡するなら、もういつそれらが現われてもおかしくないくらい、スカイラインが近い。
地形的には、ここから強引に攀じ登ることも、充分に出来そうだった。向こう側がどうなっているかは完全に未知だが。
12:58
尾根の下に取付いた道は、そのまま先端への冗長なトラバースを選択したようであった。
進行方向が90度左に折れ、先端を目指し始めると、視界に占める空の領域が一気に広がり、身体にあたる風が強くなった。
次のカーブを曲がれば、先端があるかもしれない。
12:59
うぎゃあああ!!
一見して突破不可能であることが明らかな崩壊地が、道を完全に切断していた。
妙に黄色みの強い崩壊地は、砂粒レベルにまで激しく破砕化した岩盤らしく、その下部は底知れぬシュートへと連なっていた。
途切れた道が、向こう岸から再開しているのが見えた。(赤矢印の位置)
だが、ここから辿り着く術はない。
果たして、軌道はこの尾根をどうやって越えていたのか。
まだ、幾つもの可能性が残ったままだった。
13:02
幸いにしてここは、進路上の致命的崩壊を躱すことが、今までよりも遙かに容易い立地条件であった。
越えるべき尾根を越えれば、事足りるのである。
“次の高巻ある時は撤退”との内心はあったが、もちろんここは例外だ。
如何に私の足がへこたれていようとも、ここを越えて先を目指さない道理はなかった。
直登開始!
13:03 《現在地》
わずか1分の這い上がりで、尾根へ達す!
向こう側の明るく切れ落ちたところが前述した崩壊地の先端であり、まさに今から尾根に対する入刀を始めようとしていた。
そのため、これを書いている現時点では、この撮影地点は既に“空中化”しているかもしれない。
13:04
この尾根のてっぺん、細すぎてヤベぇ!!
この“足の踏み場”の圧倒的不足は、全天球画像で見ていただかなければ理解していただけないだろう。
ぜひ、画像をぐりんぐりんして、見回してほしい。
そして、私がいる稜線の尋常ならざる狭さを、実感してほしい!
私は、画像の“黄色い矢印”の辺りから登ってきた。
尾根を越えて続きの軌道跡へ短絡するには、“赤い矢印”の側へ下りなければならない!!!
この角度………
これ…下るの無理じゃねーか……?
尾根を越えて向こうの路盤へ。
そんな気持ちであったが、この角度の前にすると、たちまち恐怖心が足の歩みを鈍らせた。
状況は危機的だが、なるほど確かに来てはいるようだ。目指し続けたゴールのとても近くまで。
なにせ、昨日と今日を通じて、これほど間近に早川林鉄の林道化した路盤を遠望したことはなかった。
あそこに見える立派なトラス橋は、南アルプス林道に架かる大崖沢橋(おおかれさわはし)であるようだが、もとは昭和30年代に野呂川林道として整備された橋である。そしてその前後の道は、我らが早川林鉄の再利用路盤である(らしい……事前読の『トワイライトゾ〜ンマニュアル7』によれば)。
ここから見える距離も近ければ(直線距離で約500m)、高さも近い(ほぼ同高度)。
もしも私に鴨の翼がニョキニョキ生えたら、眼下のアザミ沢を飛び越えて、あっという間に到達しよう。
…………そんなことがおきたら良いのになぁ。
13:05〜13:10
こんな狭い尾根によくぞ育ったと思われる巨大な針葉樹の根に腰をおろし、休息を取った。
果たして私は、ここから進むべきだろうか……。
そのことだけを考えた。
13:11
未だ、決めあぐねている。
が、確かに尾根の裏側に続きの路盤があることは、目視が通った。
尾根の上は狭く、自由に歩き回ることは難しかったが、全く動けないわけではなく、角度を変えて何度かアザミ沢側を覗き込んでいるうちに、先ほど登った分と等しい約10mの落差の下に、確かに細々とした平場があるのが分かった。
あとは、この斜面を下るかどうかである。
……技術的に下れないかと問われれば、たぶん下れる気がした。
しかし、疲労により踏ん張りが利かなくなってきた私の足が、急斜面の途中で爆発して、滑り落ちてしまうのではないかという漠然とした恐怖があった。もし落ちても路盤で止まるだろうが、こんなところで不意のスリップを経験してしまったら、私の心が恐怖で凍り、帰り道を正常にこなせるかも不安だった。
ほんのわずかにも、このまま引き返さずにゴールを目指せる可能性がないことが、普段なら何の疑いもなく燃えさかっている“進みたい気持ち”を、重く縛り付けているようだった。
13:14
……決めきれない。
うだうだと、狭い尾根の上の狭い範囲を行き来している。
写真は、今いる尾根の上手の方向を撮影している。左側がアザミ沢だ。
このまま尾根を登っていって、途中から左へ下りれば、そこにも路盤はあるはずだ。
しかし、尾根を登れば登るほど、路盤は低く遠くなる。
そこに、ここより緩やかな斜面がある保証はない。
可能性はあっても、今の状況から挑戦できる選択肢ではないと思った。
13:15
あっぶねっ!!
ヒヤリハット……
おそらく直前の休息以来、ウエストバッグのファスナーを閉め忘れていたらしく、そこに収納しているGPSが零れ落ち、それがコロコロとアザミ沢の斜面を転げ落ちていった。
私はそれを見て凍り付いた。
このGPSには昨日から今までの全ての軌跡が収まっている。
どこを通り、どこに隧道があって、どのように高巻をしたか、そのような軌跡の全てである。
もし失えば、この探索の報告は著しく不正確なものになるだろう。
幸い、GPSは斜面を4mほど転げたところで、自然と止まった。
重ねて幸い、それは取りに行ける場所であったが、取りに行くということは、逡巡していた斜面を路盤までの半ばほどまで下るということであった。
どうやら私の背中を押す者がいるらしいと理解した。
なお、この出来事をきっかけに、私はGPSをケーブルで結ぶようになった。
覚悟を決め “GPSに導かれて” 私は下った。
13:17 《現在地》
ついに、アザミ沢側の路盤へ到達した。
しかし、もしGPSを転がすミスをしなかったら、尾根の上で引き返していた可能性もあったと思う。四分六くらいで……。
自身の決断の理由がこういうわけだったから、この到達はイマイチ誇らしくは感じなかった。無事下れたので結果おーらいって感じで…。
また一つ、遠のいてしまった。
(ここから生きて帰っていることは、皆さまご存知の通りである)
(実は、今いるヨッキれんは3人目なんてことはないので、ご安心を)
13:18 《現在地》
尾根を乗り越え、アザミ沢側の斜面にある路盤へ入った。
この【下降地点で撮影した写真】
の奥に見える左カーブを曲がったところが、「現在地」。
すなわち、下降地点から少しだけ路盤を起点方向へ進んだところだ。
この場面、今しがた強引に乗り越えた尾根を、軌道は先端近くまで行って回り込んでいると予想しており、こちらから辿ろうと思ったが、早くも歩行不可能となった。
だから、この先どのようにして尾根を回り込んでいるのか、隧道なのか、切り通しなのか、またそれら現状がどうなっているのかは不明である。
進めないなら進めないで、普段ならばもっと多様なアングルから撮影するなどして、私の判断を説明するための労力を払うのだが、今はその余力がなく、また別ルートからアプローチを試すこともしなかった。(近い将来、当地の1mメッシュ赤色立体地図が公開されれば、隧道 or 切り通し は判明するだろう)
13:19
今度は、下降地点から終点方向への前進を開始。
観音経の南アルプス林道接続地点まで、残り500〜550mと予想される。
この距離がこのままゼロになれば、最高のゴールだが……。
13:20
道は、まだ辛うじて続いている。
誰の足跡も見当らないが、それは今に始まったことではない。
あと500mを進まぬうちに、必ず【こうなる】
ことを、『トワイラ〜』で私は予習していた。
やがて辿れなくなることは承知のうえで、未知を少しでも圧縮し、足元の既知をおし広げようという気持ちで進んだ。
まさしくこれは探検であった。
13:21
頼もしい林道へ生まれ変わったこの軌道の続きが、足元のアザミ沢の向こうに真一文字で伸びていた。
支流の谷へ入っていくとき、昨日から何度も見慣れたこのアングルだが、向こう岸に見えた道が“生きている”のは、今回が初めてだ。
昨日の朝の出発時点では9km近くあった非林道化の未踏破区間は、今や500mを残すばかり。本当によく歩いたと思う。
もしも、予備知識なくこの景色だけを見ていたら、これまで繰り返されてきた谷と同じように、この谷も突破出来そうな感じがしたと思う。
今見えているものはまだ、そのレベルの険悪さだった。
アルプスという借り物の名もお仕着せには見えない3000mの頂を、自身も1400mに手をかける高度から見ている。
彼我の間に挟まる前衛の山並みがなく、谷を挟んで隣り合っている。
ここまで3000mの頂を横に置いて歩ける軌道跡は、他にあるだろうか。
“日本最凶”であることはほぼ疑いない軌道跡だが、他にもいろいろな日本一を誇っていそうな気がした。
13:22
始まったかもしれない。
「風光は実に壮快凄絶にして身の毛のよだつ処の沙汰ではない。」(『風景』昭和18年11月号)
こんなふうに評された、「表観音・裏観音・猿なかせ等」が実際にどこなのか、正確なことは未だに分かっていないが、
アザミ沢に面する路盤の山側と川側が同時に縦になったのを見て、私は、
「始まった」と認識した。
先の見えないカーブを回る。
先の見えないカーブ、昨日と今日で、千は回った。
千に一つの唯一が来た。
私には、
これ以上は無理。
13:25
最終到達地点に、
持参した白旗(タオル)を掲揚。
天下にギブアップを宣言。
最終到達地は、 35.6395°N, 138.3207°E の地点。
画像は当日のGPS軌跡である。
私のことだから、行けないと煽った後に実は行ってるなんていう疑いを持たれないように、生データを開陳する。私の負けです。
ここから観音経トンネル北口まで、かつては確実に軌道が貫通していた区間だが、等高線長ベースで480mが未踏破に終わった。
この未踏分が、どういう地形で、何があるのかについては、幸いにして、対岸の林道から観察が可能らしいから、後ほどたっぷりと見てやろうと思う。
最終撤退地点は、垂崖を横切る狭隘な路盤の全幅が、粘度のある崩土によって完全に埋没し、おおよそ60度の傾斜で埋め立てられていた。
ここがもし、墜落してもなんら問題がない高度であれば、ステップを慎重に切りながら横断できる見込みはあるのだろうが、確実に命を落とす崖であったから、進退の判断に悩むことはなかった。
この、進退に悩まなかったというのは、悔しがりな私の精神衛生上、本当にありがたいことだった。
この場面の撤退は、非常に疲れている現状を踏まえた特例的なものではなく、仮に万全の体力であっても同じ判断をすると思えるものだった。
そのくらい、私にとって鉄板で無理な場面だった。
おかげで、悔しくなかった。
むしろ、ここまで自力で来られたことの誇らしさと、多すぎる成果を持ち帰って発表できることの嬉しさと、死の緊張から解放されることの安堵から、私は絶崖の縁で爆笑をする奇人と化した。
なお、路盤はこの先にも間違いなく続いており、
おそらく、撤退地点のすぐ先には切り通しがある。
以上が、早川林鉄の未知に挑んだ、自己の限界である。
ちなみに、第18回の冒頭で予告した、「私の中ではここまでは行きたいなというイメージ」(心の中の目的地)は、カレイ沢とアザミ沢の分水嶺でした。
ギリギリだったが、そこは越えて進めたので、自己採点は100点満点中の100点です! (←GPS落したり、明確なミスもあったのに、甘いかな?w)
13:23 撤退開始!
(到達断念)
観音経 南アルプス林道 まで (推定)0.4 km
(最終到達目標)
深沢尾根 軌道終点 まで (推定)5.5 km
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